2010年05月09日(日)
第32回鯖江つつじマラソン [ランニング・出張販売]
この大会のハイライトは、なんと言っても「世界一かっこいい伴走者」三角美どりさん。
スタート前、「今日はどれくらいの目標ですか」と聞くと、「(ハーフ)1時間30分から35分の間で・・・」とのこと。目標も高い。
「京都キャロット」のテントが出ているところは、スタートして陸上競技場を4分の3周して道路に出る途中。
三角ペアはてっきり先頭集団あたりにおられると思っていたが、意外や意外、全体の中間くらいのところを落ち着いた足取りで進んでおられた。このペアで何回も大会に出ておられるようで、息もぴったり合っていた。
昨日は鳥取の日吉津まで、日帰りで往復600kmの運転。
今日は朝5時出発で、鯖江まで180km。
今年は出店業者が1店増えたため、売り上げが落ち込むのは目に見えている。それでも朝からおなじみのお客様が顔を出してくださった。中には大会に出ないのに、「京都キャロット」でお買い物をするために出てきてくださった方もある。
鯖江市の谷さんもその一人。谷さんは、三国の出倉真由美さんのお友だちで、出倉さんと同世代。以前は大阪国際女子マラソンにも出場された方。今はあまり走れないとおっしゃっていたが、ウェアやシューズをまとめて買ってくださった。
「取り寄せをしてもいいんだけど、そうすると買い取らなきゃいけないでしょう。やっぱり、自分の目で実物を見てその場で選びたいもんねえ」とのこと。わざわざ来てくださってありがとうございました。
会場でめだっていたのは、消防署の火災報知器の宣伝。
たぶん発泡スチロール製だと思うが、でかい火災報知器を背負ってレースにも出ておられた。ご苦労様です。
「みなさーん、火災報知器、つけたけの〜。」
富山県氷見市の鉄人紳士こと田中基和さんもごあいさつにきてくださった。「岐阜〜根尾」のあと、「立山登山マラニック」の要項をすぐに送ってくださっていた。残念ながら、その日は「神鍋高原マラソン」と重なり参加できない。その代わり田中さんお勧めのもう一つの大会「戸隠トレイルラン」に申し込もうと思っていると伝えた。そのときに田中さんが言われた言葉。
「あの大会に出るのなら、家族や友だちに最後のお別れをきちんとしてから参加してください。」
ギョへーン! そんな大会かーい!
去年、田中さんは最初の12kmに3時間かかったらしい。(大きなスキー場をいくつも越えるコースとか。)そして、最後のゴール前7kmもとんでもない上り坂だそうだ。
また、開催時期が晩秋なので雪の心配もしなくてはいけない。とりあえず、なめてかかってはならない大会であることはまちがいない。
田中さんは、今日はハーフを1時間40分39秒。目標の1時間40分切りにあとわずか届かなかった。それでも気温がかなり上るこの時期にこのタイムなら、かなりの実力の持ち主です。
私は軟弱にも3km。
プログラムを見ると、50歳以上しか参加できないこの部門は、37人のエントリー。と言うことは、55位特別賞(市制55周年)は初めからなし。32位特別賞(第32回大会)も、あるかどうだか。これはもう、10位以内入賞をねらうしかない。
1km 4分01秒
2km 8分12秒(4分11秒)
ゴール 12分22秒(4分10秒)
結果は、13位。まあ、こんなもんですか。
6日前にフルマラソンを走り、2日連続早起き長距離運転のあとのアップなしのレースとしては上出来かなあ。でも、来年は12分を切って10位入賞ねらいたい。
三角さんペアは、1時間34分くらいだったそうだ。去年より2分多くかかったと言っておられた。
去年より暑い感じがしたが、それが影響したのかな。
帰りは、南条SAで遅い昼食。
私はしょうゆラーメン(600円)、ヨメさんはおろしそばとへしこ飯セット(730円)。
「写真撮るなー」と言われたが無理やり撮ったら、昨日よりさらにお疲れの顔。
「すまんなー、苦労かけるなー。」
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2010年05月08日(土)
24時間リレーマラソン・イン・日吉津・2010 [ランニング・出張販売]
この大会の楽しみは、私の大好きな美人ランナーお二人に会えること。
そのお二人とは、多久和ミッシェルさんとモリカワヤスコさん。
結論から言いますと・・・。
今年はお二人とも不参加のよう。ガックリ!
はっきり言って、私的には見所のない大会となってしまいました。
(「なにしに行っとるんじゃい!」という声あり。)
「去年、ちょっとお話をさせてもらった・・・」
「あっ、おぼえてますよ、元国鉄の・・・」
去年、私が「ランナーズ9の会」に入っていることを知っておられた元国鉄の押本さんが、今年もごあいさつに来てくださった。
「国労の問題もいい方向に向いているようですね。」
「やっとね。まだはっきり決まったわけではないけどね。うちのチームは、元国労や現役の国労のメンバーがたくさんいるんですよ。」
ふーん。押本さんの「TEAM−KOHCHAN」はJR関係の人たちのチームなんかなあ。
この後、テントを見に行ったが、押本さんはお留守。ちょうど走っておられたのかもしれないが、見つけることはできなかった。2年連続、お写真が撮れませんでした。
今から考えると、去年の5月にこの会場で押本さんとお話したことが、12月の中野勇人さんの「国会前54日連続フルマラソン」への参加につながったのかもしれない。この時点で、もう「乗りかかった国鉄」状態になっていたのかも・・・。人の縁とは不思議なもので・・・。
お昼は、会場から徒歩10分ほどのところにあるジャスコへ。
中はかなりきれいに改装されていたが、おいしいパン屋さんは同じ場所にそのままあった。そこでパンを10個ほど買って、持ってかえってテントで二人で食べた。(けっきょく私が3個半、ヨメさんは1個半だけ。)
上の写真は、恒例「ストロー早飲み競争」。
去年はコーラだったが、今年はウーロン茶だった。
2時ごろ、私のケイタイにメールが入っているのに気づいた。(実際は、朝10時すぎのメール。私はケイタイを身につけていないので気づくのが遅くなる。)
そのメールは、「ランナーズ9の会」のウルトラマン8アスナロさんから。京都府知事選の門候補激励ランにいち早く参加表明をしてくださった方である。
内容についてはここでは未公開ということで・・・。ただ、題が「勝手に類人猿」。すばらしい!もう、これだけでうれしくなってしまいます。
私の返事は以下のとおり。
類人猿仲間の藤井です。
似ているのは考え方だけでなく、顔もかも・・・。
私は今までなんの苦労もしてこなかったので、ひとの話を聞くたびに圧倒されます。
いつか同じレースをいっしょに走れたらいいですね。
これからもブログ「パオパオだより」をよろしくお願いします。
今年は天気もよく、参加者も過去最高ということだったのに、店のほうはさっぱり。お客様が全然来られなかった。きれいに並べて見やすくしてたのになあ。
翌日の「鯖江行き」のこともあるので、いつもより早めの後片付け。
夕方5時すぎに会場出発。
中国道・加西SAで夕食。
私はカツカレー(680円)、ヨメさんはタンタンメンセット(890円)。
「今日は多久和ミッシェルさんもモリカワヤスコさんも来やはらへんかったし、なんもおもしろなかったな。」
「あー、あほらし。私は毎回なんにもおもしろいことなんかない。しんどいことばっかりやわ。アンタはええわなあ、お気楽で。」
そう言うヨメさんの顔は、確かに疲れていた。
せめてもうちょっと売れていたら、遠くまで来た甲斐があったちゅうもんやけど。売り上げと疲れは反比例やからなあ・・・。
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2010年05月07日(金)
JR不採用から「下方への競争社会」へ [時事]
◎毎日新聞 2010年5月7日朝刊
記者の目:JR不採用の政治決着=坂本高志(東京社会部)
87年の国鉄分割民営化に伴う1047人のJR不採用問題で、政府・与党と公明党は4月、不採用になった国鉄労働組合(国労)組合員や遺族ら計910世帯に1人平均約2200万円の和解金を支払うなどの政治解決案をまとめ、大半の組合員が受け入れを決めた。歴代自民党政権と組合側双方が“挫折”を重ねた末の決着は「政治とカネ」などで迷走する鳩山内閣の数少ない成果かもしれないし、逆に「労組に甘い」と政権批判につなげる向きもある。だが政治的評価よりも、戦後最大の労働争議から見える教訓を探ることが重要だと考える。
◇バイトで生計 子の進学断念も
「闘争」にも「団結」にもなじみが薄い私がこの問題を取材し始めたのは、東京地裁を担当する司法記者だった約6年前。国鉄債務を引き継いだ旧国鉄清算事業団を相手に、国労の一部組合員が起こした解雇無効訴訟の審理が進んでいた。十数年間争い続ける理由を、原告の一人は「世の中では風化したかもしれないが、たまたま民営化に反対した組合に属したというだけで紙切れ一枚で首になった時を忘れることができない」と話した。静かな怒りが伝わった。
昨年1月、原告が多い北海道名寄(なよろ)市を訪れた。JR発足と同時に、不採用となった約180人が事業団名寄雇用対策支所に送られ、90年に36人が解雇された。以来、原告と家族は土木作業や山菜とりなどのアルバイトのほか、設立したクリーニング店などで得た金を分け合って暮らす。月収は十数万円。進学を断念した子供も珍しくなく、原告たちは「極寒のバイトよりも、家族に苦労をかけたことがつらい」と口をそろえた。
彼らの多くは「安定職だから」と国鉄を選び、先輩の誘いなどで自然と第1組合の国労に加入した。だが、民営化を前に、職場では「国労ではJRに行けない」と脱退を迫る動きが相次ぎ、民営化に賛成した労組の採用率はほぼ100%、国労は48%程度。国鉄は全国の「人材活用センター」に余剰人員を集めた後、約7600人を事業団に回した。旧国鉄やJR側は「手厚い雇用対策が行われた」などと説明するが、原告らの受け止めは違う。「職安の紙が張り出されただけ」「廃屋に集められてひたすら自学自習。ほとんどいじめだった」と憤る。
民営化前後は職員の自殺も急増したという。働く者に踏み絵を迫る、荒廃した環境が作られたことは否定しがたい。民営化の理由である巨額債務の背景に「我田引鉄」と称された政治家による利益誘導もあった。不採用の1047人に限らず、やむなく他労組に移ったり転職したすべての人が国策の犠牲者といえる。
国鉄改革法の審議で中曽根内閣は「一人も路頭に迷わせない」と述べ、参院も所属労組による差別が行われないよう付帯決議した。何度か和解への試みがあったとはいえ、政治の側に約束を守る強い責任感があれば、23年の月日は必要だったろうか。その反省に立てば、政府は今回の和解金に加え、再就職への支援も怠ってはならない。
国労の責任にも触れる。民営化を前に1人1人の雇用確保よりも政治闘争にまい進し、皮肉にも労働運動全体が衰退する流れを加速させた。
さらに、00年に当時の与党と社民党が政治解決に合意し、国労は定期大会で受け入れた。これを不服とする組合員が02年、今回の解決への足がかりとなった訴訟を起こした際、国労執行部は与党側の強硬姿勢を受け、提訴した組合員を大量処分するなど内部を統一できなかった。この訴訟が05年に一部勝訴して以降、原告支援に転じたものの、労組本来の役割とは何かという重い宿題が残った。
◇非正規労働など 今日につながる
大分大の石井まこと教授(社会政策)は労働運動の弱体化に伴う90年代以降の労使関係の変容を指摘する。「国鉄のケースでは、労働者が不利な条件で残るか、辞めるか判断せざるを得ない状況に追い込む手法がとられ、バブル崩壊後の企業リストラにも広がった。その結果、非正規労働の拡大を招き、正規公務員や正社員という身分も批判の対象となる『下方への競争社会』につながった」と語る。
公共部門の縮小を唱えた81年設置の「第2臨調」は世論の高い支持を集め、分割民営化への道を開いた。「行革フィーバー」を生んだ成功体験は基本的に継承されている。
出口の見えなかった原告らにとって、今回の政治決着は名誉回復の一助になるだろう。ただ、改革の「影」の部分は今後も検証されていくべきだ。私にはそこに「官と民」や「正規と非正規」に象徴される、働く者を巡る今の状況を読み解く一つのカギがあると思う。
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公務員をたたけば、政治家は票がとれるらしい。その典型的かつ象徴的だった例が、小泉元首相である。
弱いもんどうしで足を引っ張り合ったとき、一番喜ぶのはダレ? そこをよく考えなければ・・・。
足らないところを補い合い、みんなで助け合って楽しく暮らせる社会を作っていこうという考えは、もう古くさい?
「下方への競争社会」とは、なんと分かりやすく、またむなしい言葉であろうか。でも、もうそんなバカな競争をやめる必要性に早く気付かなければ・・・。
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2010年05月06日(木)
割烹「百萬」 [グルメ情報]
金沢の「マラソンに挑戦する会」(5/3)の前日は、去年「和倉マラソン」で知り合った能登谷さんのお店「カーサミア」で食べるつもりだった。しかし、予約してなかったので満席。
能登谷さんとは二度お会いしただけなのに、店を出た私たちを追いかけてお詫びに来てくださった。すごい記憶力です。頭が下がります。
仕方なく近所で食べるところを探した。
「もう、パスタを食べる口になってしもてるからなあ。いまさらなに食べてもがっくりやでー」とヨメさん。確かに。
でもそんなこともゆうてられん。そのあたりは金沢の中心部からだいぶ南に行ったところ(笠舞3丁目)なので、食べるところも少なかった。
「カーサミア」の斜め向かいに目に入った「割烹・百萬」ののれん。
「高かったらどうしょ。」
「店の前にメニューが書いてあったら入ろ。」
メニューありました。そんなに高くなさそう。
お店には、おかみさんと板さん、それにおかみさんのお母さんらしき人の三人がおられた。(後で調べて分かりました。おかみさんと板さんはご夫婦。おかみさんのお母さんだと思っていた方は、板さんのお母さんでした。)
「無口な板さんがええなあ」とは、うちのヨメさん評。
最初に出してもらった「刺身盛り合わせ」の中では、「ガスエビ」が一番おいしかった。
プリップリやん!
これは絶品。「能登干しイカ」を軽くあぶっていただく。
めっちゃうまかったす!
これはなんか忘れたけど、京都っぽい感じがした。確か、じゃが何とか・・・。とにかくお上品。
だし巻き、ふわふわ。
最後にいただいたお茶漬けが、またうまいのなんのって。
おとなりでお料理の解説をしてくださった「魚屋さん」と記念撮影。
私は、お母さんと記念撮影。74歳だそうです。おきれいな方でした。
おみやげにいただいた、かつおのふりかけ。
ちょっと心配しながら入った店でしたが、満足です。おいしかった。
ヨメさんは、ビール2杯と日本酒ちょびっと飲んだだけなのにベロベロ。だいぶアルコールに弱くなっている。
「歳とったんかい?」
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2010年05月05日(水)
ゴールデンウイーきく [家族]
なにが「ゴールデン」やねん!
きくは、なんにもおもろいことないどー。
おばさんとおねえちゃんは、どっか出かけてしもたがなー。
電車乗って大阪まで行くらしい。
きくは体がカイカイやっちゅうねん!
きくも行きたいなー。
なんか、「HアンドM」とか「クリスピードーナツ」とかゆうとったなー。
「ハーハー・・・」
電車、来たー。
犬は乗ったらあかんのかー。
しゃーない。「タロちゃんいじめ」にでも行くかー。
おっ、犬小屋の屋根、直してあるやん!
そら、日よけ雨よけがないとつらいわなあ。
うちの玄関先にもきれいな花が・・・。
おっさんは、あんものえさやりに行ったらしい。
あんもも、ゴールデンウィークもなにも関係なし。
ずっと1ぴきでさびしないんかなあ。
おっさんにネコパンチ入れるのが楽しみらしい。
とにかくモリモリ食べる。
きくといっしょ、いっしょ。
お兄ちゃんは、午前中陸上部の練習、午後はバイト。
お昼は、おっさんといっしよに「豚しょうが焼き弁当」食べとったなー。
なんにもしとらんのは、おっさんだけやん。
することないんやったら、きくと遊ばんかい!
「だるい」ちゅうねん!
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2010年05月04日(火)
第29回マラソンに挑戦する会・続き [ランニング・出張販売]
「ランナーズ9の会」のユニフォームを着ている人を見つけると、必ず写真を撮らせてもらっている。どなたか分からなくとも、こちらも同じユニフォームを着ているだけで安心してもらえているようだ。
今回もお一人だけ見つけることができた。ただし、今回私は店の宣伝のために「京都キャロット」のユニフォームを来ていたので、カメラを向けると不審に思われたかもしれない。
ゴール後にお話させてもらおうと思ったが、私はフルでその見つけたお相手は30km。「これは話をするのは無理か」と思っていたら・・・。
私の30km地点通過の時、ちょっと先にゴールしておられた「3041番」さんが近づいてこられた。
「私はこれでお先に失礼します。」
「あっ、ありがとうございました。(写真を撮らせてもらったお礼のつもり。)」
「私、石川の木村吉伸といいます。(私の「京都キャロット」のユニフォームを見て)、京都府知事選では門さんがんばられましたよね。」
「ええ、私らも応援してたんですけど、残念でした。門さんといっしょに走ってアピールしたり、応援演説までさせてもらったんですよ。」
「私も、3月14日の石川知事選に立候補したんです。結果は惨敗でしたけど・・・。」
「あっ、あの木村さんでしたか・・・。『ランナーズ9の会』の尾方さんからお聞きしました。『もっと早く知ってたら、応援に行ったのに』って言ってたんですよ。4年後ももう1回出てください。絶対応援に行きますから。」
「はい。」
まあ、こんなところでお会いしたいと思っていた人に会えるなんて。
木村吉伸さんは医療関係のお仕事をされているようだ。少しお話をさせてもらっただけだが、すごく感じのいい方。
私の30km通過のちょっと前にゴールされたので、2時間50分くらい。安定したいいランニングフォームだった。
こんなさわやかな人が、現職知事の10分の1くらいしか得票がないとはねえ。何ででしょう。
本当に4年後立候補されるなら、必ず応援に行きます。
少なくとも、「平和を愛するランナー」の票は100%ゲットしましょう。そして、そこからぼちぼちと・・・。
でも、最後まで私が誰だかわからなかったのでは・・・。
「ランナーズ9の会」のパオパオでっせー!
これからも、どうかよろしくお願いします。
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