2012年02月12日(日)
第26回京都市小学校大文字駅伝 [学校]
「じゅんちゃーん、リラックスー!」
1区がスタートして500mあたり。私はそう叫んだが、その声は遵ちゃんに届いただろうか。
スタート前、「フレンズ」チームの1区を走る波多野遵君(雲ヶ畑小6年)と話すことができた。
「じゅんちゃん、あーちゃんと同級生やった藤井真樹の父親です。」
遵君はスタート直前でかなり緊張していて、そこに知らないおじさんから話しかけられてけげんな顔になっていた。でも、あーちゃんの名前を出すとやっと分かってくれたようだ。
「じゅんちゃん、とにかく落ち着いて。ここは最初ずっと上りやから、いきなり飛ばしたらあかんで。1、2、3、4と自分のリズムを作って、自分のペースで走るんやで。あわてんと落ち着いて、リラックスして走ってな。おっちゃんは、ちょっと前のへんで待ってるし、そこで応援するわ。しっかりな。」
遵君は、突然現れたおっちゃんの話をきちんと聞いてくれていた。最後ににこっと笑顔が出たのでだいじょうぶ。スタートまであと5分ほどだったので、そこから急いで1区のコースの先のほうまで走って行った。
今日はきくのお散歩をヨメさんにまかせ、大文字駅伝の応援。
もちろん、家から1区スタート地点の衣笠小前までランで。
第1中継所の仏大前あたりから応援の人出が多くなってきた。
西大路通りを衣笠小に向かって走っていると、中山君(西陣中央小6年)のお母さんに遭遇。お母さんは自転車に乗っておられたのに、よく見つけてくださったものだ。
中山君は1区を走るとのこと。区間賞も狙えるくらいがんばって練習している子だ。
金閣寺前のちょっと下で塚本政琉さんに遭遇。
「ふじいくーん。」
「いや、塚本さん。今日も動員ですか。ご苦労さんです。」
「応援か。」
「雲ヶ畑の子が、フレンズで1区走りますねん。その応援に・・・。」
衣笠小まで、約7.5km。46分かかった。
もうスタート10分前。
とてもじゃないが選手には近づけないだろうと思っていたが、中山君にも波多野君にも声をかけることができた。よかった。
西大路通りを横断し、北行き車線をストップしてスタートさせる。
さあ、こっちも先を急いで・・・。
でも、途中にこんなかわいいワンちゃんがいると、写真を撮りたくなってしまうんですよね。
「レモン・メス・7歳」
反対側の歩道を走っていたので、もう横断はできない(信号が固定)。しかし、交差点におられたおまわりさんに相談すると、「車が途切れたところで走って横断してください」。よかった。これで選手たちが走ってくる西側に渡れた。
10時45分、予定通りスタート。
しかしまだほとんどバラけておらず、「6」の中山君がどこにいるかは分からなかった。
集団の後方に、「47」発見。
すごくきれいないいフォーム。全然気負わず、落ち着いた走りに見えた。
遵君は順位が気になるのか、一度だけ後ろを振り返っていた。
だいじょうぶ、まだ後ろに数チームいるよ。
1区1881mの半分くらいは付いて走れたと思う。しかし、私はここらが限界。
あの落ち着いた走りなら、残り半分もしっかり走ってくれるだろう。
次は鴨川の8区の応援に。
衣笠小から北大路橋まで、約4km、28分。
ここらもすごい人出。
「47」を探してみたが、みんな上着を着ていたのでどこにいるか分からない。でも、1番から順に整列していることが分かった。ということは、あのメガネの子がフレンズの・・・。
次々とたすきリレー。
やっぱり、最後にフレンズがポツンと残ってしまった。
しかし、体操服の背中に「HANASE」の文字。花背小学校の子だ。これは写真に撮っておかなくては。
7区の男子から8区の女子への最後のたすきリレー(その前のチームとは1分50秒ほどの差)。
8区の女の子に声援を送ってられた方があったので聞いてみた。
「フレンズの8区は、花背のどこの子ですか。」
「堀さんところの娘さんです。」
「ああ、堀さんとこの・・・。」
前のランナーが見えなくて走りにくいとは思うけど、最後までしっかり。
(ちなみに、堀さんのお姉さんと私はおない年。隣同士の学校でした。)
ゴールも見たかったが、時間的に無理そうだったので帰ることにした。
御薗橋の近くで、かもなす由美さんに遭遇。吉田康彦さんとご近所さんとの3人で。大文字駅伝の応援に来られていたそうだ(吉田さんはたまたまジョギング)。
「フレンズはだいぶ離されていて、かわいそうやったね」と由美さん。
「そら、みんなで練習するのが3回とかですもん。」
「そう、それではなあ・・・。駅伝て、誰からたすきもらって誰に渡すかっていうのがすごい大事やもんね。3回くらいの練習では誰が誰かよう分からんし、気持ちが盛り上がってこんわなあ。」
「いやほんま、そう思います。長距離は気持ちで走る部分が大きいですもんね。」
小学生なので練習のしすぎも問題だが、出場するからには「毎年最下位」の返上をめざしてほしい。遠く離れたいくつもの小さな学校の連合チームだから、むずかしいとは思いますが(練習会費用の負担の問題とか)・・・。
ただ、同じ最下位であったとしても、子どもたちに「やりきった感」を感じさせられているかどうかが問われるところです。(えらそうなことを言ってすいません。)
北大路橋から自宅まで、約5.1km、38分。由美さんとけっこうしゃべっていたわりには速く帰ってこれた。
今日は、7.5+4+5.1で16.6km。昨日のダメージもほとんどなく、ゆったりとしたいい練習ができた。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2012年02月10日(金)
雲ヶ畑小最後の大文字駅伝 [学校]
◎京都新聞2月10日朝刊
雲ヶ畑小“ラストラン”
本年度末で休校 大文字駅伝に波多野君
京都市内で12日に行われる市小学校「大文字駅伝」に、本年度末で休校となる同市北区の雲ヶ畑小代表で6年の波多野遵君(11)が出場する。小規模校連合「フレンズ」の一員として、1区を走る予定だ。創立138年で学校の歩みが止まる直前の大会に、「見ている人たちが、雲ヶ畑のことを覚えていてくれるような走りをしたい」と闘志を燃やす。
同小児童は4年1人と6年3人の計4人。波多野君は同級生2人と練習に励んできた。特に、本年度は4月当初から平日に駅伝の朝練習を実施。各自がペースを決め校庭を走ったり、雪や雨の日は体育館で縄跳びをして心肺機能を鍛えるなど頑張ってきた。
6年の3人は、1年生のころから同じクラスで学び、励まし合いながら成長してきた。波多野君は「2人を追い越そうと思い練習して早くなれた。2人の分まででしっかり走りたい」と、学びやへの思いと仲間への感謝を胸に念願の都大路に挑む。(中西英明)
--------------------------------------------------------------------------------
うちの廉は8年前、真樹は5年前、「フレンズ」から大文字駅伝に出場させてもらった。ともに、今は廃校となってしまった別所小学校の代表として出場した。廉はきつね坂を上る4区、真樹は10区アンカーだった。
雲ヶ畑は私の教師生活最後の赴任地。また、真樹が中3のとき1年間お世話になった学校でもある(雲ヶ畑は小中併設校)。
これは応援に行かなくては。真樹は、残念ながら模試のため応援にいけない。その分、私が派手な応援しようっと。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年09月29日(木)
高校体育祭2011 [学校]
「あっ、笑ってるやん!」
真樹が、走っている自分の写真を見てそう言った。
「必死やったから、絶対変な顔やと思ってたけど、よかったー。」
そう、そうゆうのんが「成長」ってこととちゃうの。
真樹が笑顔で走っているのを見ると、こっちまでうれしくなる。
今日は、真樹の高校の体育祭。
学校には小さなグランドしかないので、会場は北区の紫野グラウンド。
真樹が出る「台風の目」は、10時20分から。それに間に合うように家を出た。
午前の最後は、「クラス対抗リレー」。
真樹のクラスを応援しなくては・・・。
女子4人組チームは残念ながら・・・。
午後の真樹の出番は、「綱引き」から。
笑ってるように見えますが、真剣!
途中、人数調整のため抜けることも。
場所を交代して・・・。
やっぱり笑っているように見えますが、本気!
何とか1勝ゲット!
グランドのすみでは、学校の食堂が出張販売。これは助かります。
ヨメさんにジュースを買って来てもらった。
このかっこうは、ちょっと勘ちがいしているような・・・。
次は「二人三脚」。
白ハチマキのUちゃんと組んで、3位!
最後の最後は、「クラス対抗混合リレー」。
男女4人ずつ計8名が100mずつのリレー。
真樹はその第1走者(大外第6コース)。
大外スタートはきつかった・・・、けどがんばった。
なんとか、なんとか同着5位くらいでバトンリレー。
ホッとしました。
総合成績は、真樹のクラスは2年の6組中5位。
でも、笑顔で家に帰ってきたから、もうゆうことなし。
日に焼けたほっぺたが、ヨッパライのようだった。
まあ、めでたしめでたしというところです。
--------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
夕方、練習最短コースの3km。
行き8分16秒、帰り8分20秒で16分36秒。
やっぱり左足が全然上らない。やっと右アキレス腱がましになってきたと思ったら、今度は左のおしりですか。
「あいおわ治療院」の高橋大輔似の先生によると、肩甲骨や腕の動きを意識して、バランスのいい走りを心がけなくてはよくならないらしい。むずしそうやけど、やってみよう。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年09月09日(金)
高校文化祭 [学校]
8時半にバイト終了。急いで家に帰り、着替え。
ヨメさんと廉を車に乗せて、家を出たのは8時40分。
高校に到着したのは8時57分。ヨメさんと廉を降ろし、私は御所の駐車場へ。
急いで講堂に向かったが、アウト。講堂は9時ちょうどに鍵がかけられた。仕方なく、テレビで見られる213号教室へ。たぶん、二人はぎりぎりセーフやったんやろうな。
教室に入ると、真樹のクラスの演劇はもうだいぶ進んでいたようだ。
真樹の姿はすぐに分かった。声もはっきりして聞き取りやすかった。ほかの子たちも自分の役割をしっかり演じていた。
真樹は、朝4時ごろに起き、ヨメさんに学校の近くまで送ってもらった。本番当日の早朝に、最後の仕上げ練習をするとのことだった。あとで聞いたのだが、朝5時半集合だったのにクラスの全員が来ていたそうだ。やるときゃやるねー。
演劇が終わり、校舎前で全員写真を撮ってもらっている2年5組。みんな「やりきった感満々」の笑みでした。
私は真樹から「写真を撮るな」ときつく言われていたので、人が入っているのはこの写真のみ。ソフトフォーカス加工をしたので、これは公開してもいいでしょう。最前列真ん中へんに真樹がいます。
写真撮影のあと、真樹のクラスメイト、うちでの通称「みずぽんちゃん」を紹介してもらった。小さくてかわいくて、廉の大学陸上部の「みずぽん」さんと似ているということで勝手にこう呼んでいた。
めったに来ない真樹の高校に家族そろって来れたので、「みずぽんちゃん」の書道部の展示も見に行った。上の写真は、そこで販売されていたハンカチを買っているところ。
真樹は、家族全員が見に来てくれてちょっとうれしかったようだ。
クラスの演劇に出ることにしたのも、家族が喜んでくれるからとか。
いろいろなことを考えて、自分で判断して行動できるようになってきたね。ええぞー。
次は月末の体育祭やね。
また見に行くから、しっかりがんばって!
※ 真樹のブログ「にょんにっき」、復活後続いています。見てくださいね。(このブログのリンク集からどうぞ→)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月16日(水)
雲ヶ畑中学校卒業式・続き [学校]
雲ヶ畑中学校最後の卒業生の2人は、真樹の高校とはちがう高校に進学する。真樹も、これからはもう雲ヶ畑に行くことはほとんどなくなるかもしれない。でも、この先もずうっと真樹と仲良くしてやってね。
--------------------------------------------------------------------------------
【何を今さら5km20分切りメモ】
今日は朝から雪が降ったりやんだり。昨日はポカポカ陽気で最高気温は19℃。ところが、今日の最高気温の予想は7℃。体がおかしくなるほど寒い。
夕方6時過ぎ、雪が降る中、いつもの5kmコースへ。雪対策に、ウィンドブレーカー上下、キャップ、グローブも身に着けて。ゆっくり目に走ったので、暑くはならなかった。
26分19秒(12分46秒+13分32秒)。
これだけで終わるわけにはなー・・・。
今週末には名古屋まで遠征し、トラックの3000mと5000mに挑戦。走るからにはいいタイムをたたき出したい。
1kmスロージョグをはさんで、 今日は久しぶりに「300m上り坂ダッシュ」を1本、75秒。もうちょっとやりたかったけど、ここはぐっとしんぼうして明日に。
最後にまた1kmスロージョグをプラスして、今日の合計7.6km。
明日はタイムトライアルしょうっと。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2011年03月15日(火)
雲ヶ畑中学校卒業式 [学校]
◎京都新聞3月15日夕刊

述べ卒業の言葉をる雲ケ畑中の卒業生 (15日午前10時50分、京都市北区・雲ケ畑小中学校)
「京滋の中学校で卒業式」
京都府内や滋賀県内の多くの中学校で15日、卒業式が行われた。今春から休校になる京都市北区の雲ケ畑中では、卒業生2人がともに学んできた小学生や保護者、地域の人に見守られ、学舎を巣立った。
府内の公立中学校ではこの春、約2万200人が卒業する。式は11日から始まり、この日は京都市や向日市、長岡京市、福知山市、舞鶴市などの115校で行われた。県内では一部を除く93校で卒業式があった。
少子化から休校する雲ケ畑中では、生徒は卒業する2人だけ。式には同じ校舎で過ごした雲ケ畑小の全校児童5人も出席した。
坂本滋校長から卒業証書を受け取った高橋真美さんと波多野里菜さんは「(高校で)何十人のクラスで学ぶことに不安もあるが、雲ケ畑中で培ったことを心の支えに自分の足で生きていく」と力強く応えた。
--------------------------------------------------------------------------------
ひゃー、新聞には惜しいところで真樹の姿が切れとったのに、京都新聞のホームページの写真ではすべり込みセーフで写ってるやん。右端ぎりぎりに。
これは、明日、真樹にゆうたらんなん。喜びよんでー。
かわいいかわいい2人の後輩から「まきちゃん、まきちゃん」と慕ってもらって、真樹もまんざらでもなさそう。
この雲ヶ畑中最後の卒業生となる2人といっしょに学んだ直近の先輩たちが、ほとんど来ていなかった。そのため、中3の1年間だけいっしょだった真樹が、まるで先輩代表かのような状態だったらしい。式が終わった後も、この3人でずっとおしゃべりをし続けていた。
その姿を見ながらあらためて思った。いろいろとご迷惑をおかけしたが、中3の1年間は本当にいい学校にお世話になった。
その中学校が、この3月で休校となる。また、併設されている小学校も1年後の来年3月末には休校になるそうだ。
真樹は、小学校卒業とともに母校をなくし(別所小学校閉校)、昨年卒業した中学校もこれでなくなるということになる(雲ヶ畑中学校休校)。なんともやりきれない気持ち。
すごく仲のよかった1年後輩の2人の卒業を見届けることが、自分なりの役目だと思って今日は出かけてきたのかもしれない。
学校に着いたのは、卒業式が始まる10時の7、8分前。
もうみなさん講堂に入られていたようで、外はひっそりしていた。
真樹は、「一人でよう入らんわー、どうしょー」と言っていたが、そこに地域の方がちょうど式に出席しようとしてやってこられた。真樹はそのご夫婦といっしょに講堂へ。私は初めから式には出席するつもりはなかったので、そのあたりを散歩でもしようかと思っていた。
雲ヶ畑中学校に併設されている雲ヶ畑小学校は、私の小学校教師としての最後の赴任地。私が32歳から35歳までの3年間お世話になった学校である。
あれからちょうど20年。
学校も地域の様子も、あのころとほとんど変ってはいない。
学校で変ったものといえば、校門横にある石碑くらいだろうか。「ハロー 畑の子」という歌の歌詞が書かれたものだった。
校門前の掲示板には学校だよりが。
休校の後の学校がどう扱われていくのか、休校による地域への影響はどうなのかなど、不安は次々とわきあがってくるだろう。
私や私の子どもたちの母校がなくなってしまった地域を見ても、その先は決して明るくはないことは確かだと思う。
校庭でボーとしていると、郵便配達員さんが。
「あれっ、藤井さん、何でこちらに?」
「いや、扇田さんこそ・・・。ここら、配達してはるんですか。」
扇田さんは、「京都キャロット」の通販の荷物の出荷で利用しているゆうパックの集荷係さん。いつも夕方6時に来ていただいているのだが、午前中は雲ヶ畑や真弓などを配達で回っておられるそうだ。
「実は、うちの娘、去年この中学校卒業しましてん。」
「えっ! そうなんですか。」
「中3の1年間だけなんですけど、ここにお世話になったんですわ。」
「ということは、男の子と女の子が一人ずついた学年ですね。」
「いやー、よう知ってはりますやん。そこに寄せてもうたんですわ。」
お互いにひょんなところで顔を会わせたので、そこからけっこう長い立ち話になった。
11時をだいぶ過ぎて、式が終わり中の人たちがが出てこられた。
その中になつかしい顔。私の最後の教え子・ちいちゃんのお父さん。
「藤井先生、お久しぶりです。」
「いや、こちらこそ。」
「お父さん、もう退職されたんでしたっけ。」
「いえいえ、まだ1年あります。」
「あっ、すんません。意外と若かったんや。」
「はは」と、なつかしいかわいい笑顔。
実は私はこのとき、ちいちゃんのお父さんの髪の毛がふさふさなのにショックを受けていた。20年前に見ていたあの柔らかそうだった髪の毛なら、きっとズボッといっているにちがいないと予想していたのに・・・。
「ちいちゃん、元気にしてはりますよね。」
「・・・、まあどうにかこうにか・・・。」
少し間があってこたえられたのが少し気になった。
そのあと、ちいちゃんにメール。
「今、雲ヶ畑中学校の卒業式に来ています。さっき、ちいちゃんのお父さんとちょっとしゃべりました。お父さん、はげてへんね。予想がはずれた。」
この私のお気楽なメールに対するちいちゃんからの返事は夕方に来た。その内容はもちろん非公開。
私にとってはかなりショックな内容も含まれているメールだったが、ちいちゃんはしっかり生きている。私の「5km20分切りメモ」を楽しみに見てくれているらしい。いろいろと大変やのに、ありがとね。
私はいつもいつもヨメさんから言われている。
「何の苦労もせんとのうのうと生きてるのは、世の中でアンタだけ。みんなそれぞれ大変なことを背負ったり乗り越えたりして生きて行っているのに・・・。」
ああ、ほんまにその通り。
卒業式の話が変な方向に行ってしまったが、私の大事な大事な最後の教え子のことを思う一日にもなりました。
(注) 卒業式のことについては、明日に続きます。
--------------------------------------------------------------------------------
【何を今さら5km20分切りメモ】
日曜から体が重く、月曜は完全休養。
今日も雨がパラつているし、よっほど走るのはやめようかと思ったが・・・。ちいちゃんが「楽しみにしてる」って言うもんで・・・。
夜7時より、最近では最短の3km。北稜高校の先の緑の農具小屋のあるところを往復。
17分06秒。これでもけっこうしんどかった。
まあ、今日はこれくらいでかんにんしたろ(???)。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】