2014年07月14日(月)
第33回反核平和マラソン兵庫・続き [ランニング]
神戸市役所から明石市役所までの約25km、60名を超えるランナーが「反核・平和」の願いをこめて走り続けた。(私は14kmですけど・・・。)
ゴールの明石市役所では、例年通り閉会集会。
一通りのごあいさつのあと、各グループの代表から感想などを話していただいた。わが「ランナーズ9の会」からは、もちろん会員ナンバー「1」の9ちゃん。いつもビシッとしたいいごあいさつです。(写真は、そのあとお話してくださった「ランナーズ9の会」の香川の会員さん。)
私も「ランナーズ9の会」のTシャツの宣伝も兼ねてごあいさつ。
「京都の藤井です。私が着ている黄色のTシャツが2500円、白が2000円ですのでよろしくお願いします。
去年もこの場でお話させていただいたので、その続きということになりますが・・・。去年の6月23日の沖縄慰霊の日に、那覇から名護までの70kmを『平和・憲法九条』ののぼりを背負って走ろうと挑戦したんですが、55km地点で日が暮れてしまって断念。でも、今年の6月23日に再挑戦してなんとか70km完走できました。
娘が名護の大学に通ってまして、去年はゴールで待ってくれている予定が私がゴールできず、今年はゴールできたんですが娘はバイトがいそがしくて来れずということになりました。でも、私のブログを通して知り合った方がいっしょに走ってくださったり、ゴールに待っていてくださったりしてうれしいゴールになりました。
名護と言えば、みなさんご存知だと思いますが稲嶺市長さんが米軍基地の問題でがんばっておられます。稲嶺さんは毎年那覇マラソンにも出場されているランナーで、私たちランナーの気持ちもすごくよく理解してくださっています。名護ハーフマラソンのときに稲嶺市長さんとちょっとお話させてもらったんですが、京都の丹後地方にも近畿初の米軍基地ができるんです。Xバンドレーダー基地といって強力なレーダーを出す基地らしいです。
その丹後地方でも過疎でそこにしがみついていてもしょうがないと思われる方が多いらしく、相場の何十倍もの値段につられて土地を手放した方が出てしまったようです。いつもの住民を分断するやり方ですね。沖縄を見ていてもそうですけど、最初の一歩を許してしまえば際限なく拡大する恐れがあります。京都府民にもほとんど知られていない米軍新基地問題なので、兵庫県民のみなさんならなおさらご存じないとは思いますが、ぜひこの問題にも感心を持っていただきたいと思っています。
この大会に京都から参加しているのは私だけだと思いますが、すごくいい大会だと思っているので、来年はぜひ京都の仲間を連れてきて参加したいと思います。」
閉会集会のあとは、お楽しみ「ランナーズ9の会」の交流会。例年通り、1.5kmほど東側に戻った「龍の湯」さんへ。
道々「ランナーズ9の会」の大先輩・かわせみさんとしゃべっていると、入り口を通り過ぎてしまった。けっきょく、1.8km26分の道のり。
かわせみさんは私より16歳年上。親子では近すぎて兄弟では遠すぎる歳の差。そんな中途半端な関係だが、なぜか話が合う。そういえば、いつも仲良くさせていただいている朝日啓介さんや八田努さんも同じ年代。私は彼らをブルース・リー世代と呼んでいるのですが・・・。
「藤井さん、沖縄の大学に通ってられる娘さんに、沖縄で就職せーとか言ってはるんじゃないでしょうね。」
「それがね、どういうわけか、娘のほうから『沖縄で就職して、結婚もしてずっと住みたい』ゆうとるんですわ。」
「へー、そうなんですか。」
「うちのヨメさんなんか、去年の4月に娘が沖縄に行ったとき『1ヶ月もたたんうちに帰ってくるかも』って心配してたんですわ。それが、『今年の夏休みは京都には帰らん』ゆうてるんですから・・・。これはショックやったけど、そんだけ沖縄が気にいってくれてうれしいです。」
おふろのあとは、「こだわりタコめし御膳」+生ビール。
いろいろな手配は、すべて9ちゃんがしてくださったようです。ありがとうございました。
私はかわせみさんと「はらっぱ」さんの間の席。
「はらっぱ」さんは背が高くいつも目立っている。初めてお話させてもらったが、私の1歳上。
「前はどんな仕事をされてたんですか。」
「小学校の教師です。」
「それをやめられて?」
「そうです。もう23年も前ですけど・・・。」
「どういった理由で?」
「一番はやっぱり日の丸・君が代の強制ですね。京都市の小学校に強制されて5年は辛抱しましたけど、もう限界で。卒業式に導入されたとき、京都市の全校長が一夜にして寝返ったんです。恐ろしいと思いませんか。それまですごくいい校長さんやと思ってた方まで全員ですよ。大変な力が働いたちゅうことですね。あの寝返り校長が自分の将来の姿かと思うと情けなくて、やめさせてもらいました。」
手短に話したので、理解はしてもらえなかったかも。
簡単な自己紹介。
「ランナーズ9の会」掲示板管理人の尼崎の酔うたろう君。「サロマ100kmウルトラ」サブ8の実力の持ち主。しかし、つい先日まで入院されていて病み上がりでの参加。これも「反核・平和」への執念のなせる業ですね。
「ランナーズ9の会」発起人の9ちゃん。
過去に国際女子マラソン出場の実績あり。「ランナーズ9の会」は会費も会則もないランニングクラブで会長も定めていないようだが、代表としてのあいさつは9ちゃんにふられることが多い。
(参加者一人ひとりの自己紹介があったのだが、省略します。)
私の自己紹介。
「さっきいっぱいしゃべらせてもらったんですけど・・・、またしゃべらせてもらいます。
今ウルトラの話で盛り上がってたんですが、私は『丹後ウルトラ』10回(オーという歓声)、『サロマ』3回(オー)、『四万十』3回(オー)・・・、合計16回の100kmウルトラを・・・、ぜーんぶ関門収容でバスに乗って帰ってきました(ハーと大きなため息)。
まっ、そういうことで、最近は3kmとか5kmとかの心臓バクバクになるレースばっかり出てます。私らの年代になると短いのは参加者が少なくて、入賞の可能性があるのでがんばって走ってます。
さっきの話の続きみたいなもんですけど・・・。7月1日の『集団的自衛権行使容認の閣議決定』は、私の人生最大の節目と言っていいと思っています。日本ももう終わりやなあと思いました。これからこんな国に生きていてもしょうがないとも思いました。でも新聞などの論評を見ていると、『これで終わりではない。戦争のできる国にしないように、まだまだできることがある』と書いてありました。
そう思ったとき、自分にできることは走ることくらいで、走って平和をアピールできたらいいなあと思ってがんばっています。毎月9日に9km走る『9の日平和ラン』と、最終水曜には国労で首になった中野さんという方を応援する『国労応援ラン』というのを続けています。両方もうすぐ5年になります。
まあうちのヨメさんからは『アンタのやっていることは理解ができん』と言われてますけど、『なんやかんや理由つけて、ただ走りたいだけやん』と言ったら『それなら分かる』と言われてます。
これからもアピールランは続けて行きたいので、また来年も必ず参加させてもらおうと思っています。」
この場で、40代前半の若手ランナーが「ランナーズ9の会」に入会してくださった。今まで58歳の私でも若手に入れられるくらい年齢層が高かったので、非常に喜ばしい。20代や30代のランナーにも声かけをしていかなくては・・・。
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2014年07月13日(日)
第33回反核平和マラソン兵庫 [ランニング]
京都の自宅を6時20分に出発。そのころは雨はパラパラ。
ところが、8時半に阪急三宮駅を出ると激しい雨。左アキレス腱の具合が悪いので、スタートから5kmほど走り、中抜きをしてゴール前5kmほど走ろうと思っていた。しかし激しい雨で、ぬれた体で冷房ガンガンの電車に乗るとカゼをひく。ここで急きょ予定変更、前半部分は電車で行って後半部分だけ走ることにした。
集合写真だけ撮らせてもらって、私はJR三宮駅まで傘をさしたまま並走。
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みなさんをお見送りし、私はJRで「須磨海浜公園」駅へ。
走るとなかなか着かないのに、電車だとあっという間。
料金もわずか180円。
早朝にコンビニのおにぎりを1個食べたきり。
須磨水族館は10kmすぎくらいの地点になるはずなので、みんなが到着するまでまだだいぶ時間がある。駅の近くに喫茶店があるものと思っていたが、住宅地でお店はなかった。国道に出ると700m先にマグドナルド。そこをめざして歩いていると、こじんまりした喫茶店があった。
マスター「わー、こんな雨の中走ってこられたんですか。」
パオパオ「いえ、私ここから明石市役所まで走りますねん。今、仲間が神戸市役所からこっちに向かってるんです。」
マスター「しかし、こんなに降ったら中止ちゃいますのん。」
パオパオ「私らの走ってるやつは中止にはならへんのですわ。」
450円のモーニングセットBはおいしかった。駅から雨の中を歩いて体が冷えていたので、ホットコーヒーがすごくおいしく感じられた。
この店にもう来ることはないかもしれないが、「100時間かけたこがし黒カレー」が気になる。食べてみたいなあ。
食べ終わるちょっと前に、向こうが見えなくなるくらいの大雨。「これは中抜きじゃなく、後半から参加に変更してよかった」とつくづく思った。
喫茶店を出たのが10時。
水族館前には陸橋があり、かなり遠くまで見通せた。
ただどう考えてもみんなの到着までだいぶ時間がある。雨は降り続いていたが、小降りになったのでそこらをブラブラ。
イルカも元気にはねている・・・。
10時半になったが、いっこうに来る気配がない。心配になって9ちゃんと尼崎の酔うたろう君のケイタイに電話してみたが、走っていたらわからんにゃろねー。二人とも反応なし。
「ヒマやし、自分撮りでもしてっと・・・。」
すると、やっと来ましたエイド担当車両。
「40分ほど待ちましたわー。」
そのまた10分ほどあとに、アナウンスを流しながらの先導車両。
ランナーは交通ルールを守って走っているので、だいぶ遠回りの横断歩道を渡って。
陸橋の上から見ていると、その隊列は壮観。
先ほどの土砂降りの雨でずぶぬれになっているはずだが、みなさん元気元気。
ここで10分ほど休憩。
給水給食、トイレもすまし再スタート。
私もここから参加。ここから明石市役所まで13kmくらいとふんでいるのだが・・・。
再スタート時には雨はやんでいた。
結果論だが、ほんとうにここからスタートさせてもらってよかった。
ゴールまであと1kmくらいのところから、恒例シュプレヒコール。
「憲法9条をまもろう!」
「集団的自衛権行使、はんたーい!」
「原発再稼動をゆるすなー!」
道路を挟んだ向かいのマンション前にいた小学生男子3人が、そのシュプレヒコールにあわせてこぶしを突き上げ「オー!」と声をあげてくれた。たぶん私たちのシュプレヒコールの中身までは理解してくれてなかったとは思うが、本当にうれしかった。
「いつものでっかい『平和・憲法九条』ののぼりがあったらなあ・・・。」
明石市役所には1時すぎにゴール。
私のGPS腕時計では、須磨水族館から約14km。スタートから測っておられた方にお聞きすると、全行程で25.5km。主催者発表は24kmなので、それよりは長そう。
「雨のせいで涼しくなってよかった」とおっしゃる方が多かった。たしかに、去年もおととしも暑かったもんね。
心配していた私の左アキレス腱も、痛くはなったがなんとか持ちこたえた。これも大勢で楽しく走らせてもらった効果ということでしょうか。
大きなのぼりは自粛ということで、ミニのぼりを帽子につけて走った。アピールランとしては、ちょっと物足りなかったなあ。
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2014年07月11日(金)
「やぶはら高原マラソンは・・・、あります!」 [ランニング]
◎やぶはら高原ハーフマラソン公式サイトより
2014/7/10
■会場への交通手段について
7月9日(水)の長野県南木曽町における土砂崩れの影響で、鉄道や道路の寸断による運休や通行止めとなっております。大会開催日までの復旧につきましては、下記会社のホームページをご確認願います。
また、お車でお越しの場合ですが、塩尻方面からお越しの際、「奈良井トンネル内工事」による片側通行が終日実施されております。また名古屋・岐阜方面からお越しの際は、中央自動車道路をご利用いただき、「伊那インターチェンジ」下車にて、「権兵衛トンネル」を経由してお越しください。
友人など大人数でお越しの際は、会場駐車場数に限りがありますので、できる限り乗り合いでお越しいただきますよう、ご協力をお願いします。
JR東海の運行情報は、こちらをクリックしてください。
国道19号線の道路情報は、こちらをクリックしてください。
(注)こちらはコピーですので、公式サイトからクリックお願いします。
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台風8号による集中豪雨により、長野県南木曽町で土砂崩れ。国道19号線とJR中央本線が寸断。
7月20日の「やぶはら高原ハーフマラソン」の開催も危ぶまれたが、公式サイトを見ると中止は免れたようだ。被害にあわれた地域の皆様には大変お気の毒なことであったが、「京都キャロット」の出店を予定している私たちにとっては大会開催はありがたい。
会場の木祖村大字薮原は塩尻市の近く。被害の大きかった南木曽町は岐阜県中津川市から北に入ったところ。
私たちも、以前は中央自動車道・中津川ICから国道19号線を北上して会場入りしていた。しかし、数年前からは伊那ICから権兵衛トンネルを通っている。このルートで行く限りは災害の影響はないと思われる。JRで行こうと思っていた方はどうしていいか分からないが・・・。
この大会は全体で2000名定員。最近どんどん人数をふくらませて、にっちもさっちもいかなくなっている大会が多い。その点では、この「やぶはら」のように2000名くらいが一番いい規模ではないかと思う。
2年前、5km男子40〜59歳の部でギリギリ6位入賞。去年も続けてと思っていたが定員オーバーで申し込みできず。
今年は去年の分までがんばって、「58歳で入賞」をめざす。
たぶん、私の勝手なライバル・松本一之さんもこの大会に出場されるはず。ただし、このごろ5kmじゃなくて長いほうによく出ておられるので、また直接対決にはならないんでしょうね。背中を追っかけたいのに・・・。
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【RUN】
24時間寮管理のバイト明け。
家に帰ってきたのは4時前。宿直室は寝苦しく、体はだるだる。そして今日も気候はむしむし。それでもちょっとは走っとかんとね。
店往復1.3kmのあと、いつもの5km。
アキレス腱が心配でそろりそろりのスタート。そのせいで、最初の1kmが6分20秒。「これは5km32分近くかかるんか・・・。」
しかし、1kmほど走ったらアキレス腱の痛みがましになってきた。(まあ、これがくせもんといえばくせもんだが・・・。)
けっきょく、5kmは29分48秒。これが今の限界。とりあえず、まだ5km以上は走らんほうがいいみたい。
またエルちゃんクーリングダウン。1kmプラスで今日は合計7.3km。
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【今日のきく】
「きくはかわいいなあー。」
「しっとる、しっとる」のポーズ。
「オッサンの足のつめ、とれたわ。」
「くっさー。」
「きくのごはん、とらんといてやー。」
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2014年07月09日(水)
第58回9の日平和ラン [ランニング]
足の具合はよくないが、ゆっくりなら9km走れるでしょう。
「集団的自衛権行使容認の閣議決定」というこの重大な局面で、ただ走るのも悔しい。大きなのぼりは足腰への負担が大きいが、ミニのぼりを帽子に付けて走るくらいのことならできる。
「今日はこれで9km行くぞー!」
10時半ごろ自宅スタート。
気温は30℃ほどだと思うが、今日も湿度が高くムシムシ。
うちから400mほどのところに、京産大の新しい寮が建設されている。もう外側はほとんどできたようだ。ピッカピカですごくきれい。この寮の管理のアルバイトがあると、近くていいんですけどね。
京産大前でちょうど1km、5分40秒。
ちょっと速く走りすぎ。
柊野別れから鴨川へ。
御薗橋で3km、約17分。
雨が少なく、鴨川の水は極端に少なかった。
御薗橋近くでかわいいワンちゃん発見。
「追跡!」
「すいませーん、ワンちゃんの写真撮らせてください。」
「はい、どうぞ。」
「ワンちゃんのお名前は?」
「ごんたです。」
「ごんた君、オスですよね。」
「いえ、メスなんですよ。」
「ありゃ、ごんたでメスですか。」
「そうなんですよ。この前に飼っていたのがオスで、ごんたという名前だったもんで・・・。」(そういえば、今帰仁のベルパライソのごんたもメスだった。)
「そうなんですか。ごんちゃんの歳は?」
「もう14歳なんですよ。」
「いやー、元気いっぱいの14歳ですね。どうもありがとうございました。」
堀川通を南下。
いつもお世話になっている京都北郵便局で4km、約23分。
最近ずっとカードで入れているガソリンスタンド。
私が知っている限りでは、京都で一番安い(カードで163円)。
この先の「東高縄町」バス停で4.5km、約26分。
ここで折り返したら、ちょうど9kmになるはず。
行きは赤信号にかからなかったのだが、帰りは赤信号4回。ヒマなので、ウインドウに写る自分を撮ったりして・・・。
大きなのぼりは遠くからもよく分かっていいのだが、すれちがう人は怪訝な顔をされる方が多い。ちょっと威圧的に感じられるのかも知れない。
それに比べて帽子につけたミニのぼりは、遠くからは分かりにくいが、すれ違う人はみな見上げてくださる。これはこれでいいようだ。
「京都キャロット」まで戻ると、自宅まであと0.7kmほど。
今日は定休日なのに、店ののぼりがしまってない。
自宅到着。
54分58秒はいいとして、「8.67km!」。
いつも帰りが長くなる傾向なのだが、今回はなぜか帰りのほうが300mほど短い。
「今日は絶対9km走ろうと思ってたのに・・・。」
「そうや、エルちゃんとこ往復で300mほどあるでー。」
エルちゃんは暑さでバテバテ。
今日はちょっと愛想なかったけど、隙間から手を入れてペロペロしてもらった。
これで9.07km。
ゆっくり走ったので、足は悪化はしてないようだ。
家に帰ってすぐシャワー。体重を測ると60.2kg。
これはほとんど汗の分軽くなっただけだろうが、59kg台に近づくと素直にうれしい。これからも気をつけて、お腹がへっこむように努力していこう。
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2014年07月02日(水)
宝ヶ池をきくと走る [ランニング]
今日の夕方、ヨメさんときくといっしょに宝ヶ池へ。
きくが池を一周する間、私はゆっくり走らせてもらうことにした。
1周1.5kmを10分ほどで行くとして、4周6kmは走りたいなあ。
1周9分24秒。
ちょうど起点になるあたりにかわいいネコちゃんがいた。このネコちゃん、前にも見たような・・・。
2周18分31秒(9分06秒)。
3周27分52秒(9分21秒)。
4周36分21秒(8分29秒)。
最後だけちょっとだけスピードアップ。
やっぱり左足アキレス腱の外側が痛い。当分長い距離を走るのはやめておこう。
きくといっしょに芝生を500mほどクーリングダウンラン。
きくが「ハーハー」ゆうてたいへん。ちょっと運動不足かー。しっかり運動してスマートになろうな。
「おっさんもなー!」
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2014年06月23日(月)
一人沖縄平和ラン・2014 [ランニング]
みなさんに助けていただき、7時半ごろ名護市役所に無事ゴール。みなさん、本当にお世話になりました。
30km地点あたりから最後まで並走してくださった小橋川さん。残り5kmから並走してくださり、足がつったときにはマッサージしてくださった比嘉雄也さん。いつゴールするか分からない私をずっと待っていてくださった玉城さん。
でも一番お世話になったのは、小橋川さんの奥様とかわいいかわいいももちゃんかな。
「うちのヨメさんゆうてましたわ、小橋川さんの奥さんはえらいって。私やったら、好きで走りに行ってるオッサンに絶対ついて行かへんて。」
「いいえ、私もいっぱい楽しませてもらいました。」
そう言っていただけると救われます。
最初は怪訝な顔をしていたももちゃんも、最後はすごくうちとけてくれていたし・・・。ゆうことなしです。
朝8時に「ホテルルートイン那覇旭橋駅東」を出発のつもりが、今年ももたもた。
のぼりを背負うのは案外うまくいったのだが、GPS腕時計がなかなか衛星を捕捉できない。自宅付近ではたいてい40秒くらいで捕捉していたのに。ホテルの前だったからでしょうか。
ホテル前でお客様を待っておられたタクシーの運転手さんにお願いして、スタートの記念写真。GPSは捕捉できないままにスタート。
去年は沖縄県庁スタートだったので、今年はそのお隣の那覇市役所から。
近くにおられた方にお願いし、今度こそ本当のスタート写真。
GPSもやっと動き出し、8時20分ごろに再スタート。
スタートからカンカン照り。すぐに汗が噴き出した。
それでも、最初の3kmは張り切ってしまいキロ6分ちょっとのペース。
基地が見えるころから、キロ7分ペースくらいに落ち着いてきた。
去年も思ったけど、「沖縄には米軍基地がある」というより、「米軍基地の島に沖縄の人々は暮らしている」という感じがする。
9km地点あたりのガソリンスタンドで水分補給。
「名護まで、あと60kmほど走ります」と言うと、「糸満の慰霊式に行かれるのかと思いました」と言われた。
10?、1時間09分51秒。
元気なうちは、このペースを守りたい。
手頃な台があったので、カメラを置いて自分撮り。
このあたりは、風はそんなにきつくなかった。
基地前の横断橋の上でパチリ。
◎北谷町の綱引き 130/234 より
「綱のカヌチ根軸」
米軍キャンプ瑞慶覧のフェンス沿い(国道58号線側)に、人知れず設置されている石碑が綱のカヌチ根軸である。この拝所もマタジと同様に、知念清子さんの教えにより、ノ口殿内と郷友会によって建立された。石碑には「綱のカヌチ根割IJの銘のほかに「昭和六十三年九月吉田辰年建立字北谷字民一同」の陰刻も確認される。昭和63年の建立以来、北谷ノ口殿内では、毎年の旧暦6月24日には、写真2-148 綱のカヌチ根軸(1988年建立)この綱のカヌチ根軸において綱引きの御願を行うようになった。
現在の石碑が立つこのー帯は、かつてウククヌモーグヮーと呼ばれる百坪ほどの広場で、字の人々が稲干しゃ、ウージンガラ(サトウキビの搾りガラ)を干す場所として利用したほか、戦前の三ヵ村大綱引きをはじめ、旧暦6月25日の毎年の綱引きには、このウククヌモーグヮーに設置されていた目印の石を地点にカニチ棒を貫き、雌雄の綱を連結させたという(仲村新正さん談)。
長老山綱のカヌチ根軸での祈願を終えた一行は、14時10分頃にキャンプ瑞慶覧内の長老山へ到着した。長老山について『北谷町史』第三巻は、「沖縄にはじめて臨済宗妙心寺を伝えた北谷長老(南陽紹弘禅師)をはじめ、樹昌院歴代の住職を葬った墓所Jと記している。
現在の長老山には、戦後、米軍用地として集落を接収された旧字北谷のカー神をはじめ、旧字伝道や玉代勢の拝所が各字毎に合間されている。長老山に到着した一行は、まず北谷長老の墓所と伝えられる場所を拝み(ここでは、線香・クパンチンは6組)、次いで前城島御風水神、その後で戦前の北谷集落内に点在したカンタヌカ一、ウスクガ一、スミムンガ一、根神ガー、イナグガー(女井は伝道に所在した)を澗るカー(井戸)合間所を拝み、さらにクヮーデイーサー(竜宮神、クヮーデイーサーの樹の下に把られていたためそう呼ぶ)を拝んだ。
戦前の北谷集落内に点在したカーについて、北谷ノ口殿内では次のように伝える。東表原に所在したカンタヌカーは、北谷村の始祖(ハダカ世)が使用したカー。写真2-149 北谷長老での祈願-125-
元のページ http://www.chatan.jp/yakuba
8年前、真樹が沖縄本島で初めて泊まったホテル「ビーチタワー」。
このホテルが、今私が管理人のバイトに行っているK社の建物とは・・・。
そのホテルの東側も大きな米軍基地。
またガソリンスタンドで水分補給。
ここでだいたい17km、2時間。気温はぐんぐん上がっているが、そんなにペースは落ちていない。
去年、応援に来てくださったTさんご夫妻にお会いしたのはこのあたり。今年も少し期待していたが、残念ながらお会いできず。去年のお礼が言いたかったのだが・・・。
「フェンスは続くよー、どーこまでもー・・・。」
20km、2時間23分23秒。
10kmからあとは、キロ7分半ペース。
「町の総面積の83%を嘉手納基地が占め、残りのわずか2.6km²に約1万4000人が暮らす」嘉手納町。
「町の総面積の83%が米軍基地」って、どう考えても絶対におかしい。
嘉手納のロータリーで私を見つけ追いかけてきてくださった真栄田オジイ。
「こんな暑い中『平和』の旗を持って走っている姿に感動した。少しだけど、カンパします。」
オジイは千円を差し出された。お断わりしたのだが、どうしてもと言われたので受け取った。いいことに使わせていただきます。
読谷村に入ると、大きなテレビ?
去年、両足コブラがえりで動けなくなった地点。
今年は軽々と通過。
この交差点では、バイクの後ろに小さな子を乗せたお母さんが声をかけてくださった。ありがとうございます。
そして、去年ダウンしてしまったファミリーマート前。
今年はここまで3時間10分(約26km)。
小橋川さんが待っていてくれているかもと期待していたのだが姿は見えず。去年は日曜で今年は月曜やからねえ。そんなにこっちの都合よくはいきませんよねえ。
背中ののぼりをはずし、お昼ごはん休けい。
座ったらコブラがえりの可能性大なので、立ち食いです。
去年はコンビニ前で1時間以上すんでしまったが、今年はわずか16分。
これで、元気に再スタート。
牛さんの写真を撮り・・・。
自分の走っているところも撮り・・・。
「いやー、小橋川さん! 来てくれはったんやー。」
奥さん、ももちゃんと3人で。
奥さんにお願いして、写真を撮っていたただいた。
ここらで、まだ28kmくらい。
ここから先は、小橋川さんがいっしょに走ってくださる。奥さんとももちゃんも車で着いてきてくださるらしい。本当にありがたいことです。
小橋川さんは、私のじゃまにならないように気を使いながら走ってくださった。
海からの風は、去年よりはましなような気がした。
小橋川さんとおしゃべりしながら走っていると、あっという間に「おんなの駅」に。
ここで4時間40分ほど(約35km)。全行程の半分のところまで来たが、まだ1時過ぎ。
ここは大きな道の駅で、歌謡ショーみたいな催しもされていた。
しばらく休けいして再スタート。
小橋川さんがももちゃんに、「おとうさんは、また走ってくるね。」そう言うと、ももちゃんの顔がちょっと暗くなった。「どうしてこんな知らないおじさんとばかり付き合うの。わたしと遊んでほしいなあ」と言いたいような顔。
ここで出しましたがな、私の秘密兵器。
「プリキュアって知ってる? うちの奥さんなあ、こんな格好であちこち走ってんねん。」
そう言って写真を見せると、ももちゃんがにこっ。
「プリキュアも役に立つがなー!」
(注)もうちょっと、続きます。
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