2008年05月19日(月)
中学のクラス会 [学校]
昨日の午後、中学時代のクラス会をした。
私が卒業したのは、京都市立花背第一中学校(左京区花背別所町)。残念なことに、昨年3月、60年の歴史の幕を閉じた。
私たち1970年度卒業生は、入学時男10女4の合計14名(このうち女子1名が途中転校し、卒業は13名)。この後、卒業生が2けたになることは一度もなかった。
また、当時、大原百井町から峠を越え約4kmの山道を毎日通う仲間がいた(入学時、男3女1)。
今回、百井町の「とり幸」さんでクラス会をするのも、こういうご縁があるからだ。(「とり幸」さんは、クラスメイト林幸博君のご実家が経営。鶏を育てているのは、幸博君。)
一応今回のクラス会は、言いだしっぺの私と幸博君が幹事になった。
担任だった中古賀先生に、「できるだけたくさん集めます」と約束したので、14人中7人以上を目標にした。
出欠の締め切りは4月末だったが、その時点ではっきりしていたのは幹事2人のほか2名。こら、えらいこっちゃ。先生は、「少なくてもええで、無理すんなよ」と言ってくれてはったけど、ブルガリアから帰ってきてはんのにこれではね。
それから電話しまくり、メールしまくり。それで、ようやっともう4人増えた。合計8人。よかった。目標クリアー。
後は、ドタキャンがありませんように。(それがちょっと心配なんです。)
京都走ろう会の例会が終わったのが、11時前。「ビブレ」の駐車場に車を取りに行く途中、中庭を通ると 「ありゃ、中古賀先生」。静かにすわって本を読んでおられたので、声はかけなかった。11時40分に待ち合わせしていたのだが、早く着きすぎて時間調整してくれてはんにゃ。
急いで帰って着替えて、車のそうじ。またシャワーもあびるヒマないし、汗臭いかも。皆さん、すいません。
ビブレに向かう途中、上賀茂橋の前を通ると、11時45分に待ち合わせの約束をした物部周作君が立っていた。まだ10分以上あんのに、早くから待ってくれてんにゃ。でっかい周作君がチンと待っているくれている姿を見て、何か、ものすごくうれしなってきた。
約束の11時40分ちょうどビブレ前で中古賀先生を乗せ、これまた45分ちょうど上賀茂橋で周作君を乗せ、またまた50分ちょうど御薗橋西で明美ちゃん(旧姓・小西)を乗せた。われながら、すごい。こうゆう計算は、ばっちりです。
忘れ物をしたので二軒茶屋の家により、優子ちゃん(旧姓・物部)が待ってる鞍馬へ。
バス停で待つ優子ちゃんを見つけた明美ちゃん。「いやー、優子ちゃんきれい。」 いやー、そら優子ちゃん喜ぶわ。
百井に着いたのは、予定通り12時半少し前。
直行組の物部和佐男君、林靖弘君、琴美ちゃん(旧姓・藤井)はさきに着いており、「とり幸」前で林幸博君としゃべっていた。
あー、これでドタキャンゼロ。全員時間厳守でそろってくれた。
「酔う前に、みんなで写真撮っときましょ。」
幸博君のおい・宏明君(22歳)に頼んで、パチリ。それが、最初の写真です。
最初に、私から、このクラス会をしようといういきさつの説明。「おととしの秋、幸博君に久しぶりに会って、『学校なくなんねん』と言う話から、『クラス会やりたいなあ』ゆうことになって。中古賀先生、1年に1回日本に帰ってはるし、その時やろかー。会場はここでええ。おれら、言いだしっぺやし幹事やろな。」ということで。
次に、来れなかったメンバーの分かる範囲での近況報告。
一番残念やったのは、由紀子さん(旧姓・物部)。もっと早くから知らせておいたら来てくれていた。次のクラス会には必ず行くと言ってくれたので、次回は由紀ちゃんの都合を最優先。「みんなで食べて」と、名古屋のお菓子を送ってきてくれた。
藤井和幸君のファックスのお便りも披露。自治会役員はたいへんだ。藤井頼定君と電話で話したこと。藤井修平君、藤井富雄君、浅田誠宏君とは連絡が取れなかったことも報告した。
藤井修平君のおい・石井慧君が、北京オリンピック柔道100kg超級の代表に選ばれたことも報告。クラス会会計から残金が出れば、それを渡すことを了承してもらった。
次に、乾杯。
私には、秘策があった。この乾杯の音頭は、幸博君に頼む。しかし、幸博君は緊張しーやから、直前のドサクサに頼む。
「えーと、乾杯の音頭なんですけど、普通年長者にお願いするんですが、先生はゲストやから・・・、幸博君! 4月 生まれやったやんなあ。頼みます、53歳。」
「かなんなあ。そんなん、急にゆうて。」
「ごめんなー、頼むわ。」
「・・・、えー・・・、・・・今日はみんなに会えてよかった。うれしい。かんぱーい。」
こんなええ乾杯の音頭、聞いたことがない。これで、場の空気がますますよくなった。
さて、お料理へと。話題になったのは、てんぷら。「タラの芽のてんぷらやんね」派と「これ、よもぎやで」派に分かれた。
「幸博君、これ、なにー」 「そんなもん、わしゃ知るかい!」 「えー」 (答えは、よもぎ。珍味!)
次に、それぞれの近況報告。
まずは、中古賀先生、68歳。ブルガリアに住みだして早3年。後2年で帰ってくるとかいう話は、不確定に。
みんなに、「先生って、何の(教科)の先生やったっけ?」と突っ込まれていた。
言葉を選び選び話される姿勢は、変わっていない。
(注)まだまだ続きます。赤の他人のクラス会の話なんか、おもしろくないですよね。私は、このブログをクラス会に来れなかった友に向けて書いているつもりです。
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2008年05月18日(日)
京都走ろう会例会(5月第3日曜) [ランニング]
今日の主役は、佐藤光一さんです。
京都走ろう会の栄光の会員番号「1番」、それが佐藤さんです。
現在、73歳。会員歴は、当然ながら京都走ろう会と同じ34年。よほどの用事がないかぎり、例会には必ず来られています。
平日の練習はとお聞きすると、「第三錦林小の子どもと走っています。」とのお答え。
朝に通学安全ボランティアをされているそうで、その関係で7時45分からの朝ランニングにも参加されているとのこと。グランドを走ったり、学校のまわりを走ったり。できるだけ、子どもたちの先頭を走るようにしている、とおっしゃていた。以前は週3回ほどいっしょに走っていたが、現在は週1回だそうだ。でも、いっしょに走っている子どもたちはどんな目で佐藤さんを見ているのだろう。話を聞いてみたいなあ。
佐藤さんは、とにかくお元気。声に張りがあり、会員の皆さんともよく話し込まれている。
「京都走ろう会の顔」と言ってもいい存在だと思う。
今日も前回同様、朝からすごい暑さ。
私は、4日前から副鼻腔炎で、とんぷくを飲んで熱を下げているような状態だった。走りに行くことがヨメさんに見つかったら、絶対におこられる。
そのため、ヨメさんにばれないように準備をしてきた。こそこそと用意したので、上は紺のランシャツ、下は青のでかパン。かなり変なかっこうだった。
皆さん、前回の暑さでこりたのか、10kmは少し、その分5kmが多かった。
私も本当は10kmを走りたかったが、まだ体が重く、鼻もつまっていたので5kmにした。
「鼻のつまった体調の悪いランナーは、5kmをどれくらいで走れるか?」 26、7分ってとこかなあ。
スタートしたら、やっぱり息がしにくい。その分、だいぶセーブして走ったつもり。
新しいデジカメも撮る練習をしないと、と思ってカメラを取り出すと、これがめっちゃ持ちにくい。軽くて小さいのはいいのだけれど、やっぱり今まで使っていた縦型楕円形のほうがずっと手にしっくりくる。こら困った。
今日は、暑さ対策のため、計時係も橋の下の日影へ。そのため、5kmのスタートも少しだけいつもより南側。
フーフー言いながら戻ってくると、北大路橋南側にはテントがいっぱい。YMCAがランニングのイベントを開いているようだ。そういえば、私たちのスタート直前に、たすきをかけた子がたくさん走り抜けて行ったなあ。
テントの横を通り過ぎる時、なんかいいにおいが。鼻つまってても、そうゆうのんは分かります。
いいにおいを振り切ってゴール。タイムは、23分50秒くらい。病人としては、上出来。
ゴール後、前回ブログに登場の橋本さんから「ありがとうございます」と声をかけられた。今日は、結局10kmは橋本さん一人。それでも35分14秒とか言っておられた。速すぎるー。これでは、京都走ろう会名物(?)最終ランナーといっしょにワッショイワッショイができない。
そうか、今日私が10kmを走ったらワッショイしてもらえたんや。残念!
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2008年05月17日(土)
新しいデジカメ、カシオ・エクシリム [雑用]
昨日、4年半使い込んだデジカメ、サンヨー・ザクティーがついにおかしくなった。
最近、マラソンに必ず持ち歩き、汗ベタベタの手で撮っていたのが悪かったのか。
それでも4年半使ったのだから、もう新しいのを買ってもいいだろう。
真樹を二条の「VIVI」に送り(映画「砂時計」を友達と見るらしい)、その帰り西院の「ジョーシン」に寄った。
ほとんど撮るものがランナーと犬猫だと話した。いろいろ説明を聞き、店員さんがすすめるカシオの最新機種にした。今まで使っていたデジカメは320万画素だったが、今度のは1010万画素。3倍以上の美しさか。
使い慣れた縦型楕円形から横四角型へ。使いこなすのに時間がかかりそう。
明日は午前中京都走ろう会例会、午後は中学校のクラス会。だからカメラがないと困るんです。今日中に、撮れるように練習しとかないと。しっかり撮って、またブログに載せよう。
さあ、明日からバリバリ撮るぞー。
◎重大事態発生。
新しいデジカメで撮った写真は、画質が良すぎてブログに取り込めない。上の3枚の写真は、廉に調整してもらい何とか入れられたもの。あー、せっかく買ったのに、使いこなせなーい。
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2008年05月16日(金)
石井慧応援掲示板 [石井慧選手関連]
今日、ヨメさんから「石井慧応援掲示板」があると聞いた。「誹謗中傷は削除することがある」と書いてあったのに、結構ひどい事が書いてある。
そのほとんどが、先日の全日本選手権の決勝の試合についてのことだった。「がっかり」とか、「最低の試合」とか「あきれる」とか。すべて匿名で。これって、応援ですか?これは、誹謗中傷ではないのでしょうか。
私も、柔道は高校の体育でちょっとやっただけでまったくのしろうとです。でも、あの決勝は見ごたえがあった。
一番すごかったのは、鈴木桂治選手が石井選手の寝技を残り2秒で返したところ。
「あんた、もうオリンピック代表決まってるんやから、そこまで必死にならんでも・・・」と、テレビに向かって言ってしまった。当たり前の事かもしれないけれど、両方真剣勝負。一切の手抜きなし。あこで鈴木選手が返したことで、一挙に試合が盛り上がった。
去年の決勝を見ていても、石井選手は鈴木選手に大して苦手意識があるようだ。それでも、最後まで冷静に頭脳的な戦いができていたと思う。
いろいろなルール改正に、日本で一番柔軟に対応できているのが石井選手ではないだろうか。それにいちゃもんをつけるのは、どこかおかしい。それも、匿名なんて。
私・藤井廣司は、実名で応援させてもらいます。
「雑音を気にするな。自分の信ずる道を最後まで貫いて。石井慧選手らしい、頭を使った柔道を見せてください。」
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2008年05月15日(木)
石井慧選手の応援に行くぞ! [石井慧選手関連]
今日の朝10時、石井慧選手のお母さん・美智子さんに電話した。
「北京オリンピックの石井慧君の応援に行きたいんですけど、後援会の方のツアーに便乗させてもらえないでしょうか。」
「後援会と言っても、みんなうちの主人の教え子なんです。連絡とってみます。」
そして、夕方5時。美智子さんから、電話があった。
「後援会のツアーに一人付け加えてもらいました。とりあえず、パスポートをとって、そのコピーをうちに送ってください。」
ありがとうございます。おいそがしいでしょうに、手をわずらわせてしまった。
私が中学生のころ、同級生の妹だった美智子さん(4歳下)。あのころは、えらそうに呼び捨てだったけど、今は美智子様様です。
仕事が早い。信頼できる。この母にしてこの子ありですね。
費用は、お盆休みでもありかなりかかる。でも、自分に少しでもかかわりのある人がオリンピックに出場することなど、一生で一度のことかもしれない。
これで応援に行かないでどうする。この費用は、生きたお金だ。柔道100kg超級が行われる8月15日が、待ち遠しい。
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2008年05月14日(水)
「トゥヤーの結婚」 [映画]
久しぶりの「京都みなみ会館」。
つぶれたパチンコ屋さんの広い駐車場が使えること。よそでやっていないマイナーな映画が見られること。余裕を持ってすわれること。などなどの理由から、最近は「みなみ会館」に行くことが多くなった。
昨日の京都新聞シネマガイドに紹介してあった。
子ども三人を抱える遊牧民の女、トゥヤーの再婚の条件は、離婚した夫も一緒に暮らすこと。
砂漠化が進むモンゴルでたくましく生きるヒロインを描き、2007年ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)に輝いた。コン・リー、チャン・ツィイーに続く中国出身の国際派女優として期待されるユー・ナンが、過酷な現実を背負いながらも凛としたトゥヤーを好演。荒涼とした大地と人々の素朴な営みの中で、その美しさにはっとする。
最初に子ども同士のけんかの場面。
「父親が二人いて、何が悪い!」
「けんかは、やめて!」 パオに入り、涙を流す花嫁姿のトゥヤー。
そして、場面は戻り・・・。
重度の障害を持った夫と二人の子(京都新聞の紹介文の三人はまちがい)を養うために、羊の世話をするトゥヤー。
でも見ていると、うちのいなかの知り合い真奈ちゃんに見えてきた。
動けない夫バータルは、太って日に焼けた石田純一。
離婚届を出したトゥヤーに求婚するボロルは、きむにい。
隣人センゲーは、24時間リレーマラソンの荻原さん。
みんな日本人に見えてくる。
一番びっくりしたのは、離婚届を出した後、次々と求婚者が現れたことだ。モンゴルでは、裁判所が再婚の斡旋をしてくれるようだ。(個人情報公開法?)
結局、皆、元夫の同居という条件に難色を示し、なかなか再婚できない。そしてトゥヤーは・・・、(この先は、作品を見てください。)
なぜ、トゥヤーは、動けない夫にこんなにこだわるのか。
答えは、息子ザヤの言葉の中にあった。
再婚相手の車に乗せられたとき、母に言った。
「ボクはおかあさんといる。妹は、お父さんといさせる。」
「どうして?」
「守らないといけないから。」
お母さん(トゥヤー)は、この言葉、うれしかったやろなあ。
ずっとむこうに山脈があるだけで、ほかには何もない。羊のえさになる牧草もまばら。(この何もない景色には、目を奪われた。)
パンフレットに「遊牧民」という言葉が使われていないわけが分かった。あの過酷な仕事は、決して「遊牧」ではない。
父の病室で、ベットに横たわる父をなじる母(トゥヤー)。ブチ切れ状態の母の横で、薬品のビンのふたをいじくる息子ザヤ。
この場面は、私が選ぶ秀逸のシーンです。自分にもこんな時があったなあ。廉や真樹もあったやろなあ。
元夫を引き連れて再婚なんて「ありえない世界のありえない物語やなあ。」と思いながら、いつもどおりパンフレットを買って出た。でも、日本では聞いた事ないけど、モンゴルではそんな特殊なことでもないのかも。しっかり、パンフレット読もうっと。
パンフレットを見て、またびっくり。
主人公トゥヤー役のユー・ナン以外は、みな一般人。
夫バータルと隣人センゲーは、モンゴル族の牧畜民。バータルは、今でも映画に出たことを信じられずにいるという。
求婚者ボロルは、モンゴル族のビジネスマン。映画の中でもビジネスマン役だった。この三人とも本名で出ているモンゴル人だった。もちろん、子役の二人もモンゴル族の牧畜民の子で、本名。
みんな、しろうとにしたらうますぎる。いい味出しすぎ。
前にもこんな配役の映画見たなあ。というより、アジアの映画は、たいてい一般人大活躍。どうして日本にはこの手の映画がないのだろう。
私も「こうじおっさん」の本名で、映画に出てみたい。役立たずの夫の役でね。
今日も一日一回限りの上映。いい映画なのに、ちょっともったいない。
厳しい自然、厳しい生活、女性一人の力で家族全員を養っていく事は並大抵のことではない。(ん? うちに似てるって!)
それでもそう簡単に死ぬわけにはいかない。厳しい現実を突きつけられる場面が幾度もあった。「生きる」ことについて深く考えさせられた。
これも、多くの人に見てもらいたい映画だ。
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