パオパオだより

2010年02月15日(月)

松野明美さん [私の好きな人]

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 今日の「徹子の部屋」のゲストは松野明美さんだった。
 この番組を見ることはめったにないのだが、松野明美さんの話を聞いてみたかったので見ることにした。
 松野明美さんを知らない人のために、公式サイトよりプロフィールを。

■プロフィール

松野 明美 (まつの・あけみ)

 1968年、熊本県生まれ。
 駆け足が遅く、いじめられっ子でおとなしい性格だったが、小学校5年生のときに出場した町内陸上大会で優勝。1位でゴールしたときの両親の笑顔がうれしくて、マラソンに目覚め、「いちばんを目指す人生」が始まる。

 高校卒業後、ニコニコドーに入社し、陸上部に所属。
 1987年、全日本実業団対抗女子駅伝に初出場し、12人をごぼう抜きする。これにより一躍注目のランナーとなる。
 1988年、ソウル・オリンピック1万メートル競技に出場。人の2倍、3倍、それでもだめなら4倍の猛練習をし、数々の記録を残す。

 引退後、結婚し、2002年、長男・輝仁(きらと)が誕生。翌年、次男・健太郎がダウン症という障がいを持って生まれる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと健太郎を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 健太郎の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。
 現在は、自身のマラソンや子育ての経験をもとに、講演、タレント、ゲストランナーなど幅広く活動をする。

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 松野明美さんと言えば、現役ランナー時代、兵庫県の「但東シルクロードマラソン」にゲストランナーとして来られていた時にちょこっとお見かけした。そのときは今の姿からは想像もできないようなナイーブな少女だった。
 オリンピック女子マラソン代表選考の前の、「私を選んでください」会見。あれは強烈に印象に残っている。
 しかし、もっと強烈だったのは、現役引退直前、「走り方が分からなくなった」と言っておられたこと。「歩くことはできるんですけど、走ろうとしても足が前に出ないんです」とおっしゃっていた。
 何が原因なのかよくわからなかったが、「はー、オリンピックにまで出た人でも、こんなことになるんや」と衝撃を受けた。

 そんな彼女も結婚し、いまや二児の母。
 最初の子の出産には24時間もかかったそうだ。そして、次の年の出産は6時間。しかし、その子が障害を持って生まれてくる。

 私は障害のある子に関する知識がほとんどなく、ましてやダウン症についてはまったく知らない。だから、この件のコメントは控えます。
 ただ、今日の番組内で心に残った松野明美さんの言葉がありました。

 健太郎が生まれダウン症だとわかったとき、ある人から、「障害のある子は、親を選んで生まれてくる」と言われた。でも、「どうして私なんだ。どうして、ほかの親のところに生まれなかったんだ」と、子どもに向かって何百回と言いました。

 「何百回も・・・」と今言える松野明美さん。その松野さんの書かれた本も読みたい。

 「いちばんじゃなくて、いいんだね。」 著者:松野明美
  定価:1,400円(税込) 発行:株式会社アスコム 発売日:2月12日(金)

 ダウン症の息子と母の、笑って泣けて元気になれる、感動の物語。

 「人生は勝ってこそ意味がある。いちばん以外は、価値がない」という思いで松野明美は走ってきたが、息子がダウン症という障がいを持って生まれたことで「人生に負けた」と感じるようになる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと息子を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 息子の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。

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 来週には、ドキュメンタリー番組も放送される。これも、見よう。

 ●2月22日(月)19:00〜19:54
 「ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日系)

 健ちゃん ヨーイドン!
〜松野明美 ダウン症のわが子を抱いて〜


 元マラソンランナーでタレントの松野明美さん。
 テレビで見せる、底抜けの明るさ。その陰で誰にもいえない「秘密」がありました。
 次男の健太郎くん(6歳)ダウン症です。しかも、重い心臓病を患って生まれてきました。
 かつて、松野さんは最愛の息子の存在をひた隠しにしてきました。
「明るいイメージの私が崩れてしまうと。。。」

 他の園児に比べて体はひと回り小さく、言葉もまだ話せません。それでも、よく笑い、遊び、次第に成長していく健太郎くん。
 そんな健太郎くんの入園を機に、松野さんには一つの決意がありました。それは秋に開かれるマラソン大会に親子で出場すること。距離は数キロ程度ですが、体力が不足し歩くこともままならない健太郎くんにとっては、無謀とも思える挑戦です。

 マラソン大会へ向けて、親子で練習に取り組む日々。
 走り方さえ知らない健太郎くんのために松野さんが考えた、独自のトレーニング方法とは!?
 走る距離が徐々に延びて、喜び合う親子!しかし、そんな二人を新たな病魔が襲う…。
 ついに訪れるマラソン大会当日。幾多の試練を乗り越えてスタートラインに立った親子には、誰もが想像しなかった“奇跡”が待っていました。健太郎君が初めて言葉を口に!!

 番組では、マラソン大会までの8カ月に完全密着。生後間もない健太郎くんが、重度の心臓病と闘う当時の入院映像、松野さんの献身的な看護の映像も随所に織り交ぜていきます。
 果たして、マラソンを通じて伝えたい母のメッセージは、ダウン症の我が子へ届くのか!?

 「健ちゃん、ヨーイドン!」。
 ダウン症の息子と歩む、笑いと涙の日々です。


※今日の「徹子の部屋」では、松野明美さんが完全に主導権を握っていた。あの黒柳さんが入り込む余地がないくらい、松野明美さんのトークは炸裂していた。
 黒柳徹子さんも、あんなふうに「ふんふん」と聞き上手な司会もできるんや。新しい発見です。

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2010年01月12日(火)

「自分の心が折れないかぎり・・・」 [私の好きな人]

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 おとといの「武庫川新春ロードレース」のハーフマラソンの途中、「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」を決行された中野勇人さんの言葉を思い出した。
 それは去年の12月16日、国会の周囲1.33kmを32周するうちの31周目であったと思う。バテバテヘロヘロ状態になっていた私に向かって、笑顔で励ましてくださった。

 「藤井さん、なんとか手と足を動かしていれば、少しずつでも前に進むし、ゴールにもたどりつけますよ。」

 その時の私は、もう返事をする元気もなくなっており、ただ照れ笑い(苦笑い)を返しただけ。中野さんを元気づけに来たつもりなのに、反対に励まされている・・・。
 よもや、その時点で45日連続フルマラソンを走っている中野さんから励まされるとは思わなかった。

 その時思ったこと。
 今の自分にできるのは、走ることくらい。それで何かをアピールできたり、誰かを励ますことができればうれしい。「国会前フルマラソン」に来たのも、1日だけならこれくらい軽々とできると思い込んでいた。
 しかし日頃の不摂生から、最後の2周は沈没状態になってしまった。

 これではいかん!
 走ることもできんようでは、まったく値打ちなし!
 いざという時に役に立たんヤツは、役立たず中の役立たずじゃー!

 「練習なしで成果を上げる」がモットーであった私が、今年からちょびちょび練習しているのにはこういうわけがあったのです。
 「今度なんかある時には、しっかり最後まで走り切るぞー!」

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 昨日、タイミングよく中野勇人さんからお手紙をいただいた。
 12月16日に国会の周りをいっしょに走ったときの写真(今日のトップの写真を含め8枚)と、中野さんが発行しておられる「南の国から〜 四国常駐記?51」というお便りが入っていた。

 「昨年はたいへんお世話になりました。
 ブログ読ませて頂いています。過分なるお言葉、恐縮です。これからもよろしくお願いいたします。」

 私はすごく得な性格だ。どんなことでもすぐに感心してしまう。感心したら、その人に会って話をしたくなる。そしていつも思う、会いに来てよかったと。
 逆に、ひとのすることにいちいちケチをつけないと気がすまない人もいる。「あの人にも問題があって・・・」とかゴチャゴチャ言う人がいる。
 きっと中野さんのやられてることに対しても、「そんなことしてなんになる、ムダ!」と言う人もいるだろう。
 そんな時は、私も中野さんといっしょに胸を張って言わせてもらいます。「そう、そのとおりだ」と、ねっ!

※ 「南の国から〜 四国常駐記?51」は以下のとおり。(私のことも少し書いてくださっています。)

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PDFファイル(997KB)

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PDFファイル(1000KB)

(1000KB)


 
 【54日間を振り返り・・・】の書き出しの部分。

 こういう言い方をしますと叱られるかもしれませんが、企画段階から54日間走りきれるという確信は持てませんでした。ただ、余程のアクシデントがあるか、自分の心が折れないかぎり、手と足を動かしていれば、少しずつでも前に進むし、何とかゴールまで辿り着かせることが出来るのではと思い描いていました。
 しかし、・・・(続きは、PDFをクリックして見てください。)

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2009年12月29日(火)

ごく普通の「世界一すごい人」 [私の好きな人]

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 またまた中野勇人さんネタです。

 こないだ、「ランナーズ9の会」のまっちゃんとメールのやり取りをしている時、中野さんの話題になった。その時、私は「中野さんは、ごく普通の『世界一すごい人』」と表現していた。
 前にも書いたが、「54日連続フルマラソン」を決行するような人だからギラギラの人を想像していた。ところがお会いしてみると、とても感じのいいさっぱりしたごく普通の人。ごく普通の人がここまでやり遂げられるのだから、あらためてすごいと思った。
 JRもアホやど。こんな優秀な人材をクビにするなんて・・・。

 その中野さんからお礼の品が届いた。「北海道のカニとエビ」。
 先日、シューズをお送りしたお返しである。かえって気の毒だった。

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 うちのヨメさんの言葉。
 「行動力のある人はちがうなー。感謝の気持ちを、すぐこうやって表してくれはる。きちんとした常識も持ってはる。アンタとはえらいちがいやなあ。」
 うちのヨメさんは、ひとをほめるとき必ず私をけなすのとセットです。
 でも、おっしゃる通り。トホホー・・・。

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 昨日は、さっそくエビをいただいた。

 うちの家族全員大好物だが、特に廉がバリバリと食べていた。廉は大学も決まったので、このごろちょくちょく走っているらしい。中野さんに、ちょっとは影響受けたかな。

 さあ、今晩はいなか(花脊別所町)に帰ってカニ鍋。
 楽しみじゃー。

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 そして、その続き・・・。
 いなかの家に帰ると、カニ鍋ではなかった。そのまま食べたほうがおいしいらしい。

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 鍋は豆乳鍋。こちらはちょっと甘くてもひとつでした。

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 カニはすごくおいしかったのだが、冷たかった。もうちょっと早めに解凍しとけばよかったのかな。

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 3びきいただいたので、私と廉が1ぴき。ヨメさんと真樹で1ぴきを半分こ。

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 へつへっへっへー。完食です。

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2009年12月25日(金)

今世界で一番すごい人 [私の好きな人]

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 中野勇人さん。
 この前、「今日本で一番すごい人」と紹介した。
 不当解雇された国労組合員1047名のために、「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」を決行されていた。
 そして昨日、ついに最終日。見事、54日間完走された。

 記録が目当てではないのでギネス登録はされていないが、実質世界最高記録。やっぱり、「今世界で一番すごい人」です。

 今日の午後4時前、中野勇人さんから電話があった。
 「中野です。」
 「あっ、完走おめでとうございます。」
 「今、徳島に着いたところなんです。タイミングよく、ついさっき、シューズが届きました。ぴったりでした。本当にありがとうございました。」
 「いえいえ、今いいのがなくてすいません。ぶ厚い目のシューズなんで、練習にでも使ってください。」
 「カウンセリング料の代わりって書いてありましたけど、カウンセリング料を払うのは私のほうですよ。」
 「いえいえ。うちのヨメさん、感心してましたわ。中野さんの走りに感心したんじゃなくて、私のしょーもない話によう付き合ってくれはったなあって。」
 「そんなことないですよ。」

 「走り終えられてほっとして、これから疲れがどっと出るんじゃないですか。」
 「いや、そんなヒマもないんです。引継ぎやらなにやら、次々とあって・・・。」
 「そうなんですか。問題解決の日まで、たいへんでしょうけどがんばってください。
 私も、これから毎月24日は、『勝手に国労応援ラン』と名づけて走ろうと思ってるんです。月に一回でも、中野さんたちのことを思いながら走ろうと思って・・・。
 そこでお願いなんですけど・・・。せっかくやしゼッケンつけて走りたいんです。国労を応援できるようなゼッケンをね。中野さんの持ってはるやつ、一枚いただけませんか。できるだけよごれてるやつがいいんですけど・・・。」
 「それなら、国会前マラソンで使ったのを送りましょうか。」
 「いや、そんな大事なやつはあかんでしょう。」
 「2枚あるからだいじょうぶですよ。」
 「いやー、うれしー。」

 実質世界最高記録樹立者のゼッケン、一枚もらえる〜。
 54日のうち1日だけお付き合いさせてもらっただけなのに、ちょっとあつかましかったかな。
 でもその分は、今後の行動でお返しさせていただきます。例のゼッケンをつけて、ね! 

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2009年12月18日(金)

中野勇人さん [私の好きな人]

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 「中野さんてなあ、かわいいとこあんねんでー。」
 「なにー。」
 「男の子さん二人いやはんにゃけどな、『解雇されてなかったら、もっといっぱい子どもがほしかった。女の子が生まれたら、バリバリの女子校に入れて、赤いスポーツカーで迎えに行きたかったなあ』やって。」
 「へー。」
 「その話しやはった時の中野さんの顔が、パオパオは一番好きやなあ。」

 おととい、「国会前54日連続フルマラソン」の46日目を中野さんといっしょに走らせてもらい、家に帰って最初にヨメさんに話したのがこの会話です。

 国鉄民営化は、「国労つぶし」が主たる目的ということはよく聞いていた。しかし、私のイメージでは、給料をたくさんもらっていた年齢層の高い人が首切りにあったものだとばかり思い込んでいた。

 1987年、国鉄民営化の年、中野さんは24歳。
 ご長男が今24歳だと言っておられたので、結婚して最初の子が生まれ、前途洋々たる気持ちでおられたまっ最中であったと思う。

 中野さんのこの「アピール行動」の日々のレポートの最後は、闘い半ばで亡くなってしまわれた仲間のことが記されている。
 その中の「享年」を見ていたら、泣けてくる。ほとんどが今の私の年齢より下。30代で亡くなられた方も数多くおられる。きっと、「あれもしたかった、これもしたかった」と思いながら亡くなっていかれたのであろう。

 中野さんが選ばれた「54」という数字は、その亡くなられた人々ひとりひとりを決して忘れないという気持ちが込められている。(その後5名の方がお亡くなりになり、その数は「59」にまで増えてしまっている。「どうか、早期解決を!」)

 それにしても、毎日毎日フルマラソンを走り続けている修行僧のような人の口から、「バリバリの女子校」とか「赤いスポーツカー」という言葉が出てくるとは思わなかった。この言葉で、中野さんのことをいっぺんに好きになってしまった。(そんな私は、やっぱり変?)

 あまりくわしくはお聞きしていないが、中野さんの奥さまやお子さんもたいへんだっただろうと思う。
 現在、奥様と二男さんが地元北見、長男さんは東京、中野さん自身は国労闘争団の四国常駐として徳島に暮らしておられる。

 私がどうこう言うことでもないが、自分の信念を貫き通し、仲間全員の職場復帰の糸口を見つけようとしておられる中野さんの生き方には敬服する。

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 走っている間、国会議事堂の見学に来ていた小学生の列に出くわした。ここぞとばかり、私が中野さんに聞いてほしかったたった一つの話をきりだした。

 「私ね、実は18年前まで小学校の教師してたんです。国鉄民営化の前の年の1986年の卒業式にね、京都市中の小中学校全校に突然、『日の丸・君が代』が強制されたんです。
 その時、京都市中の校長先生が全員同じことを言い出したんです。こっちがどんな聞き方をしても一字一句ちがわんような答えが返ってきたんですよ。『ずっと前から、日の丸・君が代を式に入れたいと思い続けていました』とか・・・。
 なんやねん。あんたら、『教え子を再び戦場に送らない』という気持ちで教師になったんちゃうんかいな!そんなんで、今までの自分自身との整合性とれとるんかいな!
 それまで私らの話をようよう聞いてくれてはった校長まで、この件に関してはいっさい受け付けず。校長さん、全員がリモコンロボットになってしもて・・・。
 その時全市で250人ほど校長先生がいたんですけど、この『日の丸・君が代』の強制に反旗を翻した人はゼロ。なんちゅー恐ろしいこっちゃと思いました。これは、絶対、市教委の中に校長恫喝係がいるんやわと思いました。(まさか、その係員が出世して教育長になり、そののち市長になっている・・・、なんてことはないですよね。まさか、ねえ。)
 
 それに加えて組合の方針が・・・。
 さんざん議論したあげくの結論が、『卒業式では何もしない』ですよ。何もしない組合活動って、いったいなに?
 労働組合は組合員の生活を守るためのものやから、もし免職者が大量に出る事態になったら支えきれない、というのが理由ですわ。なんじゃ、そら。
 
 自分の信じることを貫き通せない職場にいても無意味と思って、その5年後の1991年に退職しました。

 だから、どんな迫害にもめげず信念を貫いておられる根津公子先生や中野さんがうらやましくて・・・。こんな生き方がしたかったと、今ごろつくづく思ってるんです。」

 あの時、「クビになっても、いっしょに勉強して裁判に持ち込んで、勝とうぜ!」と言ってくれる仲間が一人でもいたら・・・。でも、そんな仲間を探そうともしなかった私は、闘わずして負けていた。
 私が教師をやめたら一番がっかりするであろう母が死んだ2ヵ月後、「日の丸・君が代」強制から5年目の1991年3月、私は退職した。

 自分のことだけでなく、仲間みんなのことを考えながら走っておられる中野さんの姿を見て、いろいろなことから逃げてしまった自分が恥ずかしくなった。
 あの「日の丸・君が代」強制の時、私は30歳。結婚したばっかりで子どももなし。中野さんは、国鉄民営化の時24歳。すでに一児の父。
 比べさせていただくのもおこがましいが、私と中野さんは雲泥の差でした。今回、このアピール行動の54分の1だけでもいっしょに走らせてもらって、本当によかった。
 これからは、自分のできることをしっかりと見つけ、実行していきたいと思っています。

 最後にもう一度、中野さんの大好きなチェ・ゲバラの言葉を・・・。
 「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。」
 

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 <おまけ>

 昨日、廉が3日遅れの誕プレをくれた。「ライト・オン」でトレーナーを買ってきてくれた。なかなか、センスいいでしょ。
 「ひょっとして、ますみちゃんのさしがね?」
 「なんでやねん。廉が自分でこうてきたんやわ。ふだんの私の育て方がええもんやから・・・。」
 またもや出ましたー。「私一人で育てました」パターン。

 中野さん、女の子はもちろんかわいいけど、男の子もいいとこいっぱいありますよ。
 いつか、中野さんの息子さんたちとも会わせてくださいね。

※ 中野さん(国労闘争団)のホームページを私のリンク集に入れさせていただきました。興味のある方は、ぜひのぞいてみてください。特に、その中の「中野レポート」を。→

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2009年12月03日(木)

「めげるって!」 -兵庫・ゆめさき舎にて- [私の好きな人]

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 昨日、「ゆめさき舎」に行ってきた。(「ゆめさき舎」は、「ランナーズ9の会」のまっちゃんが経営されている小規模作業所です。)

 10月14日以来、二度目。
 今回の訪問の主な目的は、前回の帰りがけ「あした、また来るん?」と言ってくれた友へのこたえです。「あしたは来れへんけど、絶対また来るし!」
 約束が果たせて、よかった。

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 前回は、お昼に到着し4時ごろまでおじゃました。今回は朝の風景も見てみたかったので、早起きして9時半到着目標で自宅を出発した。
 平日は宝塚トンネル前の渋滞もほとんどなく、思ったより早く行けそうだった。その分SAでゆっくり休けいし、福崎ICを降りたのが9時10分過ぎ。これは私が先に到着し、まっちゃんの車の到着をお迎えできるなあと思った。
 ところがIC出口あたりでモタモタし、「ゆめさき舎」到着はちょうど9時半。
 ガレージに入ろうとしたら、反対車線にあのボロボロハイエースの姿が・・・。まったくの同時入着でした。

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 ハイエースからは、よくおしゃべりしてくれるSA君が降りてきて、むこうから「よっ!」って感じかな。
 そのあと、前に「あした、また来るん?」と言ってくれたMI君や、紅一点のKOさん、電話帳大好きのTA君と次々に降りてきた。MA君は、おかあさんが連れてこられるようだ。
 前回、もう一人いたFU君は、おうちの都合により別の施設に入所したらしい。こないだは彼とはまったく関わりを持てなかったので、残念。
 写真を撮る時、ちゃんといいポーズとってくれてたもんね。もうちょっとだけでもなかよくなりたかったなあ。

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 前回初めておじゃました時は、正直言って、めちゃくちゃ緊張した。一番心配だったのは、「いやがられたらどうしよう」ということ。
 恥ずかしながら、若かりし日、小学校教師を12年もしていたのに「知的障害者」といわれる人々のことをまったく知らなかった。イメージとして、「奇声を上げる」、「奇異な行動をとる」という部分ばかりが私の頭の中にあった。
 それに加えて、まっちゃんがどこかに書かれていた「自傷行為」。こっちに向かって攻撃してくるならそれなりの対処ができるが、自分の体を傷つけている者を見つけたらどうしたらいいんやろう。

 「えーい、なにもかもよう分からんわい。とりあえず、まっちゃんに甘えて、飛び込ませてもらおう。」
 そう思ったのが、正解だった。
 「ゆめさき舎」の通所者6人中3人は、私がいる間ずっとニコニコしてくれていた。あとの3人も、決して私を排除するような行動には出なかった。もう、それで十分ですね。おまけに、「あした、また来るん?」て泣かせるようなことを言ってくれる子もいて・・・。

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 あれこれ心配してても、何にも始まらんわな。
 ほんま、よう分かりました。

 この日は、みんながやっている仕事も体験させてもらった。
 「ビスをプラスチックの型にはめて、ハンマーでトントン」と、「ビニールをおんなじ長さにチョッキンチョッキン」・・・て、何のことか分かりませんよねえ。写真とっておけばよかった。
 どっちの仕事も、商品を納品に行くガソリン代などを考えると利益はほとんどなしらしい。厳しいです。

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 さて、今日のテーマは「めげる」。
 これは、「がっくりくる」の「めげる」ではありません。兵庫県姫路近辺では・・・。

 今回、お昼はお弁当ではなく、みんなで焼きうどん。大型ホットプレートで8人分を作った。
 「指切らんように、気つけや」とか、私はやったこともないくせにえらそうに指導。
 これにプラス、まっちゃん特製おにぎりと特製味噌汁。めっちゃうまかった。 

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 カレーしか食べないと言われていたMI君も、めずらしく焼きうどんをパクパク。みんなでワイワイ言いながら食べたら、何でもうまいんや。

 MI君は、口いっぱいにおにぎりをほおばり、半分がポロリ。向かいに座っていた私のほうに転がったようだが、気にしていなかった。
 食べ終わり、「さてと」と片付けに立ち上がるとスリッパがニチャニチャ。
 こらおもろい。こんなこと、久しぶりじゃわい。前は、しょっちゅうあったような・・・。なにか、なつかしい感覚・・・。

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 おなかがいっぱいになって調子がよくなってきたのか、MI君が活動的になってきた。
 部屋を走り回りながら、MI君が言う。
 「ゆかをどんどんしたら、めげる。」
 「ドアをどんどんしたら、めげる。」
 「ホットプレートをどんどんしたら、めげる。」

 「MI君て、ほんまにめげるって!」と私。

 「めげる」とは、姫路近辺では「こわれる」という意味だそうです。

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 MA君は、キーボード演奏を披露してくれた。
 このキーボードもだいぶめげかけてたなあ。
 本人もちょっと調子が悪かったみたいで、いつもはもっとうまく弾いてくれるらしい。

 MA君は、まっちゃんに対して「あ・り・が・と」を連発していた。
 「ありがとうってゆってもらうようなこと、何もしてへんにゃけどなあ・・・」とまっちゃん。
 まっちゃんの手をとって自分の手と合わせ、指と指を組み合わせる動作を何回もくり返していた。きっと、何かを伝えたかったんやろうね。

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 まゆ毛ボーボーのTA君は、ジグソーパズルを一生懸命やっていた。
 前に来た時は笑顔がまったく見られなかったのだが、今回は時々ニコニコしてくれていた。私には、私のほうを見てニコニコしてくれていたように見えたのだが、どうなんやろう。

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 SA君とは、今回もせんどしゃべったな。
 カレンダーのカタログにヘキサゴンファミリーがぎょうさん載ってて、この話題だけで1時間はしゃべったね。SA君はテレビっ子みたいで、テレビおじさんの私とは話が合う。
 私がスザンヌの舞台あいさつを見に行った話には、かなり食いついてきた。
 でも、「ボクは上地雄輔に似てるから・・・」と言ったのにはまいったなあ。うーん、よう見たら、似てへんこともないか。
 (オレンジのキャップがSA君です。)

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 紅一点のKOさんは、けっこうお茶目なことが分かった。
 MI君がホットプレートにフライ返しを当てて音を出しているのを見て、「私にもやらせてー」とねだったり。MA君がキーボードを弾いていたのを見て、みんながいなくなったのを見計らってこっそりさわったり。SA君が一生懸命見ていたカレンダーのカタログを横からスーと取って行ったり。
 それらをみんなニコニコ顔でやってるからおもしろい。しかられることを予想して、わざとやってるね、あの笑顔は。

 ビニールチョッキンチョッキンをさせてもらったその部屋は、南側にガラス戸がありぽかぽかしていた。気がつくと、私とここの通所者5人がその部屋にそろっていた。
 私とSA君はカレンダーのカタログを見ながらおしゃべり。その様子をうかがいながらも、ほかのことも気になるKOさん。その横でピースが半分くらいしかそろっていないジグソーパズルに打ち込むTA君。その後ろでデーンと寝転んでいるMA君。MI君はあちこちめげさしたり(こわしたり)、私の持ち物を一個一個点検したり・・・。

 ああー、ええなー、このバラバラぶり。
 ひとに指図されるのが大嫌いな私は、こんな風景を見るとゾクゾクする。やりたいことやらせてもらえたら、それが一番。
 ただ、それを見守るほう(まっちゃん)はたいへんや。

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 「ゆめさき舎」特製寅の絵馬。
 読売新聞でも記事にしていただいたそうだが、まだたくさんあるらしい。
 私もちょっとだけいただいた。

 家に持って帰ってヨメさんに見せると、「縁起もんやし、うちのお客さんにもあげたら喜んでくれはるんとちゃうかなあ」。
 おお、グッドアイデア。
 もし売れ残る不安があるようでしたら、ぜひうちに言ってください。できる範囲で、購入させていただきます。  

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「ゆめさき舎」の室内にはってあった「心得」

 今日、一つ賢くなったこと。

 自閉症の人は、あらゆる外部の音を拾ってしまう人が多いらしい。自分が聞きたい音も聞きたくない音も同じレベルで耳から入ってくる。そのため、それらすべてをシャットダウンしてしまう。そこから、内へ内へと入り込んで行ってしまう。それは、きついね。

 まっちゃんが私に言った。
 「この仕事を長くしていると、普通にコミュニケーションがとれないというのが当たり前になってしまって、藤井さんのいっぱい話している姿に感心しました。」

 なーんも。
 私はたまに来て、自分の興味のあるところを見ているだけ。毎日毎日反応の少ない相手に奮闘されているまっちゃんとは、比べるのも失礼です。ただ、何か一つでも聞き取れたらいいと思いながら聞いているのは確かです。

 次におじゃまするときは、難関のMA君の笑顔が見てみたいなあ。 

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