2010年05月01日(土)
乗りかかった国鉄 [私の好きな人]
もうほとぼりが冷めた(?)ので、お写真公開してもいいですよね。
上の写真は、今年の2月18日、国労闘争団四国常駐の中野勇人さんが京都に来てくださったときにうちのヨメさんが撮った写真です。まあ、なんとほっそりとした・・・。
先日、その中野さんからメールをいただいた。
4月25日の「徳島マラソン」に出られ、3時間38分39秒で完走。忙しくて練習ができなかったらしいのだが、すごいいい記録です。今年の「サロマ」、期待できますねえ。
また、JR不採用問題についての今後の見通しなども書いてくださっていた。
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それから、ご心配をお掛けしています、国鉄闘争の状況ですが、政府案が示され、こちら側としては受け入れの声明を出しましたが、鉄道運輸機構側の態度は、いまだ一切示されていません。ひとつの大きな山は越えましたがゴールまだです。政府案(解決金、JR200名の雇用)を完全履行させて初めて、闘いのゴールとなります。引き続き最後までの伴走をよろしくお願いいたします。
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乗りかかった船ならぬ「乗りかかった国鉄(闘争)」です。私にできることは、月1回の「勝手に国労応援ラン」をして世間アピールすることくらいですが、中野さんが「もういい」と言われるまでは続けます。
私の返信は以下のとおり。
京都の藤井です。
「徳島マラソン」、いい記録でしたね。3時間38分なら、私の20年前の記録です。それくらいのタイムで走りきりたいなあ。
中野さんのゴール後の写真を見て・・・
前よりちょっとふっくらしておられません? まあ、それはそれでいいことだと思いますが・・・。
うちのヨメさんは、「ひきしまってる中野さんがかっこよかったのに、これではちょっと・・・」と言ってました。まあ、「ほっといてくれ」っていう感じですかね。
私のぎっくり腰は何とか元に戻りました。ただ、まだいろいろなところが痛みます。今は股関節がしくしくと・・・。
ブログにも書きましたが、今月24日は大会と重なったので、明日「勝手に国労応援ラン」をします。北の駅をめざして走ろうと思っています。
前から気になっていたことを・・・。
?1047名の解雇者に対して救済対象が910世帯と言うのはなぜ?
1世帯で複数というのは考えにくいし。100数名はどうなったんでしょう。
?再雇用の見通しは?
特に、中野さんの地元JR北海道では絶望的という報道がされていますね。仮に地元ではないところでの再雇用となった場合、それに応じる方がおられるのでしょうか。中野さんは?
「勝手に国労応援ラン」はまだまだ続きそうです。まあ、いい練習になっています。本当に心から喜べる日が来ることを願います。
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それに対する中野さんからの返信は、以下のとおり。(世間から忘れ去られようとしているJR不採用問題に関心を持ってもらうために、私信ですが公開させていただきます。)
藤 井 様
お誉めにあずかり光栄です。2月に京都でお会いした時よりは確かに5?程体重増となりましたが、ただ贅肉がついただけではありませんよ…(汗)
お見せするわけにはいきませんが、肉体改造で少しビルドアップしまして北斗の拳のケンシロウ(おおげさ且つネタが古いかな…)のようですと眞寿美さんにお伝え下さい(笑)
それからご質問ですが、この度の解決案対象の910世帯ですが、国労、全動労争議団の当事者、遺族の方が対象になっています。遺族の方は、同世帯で奥さん、お子さんも争議をしている方がおられますので、○人ではなく○世帯となっています。残りの当事者の方々ですが、千葉動労争議団の9名の方は、政治解決に否定的であくまで裁判で決着をつける方針です。残り100数名の方々ですが、この23年間の間に闘争団を退団をして裁判を行っていないため、残念ですが解決対象者にはなりません。しかし、今日まで最終的に清算事業団から解雇通告を受けた1047名の解雇撤回・JR復帰を勝ち取るために闘ってきたのは事実です。
あとJRへの雇用ですが、JR東日本、西日本、東海会社は、完全民営化になっていますから政府の指導がどこまで届くのか分かりませんが、株を売却できていない、政府が株を100%保有している、いってみれば国鉄のままのようなJR北海道、四国、九州、貨物会社は政府が本気で指導すれば200名ぐらいの採用はいくらでも出来ると思います。いずれにしましても、解決案ではJRへの雇用については保証は出来ないとなっていますが、合意文章に与党3党、公明党の幹事長印、前原国交大臣、官財務大臣、平野官房長官の印鑑を押すわけですから、努力してゼロ人という事にはならないと思います。ですが、国交省の官僚、この解決を良しとしないJR総連、JR連合の激しい巻き返しも予想されますので、解決案を完全履行させるまで闘いは続きますし、予断を許しません。
そして、JRへの道が開かれた場合、私に限らず雇用先が地元でなくても道が開けた場所に行かなければならないと思います。ですから、何処に行くかも含めてこれからです。関西も可能性としてゼロではありません。
では、再会できる日を楽しみにしています。
中野 勇人 拝
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私が一番気にかかったのは、「この解決を良しとしないJR総連、JR連合の激しい巻き返しも予想されますので・・・」の部分。
闘う相手は、JRと政府だと思い込んでいたが、まさか本来は仲間であるはずの(他組合の)労働者も含まれるとは・・・。この部分は、どの組合にも所属しない今の若者にはまったく理解できない部分であると思う。(正直、私にもよくは分かりません。教育界の「日教組」と「全教」みたいなもん? いや、もっと複雑な関係みたい・・・。)
「乗りかかった国鉄(闘争)」なので、人に聞かれたらちょっとは答えられるようにこれから勉強していきます。
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2010年04月30日(金)
第17回京都鴨川ゆっくりラン・続き [ランニング]
「パオパオさん・・・、ですよね。」
「はい。」
私がゴールしてブラブラしていると、こう声をかけてくださる方があった。
「いつもブログ見せてもらってます。桜井と言います。実は私もともとは京都なんですけど、仙台に転勤になって、今日はこの大会のために京都に帰ってきたんです。」
「えー、仙台からですか。」
「そうなんですよ。去年のこの大会で、私の友だちがパオパオさんに写真撮っていただいてブログに載せてもらって。それがすごく励みになったみたいで、彼女今日も走ったんですけど前回の記録を大幅に縮めたんですよ。」
「いやー、そんなんゆうてもろたら、ほんまにうれしいですわ。そんなんゆうてくれはった人は写真を撮ろっと。」
と言うことで、今日のトップ写真は仙台に赴任中の桜井さん。もちろん、私は初対面。お歳は私の一つ下。ゆっくりお話できたら、きっと話が合う楽しい方だと思う。また、必ずどこかでお会いできそうな気がする、いやお会いしたい方です。
こちらも毎度おなじみ日よけランナーさん。毎回、フルを走られるようです。
松若さん、大声で応援したけど、ちょっと元気なし。
えーと、京都ランナーズの・・・。
このごろ例会に行ってないので、お名前が出てきません。
北に向かって走るときは、西賀茂の舟形がいい目標になる。
風も少しあり、さわやかなコンディション。
宝が池STCの平岡さん。
足がグーンと伸びてます。
山嵜さん、暑さに弱そうやけどだいじょうぶかな。
アライブさん、サロマレーサーSTの具合はどうでしょう。
私は、今日も軽快です。
この柊野通学橋の手前の折り返しが狭いんですよね。人がばらつくといいけど、かたまって行くとちょっとね。
宝が池STCの石田さん。
去年の「四万十川ウルトラ」をきっちり完走された。すごい○歳です。
「あっ、日吉ダムで声かけてくれはった方ですよね。」
「はい、川端です。」
日吉では追い抜いた一瞬やったのに、よく判別できました。感じのいい方はちゃんと印象に残るということですね。
岐阜の石田さん。
かなりお疲れの様子。やっぱりフルの距離を走られるのかな。
朝お話させてもらった松岡さん。
「ランナーズ9の会」にも入ってくれはらへんかなあ。誘ってみたらよかった。
北山大橋東詰のホテルに、警察車両と警察官が多数。ホテルの周りには、「立入禁止」の黄色テープがグルグル巻きにしてあった。
家に帰ってから真樹に聞くと、「女性の死体発見」というニュースになっていたらしい。
中島さんご夫婦は、本当に30kmまで行かれるようです。無理されないように。
私は、2往復(20km)で終了。
もう半分くらいの人がゴールされているようだ。
20km、1時間41分40秒(後半10km、50分33秒)。
前半より後半のほうが少しだけ速い。まあ、気持ちのいい終わり方です。
水戸さんにお願いして、私のブログ用の写真を撮ってもらった。
「ランナーズ9の会」のユニフォーム、サロマレーサーST、そして私の好きな数字「6」が二つ並んだ手書きのナンバーカード。いい記念になりました。
水戸さんの撮影風景。
286人全員を撮るのはたいへんです。
参加費500円なのに、充実のエイドです。これで、収支だいじょうぶなんでしょうか。距離の長い部門はもうちょっと値上げをされてもいいように思います。
「太田さん、ありがとうございました。帰りますわ。」
「ああ、藤井さん。ありがとうな。アンタがブログで宣伝してくれてるおかげで、たくさん来てくれてはるんやわ。」
「いえいえ、そんなことないですって。今日のことも帰ったらすぐブログに書きます。ほな、ブログ用の太田さんのとぼけた写真撮らしてもらいまっさー。」
「えー、とぼけた写真かいなー。」
大会実行委員さん、大会協力委員さん、みなさんたいへんお世話になりました。ありがとうございました。また、この大会のよさをあちこちで宣伝しておきますね。
岐阜の石田さん。
走っておられるところを撮りたいのに、私がカメラを向けると立ち止まられる。次に撮る機会があれば、こそっと撮らしてもらおうっと。(また、写真送ります。)
「べっぴんさんの写真撮りに来ましたー。」
「わー。」
「ブログに載せさせてもらいますー。」
「いやー、申し訳ない。」
どっちかと言うと、こっちが申し訳ないんですけど・・・。まあ、掲載拒否ではないと判断して、最後の写真は初対面の「べっぴんさん」で・・・。
(こんな終わり方もいいかも・・・、シリーズ「べっぴんさん」とか。)
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◎4月の月間アクセス数が、121818。初めて1日平均4000を突破しました。3月末、「京都キャロット」のホームページ内から削除され、一時はどうなることかと心配でしたが、こんなへなちょこブログを応援してくださっている方がたくさんおられることがよく分かりました。
根気よく見てくださった皆様、ありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします。
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2010年04月29日(木)
第17回京都鴨川ゆっくりラン [ランニング]
毎回トップ写真では迷う。
でも、今日はこのお二人。谷角さん(写真左)と松岡さん。
まずは松岡さん。
朝、北大路橋を渡ろうとしたとき、「あっ、藤井さん、門さんの応援してはったね。新聞で見ましたよ。あれから有名人になったんとちがいますか。」
「いえいえ、門さんが知事に当選してはったら、ボクもちょっとは有名になったかもしれませんけど・・・」
「ほんまに、予想外の大差やったね。もっと接戦になると思てたけどね。」
「もっともっと宣伝したかったですわ。」
よくお話をお聞きすると、松岡さんは、本家「憲法九条の会」の会員さん。今までいろいろな集会に参加され、会の発起人さんのほとんどにお会いされたそうだ。唯一お目にかかってなかった井上ひさしさんが亡くなられてしまい、すごく残念がっておられた。
また、くわしくお話をお聞きしたいです。
会場に着くと、谷角さん。
胸にナンバーカードをつけておられたので、もうビックリしてしまいました。
「谷角さん、走れるようにならはったんですか。」
「そうやね。何とか10kmくらいならね。」
「いやー、よう戻ってきてくれはりました。ちょっと前、この大会で『走れへんにゃけど、見に来てます』って言ってはったのがすごく心に残ってて・・・。復活した人は、他の人の倍強いでっせ。まだまだだいじょうぶですわ。」
「でもね、手術したあとも、2回脳梗塞で倒れてますねん。危ないことは危ないんです。」
「いやー、谷角さんなんか、元の体がしっかりしてはるさかい、ほんまこれからですって。」
正直に言って、今日のように谷角さんと同じレースに出れる日がまた来るとは思っていなかった。
谷角さんは、今80歳。ご病気の前のように月間800kmはさすがに無理だが、今は毎朝10kmくらいは走れるようになるまで回復しておられる。谷角さんは、「みんなの希望の灯」ですね。
早朝は大雨だったが、それもやみ、青空が広がっていた。
かなりの人だかり。(あとでお聞きすると、参加者は286名。)
いつものように、走る大会実行委員長・太田さんのごあいさつから始まる。
時間がかかる人は、9時にスタート。この時点で、すでに1往復(10km)されているランナーもいる。
10時ちょうど、10km以下の部がスタート。
前で打ち合わせをしておられるのは、実行委員の矢瀧さんと水戸さん。
10時3分、20km〜フルの部がスタート。
またまた中島さんご夫妻に遭遇。今日は30kmの予定とおっしゃっていたが、行けたでしょうか。
スタートしてちょっと行ったところでめっちゃかわいいワンちゃん発見。土手まで上がって写真を撮らせてもらった。
さっそく、ペーろぺーろ。こんなうれいことはない。
「まるちゃん・3歳・メス」でした。
谷角さん、しっかり走っておられます。
こんな姿が見られるだけで、ほんまうれしいです。
私のブログ友だちのみきさんも、息子さんといっしょで楽しそう。ゆっくりなら走れるようになられたようです。
堂本さんと鍵谷さん(ともに、京都走ろう会)。
堂本さんは、先日の長野マラソンを走ってこられたそうだ。うわさ通りのすごい応援で、また行きたい大会だとおっしゃっていた。
今度は野辺山の100kmに挑戦される。「途中で温泉入ろうかなあ」と迷っておられた。また、楽しいみやげ話を聞かせてください。
鍵谷さんは、今年の篠山マラソンで私のいいペースメーカーとなってくださった。本当にペースが乱れないいい走りをされる。
徳島マラソンにも出られ、きっちり3時間50分台でゴールされたそうだ。4時間が切れない人、鍵谷さんについて行きなさい!
中島さんご夫妻は、スタート前にお聞きしたところ、ご夫婦別々に走られる予定であったようだ。ところが、伴走者の都合がつかず、奥さんの伴走になったみたい。
でも、いつお見かけしても楽しそうです。
私のブログの常連・藤村さん。
この時点では、まだそんなに「倒れそうな走り」ではなかったです。
このコースは、南北2回折り返すのだが、折り返し点が狭い。特に、北の柊野通学橋手前は極端に狭い。視覚障害ランナーとその伴走者はたいへん。
この大会の常連・山嵜さんも、まだまだ元気。今日も40kmに挑戦かな?
土手の上に、白いワンちゃんが2ひき。片一方は見覚えがある。
「あっ、まるちゃんやないですかー。まるちゃんは、紀州犬ですよね。」
「はい、そうです。」
「あのー、こっちのワンちゃんも紀州犬・・・」
「そうですよ。」
「ひょっとして、兄弟・・・」
「いえ、恋人です。」
ええなー、まるちゃん。こんないっしょに散歩してくれる恋人がいるって!
(うん? 「恋人」って? 人ちゃうし・・・)
「オグリ・?歳・オス」でした。
川向いでは、こちらも恒例「花咲かマラソン」。
参加者は100人くらいでしょうか。
またまた、かわいいワンちゃん発見。
ちっちゃいけど、毛がぼさぼさ。
「ワンちゃんのお名前は?」
「きゅうのすけです。」
「きゅうのすけ・・・、(9のすけ・・・憲法9条守る犬かな?)」
「きゅうのすけ・8歳・オス、笑う犬」でした。
私と同い年・川橋さん(醒泉ランナーズ代表)、この人もはずせません。カメラを向けると、必ずポーズをとってくれはる。それだけでうれしい。
またもや、中島さんご夫妻。
よく考えてみると、ダンナさんの伴走ができる奥さんて相当な力の持ち主です。
いいペースの走り、松若さん。
いつもは山嵜さんといっしょに走ってはんのに、今日は単独走ですね。
桜の時期でもないのに、今日はすごい人出。
人ごみでにぎわう北大路橋をくぐると、やっと1往復(10km)。51分07秒。キロ5分ちょっとペース。まあまあです。
うちにサングラスを卸してくださっているアライブさん。
スタート前、私を見つけて声をかけてくださった。
「藤井さんのブログの記事を見て、サロマレーサーSTを買わせてもらいました。あちこちの大会で、はいておられる人をよく見ます。」
「そうでしょ。これは、自信を持ってお勧めします。」
「パオパオだよりを見て・・・」と言ってもらえると、ほんとにうれしい。
家に帰ってこの話をヨメさんにしたら、「喜ばそうと思って言ってはるだけや」と言われた。ひとの言葉に素直に喜べない人は、損なような気がする。
愛妻家・池田さん(京都ランナーズ)。
軽快な走りを見ていると、調子よさそう。
おおー、岐阜の石田求さんじゃーあーりませんか。
こんな時に簡単な手話ができたらなあと思う。ええい、もう相手お構いなしに自分の言いたいことだけ言って、しまい。(ちょっとは通じたかなあ。また、お手紙出そう。)
出たー、鼻黒犬というより顔黒犬。めっちゃかわいいし。
「ぶる・15歳・オス」
なにー、15歳やてー。めっちゃ飼い主さんに引っ張られて走らされとったどー。でも、その一生懸命さがまたかわいくて・・・。
滝本さん、フル専門ランナーです。
この大会でも必ずお会いします。
よー、めずらし、ネコちゃんやないですか。
カメラを向けても逃げんと、ようモデルになってくれた。これは貴重な写真が撮れた。でも、よう見たら、怒って逆毛立ってへんかい?
(注)とか何とかワイワイ言いながら、後半に続く。
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2010年04月28日(水)
第4回勝手に国労応援ラン [ランニング]
今日は、自宅より北にあるJRの駅に行きたかった。出来れば、日吉駅とか八木駅に。
しかし、家を出たのが4時すぎだったので、無理をしないことにした。
前から一度行ってみたいと思っていた「保津峡駅」。
自宅から19km。時間の余裕があればJRで行きたかったのだが、日が暮れてしまうので車で。
保津峡駅前に着いたのは、4時50分。
本当は、ここから日吉駅(26.5km)か、八木駅(20km)をめざして走りたかったなあ。
この駅の近くに人家はないが、水尾や宕陰の人たちが使われているらしい。
私が到着した時も、ちょうど水尾の自治会バスが出発するところだった。
水尾小学校とそのまた先の宕陰小学校は、なつかしい場所である。
私がへき地の小学校に勤務していた時、同じ京都市内のへき地校である水尾と宕陰との交流があった。中でも教職員組合のへき地部の会合が宕陰校であったとき、真っ暗なグネグネの山道を運転して行ったことが強く印象に残っている。
「いつになったら着くん?」と不安だった。
あのころは水尾小学校にもたくさんの子がいたのに、6年前に休校になったらしい。今、子どもらはどこの学校に通ってるんやろう。ひょっとして、JR通学?
5時ちょっと前、駅前をスタート。
目標は、水尾小学校経由宕陰小中学校折り返し。これで、だいたい20kmになるようだ。
思っていたほど上り坂はきつくなかった。グネグネ度もたいしたことない。どちらかというと、嵯峨から保津峡駅までの道のほうがえぐかった。
「そろそろ水尾かな」というあたりで、「ボコボコボコボコ・・・」という音が。水道ポンプでも破裂してんのかなと思ったら、ドラムの練習。
こんな山の中で、山側に向かって熱心にたたいておられた。私のようなしろうとにもうまいように思えましたが・・・。
水尾と言えば、「ゆず風呂」。
今は季節外れなのか、ゆずの木に実はほとんどなってはいなかった。
3kmちょっとで水尾の里に。
「木立の向こうに見える棚田」。
わき道を少し上ったところに水尾小学校。ここに来るのは30年ぶりくらい。
いいプールがあるのにもったいない。今は使われてないんでしょうね。
途中で下のほうを見ると、水尾の里が。
写真に撮ってみたが、うまく写っていなかった。
ここは、「神明峠」。
松ぼっくりがたくさん落ちていたので、これも撮っておいた。ちょっとお気に入りの写真です。
「神明峠」は、「つづみとうげ」と読むらしい。水尾の里から鼓(つづみ)の音が聞こえてきたことから、この名前になったという説がある。
なんか、ロマンチック。
峠を越えても、まだ上り坂が延々と続いたのにはまいった。もういっこ峠があったのだ。
その峠を越え、しばらく下ると樒原(しきみがはら)地区。やっと、宕陰小学校の校区に入った。
かかりのおうちに小さな子と遊ぶお母さん。
「学校まであとどれくらいでしたっけ?」
「1.6kmくらいです。」
なお坂を下っていくと、立派な建物。建築中の老人ホームだそうです。ここが、樒原(しきみがはら)地区と越畑地区の中間くらいになるのかな。
やっと、宕陰小中学校のグランド。校舎まで、あとわずか。
着きましたー。
保津峡駅から約10km、1時間11分。これは値打ちがある。
ここは校舎も風格があって、いい感じ。今は、どれくらいの児童・生徒が通っているんでしょう。
学校の前の道で、記念撮影。
宕陰学区は、山を背に東南に開けている土地なので、6時を過ぎているというのにまだ日が当っている。こんな日当たりのいいへき地はめずらしい。
まだ、きれいな桜が咲いている。
宕陰小学校と言えば、前田芳久先生。宮古島トライアスロンを優勝したこともあるトップトライアスリート。京都市中心部の自宅からこの宕陰小まで、自転車通勤をされていた。
同じ時期私もトライアスロンをしていたのだが、私はどんじりトライアスリート。(でも、勝手に仲間だと思っていました。私も、一応「びわこ」を何回も完走しています。)
立派な神社があったが、ここからあたりからも愛宕山に登れるようだ。
神社の前には、何の木かわからないが樹齢何百年と言えそうな大木があった。
日が沈むと一気に暗闇へ。
私の亡き母親がよく言っていた。「あほを東山に置くな」。
西に向いた山は西日がいつまでも照っているので、山仕事のきりがつけにくい。しかし、日が沈んだら一気に暗くなる。真っ暗な山道を、こわごわ帰ることになってしまう。
私もうちの山仕事に行って、これを何度か経験しています。
神明峠から山道を下ると亀岡に行けるようだ。こんな道もいっぺん走ってみたい。
木立の中はもう真っ暗に近いのだが、周りの開けているところはまだ明るい。
水尾の里が見えたので、また写真に撮ってみた。今度はちゃんと写りました。
水尾小学校前も、もう人影なし。保津峡駅まで、あと3kmちょっと。
駅の手前には公衆電話がある。山間の割には携帯電話もつながるようだが。
保津峡駅ゴールは7時15分。もちろん無人です。
帰りの10kmは、1時間3分。
下りが多いので、もうちょっと早く帰ってこられると思っていたのに・・・。暗くて、ちょっとこわかった。
国労応援という意味では、人にあまり合わなかったので効果なし。
でも、国労を応援している自分を応援したかったんやろね、今日は。
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2010年04月27日(火)
「岐阜〜根尾」こぼればなし [ランニング]
4月24日の「岐阜〜根尾淡墨桜マラソン」の時のこと。
ゴールして、私よりちょっとだけ先にゴールしておられた田中さんとしゃべろうと近寄っていくと、横から「写真です」。
「えっ、もうできたんですか。去年は温泉からあがった時にもらいましたよねえ。」
「ええ、今年からスピードアップです。先に帰ってしまわれる方があったりして・・・。ゴールで渡せるように改善しました。」
国際空港写真さん、えらい!
「これはうれしいですわー。あとで注文するのって、めんどくさいし、けっこう値段も高いしね。他の大会でも、これやらはったらよろしいやん。私のブログでも宣伝しときますわ。」
「ありがとうございます。この方式だと、送料もいらないし、かなり値段も低く抑えられます。いくらくらいだったら買われますか。」
横から、田中さん。
「1000円くらいだったら2枚買ってみようという気になりますね。」
「たくさん買ってくださるようでしたら、もっと安くできるかもしれません。」
うれしいじゃないですか。
私もひとの走ってる写真ばっかり、年間何百枚撮ってるかわからんけど、ひとから撮ってもらったのは数枚。
ほとんどの大会には写真の業者が入っているが、高い。我ながら「かっこいいー」と思うような写真もあるのだが、おいそれとは手の出せない値段。
がんばれ、国際空港写真さん。
安くしてくれはったら、また買わしてもらいます。
(注)この大会のゴール写真の費用は参加費に含まれています。
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2010年04月26日(月)
「長距離走者の孤独」 [時事]
今日は、マラソン関係のニュースが目白押しだった。
?松野明美氏熊本市議に
熊本市と熊本県植木町の合併に伴う同市議増員選挙(定数2)が25日投開票され、元マラソンランナーでタレントの松野明美氏(41)が、立候補5人のうち2番目の得票で初当選を果たした。松野氏は同日午後10時半ごろ、事務所で当選の一報を聞き「スポーツマン精神で真っ向勝負をした。これから全力で頑張りたい」と抱負を述べた。
?土佐さん長女出産 「お産はマラソンより大変」
女子マラソンで2度の世界選手権メダリストとなり、昨年3月の東京マラソン3位を最後に第一戦から退いた土佐礼子さん(33)が25日、第1子となる3210gの長女を出産したことが分かった。チーム関係者によると、母子ともに健康という。
土佐さんは自信のブログで「お産の苦しみは想像以上でした。マラソンの苦しみを何度も乗り越えてきましたが、今回ばかりは心が折れそうになりました」と報告した。
?赤羽6位、自己ベストを大幅更新…ロンドン・マラソン
◆ロンドン・マラソン(25日、ロンドン市街コース) 小雨の中でレースが行われ、女子は日本の赤羽有紀子(30)=ホクレン=が2時間24分55秒の6位に入った。優勝は2時間22分0秒でゴールしたロシアのリリア・ショブホワ(32)。主婦ランナーの小崎まり(34)=ノーリツ=は9位、2009年ベルリン世界陸上銀メダルの尾崎好美(28)=第一生命=は20キロ手前から遅れ始め、2時間32分25秒の13位に終わった。男子はエチオピアのツェガエ・ケベデ(23)が2時間5分19秒で優勝した。
赤羽が復活の糸口をつかんだ。33キロ過ぎ。ショブホワらのスパートについて行くことはできなかったが、2時間24分55秒の6位と、自己ベストを1分近く上回るタイムでゴール。世界歴代4位のイリーナ・ミキテンコ(ドイツ、途中棄権)、ベルリン世界陸上女王の白雪(中国、8位)ら強力なライバルに先着した。
昨年のベルリン世界陸上ではレース途中に脱水症状を起こして31位と惨敗。再出発を誓った今年1月の大阪国際では直前に左ひざを故障したことが響き、39キロ付近で途中棄権となった。それでも「2010年はマラソンと向き合う年」と、実家にまな娘・優苗ちゃん(3)を預けて、2月の日本代表のニュージーランド合宿から、徳之島、奄美大島と合宿を精力的に組んで強化に励んでレースにつなげた。
「自己ベストを出せて恩返しができた」と夫の周平コーチ(30)に感謝したママさんランナー。2年後のロンドン五輪へ二人三脚を続けていく。
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人生いろいろ、ランナーもいろいろ。ニュースもいろいろやなあと思っていたら、私にとっての大きな訃報が・・・。
■アラン・シリトー氏(英国の作家)
AP通信によると、25日、ロンドンの病院で死去。82歳。家族が明らかにした。死因は明らかになっていない。
28年3月、英ノッティンガム生まれ。14歳で学業を離れ、工場で働いた後、英空軍で勤務。50年代の「怒れる若者たち」の一人と称され、若者たちのやり場のない怒りや反抗などを描いた「土曜の夜と日曜の朝」(58年)と「長距離走者の孤独」(59年)はいずれも映画化された。
私がこの本を読んだのは20歳くらいのころかな。もう35年ほど前のこと。当時、まだよい子ちゃんだった(?)私には衝撃的な内容だった。
「この小説は、よい子ちゃんをあざ笑っている」と思ったもんです。ぜひ読んでみてください。
今日思ったのは、松野さん、土佐さん、赤羽さんは、「長距離走者の孤独」を読んだかな」ということ。専門バカではなく、幅広い教養を身につけたランナーであってほしいなあ。
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