2011年03月13日(日)
能登和倉万葉の里マラソン2011 [ランニング・出張販売]
「この時期にマラソン大会に参加させてもらった私の考え」
心情を強制して、そこから生まれるものは?
死者・行方不明者が数万人になろうとしている東日本大震災。「能登和倉マラソン」は、その発生の2日後に行われた。
「名古屋国際女子マラソン」を初め、全国各地で予定されていたマラソン大会が中止された。「能登和倉マラソン」についても、ぎりぎりまで開催か中止かの議論がなされたようである。
直接被害を受けた地域以外の住民にできることはなんだろう。マラソン大会を中止して、被災地のために具体的に何かができるのであればそれも一つの考えである。でも、とっさにそんな判断をするのは極めてむずかしい。
この時期にマラソン大会に参加している人を批判する人は、少し勘ちがいされているのかも知れない。「ランナーは、自分のことだけしか考えないわがままな人たちだ」とか?
もちろん、この私も一番には「走るのが楽しい」から走っている。でも、最近は大会中に道端で応援してくださる人たちの表情がよく見られるようになった。
いなかのほうの大会ほど、お年寄りの応援が多い。中には車イスで、ほとんど動けないような体の不自由なご老人もおられる。しかし、そのお年寄りたちが私たちを応援してくださる表情は、皆生き生きとしたものに見える。その応援の日を待ちに待ったかのように。
大会を中止するということは、この1年に1回の応援の機会もなくすことでもある。
私がマラソン大会で一番うれしかった応援の言葉は、お年寄りから言われた言葉「また来年も来てくださいね」。
「この非常事態に浮かれている場合か」とおっしゃる方には聞いてみたい。「自粛自粛と心情を強制して、そこから生まれるものは何?」
全国民が黙ってじっとしていれば、震災から復興できるのでしょうか。私はそうは思いません。
極めて個人的な話になり恐縮ですが・・・。
私の中学時代の同級生・Y君のこと。彼は運動がほとんどできなかった。それでもいなかの小さな中学校だったので、本人の意思に関係なく強制的に野球部のメンバーに入れられた。当然のことながら、練習すらまともにできないような状態でで3年間過ごした。
こんな書き方をすると、私がいかにも野球がうまかったように聞こえるがとんでもない。ただ人数あわせに、何とかぎりぎりレギュラーの9人に入れてもらっていただけのことである。
そんな私は、私よりずっと体格のいいY君のことをいじめるようなことはしなかったと思う。ただ、確実にないがしろにはしていた。そのことが、中学を卒業した後もずっとずっと気になっていた。
それから約35年後、私らがもう50代になった時。私たちの出身中学校が閉校になることになり、当時PTAの役員だった私はY君に会いに行った。
「○○ちゃん、ずっとずっと気にしてたことなんやけど・・・。○○ちゃんなあ、野球とか陸上とか全然でけへんのに、いやな顔一つせんとボクらに付いて来てくれてたやん。あれって、かなんことなかったんかなあって・・・。」
「なにゆうとんねん。おもしろかったって。自分がでけへんことを、みんなが一生懸命やってくれてるんやとおもて見とったわいな。見てるだけでもけっこうワクワクしておもろかったで。」
「そっか・・・。」
そんな気持ちでボクらのこと見てくれとったんかー。それを聞いてほっとして、ちょっと泣けてきた。
そうなんや。
「こんなたいへんな時に、なにをへらへら走っとんねー!」という人も一部はおられるかもしれない。でも、「元気に走っている姿を見ているだけでうれしいです。また来年も来てくださいねー」と言ってくださる方もたくさんおられる。私は走りながら、自分の目でそういう人をいっぱい見つけられた。
どのようなときにも、批判的な意見は必ず出てくる。それが今後に生かされる建設的な意見であればよいのだが、私から見れば感情的な意見であることが多いように思う。しっかりと自分の目で見た自分の体験から出てきた批判であるのなら、論理的に根拠のある批判にしてほしい。もちろん、ちゃんと実名を出して。
以上、私・藤井廣司の考えです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 10 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=1159
コメント
shuさん、コメントありがとうございます。
ランネットの大会レポートご覧になられましたか。「能登和倉マラソン」に関してはほとんどの方が95点以上の評価。その中に数名、20点評価(実質0点)が入っています。それらはすべて不参加の方の評価です。見もしないで0点評価を下すなんて、そんなことほかの世界ではありえません。自分の目で見て体験した評価をしてほしいです。
私にできることは、毎日笑顔で走ること。そして、本当に乞われたときにはその力になれるよう、健康を保っていたいと思っています。
来年の篠山の折り返しでは、ぜひ声をかけてくださいね。
読ませていただきました。
能登和倉マラソン開催すごいです、良かったですね。
私も同じ思いしてます。
気持ちも良く分かります。
参加予定の長野中止でいろいろ考えさせられました。
長野は中止に加えて他にも問題があるんですけどね。
同じ思いの人も多いと思います。
経済的にもこのまま少し立てばかなり影響でてくる
と思います。
この流れ何とか早く変えたいですね。
(個人的には存じてませんがいつも篠山の折り返しで
お見かけしてますよ)
まっするウォーカーさん、来年もぜひ出場を。
私たちにできることは、「元気いっぱい笑顔で走る」ことです。あまりむずかしく考えなくてもいいでしょう。
この先もしお会いできましたら、必ず声をかけてくださいね。
来年は申し込めるだろうかな・・・
年金もらえたらね・・・そうもう?早?60歳になっちゃうんですよ・・いつまでも若く??いれるのもマラソンのお陰です・・感謝、感謝です・・東北大震災の被災者にはこころよりお見舞い申しあげます・・また亡くなられた人にはこころより哀悼申しあげます・・
復興を祈念しまして今年は今まで以上に1歩1歩を噛み締めてゴールを目指します・・よろしく
M見ちゃん、コメントありがとうございます。
今日のあるツイッターにこんなのがありました。
普段は「スポーツは人に夢と希望を与える」と言いながら、一番それらが必要な時には不謹慎ということで自粛される。さすがに矛盾を感じる。
【スポーツ協会へ】不謹慎という言葉を恐れてイベントを止めないでください。
災害にあわれた方が元気に暮らしている人を見て気分を害するというのは、私には考えにくいです。自分がそういう目にあったことがないからかもしれませんが・・・。
元気に走れる人は遠慮なく走ったらいい、というのはおかしいんでしょうか。
マラソン大会
私も開催に賛成です。
ひとそれぞれ、色んな考えがありますが・・・
とにかく、開催に賛成です。
まっするウォーカーさん、コメントありがとうございます。
いつも言っていることなんですが、ゆっくりランナーにはトップ争いをしているランナーが見落としているようないろいろなものが見えているはず。ある意味、そのほうがお得です。
沿道の方々についても同じで、応援自体を心底楽しんでくださっている方もおられます。走っているこちらも、1年前に見かけた同じ人と再会できたりするとうれしくなります。
マラソンの楽しさは、ただ走ることだけではないということを皆さんに知ってもらいたいですね。
ありがとうございます・・わたしの代弁を聞くようで感激です・・4年前より腰痛リハビリの速歩で大会に出てます・・走れて時は時速13kmでしたが今は10kmが一杯です・・10kmなんて遅いなーと思っていましたが走りたくても走れない人のことや心臓の自病でも頑張ってる人もいることなどを思うと速歩でもフルも完走出来るし・・もうタイムなんかどーでもいいんです・・完走できればと気持ちを切り替えました、遅くなった分沿道の応援にも楽しみを昨年からアホを真剣にやらせてもらってます・・元気を発進できればと・・福井のあめまランナーです・・・感謝
サイモンさん、コメントありがとうございます。
実は、初コメントの方だったので見るまでドキドキしていました。「何も知らんくせに勝手なこと書くな」とかやったらどうしよう、とか。
大会レポートなどを見ていても、サイモンさんと同じように「参加を悩んだ」という方が多かったようです。でも、不参加の結果として何か実るものがあるのならいいですが、私はそうは思えません。
マラソン大会に参加して日ごろから健康に気をつけておれば、災害にあったとしてもその体力が生かされると思います。
そして何より、今回の参加者は、大会中に何度も被災地や被災者のことを思い浮かべられたことだと思います。それからそれぞれがどう行動するかが問題ですが・・・。何か自分のできることをしていこう、と思われた方が多くおられたことはまちがいないと思います。
私ができることは、とりあえずは自分の考えをこうしてブログに書くことです。サイモンさんが好意的に読んでくださって、感謝しています。
初めてコメントさせて頂きます。
今回、京都から能登和倉万葉の里マラソンに参加した者です。京都キャロット大ファンです^^
今回は、参加するべきか否か・・・、非常に悩んだ末に出場致しました。
『復興祈念マラソン』として開催されるということで、出場する意味があると自分に言い聞かせていましたが、複雑な心境でした。
しかし、市長の言葉や、能登島の方々の声援を思い出しながらこのブログを見て「出場して良かった!」と素直に思えるようになりました。
ありがとうございます。