2021年01月12日(火)
「ワースト記録」に思う [ランニング]
廉が「結婚式の時に使う写真が欲しい」と言ってきた。(もう結婚して5年になるのに、この2月に式を挙げる予定。)
私は、廉がまだ生後4か月ぐらいの時に片手で指人形のように持ち上げている写真を採用してほしかった。でも見つからない。
代わりにこれはどうでしょうかねえ。廉が1歳になったばかりの夏のウルトラレース。こむら返りが起こりまくりながらも、制限15時間内にゴール(14時間49分28秒)。ゴールテープを切る時、廉を肩車させてもらいました。
そこから私の「ウルトラ迷走」記録が始まる(途中関門収容)。
9年ぶりのウルトラとなった2001年の「第1回丹後」が70km地点の峠でしたかね(碇高原牧場の手前)。
それから丹後10回、サロマ3回、四万十3回の16回連続途中収容。まあ、この記録はギネス級でしょう。(ちなみに自己ワースト記録は2009年の「丹後」の56km、ベスト記録は2011年の「四万十」の99.5km。)
2015年3月、真樹が住む名護で開催された「第1回なごうらマラソン」。
その100kmの部で、ウルトラ23年ぶりの完走(当時59歳)。ただし15時間制限の14時間31分54秒でゴール。
メジャー大会はたいてい14時間制限ですからね。(サロマは13時間。)
うれしかったのはうれしかったけれど、「14時間以内にゴールしなければ、値打ちは半減」みたいに思っていた。
そして、2016年の甲状腺癌の大手術のあと申し込んだ「第1回沖縄100K」も87km関門途中収容。
2017年には甲状腺全摘手術後に「第2回沖縄100K」を申し込み。レース当日の12月17日は、私の62歳の誕生日の3日後。
しかし、ここで自身初の「14時間以内完走」を達成。(13時間58分05秒ですけど・・・。)
自己ベストと言えば自己ベスト。
それも、まだ破る余地が十分ある自己ベスト。
先日、ヨメさんがある人のSNSを見て「ワースト記録とか気になるんやなあ。歳とってきたら、だんだん体力は落ちて行くんもんやのになあ」と言っていた。
「いやいやいや、ちゃうねん。そんなんが気になるからずっと走り続けられるねん。」
私は、そういったことを悔しいと思える人が好き。
今の私は、記録がどうのこうのというところからほど遠いところにいる。
でも体をしっかり治したら、まだまだそこらへんのもんには負けんど―という気持ちは捨てていない。そういう色気があるから、どん底に落ちてもまた走り続けられるのだと思う。
あがいて生きていく方がおもしろいやん。
そんなことないんかなあ。
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2021年01月11日(月)
小野郷ラン [ランニング]
せんど泣いてきた。
今日は母・俊子の命日。あれからちょうど30年。
今年は、母の実家がある北区小野郷に行こうと決めていた。家が残っているだけでもう誰もいないのだが。
母は7人きょうだいの第一子。そのあとの6人はすべて男子。たぶん、頼りになるねえちゃんだったんでしょうね。
実家に着き、まずはお墓へ。
だいたいの場所は覚えていたが、なんせ55年ぶりくらい。なんとかたどり着くことができたが、次は田村家の墓が見つかるか。
しかし案じることはなかった。お墓の一番前の目立つところに、田村家の墓はあった。
そして確認のために墓石の横を見てみた。
「昭和三十八年六月 田村勉、毅、・・・俊子 建立」
「あっ、おかちゃんの名前が・・・。」
まったく予想もしてなかったことなので、じわじわーと涙が出てきた。ここまでわざわざ来た値打ちがあった。(第一子なのに末尾というのがちょっとと思ったが。)
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午後3時半ごろ出発。
家から、鷹峯→京見峠→杉坂を通って小野郷へ。
約18km、車で30分。
母の実家・田村家は、小野郷小中学校に渡る橋から北へ2軒目。もう誰も住んでいないので、かなり痛んでいる印象。
表札は、ずいぶん前に亡くなった祖父(母の父)の「田村樫次郎」。
私が高校生くらいの時に亡くなったと思う。゜
空き地に車を置かせてもらい、まずは田村家のお墓参り。
学校の横の道を奥に入ったところにあったはず・・・。ありました。
田村家の墓は・・・、一番前の目立つところ。
どなたかがミカンなどをお供えしてくださっていた。
念のために墓石の横を確認。
7きょうだいの名前がずらり。
「勉、毅、進、修、勲、登、俊子」
母の名・俊子をこんなところで見つけられるなんて。
本当に来てよかった。
7名中4名がすでに故人となっている。(いや、私が知らないだけでもっとかも。)
どなたがお供えしてくださったんでしょう。小野郷内にもう一軒田村があり、そこは親戚なのでそこの方でしょうか。
お墓前からラン開始。
小野郷を一周するつもり。
まずは学校前を通り、国道162号線へ。
国道に沿って南下する川は清滝川。
「凍ってる!」
国道に出て400mも行かないとこで民家が切れた。
もうちょっとだけ行ってみる。
もうここが小野郷の南の端みたい。
ここで折り返して北上。
上りになるとちょっとしんどい。
歩道もないので、スピードを出している車には要注意。
学校前には郵便局もある。
今日は祝日でお休みですけど。
学校は休校中のため、中には入れないようにしてある。
田村家前に戻って1.2km。
ここから坂がきつくなる。
駐在所前通過。
六地蔵前通過。
これが、「若狭まで山が続いている」と言われた日下部屋敷。
私もこの話をパクッて、「うちの山は若狭まで続いている」と大ボラをついていた。それにまんまとだまされたのがますみさんという説も・・・。
ここらが北の端かと思ったら、まだ少し先にちらっと家が見えていた。
国道から少し右に入る道に、数軒のおうちがあった。
上り切ったところで記念写真。
下の寒暖計は1℃だった。
折り返して、あとはずっと下り。
ここで2.1kmほどだったので、田村家から小野郷の北の端まで900mくらいか。
国道162号線に戻る。
なんかあっという間に元に戻った。
田村家前でちょうど3km。
ちょっと物足りんので、大森側に少し足を延ばすことにした。
小野郷の名所、岩戸落葉神社。
私が小さい時、小野に来れば必ずここに遊びに来ていた。
神社の向かいは北区役所の出張所。
祝日なので、ここもお休みです。
もう少し進むと、すごく立派なお寺があった。
1km進んだところで折り返し。
この先はしばらく人家がなさそうだった。
寒すぎて、あちこち氷が張っていた。
田村家到着、5km、40分。
小野郷は別所よりずっと広いと思い込んでいたが、ほぼ同じくらい。走ってみてよく分かった。(南北に約1.4kmの谷。)
18歳(?)まで母が暮らしていた小野郷。(その後、久多小学校で2年、別所小学校で2年教師として勤務し、父・善一と結婚。)
その小野郷をぐるっと回って、ちょっとは母の弔いになったでしょうか。
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【今日のきく】
お昼過ぎ、また家の前の小さな公園へ。
最近では一番暖かかった。
歩き疲れてペタンとなっても、冷たくない。
家の中にいるより健康的でいい。
また何か思い出したように立ち上がり、ウロウロ。
街灯下の砂のところに、たくさん足あとを付けてきた。
そしてまたペタン。
きくの背中はソーラー蓄熱機のよう。
黒光りの部分が、太陽光を吸収してますよ〜ん。
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2021年01月10日(日)
第136回9の日平和ラン [ランニング]
おとといまでの私の自覚年齢は75歳。
昨日「梶田泌尿器科クリニック」の先生にお話を聞いていただいて3歳ほど若返った。そして、昨日から処方していただいた薬が効いて、また3歳ほど若返った。
ということで、現時点で自覚年齢69歳。
もう動いてもだいじょうぶですね。(どんな基準やねん!)
昨日だいぶ先に延期する予定だった「9の日平和ラン」。
体調がいいので、もう今日やってしまうことに決めた。
午後4時50分ごろ、「コーナン」に用事があったのでディバックを背負ってスタート。でも、これだと背中の「いらんちゃ 米軍基地!」のプリントが見えない。アホでした。
また、うれしいこともあった。
昨日はヨメさんの鍼灸が夕方に入り、私がスーパーに買い物に行くことになった。水炊きの用意と焼き魚にする魚を買うくらいなので失敗はない。
デザート的なものが欲しいなとなった時、ちょうどハーゲンダッツの特価が広告に載っていた。「特価なのでそれを買ってきてほしい」とヨメさんに言われていた。
しかし実際にアイスの棚の前に立った時、「198円ゆうても消費税入れたら220円くらいで、2つで440円かー」という気持ちになった。それで、すぐ横に並べてあったレディボーデンを買って帰った。
家に帰って褒められるかと思ったら、ヨメさんはガッカリ。もうそれやったらいらんみたいな感じになってしまった。
でも夜になって「やっぱりアイス食べよかな」と。
そして、めでたく二人でおいしくいただきました。
これで、さらに若返って自覚年齢が実年齢に近づいた。
もう走れそうな気がする。
走り出して300mほどのところで、ご近所の人気犬・アルちゃんに遭遇。
「おめでとうございます。アルちゃん、今年もよろしくね。」
この先の1kmで8分03秒。
「おー、走れてるやん。」
しかし、ここで調子に乗ってはダメ。
ここから以前よくやっていた「900ラン+100ウォーク」で行くことにした。これだと体への負担が少なくて済む。
どこまで走るかは決めていなかったが、せっかく「9の日平和ラン」と銘打っているのだから、できるだけ9kmに近づけたらなあと思えてきた。そう思えるのも体調がいい証拠。
「ゆば泉」前で3km。
まだ行けそう。
こないだ家族みんなで行った「三田屋本店」前も通過。
跨線橋を上がるとこらへんで4km。
ここで折り返しましょう。
帰りはちょっとしんどくなったけど、「900ラン+100ウォーク」を徹底して。
8:03 7:57 8:22 8:31 8:31 9:02 8:07 8:26 で8km、1時間07分06秒。
平均キロ8分24秒ペース。
おー、これはくしくもウルトラ完走ペース。
536カロリー、平均心拍146、最大心拍199、ピッチ148。
だいぶ普通に戻ってきましたかねえ。
町内猫パトロール1kmをプラスして、今日は9km。
よくがんばりました。
どっこも痛くない!
といって調子に乗らないこと。
ゆっくりゆっくりね。
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【今日のきくみー】
今や「きくハウス」と化している台所の出入り口。
あんまり気にいっているので、おふろマットとかおざぶとか毛布とかをいっぱい入れてある。それでも段差が20cmほどあるので、上がるときは大変。今日は顔だけ上がったところで力尽きて、固まってしまった。
お昼過ぎ、約束通りお散歩へ。
めざすは、いつもの「市原野の森」。
出かける時は曇り空で心配していたが、到着した時にはきれいな青空。
車から降りたきくは、しっぽをブンブンふって大喜び。
ただし芝生広場には先客があり、少し離れたところでしか「自由歩き」はできなかった。ちょっと残念。
せっかく来たので、芝生広場も一番端の方をぐるっと2周した。きくちゃんにとってはもの足りなかったかな。
また天気のいい時は何べんも来たらいい。
オッサンも元気になったことやし。
今日の朝のみーちゃん。
スリスリしてくれるのはいいのだが、ずっとさせていると時々「シャー」とか甘噛みがまざる。まあ、それもなついてきたということなんでしょうか。
お昼も寒いので、ヨメさんが湯たんぽを入れてくれた。
そしたらさっそく上にのり、ぬくぬく。よかったね。
きくみー共存。
それはみーちゃんの心がけ次第。
お願いしますね。
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2021年01月09日(土)
梶田泌尿器科クリニック [病院]
熱が出るとすぐコロナを疑われる。
この時期だから仕方がないのかもしれないが、風邪のような症状が全くなく、シッコが出なくなっている。そんなコロナ、聞いたことあります?
その点、医療関係者はありがたい。お電話で今までの経過と現状をお話すると、「前立腺炎が治り切っていないようですね」ということで話がスムーズに進んで行った。
今日は24時間バイトからの朝帰り。もう一人の代行さんが来るのが遅くなり、帰るのがいつもより30分ほど遅くなった。
家に着いたのが7時20分過ぎ。いつものお茶漬けサラサラを食べて、8時5分のバスに乗る。国際会館からは地下鉄。四条駅に着いたのは8時40分ごろ。
「梶田泌尿器科クリニック」は、烏丸通りに面したきれいなビルの5階。
まずは受付で、昨日まとめた「病歴のまとめ」お渡しした。内容が多すぎてとても話しきれないと思ったので、まとめてきてよかったと思う。
待合スペースも工夫されていて、患者同士が背中合わせに座るようになっていた。これだけでも、今は安心感がある。
採尿してしばらく待って、やっと診察の順番が回ってきた。
梶田先生は、第一印象「おだやかそうな人」。これだけで、話しやすい。
私の「病歴のまとめ」に目を通してくださっていたので話が早かった。結論を言うと、「緑膿菌は感染症を起こすと繰り返すことが多い。おしっこが出きっていない状態だと、また緑膿菌の感染を引き起こすことが多い。」
「治りきっていないのに治療を打ち切ってはダメ」と言うことでしょうか。
そのあと膀胱、前立腺のエコー検査。お尻から指を入れる前立腺の検査もあり。
採血のあと、フルマリンという抗生物質の点滴もしていただいた。(15分程度)
最後に梶田先生にお聞きしたこと。
「前立腺が大きくなっておしっこが出にくくなっているんですよね。その前立腺を小さくすることはできるんですか。」
「できます。今まで前立腺の薬はいただいていないですか。」
「はい、まったく。」
「緑膿菌はほとんどの抗生剤が効かない厄介な菌とお聞きしたんですが、今後もこんな状態が続いて行くんでしょうか。」
「いえ、治療を続けて行けば必ずなくなります。」
なんてありがたく、希望が持てるお言葉だったことか。
もうこのお言葉で80%くらい治った感じ。
私は単純ですから。
「ファロム200mg(細菌感染症治療)、シロドシンOD錠4mg(前立腺肥大で生じる排尿障害を治す薬)、カロナール錠200mg(痛みを和らげ熱を下げる薬)」を処方していただいた。
熱さましはできるだけ飲まないほうがいいと思い込んでいたが、先生にその話をすると「よく耐えられましたね。つらい時は飲んでもらってだいじょうぶですよ」と言っていただいた。
話していて気づいたのだが、梶田先生には「上から目線」が一切ない。いや、「下から目線」じゃないかと思うくらいていねいにお話してくださる。
前に京大病院放射線科のN医師を「なんでも知ってるかしこいにいちゃん」と書いたが、梶田先生は「兄想いの心優しい弟」という感じかな。
1週間後にまた経過観察。
「治るような気がするー!」
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【RUN】
今日は、気温は低いが快晴。
「9の日平和ラン」をする日だか、ウォークもままならん。
自覚年齢75歳ですから。
中止ではなく、延期にします。
最悪29日でも・・・。
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【今日のきくみー】
今日も、きくのお散歩に行けんかった。
明日はもう、オッサンの体もだいじょうぶなような気がする。
明日こそお散歩に行こうな。
朝ごはんの時はスリスリなし。
ところが、晩ごはんのときはスリスリスリスリズリズリ。
どうなってんのかねえ。
それが猫か。
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2021年01月08日(金)
この3か月で10歳老けた [病院]
今日は寮2の24時間バイト。
朝家を出る時は−5℃だった。今晩ちゃんと寝られるか知らん。
私の熱は一進一退。そらそうやわなあ、お医者さんに診てもらってへんにゃから。
11月の膀胱内視鏡検査から、12月、1月と3か月連続で発熱。この3か月で10歳くらい老けた。一挙に75歳くらいになった感覚。もう走るどころではない。
今日思い切って、京大病院放射線治療科のN医師に紹介してもらった「Kクリニック(泌尿器専門)」に電話してみた。
電話に出られた女性がすごく感じのいい方で、今までのいきさつをできるだけ短くして聞いていただいた。もうこれだけで、半分治った感じ。
「京大病院放射線科の先生に紹介していただいて・・・。」
「そうなんですか。先生のお名前は?」
「N○○○先生です。」
「あー・・・。」
「私が今までお話させていただいた先生の中で、一番話しやすい先生です。その先生がすすめてくださるのならまちがいないと思いまして。」
だいぶ待ってもらうかもしれないと言われたが、明日の9時の予約が取れた。
これで、このダルダル地獄から抜け出せたらなあ。
「お願いしまーす。」
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※以下、明日先生に読んでもらおうかと思ってまとめた病歴。
藤井廣司(ふじいこうじ) 1955年(昭和30年)12月14日生まれ
■入院歴
1.鞍馬口耳鼻科 2016.10.3〜10.11 甲状腺腫瘍摘出
2.鞍馬口耳鼻科 2017.4.26〜5.4 甲状腺全摘+リンパ郭清
3.京大放射線科 2017.7.10〜7.14 アイソトーブ治療(隔離病棟)
4.鞍馬口内科 2018.2.8〜2.16 胆のう炎発作で緊急入院
5.鞍馬口内科 2018.3.19〜3.23 胆管に入れたステント抜き
6.鞍馬口内科 2018.7.12〜7.18 胆のう全摘
7.京大放射線科 2018.8.6〜8.10 アイソトープ治療(隔離病棟)
8.京大放射線科 2019.10.21〜10.25アイソトープ治療(隔離病棟)
9.鞍馬口泌尿器炎 2020.7.31〜8.6 膀胱癌切除手術
10.鞍馬口泌尿器科 2020.11.13〜11.26 急性細菌性前立腺炎
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「血尿から膀胱癌、前立腺炎へ」
2019.2.17 フルマラソンゴール後、トイレで大量の血尿。(37年走っていて初めて)
調べてみると「長引かないようであれば、あまり気にしなくてもいい」とのことだった。
その後も長い距離を走ると血尿が出ることが多くなってきた。ただし、一晩寝るときれいな透明に戻っていた。
2020.5.? だんだん短い距離を走っても血尿が出るようになってきたので、鞍馬口耳鼻科の医師に相談。腎臓内科を紹介してくださった。
6.11 鞍馬口腎臓内科受診。腎臓は異状なしとのこと。
6.12 京大放射線科でCT検査の結果の説明を受けた。「転移はだいじょうぶですが、膀胱に癌がありますね。手術することになりますが、京大でも鞍馬口でもどちらでも」
6.19 鞍馬口泌尿器科で、膀胱内視鏡検査。「経尿道的膀胱腫瘍切除術」決定。
7.31 鞍馬口泌尿器科入院。
8. 3 経尿道的膀胱腫瘍切除術+前立腺腫瘍の針生検
8. 6 退院。1時間間隔くらいで尿意はあるのにおしっこがほとんど出ず、激しい痛みが続く。
8.19 やっとおしっこが普通に出るようになった。
11.9 手術後3か月の経過観察。膀胱内視鏡検査。
11.11 おしっこがほとんど出なくなってきた。
11.12 発熱。40℃超。
11.13 鞍馬口泌尿器科で診察。即入院して、「1週間程度の点滴」を受けるように言われた。
11.19 緑膿菌が検出されたので、点滴を変更するとのこと。それによって入院延長。
11.26 退院。
12. 4 京大放射線科で甲状腺癌の経過観察。その時に京大病院泌尿器科を紹介してもらえないかお聞きした。
「普段なら大丈夫だが、今はコロナのことがあるので難しい。京大出身の先生が開業しておられるで、そこに相談してみられては」と。
12.13 発熱39.5℃。
12.14 鞍馬口泌尿器科へ。即入院を勧められたが、「これ以上仕事を休めない」と、抗生剤内服(レボフロキサン錠)にしてもらった。
12.21 鞍馬口泌尿器科へ。抗生剤内服(ファロム錠)。
12.27 抗生剤内服終了。
2021. 1. 1 発熱38.3℃。
昼は36.5〜37.5、就寝中は37.5〜38.5の熱が続く。
現在 熱が上がると頭痛、腹痛、吐き気あり。
また、1時間ごとに尿意があるが少ししか出ず。
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2021年01月07日(木)
2か月ぶりの三線教室から [雑用]
今日は三線教室の日。
11月5日に行ったあと、11月19日は入院中。
12月3日は体調不良。12月17日は抗生剤で治療中。
ちょうど2カ月ぶりの出席になった。
この間まったく三線は触らず。
午前中に猛特訓して、午後出発。
イオンモール京都五条の3階には駄菓子屋さんがある。
「そうや、ナリケンの誕プレはこれにしよう。」(ナリケンは26歳、体重98kg。)
もう2か月も過ぎてしまったけど、なにもしないよりはまし。たしか、ナリケンのインスタに「駄菓子パーティ」みたいなんが載ってたことがあった。三線教室が終わったらじっくり選ぶことにしよう。
三線教室の扉の前には、靴がたくさん。
中に入ると、新しい男性がお二人来られていた。私の体がやられている間に世の中変わっていました。
新しい方に合わせるようにゆっくりとした練習で、私が3年前に必死になっていた「十九の春」、「安里屋ゆんた」、「沖縄(うちなー)」なども久しぶりに弾いた。ゆっくりだったので楽勝。
「藤井さんの好きな『島の人よ』もやりましょう」と先生がおっしゃって、私は大喜び。池田卓さん、あなたの歌を広めていますよ。
久しぶりの2時間みっちりは疲れたけれど、ほとんど自分の好きな歌だったのでよかった。
その帰り、駄菓子屋さんへ。
「ナリケンはなにが好きなんやろう」と思いながらいろいろと買った。
まあまあいい選択だったんじゃないでしょうか。
お菓子ではない「みーちゃんぽい人形」もおまけに付けときました。
ヨメさんは、「ナリケン、迷惑がってるんちゃうか」と心配していたが、だいじょうぶでしょう。何も気にせんと、バリバリ食べてねー。
なかなか売ってない「月曜始まり手帳」も大垣書店でゲット。
「一週間は日曜から始まる」と思っている日本人は何パーセントいるんでしょう。「日曜始まり手帳」は、土日が2段に分かれてしまって使いづらいことこの上ない。
その点、この「月曜始まり手帳」はすごく使いやすい。週末の予定などが立てやすい。私はずっとこれ。
全部これに統一したらあかんのかな。
さっそくこれからの計画を書き始めた。
今日も、ちょっとだけラン&ウォークをしようと思っていた。ところが、夕方からまたジワジワと熱が上がってきた。三線、がんばりすぎたんかな。
今日はおとなしく寝る。
明日は寮2の24時間バイト。しんどくならないように工夫して、あさっての朝元気に帰って来よう。
また、計画はあさってからね。
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