パオパオだより

2014年05月12日(月)

翻弄される辺野古 [時事]

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「東海岸1万人のまちづくりを目標に掲げてきたんだけど・・・」。飯田昭弘さんはそう言って老朽化した店舗を見上げた=4月25日、梅村直承撮影

◎毎日新聞5月11日朝刊・ストーリー

   翻弄される辺野古 
          ―「成田闘争の二の舞い」警告

 時折吹き抜ける風が香りを運ぶ。沖縄県名護市辺野古の中心部。幹線道路沿いに〈ようこそ辺野古商店街〉と書かれた看板が現れた。点在する店舗の多くは傷み、扉を閉ざしていた。
 「昔はにぎやかだったんだよ」。辺野古商工会の会長を務める飯田昭弘さん(66)は独りごちた。4月下旬の昼下がり。すれ違う人はほとんどいない。そんな一角に沖縄防衛事務所の出先機関、名護防衛事務所はあった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる辺野古との連絡調整窓口として、国が2011年に開設した。

 今年3月のことだった。飯田さんは地元商工会会長として事務所を訪ね、こう宣言したという。
 「このまま辺野古区の要望に応えなければ、『成田闘争』の二の舞いになりますよ」。地域の自治会に当たる辺野古区は10年、基地受け入れについて「条件付き容認」を決議した。今年1月の市長選で稲嶺進市長(68)移設反対を訴えて再選された後、区は「条件を具体化し、各世帯への一時補償金などを防衛事務所に打診し始めた。それが「区の要望」だった。

 「警告」のつもりで口をついて出たのが「成田闘争」だった。千葉県成田市の新東京国際空港(現成田空港)の建設をめぐり、計画を強行しようとする国に地元農民が激しく抵抗、過激派が加わったことで反体制運動の色彩を濃くしながら30年近く、地域は大混乱に陥った。

 「今のところ辺野古の大半は『普天間移設容認』で、地元一丸となった反対闘争にはならない。けど、辺野古の意向を無視するなら、住民はこぞって反対に回ると伝えたかったんだ」。しかし、名護防衛事務所の担当官が首をたてに振ることはなかったという。

 でまかせで戦後最大の社会的混乱の名前を出したわけではなかった。地殻変動を感じていたからだ。

 移設が浮上して18年。飯田さんは「辺野古は翻弄され続けてきた。結果がこの有様だ」と閑散とした町並みを見た。怒り、悲しみ、いらだち・・・もろもろの感情が交じった表情だった。

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キャンプシュワブ(左)と辺野古地区を隔てるフェンス。右手の砂浜の向こうで、普天間移設に反対する座り込みが続けられている

   名護の中の東西格差
          「アメ」投入も町おこし遠く

 「普天間移設の見返りは、この学校くらいです。でもね・・・」。沖縄県名護市辺野古。米軍普天間飛行場の移設予定地が見渡せるマンションの屋上で、辺野古商工会長の飯田昭弘さん(66)は、特徴的な円筒形の建物を指さした。国立沖縄工業高等専門学校だった。2004年に開校した沖縄県初の5年制の高専で、在学生は800人。

 国が移設受け入れと引き換えの「アメ」として、辺野古の地に与えた目玉事業。約117億円が投じられた。飯田さんは高専を「地域おこしの起爆剤」ととらえ、8年前にマンション経営を始めた。けれども、その浮かない表情は、期待通りの展開でないことを物語っていた。

 沖縄県北部に位置する名護市は、西と東の両方に海岸線を抱える。市の中心部は市役所が置かれた西海岸側。そして米軍基地キャンプシュワブのある辺野古は、反対側の東海岸だ。名護市の人口は約6万人。辺野古は1900人足らずだ。

 国は1997年、普天間飛行場を受け入れてもらおうと、名護市を含む北部12市町村を対象とする北部振興策を打ち出した。「10年で1000億円」の約束で00年度に始まり、10年度以降も額を減らして継続されている。露骨な「見返り」だ。だが、辺野古に新しくできたものは高専、それに公民館・・・。

 「石破さんが選挙で約束した500億円も、何だったんだろうとおもいますよ。またか、とね。」

 普天間移設の是非が争点になった1月の市長選で自民党の石破幹事長が表明した「500億円の名護振興基金のことだった。飯田さんは移設推進派の新人候補を応援したが、現職の稲嶺進市長(68)に4000票以上の大差で敗れた。同時に「500億円」の話も消えた。

 またか―。その嘆息は深い。96年の普天間飛行場返還合意から辺野古は翻弄され続けてきた。99年、名護市が条件付きで受け入れを表明しながら計画は足踏み状態に。民主党の鳩山政権が「最低でも県外移設」を唱え、混乱に拍車をかけた。曲折を経て13年末、沖縄県の仲井真弘多知事が辺野古沖埋め立てを承認。決着するかと思われた揚げ句の名護市長選だった。

 「政治家がアメをちらつかせて、知事、市長が予算をぶんどる。でも、当の辺野古はすたれるばかりです。これまでに一体、国の金がいくら投じられたのか。反対、反対って言っておけばいいんだからね」
 飯田さんの声は自嘲気味だ。
     ◇
 戦前、辺野古は人口約750人の半農半漁の村だった。辺野古を抱える旧久志村は、占領米軍による土地の強制接収に対する「島ぐるみ闘争」が最高潮を迎えた56年、米軍と条件交渉するなかで土地提供に応じた。接収されるなら見返りがある方がいいという判断だったという。軍用地料で村は潤った。

 辺野古区のホームページによると、48年ごろは140世帯643人だったのどかな集落は、65年には309世帯2139人に急増。それがピークだった。

 70年、旧名護町などと合併し名護市が誕生。軍用地料について、市と辺野古区が6対4で分けることになった。13年度は市が3億1930万円、区が2億1290万円だった。しかし名護市街地と辺野古は車で約20分の距離。地域としての一体感はほとんどない。辺野古区行政委員の許田正儀さん(64)は言う。「辺野古はマイノリティー。声は届かない。大事なことは皆西側が決めてしまう」

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   地殻変動 自治組織から

 4月27日の昼下がり。辺野古の中心にある辺野古区公民館では、年に一度の区民大会が非公開で開かれていた。住民自治組織「行政委員会」が活動方針などを報告する場だ。嘉陽宗克区長(61)は「辺野古には(飛行場受け入れについて)賛成も反対もいる。そういう現状を踏まえて、区民の財産と生活を保障するよう、国に要請した」などと話したという。従来通り条件付き容認か、それとも反対するのかあいまいな言い方に終始した。国に対し、4月14日付で申し入れたという、個人補償額なども明かされなかった。

 出席者によると、配布された書類は出口で回収され、それと引き換えに5キロの米袋が渡された。ある住民によると、資料の外部流出を防ぐのと、「軍用地料」の分配の意味合いもあるという。米だけではない。1人当たり年5万円の生活支給金が支払われる。「軍用地料のバラまきだ」という声も聞かれる。

 辺野古区には軍用地料として年間2億数千万円が入る。それらの金をどう使うのか、移設問題にどう対処していくのかについては、行政委員会が決定権を握る。委員は計18人。辺野古区に10ある班の代表に加え、区長約選出の市議、青年会長、老人会長などがメンバーだ。

 実は、嘉陽氏は昨年3月、46年ぶりの区長選挙に挑み、初当選した。「住民の生命と財産の問題について、わずか18人で決めるのは荷が重すぎる」と問題提議し、内部改革に乗り出す姿勢を見せている。嘉陽氏の支援者、西川征夫さん(70)は「行政委員会はオープンな議論をしないまま、移設ありきで国との条件交渉を独善的に進めてきた。区長選挙後、そうした体質が変わってきている」と話した。
     ◇
 4月26日夕。名護市の稲嶺市長の姿は沖縄市にあった。沖縄市長選で普天間移設反対を掲げる新人候補の応援だった。同市は嘉手納基地を抱える。支持者を前に「相手候補は『国とのパイプ』を強調するが、国が金で言うことを聞かせようとするのが実態だ」と訴えた。

 取材に応じた稲嶺氏は「『金ありき』だから使うのに一生懸命になり、ハコモノばかり。新しい基地が来ると活性化すると言われるが、違う」と話した。国は10年度までに、名護市に普天間の移設に絡む振興策約400億円を投じた。しかし00年度からの10年で、市民1人当たりの所得は203万5000円から188万3000円に減少した。09年度の県平均(204万5000円)と比べてかなり低い。

 稲嶺氏が支援した反対派候補は、与党系候補に敗れた。しかし稲嶺氏の姿勢は揺らがない。沖縄防衛局は4月11日、移設作業のための漁港の使用許可などを求める申請書類を名護市に提出したが、市は今月、突き返した。

 再び辺野古。商工会長の飯田さんと会った。「稲嶺さんはまた4年間、突っ張るのかな。このまま反対を続けても何の補償もない」。飯田さんは危惧する。「西側は直接関わりないから・・・」

 抜き差しならない不信感。名護市はシュワブ、そして普天間の移設先という負担を辺野古に背負わせる。本土と沖縄の関係と重なるように感じられた。

 飯田さんの趣味は写真撮影。3年に一度の地域の伝統行事である「辺野古の大綱引き」の準備に励む住民たちの写真を見せてくれ、こう言った。「これが辺野古だよ。賛成も反対もない」

■今回のストーリーの取材は
  上野央絵(政治部副部長) 1991年入社。水戸支局、政治部を経て2005〜07年、西部報道部で沖縄を取材。鳩山政権下の普天間問題の経緯をまとめた本の執筆に携わり、13年から現職。沖縄問題の取材をはじめて9年になる。写真は東京写真部の梅村直承が担当した。

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 あー、ちゅかれた。
 新聞記事はコピーさえできたら1分ですむ。ところが、今回はなぜかできなかった。
 私のひらがな打ちで約3時間。ようがんばりました。たぶん、どっか変なところがあるはず。また、あとで見直すことにしよう。

 毎日新聞は、辺野古の問題についてかなり掘り下げて取材している。ただ、今回は「名護の東西格差」という点に注目しているところが今までとちがう。「名護市民から抗議されるのでは?」と思われる部分もある。

 記事を読んでいて、一つ頭に思い浮かんだことがある。去年の9月、名護市久志地区を走る「久志20kmロードレース」でのこと。
 会場は統合で休校になった小学校。コース途中には、その地域の何校かを統合した立派な小中一貫校が建設されていた。
 この景色は沖縄では見たことがない。私の中では、「沖縄=学校を死守する地域」だからだ。初めて訪れた鳩間小中、次に行った船浮小中、その次の平久保小も地域の人々が死守した学校と言える。こないだおじゃました国頭村の北国小もそうだ。それだけに、この地域に似合わない立派な校舎が異様に頭に残った。
 今日の記事を読んで、「うーん、そうなのか」と納得するところがあった。「この地域は、ひょっとしたら懐柔策に弱いのかもしれない。」もしそこまで見透かして普天間の移設先を選んでいたとしたら、それはそれですごいこと・・・なのかな?

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【今日のきく】

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 今さらですけど、何で私が犬が好きか分かった。

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 夜8時、大雨の中、散歩に行った。

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 きくは私の顔をチラチラ見る。
 「ひょっとして、このあとお風呂に連れ込むんですかー」と私の心を探る。
 ちょっと踏ん張って抵抗したりして・・・。

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 こんなふうに、ちら見しながら相手の心を探りあう。
 これがおもしろいんですよねー。
 ああ、犬はやめられん!

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