パオパオだより

2008年07月08日(火)

「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」 [平和]

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◎東京新聞、2008年6月26日 朝刊より

“虜囚の恥”が招いた悲劇 戦時中の『カウラ事件』描く

 第二次世界大戦中の一九四四年八月、オーストラリアの捕虜収容所で起きた日本人捕虜の大脱走事件。歴史の闇に封印されたこの事件を題材にしたドラマ「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった−カウラ捕虜収容所からの大脱走−」が七月八日午後九時から日本テレビで放送される。生き残った元捕虜の男性を親族に持つ脚本家の中園ミホさんが長年温めてきた題材。生か死か、小さな紙切れに重い決意を込めた捕虜たちの運命に胸が詰まる。 (安食美智子)

 ドラマは、ニューギニア東部で連合国側の捕虜となり、シドニーの西方三百三十キロにあるカウラ捕虜収容所に収容された憲一(小泉孝太郎)と二郎(大泉洋)を中心に、収容所生活の中、望郷の思いと戦陣訓とのはざまで揺れた末、脱走を選択せざるを得なかった捕虜たちの姿を描く。日テレの次屋尚プロデューサーは「戦争物というよりも人間ドラマを前面に出したかった」と語る。

 憲一のモデルとなったのが、今回脚本を手がけた中園ミホさんの伯父・佐藤憲司さん(87)。中園さんは二十八年前、佐藤さんのオーストラリア旅行に通訳を兼ねて同行し、佐藤さんが捕虜だった事実を知った。収容所跡地で慟哭(どうこく)する佐藤さんの姿に、中園さんは「いつか自分の手で書かなければ」と決意したという。

 中園さんは佐藤さんが昨年脳こうそくで倒れ、「元気なうちに書かなければ」と昨年末から本格的に取り組み、十時間に及ぶ佐藤さんへの取材と、佐藤さんが書いていたノート二冊分の手記を基に物語を構成。憲一は佐藤さんの実体験をほぼ忠実に再現。二郎役は佐藤さんの戦友のエピソードを集約した。制作上最大の配慮は「実際に約八百人が復員し、今も収容所生活を隠して生きる人々がいる。地上波放送でその人々を傷つけてはいけない」(次屋さん)ことだった。

    ◇

 「脚本を初めて読んだ時から泣いてしまった。すごい脚本に出会えた」。主演の小泉は制作発表でこう振り返った。俳優、スタッフらは二月下旬から三月半ばまで富士山麓(さんろく)の収容所のオープンセットで合宿撮影。撮影中にセットを訪れた佐藤さんは周りを見回し、毛布、灰皿など一つ一つ手に取りながらうなずき、涙にむせんだ。「身の引き締まる思いがした」と大泉。小泉が佐藤さんに「楽しいことは何だったのか」と尋ねると、「仲間と野球ができたこと」。「思い出したくないつらいことは」の問いには「友達が銃弾に倒れ、六発も撃たれた自分が生きてしまったこと」と答えたという。

 小泉は「オフの時も一九四四年にいるようだった。今でも満月の夜になると、思い出してしまう」。大泉も「(トイレットペーパーに脱走の賛否を示す)○×を書くシーンは、朝から夜まで泣き続けた。その時代に生きた人々の力を借りていたようで、忘れられない。五年、十年たっても自分の心から離れない作品」と沈痛な表情を浮かべた。

 中園さんも「(俳優たちは)何かが憑(つ)いたようだった。不思議と温かいものが伝わるドラマになったのは、脚本を書いた自分でも意外。脚本をはるかに超えるドラマになった」と感慨深げに語った。

 凶悪事件が多発し、命が軽んじられる現代。次屋さんは「自分がすれ違う人すべてに歴史や思いがある。それを感じることが、人の命の重さを受け止めることなのだと伝えたい」と語る。中園さんも「ある流れに流されていくことは今も起こり得る。たくさんの若い人々に見てもらいたい」とメッセージを送る。

◎先日、毎日新聞(7月3日夕刊)でもこのドラマが紹介されていた。それは「週刊テレビ評」の欄で、このドラマの脚本家・中園ミホさん本人が書かれていた。

 ■捕虜収容所での脱走事件   命粗末する前に見てほしい

 今日はドラマの宣伝をさせていただきたい。(略)
 「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かったーカウラ捕虜収容所からの大脱走ー」。なぜこのような不謹慎とも取られるタイトルをつけたのかは、見ていただければわかると思う。
 1944年8月5日、満月の夜、オーストラリアの収容所で1104名の日本人捕虜が脱走事件を起こした。いつかこの話を書かなければいけないと思っていた。私の伯父がいたのだ。暴動の夜、伯父は食事用のナイフを手に機銃掃射の中を飛び出したという。
 先週、ドラマの完成披露試写会が開かれた。(略)
 捕虜たちが死を目的とした脱走に賛成か反対か、全員の投票で決めるシーンで、そこからラストまで客席はすすり泣きに包まれた。
 たくさん泣ければ良いドラマとは思わない。けれど、これは私の脚本をはるかに越えた、何かとてつもないエネルギーのあるドラマだと、改めて感じた。立派な軍人でも英雄でもなく、捕虜となってしまった青年の生き方に、スタッフ全員が共感し、伯父の体験に魂を吹き込んでくれたのだと思う。
 何より主演の小泉孝太郎さん、大泉洋さんお二人の熱演がすばらしい。(略)
 ドンパチの戦闘シーンはほとんどない。その代わりに収容所で捕虜たちが心を通い合わせるシーンが私はとても好きだ。
 戦争モノは苦手だという若い人たちにもぜひ見てほしい。そして、もし今、生きている意味がわからなくなってしまった人がいたら、見てほしい。命を粗末にする前に。

◎私の父は、1921年生まれの86歳。戦争で中国に行き、終戦の翌年に日本に帰ってきた。多くの仲間が自分の目の前で死んだ、という話を聞いた事がある。
 脚本家の中園ミホさんは、私の4歳下。このあたりの年代が、戦争体験を引き継げる境目なのかもしれない。父や伯父が戦地体験のある世代。ここより下(例えば、うちのヨメさん)の世代は親が戦時中10代で、戦地に向かった人間に比べると悲惨さがかなりちがうと思う。

 中園ミホさんは、「生きている意味」とか「命を粗末にする前に」というところを強調しておられた。しかし、私はこのドラマの最重要部分はそこではないと思う。
 脱走(実質・自決)の賛否を問う「○×」を投票する時、それまで反対していたはずのほぼ全員が○をつけてしまう。こわいのは、ここです。自分の考えは、どこへ行ってしまったの?
 また学校の「日の丸・君が代」問題を出して恐縮ですが、京都の小中学校にそれが導入された時(23年前)、京都中の校長先生がそれと似た状態でした。ある時期を境に、一斉に全校長先生がロボットのように同じ言葉を繰り返されるようになったのです。「これは、職務命令です。」とか。 この時の体験が、私の今までの人生で一番の恐怖体験です。
 それまであれほど話し合いを大事にされていた校長先生方、ご自分の考えはどこへ行ってしまったのですか?

 最後に二郎役の大泉洋が、憲一役の小泉孝太郎に言った言葉。
 「まわりに流されず、自分の気持ちにまっすぐに」
 清廉潔白の「廉」と、真っすぐな樹の「真樹」には、心の中にとどめておいてもらいたい言葉です。

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