2008年05月14日(水)
「トゥヤーの結婚」 [映画]
久しぶりの「京都みなみ会館」。
つぶれたパチンコ屋さんの広い駐車場が使えること。よそでやっていないマイナーな映画が見られること。余裕を持ってすわれること。などなどの理由から、最近は「みなみ会館」に行くことが多くなった。
昨日の京都新聞シネマガイドに紹介してあった。
子ども三人を抱える遊牧民の女、トゥヤーの再婚の条件は、離婚した夫も一緒に暮らすこと。
砂漠化が進むモンゴルでたくましく生きるヒロインを描き、2007年ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)に輝いた。コン・リー、チャン・ツィイーに続く中国出身の国際派女優として期待されるユー・ナンが、過酷な現実を背負いながらも凛としたトゥヤーを好演。荒涼とした大地と人々の素朴な営みの中で、その美しさにはっとする。
最初に子ども同士のけんかの場面。
「父親が二人いて、何が悪い!」
「けんかは、やめて!」 パオに入り、涙を流す花嫁姿のトゥヤー。
そして、場面は戻り・・・。
重度の障害を持った夫と二人の子(京都新聞の紹介文の三人はまちがい)を養うために、羊の世話をするトゥヤー。
でも見ていると、うちのいなかの知り合い真奈ちゃんに見えてきた。
動けない夫バータルは、太って日に焼けた石田純一。
離婚届を出したトゥヤーに求婚するボロルは、きむにい。
隣人センゲーは、24時間リレーマラソンの荻原さん。
みんな日本人に見えてくる。
一番びっくりしたのは、離婚届を出した後、次々と求婚者が現れたことだ。モンゴルでは、裁判所が再婚の斡旋をしてくれるようだ。(個人情報公開法?)
結局、皆、元夫の同居という条件に難色を示し、なかなか再婚できない。そしてトゥヤーは・・・、(この先は、作品を見てください。)
なぜ、トゥヤーは、動けない夫にこんなにこだわるのか。
答えは、息子ザヤの言葉の中にあった。
再婚相手の車に乗せられたとき、母に言った。
「ボクはおかあさんといる。妹は、お父さんといさせる。」
「どうして?」
「守らないといけないから。」
お母さん(トゥヤー)は、この言葉、うれしかったやろなあ。
ずっとむこうに山脈があるだけで、ほかには何もない。羊のえさになる牧草もまばら。(この何もない景色には、目を奪われた。)
パンフレットに「遊牧民」という言葉が使われていないわけが分かった。あの過酷な仕事は、決して「遊牧」ではない。
父の病室で、ベットに横たわる父をなじる母(トゥヤー)。ブチ切れ状態の母の横で、薬品のビンのふたをいじくる息子ザヤ。
この場面は、私が選ぶ秀逸のシーンです。自分にもこんな時があったなあ。廉や真樹もあったやろなあ。
元夫を引き連れて再婚なんて「ありえない世界のありえない物語やなあ。」と思いながら、いつもどおりパンフレットを買って出た。でも、日本では聞いた事ないけど、モンゴルではそんな特殊なことでもないのかも。しっかり、パンフレット読もうっと。
パンフレットを見て、またびっくり。
主人公トゥヤー役のユー・ナン以外は、みな一般人。
夫バータルと隣人センゲーは、モンゴル族の牧畜民。バータルは、今でも映画に出たことを信じられずにいるという。
求婚者ボロルは、モンゴル族のビジネスマン。映画の中でもビジネスマン役だった。この三人とも本名で出ているモンゴル人だった。もちろん、子役の二人もモンゴル族の牧畜民の子で、本名。
みんな、しろうとにしたらうますぎる。いい味出しすぎ。
前にもこんな配役の映画見たなあ。というより、アジアの映画は、たいてい一般人大活躍。どうして日本にはこの手の映画がないのだろう。
私も「こうじおっさん」の本名で、映画に出てみたい。役立たずの夫の役でね。
今日も一日一回限りの上映。いい映画なのに、ちょっともったいない。
厳しい自然、厳しい生活、女性一人の力で家族全員を養っていく事は並大抵のことではない。(ん? うちに似てるって!)
それでもそう簡単に死ぬわけにはいかない。厳しい現実を突きつけられる場面が幾度もあった。「生きる」ことについて深く考えさせられた。
これも、多くの人に見てもらいたい映画だ。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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