2012年12月19日(水)
91歳の誕生会 [家族]
毎年恒例、私の父の誕生会。
父は、1921年(大正10年)12月5日生まれ。
いつもはその日に近い日にしていたのだが、今年はいろいろと事情があり2週間遅れになってしまった。今日はいなかに雪が降り、こちらに出てくるのも大変だったみたいだ。
ケーキに絵を描いてくれたのは真樹。真樹はセンスいい。
おじいさんも喜ぶにちがいない。
会場は、これも恒例の「東華菜館洛北店」。
メンバーも毎年同じ。父と私の姉夫婦に我が家の4人。
恒例、ますみ社長のあいさつ。
「おじいさんが戦争から命がけで帰ってきてくれたおかげで、廉や真樹が今こうしてここにいます。二人にはこの先まだまだ大変なことが待ち受けていると思うので、おじいさんにしっかり見守ってもらいたいと思っています。こうじさんもこの調子やし・・・。」
「なんちゅうことゆうねん! そんなたよりないちゅうことかー!」
私の突っ込みも無視されたが、いいあいさつだった。
冬になり雪が降って外に出にくくなったため、父が運動不足で動きにくいと言っていた。しかし、今日は元気そうに見えた。
帰りは廉が運転してくれるので、私もヨメさんも気にせず飲める。ヨメさんは今年も恵藤さん(義兄)と、紹興酒をちびりちびりと飲んでいた。
燦然と輝く「91」。
真樹の絵も喜んでもらえた。
「お誕生日おめでとう!」の記念撮影。
いつもたくさんのローソクの火を消すのが大変なので、ことしは「91」だけ。
最後に父のお礼のあいさつ。
私が何度も繰り返し「誕生会はヨメさんのおかげ」と言っているので、ちゃんと眞寿美さんに向かって言っているように見えた。言葉づかいもていねいです。
帰る前に全員で記念撮影。
私は生ビール3杯でまっかっか。
また来年。そして、その先も・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
ミスユニバースの夫さん、コメントありがとう。
「おじいさんはちょっと弱っている」とみき江姉さんから聞いていたので心配していました。でも、会ってみると去年より元気そうで安心しました。
おじいさんは、いろいろな人と話をするのが大好きなようです。9月に私が連れて行った「ランナーズ9の会」の仲間のことを何度も聞いていました。また、卒論の題材として話に来てくれた大学院生の女の子のこともうれしそうに話していました。
餅付きは無理のないように。ちょっとでも顔を出してくれたら喜ぶと思いますよ。いっしょにおいしいお餅を食べましょう。
おじいさん、91歳なんですね。
“おじいちゃん”と呼んでいた人は、俺が20歳の時に旅立ってしまいました。けれども、結婚してから二人の“おじいさん”を新たに手に入れました。新たな“おじいさん”は、今もこうして元気にしてはりますね。もう一人のおじいさんも同じように、“おばあさん”が旅立った後も元気に過ごしてはります。そらぁ、弱るところもあるけれど、集まって顔を合わせることが出来るんですから、元気って事ですね。
向日市から花背まで走っていったら、とても喜んでくれはりましたわ。今年は餅つきの日は夕方から当直なんです。だから、今年は行けないかなと思いつつも、トレーニングがてら体調が良ければ今年3度目の花背峠越えを狙っていますよ。その後、餅をついて、バスに乗って帰って、仕事に行く。顔を見て喜んでもらえるんですから、こんなに有り難いことはありませんね。
速歩ランナーさん、コメントありがとうございます。 親が生きた年数より長く生きたいものですね。私の場合は父が今91歳なので、これを越えるのはむずかしいと思いますが・・・。母の65歳は越えたいです。それには、無理して走らないように気をつけなくてはいけないと思います。
話は変わりますが、今年で終わる予定だった「足羽川マラソン」の継続が決まりましたね。いい大会だったので、ぜひまた出てみたいです。久しぶりのいいニュースでしたね。
お久しぶりです・・わたしの父は67歳で他界してもう20年に・・子としては親はいつまでも元気でいてほしいもの・・父は母が亡くなり2年でボケて4年目に病死しました・・わたしもあと5カ月で母と同じ歳に・・母の死の5カ月前はもう病も末期でしたでしょう・・それを思うと・・今でも胸が痛みます・・
これからの5カ月の1日、1日を母を想い過ごしたい・・
25年目に母親と同じ歳になるなんて・・
これも因縁でしょうか・・
わたしは母や父よりはまだ元気でいますので・・
まだ20年は走り続けていたいと・・その前まだ孫もいないので・・
まだまだ死ねない・・健康な身体は一生の財産・・