2008年04月06日(日)
第24回日本平桜マラソン [ランニング・出張販売]
いつもレースのスタート前、自分なりに今日のテーマを決める。
今日は天気もよく、春らしい絶好のコンディション。東京から近いこともあり、女性の参加者も多い。ランスカランナーが多いかも。ブログに載せられないかなあ。
23.4kmの部のスタートはかなり込んでいた。
1km過ぎくらいから、だらだらとした上りが始まる。
小さな川沿いに見たこともない桜が。なんと、一本の木からいろいろな色の桜の花が咲き乱れ・・・。
もうすこし進むと、日本平動物園。ここは、大会前日、家族4人で何回も行った。山の上の爬虫類館に行き、スーパースライダーですべって降りてくる。これがおもしろかった。 ハイエナの「星」くん、元気にしてるかな。子どもがついて来なくなっても、動物園は行きたいな。
3km過ぎくらいから、前を行くランスカランナーに追いついてきた。
「写真、撮らせてもらっていいですか。」とか、「ブログに載せてもいいですか。」とか声をかけたかったのだが、できなかった。一番の原因は、その表情の険しさである。
何人ものランスカランナーに追いつき声をかけようとしたが、みんな厳しい顔だった。
上り坂が延々と続くのだから、あの表情も無理もない。ただ、ランスカはまわりの注目をあびているのだから、もうちょっとにこやかに走ってほしいと思った。私が見たかぎりでは、みなさんランスカが似合っていただけに、よけい残念。
10km手前、山の頂上付近。ランナーにタッチして応援されている人がいた。近づくと、テレビカメラと音声マイク。
「あっ、パッション屋良さん。」ウェストバッグからデジカメを取り出し撮っていると、向こうから話かけられた。
「すごいですね。カメラを持って走ってるんですか。」
「はい、いつも。」
「今日の調子は?」
「はい、バッチリです。」
そこを過ぎると、後は下り。足がスイスイ前に出る。
ぱっと目の前に広がる駿河湾。そして、その向こうに真っ白な富士山。
その時、急にある人のことが頭に浮かんだ。
「高石てるえさんが、ここを走れるようになったらいいのになあ。きっと、きれいな富士山を見て喜ばはるやろなあ。」
ガンと戦っておられる高石ともやさんの奥様。勝手に応援したいけど、迷惑かな。マラソン大会で応援メッセージを身に着けて走る、というのはどうやろう。絶対使ったらあかん言葉は、「がんばれ」やね。
「いっしょに走ろう、高石てるえさん」
「しっかりにっこり、高石てるえさん」
「待ってます、高石てるえさん」
こんなとこで、どうでしょう。
そんなことを考えながら走っていると、もう大通り。もう15km地点。
だいぶ前に23.4kmの部に出たが、ゴール前、渋滞の車の排気ガスを吸いながら走ったといういやなイメージが残っていた。それは、最後の2kmくらいだと思っていたが、後8km以上。
こんな長かったっけ?
ただ、前よりは車が少ないようにも思う。
しかし、排気ガスよりも気になりだしたことがある。山下りでスピードアップしたため、2時間切りの可能性が出てきた。残り5kmくらいからは、かなり、前のランナーを抜いた。
残り1kmくらいからは、もう時計を見る余裕もなく、最後は息絶え絶えのゴール。うーん、2時間ちょっと越えてもたー。くやしー。
とその時、「キャロットさん、後でお店行きます」の声。
「あっ、馬杉さん!」
ああ、こんなところにランスカ美人が。最後の最後に追い着いたようだ。
馬杉さんは、元kappa社員で現役ウルトラランナー。今は退職されて他の仕事をされているが、今もうちの通販を利用していただいている。
私が知っているウルトラランナーの中で一番の美人です。うちのヨメさんいわく、「あんなきれいな人やのに、何が彼女をウルトラに駆り立ててんのかなあ。」
別に、人は何かつらいことがあってウルトラに走っているのではないと思うんですが・・・。
馬杉さんのゴールタイムを聞いて、ビックリ! 2時間0分18秒。なんと、私と同タイム。
「2時間切れへんかった二人ということで、いっしょに写真を」 うまいことお願いできました。
もちろん、撮影役はうちのヨメさん。トイレに行くひまもなく一人で働いていたのに、やっと帰って来たと思ったら、「写真撮って」てか? そら、怒るのも無理もない。ごめんね。
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2008年04月03日(木)
西表島観光-やっと八重山4-(2月11日分) [沖縄]
今日は、初めて普通の観光日。
カンピラ荘でゆっくり朝ごはんを食べた後、バスで由布島に向かった。
バス停近くのお店に張り紙がしてあった。「ニラカナイ宿泊のお客様は、お断りします。」
やまねこマラソンに参加が決まった時、「ニラカナイに泊まろうか」と思ったこともあった。しかし、前に見た道路沿いの「ニラカナイ反対!」の看板が気になっていた。
ネットで調べると、たいへん問題のあるホテルであることがわかった。自然破壊との理由から多くの反対があり、それを押し切って建設されたホテルだった。確かに、人口2000人ちょっとの島に、あのホテルは似合わない。きれいな浜も破壊されたそうだ。
泊まらなくてよかった。
今度はバスに乗り遅れず、無事由布島に着いた。
途中、山の合間にきれいな滝が見えた。あれが有名な、なんたらの滝か、そばまで行ってみたいなあ。
今度、よんなぁよんなぁさんお願いします。
私は3回目の由布島。もう、ベテランです。
水牛がゆったりゆったり。もうそれだけで、ヨメさんは大満足です。牛がかわいくてかわいくて。ツーショット写真はめったにないので、島でモデル水牛といっしょに撮ってもらいました。かえりの水牛はかなり」ゆっくりで、後ろからきた別の水牛に抜かれていた。おまけにかなり斜行しており、これは競馬なら失格です。おもしろい。何回乗っても飽きません。
由布島からまたバスで、大原港へ。
水中観光船「うみえーる」が目当て。受付で聞いてみると、4人以上集まらないと船は出ないとのこと。そこらにいる人に向かって呼び込みをやろうとしたが、「かっこ悪いし、やめ」とヨメさんにしかられた。
仕方がないので、近くのスーパーでも行くことに。その間に人が来れば出航できるかもしれない。
スーパーの帰り、口のまわりが真っ黒のワンちゃん発見。きくのちっちゃい時によう似とる。
「きくちゃーん、元気にしとるかい。」
よそ様の庭先で、勝手に写真を撮ってきた。
スーパーから戻ると、もう一人お客さんが増えて合計3人。これで出航してもらえることになった。(これは赤字覚悟ですな。) 沖のほうに行くと、日本最大級のさんご礁。こりゃ、すごい。
腹ばいで見てくださいとすすめられたのでそうすると、ちょっと船酔い。ヨメさんは、かなりしんどそうだった。
この船は酔いやすい。気をつけて。
大原港に戻った時、石垣行きの船が出そうになっていた。「うみえーる」の帰りが少し遅れたからだ。(ちょっと長めのサービス?)
こちらの船の方が、指笛でむこうの船に知らせてくれた。それで気づいてもらって、なんとか乗ることができた。あぶなかった。
石垣に着くと、まず公設市場のある商店街に行った。ここは京都で言うと、出町? 大宮? いやいやもっとごちゃごちゃした、いい感じの通りです。うちのヨメさんは、こうゆうとこが大好き。
公設市場のトイレで、横から声が。
「おとつい、西表におられましたよね。」
「はい。」
「犬のTシャツ着ておられたから、よく覚えてるんです。」
確かに、きくちゃん顔でかでかトレーナー着てましたけど。声をかけてくださったあなたは、だれ?
そこでいろいろおみやげを買い、タクシーでホテルに向かった。
今日のホテルは、フサキリゾート。コテージ風の建物がいくつも並んだ、ちょっとかわったホテル。
ここで、ヨメさん念願の高級エステを予約しようとしたが、すでにいっぱいで断念。残念!
気を取り直して、創作島料理「ゆんたく」へ。
ここはよかった。めったに食べられないナポレオンフィッシュを食べ、その後は石垣牛のコース料理。やわらかくて、おいしかった。
お店の従業員さんも感じがよく、楽しそうに働いておられるのがよかった。料理を運ぶ女の人がすごく日に焼けているように見えたのが、気にはなったけど。(なんぼ沖縄ゆうても、今2月やし・・・。)
外は、パラパラと雨。
いろいろありましたが、まずまずゆっくりできた一日でした。
(注)デジカメのバッテリー切れのため、2枚目以降の写真はヨメさんの携帯で撮ったものです。
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2008年04月02日(水)
カンピラ荘-やっと八重山3の4-(2月10日分) [宿情報]
鳩間行きの船が欠航のため、上原で泊まることになった。楽しみにしていた「マイトウゼ」(鳩間の定宿)、一希君(マイトウゼに住む中3)、中曽根さん(鳩間の吟遊詩人?)、かなちゃん(琉球犬ハーフ)、浦崎啓子さん(鳩間の柴崎コウ)、みんな夢まぼろしになってしまった。
「カンピラ荘」さんは初めてだが、旅行の前、西表に行くならここがお勧めと言ってくださった人がいた。その方はうちのお客さんで、若い時にカンピラ荘で働いておられた人だった。その時いっしよに働いていた人が、今もおられるらしい。
私たちはおふろにゆっくり入りたかったので、おふろ付きの部屋にした。八重山で、シャワーでなくおふろが付いている所はめずらしい。
ばんごはん、朝ごはんもおいしかった。
ばんごはんには貝のお吸い物が付いていて、食べると「じゃり」っと音がしたが、味はすごくよかった。
朝ごはんは、ごはんとパンの両方が出て、いろいろなジャムもあり、ヨメさんはうれしくなっていっばい食べていた。
ばんごはんの時、となりの女性に話かけられた。
「今日、船浮におられましたよね。イダの浜へ行く道で、すれちがいました。」
「はい。船浮小中の学習発表会を見に行ってたんで。」
「あっ、それ、私らも行きました。もう終わってたんですけど、おやつだけいただきました。」
「それは残念。子ども3人だけの学校でしたけど、すごくよかったですよ。来年、行かはったら?」
お二人は、兵庫の奥山ご夫妻。
話によると、奥様のほうは、30年くらい前から沖縄旅行をしておられるとか。ということは、私たちと同世代?
船浮には、池田卓さんの家が目当てで行かれたらしい。
私たちが鳩間に何回も行っていると言うと、うらやましがっておられた。鳩間加奈子さんの家が見たいらしい。
よくしゃべる奥さんと、時々合いの手のようにちゃちゃをいれるだんなさん。関西には、このパターンの夫婦がかなり多い。(うちも、そうかも。)
家でお座敷犬を飼っていると言われたので、携帯の写真を見せてもらう時、ちょっとドキドキした。私のにがてな高級犬ならどうしよう。よう、ほめん。
なんやー、でかい雑種ですやん。「はな」というそのワンちゃんは、白系のおとぼけ系のかわいいワンちゃんだった。よかった、雑種を飼ってる人はみんないい人やから。
京都の大学に通っておられる息子さんの話、ぼちぼちランニングをされている話、今までの沖縄旅行の話などでだいぶ盛り上がった。
鳩間には行けなかったけど、そのおかげで奥山ご夫妻に出会えた。
もしこのブログを見られたら、ぜひコメントを。必ず、「はな」ちゃんの写真も添付してくださいね。
カンピラ荘さん、どうもお世話になりました。楽しい時間が過ごせました。
(最近のホームページを見てみると、3月から、ばんごはんがなくなったようです。残念。おいしかったのに。)
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2008年04月01日(火)
ナリケン [私の好きな人]
今日は、エイプリル・フール。
この日のブログはみなさん苦労されるのでは。何を書いても嘘っぽくて。
それなら私は逆手を取って、嘘のような本当の話を書きます。
ずっと前から、ブログに書きたくてたまらない人がいます。
その人の名は、「ナリケン」。今、中1、13歳です。(あまりくわしく書くと、個人情報保護法にひっかかりそうで心配です。)
その彼に、去年12月18日、手紙を書きました。
「ん? 52のおっさんが、13歳の少年に手紙?」
(読みたくなりません?)
○○○○君
いろいろとありがとう。
―私が考えた10年後の話―
私「きょう、タイガースの新人入団発表あったやろ。あの中で、めちゃくちゃ堂々としてたやつおったやろ。見た?」
「あーあーあー、おったおった。何かでかいやつやろ、体も態度も。」
私「そそそ、あいつなあ、うちの娘の中学校の時の同級生やねん。」
「そうかー。あんたとこの娘さん、もうそんな大きなってはんの?」
私「そやねん。体はチビやけど、もう23歳やねん。わらうやろ。」
「ほな、あの○○ちゅうやつ、京都出身か?」
私「京都も京都、家は国際会館駅から歩いて三歩、ゆうとったで。」
「歩いて三歩?って・・・、どやねん。」
私「そうゆう人くったようなこと言うのん好きなやつやったみたいやで。入団発表の記者会見で、ゆうとったやん。『大リーグのタイガースに入団が決まったと思ってました。へたこいたー。』やて、10年前の小島よしおのギャグやん。」
「え、だれ、それ?」
私「ままま・・・。
でもな、あいつ意外とかわいいとこあんねんで。10年前のおれの誕生日にな、プレゼントくれてん。娘の同級生やけど、一回もしゃべったこともないのにやで。
なんかな、あいつの誕生日に娘がプレゼントあげたんやけど、ちょっとはずかしかったみたいで、『うちのおとうさんからのプレゼントやし』とかゆうたみたい。
それをちゃんとおぼえてくれてて、おれの誕生日にお返ししてくれたんやな。
律儀なやっちゃ。
12月のめっちゃ寒い時やったんやけど、何くれたと思う?
すずしげな半ソデのポロシャツですわ。さわやかな真夏にはえるライトグリーンのね。
おれのちっちゃい時、あの色はうぐいす色ゆうてな、唯一のよそ行きのセーターがあの色やってなー。運命やなー。」
「運命って、何が?」
私「あのころようゆうとってん。○○君はぜったい大物になるでって。顔が大物の顔やもん。てゆうても、娘やヨメはん『意味わからんし』の連発やったなあ。」
「確かに意味わからんし。まあ、でも、先見の明あったやん。」
私「初めて中学入学後のクラス写真見た時、ガーンとショック受けたんや。えっ、こいつほんまについこないだまで小学生? うそぴょん? 先生より風格あるし。」
「えっ、中1からあの顔かいな。」
私「そやねん、全然かわってへん。
一回、中学の野球部の練習見たんやけどな・・・。
テニスコートくらいの広さの所で四角になって、各コーナーに3人ずつくらいいてキャッチボールしとんねん。場所はせまいわ、順番なかなかまわってこーへんわでかわいそうやったで。
あのころ、どこの中学も人数へってたのに、岩倉の洛北中はどんどん人数がふえて、クラブ活動もたいへんやったと思うで。
よう、あっからプロ野球選手が生まれたもんや。」
「ほんまやねー。岩倉初のプロ野球選手かもね。」
私「そうそう、そのころうちの娘なあ、あいつになんて呼ばれてたと思う。藤井さんとちゃうねん。『ベップ』やで。」
「ベッ、ベップって?」
私「うちの娘なあ、小学校は花背の別所小学校で、今はもう統合でなくなってしもて最後の卒業生なんや。たった一人のな。
それで、卒業の後ひっこして、岩倉の洛北中学校に入ったんや。
京都の小学生はたいてい小4で花背山の家学習ゆうのんで別所に来とんにゃけど、あいつは小4から小6まで西宮におったらしい。そやし別所にはなじみがなくて、自分が知ってる別所に似た地名『別府』から『ベップ』と呼ぶようになったみたい。」
「めちゃくちゃやん。」
私「そやろー。
そやけどな、うちの娘、学年1人から250人の学校に入って不安だらけやったと思うねん。そんな中で、何やかやとあの○○君がかまってくれたみたいで・・・。自分が西宮の小学校に転校した時の不安な気持ちを思い出して、真樹に気を使ってくれたんかなあ。とにかく、みんなを楽しませてやろうという気持ちはマンマンやったみたい。
『今日、○○がなあ・・・』っていう話、よう娘から聞かされたわ。それ聞いて、ちょっとほっとしててん。あー、ちょっとずつみんなの中に入れてんにゃと思えて。
○○君には感謝してんねん。ほんまに。」
「ふーん、そんなことがあったんや。」
私「それにな、そのクラスで学校にこれてへん子がいたんやけど、みんないろいろと働きかけはしてたみたいや。先生からはよう注意されてたみたいやけど、みんなが一人一人のことを考えるええクラスやったみたいやで。真樹は毎日ニコニコしとったしね。」
「そうか。そういうクラスから逸材が生まれるんやなー。」
私「何とか活躍してほしいな。
おれな、ちっちゃい時からヤクルトファンやったんやけど、○○君がタイガースで活躍している間は阪神ファンになったるかー。甲子園で、ナリケンコール。ええなー。
そやけどねあのポロシャツにサインしといてもろたらよかったなあ。新人王でも取ったら、中学生時代のサイン入りポロシャツ、1万円くらいで売れるんちゃうん。」
「何考えとんねん、このオッサン!」
―チャンチャン! (おしまい)―
2007.12.18
猿山洪水こと 藤井廣司
◎10年後の話は想像だが、10年後に10年前を思い出している所(つまり現在、ややこしやー)は、すべて事実です。
さらに驚くことに、1月中旬、この手紙の返事が返ってきた。それは、忍者の巻物のような手紙だった。
これは私の宝物なので、中味は教えられません。題と、中味のごく一部だけ紹介しましょう。
題は、「いえいえ こちらこそ」
中味の一部、「・・・けどやね そないふけとりますか? ちょっとショック。けど大丈夫、今はこんな平凡な中学生やけど絶対有名人になったりますがな。・・・」
もうすぐ新学年のクラス替え。たぶん、うちの娘と「ナリケン」も別々のクラスになるやろね。7分の1の確率やから。
でも、娘を通して、君と知り合えてよかったよ。これからも人を楽しませ、自分も楽しもう。応援してるよ。
(今日、このことを書く決心がついたわけ。
真樹がバスケ部の友だち3人と「ひらパー」に行って、おみやげを買ってきてくれた。それは、○○山の交通安全のお守りだった。それを見てナリケンを思い出し、私が喜ぶと思って・・・。真樹は、本当にいい子です。)
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2008年03月31日(月)
ほめ生かし [振り返って]
2月15日、「はじめの一歩」からスタートしたブログ「パオパオだより」だが、やっと一ヵ月半たったことになる。(「はじめの一歩」という題は、真樹の担任の瀧川先生が出しておられる学級だよりを知らず知らず真似ていました。いわゆるパクリ?)
このブログを始めようと思ったのが今年の元旦で、実際に書き出したのが2月15日。そのため、元旦から2月14日までの記事は、後から日付を合わせて放り込んだものだ。うちのヨメさんいわく、「過去の記事が増えていく変ブログ」というのにはこうゆうわけがある。
「過去の日付に放り込んだら、あんまり見てもらえへんで」というヨメさんのアドバイスに従い、最近は過去の記事も書いたその日に掲載している。(私自身は、どうもしっくりこないのだが・・・)
ブログを始める時、私なりに気をつけようと思ったことがいくつかある。
まず第一に、「特定の個人をけなさない。できるだけ人のいい所を見つける。」
何人かのブログを見せてもらったが、その中に個人攻撃が延々と続くもの、個人ではなく公に対してもどこまで腹立て続けるんやと思われるものがあった。これは、読んでいてつらい。気持ちはわからんでもないが、徹底的にたたくのはかえって逆効果。
一昔前、「ほめ殺し」という言葉が流行語になったことがあるが、私のモットーは「ほめ生かし」である。私は小さいころから、なぜかすぐ人のいい所を見つけ好きになってしまうくせがある。(単なる「甘えた」なのかも知れん。)しかし、私のほめ言葉で調子よくなってもらえたら、こんなうれしいことはない。「ほめて、生かす」これは、私の基本中の基本。
第二に、「調子に乗ってウソを書かない。言葉づかいにも注意。」
おもしろくするために、あることないこと書いているのでは? と思われるブログもあった。これは本人が無意識のうちに書いてしまうこともある。また、言葉づかいが荒いと、それだけで読む気が失せる。
「長く生きている人間は、その存在自体がおもしろいはず」と思い、50代は50代らしく、そのあたりは上品に。
第三に、「同じような内容を繰り返さない」
これも人のブログを例に出して申し訳ないが、毎日ほとんど同じ内容が延々と続くものがあった。ある意味すごい。でも、私には書けないし、読むのも無理。
できるだけ、いろんなジャンルのことに首を突っ込みたい。それには、うすっぺらな生き方ではダメ。いくつになっても、なんにでも興味を持つ人間でありたい。
今のところ、ややかたよりはあるが、まずまずいろいろなことが書けているのではないだろうか。
第四に、「テーマをしぼって、だらだら書かない」
これは、完全に失敗している。あることを書いていると、それに関連したことが次々と頭に浮かび上がってくる。
「あんなこともあったなあ、こんなことも・・・」というふうに。私の頭は、そうゆうふうにできているようです。
一冊の本を、一気に最後まで読んだためしがない。いつも、途中でほかの本に浮気してしまう。最終的にはほとんど最後までいくのだが、読み終えるのに2ヶ月も3ヶ月もかかってしまう。この性格は直らない。
第五に、「ブログに書く時は、本人の了承を得る」
これは、けっこうがんばってやっている。
ただ、この件でちょっと不思議なことがあった。「載せてもいいですか」と聞いた時、「ありがとうございます」というお返事が圧倒的に多かったのだ。
ヨメさんの話によると、「いやがる人が多い」と言われていただけに意外だった。
この反応は、最初は、私や京都キャロットへの信頼感から来ているものかと思っていた。でもよく考えると、私が声をかけた人々は年齢層が高く、パソコンに興味のない人が多かった。「どうせ私は見ませんし、気にもしませんので、お好きなように」というのが実態だったかも。
その証拠に、文句もなく、見ましたという反応もない。これは、ちょっとさびしい。(かく言う私も、2ヶ月前までそのお仲間でした。)
こんな感じで始めたブログだが、最近はだいたい平均200アクセス。
記事ごとのアクセス数トップ5は(ごあいさつを除く)、以下のとおり。
?第28回篠山ABCマラソン(3/2)
?第25回宇治川マラソン(2/24)
?紫野高校マラソン大会・4位!(2/19)
?京都走ろう会例会・2月第3日曜(2/17)
?眞寿美さんの誕生日(3/1)
私が選んだ名作(?)トップ5は、以下のとおり。
?ひめゆり(2/23)
?出会い(3/19)
?エール! 高石てるえさん(3/18)
?高間悦子さん(1/22)
?宮良美代子校長先生(1/7)
今書き続けている「やっと八重山」シリーズは、マラソン大会あり、沖縄の学校あり、わんこあり、人との出会いあり、沖縄観光あり、家族のことあり、宿情報あり、グルメ情報あり、・・・と今までの集大成のような記事になっています。また、ぜひ見てください。
最近、ヨメさんに怒られています。「ブログに、どんだけ時間使ってんの! 1日30分くらいにし!」
そうゆうけど、指1本のひらがな入力はな、普通の人の30分ぶんが3時間くらいかかんねん。それにな、指2本いる「っ」とか「を」とか「、」とか「。」は、たいてい失敗して、何回もやり直しとんねん。そやし、そんな怒らんといて。
「何の役にも立ってへん!」てゆうけど、そんなことないで。きっと、誰かがどこかで見ていてくれる。そう思うけど…。
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2008年03月30日(日)
第15回美杉の里・桜マラソン [ランニング]
今日の主役は、冨永明美さんです。
10kmのゴール後一息つき、ぼちぼち帰ろうかなと思った時、ちょっと気になったことがあった。「伴走の人といっしょに走ってた女の人、まだ帰って来てへんなあ。」
スタートの9時半から、もう1時間を過ぎている。ゴールには、かなり間隔を置いてパラパラとランナーが入ってくる。1時間を越えてゴールするランナーの中には、フラフラになっている人もいた。「もうちょっとだけ見てよう。」そう思ってゴールの横で待っていた。
しばらくすると、にぎやかな3人連れが遠くに見えてきた。
ゴール前200mほどは、とんでもない急な下り坂。スタート前、うちのお客さんと「こけるかも」と話してたような坂だ。
にぎやかに聞こえたのは、二人の伴走者が、こけないように、ふらつかないようにと的確な指示と励ましの声をかけておられたのだろう。
「カメラ、カメラ。」パチリ、またパチリ。
ゴール直後の彼女はシートにすわり、かなりしんどそうだったので、伴走者の方に声をかけた。
「マラソンのブログを書いてる者ですけど、ゴールの写真撮らせてもらいました。ブログに載せさせてもらってもいいですか。」
「冨永さん、ゴールの写真載せてもいいですかって。」
「いいですよ。」
「お名前も出してよろしいですか。」
「いいですよ。」
横から、お友達らしき女性が、「冨永さんのこと、インターネットで世界中に知らせてください。」
「はい。もちろん。しっかり書きますし。」
「しんどそうで申しわけないんですけど、せっかくなんで何か一言・・・」
「今日は朝ごはん食べた後、お腹こわしちゃって。どうかなあって心配だったんだけど、走り切りました。半ズボンにしたのがよかったのかな。」
たしかに、朝早いスタートの場合、朝ごはんに苦労する。
今日の私は、コンビニおにぎり一個。私のような適当な人間なら、これで十分だ。しかし、生活にいろいろとハンデがある方なら、どうだろう。たぶん、会場まで送ってもらう方の都合も考えないといけないし、自分の思い通りとはなかなかいかないのでは。
でも、ゴール後の会話を聞いていると、折り返した後の後半のほうが速かったらしい。慎重にスタートした時のほうが、意外といいタイムが出たりする。
それに、なんといっても2人の伴走者。これは、心強い。 目をつぶって、急な下り坂を走って降りる。これは想像もつかない。2人の伴走者は、この時、どんな言葉をかけたのだろう。
遠くから見ていると、この3人がとても楽しそうに走っているように見えた。(信頼関係がしっかりできているんですよね。)
伴走者の方から、名刺をいただいた。名張の佐伯さん。もうお一人の伴走者は、名張の松村さん。(お二人とも、京都キャロットのことはご存知のようでした。)
佐伯さんの話によると、冨永さんは、3月2日の視覚障害者京都マラソンにも来られていたそうだ。(たぶん、佐伯さんも。) 9月の京都てんとう虫マラソンにも、毎年出ておられているらしい。
うちの店は、今はどちらの大会にもお手伝いできていないが、何かできることはないでしょうか。
時間がたっても、ほとんどの人がゴール付近にすわっていた。
今思うと、あれは3人を待っていたのでは・・・。
いい場面を見せていただきました。冨永さん、最後まで気持ちよく走り切れてよかったですね。2人の伴走者さん、ご苦労様でした。また、どこかでお会いしましょう。
さて、話は私ごとに・・・。
この大会に出てみようと思った理由。
?第5日曜は、ひま。
?走友会が主催している大会を取材したい。
?新名神が亀山まで開通。早く行けるのでは。
?参加者合計が100人ちょっと。入賞の可能性が・・・?
?走ったことのないコースを走ってみたい。
こんなところです。
朝6時20分に家を出、45分に廉を京都駅で降ろす。(大阪南港まで、カードゲームをしに行った。) 7時、京都南IC、草津田上から新名神。金勝山(こんぜやま3770m)、甲南(2530m)、鈴鹿(3960m)の長い3つのトンネルを抜けるとあっという間に亀山JCT。久居ICを出たのは8時前。そこから会場までが、思っていたより遠かった。
駐車係の役員さんの指示で車をとめ、受付へ。プログラムで、10km50歳以上を見ると、16名。これは、3位入賞いけるかも。
9時開会式。申し込み合計120人の割りに、開会式参加者が多い。走友会主催ならではのいいふんいきの開会式。
9時半、10kmの部スタート。
いきなりすごい上り坂。たたらぎダム湖マラソン(兵庫)に似ている。翠明湖マラソン(兵庫)にも似ている。(と言うか、ダムはみんな似ているのか。)
やはり先週の42km+8kmが効いている。足が重い。
折り返しで部門別順位を数えたら、4位! あーあ。
そのままゴールまで、前も抜けず、後ろにも抜かれず。ゴールタイムは、43分23秒。このタイムで入賞は、ちょっと甘かった。
でも、暑くもならず、気持ちよく走れた。
役員さんも、少ない人数なのに、しっかり運営されていた。
クラブが主催する大会は、多少不便な所でも、このコースのように交通規制の必要のない所がいい。
冨永さんたちとも少ししゃべれたし、私にとっては十分満足な大会でした。
帰りの亀山PAで、いいものをみせてもらった。
「路上パフォーマンス大会(?)」
中学生、高校生らしき子(女の子が多い)が、全身を使って踊りまくっていた。どうしたらあんなに体が動くんやろ。
今の世の中、ひきこもりの子もおれば、こんな子もいるんやな。
勉強になりました。
京都に戻って気づいたこと。
蹴上の桜を見てみると、ほぼ満開のものもあれば、七分、五分、三分もあり。そしてさらによく見てみると、まだつぼみの木もあった。
これには、びっくり。同じ場所で育った桜は、同じ時期に開花すると思い込んでいた。でも、それが自然なのかも。
人間も同じですね。型にはめたら、育てるのは楽かもしれないが、後で必ずひずみが出てくる。ばらばらに咲く花の、それぞれの美しさを認めてほしい。
本降りになった雨にうたれる桜の花を見ながら、そんなことを考えました。
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