パオパオだより

2009年08月27日(木)

「子どもは見ていた」 [平和]

 8月は、新聞に戦争関連の特集記事が組まれていた。
 いろいろあったが、連載ものの中で私がもっとも心に残ったのは、毎日新聞の「子どもは見ていたーー戦争と動物」シリーズだ。

 8/10 愛犬供出「心が死んだ」
 8/11 軍用兔飼育「小国民の務め」
 8/12 伝書鳩は戦友だった
 8/13 馬の出征 泣いた母
 8/14 ゾウ列車は夢を乗せて

 この連載の中でも、第1回の「愛犬供出」は泣けて泣けて・・・。
 少し長いですが、ぜひ読んでください。

◎毎日新聞 2009年8月10日

 子どもは見ていた:戦争と動物/1 愛犬供出、「心が死んだ」

 犬、ウサギ、馬……。戦時中、家々で大切にしてきた動物が子どもたちの前から姿を消した。国に求められ、差し出す役割を担わされた子もいた。出征する家族との別れにくわえ、小さな友達まで奪われた悲しみ。終戦から64回目の夏、当時を知る人たちが若い記者に語ってくれた。動物を通して見えた戦争を伝えたい。

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渡辺礼子さん(中央)とマル        =礼子さん提供

  ◇兄出征の悲しみに追い打ち 撲殺役も少年「国のため」

 ペット問題を担当する私(記者)の元に昨秋、一通の手紙が届いた。差出人は宇都宮市の渡辺礼子さん(81)。ペットブームの中で捨てられた動物が毎日殺処分されている記事を読み「やり切れない思いです」とあった。

 つづられていたのは17歳だった戦争中、軍服の毛皮にするため愛犬「マル」を供出させられた悲しい記憶。「マルのような犬がいたことを忘れないで」

 私は市営住宅で1人暮らしをする礼子さんに会いに行った。

     *

 戦時中、礼子さんは栃木県西方町の農家に暮らしていた。ある夕方、弟が友達に子犬をもらってきた。もこもこした真っ黒な毛。8人のきょうだいのうち、小さい弟や妹から順に抱っこした。やっと長女の礼子さんの番が来た。腕の中でしっぽを振り続けた。前に飼っていた犬の名をつけることで家族全員が一致した。

 家にはマルと遊びたい子どもたちが集まってきた。食べるものも着るものもなく、重い空気がたちこめた村に笑顔が戻った。

 礼子さんは国民学校(現在の小学校)を卒業後、畑仕事に出た。父は勤め、兄は学校に行くため、母と2人での麦作り。人手が足りず雑草に負けてしまい、供出する分しか収穫できない。「私もマルも、いつもおなかをすかせてた」。くたくたになってあぜ道を歩いた。マルが後をついてきて、どこかで拾ってきた干しイモやたくあんをポリポリと音を立てて食べていると、ほっとした。

 一番の楽しみは三つ上の兄、郁さんとハーモニカを吹くことだった。普段はおとなしいマルが「ウオーン、ウオーン」と歌うように鳴き声を合わせるので、2人で声を上げて笑った。

 その兄の出征が決まった。見送る途中で涙をこぼし、村の大人に「どの家もお国のために兵隊を出してる。名誉の戦死を遂げるんだ」としかられた。一人でハーモニカを吹いた。マルが一緒に鳴いてくれた。

 だが間もなく役場から連絡が来た。「兵隊さんの毛皮にするので犬を供出せよ」。もう言葉も出なかった。

 犬たちは学校の校庭に集められた。マルを連れていった近所のおじさんから「校庭の手前から足を踏ん張って歩こうとしなくて困った」と聞かされた。

 話し終えた礼子さんがつぶやいた。「戦争で、私の心は一回死んだの。うれしいことも悲しいことも、感じないように決めたの。苦しまずにすむから」。戦後は准看護師として働き、戦場で心を病んだ人たちの世話もした。犬を飼うことも、誰かにマルの話をすることもなかったという。

     *

 集められた犬はどうなったのか。動物の供出に詳しい児童文学作家の井上こみちさんが、犬や猫を撲殺する仕事をしていた修さん(79)=仮名=のことを教えてくれた。北海道に住む修さんに取材を申し入れると「忘れたいし、妻や子にも秘密にしている」と悩みつつも「勝っても負けても戦争はだめ。それを伝えられるなら」と話してくれた。

 1944年の冬休み。15歳だった修さんは友達に「いい仕事がある」と誘われた。家族5人、長屋での貧しい暮らし。「少しでもお金になるなら」と飛びついた。

 指定された場所に集まり、初めて仕事の内容を聞かされた。仲間の一人は逃げ出した。修さんは「満州や空の上の兵隊さんはどんなにお寒いだろう。これもお国のためだ」と心に決めた。でも子ども心に「猫は化けて出る」と思うと怖くて眠れず、便所に一人で行けなかった。

 いろんな町を泊まり歩き、集められた動物を仲間が押さえ、修さんが撲殺する。「毛皮に傷が付かぬよう、犬は丈夫な木の棒、猫には金づちを眉間(みけん)めがけて力いっぱい振り下ろせ」と教えられた。連れてくる飼い主たちの表情は暗い。みんな悲惨な光景を見て動揺し「殺さないで」と懇願する。泣きだす少女。「うちの犬だけは助けて」と、どぶろくをわいろに差し出す男の人。泊めてもらった農家の犬をこっそり見逃したこともあった。仕事は20日間ほど続いた。帰宅して、家族に何をしていたかは言えなかったという。

 私が「かわいそうなことをしたという思いはありますか」と尋ねると、修さんの口調に怒気が混じった。「ないね」。自分に言い聞かせるように続けた。「仕方がなかった。そう思うほかないんだ」

 修さんは犬や猫が捨てられていると、拾ってきてしまうという。4年前からは茶色い雑種を育てている。

 「鼻をなでてやると、じいっとこっちを見るんだ。かしこいんだ」。顔を上げてくれたのは、この時が初めてだった。【田後真里・28歳】

 ◇物資不足で食用、軍服の毛皮用に
 「犬の現代史」(今川勲氏著、現代書館)によると、日中戦争開戦後の1940年、国会で「人間も食べるものがないのだから、軍用犬以外は殺して利用してはどうか」という犬猫不要論が巻き起こった。当時は「愛犬家の楽しみを奪ってよいものか」との慎重論も強く、退けられた。

 だが戦争の長期化で44年12月、当時の軍需省は強制的な供出を決定。毛皮は飛行服、肉は食べるためだった。同月19日付少国民新聞(現在の毎日小学生新聞)は<犬君も撃滅(げきめつ)戦へ>という見出しで、犬の供出により空襲を受けた際に国民がかみつかれることも防げると書いている。<立派な忠犬にしてやりませう>と訴えた隣組回報も残っている。


※このシリーズ「子どもは見ていた」は、すべてネット上に公開されています。他の記事も読んでみてください。

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 子どもたちに戦争の話をするのは、すごくむずかしい。自分が経験していないことを話さねばならない。
 そんな時、「今普通に過ごしていることが普通にはできなくなる」ということを示せばいいのかと思う。

 この「愛犬供出」は、犬猫を飼っている子には衝撃的な記事である。
 例えば、うちの「きく」や「あんも」が兵隊さんの毛皮のために使われるとしたら・・・。これなら、廉や真樹も理解できるだろう。
 犬猫の扱いに慣れている私は、犬の撲殺役に任命。それを受け入れなければ「非国民」。家族の一員だと思っていっしょに暮らしていた犬や猫が・・・。
 ここから先は、それぞれが考えましょう。

 最後に、京都新聞のコラム「灯」から。

◎京都新聞 2009年8月19日

 「ささやかな継承」

 80歳になる母親と8歳の息子と広島平和記念資料館に行った。小3の息子には父親として戦争の写真や映像を見せて、恐ろしさを教えてはいるつもりだ。とはいえ、自身も戦争を知らない世代で、書籍などで学んだことでしかない。
 そこでわが家でただ一人の戦争体験者であるわたしの母親の出番だ。資料館で母は手を引っ張ってくれている孫に、展示物の解説を丹念にしてくれていた。被爆直後の広島の模型の前で、自らが体験した神戸空襲での恐怖を重ねて話していた。
 被爆当時、13歳や14歳の女学生が着ていた衣服の前で足が止まった。原爆の熱線を浴びてボロボロになり焦げている。「怖かったろうなあ」と、当時、16歳だった母は、今、生きていれば同世代の人たちの苦しみを思いやった。
 そして、つぶやいた。「戦争中も戦後も物は何もなかった。本当に惨めな暮らしだった」。孫の手をギュッと握り、「あんたは幸せやなあ。いっぱい楽しいことをしいな」と笑った。三世代でのささやかな平和学習だった。
 母の住む神戸の家は阪神大震災で半壊した。次は震災体験を話してもらおう。母にしか孫に伝えられないことはまだまだある。   (塚本宏)

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 そう、一番大事なのは「継承」なんです。
 私も、現在87歳の父から戦争体験をたくさん聞いている。でも、そのうちの少ししかうちの子には話していない。
 いつも私の心に引っかかるのは、私の一番嫌いな「強制」にならないかということだ。

 平和運動に携わる人々の高齢化が目に付く。
 「あなたたちの子や孫に、あなたたちの考えは引き継がれていないんですか?」と問いかけたくなってしまう。
 たぶんそれは私と同じく、「強制」の大嫌いな上品な方たちばかりで、自分の子にまで気を使いすぎているのかも。

 でも、私は、「コソッ」、「コソッ」と伝えていくつもり。子どもたちも、この「パオパオだより」を時々は読んでくれているらしい。

 「ささやかな継承」、するぞー。

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