2008年11月20日(木)
高石ともやさんと家族 [私の好きな人]
今日の京都新聞朝刊を見てビックリ。
1面左の部分、〜命ときめく日に 第1部 病から始まった 第3部 高石ともやさんと家族 「妻を、母を、自分が支える」〜
自宅でギターを抱えた高石ともやさんの写真。横には大きく「みんなが少し生き方変えた」の大きな文字。
月刊誌「ランナーズ」を読んでおられた方なら、今年の春まで連載されていた「てるえさんへの手紙」をおぼえておられるでしょう。(くわしくは、私の3/18のブログを見てください。)
末期の大腸がんと診断された奥様を、家族みんなで支えていく決意を手紙にされていた。しかし、それは決意というよりは、自然な家族の姿、自然な高石ともやさんの姿勢が感じられた。
今回の京都新聞の連載は、それをもう少しくわしく書かれているようだ。
1面に続き3面へ。
両手を広げ、笑顔満面の奥様の写真。1993年、アメリカ横断マラソンの時のものだ。
そして、その横に「完治むずかしいけれど、負けず、引き分けくらいで」の文字。
びっくらこいたー。
私のブログをしっかり呼んでいただいている方なら、お分かりでしょう。6月10日の記事を見てください。
☆
みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
☆
この話をした時、高石ともやさんは、「引き分け」という言葉にすごく感心しておられた。それをずっとおぼえてくれてはったんや。
私は得意と言えるようななことほとんどないのだが、言葉に関することはちょっと自信がある。いろいろ考えていると、突然頭にひらめくことがある。「ガンと引き分け」という言葉も、みかたのきつい坂を上ったり下ったりしている時にひらめいた。
あの時は、マネージャー役を務められていた三宅誠孝さんもいっしょ。
先日、うちの店にお買い物にこられた高石さんのお話によると、三宅さんは体調をくずし入院されているらしい。(三宅誠孝さんについては、4/13のブログを見てください。)
三宅さんは、ガンで去年の8月までの命と宣告された。しかし、それから1年3ヶ月、まだまだねばっておられる。
そう簡単に死んでもらったら、私も困る。もっともっといろんなことを教えてもらいたい。
とりあえず、明日、病院にお見舞いに行こう。いやがられても、このブログをプリントアウトしたものだけでも渡してこよう。
「三宅誠孝さん、ガンと引き分けましょう」
「高石てるえさんも、ガンと引き分けましょう」
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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