2008年03月29日(土)
工房ながや-やっと八重山3の3-(2月10日分) [ショップ]
カンピラ荘に着き、ばんごはんまで少し時間があった。喫茶店でコーヒーでもと思ったが、近くに適当な所が見つからなかった。
そこで思い出したのが、「工房ながや」さんだ。手作りアクセサリーが作れる店だ。カンピラ荘のすぐむかいに見えていた。
去年の3月、廉と西表島に来た時、少し時間があき寄ってみた。すると、ちょうどお留守で張り紙がしてあった。携帯電話に電話してください、と。電話をすると、しばらくして軽自動車におばあを乗せた男の人が現れた。「ちょっと人を送ってくるので、待っていてください。」これが、沖縄らしくてよかった。
一時間ほどでできる物とお願いしたら、携帯ストラップを勧められた。私も廉もこういうセンスはあまりないほうだが、けっこう楽しく作らせてもらった。
今日は、ちゃんと店におられた。また、携帯ストラップを作ることにした。
いろいろと説明を聞いているとき、壁にはってある写真が目に留まった。
「これって、昨日のやまねこマラソンですよね。出やはったんですか。」
「ええ、10kmですけどね。」
「どれくらいのタイムで。」
「1時間は切りました。」
「速いですやん。練習とかしてはるんですか。」
「ええ、健康のために走っている程度です。」
「シューズは、どうしておられるんですか。」
「ここは売っているところがないですから、困っています。スニーカーぽいシューズで走っています。」
なんとかしてあげたいなあ。こんなところで、マラソンの話ができるなんて。
1年前お世話になった時も、押し付けがましくなく、すごく感じがよかった。今日も、そうだし。
走るのが好きな人とは、知らなんだ。
ヨメさんも苦手な美術センスをしぼり出し、根気よく最後まで仕上げました。いつもこんなことをさせたらイラーときて、投げ出してしまうのに、珍しい!
ご本人は関東出身で沖縄の人ではないが、もうこちらに来てかなりになるらしい。よんなぁよんなぁさんもそうだが、沖縄に長く住めば沖縄の人らしくなっていくのかな。
西表島に来られたら、ぜひ寄ってみてください。ゆったりとした時間が流れているいいお店です。上原港から歩いてすぐです。
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クーの半日-やっと八重山3の2-(2月10日分) [わんこ・にゃんこ]
白浜からバスに乗り、「西表島エコツーリズム協会」へ。
そこには、クーちゃんとよんなぁよんなぁさんが待っている。バスの中からよんなぁよんなぁさんに電話したのだが、バスの騒音がうるさくよく聞き取れなかった。とりあえず、バスの運転手さんに、「エコツーリズム協会で降りる」といえばいいと教えてもらった。
バスを降りると、そこは昨日クーちゃんが応援してくれていた所。「ああ、ここがエコツーリズム協会やったんや。」
建物の中に入り、よんなぁよんなぁさんとクーちゃんの到着を待った。
しばらくして、二人(?)が到着。「この近所を歩きましょうか」ということで、ご近所ブラブラエコツアーがスタートした。もちろん先頭は、クーちゃん。
まず最初に、道路の反対側にある「クール工房」へ。クーちゃんのお母さんとお兄さんがいます。
建物に近づくと、ヤギさんがお出迎え。そのむこうに、いましたいました。りっばな琉球犬が2匹。ほえてほえてほえて。けっこうこわがりなんかなあ。
ちょっとはなれた所には、クーの兄さんマルちゃんが。こっちは、よろこんでよろこんで。
「クール工房」を後にしばらく歩くと、少しはなれた建物の前に犬がたくさん。クーのお父さんらしき犬にも会いたかったが、その犬は牧場の中で飼われているらしく、勝手には入れないとのこと。
残念!
その後、近所で田んぼを作っておられる所を見せてもらったり、マングローブの赤ちゃん(?)を見せてもらったり、植物の名前もいろいろ教えてもらったが、なんせこっちの知識が乏しくて。
こっちの反応がいまいちだったせいか、よんなぁよんなぁさんの説明の間があくことが多かった。でも私は、この「間」が非常にここちよかった。クーちゃんのあいそのない「間」も、たいへんよろしい。
協会に戻り、クーちゃんにおみやげの「カミカミ」をやったりして遊んでいると、乗る予定のバスが通り過ぎて行ってしまった。予定より5分も早いがな。
「送りますよ。」とよんなぁよんなぁさんが言ってくださったので、お言葉に甘えることにした。
年代物のワンボックスに乗せてもらうと、「ぎゅーんぎゅーん」となにやら変な音が。でも走っているうちに、その音はなくなった。かえって、不安。
今日の宿、上原の「カンピラ荘」には、すぐ着いた。本当は、鳩間島のマイトウゼさんに泊まる予定だったが、強風のため船が欠航。急きょ、こちらに泊まることになった。
クーちゃんが案内する(?)ご近所ブラブラエコツアーは、本当によかった。ぜひ、また来たい。今度は、ちょっと遠出のアドベンチャーエコツアーに挑戦したい。もちろん、クーちゃん付きで。
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船浮小中学校学習発表会-やっと八重山3の1-(2月10日分) [沖縄・学校]
西表アイランドホテルの車で、白浜港まで送ってもらった。白浜港には、新しいきれいな桟橋ができていた。
一番の船に乗ろうとした時、先生らしい方が何人か乗ってこられた。たぶん、白浜小中学校の先生方だろう。
そのほかは数名。運動会の時と比べるとさびしい。
船浮に着き、まず、港の前の「ふねっちゃーぬ家」に行った。お昼ごはんの予約をしておいたので、大きな荷物を預かってもらおうと思っていた。
しかし、店はまだ開いていない。どうしようかと困っていたところ、いっしょの船から降りた女性が声をかけてくださった。彼女はこの店の従業員さんのようで、お昼を予約している者だと言うと、「店が開くまでお預かりします。」と言ってくださった。
その方は、ゼッターランド・ヨーコさんのような超美人。お写真を撮らせてもらえばよかった。悔やまれる。あとでヨメさんと、「いったいあの人は、どういう人なんやろ。船浮に咲く花?」とか言っていた。
学校に着き、職員室におられた方にごあいさつし、体育館にむかった。
受付に、また超美人。たぶん、あの人が事務の宮城さん。
「宮城さんですよね。なんべんも電話させてもらって、すみません。プログラムまで送ってもらって・・・」「いいえ、どういたしまして。」
2006年10月、船浮小中の運動会の時のこと。真樹とちょっと体育館を見てみようかということで見に行ったかえり、職員室あたりに待機している人とすれちがった。次の「エイサー」の出番を待っている女子教職員の方々だった。その横を通る時、本当に胸がドキドキした。あまりに、みなさんおきれいで。きっとあの中に宮城さんもおられたにちがいない。
大きな体育館の前のほうに、折りたたみイスがなられべられていた。その数もあまり多くなく、運動会の盛況さを知っているだけに、やはりさびしい。
後ろの部分には、作品の展示。児童生徒だけでなく、教職員、地域の人々の作品もたくさんあった。
作品を見ていると、声をかけてくださった女性がおられた。「前に来られてましたよねえ。」
すごい。1年前に一度お会いしただけなのに。
「はい、去年の3月、息子と来てました。かえりの船でいっしょになった大嶺さんですよね。」
こっちの記憶力も、けっこうすごい。
大嶺さんは、大阪出身で、家は公民館のうら、息子さんが本島の高校に行っておられるということを聞いた。(1年前の船の中での話。)
学習発表会のテーマ 「一心同体 一人ひとりの大舞台」〜無限の力でみんなが主役〜
いよいよ始まった。
最初のあいさつ。6年の石垣君と5年の迎里君。迎里君は、去年の4月に来た新入り(?)なのに、いやに堂々としている。後でわかったことだが、中1の具志堅君のいとこだそうだ。
次は、三線。地域の方も入っておられ、すごく感じがよかった。若い男性もおられた。
その次は、合唱。児童生徒3名なのでどうかなと思ったが、3人ともよく声が出ていた。教職員の方々とも調和しており、不自然な感じはしなかった。
次は、小学生2人のビデオニュース。がんばって作ったことはよくわかるのだが、最終処理がやや弱い。映像があまりよくなく、声も聞き取りにくいところがあった。
ここは、先生の出番でしょう。先生、しっかり!
ここで、いったん休憩。この間に作品として出しておられたドーナツやゼりー、サーターアンダギーなどをいただいた。どれもおいしく、量もたくさんあった。
そしてその次、合奏。さすがに3人では静か。でも3人が力を合わせている感じがとてもいい。校長先生が、一生懸命鉄琴をたたいておられた姿も印象に残った。
次に、校長先生のごあいさつ。
いつも思うのだが、沖縄の校長先生は自分の言葉で話される。京都の校長先生のように、だれかの作文を読んでいるようなあいさつは聞いたことがない。
崎濱校長先生もそうだった。特に、3人の子の特徴を話してくださったところは、我々旅行者にもよく理解できたし、保護者の方々にとってもうれしいことだと思う。わずか3人ではあるが、本当によく見ていただいていると思った。(お世辞ではありません。)
また、必ず、見に来ていただいた方へのお礼を具体的に言われる。私たちのことも、「京都から来ていただいた藤井さんご夫妻」と紹介していただいた。
校長先生の話の後、本日のメイン、オペレッタ「走れメロス」が始まった。小5・小6・中1の男子3人が、いったいどんなものを見せてくれるんだろう、とかまえて見ていたが、想像をはるかに越えたすばらしいものだった。
まず、3人がはずかしがらず、お腹の底からしっかり声を出して歌っている。中でも小6の石垣君には、びっくり。変幻自在とは、このことか。
もちろん先生方も出演されていたが、目立たないように目立たないようにと工夫されているのがよかった。
かなり長い出し物だったが、退屈することがなかった。個人的には、夢を見ているような感じすらした。よかった。
おわりのあいさつは、中1の具志堅君。
かなりあっさりしていた。無理もない。まだ中1やもん。まだ2回もあるし。来年は、石垣君の弟が入ってくるけど、もっともっと増えてほしいね。(女の子が来たらいいのにね。)
ああ、来年も見に来たいなあ。
お昼までまだ少し時間があったので、イダの浜へ行くことにした。おととしの10月は、ここで真樹と泳いだんや。ここに夫婦二人で来るとはね。
さっき「はまごう」さんにいた黒ラプが、浜で遊んでいる。「ナナ」と呼ばれていた。いっしょにいる男の人は、学習発表会で三線を弾いていた若い男性。「はまごう」の井上さんとこの人?
「ふねっちゃーぬ家」に戻り、お昼ごはん。
食べたのは、「昔ごはん船浮三昧」1500円。おいしかった。
それにしても、あのゼッターランド・ヨーコさんが気になる。また、来たくなってしまう。
帰りの船に乗り込むと、崎濱校長先生も乗ってこられた。
「どうも、ありがとうございました。インターネットで見て、来ていただいたとか。」
「はい、そうなんですけど。おととしの運動会に参加させていただいて、それからのご縁で・・・」
校長先生は、私と年が変わらないくらい若々しい。
3人の男の子としっかり遊んでくださいね。お金がたまったら、必ず、また来ますから。
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2008年03月28日(金)
新学習指導要領「愛国心強調し修正」 [平和]
ガソリン税改正のニュース、刃物殺傷事件、ホーム突き落とし事件のニュース、などが連日大きく取り上げられている。そんな中、今日、日本の将来を左右しそうな大きなニュースがあった。毎日新聞では小さな扱いだったが、京都新聞では比較的ていねいに取り上げられていた。
☆3月28日、京都新聞朝刊1面より
「愛国心強調し修正」 国と郷土を愛し/君が代歌えるよう指導 -手続き不透明 批判も-
渡海紀三朗文部科学相は28日付で、新しい小中学校の学習指導要領を告示した。2月15日公表の改定案の「総則」に道徳教育の目標として「我が国と郷土を愛し」との文言を加え、小学校音楽で君が代を「歌えるよう指導する」と特記するなど愛国心教育をより強調する修正を加えた。
文科省は「パブリックコメント(意見公募)のほか改正教育基本法の趣旨や国会審議、与党とのやりとりを踏まえた修正。特に重要な修正部分はない」と説明。しかし、長期にわたる中教審の公開審議を踏まえた改定案公表の後になって、国民の間で賛否が分かれる愛国心教育に関する修正を多く加えた不透明な手続きは批判を呼びそうだ。
(略)
小学校音楽での君が代の取り扱いも、改定案は現行指導要領を踏襲し「いずれの学年においても指導」としていたが、新指導要領は「いずれの学年においても歌えるよう指導」と修正した。事実上、子どもたちに「歌わせる」ことに力点を置いた。
文科省は「現行指導要領の解説書の記述に合わせた。実質的な変更はなく、強制の意図もない」としているが、法的拘束力を持つとされる指導要領の本文に記載されたことで、学校現場への影響は大きいとみられる。
(略)
※関連記事(6面)
「土壇場 政治の圧力」
改定案公表からわずか一ヶ月余り。君が代を「歌えるよう」にと具体的に規定するなど、論議を呼びそうな修正が土壇場で次々に加えられたが、文科省は「ほとんどが細かい字句上の修正。あとは改正教育基本法の趣旨をより明確にしただけ」とあくまでも“微調整”であることを強調した。
だが、関係者によると、一部の自民党国会議員らが文科省に対し、主に道徳教育についての改定案の書き換えを強く要求、見送った教科化も事実上盛り込むことまで求めてきたという。
(略)
今回の告示について国際基督教大の藤田典教教授(教育社会学)は、「愛国心重視の文言を最後の修正で加える手法はけしからん」と強く非難した。「改正教育基本法は強行採決で成立した。パブコメも国民投票とは違い民意を代表していない。こんな形で国が心を支配する方向に踏み出すのは間違っている」
◎1986年の2月。突然、日の丸・君が代が降って来た。じょうだんではなく、本当にそんな感覚だった。
当時、私は北区の上賀茂小学校の6年担任だった。
その2年前にも同じ学校で6年を担任し、40名以上の子を卒業させていた。
「さあ、また卒業式や。しっかりせんとな。こんな仲のよかったクラスやから、きっといっぱいの子が泣くんやろな。」そう思っていた。
京都は革新府政、革新市政が長く続いていたせいもあるのか、卒業式・入学式での日の丸・君が代実施率が全国最低ランクだった。だからといって、決してつまらない式を行っていたわけではない。各校で工夫をこらしたすばらしい式が、京都の自慢でもあった。
しかし、わずか一か月ほどの間に、それらはすべて解体された。どこの学校も、おごそかな(?)金太郎飴みたいなワンパターンの式になってしまった。
それよりも当時私が一番恐怖を感じたのが、校長先生の豹変ぶりである。
「教え子を再び戦場に送らない」を旗印に、全国に誇れる京都の平和教育を何十年とになってこられた校長先生が、みんな同じ言葉をしゃべりだしたのである。私たちの疑問に対する応対まで、京都市立小中200人近い校長先生がみな同じになってしまった。(なにかにとりつかれている。)
洗脳? ロボット化?
学校とは、失敗してもみんなが補い合い、ともに成長していける職場だと思っていた。私の数少ない職場体験のなかでも、それは感じられた。自分自身も、子どもに対してもいつもそういう姿勢でいようとこころがけていた。
しかし、日の丸・君が代の強制が導入されて以来、職場のふんいきも(悪い方に)変わってしまった。なかでも、校長先生を信頼できなくなってしまったことは大きな変化だった。
そしていつの間にか、職員会議は、楽しい学校を作っていくための話し合いの場ではなく、上意下達の場に変貌してしまった。
その時、校長先生方に何があったのか、いまだ明らかにされていない。(きっと、人に言えないような恐ろしいことがあったに違いない。墓場まで持っていかれるのかな。)
しかし、その年の卒業式から、ほとんどの小中学校で日の丸・君が代入りのワンパターンの式が定着した。
私はそれまで5・6・5・6年と担任を持っていたが、翌年は3年担任を希望した。
そして、その2年後、異動。また、5年の担任。次の年は、当然6年に。
どうなるのかと思っていたが、「ざわわ」のうたが大好きな校長先生に助けていただき、自分なりに納得のいく卒業式ができた。
その翌年も2年連続で、卒業生の担任。この時の卒業式もよかった。このあたりが自分の限界かなと悟り、そこで教師を辞める決心をした。
8月に生まれる初めてのわが子のために、中途半端な生き方はやめよう。この決心で、ちょっとは胸が張れるかな。そう思った。
17年も前の話ですが、こんなふうに悩みに悩み結局辞めてしまった小学校の先生もいたのです。どう、思われます?
☆2日前には、こんな悲しいニュースが・・・(3月26日、京都新聞夕刊10面より)
「卒業式でミス『死んでおわび』 小6、飛び降り死亡」
東京都板橋区の区立小六年の男児(12)が25日、卒業式を終えて帰宅した後、自宅マンションから飛び降りて死亡していたことが26日分かった。自宅に「死んでおわびします」という趣旨の走り書きがあり、警視庁志村署は自殺とみて詳しい動機などを調べている。
志村署によると、男児は25日午後1時半ごろ、板橋区中台の自宅マンション14階のベランダから飛び降りた。病院に搬送されたが全身を強く打っており、約二時間後に死亡。普段着姿で靴は履いていなかった。自宅居間のテーブルに男児が書いたと見られる走り書きが置いてあった。
男児は25日午前、小学校の卒業式に出席。校長によると、男児は卒業生による呼び掛けで「大好きな学校」とするところを「大嫌いな学校」と発言。校長には式の後、「緊張して間違えた」などと説明していたという。
校長は「明るい児童でいじめなども確認されていない」と話している。
◎この記事だけでは、くわしいことはわからないが・・・。
小学校の卒業式は何のためにあるのか。
自分の小学校時代6年間を振り返り、それまでお世話になったみなさんに感謝し、これから始まる新しい生活に気持ちよくスタートを切る。その区切りをつけるイベントである。決して国家に忠誠を誓う儀式ではない。
記事を読んだかぎりでは、この子が「大好きな学校」と言いたくなかったことは想像できる。
私も先生の作ったいいことづくめの「呼び掛け」は、大嫌いだった。そういうことを言いたい子もいれば、言いたくない子もいるはずだ。見た目だけよくしようという卒業式なんか、いらない。
私の最後の2回の卒業生には、自分を見つめ直して書いた作文を読んでもらった。これは、けっこう好評だった。
「大嫌いな学校」と言った子。私が担任だったら、「よう、思い切って言ったな」とほめてやったのに。「実はな、先生も学校にはむかつくことがいっぱいあったんや。ほんまに、よう、ゆうてくれたな。先生もスカッとしたわ。ありがとう。」
これくらい、言えんか!
どんなことがあろうと、子どもを死なすな!
◎ ブログを書き終わって(夜10時)、初めて今日の夕刊を見た。
<京都新聞> 集団自決「軍深く関与」 「沖縄ノート」訴訟 大江氏記述は妥当 大阪地裁判決 元隊長訴え棄却
<毎日新聞> 集団自決 軍関与を認定 「沖縄ノート」訴訟 「命令」信じるに足る 大阪地裁判決 名誉毀損認めず
久しぶりにいいニュース。
裁判長は、文章読解力のある人でよかった。この問題についても、いつか自分の考えを書いてみたい。(今日は、ちょっと疲れた。)
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2008年03月27日(木)
第15回竹富町やまねこマラソン-やっと八重山2-(2月9日分) [ランニング]
朝起きたら、雨。
「やんでくれへんかなー」と思いながら、急いで身支度。ちょうど都合のいい朝2番の飛行機が満席だったので、朝1番の石垣行き。那覇空港7時15分発です。
ホテルのフロントで、サンドイッチをもらい、待機していたタクシーに乗りました。
石垣は、那覇より強い雨。
「ヨメさん、走らへんて言わへんかなあ」と心配だったのですが、「透明のカッパ買わな」とか言ってるのでまずだいじょうぶか。
離島桟橋のターミナルで聞くと、やっぱり上原行きは悪天候のため欠航。大原港まで行き、そこからは送迎バスとのこと。
「つめ切り、忘れた。足のつめ切らんと、えらいことになるなあ。」とヨメさん。
「たぶん、売ってあると思う。買いに行ってくるわ。」と私。
雨の中、ひとっ走り、コンビニ・シーサーに。戻って来たら、桟橋前は長蛇の列。
「いやー、どうしょ。船乗れへんかも・・・」
さっきの場所に戻ったが、ヨメさんがおらん。「並んでくれたんかなあ」と思いながら、長い列の前の方をさがすと、おったおった。二人分の荷物(かばん4個)を持って、ちょうど真ん中らへんに。
ああ、なんてしおらしい。ああ、なんて協力的な。仕事がからんでなかったら、お互いを思いやって仲良くできるのにね。こんな場面を見るのは、20年ぶり!?
船は満員で室内は無理だったので、デッキのイスにすわりました。
港を離れて5分ほどすると、船がぐでんぐでんに揺れだしました。デッキの横には一応ビニールが張ってあるのですが、どんどんしぶきが入ってきます。「こら、えらいこっちゃ。前に置いてあるみんなのカバンもびしょぬれになってしまう」と心配になりました。すると、イスにすわらず立っていた男の人が、カバンを全部移動させたり、すきまからしぶきが入らないように詰め物をしたり、一人で動き回ってくださっていました。ヨメさんが、「船の人かな」と感心していましたが、後で私たちと同じランナーであることがわかりました。
ヨメさんは右半身がずぶぬれ状態でしたが、それよりもあの人の働きぶりに心が温かくなっていたようです。
大原港に着くと、そこは暴風雨に近い状態。
送迎バスに乗った時、前にお会いしたことのある顔が。たしか、あの人は鳩間中学校の○○君のお母さん。でもどうして、マラソンの送迎バスに?
マラソン会場の上原小学校でバスを降りると、台風?
雨はさほどでもないが、なにもかも吹き飛ばしてしまうような横風。気温は例年20度くらいと聞いていたが、これはないぞ。「暖かいコースをゆったりと走る」というつもりで来たのに。
とりあえず体育館へと思って行ってみると、超満員。無理やり場所を確保し、きょろきょろしていると、微妙に感じる視線。「あっ、鳩間の小山校長先生、古我知先生、○○君のお母さん。」総勢6、7人の団体(鳩間軍団)が。
「校長先生、お久しぶりです。前の運動会の時にはお世話になりました。京都の藤井です。」
「ああ、藤井さん、よくこられましたね。走るんですね。」
「はい。わたしが23km部で、こっちが10kmです。ひょっとして、先生も走られるんですか。」
「ええ、10kmですけどね。」
好き。こんな校長先生、大好き。
運動会の時のリレーでの大活躍もびっくりしたけど、10kmを軽々と走る校長先生もそうはおられない。「うちのPTAだよりに、子どもより速い校長先生と紹介しておきましたし。」「いやあ、練習してないからね。」
「古我知先生は、どれくらいが目標ですか。」「いや、初めてなんで、全然わからないです。」
ヨメさんは、そんなことにおかまいなしに、せっせと自分の走るウェアを用意していた。ピンクのTシャツ、ピンクのランスカ(ランニングスカート)、ピンクのキャップ、ピンクのアームウォーマー。これがあるから、雨でも走るんやね。
スタートは、23kmの部がさき。
スターターとして、ロッテの成瀬投手が来ていた。
とにかく、風がきつい。寒い。でも、これくらいの雨なら、かえって呼吸がしやすいくらい。かなりの人数がどっとスタートしたが、すぐにばらけていった。「自分の近くにたくさん人がいたら、それだけで楽なんやけど・・・、この展開はちょっとちゅらいな。」
そう思い始めたころ、道路の反対側から、なにやら熱い視線が。「びびびびびっ!」そっちに吸い込まれていった。
「クッ、クーちゃんですよね。」
一緒におられた方が、よんなぁよんなぁさんや。
私はいつもボケーとしているのに、どうして犬を見つけるのはこんなに早いんでしょう。「後でヨメさんも来ますので、よろしくお願いします。」
いきなり、旅行の目標達成や。めちゃくちゃかわいいし、クーちゃん。帰りもいててほしいなあ。(雨の中、たいへんやけど・・・)
10kmコースの折り返しは、浦内川付近。一年前、廉とボート乗った所。まだまだ、雨は降り続く。
23kmコースの10kmすぎに、長い長いトンネル。
初めはうっすら見えていたが、真ん中へんは真っ暗。折り返してくるランナーとぶつからないかと心配になった。
トンネルを出ると、折り返しの白浜。この先、道はありません。(23kmというはんぱな距離は、これが理由です。)
折り返し付近で写真を撮っておられる男性に、私のデジカメを渡し撮ってもらった。どこのどなたかお聞きしませんでしたが、本当にありがとうございました。
後は、帰りのクーちゃんを。
いました。いました。けっこう、おとぼけ系の顔です。
「いっしょに写真撮ってください。」「パチリ」 もう、ゆうことないです。しあわせじゃー。
よんなぁよんなぁさんとしゃべっている間に、だいぶ抜かれてしまったけど、いいや。そんなこと。(女子の1位にも抜かれたが、ゴール手前で抜き返した。)
残り1km地点に、通事健次さんの甥がおられた。
「とおじさーん。」と声をかけたら、「おー」と返事。一回チャーター船に乗せてもらっただけやけど、私がだれかわかったかな。
最後までペースは落ちず、気持ちよくゴール。1時間53分14秒。年代別9位。
ヨメさん(10km)はすでにゴールしていて、1時間13分20秒。年代別35位。二人とも雨と風の中、よう走った。
私は古我知先生に勝ち、ヨメさんは小山校長先生に勝った。
「眞寿美ちゃん、校長先生に勝ったで。」と大きな声で言ったら、校長先生はちょっと悔しそうだった。
古我知先生は3月末に異動で、鳩間を出られるとのこと。沖縄本島に戻られるそうだ。私にとっては、残念。記念にいっしょに写真に入ってもらった。少しは親しくしてもらえそうだったのに。今度は異動先の学校に押しかけるか。(「あほ」っと、ヨメさんの突っ込み。)
夜のパーティも盛りだくさんだったが、こちらの中味のよさは参加しないとわからないということで説明は省略します。
ホテル行きの送迎バスに乗り遅れ、帰るのがかなり遅くなったけど、「なんくるないさー」
その日泊まったのは、祖納の「西表アイランドホテル」です。部屋におふろが付いていて、よかったです。ゆっくり休めました。
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やっとこさ漕ぎ着けた八重山旅行(2月8日分) [沖縄]
今年の年賀状に、2007の10大ニュースを載せました。
家の引越しのこと、子どもたちの入学(高校と中学)のこと、最高8ひきいたネコが1ぴきになってしまったこと、私の嚥下障害のこと、などなどを写真入りでならべました。
しかし、ここには入れなかったのですが、私個人にはもっと重大なニュースがありました。
それは、去年の12月14日、私の誕生日のことです。
この日は、沖縄の「竹富町やまねこマラソン」のエントリーしめきり日。それも、夜の12時までにネット申込みをしなくては間に合いません。
だいぶ前から、「いっしょに行かへん?」とヨメさんをさそっていたのですが、「旅行まで行って、あんたの世話せんなんのん、かなんわ!」と冷たくあしらわれていました。でも今日は誕生日やし、あかんでもともとのつもりでもう一回言ってみました。モジモジ。そしたら、「そんなに行きたいんかいな。それやったら、はよ申込み!」との奇跡のようなありがたいお言葉。
こうしてぎりぎりでマラソンエントリー完了。夫婦二人で行く沖縄・八重山旅行が決定しました。
この事件(!?)が、去年の私の最大のニュースでした。
でも、ここからもいばらの道が続きます。
ことあるごとに、「やっぱり、行くのやめようかなあ。」という悪魔の、いやもとえ、ヨメさんのささやき。
「もう、飛行機取ったし。」と言っても、「キャンセルしたらええやん。」とか。
「どうしてもってゆうことやったら、全部別行動にしてな。」とか。
「あんなー、西表島には、『クー』ちゃんがおんねんでー。あの目にパンチ食らったような顔のワンちゃん。めっちゃかわいいでー。そのワンちゃんが、エコツアーについてきてくれるんやでー。」(天使のささやき?) この言葉に、ヨメさんの心はグラリ。
これで、旅行先の優先順位が決まっていった。
?ブログ「クーの毎日」の主役クーちゃんに会う。
?「竹富町やまねこマラソン」に参加。
?船浮小中学校の学習発表会を見学。
?鳩間・マイトウゼの一希君(中3)に再会。通事さん、中曽根さんとしゃべる。
?石垣・平久保小学校の宮良校長先生に再会。
?あわよくば、古我知先生(鳩間小中)、入波平先生(石垣・大浜中)に再会。
?由布島の水牛車。(真樹がおすすめ)
?私はパラグライダー体験、ヨメさんは豪華エステ。
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欲ばりです。
4泊5日、正味は4日しかないのに、けっこうきついスケジュール。でも想像しただけでよだれが出そうな、超豪華ツアーです。(と思っているのは、私だけ?)
もともとヨメさんは旅行の計画をたてるのは苦手で、私が勝手に作っていく予定をだんだん認めてくれるようになりました。
2月8日(金)、仕事を早めに切り上げ、「はるか」で関空へ。電車は渋滞の心配もなく、落ち着いて空港まで行くことができました。それにしても、「はるか」はすき過ぎ。金曜の夕方だというのに、1両に10人も乗っていませんでした。
出発までのあいた時間に食事をとり、夜7時、関空発那覇行の飛行機に乗りました。
「ああ、これでやっと一安心じゃー。なんぼのうちのヨメさんでも、もう、帰るとは言わんやろ。」(私の心の底からの叫びです。)
ホテルは、「沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ」。
夜遅く着いて翌朝早く出発だったので、もったいない感じがしました。ただ、短時間の滞在でしたが、久しぶりにゆったりとした時間が過ごせたように思います。
(注)クーちゃんの写真2枚は、よんなぁよんなぁさんのブログ「クーの毎日」から取らせていただきました。
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2008年03月26日(水)
「犬猫」 [映画]
2ヶ月ぶりに映画を見た。「犬猫」
今話題の「人のセックスを笑うな」の井口奈己監督のデビュー作である。(8mm版・2001、リメイク劇場版・2004)
というより、私は題に注目した。「いぬねこ」、なんと大胆な。
主役は二人。榎本加奈子と藤田陽子。
仲の悪い幼なじみの日常を描いた映画である。
藤田陽子さんは知らなかった。モデル出身らしい。
榎本加奈子さん。中学生くらいの時、ハウスメーカーのCMに出ていた。めちゃくちゃかわいかった。真樹もあんな感じの子になってくれへんかなあと思ってたら・・・今や略奪婚(?)で、大魔神佐々木の妻。
しかし、けげんそうに人をみる目つきなどは、ちょっと真樹っぽかった。あれくらいなら、いけるかも。
他には、小池栄子、忍成修吾、西島秀俊。あと、ネコのムーとでっかい犬。
パンフレットには、このムー役の黒猫が行方不明になったことが書かれていた。たいへんや。(だいぶたってから戻って来て、撮れてなかったシーンを後からたしたらしい。)
内容とすればどうとゆうことのない映画だが、全体が静かで、それだけでも好感が持てる。
最初眠くなりかけたが、ヨーコ(榎本加奈子)がめがねをはずしコンタクトをはめてから、一気に話がおもしろくなった。
あちこちに、映画ファンのこころをくすぐるシーンがあった。(映画好きではない人なら、見過ごすかも。)
とくにスズ役の藤田陽子さんが、土手を疾走するシーンがきれいだった。もっともっと走ってほしかった。(見ていて、ほれぼれした。)
小池、忍成、西島、みなうまい。
見てお得な映画だった。(しかし、観客は17人! 京都みなみ会館、だいじょうぶかい?)
映画開始が12時前、終わったのが1時半。
外に出た時、陽の光がまぶしかった。白昼から映画を観るのは何か後ろめたい。(でも、この感覚もちょっと好き。)
こういうマイナーな映画も、また観たい。
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2008年03月25日(火)
♪今日はきくちゃんのお誕生日♪ [わんこ・にゃんこ]
2005年3月30日、この日初めてきくちゃんに会った。
前の年の7月、14年飼っていた「えり」が死んでしまった(推定16歳)。7ヶ月はしんぼうしたが、さびしくなって新しいワンちゃんをさがすことにした。
そこで頼ったのが私の教師としての最後の赴任地、北区雲ヶ畑の人たちである。
実は、「えり」も雲ヶ畑をさすらっていたのをひろってきた。雲ヶ畑は、ほとんどの家が犬を飼っておられ、犬が好きな人が多い。
なかでも私の最後の教え子・高山康司君のおじさん、菊司さんの飼い犬はよく子犬を産んでいた。とにかく一回行ってみよう、ということで行ってみたら、なんとどんぴしゃ生まれたての子犬がいた。
奇跡!!
それも、一匹だけ。(選ぶつらさがない。)
高山菊司さんは、お兄さん(康司君の父)といっしょに高山牧場を経営されており、その牧場のわらの上にコロンと生まれたての子犬が寝ころんでいた。生まれた日を聞いてもおぼえておられなかったので、適当に3月25日生まれということにした。
5月4日、高山牧場へ子犬をもらいに行った。この時、まだ名前は決めていなかったが、私は菊司さんから一字もらって「きく」にしようと決めていた。幸いみんな賛成してくれ、「きく」ちゃんのデビューとなった。
きくはその後すぐ、うちの仕事についてこさされ、5月だけでも福井県、鳥取県、小豆島と渡り歩いた(?)
その後も、兵庫、山梨、群馬、長野、広島、島根、・・・などなど、そこら中連れて行った。
小豆島では初めて、夜、車でひとりぼっちで寝た。まだ生まれて3ヶ月。心細かったやろな。
えりちゃんがずっと外飼いだったので、きくもそうしようと思っていたがクンクンなかれ家に入れてしまった。それ以来ずっと眞寿美さんのふとんに入って寝ている。
あれからいろいろありました。いろいろありすぎて、ここには書ききれません。これからまた、ぼちぼちと。
こないだ、きくとうちの家族の関係を分析した。
私以外の3人は自分の調子の悪い時、きくをかまいに行く。それは、きくに癒してもらいたいからだ。
私は、自分の調子のいい時にきくのところに行く。あそびたいから。 「へっへっへっ」と変態おじさんのふりで行く。そしたら、必ず逆襲される。「がうがうがう」
きくちゃん!
悪いこといっぱいしてもええから、長生きしてな。
最低20年以上は生きてくれ。
きくちゃんが生きている限り、おっさんもがんばるからな。
「いっひっひっひっひー」
「がうがうがう」
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2008年03月24日(月)
どしたん? 高橋尚子さん [マラソン評論]
◎今日はブログを休もうと思っていたが、超びっくりニュースが飛び込んできた。(ニュース検索の欄をそのままコピーさせていただきました。)
高橋尚子:来シーズンの東京、大阪、名古屋すべてに出場へ
笑顔で次の目標を明かした高橋尚子=東京都江東区で2008年3月24日、長野宏美撮影 名古屋国際女子マラソン27位で北京五輪の代表を逃した高橋尚子(ファイテン)は24日、東京都内で記者会見を開き、来シーズン、国内3大女子マラソンとなる東京国際(08年11月)、大阪国際(09年1月)、名古屋国際(09年3月)のすべてに出場する意向を明らかにした。
いずれも09年の世界選手権ベルリン大会の代表選考会を兼ねている。同じシーズンに3大会とも走るのは異例のケースとなるが、高橋は「どうしても夢だった。誰もやったことがないのでチャレンジし、応援してくれる人に恩返ししたい」と説明した。
「来年の名古屋が最後(引退)か」という報道陣の質問には「最後になるかもしれないし、まだやりたいと思えばやる」と明言を避けた。
世界選手権については「結果がついてくれば全力で取り組みたい」としながらも「今の時点では3大会に全力を尽くす」と強調した。
高橋は01年9月のベルリンマラソンで当時の世界最高記録で優勝、1週間後のシカゴマラソンにも挑戦する意向だったが、周囲の説得で断念した経緯がある。そのころから3大会連続出場を考えていたという。
「新たな目標を持てて良かった。マイナスからのスタートだが、根元をくさらせないよう大きな花を咲かせたい」と話した。【長野宏美】
毎日新聞 2008年3月24日 19時38分(最終更新 3月24日 19時59分)
◎これは、びっくり!
これは、まったく予想できなかった。
ヨメさんの感想。「市民ランナーの感覚に近づいてきたな。」
息子の廉に、3連勝の可能性を聞くと、「24の3乗分の1」。つまり、24×24×24=13824の1。なかなか理数系らしい、いい予想かも。(100円馬券なら138万円。それより、24位・24位・24位の確率のほうが実現性高いかも。)
さて、私は・・・、
夢の「高橋尚子の記者会見」
Q 「東京、大阪、名古屋を3連続で走ります。」
記者「なぜ、それを決意されたのですか。」
Q 「一般の市民ランナーの方の中には、毎週フルマラソンの大会に出ておられる方もあると聞きます。それがうらやましくて。」
記者「チームQは、今後どうされるんですか。」
Q 「もちろん、解散です。これ以上迷惑かけられませんから。その代わりと言ってはなんですが、今度『ヒールQ』を立ち上げます。」
記者「ヒールQ? いったいそれは・・・」
Q 「今後、『パオパオ』という国籍不明の方にサポートしてもらうことになったのですが、その方の指示です。もう、優等生はやめなさいって。これからは、今までやったことのない悪役をやりなさいって。」
記者「悪役? マラソンの悪役とは?」
Q 「実はまだ私もよく理解してないんですが・・・、彼の話ではとにかく好きなように、はちゃめちゃに走ってみろって。あのー、国際マラソンって、仮装ダメでしたよね。実は、あれもずっと前からやってみたかったんですけど。
楽天野村監督のささやき作戦もやってみたいです。レース中盤で『私は彼氏ができて毎日楽しいんだけど、あなたはどう?』とか、『ケーキ、ケーキ、肉まん、あんまん』とか、耳元でささやかれたらいやでしょうね。ルール違反にはならないと思いますが・・・。」
記者「そのパオパオさんという方が、Qちゃんのうわさされている彼氏でしょうか。」
Q 「とんでもないです。彼には、かわいい奥様がおられますから。」
記者「とりあえず、次の『東京』の目標は?」
Q 「ヒールは、そう簡単には手の内を見せないもんです。・・・若手いびりなんてどうでしょう、イッヒッヒッ。じょうだん、じょうだん。」
記者「引退までにしておきたいことは?」
Q 「いっぱいあるんですけど・・・、やっぱり、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』、あこがれちゃいますね。あっ! もうこれ言っちゃったから、できなーい。」
◎驚かせついでに、これくらいの記者会見やってほしいなあ。
今までいつも楽しそうに走っているように見えたのに、「あきらめなければ夢はかなう」と繰り返し言っている時のQちゃんは何かおかしかった。
一度、高石ともやさんといっしよに走られてはどうでしょう。きっと、何kmでも付き合ってくださいますよ。そして、きっと、こうささやかれると思います。
「高橋尚子さん、人生は長いよ。そんなにがんばらずに、陽気に行きましょう。」って。
(高橋尚子さんの名を借りて、ちょっと遊ばせてもらいました。ファンのみなさん、ごめんなさい。でも、私も高橋尚子さんが大好きです。)
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