2010年06月24日(木)
沖縄「慰霊の日」と映画「GAMAー月桃の花」 [沖縄]
昨日6月23日は、沖縄「慰霊の日」。
1945年のこの日、3ヶ月近く続いた悲惨な沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結した。
私は、4年前までその日さえ知らなかった。
2006年、当時小6だった真樹が「沖縄行ってみたいなあ」と言い出した。
真樹の知らない新しい世界を見せたくて、私たち夫婦と真樹で沖縄旅行。
一番の目的は、自分たちの学校と境遇の似た「鳩間小中学校」見学。
その次の目的は、沖縄戦で戦死した私の父のいとこ・藤井勘六さんのお参り。
私自身も、いなかの本家の藤井克己さんのお父さんが沖縄で戦死したという事実だけは知っていた。私の父より10歳ほど年上の藤井勘六さんは、父の出征の時、「絶対死ぬなよ」と声をかけて送り出してくれたそうだ。
その勘六さんの名前が「平和の礎」に刻まれていた。
真樹も、「京都からこんなに遠い沖縄で、となりのおっちゃんのお父さんは戦死したんや」ということだけは分かったと思う。
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昨日、真樹の高校では、映画「GAMAー月桃の花」を鑑賞した。

■ストーリー
1994年沖縄県では戦後50周年事業として、全戦没者の名前を刻んだ“平和の礎”を摩文仁の丘に建立することになり、各市町村で名簿づくりの一斉調査が始まっていた。
宮里房(72)は海辺の村で琉舞を教えながら幼稚園を経営している現役の園長である。
同世代の沖縄のアンマーの例にもれず地獄の戦場を体験した一人だ。5名の身内を次々と砲爆撃で奪われ、最後に追い詰められた摩文仁岬の洞窟から母と娘(赤ちゃん)だけが奇跡的に生還した。だが、房はその洞窟の中で何が起こり、何を目撃したのか誰にも語ったことがない。語るに語れないつらい悲しい想いを胸の内に秘めたままだった。房は戦没者調査も頑固に拒んで役所職員を手こずらせていた。
そんなある日、突然、アメリカから孫のジョージ(22)が訪ねてくる。摩文仁の洞窟から九死に一生を得た娘の和子はアメリカに住んでいて、なぜか房とは絶縁状態になっていた。ジョージはその和子の一人息子なのだ。
ジョージが母の故郷・沖縄を訪れたのは、母と祖母が仲違いした原因を直接房の口から聞きたかったのと、母の記憶にも無い沖縄戦で死んだらしい自分の祖母についても詳しく知りたかったからだ。しかし、房の口は重く、ジョージの期待ははずれた。
ジョージはアメリカを発つとき、母から一度訪ねるように言われた読谷村(よみたんそん)の陶工・平良勝男(59)に会い、そこで意外な事実を聞いた。
沖縄戦の末期、洞窟の中で房と和子と一緒にいた勝男は戦後、和子と兄妹のように房に育てられたというのだ。やがて成人した和子は、米軍のパイロットと恋仲になり、房の猛反対を押し切ってアメリカへ渡っていったという。そのパイロットの父はもういない。ジョージが2歳の時ベトナムで戦死している。
ジョージは祖母と母が不仲になった理由をはじめて知った。だが、祖父の話に及ぶと、勝男も房と同じように口を閉ざして語ろうとしなかった。
その後、ジョージは「今でもアメリカを恨んでいるか。アメリカ人の僕が憎くはないか」と房に聞いた。ジョージの唐突な問いかけに眠れぬ一夜を過ごした房は、翌日勝男に電話をかけ、すべてをジョージに話すつもりだと言う。「和ちゃんのあのこともですか?」と勝男は一瞬戸惑いを見せるが房の決意を察して同意する。2人には、何か和子に関わる共通の秘密があるようだ。
房と勝男はジョージを伴い、50年前、地獄を体験したガマの前に来ていた。「ジョージ、何もかも話すから、和子にしっかり伝えておくれ」固唾を飲んで見つめるジョージに房は語り始めた。
1945年4月1日、北谷(ちゃたん)の海岸から戦車の群が真っ黒に這い上がってきた。太平洋戦争の総決算として、沖縄本島を中心に日米最後の地上戦が展開されたのだ。
実家のある中城村に疎開していた房は、4歳の真吉と1歳の和子を抱えていた。夫の真助は防衛隊にとられ、舅と実母、義理妹とその赤ちゃんの一行7名は、軍司令部のある首里(しゅり)を目指して避難して行ったが、やがて首里にも敵部隊が迫り、さらに南へと逃避行は続いた。
昼夜を分かたぬ間断ない砲爆撃。山は割られ、村々は焼き尽くされ、地面を叩きつける砲煙弾雨の中を房たち一行は生活道具を堤げて泥道に散乱する死体をまたぎながら歩き続けた。
途中、舅と実母、義理妹とその赤ちゃんの4人が次々と「鉄の暴風」の餌食になっていった。和子を背負い、怪我をした真吉の手を引いて命からがら逃げ込んだガマの中には、敗残兵と避難民が雑居していて、絶えずにらみ合っていた。
不安なガマ生活の房親子を手助けしたのは平良勝男(10)だった。勝男は避難小屋にいたとき、米軍に手榴弾を投げ込まれて家族全員を失い戦争孤児になった。房たちに自分の失った家族を投影していたのかもしれない。とりわけ、真吉や和子を弟や妹のように可愛がった。
戦闘はますます悪化し直撃弾がガマを見舞うようになる。真吉は傷が原因で高熱を出してうなされ続けた。房は、父を慕う真吉のうわ言を聞きながら胸を痛めた。夫の真助はどこにいるのだろうか…生きているのか…死んでしまったのか…房は夢を見た。戦争前の平和な家族団らんの幸福な日々の夢だった。
いよいよガマが猛攻撃を受けた。轟音と共に岩天井が落盤し、壕内は大混乱となった。そして、ついに真吉が岩石の下敷きになって事切れた。そんな時、夫の真助が現れた。防衛隊にとられた真助はハワイ帰りで英語が出きるという理由でスパイ容疑をかけられ、危うく処刑されるところを脱走してきたのだ。
2人は真吉に何もしてやれなかったことを詫びながら、泣き泣きガマの奥に遺体を埋葬した。
馬乗り攻撃されたガマに最後の時が迫っていた。米兵はしきりに投降を呼びかけてくるが、「敵の捕虜になる者はスパイとみなして処刑する」という命令で、日本兵たちは住民に銃口を向けて脱出を許さない。地下川は涸れ、食料も底をついて飢餓地獄の様相を呈していた。赤ちゃんや幼児が泣き叫ぶ。「子どもを泣かすな! 敵は音波探知機で探っているのだ! 泣く者は始末するぞ!」と住民を脅した。
親たちは我が子の口をふさぎだまらせるのに懸命だった。房も和子に乳房をふくませ泣き声が漏れないように強く抱きしめた。その様子を勝男が悲しそうに見つめていた。
房が和子の異変に気づいたのは間もなくだった。
真助は房を日本兵の人質に残し、米軍と折衝するためにガマを出た。そして、交渉が成立し、喜び勇んで戻ってきた時、その背後には米兵の姿があった。敵を誘導してきたと勘違いした日本兵は真助を撃ち殺した。狂ったように真助に走り寄る房。
米軍の一斉攻撃が始まった。火炎放射の猛火がガマを襲い、迫撃砲が容赦なくぶち込まれた。避難民の間で手榴弾の炸裂音が次々と響く。断末魔の呻き声が壕内に充満し、阿鼻叫喚の地獄図が現出した。
硝煙の漂う中、真助の遺体のそばに幽鬼のような房が立っていた。すべてを失った房が手榴弾の引き金を引こうとしたその時、かすかに聞こえてくる赤ちゃんの泣き声。房はその声に引き寄せられるように近づき、赤ちゃんを抱き上げた。
房の話が終わったとき、ジョージ、勝男、それぞれの目に涙が光っていた。ジョージが呟く「それがママだったんだ…」。房はこれまで真実を隠していたことをジョージとアメリカの和子に詫びた。ジョージも又、母の命を救ってくれたからこそ、今の自分が存在していることで房に感謝した。「前よりもっとおばあちゃんを愛しています」ジョージは房を強く抱きしめた。
翌、1995年、摩文仁の丘に“平和の礎”が完成した。林立した礎には敵味方を超えた戦没者23万人余りの名前が刻まれている。その中に「宮里和子」の名前もあった。

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真樹は、この何日も前から映画鑑賞の話をしていた。
真樹はとにかくこわがりで、感情移入も激しい。 小さいときから、映画の途中で大泣きした事が何度もある。
でも、この内容の映画で、こわくなったり泣きたくなったりしても何も恥ずかしがることではない。それだけは言っておけばよかった。
映画鑑賞の前日、真樹がおもしろいことを言っていた。
「みんながみんな真剣に見ているのも変やし、誰も真剣に見てへんのもイヤ。」
ふだんみんながそれぞれ様々な反応をするように、この映画鑑賞でもそうであってほしいという意味だと思う。それは、私が常々言っている「戦争の強制はもってのほかだが、平和の強制もまっぴらごめん」と似ているかもしれない。
映画鑑賞が終わって、家に帰ってきた真樹は元気がなかった。真樹がイヤがっていた「誰も真剣に見てへん」状態に近かったようだ。
せっかく沖縄「慰霊の日」に行われた行事なのに、何の説明もなく映画が始まったらしい。先入感を与えるのもよくないかも知れないが、ひと言もないというのはどうなんでしょう。
今、沖縄の米軍基地の問題が大きくクローズアップされているのだから、その辺もからめてたとえ5分ほどでも話してくれはったらよかたのに。
でも、真樹は、4年前の沖縄旅行で感じたことがこの映画鑑賞にも必ずつながっているはず。今は話し相手もいないかもしれないが、映画を見て感じたことをいつか誰かに話せる時が来たらいいのにと思う。
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2010年02月22日(月)
沖縄から応援メッセージ [沖縄]
今日、沖縄渡嘉敷島のa.kさんから真樹への応援メッセージが届いた。
a.kさんは、先日の「とかしき島マラソン」で、お仲間とともにTシャツやアクセサリーを販売されていた。その時に京都出身であることが分かり、少しだけお話をさせていただいた。
Tシャツだけでなく色紙にも文を書いておられることが分かったので、うちのヨメさんが真樹にも書いてほしいとお願いした。なにしろ、もうすぐ高校受験日ですから。
本当は書いてもらうのに、今現在1ヶ月待ちらしい。でも、うちの特別な事情を考慮してくださり、無理して早くしてくださったようだ。
a.kさん、ほんとうにありがとうございました。
真樹は、(たぶん)、ひとの話を聞くのが苦手。でも、こんな文を読むのは大好き。今日も、私ら夫婦の前で大きな声で朗読してくれた。
色紙の中には、真樹の好きなひまわりの花も入っているし・・・。
送ってきていただいた封書の表書きも、うなっちゃいます。
郵便屋さんも、絶対うなったにちがいない。
こんな名刺やったら、かっこええやろなあ。
こんなこまやかな配慮ができるa.kさんは、実は小さなお子さんがおられるヤングママ。毎日更新しておられるブログ「オカ〜ン時々★遊書人日記」も、なかなか味わい深い。
さっき、私のブログのリンク集に入れさせてもらっていいかをメールでお聞きしたら、OKが出た。(ぜひ、見てください。→)
私のブログのリンク集の10番目までは、ブログの師匠(沖縄系)2、家族2、お母さんランナー5、大会スタッフ1とまとまっていた。
ところが、11番目が「中野勇人さん」。
そして、12番目が「オカ〜ン、ことa.kさん」。
ますます世界が広がってきた。
「オカ〜ン」のブログは、いつも前向き。私の歳のちょうど半分だが、書かれている内容は本当にしっかりしている。若い人に対してはすぐ「えらそうに・・・」と思いがち。でも、「オカ〜ン」はなぜか私の心にスッと入ってくる。
「なーんでか!」
なんかよう分からんけど、毎日チェックしてしまうブログになってしまいました。
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2010年02月10日(水)
とかしき島のTシャツ [沖縄]
とかしき島のヤンママ・岸本亜泉さん制作のTシャツ(2500円)。
写真は黒っぽく写ってしまいましたが、実際はこげ茶です。
文字の部分も白っぽく写っていますが、実際はピンクに近い色です。
文もなかなか味がありますなあ。
前には、とかしき島の象徴・くじらが。
かわいいです。
今日、「渡嘉敷島、岸本亜泉」で検索してみたら、彼女のブログに行き当たりました。
「オカ〜ン時々★遊書人日記」
今日の記事「京都繋がり」で、私たち夫婦のことも書いてくださっていました。
ぜひ、見てください。
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2010年01月29日(金)
鳩間島から [沖縄]

私が勝手にブログの師匠と呼ばせてもらっている羽根田治さんのブログに、以下のような告知があった。
今日は鳩間島からの告知文を掲載します。もしHPやブログをお持ちの方で、下記の内容にご賛同いただき、ご協力いただける方がいましたら、同じ文章を掲載していただけると嬉しく思います。文章はコピー&ペーストで貼り付けてもらってけっこうです。よろしくお願いいたします。
■目の前にサンゴ礁の海が広がる小中学校に通ってみませんか。
鳩間島では、地元の鳩間小中学校に通う海浜留学生を受け入れています。海浜留学生は島の住人が一定期間預かる形となり、島の人たちと生活をともにしながら学校に登校します。エメラルドグリーンの海を目の前に臨む学校は、集落から歩いて数分のところにあります。勉強や運動はマンツーマンに近い少人数制で行なわれ、小中学校の先生が親身に指導をしてくれます。
環境が変われば、子供たちもまた変わります。登校拒否やイジメなど、さまざまな理由で地元の学校に馴染めなかったたくさんの子供たちが、これまでに島の海浜留学制度を利用し、鳩間小中学校を卒業していきました。あなたも、鳩間島の小中学校に通ってみませんか。海浜留学制度の詳細についは、通事建次さん(TEL.0980-85-6166)宛までお問い合わせを。
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私と羽根田さんとの関係は、こちらの一方的なものです。
2006年6月、鳩間小中学校の運動会を娘の真樹に見せたくて鳩間島に行くことにした。しかし、「子乞い」という本と、TVドラマ「瑠璃の島」からの情報しかなかった。
そこで、ヨメさんがネットで「鳩間島」について調べると、羽根田さんのホームページ「鳩間島通信」に行き当たった。その中のブログ「極私的鳩間日記」から、鳩間についてのいろいろな情報を得ることができた。
そのあとヨメさんが羽根田さんにメールし、いろいろと相談に乗ってもらい、通事健次さんが経営されている「ペンションマイトウゼ」も紹介してもらった。
鳩間小中学校の運動会は本当によかった。
当時は、小学生4人中学生10人の合計14人だった。ちょうどそのころ、真樹と廉が通っていた小中学校が同じような規模だった。
毎日同じようなことが続き元気がなくなりかけていた真樹は、この旅行で少しは元気を取り戻したようだった。
そして、同じ年の10月に私と真樹とでまた鳩間島へ。次の年の3月には、私と廉とでまたまた鳩間島へ。
そのあとも何回かは沖縄に行ったのだが、冬のおおしけに阻まれたりして鳩間島までは行けていない。
今、その鳩間島の小中学校が存続の危機に陥っている。
昨年の春、いったんは小中の在校生がゼロに。9月に小学生1人中学生1人が転入してきたが、中学生がすぐに転出してしまい、現在は小学生1人のみ。
そこで、一番最初に紹介した告知になったというわけです。
2回目に鳩真島に行ったとき。
ペンションマイトウゼのお向かいで里親をされている、中曽根豊さんにお話を伺いに行った。いろいろと長話をさせてもらい、ペンションに帰ろうとした時、真樹に向かってひと言。
「真樹ちゃん、鳩間に来なさーい」
私は、このひと言がほんとうにうれしかったです。
みんなで子どもを守ってくれ、それでいてベタベタするわけではない。鳩間島は、そんなところだと感じました。
感心のある方は、ぜひ、お話だけでも聞いてみてください。
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「江文峠越え10kmラン・7」
前回は、目標47分10秒に対して46分53秒。
今回は、目標46分20秒なので前回より33秒縮めるだけ。ところが、レベルが上がるにつれきついことはきつい。
今日は、せっかくなんで「サロマレーサーST」で走る。
10kmのレース用としてはちょっと重いが、あくまで練習やから。
? 4分28秒。 最終目標まで−18秒
? 8分56秒(4分28秒)。 −18秒
?13分47秒(4分51秒)。 −31秒
?19分45秒(5分58秒)。 −18秒
?24分07秒(4分21秒)。 −1秒
?29分38秒(5分30秒)。 −30秒
?33分30秒(3分52秒)。 達成(貯金8秒)
?37分51秒(4分21秒)。 −11秒
?42分14秒(4分22秒)。 −12秒
?46分29秒(4分15秒)。 −5秒
前回より早くなった区間6、遅くなった区間4。トータルでは24秒縮めた。
しかし、次回の目標が45分30秒。これはどう考えても無理。
なにか、秘策を・・・。
※ 「サロマレーサーST」は、私の足とすごく相性がよさそう。安定感抜群。ハーフからフルのレースにバッチリな感じです。
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2009年07月17日(金)
よんなぁよんなぁさんからのお米 [沖縄]
7月11日夕方、神奈川から群馬県北軽井沢に向かう高速道路を運転中、ヨメさんからメールが来た。
「よんなぁよんなぁさんからお米が二キロ届きました。お礼のメール送っておいてください。」
よんなぁよんなぁさんとは、知る人ぞ知る私のブログの師匠、西表島在住のエコツーリストである。
サイト「鳩間島イエローページ」に、よんなぁよんなあさんのブログ「クーの毎日」が載っていて、そのとき西表犬(?)クーちゃんの存在を知った。初めて写真を見たときは、思わず笑ってしまった。(ごめん!) 目のまわりがパンチ入れられたみたいで・・・。
それ以来クーちゃんに会いたくて会いたくて、いろいろ探して飼い主よんなぁよんなぁさんに連絡をとったのがお付き合いの始まりである。
それ以来3回西表島を訪れ、そのたびに「ゆるいエコツアー」をお願いしている。もちろん、クーちゃん付きで。
送っていただいたお米は、遠く沖縄からなので送料が1100円もかかっている。すいません。
でも、あけていきなり、クーちゃんの絵はがき。
「ふっふっふっ・・・、ああ、かえらし。」
さすが世界で2番目にかわいい犬だけのことはある。(1位は、もちろんうちの「きく」)
まだ食べてないけど、食べたら必ずまたレポートします。
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2009年07月10日(金)
よんなぁよんなぁさんからのメール [沖縄]
昨日、よんなぁよんなぁさんからメールがあった。
よんなぁよんなぁさんは、私のブログのリンク集にも入っている「クーの毎日」のライターさんである。私は勝手に、「ブログの師匠」と思っている。また、西表島に行くたびに、「ゆるいエコツアー」でお世話になっている。
メールの内容は、「おいしいお米がとれたので、送ります」というものだった。
うれしい! 楽しみ!
いつも私たちが行くたびに、クーちゃんたちへのおみやげを持って行っていたので、そのお礼の意味だと思う。ありがとうございます。(まだまだつかないと思いますが・・・)
ブログ「クーの毎日」は、最高です。
何が最高かって?
「クーちゃんとスーちゃんの顔!」
なんぼ見ても飽きません。
まあ、世界一かわいい犬はうちのきくとして、クーちゃん世界2位、スーちゃん世界3位と言ってもいい。
ああ、会いに行きたいなあ。今年の夏も絶対行こうと思っていたのだが、ヨメさんから「沖縄渡航禁止令」が発令。緊縮財政の中、沖縄旅行などとんでもないということらしい。ガックリ!
何とかしてお金を貯めて、行きたい!
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