2009年07月04日(土)
「てんてん」と「くま」〜シリーズご近所猫6〜 [わんこ・にゃんこ]
昨日もきくの散歩の途中、花背造園さんのハイビスカスを見た。そして、反対側のウィンドーを見ると、ネコちゃんの姿が・・・。
3ヶ月ほど前に生まれた子猫ちゃん。
名前は、「てんてん」と「くま」。
いっぱいいっぱいさわらせてもらった。
ネコちゃんは警戒心が強いと思われがちだが、小さいときからかわいがられていたら、このとおーり。
また、さわらせてねー。
家の外では、きくが「ウォーン」(こっちも、かまわんかい!)。
前からいる「ふーちゃん」は、今2歳。
「グレちゃん」は死んじゃったそうです(7歳)。
ハイビスカスは、元気に咲き続けています。(ただし、夕方になるとしぼみます。)
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2009年07月03日(金)
2009前半を振り返ってー家族編ー [振り返って]
「まあ、ひとごとのようにとあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとはちがうんです。」 (昨年9月1日夜、福田首相の辞任表明の締めの言葉)
あかん! それゆったら、あかんて! なんぼ心の中で思ってても・・・。
この言葉が話題になった時、「ひどいこと言うなあ」と思った反面、「自分に似てるなあ、おもしろい」とも思ってしまった。
私のブログの「家族」ネタは、第三者が書いてるみたいと、いつもヨメさんに叱られています。 自分ではそのつもりがないのに知らず知らずそうなってしまっているということは、確かに問題。かと言って、何にも書けへんのかなあ。むずかしいね。
まあ、家族の中でなんぼ書いてもセーフなんは、「きく」と「あんも」やけど、もうさんざん書いてきたし・・・。
<ますみさん>
二人の子どものために、身を削るような日々。役に立たないどころか足手まといの夫に、ぶち切れる毎日。
これをいやしてくれるのは、おとぼけ犬「きく」とおとぼけ猫「あんも」だけ。
「あのー、もうちょっとだけ、仮面夫婦続けてもうていい?」
「ちゅらい・・・。」
<れん>
高3になり、大学受験の日が間近に迫る。理数系の募集人数は少ないようだ。
最近は、真樹の宿題の相談にものってくれている。ええ、にいちゃんじゃー。
廉は体の硬さに似合わず、柔軟な対応ができる一面がある。今後も、それを生かしていってほしい。
「リラックスしようぜ!」
<まき>
中3になり、こちらも受験生。いろいろ迷い、悩むことも多いようだ。でも、何も考えられなかったころに比べれば大きな前進。
真樹は体は柔らかいのに、心が硬いようなところがある。でも、いざという場面に強い。
「負けんな!」
<きく>
このごろ、ものすご、犬くさい。たぶん、きくなりに「お色気」を出しているのでしょう。
前はエサのときにうなったことなどなかったのに、最近私が見ただけで、「見んな!」と飛びかかってくる。なにいらついてんのかな。
「われに返れ!」
<あんも>
前はエサのとき触り放題だったのに、このごろは「ビクッ、ビクッ」として、ダメー。
こないだ階段にいるとき、一瞬のスキをついてしっぽをさわったら、階段を踏み外していた。ごめんねー。
「長生きしてね」
<こうじ>
「ええかげんにせい!」と言われて、ええかげんな人生を歩んでいます。(意味がちがう)
いつ「バチ」が当たるやろうとビクビクしながら生きているのだが、今のところでっかい「バチ」は当たっていない。もうそろそろ、でっかいのが、「ドッカーン!」
やっぱり、「ええかげんにせい!」
※ この程度の「家族」ネタなら、許されるでしょうか。
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2009年07月02日(木)
2009前半を振り返ってーランニング編ー [振り返って]
私が、いつ何km走ろうと、興味ないですよねー。
6月27日から、きくの散歩コースである花背造園さんのハイビスカスが三度目の開花。今までは一輪ずつの開花だったが、今回は複数一度に開花している。
この一週間のうちに写真に撮ったハイビスカスを見ながら、今年前半のランニングを振り返ってみます。
1月。
2月7日の「鯨海峡とかしき島一周マラソン」向けて練習。練習した日、18日。走った距離、160.5km。
1月17日から2月7日までの22日間、少しずつであるが休まず練習した。こんなことは、20何年ぶり。レースで真樹にいいとこ見せたい一心で走り続けた。私らしくなく・・・。
2月。
目標にしていた「とかしき島マラソン」、申告タイムレース3kmは入賞圏外(真樹が入賞)。10km50歳代は、大会新記録を出すも3位。(1位のみ表彰)
私なりの努力を、真樹は認めてくれたのでしょうか。
「沖縄から帰ったら、もう走らへんにゃろ。」
「そのとーり!」
この日以来、一度も練習はしていません。
2月合計89.7km(9日)。
3月。
篠山フル、和倉フル、京都ハーフと3週連続のレースは楽しかった。特に、2週連続のフルとなった「和倉」で4時間を切れたことは、大きな収穫であった。
また、3月28日(土)に4時間走で36.25km走った翌日に10kmレース(美杉の里)。以前ならまったく話にならなかっただろうに、かなりいいタイムで走れた。これも、大きな収穫。3月合計159.95km(6日)。
4月。
4月11日の「龍王桜マラソン」で、「ランナーズ・9の会」のユニフォームデビュー。この日以来、ほとんどのレースでこのユニフォームを着ています。
「岐阜〜根尾33km」、その翌日の「日吉ダム10km」、そのまた三日後の「京都鴨川30km」も楽しく走れました。
4月合計145.7km(7日)。
5月。
私にとって、前半戦最重要レース「マラソンに挑戦する会」(5月3日)。何とかギリギリ前年のタイムを上回った(3時間47分57秒)。
その2週間後、「鯖街道ウルトラマラソン76km」。ゆっくり走ったら、速い人には見えんいろんなもんが見えますねえ。
「小豆島オリーブ」が中止。
5月合計123.2km。走ったのは、わずか3日。
6月。
「みかた残酷24km」は、今までで一番値打ちのあるレースになった。三宅誠孝さんと高石ともやさんと奥様、この三人のことを考えながら走り続けることができた。
6月27日(土)には、「六甲マリンパークマラソン」に初参加。土曜日の大会はありがたい。変化に富んだいいコースだった。
6月合計104.7km(5日)。
今年前半のまとめ。(48日、783.75km)
?ロングタイツはいても、慣れたらだいじょうぶ。
?長い距離でもリラックスして走ったら、翌日も走れる。
?100kmウルトラ、今のままではムリ!
こんなとこですかね。
※ 今日、花背造園さんの奥さんとしゃべって、うちとの意外な関係が・・・。
「藤井さんのいなかのおうちの井戸、うちが掘らせてもらったみたいよ。」
「へー、そうなんですんかー。」
それはもう12年も前のことだが、今こうしてお話できるということはなんかご縁があるんですねえ。
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2009年07月01日(水)
2009前半を振り返ってーブログ編ー [振り返って]
私のブログは、一応カテゴリー別に分けてある。
主なものを、記事の多いほうから並べてみると・・・。( )内は、その中の最高アクセス記事。
「ランニング」 85記事
(「第8回丹後100kmウルトラマラソン・おまけ」08/09/15 3681アクセス)
「ランニング・出張販売」 72
(「第18回南紀日置川リバーサイドマラソン・続き」08/11/10 1015)
「家族」 66
(「真樹、14歳!」08/08/15 3908)
「わんこ・にゃんこ」52
(「わてら、野良猫トリオですねん」08/09/08 3052)
「学校」 36
(「田中裕子さん」08/08/27 1324)
「沖縄」 23
(「シートレック熱帯魚餌付け体験」08/08/01 591)
「私の好きな人」 22
(「いりえゆかさん」08/11/01 770)
「雑感」 21
(「苦しまずに死ぬことですかね」08/12/04 349)
「石井慧選手関連」 17
(「石井慧選手の応援に、北京へ!」08/08/14 1781)
「映画」 16
(「カフーを待ちわびて」09/03/12 1108)
この記事数の割合から見ても、「パオパオだより」はマラソン系ブログと言ってもいいと思う。
ただし、「ランニング用品店・京都キャロット」に関わっているとはいえ、ランニングに役立つ情報はほとんど入っていない。
また、ヨメさんから、「口ばっかしで、えらそうなことばっかり書いとるブログ」とよく言われるのだが、「えっ、どこ?」という感じ。「平和」のカテゴリーでは、わずか7回しか書いていない。それとも、「学校」関係の記事のときにちょっこちょっこっと書く私のコメントにカチンときてんのかなあ。
「そんなむかつくんやったら、読まんかったらええのに・・・。」と思うが、この「パオパオだより」が「京都キャロット」のホームページ内にあるので、きちっと検閲せんなんらしい。
ほんま、うちのヨメさんは、何から何まで大変です。
2009年前半の「パオパオだより」、私が選ぶとしたら・・・。
「三宅誠孝さんが・・・」 1月23日
「はよう、ともやさんのマネージャーの仕事に戻らんならんと思ってるんです」というお電話での言葉が忘れられません。私は、本気で、戻られるものと信じていました。
「バド!」 4月8日
新学年が始まって三日目。家族4人と「きく」とで、穏やかな時間を過ごすことができました。
「第14回鯖街道ウルトラマラソン・続き」 5月18日
「賀茂川パートナーズ」のランナーを取材させていただいた。この記事は学校の教材にも使えます。(自画自賛)
「校長先生への卒業証書 」 6月5日
「こんな校長先生が京都にもおられたら・・・」と何度思ったことか。
このあたりでしょうか。
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2009年06月30日(火)
永年会員表彰 [ランニング]
「藤井さんに、お渡ししなくてはならないものがあるんです。」
おとつい、京都ランナーズの例会で、粟津さんに呼び止められた。
「えっ、なにかもらえるんですか。」
それは、京都ランナーズの永年会員賞の表彰状と記念の盾だった。
私は、「26年の永きにわたり京都ランナーズ会員としてクラブの発展に貢献されました」らしい。
26年かー。私が走り始めたのが26歳の時からなので、そのあとすぐ入会させてもらったようだ。しかし、当時の記憶がほとんどない。やはり手続きをお願いしたのは、冨田良一さん(現会長)だったのだろうか。
今や、会員?15。クラブができて35年。そのうちの26年だから、超古参会員になってしまった。
しかし、よーく考えてみると、私はクラブの発展に貢献したことはない。ヒンシュクをかったことはたびたびあると思うのだが、役に立った記憶がない。ただ、26年間、年会費を滞りなく支払い続けていただけのことである。表彰なんて「めんぼくない」とは、こんな時に使うんですかね。
私に冠をつけるとすれば、「京都ランナーズでもっとも役立たずの古参会員・藤井」。
これで、どうでしよう。
「うまい!」
ちなみに、ヨメさんも23年永年会員賞をいただきました。ヨメさんは、もう20年近く例会に参加していないはず。年に一度、「京都ロードレース」の準備に行く程度です。私の年会費を払う時に、ヨメさんの分もついでに払っているだけ。
最近、ヨメさんと話の合いそうな若い人も増えてきたようだし、またボチボチ例会にも来たらいいのにね。ちょっと扱いにくいおばちゃんかもしれんけど、若手の会員さん、うちのヨメさんもさそたってねー。
そうそうそう言えば、こないだの例会で、京都ランナーズの若手の細井勝博さんから話しかけられた。その日の例会の担当役員として来ておられた。
「藤井さん、ブログ、毎日毎日、よう続いてますね。すごいですね。」
「あっ、ありがとうございます。読んでくれてはるん?」
「ええ、全部読ませてもらってます。平日は犬の写真で、日曜はマラソン大会という感じですよね。」
うれしー。
前にもちょっと書いたが、京都ランナーズ会員で私と同年代は極めて少ない。すぐ思いつくのは、北出吉弘さん、谷角裕之さん、矢瀧玲子さん、プラス最近知り合った川橋豊さんくらい。どうゆうわけか、私より10歳くらい上と10歳くらい下の人が多い。(たぶん、細井さんも10歳くらい下。)
この二つのかたまりの架け橋になるのが自分の役目かなーと思っているんですが、どうでしょう。
話変わって・・・。
今日の夜の、私と廉の会話。
「廉、橘高校は皆既日食見に行かはるらしいで。新聞に書いてあるわー。」
「へー、ええなあ。だいぶお金かかるんやろなあ。働いてたら、行くんやけどなあ。」
「46年ぶりやで。かあちゃんが生まれる前の年やん。値打ちあるでー。こないだ、新聞に安いツアー出とったで。行こか。」
「うーん、次はいつ?」
「2035年らしいわ。26年後や。パオパオ、もう生きてへんし。」
「そんなことないやろ。何歳?」
「えーと、79歳。もう、死んどるわ。なー、ますみちゃん。」
「死んどる、死んどる。」と、ヨメさん。
「パオパオなあ、おかちゃん(母)が死んだ65までは生きたいと思ってんにゃけど、そこ過ぎたらもう死んでもええかなあと思ってんねん。そやし、次の皆既日食は、無理! 65まで、あと12年かー。と言うことは、きくより先に死ぬちゅうことかー。」
なんか、話が変な方向に・・・。
もう、この世から消え去るときの準備しとかなあかんのかねえ・・・。
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2009年06月29日(月)
「熱血校長VS都教育委 孤独な闘い」 テレビ朝日・ドキュメンタリ宣言より [学校]
今日は別のことを書く予定だったが・・・。
新聞のテレビ欄で見つけた。
「ドキュメンタリ宣言」 夜7時〜
教職員の言論の自由を守るために闘う東京都立三鷹高校の元校長・土肥信男さんに密着する。
土肥さんは、2008年4月に東京都教育委員会から全都立高校あてに通知された「職員会議における挙手・採決の禁止」に反対。公開討論を申し込むが、都教委は応じようとしなかった。土肥さんは定年退職後も教育現場に残りたいと、非常勤教員の採用試験を受けた。法令違反を犯さない限り落ちることはほとんどないが、不合格とされた。都教委を公然と批判したことが原因なのか。土肥さんは都教委を公の場に引っ張り出すため、提訴に踏み切った。
その内容は、私が今までに知っていることをまとめたようなものだった。
しかし、初めて知ったこともある。土肥さんは東大出身。それは知っていた。その東大在学中に起こったのが、東大安田講堂事件。当時3回生だった土肥さんは、決して学生運動に参加しなかった。その理由は、「東大卒というレッテルをどうしても欲しかった」から。
そうして手に入れた東大卒のレッテルで、一流商社に就職。しかし、そこで経験したのは「闇カルテル」。こんな不正だけはどうしても許せないと思い、退職。自分の信念を貫くことができるであろう教職を目指す。
この思いで、34年間がんばってこられた。
そうかー。根底に、この商社時代のいやーな経験があったんや。
それと、どうでもいいことやけど、土肥さんはうちの兄と同世代です。戦後ベビーブーム世代。(めっちゃ、大学に入るのが難しかった時代。)
もうひとつ、土肥さんの奥さんが番組に出ておられた。嫌がらせなどもあるだろうに、ちゃんと顔を出しておられました。
土肥さんが都教委を提訴することに踏み切ったとき、「私には、なくすものはなにもない」とおっしゃったそうだ。
それを聞いた奥さん。「私や子どもたちもいるのに・・・。」
奥さんが普通ぽい方で、なんだか安心しました。
私が、「卒業式・入学式での日の丸・君が代の強制は、どうも納得がいかん」と言っただけで、私を「左寄り」と決め付ける人がいる。なんで?
わしゃー、右も左も知らんど。普通の人やって・・・。
自分の都合が悪くなると対話を打ち切ってしまう人たちは信用ならんと言っているだけなのに、それと右翼左翼関係あるん? よう、わからん。
子どもたちがちがう番組を見ていたので、自分の部屋の小さい液晶テレビでこの番組を見ていた。ただ最後の、高校生が土肥さんに卒業証書を渡す場面はヨメさんにも見て欲しかったので、呼んでいっしょに見た。
「アンタみたいに口だけとちごうて、しっかりやることやってはるから、こうして子どもらに慕われるんやなあ。」
ひと言多いような気もするが、ここは土肥さんが一番大事にされていた「言論の自由」を思い出しじっとがまん。こうやって土肥さんの言動を私のブログで紹介するだけでも、何もしないよりはましと思うんですけど・・・。
「言論の自由がすべて。それがない学校では、子どもたちは幸せになれない。言いたいことが言える社会、それが基本だ。」というようなことをおっしゃっていた。
「たまにはまちがったことを言ってしまうこともある。でも、それは社会がきちんと判断してくれる。」
このテレビ番組では、土肥さんのことを「熱血校長」と紹介しているが、それはおかしい。私が冠をつけるなら、「冷静な良識ある校長」としたい。
でも、東京のように人口が一番多いところで、「冷静な良識ある校長」がたった一人なのは、どうして?
岩波ブックレットから、「学校から言論の自由がなくなる」という小冊子が出ている。これを読めば、ちょっとは私のギモンも解消されるかな?
読んでみよう!
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