2014年12月04日(木)
京滋駅伝の思い出 [昔話]
昨日ちょっと書いていた「京滋駅伝」。
この言葉で検索しても、今はほとんど何も出てこない。私が出たのが31年前と29年前だから無理もない。そのあと大会自体がなくなってしまったので、今や「伝説の駅伝大会」と言っていいのかもしれない。
「たしか、あのへんに置いてあったはず・・・。」
探したら見つかりました。31年前の「京滋駅伝」の写真。どの子からもらったのか忘れてしまったが、たしか写真はお父さんが撮ったものということだった。
応援に来てくれた教え子の作文も見つかった。
◇
「先生が走る」
錦部 詠子
十六日の朝、雪が降ったりやんだり、マラソン選手にとっては、あいにくの天気だった。
午前11時私は母と妹と犬の太郎といっしょに家を出たが、外は雪が降っている。上賀茂橋に先生たちが通過するので行ってみたら、同じクラスの人たちが10人寒そうに、先生が来るのを待っていた。
先生だってわからなくても応援してくれることを走りながら思っているだろう。やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。
先生が予定した、上賀茂橋のタイムは、11時26分ごろである。「もうそろそろだなあ」と友達としゃべっていると、一番手の選手が私たちの前を通過した。・・・・・残念ながら先生は一番手にはいなかったのである。
いろいろなチームが来るのに先生は来ない。雪はますます降る一方に選手たちが5〜6人がたばになり走って来る。
「あっ!」
「先生だ!先生だ!」
先生の顔は、ふだんとはちがいマラソンにかけた先生のもう一つの顔だった。生徒の私たちが見ても「あれ先生だったん?」と言っていたぐらいだった。
先生が通過した時「がんばれ!」「がんばって!」とゆう声がよく聞こえた。
私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。
川原の上を、半そで半ズボンのかっこうで、一番雪が降っていた一時期に先生は走ったのだ。そして厳しいゴールまでの9.2km走る先生を、生徒の私たちは尊敬の目で見ているのだった。
(終わり)
※31年前、「京都ランナーズ」のおたより「走人ニュース」に錦部さん本人の承諾をとって載せさせてもらったものです。
名文すぎる!
--私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。--
この部分は呼んでて泣けてきた。
雪が降る寒い中、よう応援に来てくれたね。
1984年1月16日の「京滋駅伝」。
私は当時28歳。初めて40人を超えるクラスの担任になり、もうすぐ卒業させるという時期。マラソンしかとりえのない若い先生を、保護者の方々も暖かく見守ってくださっていた。
わが「京都ランナーズ」からはABCDと4チームが出場。私はCチームの第1区を任された。結果は、ゲリラ雪で前が見えないような第1中継所へ、「京都ランナーズABC」がだんごでなだれ込む。
A 29位 29分47秒
B 30位 29分48秒
C 31位 29分48秒
第1区は9.2kmと聞いていたので(距離不足でしょう)、当時は驚異のスピードランナーだったということでしょうか。
錦部さんは言う。--やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。--
応援の人たちに気付いたとき、どんなに力強かったことか。錦部さんが精一杯応援してくれたのを見習い、私も廉や北山高校女子をしっかり応援しよう。
錦部さんやお母さんが、このブログを見てくれはったらいいのになあ。今ごろ(31年ぶり)やけど、あらためてちゃんとお礼を言いたい。
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【今日のきく】
今日は朝から冷たい雨。ヨメさんと行くきくの朝の散歩が短かったので、お昼に散歩に行こうと思っていた。ところが雨はやまず、午後から私は歯医者さんだったのでけっきょく行けなかった。
ヨメさんが、夕方に散歩。これで夜の散歩はいらんかなあと思ったが、やっぱり行きたいたらしい。
夜9時ごろ、いつもより遅めの散歩。
昼間雨で走れなかった廉が、ちょうど夜練習に出てきた。きくは、めったにないことだったので大喜び。道の反対側を走っていたので写真が撮れず残念。
さあ、私は夜11時からの24時間バイトに行かなくては。寒い「一畳部屋」でちゃんと寝られるかなあ。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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