2016年08月27日(土)
「日輪の翼」高松公演 [演劇]
◎毎日新聞8月16日夕刊・ニッポンへの発言
キーワード 中上健次の熊野へ!=中森明夫
中上健次は戦後生まれ初の芥川賞作家だ(1975年度下半期に『岬』にて受賞)。92年、46歳で亡くなった。今年は生誕70年である。彼の故郷、和歌山県新宮市へと行った。中上が創始した自主講座・熊野大学のセミナーに参加したのだ。
中上健次は私にとっても特別な作家だ。10代の頃、家出先のアパートで『十九歳の地図』を読んだ。そうして、私が生まれて初めて対談した作家でもあった。85年春、私は新人類と呼ばれる25歳で、ひと回りも年上の中上は仰ぎ見るような大作家だった(体格も立派だった!?)。強面(こわもて)、暴力的な伝説も数知れず、殴られるんじゃないかとビビった。『平凡パンチ』の対談で、会うと、なぜか気に入られ「おまえは小説を書ける。書けよ、絶対!」と言われた。その夜は新宿の酒場でハシゴして、帰りのタクシーの後部座席で手を握られ「どうだ、『文学界』新人賞を取らしてやろうか?」と言われて、面食らった。「文学をやれよ、文学を」と何度も私に言った。
私が純文学雑誌『新潮』に小説『アナーキー・イン・ザ・JP』を発表したのは2010年、50歳になっていた。すぐに中上健次の顔を思い浮かべた。この夏、初めて訪れた中上の故郷・熊野。高台の緑に囲まれた墓地へと行くと、ゴツゴツした巨岩の真ん中に自筆の署名がある。あのゴツゴツした風貌のやさしい瞳をした男を思い出した。手を合わせ「中上さん、あなたは僕にとって文学そのもの(、、、、、、)でした!」と呼びかけた。
今年の熊野大学・夏期セミナーは盛況だった。<次世代へ>と題され、新・芥川賞作家の村田沙耶香や若い映画監督の山戸結希らが参加した。山戸監督の新作「溺れるナイフ」が上映された(原作の人気少女漫画は中上作品の影響が色濃い)。初日、田中康夫と浅田彰の「憂国呆談」に飛び入り出演して、翌日、渡部直己と浅田彰との鼎談(ていだん)に臨んだ。テーマは<『日輪の翼』をめぐって>。中上文学の重要な主題に“路地”がある。『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の3部作は故郷・熊野の“路地”が舞台だ。血が沸騰するような豊饒(ほうじょう)かつ過剰な物語的空間としての“路地”−−しかし、それは消滅する。『日輪の翼』は、そんな熊野から飛び出した冷凍トレーラーによるロードノベルだ。運転するのは色男の若衆、荷台には7人の老婆らを載せて日本中を旅する。若者と老人、都市と地方、日常と非日常の境界を突っ切る破天荒な物語だ。“路地”はこの世のどこにでもある! そんな中上のメッセージに心躍った。
その夜、新宮港に近い緑地に本物の巨大トレーラーが到着した。荷台が大きな翼を広げると、老婆らが、若衆が、女たちが、異形の者らが、次々と現れる。アーティスト・やなぎみわ演出による野外劇「日輪の翼」だ。やなぎは台湾から運んだ巨大トレーラー(移動舞台車)を走らせ、日本中で公演を続け、遂(つい)に中上の故郷・新宮での上演を実現した。その夜の野外劇は圧巻だった! 中上文学を大胆に換骨奪胎して、老婆らが歌い、若衆が踊り、女たちが艶めき、熊野の夜空を背景に曲芸を披露した。お祭り好きの中上健次が観(み)たら大喜びしたことだろう。生前の中上の『アンコ椿は恋の花』の歌声が流れた時は、ウルッときた。
被差別部落に生まれ、日本中の辺境の地を旅して、韓国へも飛んで、死ぬまで物語を紡いだ中上健次。彼の文学は、マイノリティー(少数者)やマージナル(周縁的)なものの持つ豊かさに満ちあふれている。熊野の森や川、青い空の向こう側から、そんな中上の心やさしい視線によって見つめられている気がした。
ヘイトスピーチやネット右翼、タカ派政権、相模原での凄惨(せいさん)な事件……マイノリティーの声が押しつぶされてゆくこの現在を、彼が存命なら、どう語ったことだろう? 夏の熊野でもらったそんな宿題を、決して手放すことなく考えていこうと思った。作家・中上健次の“路地”は、はるか未来に向けて開かれている!(コラムニスト)=毎月第3火曜掲載
------------------------------------------------------------------------------------
カプセルホテルの駐車場に車をとめ、高松港へ。
港付近は大きな公園になっている。
どことも犬のふんで困っておられるんですね。
6時13分、ヨメさんにメール。
「会場入り・・・座るとこないと思って組み立てイス持ってきたのに、立派なひな壇がありました。でも、雨が降ったらムリ。まあまあの人出。」
6時30分開演で9時まで。途中2回しぐれたが、なんとか持ちこたえた。
内容については・・、どう言っていいいのか。
まあ、すごいのひと言です。これで3500円は安すぎる。絶対赤字やと思います。
最後のほうの「リオのカーニバル」ふうの場面は、私が三途の川を渡るときに繰り返し頭に浮かんでくるやろうと思った。
「あー、頭の中がチンチラポッポ・・・。」
最後に演じられていた役者さんがそのまま大型トレーラーを運転して会場を去り、それで終演。かっこよすぎます。
また歩いてカプセルホテルまで。
高松がどんな町なのかよく知らないが、カプセルホテルはほぼ満室。
10時11分にまたヨメさんにメール。
「お疲れさまです・・・お仕事お疲れ様です。今カプセルホテルに帰って、ふろに入って、晩ごはんを食べているところです。日輪の翼、よかったです。ただ、説明ができません。ボクにふさわしい演劇であった、というくらいしかないかな。
きくちゃん元気ですか。あしたはいっぱい散歩に行きます。」
あまり綿密な計画を立てず思い付きで出てきたけれど、最近まれにみる充実した一日になりました。よかった。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=3273