パオパオだより

2008年07月15日(火)

外峯陽子さん [私の好きな人]

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 つい最近の、私とヨメさんの会話。
 「ほれほれ、こうじさんの好きなランナーの・・・」
 「あーっと、松山健治さん?」
 「じゃなくてー、女の人で、ほらー。」
 「うーん、平田邦子さん!」
 「京都走ろう会じゃなくてー、京都ランナーズの・・・」
 「あーん、外峯さんかいな。」
 私が外峯さんを好きなのは、ヨメさん公認みたいです。

 この話をそのまま外峯さんにしたら、「私のこと、思い浮かばんかなあ。」とぼやいてはりました。(笑いながら)

 日曜ごとの出張販売が詰まっていたので、京都ランナーズの例会も一年に数回だけという年が続いていました。そして時々顔を出すたびに、新顔さんがおられました。外峯さんもその一人です。
 初めてお目にかかったときは、「ニコニコした、感じのいい人が入ってこられたんやなあ。」という印象でした。
 去年の7月のビァパーティで同じテーブルになり、それからちょこちょこしゃべらせてもらうようになりました。

 そして、今年のビァパーティ。同じテーブルにはなりませんでしたが、しやべりにきてくれはって、かなり内容の濃い話をしました。
 その話をブログに書こうと思っているのですが、かなり個人情報が含まれているので、ご本人の承諾を得てから公開します。

 (よって、今日はここまで。)

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2008年07月11日(金)

矢野絢子(じゅんこ) [私の好きな人]

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ユニバーサルミュージック公式サイトより

◎京都新聞7月10日夕刊 「歌が生まれる」シリーズより

 激しくかき鳴らされるギターと優雅なバイオリンの音色がステージ上で絡み合う。高知市の中心街から少し離れた住宅地に立つ「劇場 歌小屋の2階」は、その夜もライブの熱気に包まれていた。三十人も入れば満員の客席。いつものようにステージを見詰める矢野絢子(28)の姿があった。
 ピアノの弾き語りで2004年にメジャーデビュー。翌年には日本ゴールドディスク大賞で新人部門の賞も受けたが、一貫して高知を離れず、この歌小屋で歌い続けてきた。「どこにいっても、ここ以上に面白いライブはない。私の音楽の基準は全部、歌小屋にある」
 高校生だった1997年に音楽活動を始めた。拠点のライブハウスが約一年後に閉店。ミュージシャンや役者八人が集まってカンパを募り、生活費もつぎ込んで、出演者が自ら運営する歌小屋を立ち上げた。
 音響を良くするために紙の卵パックを天井に張るなどして、二階建ての事務所を手作りライブハウスに。自宅のピアノを持ち込み、二十歳のころは二階の控室に住んだ。受付も照明もすべて自分たちでやる。毎日のように仲間のライブを全身で浴び、影響を与え合いながら、強烈な個性を放つ歌を生んでいった。
 「知らない所に行きたいな」「嘘だよ本当はね ここに居たい」と、歌小屋への思いをつづったデビュー曲「てろてろ」。いすの“一生”を描いた12分の 大作「ニーナ」・・・。デビューの歳、矢野がレコード会社側に提示した条件は、高知在住と、「歌小屋で発表するために曲を書く」矢野には当然の選択だった。
 2006年に現地に移転した後も、全国からファンが歌小屋を訪ねる。矢野が師と仰ぐミュージシャンの池マサト(44)は「一番気持ち良く歌える空間と、それを喜んでくれるお客さんがいる。スタイルはずっと変わらん」。
 今夏発売の二枚組みアルバム「サマーバケイション」には、「歌小屋」という新曲が収録されている。「矢野絢子という、歌小屋の文化の中から生まれた歌うたい」が、そこに立っている。

◎今回は、私のブログでは異色。すきな歌について。
 
 去年の4月ここ市原に引っ越してきて、きくの散歩は長代側沿いの道になった。まだ家が建て込んでいない長代側沿いには、大きな大きなニレの木があった。
 夏の暑い日、きくと私は、いつもその木の木陰でいっぷくしていた。周りに何もなくその木が枝を広げているだけなのに、なぜかひんやりとしていた。きくはその場所が気にいっていたのか、いつもその木の下でウンコをしていた。そして、その後動こうとしない。
 その大木が、去年の12月、道路拡張のため切り倒されてしまった。最後の日、たまたま通りかかったきくと私は、その大木の最後の抵抗を見せてもらった。ブルドーザーに何回も揺さぶられていたのに、「そう簡単に、倒されてたまるか!」という感じがした。

 その時思い出したのが、矢野絢子さんの「ニーナ」である。

♪その椅子は木で出来た丈夫な椅子
 こげ茶色のクッション木彫り花模様肘掛
 背もたれの両端には小さな赤い石
 それはそれは美しい木の椅子だった

 その椅子を作ったのは椅子職人の爺さん
 曲がった腰慣れた手つき鋭い目
 出来上がった椅子があんまり美しかったので
 死んだ妻の名前をこっそり入れたのさ

 店先に置いた椅子はすぐに客の目に留まり
 やって来る客についつい爺さん「売り物じゃない」という
 何人めかの客が来てしばらく話し
 爺さんはついに言った「売りましょう」と

 (中略)

 何度も壊れ直された足はちび肘掛は擦り切れたが
 小さな赤い石はきちんと二つ光ってる
 今ではもう五歳になった娘はやんちゃな悪戯っ子
 椅子の下海底ごっこ思わず目を輝かす

 「何か彫ってあるよ母さん
 ねぇ、素敵だわ
 きっとこの椅子の名前だわ
 ニーナ! ニーナ!
 娘は椅子をそう呼んだ♪ 

 (後略)

 その木が切り倒された後、その木の横を通る時、いつもこの歌を歌いながら通った。私にとっては、「ニーナ」はこの木への鎮魂歌だった。(もちろん、その木を「ニーナ」と呼んでいた。)
 人間の都合だけで、長い間この土地を見守ってくれていた大木をあっさり切ってしまった。「ごめんな」と言って、木をなぜても・・・。

 道路の拡張工事が、だんだんこの切り倒された大木の近くに迫ってきた。もうすぐ、この大木もどこかに運ばれ処分されるのかもしれない。
 切り倒されているのに、春には新しい芽が出てきた。「ああ、生きてんにゃ・・・。」と喜んでいたのに。

 だまされたと思って、一度「ニーナ」を聞いてみてください。心にしみる、すごくいい歌です。 

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切り倒されたニレの大木「ニーナ」

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2008年06月28日(土)

ひとのブログにコメント [私の好きな人]

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きくとあじさい

 いままで、他の人のブログにコメントしたのは、羽根田治さんの「極私的鳩間日記」と、よんなぁよんなぁさんの「クーの毎日」だけだ。ただ、このお二人は私のブログの師匠と呼ぶべき人なので、私はひと(他人)とは思っていない。
 羽根田さんとはお会いしたことはないが、毎日ブログを見せてもらっているので他人とは思えない。山のスペシャリストであり、どうしょうもない飲んだくれという印象。年に数回しか会われない奥様との関係も、ビミョー。ぜひ一度、会ってお話してみたい。
 よんなぁよんなぁさんは、今年2月お会いすることができた。西表犬(?)クー命! 独特の「間」を持っておられ、私はこの間が大好き。「クーの毎日」と言いながら、月に2、3回くらいしか更新されない。貴重なブログである。

 昨日初めて、ひとのブログにコメントした。
 田中千洋さんの「ちひろっぴぃ」と、赤羽有紀子さんの「ママさんランナー奮闘記」に。

 「ちひろっぴぃ」に寄せたコメントは、以下の通り。

 京都の藤井です。今年3月の「大阪城公園4時間走」に参加させてもらい、そのようすを私のブログ「パオパオだより」に書かせてもらいました。
 今日、日本選手権女子10000mがありました。その前にちょっと気になって、田中千洋さんのブログをのぞいてみました。「私のほうが赤羽さんより先輩やのに」という感じでちょっとくやしそうなことが書いてあり、それを見てなぜかほっとしました。
 うちのヨメさんがランニング用品店「京都キャロット」をやっている関係で、マラソン大会で何度か田中千洋さんにお会いしています。今年だと、「24時間リレーマラソン日吉津」とか、「たたらぎ」とか。その大会のこともブログに書いていますので、よろしければまた目を通してみてください。
 あさっての「天空マラソン」に出られるのですね。私も走りに行きます。雨が降りそうですが、寒くなるのでしょうか。会場でお目にかかれたら、声をかけさせてもらいます。
投稿者 パオパオ [URL] : 2008年6月27日(金) 22:35

 「ママさんランナー奮闘記」に寄せたコメントは以下の通り。

 ■まばたきできなかった!

 テレビの前で10000mの応援させてもらいました。中継の途中で走り幅跳びに切り替わり、戻った時に赤羽さんがトップに立っておられた時はにぎりこぶしに力が入りました。初めから終わりまでずっと画面に入っておられ、もう私はそれで満足してしまいました。しかし、あなたはそれで満足ではなかった。最後の最後まで、優勝への執念を持ち続けておられた。あの底力はいったいどこから?と思いながら目を見開いて見せていただきました。今日のレースは、多くの人の記憶に残る名勝負になったのではないでしょうか。
 いっしょに見ていたうちの中2の娘(真樹)の言葉。「赤羽さんて、陸上選手やのにいろ白いなあ。真樹は体育館で練習(バスケ部)してんのに黒くなってるんやで。」こんなことも言ってました。「高校は、陸上部はいろうかなあ。」これは、今日の赤羽さんのレースを見た影響かもしれません。どうか、これからもみんなにいい夢を見せてください。
 今日は、優苗ちゃんをいつもの3倍くらい抱きしめてあげてくださいね。

パオパオ 2008-06-27 23:15:33

 田中千洋さんも赤羽有紀子さんも、とにかくかっこいい。お二人とも、かわいい女の子のお子さんがいて、仲よしのだんなさんがしっかりサポート。
 日本もやっとこんな風が吹くようになったかと、感慨深い。
 「子どもがいても競技を続けられる。」いや、その前以上にがんばれる。そんな女性が、これからもどんどん増えていってほしい。
 私は、そんな女性のファンです。

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2008年06月10日(火)

高石ともやさん [私の好きな人]

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 みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
 「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
 「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
 「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」

 これは言ってもいいのかな。
 奥様のてるえさんは、抗がん治療の体力をつけるため、できるだけウォーキングをするようにしておられる。歩いておなかをすかせないと、食事がすすまないからだ。
 今はまだ走れないけれど、ウォーキングは続ける。そして、うまくいけば、ホノルルの10kmウォーキングに挑戦。
 12月のホノルルまであと半年。しっかりした目標を持ってお二人で歩いてほしい。

 ともやさんが言っておられた。
 「奥さんがガンになってから、二人でゆっくり話しながら歩くことが多くなってね。いっぱいいろんなことを話しましたよ。」
 そう語られる姿に、なぜか悲壮感がない。と言うより、楽しそうに聞こえる。三宅誠孝さんといい、奥様のてるえさんといい、高石ともやさんのそばにいるとガン細胞が縮んで行くのかなあ。

 大会が終わろうとしている時、わざわざうちのテントにあいさつに来られた。
 「久しぶりに走れてよかった。ほんとによかった。新コースになった3年前、直前に足を痛めて走れなくなって、それ以来だからね。」
 本来なら、私の後ろを走るような人ではない。まだ本調子ではないようだが、あのコースを走りきれたことが心の底からうれしかったようだ。

 話は変わり、マラソン解説者の話題になった。
 「増田明美さんと、金哲彦さんはいい。絶対人をけなさない。どんなランナーもいいところを見つけてほめている。どうしてそうなのと聞いたら、『どのランナーにも、家族がいてテレビを見てるでしょ』って。」

 これって私のモットーの「ほめ生かし」といっしょ?
 と言うか、私の「ほめ生かし」は、高石ともやさんの歌のパクリ?
 知らん間に影響受けとったんかなあ。でもええことは、どんどん影響受けたらええやんなあ。

 高石ともやさんは、「陽気にいこう!」
 私の場合は、「お気楽に生き延びよう!」
 やっぱり、だいぶちごたな。

 「ともやさん! ボク、今日走りながら考えてたんですけど・・・。
 今度の2016年のオリンピック、東京になったら、最終聖火ランナーどうですか。ボク、絶対ええと思うんですけど。そんで、火ついたあとコンサートやらはったらよろしいやん。(もちろん、ともやさんの横には元気な奥様が。)」
 ともやさんはそれを聞き、ただ「えー」と言って笑っておられるだけだった。

 8年後のオリンピックも、みんなで笑って楽しみましよう。
 その時、私はちょうど60歳。ともやさんは、74歳。奥様や三宅誠孝さんは何歳やろう。そろそろ私も、ともやさんの前を走らせてもらえるころかなあ。
 「みんなみんな、生き延びたんぞー。」

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2008年06月06日(金)

勝手にエール、高石てるえさん、三宅誠孝さん [私の好きな人]

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岩倉幡枝の空き地に咲いた花

 あさって6月8日は、みかた残酷マラソン。

 この大会は、前夜祭で高石ともやさんのコンサートがある。久しぶりに、あの笑顔を見ることができる。あの歌声と笑顔から力をもらった人は、きっとたくさんいる。
 今度は、こちらがその何分の一かでもお返しがしたい。

 私のブログでも書いたが、高石ともやさんの奥様てるえさん(3/18のブログ)、親友の三宅誠孝さん(4/13のブログ)がガンとたたかっておられる。くわしくはお聞きしていないが、お二人とももうガンと診断されてから長い。

 このおふたりとは、同じ大会を何回もいっしょに走った。今は少し無理なようだが、強靭な生命力で必ず大会に返ってこられると信じている。
 あさっては、このお二人+高石ともやさんのために走る。ちょっと迷惑かもしれないけれど、勝手にエール!

 「陽気にいこう! 高石てるえさん、三宅誠孝さん!」

(注)ただいま、応援のぼり製作中。それを背中につけて走る予定です。

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2008年05月22日(木)

「ヤッチンたら・・・」と「金三封?」 [私の好きな人]

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ふざけすぎの私とちょっと怒っているヤッチン

 「ヤッチンたら・・・」

 中学のクラス会をして、久しぶりに同級生に会った。
 私の右どなりに明美ちゃん、左どなりにヤッチンがすわった。
 明美ちゃんは中1の一年間いっしょに過ごしただけだが、大事な大事なクラスメイト。私は久しぶりに会えたのがうれしくて、かまいまくり、からかいまくり。
 そんな様子を反対側でにがにがしく見ていたのが、ヤッチン。

 でも、会場に着いた時、ヤッチンの顔を見てほっとした。ああ、変わってない、あの表情。笑っているような、怒っているような、両方が混在していてそれがビミョーに変化していくような・・・。
 中学時代、私はなぜかヤッチンの顔が好きだった。そして、さっぱりした性格。突然発する短い指摘も的を得ていて、よく楽しませてもらった。

 一つだけ、中学時代のヤッチンのエピソードを。
 うちの中学は給食があり、職員室にも生徒が運んでいた。
 クラスで、その順番をどうしていくかという話し合いになった時、いつもあまり発言しないヤッチンが突然言った。「そんなもん、先生らが自分で運んだらええんちゃうんか。」
 この発言に中古賀先生はうろたえていて、おかしかった。ヤッチンはこんな人です。(ヤッチンも先生も、こんなことおぼえてへんにゃろなあ。)
 今回はあまりしゃべれなかったけれど、また会いたい度はナンバーワンかな?

 ここからは、昨日の話。

 会場で、携帯番号とメルアドを聞いたのだが、家の電話番号を聞き忘れた。名簿を作る関係で必要だったので、ヤッチンにメールした。
 「また会おうね
 こうじです。クラス会来てくれてありがとう。今、名簿を作っているところです。ヤッチンの家の電話番号を聞き忘れました。メールで知らせてね。」
 お昼休みに、返信が。
 「ヤッチンチンです。メールあり」

 ヤッチンたら・・・、題と本文が混ざって切れとるがな。
 返信。
 「メール切れとんでー
 こうじです。メール途中で切れとんでー。題名のとこに入力したんちゃう?」
 すぐ返信あり。
 「ヤッチンチンです。メールあり」

 さっきとおんなじやん。この「メールあり」は「メールありがとう」が切れとんにゃろな。
 また返信。
 「あかんて
 こうじです。切れてるって。本文のとこに入れてや。」

 このやりとりを見ていたうちのヨメさんの言葉。
 「あんたらの世代は、わけわからんわ。」
 ボクは、ようようわかりますけど。

 夜、やっと。
 「こうちゃんごめん。メールおそくなった。TEL075-712-○○○○またメールおくってな。ヤッチンチンより。」かわいい絵文字付き。(この時、たいへんな事に気づいた。ヤッチンは、自分のことを「ヤッチンチン」て書いとる。恐るべし!)
 これにて、一件落着。


 「金三封?」

 ヨメさんに助けてもらい、やっとクラス会名簿が出来上がった。クラス会の写真といっしょに、先生の所へ持っていった。
 向日市のご自宅に着くと、おうちの中でバンザーイをするご夫婦。「やったー、琴欧州。勝った、勝った!」 あんたら、ブルガリア人?
 
 おうちに入れてもらい、私のブログをプリントアウトしたものを見てもらった。
 「先生、ここ大きい声で読んでもらわな。」
 先生は、おもむろに読み出した。
 「中でも私が一番聞きたかったのは、いっしょにブルガリアに来てくださった奥さんの存在だった。先生が『ブルガリアに行きたい』と言った時、反対もせず、「一人で行ってき』ともおっしゃらず、当たり前のようにいっしょに来られたそうだ。こりゃ、すごい。」
 ここで、先生の奥さんからつっこみが。
 「それは、ちがう。私がブルガリア行くことを決めて、子どもたちが背中を押してくれたん。この人は、それについてきただけ。」
 えー、そうやったんですか。そんなこととは、思ってもみませんでした。

 その後のいっちゃん大事なとこを先生は読まず、紙を置いた。
 「先生、その先、読まな。・・・しゃあない、代わりにボクが読みます。」
 「中学のいつだったか忘れたが、『僕は、奥さんが一番大事なんや』と顔を真っ赤にして言われたことがあった。先生得意の空手の『三鎮』の型をやり終わった時より赤かったかも。
 そうか、頭の血管切れるくらい大事なんや。へんな中学生だった私は、そんなふうに理解していた。」
 ここで大きなリアクションを期待していたのに、奥さんは無視。ここ、照れるとこやろが。なんなん。

 「次のクラス会する2年後まで、絶対死なんように。」と言い残し、先生とお別れした。

 家に着き、石井慧君に激励の金一封を送らにゃと思い出し、先生からいただいた封筒を確認した。
 げげげ、万札が、1枚、2枚、3枚。ふぇー。こら、すごい。てっきり1枚やと思って、確認してへんかった。
 会の最初に、「このクラス会の残金を、石井慧君の応援にまわします。たらんときは、先生に助けてもらいます。」と言ったから、先生急きょ増やしてくれはったんかな。
 ご披露もせんかったし、「先生、こんなにたくさんあきませんてー」とか言う儀式もせんかったし。お気楽系が幹事やったら、こんなもん。まあ、ええやん。

 この「金三封」を生かしてね、石井慧君。
 表書きは「餞別」では平凡すぎるし。
 私が考えた候補。 
 「楽」・・・北京を楽しんで来て。
 「リラックス」・・・肩の力を抜いて。
 「頭脳」・・・頭を使った柔道を。
 「生かせ!」・・・何を? もちろん自分を、です。

 うーん、悩むところやね。

 
 

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