2014年05月22日(木)
「夢は牛のお医者さん」 [映画]
◎シネマトゥデイより
■チェック:1987年、新潟県にある9人しか児童のいない小学校にやって来た3頭の子牛との出会いから、獣医になる夢を抱いた少女の26年間を追ったドキュメンタリー。病気の子牛を世話するうちに、牛のお医者さんになりたいと思い立った少女が初志貫徹し、大学受験・国家試験と目標へいちずに突き進む姿にカメラが寄り添う。獣医という夢に迷いなく向かう少女時代、結婚と出産を経て獣医として活躍する現在と、その厳しい道のりにもめげずに変わらぬ志を貫く彼女の生き方に感動を覚える。
■ストーリー:1987年、新潟県松代町(現・十日町市)の生徒数9人の小学校に3頭の子牛がやって来た。小学校3年生の少女は病気がちな子牛の面倒を見るうちに、医者になるという夢を抱くように。牛との別れを経験、高校へ通うために実家を離れた彼女は猛勉強し、大学の獣医学科へと進む。やがて獣医となり、母になりながら、常に命と向き合っている。
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昨日、「京都シネマ」で一人で見た。観客は、わずか11人。
小学校に牛がやって来てやがて別れの時が来る・・・、その場面が映画の半分以上をしめるものだと思っていた。でもちがった。牛が小学校にいたのはわずか8か月。牛たちが400kgになったらせりに出すという約束だったから。この映画の中でも、その場面は20分ほどで終わってしまった。
重点を置かれていたのは、知美さんの高校3年からあとの部分だった。「国立の獣医学科に一発勝負、滑り止めも無し、浪人も無し。一発勝負の結果がだめならあきらめる」と公言していたのはすごかった。どうしてそこまで思えるようになったのか。それは映像だけからは想像できなかった。
私の小さいときの夢は、学校の先生になること。でも大学生になって、ある教職科目の第1回目の授業でビックラがえった。大教室からあふれるくらいの学生が・・・。「こんなたくさんの人間が先生になれるはずがない」、そう思い第2回目の授業から行かなくなった。
大学卒業間近な時、「ふじいー、仏大の通信1年で小学校教員の免許取れんぞー」と教えてくれた友だちがいた。「1年で取れるってええやん」と思い、佛教大学通信教育学部へ。ほんまに1年で免許が取れた。
「あとは採用試験だけか・・・。」
当時の京都市小学校教員採用試験は5倍。もうその頃は自分がそんなに賢くないことが分かっていたのだが、なんか受かるようなお気楽な気分。しかし問題がさっぱり分からず、見事に奈落の底へ。
でも翌年に奇跡が。私の知ってる問題ばっかりが出た。自己採点すると、苦手なはずの音楽が満点など軒並み好成績。見事まぐれで採用試験合格。
ああ猛勉強の初志貫徹少女とえらいちがいじゃー。
まあまぐれでなったようなもんなんで、長続きはせんかったちゅうことですかねえ。でも干支が一周する間やったから、ええとしよう。
このブログに度々登場する小谷屋のおばさん(私の小中同級生のお母さん)の言葉。「こうじさん、あんたおかちゃんが死んださかい先生やめたんやろう。生きとったら、こわーてようやめんやろう。」そら、私が採用されて一番喜んどったんおかちゃんやから。若き日の数年小学校の先生をしていた母は、4人の子の一番下が後をついでくれたようでうれしかったんやろうなあ。
1991年1月に母が亡くなり、その3月に私は退職。へへへ・・・。
映画の中で一番心に残ったシーン。
獣医学科の知美さんが、黒い雑種犬のお腹をなでている。その犬は、本当に気持ちよさそうに寝そべっていた。それは、小学生の時に牛をなでていた時と同じように・・・。しかし、その犬は「実験動物」だった。
「一番かわいがっていた人の目の前で殺すのがつらい・・・」
この場面を見て、「泣いて終り」の映画ではないとあらためて思った。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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