パオパオだより

2009年08月29日(土)

第30回兵庫神鍋高原マラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]

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 「今年もハーフですか?」
 「いや、今年は申し込みが遅れてしまって、走れないんですよー。」
 「えー。」

 今日、この会話を何回しただろう。
 レースに参加しない京都キャロットのオッサンは、存在価値ゼロ。みなさん、そう思っておられるようだ。私もそう思います。

 じょうだんで、「私の代わりに出られますか?」と言ってくださった方があったが、もう全然そんな気はなし。今さら走る気にはなりません。

 今年は第30回記念大会だというのに。第2次マラソンブームのおかげで、参加申し込みも以前より厳しくなっている。ほかの大会も、申し込みを早め早めにしておかなくては・・・。

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 「子どもさんは?」
 「二人とも今年は受験生で、来てないんです。」

 これも、何人ものお客様から聞かれた。
 京都キャロットと言えば、「子連れ出張販売」。そんな子どもたちも、もう高3と中3です。なかなかついて来てはくれません。

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 前日受付会場では、マラソンクリニックが行われた。その最後に、参加者に当たる抽選会があった。その賞品の一部は、京都キャロット提供です。

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 後片付けが終わると、民宿「ささや」さんへ。 
 こちらも、長年ずっとお世話になっている。

 「ささや」さんには中3の息子さんがおられ、野球部だったのだが陸上部の駅伝のメンバーに選ばれたそうだ。それで、レースに使うシューズがほしいということで、ご両親が会場まで買いにきてくださった。シューズの重さを量るはかりを持参される力の入れようだった。

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 「ささや」さんのつけもんはうまい。
 そんなちょっとしたことが楽しみ。

 明日は走らへんからなー。へーやなー。

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2009年08月28日(金)

忘れていた結婚記念日 [家族]

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 私たちの結婚記念日は、8月20日。今年はすっかり忘れていた。
 昨日、思い出した。「もう、1週間も過ぎてるー。」

 今日、カナートへ。
 「 CLEF DE SOL 」という店でかわいい服を見つけた。
 「これ、全部ください。」
 3点セットプラスアクセサリー。

 家に帰って、ヨメさんに渡す。
 「また、ブログのネタにすんにゃろー。」
 と言いつつ、顔はうれしそうだった。

 24年、ありがとね。

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※本日、月間アクセス数50000突破。ありがとうございます。
 1アクセス1円でももらえたらなあ。けっこうなおこづかいになるのになあ。

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2009年08月27日(木)

「子どもは見ていた」 [平和]

 8月は、新聞に戦争関連の特集記事が組まれていた。
 いろいろあったが、連載ものの中で私がもっとも心に残ったのは、毎日新聞の「子どもは見ていたーー戦争と動物」シリーズだ。

 8/10 愛犬供出「心が死んだ」
 8/11 軍用兔飼育「小国民の務め」
 8/12 伝書鳩は戦友だった
 8/13 馬の出征 泣いた母
 8/14 ゾウ列車は夢を乗せて

 この連載の中でも、第1回の「愛犬供出」は泣けて泣けて・・・。
 少し長いですが、ぜひ読んでください。

◎毎日新聞 2009年8月10日

 子どもは見ていた:戦争と動物/1 愛犬供出、「心が死んだ」

 犬、ウサギ、馬……。戦時中、家々で大切にしてきた動物が子どもたちの前から姿を消した。国に求められ、差し出す役割を担わされた子もいた。出征する家族との別れにくわえ、小さな友達まで奪われた悲しみ。終戦から64回目の夏、当時を知る人たちが若い記者に語ってくれた。動物を通して見えた戦争を伝えたい。

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渡辺礼子さん(中央)とマル        =礼子さん提供

  ◇兄出征の悲しみに追い打ち 撲殺役も少年「国のため」

 ペット問題を担当する私(記者)の元に昨秋、一通の手紙が届いた。差出人は宇都宮市の渡辺礼子さん(81)。ペットブームの中で捨てられた動物が毎日殺処分されている記事を読み「やり切れない思いです」とあった。

 つづられていたのは17歳だった戦争中、軍服の毛皮にするため愛犬「マル」を供出させられた悲しい記憶。「マルのような犬がいたことを忘れないで」

 私は市営住宅で1人暮らしをする礼子さんに会いに行った。

     *

 戦時中、礼子さんは栃木県西方町の農家に暮らしていた。ある夕方、弟が友達に子犬をもらってきた。もこもこした真っ黒な毛。8人のきょうだいのうち、小さい弟や妹から順に抱っこした。やっと長女の礼子さんの番が来た。腕の中でしっぽを振り続けた。前に飼っていた犬の名をつけることで家族全員が一致した。

 家にはマルと遊びたい子どもたちが集まってきた。食べるものも着るものもなく、重い空気がたちこめた村に笑顔が戻った。

 礼子さんは国民学校(現在の小学校)を卒業後、畑仕事に出た。父は勤め、兄は学校に行くため、母と2人での麦作り。人手が足りず雑草に負けてしまい、供出する分しか収穫できない。「私もマルも、いつもおなかをすかせてた」。くたくたになってあぜ道を歩いた。マルが後をついてきて、どこかで拾ってきた干しイモやたくあんをポリポリと音を立てて食べていると、ほっとした。

 一番の楽しみは三つ上の兄、郁さんとハーモニカを吹くことだった。普段はおとなしいマルが「ウオーン、ウオーン」と歌うように鳴き声を合わせるので、2人で声を上げて笑った。

 その兄の出征が決まった。見送る途中で涙をこぼし、村の大人に「どの家もお国のために兵隊を出してる。名誉の戦死を遂げるんだ」としかられた。一人でハーモニカを吹いた。マルが一緒に鳴いてくれた。

 だが間もなく役場から連絡が来た。「兵隊さんの毛皮にするので犬を供出せよ」。もう言葉も出なかった。

 犬たちは学校の校庭に集められた。マルを連れていった近所のおじさんから「校庭の手前から足を踏ん張って歩こうとしなくて困った」と聞かされた。

 話し終えた礼子さんがつぶやいた。「戦争で、私の心は一回死んだの。うれしいことも悲しいことも、感じないように決めたの。苦しまずにすむから」。戦後は准看護師として働き、戦場で心を病んだ人たちの世話もした。犬を飼うことも、誰かにマルの話をすることもなかったという。

     *

 集められた犬はどうなったのか。動物の供出に詳しい児童文学作家の井上こみちさんが、犬や猫を撲殺する仕事をしていた修さん(79)=仮名=のことを教えてくれた。北海道に住む修さんに取材を申し入れると「忘れたいし、妻や子にも秘密にしている」と悩みつつも「勝っても負けても戦争はだめ。それを伝えられるなら」と話してくれた。

 1944年の冬休み。15歳だった修さんは友達に「いい仕事がある」と誘われた。家族5人、長屋での貧しい暮らし。「少しでもお金になるなら」と飛びついた。

 指定された場所に集まり、初めて仕事の内容を聞かされた。仲間の一人は逃げ出した。修さんは「満州や空の上の兵隊さんはどんなにお寒いだろう。これもお国のためだ」と心に決めた。でも子ども心に「猫は化けて出る」と思うと怖くて眠れず、便所に一人で行けなかった。

 いろんな町を泊まり歩き、集められた動物を仲間が押さえ、修さんが撲殺する。「毛皮に傷が付かぬよう、犬は丈夫な木の棒、猫には金づちを眉間(みけん)めがけて力いっぱい振り下ろせ」と教えられた。連れてくる飼い主たちの表情は暗い。みんな悲惨な光景を見て動揺し「殺さないで」と懇願する。泣きだす少女。「うちの犬だけは助けて」と、どぶろくをわいろに差し出す男の人。泊めてもらった農家の犬をこっそり見逃したこともあった。仕事は20日間ほど続いた。帰宅して、家族に何をしていたかは言えなかったという。

 私が「かわいそうなことをしたという思いはありますか」と尋ねると、修さんの口調に怒気が混じった。「ないね」。自分に言い聞かせるように続けた。「仕方がなかった。そう思うほかないんだ」

 修さんは犬や猫が捨てられていると、拾ってきてしまうという。4年前からは茶色い雑種を育てている。

 「鼻をなでてやると、じいっとこっちを見るんだ。かしこいんだ」。顔を上げてくれたのは、この時が初めてだった。【田後真里・28歳】

 ◇物資不足で食用、軍服の毛皮用に
 「犬の現代史」(今川勲氏著、現代書館)によると、日中戦争開戦後の1940年、国会で「人間も食べるものがないのだから、軍用犬以外は殺して利用してはどうか」という犬猫不要論が巻き起こった。当時は「愛犬家の楽しみを奪ってよいものか」との慎重論も強く、退けられた。

 だが戦争の長期化で44年12月、当時の軍需省は強制的な供出を決定。毛皮は飛行服、肉は食べるためだった。同月19日付少国民新聞(現在の毎日小学生新聞)は<犬君も撃滅(げきめつ)戦へ>という見出しで、犬の供出により空襲を受けた際に国民がかみつかれることも防げると書いている。<立派な忠犬にしてやりませう>と訴えた隣組回報も残っている。


※このシリーズ「子どもは見ていた」は、すべてネット上に公開されています。他の記事も読んでみてください。

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 子どもたちに戦争の話をするのは、すごくむずかしい。自分が経験していないことを話さねばならない。
 そんな時、「今普通に過ごしていることが普通にはできなくなる」ということを示せばいいのかと思う。

 この「愛犬供出」は、犬猫を飼っている子には衝撃的な記事である。
 例えば、うちの「きく」や「あんも」が兵隊さんの毛皮のために使われるとしたら・・・。これなら、廉や真樹も理解できるだろう。
 犬猫の扱いに慣れている私は、犬の撲殺役に任命。それを受け入れなければ「非国民」。家族の一員だと思っていっしょに暮らしていた犬や猫が・・・。
 ここから先は、それぞれが考えましょう。

 最後に、京都新聞のコラム「灯」から。

◎京都新聞 2009年8月19日

 「ささやかな継承」

 80歳になる母親と8歳の息子と広島平和記念資料館に行った。小3の息子には父親として戦争の写真や映像を見せて、恐ろしさを教えてはいるつもりだ。とはいえ、自身も戦争を知らない世代で、書籍などで学んだことでしかない。
 そこでわが家でただ一人の戦争体験者であるわたしの母親の出番だ。資料館で母は手を引っ張ってくれている孫に、展示物の解説を丹念にしてくれていた。被爆直後の広島の模型の前で、自らが体験した神戸空襲での恐怖を重ねて話していた。
 被爆当時、13歳や14歳の女学生が着ていた衣服の前で足が止まった。原爆の熱線を浴びてボロボロになり焦げている。「怖かったろうなあ」と、当時、16歳だった母は、今、生きていれば同世代の人たちの苦しみを思いやった。
 そして、つぶやいた。「戦争中も戦後も物は何もなかった。本当に惨めな暮らしだった」。孫の手をギュッと握り、「あんたは幸せやなあ。いっぱい楽しいことをしいな」と笑った。三世代でのささやかな平和学習だった。
 母の住む神戸の家は阪神大震災で半壊した。次は震災体験を話してもらおう。母にしか孫に伝えられないことはまだまだある。   (塚本宏)

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 そう、一番大事なのは「継承」なんです。
 私も、現在87歳の父から戦争体験をたくさん聞いている。でも、そのうちの少ししかうちの子には話していない。
 いつも私の心に引っかかるのは、私の一番嫌いな「強制」にならないかということだ。

 平和運動に携わる人々の高齢化が目に付く。
 「あなたたちの子や孫に、あなたたちの考えは引き継がれていないんですか?」と問いかけたくなってしまう。
 たぶんそれは私と同じく、「強制」の大嫌いな上品な方たちばかりで、自分の子にまで気を使いすぎているのかも。

 でも、私は、「コソッ」、「コソッ」と伝えていくつもり。子どもたちも、この「パオパオだより」を時々は読んでくれているらしい。

 「ささやかな継承」、するぞー。

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2009年08月26日(水)

「彩彩」 [グルメ情報]

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 「ますみちゃん。ボクのブログに載ってるますみちゃんの写真は、幸せそうに見えるらしいで。」
 「みんな演技や、ちゅうねん。歯が出てる人は、みな笑ってるみたいに見えんにゃ。デバは、得やでー。」

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 今日水曜日は「京都キャロット」の定休日。
 お昼、左京区役所へ衆議院議員選挙の期日前投票へ。(8月30日は兵庫神鍋高原マラソンに出張のため。)

 そのあと、お昼ごはんを食べにカナートへ。
 カナート隣接の「ホリディ・イン京都」2階の中国料理店「彩彩」のランチバイキング。
 10種類のメイン料理から一品選び、サラダやスイーツはバイキング。コーヒー・紅茶も付いている。

 私は、「エビの北京風辛味炒め」。(950円)
 ヨメさんは、「鶏の味噌炒め」。(920円)

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 おなかいっぱい食べられて、デザートやコーヒーはおかわり自由。
 それで、1000円以下。これは安いと思います。

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 私はお上品に、デザート全種類一つずついただきました。コーヒーは2杯。満足です。

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 家に帰ると、きくちゃんがハブにやられていた。・・・と思ったら、ただ寝ころんでいただけ。
 このごろ、きくちゃんは真樹の部屋の押入れでくつろいでいることが多い。犬のくせに、狭いところが大好き。ますますネコ化しています。

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2009年08月25日(火)

「だまされない」 [平和]

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うちの大事な大事なあんもちゃん(20歳)

 8月は、新聞テレビなどで戦争関連の特集が多い。
 テレビはあまり見る暇がないが、新聞はできるだけ読むようにしている。その中で、毎日新聞夕刊の短いコラム「憂楽帳」の記事が心に残った。


◎毎日新聞 2009年8月13日 大阪夕刊

 憂楽帳:だまされない

 1年間に本を100冊読んでも、心に残る1冊はおろか、心に残る一文にもなかなか巡り合えない。

 佐高信さんと魚住昭さんの対談集「だまされることの責任」(角川文庫)に収録された、映画監督・伊丹万作が1946年夏に発表したエッセー「戦争責任者の問題」。映画人が負うべき戦争の責任を問いかけた一文として心に刻まれる。

 その論旨は、日本人の多くが「だまされて」第二次世界大戦に突入し、「だまされていた」という言葉で済ませ、その後の一切の責任から解放された気になっている。だまされていたと平気でいっていられる人は何度でもだまされる。二度とだまされまいとする真剣な反省と努力がなければ進歩がない−−というものだ。

 戦禍が語り継がれる限り、今の日本人がだまされることはないと信じたい。一方で今、社会保障や外交、経済政策など私たちに選択を迫る課題は多い。「政権選択」のその先にある問題にも目を向け、しっかりした視点が必要だ。衆院選の投票日が近づく。

 4年ぶりに訪れた機会、だまされずに一票を行使しませんか。【飯田剛】

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 何事も仕方なかったではすまされない。

 私は、ちょっとでも「戦争のにおい」がするものに拒否反応を起こす。「何をたいそうに騒ぐのか」といぶかしげに見られることもよくある。
 でも、「あの時、たいそうにしていて、(結果として)よかったね」ということがこれから先にあるかも・・・。
 「とくに深く考えていませんでした。みなさん、そうでしょう。みんな、だまされていたんです。」
 こんなふうにだけは言いたくありません。

 私は話がヘタ。
 私のブログ友だち・みきさん(「ふくたままのRunRunLife」)が、論理的でわかりやすい投書を京都新聞にしておられた。

◎京都新聞 2009年7月30日

 「国旗国歌の強制が問題」

 「窓」欄の投稿「国を誇りに思う心必要」を読みました。世界の人々が自国の国旗、国歌に誇りを持つのは自然なことでしょう。でも、オリンピックなどの国際的な祭典で用いられる国旗、国歌と、学校の入学式や卒業式などでのそれとは、意味が違うと思います。
 オリンピックは、国ごとに選手が各競技で競い、勝利者の健闘をたたえて国旗が掲揚され、国歌が演奏されます。しかし、日本の学校では、式典での国旗掲揚、国歌斉唱が、文部科学省の通達で半ば強制的に行われています。式典での国歌斉唱時に起立しない教職員、生徒、保護者たちは、こうした「強制」に反対の意思表示をしているのです。
 投稿者の義母も、日の丸で「祝福」されて戦地へ送り出され、命を落とした息子さんを思い、国民を犠牲にした国への怒り、あるいは戦争反対の強い意志を「国旗を揚げない」という行動で表されたのでは、と思います。国を誇りに思う心は、自発的であってこそ尊いものであり、強制的であってはなりません。
 教育現場においては、「日の丸、君が代」の押し付けではなく、この国の歴史や文化を偽りなくきちんと教え、学ぶことで国を誇りに思う心をはぐくむべきだと思います。

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 「だだの歌じゃないんですか、『君が代』って。ただのしるしじゃないんですか、『日の丸』って。そんなもんが人の命より上に扱われるなんて、どうしても理解できません。」

 私に言わせてもらうと、こうなってしまいます。これでは説得力ないわな。

 もうひとつ、気になる投書があった。私が常日頃懸念していたことが、ズバリ書かれていた。

◎京都新聞 2009年8月9日

 「右傾化進むネット社会」  Y.S (44歳男性)

 インターネットのニュース記事を見ると、一部のニュースの下にコメント欄があり、読者が書き込めるようになっていて、書き込みに賛成したり、反対するボタンるがついている。そこでは、驚くほど自民党・麻生政権擁護の意見が多く、賛同者も多い。世論調査とは、全く反対なのである。
 意見の多くは極端なナショナリズムで、民主党や社民党に対して否定的であり、民主党が政権をとると、国が北朝鮮に乗っ取られるかのごとく書いてあったりする。そして、その主張に反対する人が100人にも達しないうちに、賛同者は2000人ぐらい集まったりしている。
 私は戦後生まれだが、子どもの時にはまだ、戦争の影が残っていた。当時は、平和が豊かさをもたらしてくれた時代だった。しかし、今の若い人は、格差社会にに生まれてきて、インターネットを通じて社会参加するようになれば、極端な右翼思想が一般的な意見だと考えてしまうかもしれない。かつてナチスが台頭した時代のようにならなければよいが、と危惧するのは私だけだろうか。 

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 私も、このY.Sさんが指摘されているのと同じようなサイトを見たことがある。それは「極端なナショナリズム」というより、「下品で世間知らずのだだっ子の言いたい放題」という感じだった。内容が3パターンくらいしかなく、同じ人がペンネームを変えてコメントを書き続けているのではないかと疑われるようなしろものだった。(※)

 世の中にはさまざまな考えの方がおり、それを知った上で、ねばり強い対話によってともに生きていく道を探る。それしかないでしょう。(一方的な強制など、もってのほか)

 「下品で世間知らずのだだっ子」ばかりの世界に未来はない。私は、そう思います。


※そのサイトは、卒業式で「君が代不起立」を続けておられる東京都立高校の根津公子教諭の行動を追った動画を見られるもの。

 それに対する賛同のコメント0、誹謗中傷100以上。
 誹謗中傷コメントは、大きく分けて次の三つ。
 ?そんなに日本がいやなら、日本を出でいけ。
 ?生徒に校則を守らせる立場にあるものが、決まりを守れないのか。
 ?生徒のことを考えず自分のわがままを通す教師のせいで、日本の学校はガタガタ。

 幼稚!
 本当にちゃんとその行動を見た後のコメントとは思えない。

 長くなるのでくわしくは書かないが、根津先生はどんなふうに批判されようと、その人に真正面に向かれとことん対話されている。匿名でコソコソ誹謗中傷している人たちとはくらべものにならない。
 「わがまま」批判には、もうビックリ。停職3カ月をくらった根津先生は、ボーナスなども含めると実質年収が半減。単なる「わがまま」で、そこまでできますか。そこまでできる人は、本当の「人間の良心」を持った人でしょう。
 文章なら読解力不足ということも考えられるが、映像でも真実を見る能力が低下しているのでしょうか。

 しかし、賛同のコメントが0ということは、それが意図的に削除されているのかもしれない。誹謗中傷のコメントも、短くて誰でも書けるような単純なものばかり。誰かが、世論をある方向へ引っ張っていくために開設されたサイトかもしれない。
 私のようなパソコンしろうとでもすぐたどり着けたのだから、これは危険。
 みなさん、「だまされない」で!
 

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2009年08月24日(月)

真樹、15歳! (8月23日生まれ) [家族]

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 昨日8月23日は、真樹の誕生日。
 去年は私たち夫婦が出張販売に出ていたため、一日遅れのハッピーバースデイだった。おまけに、早く帰ろうとあせったため、中国自動車道でスピード違反で検挙。罰金25000円。
 今年は8月23日当日にお祝いをしたかったので、また、島根県三瓶高原から急いで帰宅。もちろん今年はスピード違反にならないように気を付けて。
 やっぱり、宝塚トンネルを先頭に17kmの渋滞。「コトブキ東寺店」に着いたのは閉店の5分前、8時55分。電話で問い合わせてみると丸いケーキはないとのことだったので、ヨメさんがプチケーキ10個入りセットを買ってくれた。

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 夜10時前、遅がけからのハッピーバースディ。
 真樹は、小さいケーキでもよろこんでくれた。
 (大きいローソクが1本2歳、小さいローソクが1本1歳。これで15歳分だそうです。)

 「もう、15歳。」
 「まだ、15歳。」

 どっちかな。

 とにかく、今日のこの日が笑顔でむかえられたのが、なにより。

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 私からの「誕プレ」は、三瓶高原のレストハウスで買った「レターセット」と「おっとっと」。まあまあ、よろこんでもらえたみたい。

 廉からは「イヤーホン」。あーちゃんのお父さんからは「ポップンステップ」をもらった。

 そして一番うれしかったのは、「誕生日おめでとうメール」。全部で7人から来たらしい。その中でも、去年バスケ部でいっしょにがんばっていた友だちからのメールは、「覚えていてくれてありがとう」という感じだったのかな。

 真樹のことを気にかけて下さっているみなさん、本当にありがとうございます。真樹は今、いい笑顔です。

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