2008年03月28日(金)
新学習指導要領「愛国心強調し修正」 [平和]
ガソリン税改正のニュース、刃物殺傷事件、ホーム突き落とし事件のニュース、などが連日大きく取り上げられている。そんな中、今日、日本の将来を左右しそうな大きなニュースがあった。毎日新聞では小さな扱いだったが、京都新聞では比較的ていねいに取り上げられていた。
☆3月28日、京都新聞朝刊1面より
「愛国心強調し修正」 国と郷土を愛し/君が代歌えるよう指導 -手続き不透明 批判も-
渡海紀三朗文部科学相は28日付で、新しい小中学校の学習指導要領を告示した。2月15日公表の改定案の「総則」に道徳教育の目標として「我が国と郷土を愛し」との文言を加え、小学校音楽で君が代を「歌えるよう指導する」と特記するなど愛国心教育をより強調する修正を加えた。
文科省は「パブリックコメント(意見公募)のほか改正教育基本法の趣旨や国会審議、与党とのやりとりを踏まえた修正。特に重要な修正部分はない」と説明。しかし、長期にわたる中教審の公開審議を踏まえた改定案公表の後になって、国民の間で賛否が分かれる愛国心教育に関する修正を多く加えた不透明な手続きは批判を呼びそうだ。
(略)
小学校音楽での君が代の取り扱いも、改定案は現行指導要領を踏襲し「いずれの学年においても指導」としていたが、新指導要領は「いずれの学年においても歌えるよう指導」と修正した。事実上、子どもたちに「歌わせる」ことに力点を置いた。
文科省は「現行指導要領の解説書の記述に合わせた。実質的な変更はなく、強制の意図もない」としているが、法的拘束力を持つとされる指導要領の本文に記載されたことで、学校現場への影響は大きいとみられる。
(略)
※関連記事(6面)
「土壇場 政治の圧力」
改定案公表からわずか一ヶ月余り。君が代を「歌えるよう」にと具体的に規定するなど、論議を呼びそうな修正が土壇場で次々に加えられたが、文科省は「ほとんどが細かい字句上の修正。あとは改正教育基本法の趣旨をより明確にしただけ」とあくまでも“微調整”であることを強調した。
だが、関係者によると、一部の自民党国会議員らが文科省に対し、主に道徳教育についての改定案の書き換えを強く要求、見送った教科化も事実上盛り込むことまで求めてきたという。
(略)
今回の告示について国際基督教大の藤田典教教授(教育社会学)は、「愛国心重視の文言を最後の修正で加える手法はけしからん」と強く非難した。「改正教育基本法は強行採決で成立した。パブコメも国民投票とは違い民意を代表していない。こんな形で国が心を支配する方向に踏み出すのは間違っている」
◎1986年の2月。突然、日の丸・君が代が降って来た。じょうだんではなく、本当にそんな感覚だった。
当時、私は北区の上賀茂小学校の6年担任だった。
その2年前にも同じ学校で6年を担任し、40名以上の子を卒業させていた。
「さあ、また卒業式や。しっかりせんとな。こんな仲のよかったクラスやから、きっといっぱいの子が泣くんやろな。」そう思っていた。
京都は革新府政、革新市政が長く続いていたせいもあるのか、卒業式・入学式での日の丸・君が代実施率が全国最低ランクだった。だからといって、決してつまらない式を行っていたわけではない。各校で工夫をこらしたすばらしい式が、京都の自慢でもあった。
しかし、わずか一か月ほどの間に、それらはすべて解体された。どこの学校も、おごそかな(?)金太郎飴みたいなワンパターンの式になってしまった。
それよりも当時私が一番恐怖を感じたのが、校長先生の豹変ぶりである。
「教え子を再び戦場に送らない」を旗印に、全国に誇れる京都の平和教育を何十年とになってこられた校長先生が、みんな同じ言葉をしゃべりだしたのである。私たちの疑問に対する応対まで、京都市立小中200人近い校長先生がみな同じになってしまった。(なにかにとりつかれている。)
洗脳? ロボット化?
学校とは、失敗してもみんなが補い合い、ともに成長していける職場だと思っていた。私の数少ない職場体験のなかでも、それは感じられた。自分自身も、子どもに対してもいつもそういう姿勢でいようとこころがけていた。
しかし、日の丸・君が代の強制が導入されて以来、職場のふんいきも(悪い方に)変わってしまった。なかでも、校長先生を信頼できなくなってしまったことは大きな変化だった。
そしていつの間にか、職員会議は、楽しい学校を作っていくための話し合いの場ではなく、上意下達の場に変貌してしまった。
その時、校長先生方に何があったのか、いまだ明らかにされていない。(きっと、人に言えないような恐ろしいことがあったに違いない。墓場まで持っていかれるのかな。)
しかし、その年の卒業式から、ほとんどの小中学校で日の丸・君が代入りのワンパターンの式が定着した。
私はそれまで5・6・5・6年と担任を持っていたが、翌年は3年担任を希望した。
そして、その2年後、異動。また、5年の担任。次の年は、当然6年に。
どうなるのかと思っていたが、「ざわわ」のうたが大好きな校長先生に助けていただき、自分なりに納得のいく卒業式ができた。
その翌年も2年連続で、卒業生の担任。この時の卒業式もよかった。このあたりが自分の限界かなと悟り、そこで教師を辞める決心をした。
8月に生まれる初めてのわが子のために、中途半端な生き方はやめよう。この決心で、ちょっとは胸が張れるかな。そう思った。
17年も前の話ですが、こんなふうに悩みに悩み結局辞めてしまった小学校の先生もいたのです。どう、思われます?
☆2日前には、こんな悲しいニュースが・・・(3月26日、京都新聞夕刊10面より)
「卒業式でミス『死んでおわび』 小6、飛び降り死亡」
東京都板橋区の区立小六年の男児(12)が25日、卒業式を終えて帰宅した後、自宅マンションから飛び降りて死亡していたことが26日分かった。自宅に「死んでおわびします」という趣旨の走り書きがあり、警視庁志村署は自殺とみて詳しい動機などを調べている。
志村署によると、男児は25日午後1時半ごろ、板橋区中台の自宅マンション14階のベランダから飛び降りた。病院に搬送されたが全身を強く打っており、約二時間後に死亡。普段着姿で靴は履いていなかった。自宅居間のテーブルに男児が書いたと見られる走り書きが置いてあった。
男児は25日午前、小学校の卒業式に出席。校長によると、男児は卒業生による呼び掛けで「大好きな学校」とするところを「大嫌いな学校」と発言。校長には式の後、「緊張して間違えた」などと説明していたという。
校長は「明るい児童でいじめなども確認されていない」と話している。
◎この記事だけでは、くわしいことはわからないが・・・。
小学校の卒業式は何のためにあるのか。
自分の小学校時代6年間を振り返り、それまでお世話になったみなさんに感謝し、これから始まる新しい生活に気持ちよくスタートを切る。その区切りをつけるイベントである。決して国家に忠誠を誓う儀式ではない。
記事を読んだかぎりでは、この子が「大好きな学校」と言いたくなかったことは想像できる。
私も先生の作ったいいことづくめの「呼び掛け」は、大嫌いだった。そういうことを言いたい子もいれば、言いたくない子もいるはずだ。見た目だけよくしようという卒業式なんか、いらない。
私の最後の2回の卒業生には、自分を見つめ直して書いた作文を読んでもらった。これは、けっこう好評だった。
「大嫌いな学校」と言った子。私が担任だったら、「よう、思い切って言ったな」とほめてやったのに。「実はな、先生も学校にはむかつくことがいっぱいあったんや。ほんまに、よう、ゆうてくれたな。先生もスカッとしたわ。ありがとう。」
これくらい、言えんか!
どんなことがあろうと、子どもを死なすな!
◎ ブログを書き終わって(夜10時)、初めて今日の夕刊を見た。
<京都新聞> 集団自決「軍深く関与」 「沖縄ノート」訴訟 大江氏記述は妥当 大阪地裁判決 元隊長訴え棄却
<毎日新聞> 集団自決 軍関与を認定 「沖縄ノート」訴訟 「命令」信じるに足る 大阪地裁判決 名誉毀損認めず
久しぶりにいいニュース。
裁判長は、文章読解力のある人でよかった。この問題についても、いつか自分の考えを書いてみたい。(今日は、ちょっと疲れた。)
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2008年02月13日(水)
岩国市長選 [平和]
長い旅行の間に、平和に関わる大きなニュースが二つあった。
?岩国市長選、米軍容認 新人当選 (2月10日)
?沖縄米兵、中3少女暴行 (2月11日・未明)
?の事件については、賛否両論はありえない。ニュースでは、「沖縄の怒り」を強調していたが、沖縄は日本ではないのかといつも思ってしまう。
少し話がとぶが、だいぶ前、ある作家が興味深いことを書いていた。原子力発電についてである。
「国や電力会社がそんなに安全性を強調するのなら、東京湾や大阪湾に原子力発電所を建設すべきである。」という論である。人口(受益者)の少ない北陸などではなく、都会のそばにこそ作れ。そうすれば、長い長い送電線も必要ないし、核燃料運搬にかかる莫大な警備費も削減できる。
これは、一理あると思った。
本当に、米軍が日本に必要なら、首都東京から2000kmも離れた沖縄ではなく、東京湾、大阪湾に基地がなくてはならない。そこで発生するであろう事件事故トラブルも、人口(受益者)の割合によって受け入れなければ仕方ない。
沖縄で、米軍の事件が多いのは、日本駐留の米軍の75%が沖縄に集中しているからである。
誘致すべきは、オリンピックではなく、沖縄の米軍基地じゃありませんか、都知事さん。「東京都知事、日本最大の米軍基地、東京湾に誘致」、「大阪府知事、日本最大の原発、大阪湾に誘致」 そんな時代には、なりませんかね。受益者負担の原則を貫くのなら、これは決して暴論ではないと思う。
国政選挙のたびに、1票の格差が問題になる。それをとやかく言うのなら、マイナス要素も引き受けてください。それが本当の、「応分の負担」ですよね。
いなかでひっそり暮らすお年寄りも、都会で便利さを享受している若者も、なくして困る命の数は、みなそれぞれ一つづつ。
都会に住むみなさん、もう知らんぷりするのはやめませんか。
?の選挙結果は、正直言って意外だった。
この選挙は、米軍再編に伴う空母艦載機部隊の岩国基地移転が争点だった。
06年3月、艦載機移転の是非を問う住民投票で、87%が反対。同年4月、反対派の井原氏が新岩国市長選初当選(合併前から通算すると3期連続。)その後、国が市への補助金見送り。岩国市議会が補正予算案を4回にわたり否決。
そして、井原氏は辞職し、出直し市長選へ。
投票率76.26%(前回65.09%)、福田氏 47081、井原氏 45299。 約1800票の僅差で、米軍移転容認派の福田氏が当選。(9割の反対派は、真っ二つに割れた。)
この結果を、どう見るか。
これは、意見の分かれるところである。
先の作家の論では、沖縄の負担を岩国市民が受け入ようとしたと判断されるかも知れない。
しかし、約2年前、87%が反対だったものが、そんな極端に変わってしまうのだろうか。
私が思うには・・・
やはり、国からの補助金見送りと、市長と議会の対決がこたえたのだと思う。その上で、容認派の市長を選んでも、「まさか、前面容認なんてことにはならないだろう。」という甘い考えがはたらいたように思う。(「それはそれ、これはこれ」の原理。)
岩国市民は、かんちがいされている。
政府が使っているのは、「アメとムチ」ではない。冷静な思考をマヒさせる「神経ガス」なのだ。
30年近く前、職場の同僚の実家が山口県周東町だったので、夏、長崎平和大行進参加のついでに立ち寄った。錦帯橋、秋吉台、岩国城などいろいろ連れて行ってもらったが、一番印象に残っているのは、お城の天守閣から見た岩国基地だった。
そこには、生まれて初めて見る戦闘機の本物があった。(京都に住んでいると、まず見ることはない。) これが基地か。ここから戦争に行くのか。その時はそう思いながら、ただ、だまって見るだけだった。
日本の将来を真剣に考えるために、子どもたちに基地の実態を見せることが必要かもしれない。
今、京都の公立高校でも、さかんに海外研修旅行が行われている。行き先は、何の問題意識を持っていくのか理解しがたい東南アジアの国が多い。
うちの子(高1)は、来月シンガポールに行く。アジアなら、中国か韓国ならまだいいのだが・・・。シンガポールと言われても、村上ファンドの社長の逃亡先くらいしか思い浮かばない。
国際問題の理解が目的なら、まず身近な日本の米軍基地に目を向けてほしい。対アメリカに関して、何も考えていない高校生が多いように思う。
わが子も含め、自分の目でしっかり見、自分でしっかり判断できる人間になってほしい。
へんな「神経ガス」のえじきにならないためにも・・・。
☆ 2月27日 毎日新聞・記者の目 「国と地方」に直面する岩国市長
・・・「言いなりにならぬ」貫徹を ・ アメとムチもう許すな・・・ 内田久光(周南支局)
(略)
選挙戦で、移転問題を最大の争点に掲げた井原氏に対し、福田氏は市の財政再建を前面に出し、(略) 「市議、県議、国会議員の経験と人脈を生かす。補助金や交付金を引き出すために、省庁のどの扉をたたけばいいか知っている」と中央とのパイプを強調した。
だが、この訴え方では、基地依存を前提とした旧態依然の「ばらまき型」との批判を免れないと思った。
井原氏は市長時代、国に「補助金凍結は約束違反」として強く支給を求めた。というのも、補助金は96年の日米特別行動委員会(SACO)の合意に基づき、沖縄県の米軍普天間飛行場から空中給油機12期と米兵約300人を受け入れる見返りだったからだ。そもそも米軍再編とは無関係で、06年度までの2年間で計14億円が支給されていた。
ところが、国は井原氏が“反旗”を翻すと見るや、急きょ補助金の名目を、米軍再編の協力自治体に払う「再編交付金」と同じ扱いに変え、艦載機移転を容認しない限り支給に応じないという強硬姿勢に転じた。
これは、岩国市の苦しい財政に国がつけこんだ「兵糧攻め」に他ならない。
予算に穴があくのは避けたいと、井原氏は合併特例債で代替予算を組んだが、移転容認派が3分の2を占める市議会は4度にわたりこれを否決。昨年12月26日、窮地に立った井原氏が「私の首と引き換えに通してほしい」と5度目の予算案を提案し、修正可決後、市長を辞職して今回の出直し選挙になった。
岩国市はもともと、米軍基地と共存する街だった。井原市長時代も、02年にハワイから米軍の大型輸送ヘリ8機と米兵180人を受け入れるなど、基地に協力する姿勢を保っていた。
その“蜜月”関係に亀裂が生じたのは、05年10月の米軍再編中間報告がきっかけだった。神奈川県の厚木基地から空母艦載機部隊59機、米兵約1900人などが岩国基地に移り、航空機が100機を超えるなど兵力が倍増する計画。井原氏は、歴代防衛庁(当時)長官が約束した「地元への事前の相談」を無視したことを疑問視。「これ以上の基地機能強化は受け入れられない」と表明した。国と地方の信頼関係を先に崩したのは国ではなかったか。
街を二分した市長選は、激烈だった。期日前投票率は、16.20%と前回市長選(8.74%)の倍近くにはね上がった。印象深かったのは、全国から手弁当で井原氏の応援に駆けつけた地方議員らだった。広島県庄原市の元保守系市議、林保武さん(73)は車で片道4時間かけて何度も通った。「国は言語道断。こんなやり方は許せないと思った」選挙事務所には「地方自治を守って」「子どもたちにいじめの構造を渡したくありません」など全国から届いた激励の手紙や寄せ書きが壁一面に張ってあった。
福田市長は初登庁2日後の14日、防衛庁に石破茂防衛相を訪ね、新市庁舎建設の補助金の凍結解除などを求めた。政府は艦載機移転の「受け入れ表明」と引き換えに支給する方針を固めているが、お金が出たから終わりではない。「国と地方のあり方」をこのままあいまいにしいては、岩国市や他の基地の街にとどまらず、全国の自治体にも禍根を残すのではないか。
(略)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )