パオパオだより

2008年04月02日(水)

カンピラ荘-やっと八重山3の4-(2月10日分) [宿情報]

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カンピラ荘

 鳩間行きの船が欠航のため、上原で泊まることになった。楽しみにしていた「マイトウゼ」(鳩間の定宿)、一希君(マイトウゼに住む中3)、中曽根さん(鳩間の吟遊詩人?)、かなちゃん(琉球犬ハーフ)、浦崎啓子さん(鳩間の柴崎コウ)、みんな夢まぼろしになってしまった。

 「カンピラ荘」さんは初めてだが、旅行の前、西表に行くならここがお勧めと言ってくださった人がいた。その方はうちのお客さんで、若い時にカンピラ荘で働いておられた人だった。その時いっしよに働いていた人が、今もおられるらしい。

 私たちはおふろにゆっくり入りたかったので、おふろ付きの部屋にした。八重山で、シャワーでなくおふろが付いている所はめずらしい。
 ばんごはん、朝ごはんもおいしかった。
 ばんごはんには貝のお吸い物が付いていて、食べると「じゃり」っと音がしたが、味はすごくよかった。
 朝ごはんは、ごはんとパンの両方が出て、いろいろなジャムもあり、ヨメさんはうれしくなっていっばい食べていた。

 ばんごはんの時、となりの女性に話かけられた。
 「今日、船浮におられましたよね。イダの浜へ行く道で、すれちがいました。」
 「はい。船浮小中の学習発表会を見に行ってたんで。」
 「あっ、それ、私らも行きました。もう終わってたんですけど、おやつだけいただきました。」
 「それは残念。子ども3人だけの学校でしたけど、すごくよかったですよ。来年、行かはったら?」

 お二人は、兵庫の奥山ご夫妻。
 話によると、奥様のほうは、30年くらい前から沖縄旅行をしておられるとか。ということは、私たちと同世代?
 船浮には、池田卓さんの家が目当てで行かれたらしい。
 私たちが鳩間に何回も行っていると言うと、うらやましがっておられた。鳩間加奈子さんの家が見たいらしい。
 よくしゃべる奥さんと、時々合いの手のようにちゃちゃをいれるだんなさん。関西には、このパターンの夫婦がかなり多い。(うちも、そうかも。)

 家でお座敷犬を飼っていると言われたので、携帯の写真を見せてもらう時、ちょっとドキドキした。私のにがてな高級犬ならどうしよう。よう、ほめん。
 なんやー、でかい雑種ですやん。「はな」というそのワンちゃんは、白系のおとぼけ系のかわいいワンちゃんだった。よかった、雑種を飼ってる人はみんないい人やから。
 京都の大学に通っておられる息子さんの話、ぼちぼちランニングをされている話、今までの沖縄旅行の話などでだいぶ盛り上がった。

 鳩間には行けなかったけど、そのおかげで奥山ご夫妻に出会えた。
 もしこのブログを見られたら、ぜひコメントを。必ず、「はな」ちゃんの写真も添付してくださいね。

 カンピラ荘さん、どうもお世話になりました。楽しい時間が過ごせました。
 (最近のホームページを見てみると、3月から、ばんごはんがなくなったようです。残念。おいしかったのに。)

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2008年04月01日(火)

ナリケン [私の好きな人]

 今日は、エイプリル・フール。
 この日のブログはみなさん苦労されるのでは。何を書いても嘘っぽくて。
 それなら私は逆手を取って、嘘のような本当の話を書きます。

 ずっと前から、ブログに書きたくてたまらない人がいます。
 その人の名は、「ナリケン」。今、中1、13歳です。(あまりくわしく書くと、個人情報保護法にひっかかりそうで心配です。)

 その彼に、去年12月18日、手紙を書きました。
 「ん? 52のおっさんが、13歳の少年に手紙?」
 (読みたくなりません?)

 

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○○○○君
   いろいろとありがとう。

―私が考えた10年後の話―

私「きょう、タイガースの新人入団発表あったやろ。あの中で、めちゃくちゃ堂々としてたやつおったやろ。見た?」
 「あーあーあー、おったおった。何かでかいやつやろ、体も態度も。」
私「そそそ、あいつなあ、うちの娘の中学校の時の同級生やねん。」
 「そうかー。あんたとこの娘さん、もうそんな大きなってはんの?」
私「そやねん。体はチビやけど、もう23歳やねん。わらうやろ。」
 「ほな、あの○○ちゅうやつ、京都出身か?」
私「京都も京都、家は国際会館駅から歩いて三歩、ゆうとったで。」
 「歩いて三歩?って・・・、どやねん。」
私「そうゆう人くったようなこと言うのん好きなやつやったみたいやで。入団発表の記者会見で、ゆうとったやん。『大リーグのタイガースに入団が決まったと思ってました。へたこいたー。』やて、10年前の小島よしおのギャグやん。」
 「え、だれ、それ?」
私「ままま・・・。
 でもな、あいつ意外とかわいいとこあんねんで。10年前のおれの誕生日にな、プレゼントくれてん。娘の同級生やけど、一回もしゃべったこともないのにやで。
 なんかな、あいつの誕生日に娘がプレゼントあげたんやけど、ちょっとはずかしかったみたいで、『うちのおとうさんからのプレゼントやし』とかゆうたみたい。
 それをちゃんとおぼえてくれてて、おれの誕生日にお返ししてくれたんやな。
 律儀なやっちゃ。
 12月のめっちゃ寒い時やったんやけど、何くれたと思う?
 すずしげな半ソデのポロシャツですわ。さわやかな真夏にはえるライトグリーンのね。
 おれのちっちゃい時、あの色はうぐいす色ゆうてな、唯一のよそ行きのセーターがあの色やってなー。運命やなー。」
 「運命って、何が?」
私「あのころようゆうとってん。○○君はぜったい大物になるでって。顔が大物の顔やもん。てゆうても、娘やヨメはん『意味わからんし』の連発やったなあ。」
 「確かに意味わからんし。まあ、でも、先見の明あったやん。」
私「初めて中学入学後のクラス写真見た時、ガーンとショック受けたんや。えっ、こいつほんまについこないだまで小学生? うそぴょん? 先生より風格あるし。」
 「えっ、中1からあの顔かいな。」
私「そやねん、全然かわってへん。
 一回、中学の野球部の練習見たんやけどな・・・。
 テニスコートくらいの広さの所で四角になって、各コーナーに3人ずつくらいいてキャッチボールしとんねん。場所はせまいわ、順番なかなかまわってこーへんわでかわいそうやったで。
 あのころ、どこの中学も人数へってたのに、岩倉の洛北中はどんどん人数がふえて、クラブ活動もたいへんやったと思うで。
 よう、あっからプロ野球選手が生まれたもんや。」
 「ほんまやねー。岩倉初のプロ野球選手かもね。」

私「そうそう、そのころうちの娘なあ、あいつになんて呼ばれてたと思う。藤井さんとちゃうねん。『ベップ』やで。」
 「ベッ、ベップって?」
私「うちの娘なあ、小学校は花背の別所小学校で、今はもう統合でなくなってしもて最後の卒業生なんや。たった一人のな。
 それで、卒業の後ひっこして、岩倉の洛北中学校に入ったんや。
 京都の小学生はたいてい小4で花背山の家学習ゆうのんで別所に来とんにゃけど、あいつは小4から小6まで西宮におったらしい。そやし別所にはなじみがなくて、自分が知ってる別所に似た地名『別府』から『ベップ』と呼ぶようになったみたい。」
 「めちゃくちゃやん。」
私「そやろー。
 そやけどな、うちの娘、学年1人から250人の学校に入って不安だらけやったと思うねん。そんな中で、何やかやとあの○○君がかまってくれたみたいで・・・。自分が西宮の小学校に転校した時の不安な気持ちを思い出して、真樹に気を使ってくれたんかなあ。とにかく、みんなを楽しませてやろうという気持ちはマンマンやったみたい。
 『今日、○○がなあ・・・』っていう話、よう娘から聞かされたわ。それ聞いて、ちょっとほっとしててん。あー、ちょっとずつみんなの中に入れてんにゃと思えて。
 ○○君には感謝してんねん。ほんまに。」
 「ふーん、そんなことがあったんや。」
私「それにな、そのクラスで学校にこれてへん子がいたんやけど、みんないろいろと働きかけはしてたみたいや。先生からはよう注意されてたみたいやけど、みんなが一人一人のことを考えるええクラスやったみたいやで。真樹は毎日ニコニコしとったしね。」
 「そうか。そういうクラスから逸材が生まれるんやなー。」
私「何とか活躍してほしいな。
 おれな、ちっちゃい時からヤクルトファンやったんやけど、○○君がタイガースで活躍している間は阪神ファンになったるかー。甲子園で、ナリケンコール。ええなー。
 そやけどねあのポロシャツにサインしといてもろたらよかったなあ。新人王でも取ったら、中学生時代のサイン入りポロシャツ、1万円くらいで売れるんちゃうん。」
 「何考えとんねん、このオッサン!」

―チャンチャン! (おしまい)―

 2007.12.18

                         猿山洪水こと 藤井廣司

◎10年後の話は想像だが、10年後に10年前を思い出している所(つまり現在、ややこしやー)は、すべて事実です。
 さらに驚くことに、1月中旬、この手紙の返事が返ってきた。それは、忍者の巻物のような手紙だった。
 これは私の宝物なので、中味は教えられません。題と、中味のごく一部だけ紹介しましょう。

 題は、「いえいえ こちらこそ」
 中味の一部、「・・・けどやね そないふけとりますか? ちょっとショック。けど大丈夫、今はこんな平凡な中学生やけど絶対有名人になったりますがな。・・・」

 もうすぐ新学年のクラス替え。たぶん、うちの娘と「ナリケン」も別々のクラスになるやろね。7分の1の確率やから。
 でも、娘を通して、君と知り合えてよかったよ。これからも人を楽しませ、自分も楽しもう。応援してるよ。

 (今日、このことを書く決心がついたわけ。
  真樹がバスケ部の友だち3人と「ひらパー」に行って、おみやげを買ってきてくれた。それは、○○山の交通安全のお守りだった。それを見てナリケンを思い出し、私が喜ぶと思って・・・。真樹は、本当にいい子です。)

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2008年03月31日(月)

ほめ生かし [振り返って]

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比叡山をバックにすます、きく

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ここらでウンコを・・・


 
 2月15日、「はじめの一歩」からスタートしたブログ「パオパオだより」だが、やっと一ヵ月半たったことになる。(「はじめの一歩」という題は、真樹の担任の瀧川先生が出しておられる学級だよりを知らず知らず真似ていました。いわゆるパクリ?)
 このブログを始めようと思ったのが今年の元旦で、実際に書き出したのが2月15日。そのため、元旦から2月14日までの記事は、後から日付を合わせて放り込んだものだ。うちのヨメさんいわく、「過去の記事が増えていく変ブログ」というのにはこうゆうわけがある。
 「過去の日付に放り込んだら、あんまり見てもらえへんで」というヨメさんのアドバイスに従い、最近は過去の記事も書いたその日に掲載している。(私自身は、どうもしっくりこないのだが・・・)

 ブログを始める時、私なりに気をつけようと思ったことがいくつかある。

 まず第一に、「特定の個人をけなさない。できるだけ人のいい所を見つける。」
 何人かのブログを見せてもらったが、その中に個人攻撃が延々と続くもの、個人ではなく公に対してもどこまで腹立て続けるんやと思われるものがあった。これは、読んでいてつらい。気持ちはわからんでもないが、徹底的にたたくのはかえって逆効果。
 一昔前、「ほめ殺し」という言葉が流行語になったことがあるが、私のモットーは「ほめ生かし」である。私は小さいころから、なぜかすぐ人のいい所を見つけ好きになってしまうくせがある。(単なる「甘えた」なのかも知れん。)しかし、私のほめ言葉で調子よくなってもらえたら、こんなうれしいことはない。「ほめて、生かす」これは、私の基本中の基本。

 第二に、「調子に乗ってウソを書かない。言葉づかいにも注意。」
 おもしろくするために、あることないこと書いているのでは? と思われるブログもあった。これは本人が無意識のうちに書いてしまうこともある。また、言葉づかいが荒いと、それだけで読む気が失せる。 
 「長く生きている人間は、その存在自体がおもしろいはず」と思い、50代は50代らしく、そのあたりは上品に。

 第三に、「同じような内容を繰り返さない」
 これも人のブログを例に出して申し訳ないが、毎日ほとんど同じ内容が延々と続くものがあった。ある意味すごい。でも、私には書けないし、読むのも無理。
 できるだけ、いろんなジャンルのことに首を突っ込みたい。それには、うすっぺらな生き方ではダメ。いくつになっても、なんにでも興味を持つ人間でありたい。
 今のところ、ややかたよりはあるが、まずまずいろいろなことが書けているのではないだろうか。

 第四に、「テーマをしぼって、だらだら書かない」
 これは、完全に失敗している。あることを書いていると、それに関連したことが次々と頭に浮かび上がってくる。
「あんなこともあったなあ、こんなことも・・・」というふうに。私の頭は、そうゆうふうにできているようです。
 一冊の本を、一気に最後まで読んだためしがない。いつも、途中でほかの本に浮気してしまう。最終的にはほとんど最後までいくのだが、読み終えるのに2ヶ月も3ヶ月もかかってしまう。この性格は直らない。

 第五に、「ブログに書く時は、本人の了承を得る」
 これは、けっこうがんばってやっている。
 ただ、この件でちょっと不思議なことがあった。「載せてもいいですか」と聞いた時、「ありがとうございます」というお返事が圧倒的に多かったのだ。
 ヨメさんの話によると、「いやがる人が多い」と言われていただけに意外だった。
 この反応は、最初は、私や京都キャロットへの信頼感から来ているものかと思っていた。でもよく考えると、私が声をかけた人々は年齢層が高く、パソコンに興味のない人が多かった。「どうせ私は見ませんし、気にもしませんので、お好きなように」というのが実態だったかも。
 その証拠に、文句もなく、見ましたという反応もない。これは、ちょっとさびしい。(かく言う私も、2ヶ月前までそのお仲間でした。)

 こんな感じで始めたブログだが、最近はだいたい平均200アクセス。
 記事ごとのアクセス数トップ5は(ごあいさつを除く)、以下のとおり。
 ?第28回篠山ABCマラソン(3/2)
 ?第25回宇治川マラソン(2/24)
 ?紫野高校マラソン大会・4位!(2/19)
 ?京都走ろう会例会・2月第3日曜(2/17)
 ?眞寿美さんの誕生日(3/1)

 私が選んだ名作(?)トップ5は、以下のとおり。
 ?ひめゆり(2/23)
 ?出会い(3/19)
 ?エール! 高石てるえさん(3/18)
 ?高間悦子さん(1/22)
 ?宮良美代子校長先生(1/7)

 今書き続けている「やっと八重山」シリーズは、マラソン大会あり、沖縄の学校あり、わんこあり、人との出会いあり、沖縄観光あり、家族のことあり、宿情報あり、グルメ情報あり、・・・と今までの集大成のような記事になっています。また、ぜひ見てください。

 最近、ヨメさんに怒られています。「ブログに、どんだけ時間使ってんの! 1日30分くらいにし!」
 そうゆうけど、指1本のひらがな入力はな、普通の人の30分ぶんが3時間くらいかかんねん。それにな、指2本いる「っ」とか「を」とか「、」とか「。」は、たいてい失敗して、何回もやり直しとんねん。そやし、そんな怒らんといて。
 「何の役にも立ってへん!」てゆうけど、そんなことないで。きっと、誰かがどこかで見ていてくれる。そう思うけど…。

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長代川にもそろそろ春が

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桜は三分咲き


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2008年03月30日(日)

第15回美杉の里・桜マラソン [ランニング]

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 今日の主役は、冨永明美さんです。

 10kmのゴール後一息つき、ぼちぼち帰ろうかなと思った時、ちょっと気になったことがあった。「伴走の人といっしょに走ってた女の人、まだ帰って来てへんなあ。」
 スタートの9時半から、もう1時間を過ぎている。ゴールには、かなり間隔を置いてパラパラとランナーが入ってくる。1時間を越えてゴールするランナーの中には、フラフラになっている人もいた。「もうちょっとだけ見てよう。」そう思ってゴールの横で待っていた。

 しばらくすると、にぎやかな3人連れが遠くに見えてきた。
 ゴール前200mほどは、とんでもない急な下り坂。スタート前、うちのお客さんと「こけるかも」と話してたような坂だ。
 にぎやかに聞こえたのは、二人の伴走者が、こけないように、ふらつかないようにと的確な指示と励ましの声をかけておられたのだろう。
 「カメラ、カメラ。」パチリ、またパチリ。

 ゴール直後の彼女はシートにすわり、かなりしんどそうだったので、伴走者の方に声をかけた。
 「マラソンのブログを書いてる者ですけど、ゴールの写真撮らせてもらいました。ブログに載せさせてもらってもいいですか。」
 「冨永さん、ゴールの写真載せてもいいですかって。」
 「いいですよ。」
 「お名前も出してよろしいですか。」
 「いいですよ。」
 横から、お友達らしき女性が、「冨永さんのこと、インターネットで世界中に知らせてください。」
 「はい。もちろん。しっかり書きますし。」

 「しんどそうで申しわけないんですけど、せっかくなんで何か一言・・・」
 「今日は朝ごはん食べた後、お腹こわしちゃって。どうかなあって心配だったんだけど、走り切りました。半ズボンにしたのがよかったのかな。」

 たしかに、朝早いスタートの場合、朝ごはんに苦労する。
 今日の私は、コンビニおにぎり一個。私のような適当な人間なら、これで十分だ。しかし、生活にいろいろとハンデがある方なら、どうだろう。たぶん、会場まで送ってもらう方の都合も考えないといけないし、自分の思い通りとはなかなかいかないのでは。
 でも、ゴール後の会話を聞いていると、折り返した後の後半のほうが速かったらしい。慎重にスタートした時のほうが、意外といいタイムが出たりする。

 それに、なんといっても2人の伴走者。これは、心強い。 目をつぶって、急な下り坂を走って降りる。これは想像もつかない。2人の伴走者は、この時、どんな言葉をかけたのだろう。
 遠くから見ていると、この3人がとても楽しそうに走っているように見えた。(信頼関係がしっかりできているんですよね。)

 伴走者の方から、名刺をいただいた。名張の佐伯さん。もうお一人の伴走者は、名張の松村さん。(お二人とも、京都キャロットのことはご存知のようでした。)
 佐伯さんの話によると、冨永さんは、3月2日の視覚障害者京都マラソンにも来られていたそうだ。(たぶん、佐伯さんも。) 9月の京都てんとう虫マラソンにも、毎年出ておられているらしい。
 うちの店は、今はどちらの大会にもお手伝いできていないが、何かできることはないでしょうか。
 
 時間がたっても、ほとんどの人がゴール付近にすわっていた。
 今思うと、あれは3人を待っていたのでは・・・。
 いい場面を見せていただきました。冨永さん、最後まで気持ちよく走り切れてよかったですね。2人の伴走者さん、ご苦労様でした。また、どこかでお会いしましょう。

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君ヶ野ダムの奥が会場

 さて、話は私ごとに・・・。
 この大会に出てみようと思った理由。
 ?第5日曜は、ひま。
 ?走友会が主催している大会を取材したい。
 ?新名神が亀山まで開通。早く行けるのでは。
 ?参加者合計が100人ちょっと。入賞の可能性が・・・?
 ?走ったことのないコースを走ってみたい。
 こんなところです。 

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スタートを後ろから撮ると・・・

 朝6時20分に家を出、45分に廉を京都駅で降ろす。(大阪南港まで、カードゲームをしに行った。) 7時、京都南IC、草津田上から新名神。金勝山(こんぜやま3770m)、甲南(2530m)、鈴鹿(3960m)の長い3つのトンネルを抜けるとあっという間に亀山JCT。久居ICを出たのは8時前。そこから会場までが、思っていたより遠かった。

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いよいよ、10kmのスタート

 駐車係の役員さんの指示で車をとめ、受付へ。プログラムで、10km50歳以上を見ると、16名。これは、3位入賞いけるかも。

 9時開会式。申し込み合計120人の割りに、開会式参加者が多い。走友会主催ならではのいいふんいきの開会式。 

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足が重かった

 9時半、10kmの部スタート。
 いきなりすごい上り坂。たたらぎダム湖マラソン(兵庫)に似ている。翠明湖マラソン(兵庫)にも似ている。(と言うか、ダムはみんな似ているのか。)
 やはり先週の42km+8kmが効いている。足が重い。
 折り返しで部門別順位を数えたら、4位! あーあ。
 そのままゴールまで、前も抜けず、後ろにも抜かれず。ゴールタイムは、43分23秒。このタイムで入賞は、ちょっと甘かった。 

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ダムから見る景色

 でも、暑くもならず、気持ちよく走れた。
 役員さんも、少ない人数なのに、しっかり運営されていた。
 クラブが主催する大会は、多少不便な所でも、このコースのように交通規制の必要のない所がいい。
 冨永さんたちとも少ししゃべれたし、私にとっては十分満足な大会でした。

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動きが止まらん!

 帰りの亀山PAで、いいものをみせてもらった。
 「路上パフォーマンス大会(?)」
 中学生、高校生らしき子(女の子が多い)が、全身を使って踊りまくっていた。どうしたらあんなに体が動くんやろ。
 今の世の中、ひきこもりの子もおれば、こんな子もいるんやな。
 勉強になりました。

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見る時はしっかり見る

 京都に戻って気づいたこと。
 蹴上の桜を見てみると、ほぼ満開のものもあれば、七分、五分、三分もあり。そしてさらによく見てみると、まだつぼみの木もあった。
 これには、びっくり。同じ場所で育った桜は、同じ時期に開花すると思い込んでいた。でも、それが自然なのかも。
 

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元気、元気、元気!!!

 人間も同じですね。型にはめたら、育てるのは楽かもしれないが、後で必ずひずみが出てくる。ばらばらに咲く花の、それぞれの美しさを認めてほしい。

 本降りになった雨にうたれる桜の花を見ながら、そんなことを考えました。

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2008年03月29日(土)

工房ながや-やっと八重山3の3-(2月10日分) [ショップ]

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工房ながや

 カンピラ荘に着き、ばんごはんまで少し時間があった。喫茶店でコーヒーでもと思ったが、近くに適当な所が見つからなかった。

 そこで思い出したのが、「工房ながや」さんだ。手作りアクセサリーが作れる店だ。カンピラ荘のすぐむかいに見えていた。
 去年の3月、廉と西表島に来た時、少し時間があき寄ってみた。すると、ちょうどお留守で張り紙がしてあった。携帯電話に電話してください、と。電話をすると、しばらくして軽自動車におばあを乗せた男の人が現れた。「ちょっと人を送ってくるので、待っていてください。」これが、沖縄らしくてよかった。
 一時間ほどでできる物とお願いしたら、携帯ストラップを勧められた。私も廉もこういうセンスはあまりないほうだが、けっこう楽しく作らせてもらった。

 今日は、ちゃんと店におられた。また、携帯ストラップを作ることにした。
 いろいろと説明を聞いているとき、壁にはってある写真が目に留まった。
 「これって、昨日のやまねこマラソンですよね。出やはったんですか。」
 「ええ、10kmですけどね。」
 「どれくらいのタイムで。」
 「1時間は切りました。」
 「速いですやん。練習とかしてはるんですか。」
 「ええ、健康のために走っている程度です。」
 「シューズは、どうしておられるんですか。」
 「ここは売っているところがないですから、困っています。スニーカーぽいシューズで走っています。」

 なんとかしてあげたいなあ。こんなところで、マラソンの話ができるなんて。
 1年前お世話になった時も、押し付けがましくなく、すごく感じがよかった。今日も、そうだし。
 走るのが好きな人とは、知らなんだ。
 ヨメさんも苦手な美術センスをしぼり出し、根気よく最後まで仕上げました。いつもこんなことをさせたらイラーときて、投げ出してしまうのに、珍しい!

 ご本人は関東出身で沖縄の人ではないが、もうこちらに来てかなりになるらしい。よんなぁよんなぁさんもそうだが、沖縄に長く住めば沖縄の人らしくなっていくのかな。
 西表島に来られたら、ぜひ寄ってみてください。ゆったりとした時間が流れているいいお店です。上原港から歩いてすぐです。

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上がヨメさん、下が私の作品

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クーの半日-やっと八重山3の2-(2月10日分) [わんこ・にゃんこ]

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西表島エコツーリズム協会前で

 白浜からバスに乗り、「西表島エコツーリズム協会」へ。
 そこには、クーちゃんとよんなぁよんなぁさんが待っている。バスの中からよんなぁよんなぁさんに電話したのだが、バスの騒音がうるさくよく聞き取れなかった。とりあえず、バスの運転手さんに、「エコツーリズム協会で降りる」といえばいいと教えてもらった。

 バスを降りると、そこは昨日クーちゃんが応援してくれていた所。「ああ、ここがエコツーリズム協会やったんや。」
 建物の中に入り、よんなぁよんなぁさんとクーちゃんの到着を待った。 

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クーとマルちゃん(クーのお兄さん)

 しばらくして、二人(?)が到着。「この近所を歩きましょうか」ということで、ご近所ブラブラエコツアーがスタートした。もちろん先頭は、クーちゃん。

 まず最初に、道路の反対側にある「クール工房」へ。クーちゃんのお母さんとお兄さんがいます。
 建物に近づくと、ヤギさんがお出迎え。そのむこうに、いましたいました。りっばな琉球犬が2匹。ほえてほえてほえて。けっこうこわがりなんかなあ。 

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また、マルちゃん

 ちょっとはなれた所には、クーの兄さんマルちゃんが。こっちは、よろこんでよろこんで。
 「クール工房」を後にしばらく歩くと、少しはなれた建物の前に犬がたくさん。クーのお父さんらしき犬にも会いたかったが、その犬は牧場の中で飼われているらしく、勝手には入れないとのこと。
 残念! 

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クーのお母さん?

 その後、近所で田んぼを作っておられる所を見せてもらったり、マングローブの赤ちゃん(?)を見せてもらったり、植物の名前もいろいろ教えてもらったが、なんせこっちの知識が乏しくて。
 こっちの反応がいまいちだったせいか、よんなぁよんなぁさんの説明の間があくことが多かった。でも私は、この「間」が非常にここちよかった。クーちゃんのあいそのない「間」も、たいへんよろしい。 

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クーちゃん、また会おうね

 協会に戻り、クーちゃんにおみやげの「カミカミ」をやったりして遊んでいると、乗る予定のバスが通り過ぎて行ってしまった。予定より5分も早いがな。
 「送りますよ。」とよんなぁよんなぁさんが言ってくださったので、お言葉に甘えることにした。
 年代物のワンボックスに乗せてもらうと、「ぎゅーんぎゅーん」となにやら変な音が。でも走っているうちに、その音はなくなった。かえって、不安。

 今日の宿、上原の「カンピラ荘」には、すぐ着いた。本当は、鳩間島のマイトウゼさんに泊まる予定だったが、強風のため船が欠航。急きょ、こちらに泊まることになった。

 クーちゃんが案内する(?)ご近所ブラブラエコツアーは、本当によかった。ぜひ、また来たい。今度は、ちょっと遠出のアドベンチャーエコツアーに挑戦したい。もちろん、クーちゃん付きで。

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船浮小中学校学習発表会-やっと八重山3の1-(2月10日分) [沖縄・学校]

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西表アイランドホテル

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船浮、海軍壕に続くトンネル


  西表アイランドホテルの車で、白浜港まで送ってもらった。白浜港には、新しいきれいな桟橋ができていた。
 一番の船に乗ろうとした時、先生らしい方が何人か乗ってこられた。たぶん、白浜小中学校の先生方だろう。
 そのほかは数名。運動会の時と比べるとさびしい。

 船浮に着き、まず、港の前の「ふねっちゃーぬ家」に行った。お昼ごはんの予約をしておいたので、大きな荷物を預かってもらおうと思っていた。
 しかし、店はまだ開いていない。どうしようかと困っていたところ、いっしょの船から降りた女性が声をかけてくださった。彼女はこの店の従業員さんのようで、お昼を予約している者だと言うと、「店が開くまでお預かりします。」と言ってくださった。
 その方は、ゼッターランド・ヨーコさんのような超美人。お写真を撮らせてもらえばよかった。悔やまれる。あとでヨメさんと、「いったいあの人は、どういう人なんやろ。船浮に咲く花?」とか言っていた。

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校門前で

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 学校に着き、職員室におられた方にごあいさつし、体育館にむかった。
 受付に、また超美人。たぶん、あの人が事務の宮城さん。
 「宮城さんですよね。なんべんも電話させてもらって、すみません。プログラムまで送ってもらって・・・」「いいえ、どういたしまして。」 

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 2006年10月、船浮小中の運動会の時のこと。真樹とちょっと体育館を見てみようかということで見に行ったかえり、職員室あたりに待機している人とすれちがった。次の「エイサー」の出番を待っている女子教職員の方々だった。その横を通る時、本当に胸がドキドキした。あまりに、みなさんおきれいで。きっとあの中に宮城さんもおられたにちがいない。  
 

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 大きな体育館の前のほうに、折りたたみイスがなられべられていた。その数もあまり多くなく、運動会の盛況さを知っているだけに、やはりさびしい。
 後ろの部分には、作品の展示。児童生徒だけでなく、教職員、地域の人々の作品もたくさんあった。
 作品を見ていると、声をかけてくださった女性がおられた。「前に来られてましたよねえ。」
 すごい。1年前に一度お会いしただけなのに。 

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 「はい、去年の3月、息子と来てました。かえりの船でいっしょになった大嶺さんですよね。」
 こっちの記憶力も、けっこうすごい。
 大嶺さんは、大阪出身で、家は公民館のうら、息子さんが本島の高校に行っておられるということを聞いた。(1年前の船の中での話。) 

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 学習発表会のテーマ 「一心同体 一人ひとりの大舞台」〜無限の力でみんなが主役〜

 いよいよ始まった。
 最初のあいさつ。6年の石垣君と5年の迎里君。迎里君は、去年の4月に来た新入り(?)なのに、いやに堂々としている。後でわかったことだが、中1の具志堅君のいとこだそうだ。 

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いっぱいいただきました

 次は、三線。地域の方も入っておられ、すごく感じがよかった。若い男性もおられた。
 その次は、合唱。児童生徒3名なのでどうかなと思ったが、3人ともよく声が出ていた。教職員の方々とも調和しており、不自然な感じはしなかった。
 次は、小学生2人のビデオニュース。がんばって作ったことはよくわかるのだが、最終処理がやや弱い。映像があまりよくなく、声も聞き取りにくいところがあった。
 ここは、先生の出番でしょう。先生、しっかり!

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 ここで、いったん休憩。この間に作品として出しておられたドーナツやゼりー、サーターアンダギーなどをいただいた。どれもおいしく、量もたくさんあった。
 そしてその次、合奏。さすがに3人では静か。でも3人が力を合わせている感じがとてもいい。校長先生が、一生懸命鉄琴をたたいておられた姿も印象に残った。

 次に、校長先生のごあいさつ。  

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 いつも思うのだが、沖縄の校長先生は自分の言葉で話される。京都の校長先生のように、だれかの作文を読んでいるようなあいさつは聞いたことがない。
 崎濱校長先生もそうだった。特に、3人の子の特徴を話してくださったところは、我々旅行者にもよく理解できたし、保護者の方々にとってもうれしいことだと思う。わずか3人ではあるが、本当によく見ていただいていると思った。(お世辞ではありません。)

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 また、必ず、見に来ていただいた方へのお礼を具体的に言われる。私たちのことも、「京都から来ていただいた藤井さんご夫妻」と紹介していただいた。

 校長先生の話の後、本日のメイン、オペレッタ「走れメロス」が始まった。小5・小6・中1の男子3人が、いったいどんなものを見せてくれるんだろう、とかまえて見ていたが、想像をはるかに越えたすばらしいものだった。 

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 まず、3人がはずかしがらず、お腹の底からしっかり声を出して歌っている。中でも小6の石垣君には、びっくり。変幻自在とは、このことか。
 もちろん先生方も出演されていたが、目立たないように目立たないようにと工夫されているのがよかった。
 かなり長い出し物だったが、退屈することがなかった。個人的には、夢を見ているような感じすらした。よかった。 

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左から二人目が宮城さん

 おわりのあいさつは、中1の具志堅君。
 かなりあっさりしていた。無理もない。まだ中1やもん。まだ2回もあるし。来年は、石垣君の弟が入ってくるけど、もっともっと増えてほしいね。(女の子が来たらいいのにね。)

 ああ、来年も見に来たいなあ。 

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 お昼までまだ少し時間があったので、イダの浜へ行くことにした。おととしの10月は、ここで真樹と泳いだんや。ここに夫婦二人で来るとはね。
 さっき「はまごう」さんにいた黒ラプが、浜で遊んでいる。「ナナ」と呼ばれていた。いっしょにいる男の人は、学習発表会で三線を弾いていた若い男性。「はまごう」の井上さんとこの人? 

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 「ふねっちゃーぬ家」に戻り、お昼ごはん。
 食べたのは、「昔ごはん船浮三昧」1500円。おいしかった。
 それにしても、あのゼッターランド・ヨーコさんが気になる。また、来たくなってしまう。

 帰りの船に乗り込むと、崎濱校長先生も乗ってこられた。 

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 「どうも、ありがとうございました。インターネットで見て、来ていただいたとか。」
 「はい、そうなんですけど。おととしの運動会に参加させていただいて、それからのご縁で・・・」
 校長先生は、私と年が変わらないくらい若々しい。
 
 3人の男の子としっかり遊んでくださいね。お金がたまったら、必ず、また来ますから。

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2008年03月28日(金)

新学習指導要領「愛国心強調し修正」 [平和]

 ガソリン税改正のニュース、刃物殺傷事件、ホーム突き落とし事件のニュース、などが連日大きく取り上げられている。そんな中、今日、日本の将来を左右しそうな大きなニュースがあった。毎日新聞では小さな扱いだったが、京都新聞では比較的ていねいに取り上げられていた。

☆3月28日、京都新聞朝刊1面より
 
「愛国心強調し修正」 国と郷土を愛し/君が代歌えるよう指導 -手続き不透明 批判も-

 渡海紀三朗文部科学相は28日付で、新しい小中学校の学習指導要領を告示した。2月15日公表の改定案の「総則」に道徳教育の目標として「我が国と郷土を愛し」との文言を加え、小学校音楽で君が代を「歌えるよう指導する」と特記するなど愛国心教育をより強調する修正を加えた。

 文科省は「パブリックコメント(意見公募)のほか改正教育基本法の趣旨や国会審議、与党とのやりとりを踏まえた修正。特に重要な修正部分はない」と説明。しかし、長期にわたる中教審の公開審議を踏まえた改定案公表の後になって、国民の間で賛否が分かれる愛国心教育に関する修正を多く加えた不透明な手続きは批判を呼びそうだ。
 (略)
 小学校音楽での君が代の取り扱いも、改定案は現行指導要領を踏襲し「いずれの学年においても指導」としていたが、新指導要領は「いずれの学年においても歌えるよう指導」と修正した。事実上、子どもたちに「歌わせる」ことに力点を置いた。
 文科省は「現行指導要領の解説書の記述に合わせた。実質的な変更はなく、強制の意図もない」としているが、法的拘束力を持つとされる指導要領の本文に記載されたことで、学校現場への影響は大きいとみられる。
 (略)

※関連記事(6面)

 「土壇場 政治の圧力」

 改定案公表からわずか一ヶ月余り。君が代を「歌えるよう」にと具体的に規定するなど、論議を呼びそうな修正が土壇場で次々に加えられたが、文科省は「ほとんどが細かい字句上の修正。あとは改正教育基本法の趣旨をより明確にしただけ」とあくまでも“微調整”であることを強調した。
 だが、関係者によると、一部の自民党国会議員らが文科省に対し、主に道徳教育についての改定案の書き換えを強く要求、見送った教科化も事実上盛り込むことまで求めてきたという。
 (略)
 今回の告示について国際基督教大の藤田典教教授(教育社会学)は、「愛国心重視の文言を最後の修正で加える手法はけしからん」と強く非難した。「改正教育基本法は強行採決で成立した。パブコメも国民投票とは違い民意を代表していない。こんな形で国が心を支配する方向に踏み出すのは間違っている」

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もう、春です。きくもくしゃみがよくでます。(花粉症?)

◎1986年の2月。突然、日の丸・君が代が降って来た。じょうだんではなく、本当にそんな感覚だった。
 当時、私は北区の上賀茂小学校の6年担任だった。
 その2年前にも同じ学校で6年を担任し、40名以上の子を卒業させていた。
 「さあ、また卒業式や。しっかりせんとな。こんな仲のよかったクラスやから、きっといっぱいの子が泣くんやろな。」そう思っていた。
 京都は革新府政、革新市政が長く続いていたせいもあるのか、卒業式・入学式での日の丸・君が代実施率が全国最低ランクだった。だからといって、決してつまらない式を行っていたわけではない。各校で工夫をこらしたすばらしい式が、京都の自慢でもあった。
 しかし、わずか一か月ほどの間に、それらはすべて解体された。どこの学校も、おごそかな(?)金太郎飴みたいなワンパターンの式になってしまった。
 それよりも当時私が一番恐怖を感じたのが、校長先生の豹変ぶりである。
 「教え子を再び戦場に送らない」を旗印に、全国に誇れる京都の平和教育を何十年とになってこられた校長先生が、みんな同じ言葉をしゃべりだしたのである。私たちの疑問に対する応対まで、京都市立小中200人近い校長先生がみな同じになってしまった。(なにかにとりつかれている。)
 洗脳? ロボット化?

 学校とは、失敗してもみんなが補い合い、ともに成長していける職場だと思っていた。私の数少ない職場体験のなかでも、それは感じられた。自分自身も、子どもに対してもいつもそういう姿勢でいようとこころがけていた。
 しかし、日の丸・君が代の強制が導入されて以来、職場のふんいきも(悪い方に)変わってしまった。なかでも、校長先生を信頼できなくなってしまったことは大きな変化だった。
 そしていつの間にか、職員会議は、楽しい学校を作っていくための話し合いの場ではなく、上意下達の場に変貌してしまった。
 その時、校長先生方に何があったのか、いまだ明らかにされていない。(きっと、人に言えないような恐ろしいことがあったに違いない。墓場まで持っていかれるのかな。)
 しかし、その年の卒業式から、ほとんどの小中学校で日の丸・君が代入りのワンパターンの式が定着した。
 私はそれまで5・6・5・6年と担任を持っていたが、翌年は3年担任を希望した。

 そして、その2年後、異動。また、5年の担任。次の年は、当然6年に。
 どうなるのかと思っていたが、「ざわわ」のうたが大好きな校長先生に助けていただき、自分なりに納得のいく卒業式ができた。
 その翌年も2年連続で、卒業生の担任。この時の卒業式もよかった。このあたりが自分の限界かなと悟り、そこで教師を辞める決心をした。
 8月に生まれる初めてのわが子のために、中途半端な生き方はやめよう。この決心で、ちょっとは胸が張れるかな。そう思った。

 17年も前の話ですが、こんなふうに悩みに悩み結局辞めてしまった小学校の先生もいたのです。どう、思われます?

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長代川右岸の切り倒されたニレの大木と、新しくできた道

☆2日前には、こんな悲しいニュースが・・・(3月26日、京都新聞夕刊10面より)

 「卒業式でミス『死んでおわび』 小6、飛び降り死亡」

 東京都板橋区の区立小六年の男児(12)が25日、卒業式を終えて帰宅した後、自宅マンションから飛び降りて死亡していたことが26日分かった。自宅に「死んでおわびします」という趣旨の走り書きがあり、警視庁志村署は自殺とみて詳しい動機などを調べている。
 志村署によると、男児は25日午後1時半ごろ、板橋区中台の自宅マンション14階のベランダから飛び降りた。病院に搬送されたが全身を強く打っており、約二時間後に死亡。普段着姿で靴は履いていなかった。自宅居間のテーブルに男児が書いたと見られる走り書きが置いてあった。
 男児は25日午前、小学校の卒業式に出席。校長によると、男児は卒業生による呼び掛けで「大好きな学校」とするところを「大嫌いな学校」と発言。校長には式の後、「緊張して間違えた」などと説明していたという。
 校長は「明るい児童でいじめなども確認されていない」と話している。

◎この記事だけでは、くわしいことはわからないが・・・。
 
 小学校の卒業式は何のためにあるのか。
 自分の小学校時代6年間を振り返り、それまでお世話になったみなさんに感謝し、これから始まる新しい生活に気持ちよくスタートを切る。その区切りをつけるイベントである。決して国家に忠誠を誓う儀式ではない。

 記事を読んだかぎりでは、この子が「大好きな学校」と言いたくなかったことは想像できる。
 私も先生の作ったいいことづくめの「呼び掛け」は、大嫌いだった。そういうことを言いたい子もいれば、言いたくない子もいるはずだ。見た目だけよくしようという卒業式なんか、いらない。
 私の最後の2回の卒業生には、自分を見つめ直して書いた作文を読んでもらった。これは、けっこう好評だった。

 「大嫌いな学校」と言った子。私が担任だったら、「よう、思い切って言ったな」とほめてやったのに。「実はな、先生も学校にはむかつくことがいっぱいあったんや。ほんまに、よう、ゆうてくれたな。先生もスカッとしたわ。ありがとう。」
 これくらい、言えんか! 

 どんなことがあろうと、子どもを死なすな!

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再び、きく登場(いいウンコ場をさがしています)

◎ ブログを書き終わって(夜10時)、初めて今日の夕刊を見た。

<京都新聞> 集団自決「軍深く関与」 「沖縄ノート」訴訟 大江氏記述は妥当 大阪地裁判決 元隊長訴え棄却
 
<毎日新聞> 集団自決 軍関与を認定 「沖縄ノート」訴訟 「命令」信じるに足る 大阪地裁判決 名誉毀損認めず

 久しぶりにいいニュース。
 裁判長は、文章読解力のある人でよかった。この問題についても、いつか自分の考えを書いてみたい。(今日は、ちょっと疲れた。)

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