パオパオだより

2008年05月09日(金)

ゆきちゃん [学校]

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去年12月切り倒されたニレの木から、新しい葉っぱが・・・

 夕方、店に電話があった。ヨメさんが出た。
 「同窓会のことで電話させてもらったんですが・・・。」
 
 私が電話を代わると、「由紀子です。」と元気な声。
 「えー、ゆきちゃん。よう、かけてきてくれたなあ。ゆきちゃんとは、連絡とれへんかなあと思とったんや。ありがとう。」
 私が電話した時出てもらえなかったが、不在着信を見てかけてくれたようだ。
 ゆきちゃんは、私のふるさと花背別所で小中いっしょ。その後はよく知らないけれど、結婚して名古屋へ。28歳男、21歳男、19歳女の3人の子。今、スーパーの鮮魚部で、魚のパック詰めの仕事をしているらしい。もう10年になるそうだ。

 クラス会は、行くかどうかだいぶ迷ったらしい。スーパーは日曜は休みにくいし、会場も遠いし。
 でも、もう少し早くこちらから電話して、プッシュプッシュプッシュしてたら来てくれたかも。惜しいことをした。中学卒業後37年間、まったく会ったことも話したこともない。それで、ちょっと遠慮してしまった。
 なーんや、遠慮することなかったんや。あのころのゆきちゃんと、なーんも変わってへん。と言うより、もっと元気かも。

 「また2年後くらいにクラス会するし、その時は絶対来てな。今度は、ゆきちゃんの都合を最優先にするし。」 (また、幹事やるどー。)
 ゆきちゃんは、ものすごよろこんでた。
 会いたいなあ、ゆきちゃん!

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2008年05月07日(水)

辻のかあさん [学校]

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芝動物病院前で「ハー、ハー、ハー」

 今日は、きくちゃんの狂犬病予防注射の日。
 きくちゃんのような上等な犬(推定2億円?)は、わざわざ動物病院へ注射を受けに行きます。

 西賀茂の「芝動物病院」に着くと、ちょうど受付おねえさんが前の道路におられた。
 「いやー、きくちゃん、ひさしぶりやねー。」
 すごい。毎日大混雑と言っていいくらい犬猫そのほかが来ているのに、一年に一回この時期しか来ないうちのきくをおぼえてくれてはるなんて。
 「顔と名前をおぼえる」 これ客商売の基本中の基本です。
 そのおねえさんはもともと感じのいい人ですが、きくの名前をよんでもらえるだけで、またここに来ようと思います。

 学校も似ています。
 先生がすぐ名前をおぼえて、声をかけてくれる。子どもはそれがどれだけうれしいか、先生方はご存知でしょうか。逆に全然名前をおぼえてもらえなかったり(おぼえる気もない?)、まちがった名前で呼ばれたりした時のがっくりし様。

 話は変わり、場所は「コーナン」。
 「いやー、先生。お久しぶり。」
 「あらら、辻君のおかあさん。」
 「先生、ぱっと見て、世話になった人や、声かけなあかんと思って・・・。」
 「ありがとうございます。ところで、辻君は、今は?」
 「タヒチにいます。」
 「えっ?」
 「タヒチです。現地の旅行業の会社に就職して・・・。」
 「それはすごいですやん。」
 「なんかね、あの子が言うには、小さい時から『タヒチ行きたい』てゆってたやろって。私には、そんなこと言ってたかなあってゆう感じなんですけど。」
 「おかあさん。今の若い子って、何をやったらいいのかわからへん子が多いのに、そうやって自分のしたいこと見つけて実現したんですからえらいですやん。」
 「そうですかー。ただね、まだ結婚してへんのですよ。36にもなってんのに。」
 「そんなん、心配せんかってだいじようぶですって。」
 「そうですかねえ。」
 「ところで、妹さんのほうは?」
 「こっちも、まだ結婚せんといますねん。」
 「ごいっしょに住んではるんですか。」
 「いえ、家は出てるんですけど。」
 「えらいですやん。今、いくつになっても親から離れられへん子って多いですよ。そう思たら、家出てるだけでも立派なもんですって。」
 「まあー、先生。ちょっとしたとこからじょうずにほめはリますやん。うちの子も大きなったけど、先生も成長しやはった。」
 「ほんまですわー。昔は、人のことほめんのんへたやったと思います。今は、すきがあったらほめまっせー。」

 新採で大原小学校百井分校に行き、少人数の子の複式を担任した後、今度は上賀茂小学校で5年生43人の担任になった。何の経験もなく、根がいいかげんなので、けっこう問題の多い担任だったかもしれない。
 ところが不思議なことに、私がどんなむちゃをしてもどこまでも味方をしてくださったお母さんが何人かおられた。辻君のお母さんも、そのなかの一人である。
 辻君には給食を食べささずに帰したこともあった。(話せば長いので、理由はカット。)今なら、大問題です。それでも、辻君のお母さんはわらっておられた。要するに、担任よりお母さんのほうがずっと大物やったゆうことです。今頃でなんですが、未熟だった私をどうか許してください。すみませんでした。辻君、はらへったやろなあ。

 あのころ、小学生の友だち同士で母親の話題が出る時、「○○のかあさんは・・・」とよく言っていた。
 私も真似て、・・・「辻のかあさん」は、おもしろく、たのもしく、いい人でしたよね。

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2008年05月06日(火)

大学のクラス会 [学校]

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河原町三条下ル・あじビル2F 「花かれん」にて

 5月4日の午後、大学時代の友だちが集まりクラス会をした。

 大学を卒業して、ちょうど30年。
 私が卒業したのは、立命館大学二部文学部。
 私は2回生から3回生に上がる時、地理系から哲学系に移ったため、ほかのメンバーとは2年間いっしょだっただけ。声をかけてもらえるだけでもありがたい。(私に限ると32年ぶりということになる。)

 最初のクラスは30人弱だっただろうか。働きながら学ぶコースなので18歳は半分、あとはバラバラで確か10歳上の人もいた。
 京都出身は、私を含め5、6人だけ。こちらも北海道から九州までさまざまな所から集まっていた。

 声をかけてくれたのは、九州男児・岡部四郎君。(現在、大阪在住)
 5月4日にしてくれたのも、私の都合を優先してくれた結果のようだ。
 私は、会場さがしを任され、ヨメさんと下見に行った「花かれん」を予約しておいた。
 岡部君には参加人数を聞いただけで、誰が来るかはくわしく聞かなかった。でもまあ、「花かれん」さんは創作寿司のお店なので、誰でもだいじょうぶでしょう。

 午前中の京都走ろう会例会から帰り、急いで着替え、叡電「精華大前」駅に向かった。10kmを走った後だったのでシャワーくらいはしたかったのだが、時間がなかった。ちょっと汗臭かったかも。すんません。
 「出町柳」で京阪に乗り換える時、集合時間の午後1時に、もう7、8分しかなかった。ここで岡部君に電話して、先に入っておいてもらうことにした。電車に乗りなれてへんと、時間の感覚が鈍くてあきません。

 10分遅れくらいで「花かれん」に着くと、私以外の5人がチンとすわって待ち構えていた。
 岡部君に長谷川君、都志さんの3人はすぐ分かり、あと二人。おーおーおー、飯沼さんに三上さん。これで、男3女3。なんかええやん、ええやん。

 「フジイ、走って来たんけ?」
 「午前中に10km走ったし。昨日は、フルマラソン走ったし。そやし、こんなに焼けてんねん。」

 まずは、乾杯。
 「こうゆう時は、場の最年長が音頭とるもんなんやけど」と私が言うと、みんなが三上さんを指さす。
 「えっ、三上さんて、そんな上でしたっけ。」
 「うん。」(指、4本。4歳も上やったんか。大学時代しゃべったことなかったし知らんかった。)
 「92歳の義理のお母さんと住んでんにゃなあ。娘と3人で。」
 「えっ、だんなさんは?」・・・(以下、都合により話の内容は省略します。)

 岡部君は22歳の息子と20歳の娘、長谷川君は25歳と23歳の息子+孫2人。飯沼さんは26歳と21歳の娘、三上さんは28歳の娘。都志さんはお母さんと二人暮らし。
 みなそれぞれいろいろあるけど、今日のこの場に出てこれたということは、それだけで幸せっていうことや。

 長谷川君のなんかの話の中で、「ヨメさんに『○○こうてこい』ってゆったりなあ。」
 私「えっ、そんなえらそうにゆってんの? 飯沼さんとこのだんなさんもそんなこと言わはる?」
 「そんなの、しょっちゅうよ。」
 「ふぇー、一生に一回でええしそんなことゆうてみたいなあ。でも、その後どんな目に合わされるか・・・。ヨメさんに食わしてもろとる身は、つらいどー。これな、ネタでゆうとんのとちゃうねん。ほんまのほんま。ここは相手が納得するまできっちり説明せー、ゆわれとんね。」
 私の真剣な説明に、一同納得。
 
 三上さんに、4年の空白の後大学に入ろうと思ったわけや、大学時代の思い出を聞いてみた。「何で今頃そんなこと聞くの?」とは言われず、ちゃんと説明してくれた。こちらは大学時代にしゃべったことがなかったので、何もかも新鮮。

 まじめな飯沼さんの言葉。
 「後40年も生きなくちゃいけないのに、どうするの。奥さんのサポートができるようにならなくっちゃー。」(たぶん、40年は無理でしょう。私の予定では、あと20年。)
 うーん、身にしみるアドバイスです。でも、そんな能力が・・・。

 とその時、私の携帯にメール着信音が。
 「いやま、グッドタイミングやわ。ボクの最後の教え子からメールや。こうゆう子からメールが来るちゅうことは、まあまあええ先生やったちゅうこっちゃ。なっ!」と自慢。
 教え子ちいちゃんからのメール「こんにちは。お元気ですか? さわやかなお天気のGWですね。今日は家で修論やら大学院の資料のまとめをしています。
 京都キャロットのHPを見つけたら、そこに先生のブログ発見! 楽しく見せてもらいました。」
 ありがとうね。よかったら、コメントしてね。

 2年前亡くなった、金沢の越野君のことも話題になった。
「秋の定期健診で肺ガンが見つかって、12月に死んでしもたんやで。早すぎるよな。」
 越野君と私も、けっこう深いつながりがある。
 大学卒業後、金沢の中学に採用された彼の最初の赴任地は、「医王山(いおうぜん)中学校」だった。金沢に遊びに行った時、家に泊めてもらい、翌日山間部にあるその学校にも連れて行ってもらった。その時、越野君は女子ソフトボール部の顧問をしており、私のことを野球経験者として紹介してくれた。
 「ちょっとみんなに話したって。」そう頼まれて、部員の前で自分の経験を話した。ちょっとはずかしく、ちょっと誇らしげに。
 ええふんいきを持った、友だち思いのええやつやったよな。(歳は、いっこ上やったけど。)

 皆さんアルコール系があまり好きではないようで、長谷川君一人が飲んでいた。2時間の予定が、30分オーバー。店の入り口で、全員の写真を撮ってもらった。

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 店を出て、喫茶店でもということで、三条通りをぶーらぶら。しかし、どこも混みごみ。
 「イノダコーヒー本店」が比較的ましだったので、待つことにした。
 4人が店の中で待ち、私と飯沼さんの二人が店の外に。チャンス! 30年前なら、きっとそう思ったでしょうね。
 「大学の時、しゃべったことなかったね。」と彼女。
 「そうやね。ボク、一匹狼やったから。いやいやまちがい。一匹猿やったから。」
 「えー」(大うけ。私はけっこう、これで満足。)
 飯沼さんにも、どうして立命に入学したのか、どうして千葉に帰ったのか、どうして京都に戻って来たのかなどくわしく聞いた。ほんとに初めてしゃべりましたね。

 店に入ると、4人はもうすわっていた。
 私「今な、白馬にでっかいスイカ持っていった話で盛り上がっとったんや。」
 「ああ、みよちゃんの。でも、フジイ、白馬来てたっけ。」
 行ってません。行ってなくても、何ぼでも話合わせまっせ。
 みんなそれなりに、大学生活を楽しんでたんや。私以外の5人は、4年間もいっしょやったんやもんね。私は、4年間もがいていました。

 「フジイ君て、こんなによくしゃべる人やったっけ。」
 「うーん、それはな、ニュージーランド旅行に行ってからようしゃべるようになってん。」と都志さん。
 この、何でも知ってるよという堂々とした態度は・・・。 無理もない。何をかくそう、私は一時期、都志さんのことを親兄弟より頼りにしていた。
 卒業後、何回も電話で身の上相談にのってもらった。
 一回だけ、田辺の実家にもおじゃました。四国で自転車の160kmレースに出、徳島から和歌山にフェリーで渡り、そこから田辺まで自転車で行った。自転車で京都まで帰る元気がなくなり、帰りの電車賃貸してもろた。ほんま、お世話になりました。絶対、頭上がりません。

 都志さんは、大学時代はふっくらほっぺが印象的だった。ところが、今はしぼんでしまった。体重は40kgしかないそうだ。
 「どしたん?」と聞くと、
 「皮膚ガンの治療でなあ。」と言って、前髪を上げておでこを見せてくれた。治ったって言ってたけど、だいじょうぶ? 絶対、死んだらあかんで。

 2人のおっさんはおいといて、3人の女性に会い感じたこと。
 それは、三人三様の個性が変わりなく輝いているということだ。安心した。うれしかった。これは、作家の文体に似ている。
 都志さんの次々発射する大阪弁は、田辺聖子風?。三上さんのゆったりした話し方は、川端康成?。飯沼さんのしゃきしゃき関東弁は、曽野綾子?。
 そう思うと、私には確固たる文体がないなあ。(目標はカフカなんやけど、原文読んだわけじゃなし。翻訳文体真似してもなあ・・・。でも、じれったさは似てるどー。)

 またの再会を誓い、おひらき。
 私は京阪電車、ほかの5人は地下鉄だったので四条通りでお別れした。
 最後の最後に「両手に花」の写真を撮ってもらった。でも、この花って何の花?

◎あえて写真の説明をしませんでしたが、誰が誰か分かったでしょうか。
 また、このブログを見た同級生がいたら、ぜひコメントをお願いします。

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2008年05月04日(日)

京都走ろう会例会(5月第1日曜)+鴨川条例 [ランニング]

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この中に入って、いっしょに走ってみたくなりませんか?

 ブログ「パオパオだより」のモットーは、ほめることです。
 しかし、今回初めて、プチ切れさせていただきます。

 前の日にフルを走ったばかりだったが、京都走ろう会の人たちとしゃべりたくて例会に参加しました。
 朝からカンカン照り。それでも、出雲路橋西詰めには思っていたよりたくさんの人が集まっていた。津田会長、八田さん、塚本さん、松山さん、平田さん、吉田さん、岩本さん、・・・・・。今日も、私の好きな人がいっぱい! 

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この方は、条例Gメン?

 そこに現れた見慣れぬ制服2人組。腕には、紺の腕章。
 私が聞き取れた言葉。「鴨川条例・・・、バイクは違反・・・、罰金・・・、撤去してもらう・・・」
 「なんやてー」
 バーベキューや打ち上げ花火が制限されたのは知っていたが、バイクとめたらあかんてか? (バイク乗りまわすわけじゃなし。) 

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暑さのわりに多い人

 なんなん、それって。長年ここを拠点に、地道に活動を続けている京都走ろう会に対して、その態度は失礼すぎるんちゃうん?

 会員さんの中には、バイクでしか来れない人もいる。雨の時は、カッパを着てかけつける人もいる。月に二回だけの楽しみ。ただ走るだけでなく、その場で世間話をするのを楽しみにしている私のような会員もいる。 

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八田さんの準備体操

 バイクで来た人は、河川敷に入る前にちゃんとエンジンをきり、押して入って来ている。そして、はしから順に整然と並べていく。「これの、どこが、だれに、迷惑なのか」さっぱり、わからん。

 「京都府鴨川条例」・・・これが正式名称らしい。
 条例と言うからには、諮問機関をつくり、それに予算をおろし、最終的に府議会で採決したんやろなあ。もう、がっかりやわ。京都府、何に税金つことんねー。 

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今日もりんちゃん元気です

 たまの休みに鴨川に来て、健康のために体を動かそうとする人と、河原で騒いでひんしゅくをかう人と同じ扱いですか。(「健康都市京都」とか言ってたのは、どこのどなた?)
 鴨川を活用しないできれいに残すのが目的なん?
 小さな子どもからお年寄りまで、だれでも気軽に集える場所をめざしてほしいなあ。
 たぶん、えらい大学の教授とか、メタボのお役人さんとかが考えた条例なんでしょうね。

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やっと半分の5km

 一回、京都走ろう会の例会来て走ってみーて。どんだけ、みんな楽しそうか。こんないい人らに、いちゃもんつけたらあかんて。

 ひょっとして、鴨川沿いの立派すぎるお屋敷に住む、京都経済なんたら会のえらいさんの圧力に屈したん? なんぼなんでも、それはないよな。そんななったら、京都も終わりやで、ほんまに。
 でも、そうかんぐられるほどこの条例は納得いかん。

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10kmと5kmのランナーがすれちがう

 私自身はバイクに乗っていないが、マナーをしっかり守りバイクを使っているみなさん、声を上げましょう。
 「昼間、鴨川河川敷での、短時間のバイクの駐車にまで罰金を取るのをやめよ!」
 良識ある府会議員さん。ぜひ一度、京都走ろう会例会に参加して(もちろん走って)、そのよさを体験してください。あなたたちの仕事は、「庶民のささやかな楽しみをもぎとる」ことではありませんよね。

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スピード違反、橋本さん

 さて、気持ちを切り替えて・・・。
 このくそ暑いのに、10kmの参加者が10人をこえていた。(身の程知らずの私も10km。) 
 スタートのピストルがなると、まさに弾丸のように飛び出す人あり。「どやな、あのスピード。」あっという間に、見えなくなってしまった。
 あとで、橋本猛志さんだと分かりました。あちこちで優勝しているあんな早い人も、ここに練習に来ているのです。

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後ろの方とおしゃべりランさせてもらった

 スタートしてしばらく、ならんで走ってくださった方がいた。お顔はよく存じ上げているのだが、お名前がちょっと・・・。
 その方は、先日の「鴨川ゆっくりラン」が、今年初めての室外ランだったそうだ。ほとんど毎日、ジムのマシンの上を走っておられるらしい。それで、フル4時間11分。すごいなあ。最近、そういう室内ランナーが増えている。丹後100にも出られるというから、まいりました。

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塚本さん、いつもありがとうございます

 最初の丸太町橋(約2.5km)で、13分07秒。さすがに今日は、足が動かん。
 出雲路橋(約5km)、26分26秒。まー、へろへろ。
 御薗橋(約7.5km)、40分23秒。ここには、いつも塚本さんとりんちゃんが。後もうちょっとがんばろう、という気にさせてくれる。
 しかし、とにかく暑い。何人かは、出雲路橋でやめてしまったようだ。無理は禁物。このへんの判断がしっかりできるのも、ベテランのいい所。

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ふじこちゃんとあっくん

 私もたいがい「イー」ときそうになりかけていた時、出たー、救いの天使。めっちゃかわいい雑種2頭立て。
 飼い主さんに名前を聞くと、「あっくん」と「ふじこちゃん」。「ふじこ」と言わずに、「ふじこちゃん」と紹介してくださったこのセンスのよさに脱帽。
 「あっくん」のほうは、口の周りが黒く、ちょっとうちの「きく」に似ていた。「ふじこちゃん」はルパン3世から名前をとったのか、ふむふむお色気系。
 とか何とかかまっているうちに、一人抜かれてもた。

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ゴール計時係、ご苦労様です

 でも、このワンちゃんたちのおかげで、「フー」とならずゴールすることができた。
 タイムは、54分53秒。えー、前日のフルの10kmラップよりもだいぶ遅いやん。
 まあええか、走れただけでも。
 それより、しっかり取材しようっと。
 5kmを走っておられた、お上品な女性ランナー。新年会の時に少しお話させてもらったのだが、お名前をお聞きしていなかった。「前田さん」だった。

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会員の前田さん

 前田さんは、本当に京都らしい感じがする。言葉やしぐさが、はんなりと・・・。決して無理もされない。
 写真はちょっとぶれてしまったが、おきれいな方です。京都走ろう会のイメージに、ぴったりだと思います。
 
 橋本さんもおられたので、「ブログに写真のせていいですか」と聞いておいた。あんな猛スピードで走らはったのに、ケロッとしてはった。(ものたりんのかな。)この暑さの中、10km、36分02秒。

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りんちゃんはかしこく待っている

 10km参加者で、一人ポツリと離れていた人がいた。
 計時係の幹事さんに聞くと、「あの人は松若さん。ここを35分ちょっとで通過したから、1時間12分くらいで帰ってくるんちゃうかな。イーブンペースで走れる人やから。」
 一人といっても、ちゃんと吉田さんがついてるし、全然心配いらん。でもちょっと気になって北大路橋近くまで行ってみた。その時撮ったのが、一番最初に載せた写真。これこそが、京都走ろう会です。

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10km最終ランナー

 松若さんをはさむように、岩本さん、平田さん、吉田さん。磐石の態勢とは、このことですね。
 「鴨川条例が・・・、バイクとめたら罰金が・・・」とか言っている人たち、どうかこの写真をよく見てください。4人の楽しそうな話し声が、聞こえてきませんか。遠くから黙ってカメラを向けている私を見つけて、手を振ってくれているのですよ。
 長い長い時間をかけて築き上げた信頼関係に水をさすようなことだけは、やめてくださいね。お願いです。

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ラストスパート、松若さん

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2008年05月03日(土)

第27回マラソンに挑戦する会 [ランニング・出張販売]

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東京の下山さんは、フルに挑戦

 毎年5月3日、金沢の犀川河川敷を使ってこの大会が開催されている。うちの出店も、子どもが生まれる前からなので20年近くになるだろう。
 主催は、「金沢中央走ろう会」。
 このクラブも歴史が長く、メンバーにベテランさんが多い。大会運営も手慣れたもので、走らせてもらうほうの安心感、満足感も高い。

 大豆田大橋東詰め南側を拠点に、上流1km、下流4kmを往復するコースである。
 スタート地点の500m下流に第1エイド、3km下流に第2エイドがある。そこには、「金沢中央走ろう会」のきれいどころが配置されており、そこでひと言ふた言しゃべるのがいい気分転換になる。

 河川敷がコースなので、本部前以外では応援はまったくない。その代わり車の心配は不要で、同じ所を何回も往復するためいろいろなランナーに出会える。景色の変化はとぼしいが、ランナーを観察していると案外あきない。

 「うーん、似ている。」
 そう、4日前走ったばかりの「京都鴨川ゆっくりラン」。
 そういえば、「ゆっくりラン」の実行委員長・太田さん、以前何回かこの大会に出ておられた。きっと、この大会のいい所を吸収されたのであろう。
 無理せず、自分のペースを守り、楽しく走り続ける。この二つの大会には、忘れてしまいがちなランニングの原点が守られている。

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本部テント前で開会式

 さて、私のレースは・・・。
 朝5時起き。コンビニに行く時間がもったいないので、前日買っておいた「クリームデニッシュ」と「コーラ」。おにぎりを食べずに、フルマラソンを走りきれるか。

 今回のフルの目標は、3時間50分切りである。達成したら、15年ぶりくらい? (て調子に乗ってたら、とんでもない結果が・・・。)

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参加申し込みは、632人

 いつものように、荷物置き場テントの横で出店の準備。広い場所を使わせてもらえるので、店は広げ放題。
 この仕事を始めたころは、どの大会もこうだった。以後徐々にマネをする業者が増え、この大会のようにうち1店だけで販売できる大会は数えるほどに減ってしまった。今では、もともとから入っていたうちが撤退している大会もある。ああ、様変わり。

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3kmからフルまで全員一斉スタート

 店の準備がすべてできたのが7時半。スタートまで後30分。急いで着替えて、さあトイレ、と思ったらすごい行列。これはあきらめて、2km走った後でもええかと思っていたら、スタート3分前に空いた。よかった。
 朝早い割には、余裕を持ってスタートラインに立てたほうかな。
 確かこの大会、前は7時スタートやったよな。朝の1時間は大きい。

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ドーンと飛び出す600人

 朝から、カンカン照り。
 しかし、風が少しあり、「ムッ」とした感じがない。
 「ペースさえしっかり守れば、目標達成できるかもね。」スタートして500mくらいでこんなお気楽なこと考えてる私は・・・。
 これから、先が長い。私がフルを走っている間、ヨメさんは、店に付きっ切り。「戻ったら、またなんかおこられんにゃろなあ。」と心配もちょっとしながら、走っている人を観察。

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第1折り返し

 第1折り返しからこちらに向かってくるランナーを見てびっくり。
 先頭は、30kmに挑戦の香川の松本さん。その後ろに、フル挑戦の大阪の蔵本さん。この二人のスピードは、すごい。記録を狙った走りであることが感じられる。
 私が走っている近くには、たくさんの子どもがいた。名簿で見ると、最年少は4歳。みんな家族といっしょに走っている。いい顔してるなあ。

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5kmに挑戦

 本部前(2km)を通り過ぎると、草むらに夢の雑種3頭立て。飼い主のおっちゃんの話。
 「こっちのちょっと大きいのんが、子ども4つ産んで、2つはもらってもらって2つ残って、今3びき。」
 1ぴきはちょっと知らんぷりだったが、2ひきが私の痛めている右ヒザをペロペロなめてくれた。
 これは今日も、スタートから縁起がいい。写真を撮ったつもりが、喜びすぎてちゃんと撮れていなかった。
 残念!

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滋賀の松山さん親子(4歳と5歳)

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石川のおじいちゃんとお孫さん(?)


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20km挑戦の米澤君は小4

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「自由の女神」も応援


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第2折り返し

 私のペースは・・・、最初の5kmは、26分36秒。
 10km、53分12秒(スプリットタイム26分36秒)。
 15km、1時間19分00秒(25分48秒)。
 20km、1時間44分58秒(25分57秒)。
 25km、2時間11分04秒(26分05秒)。
 30km、2時間39分02秒(27分58秒)。
 35km、3時間06分58秒(27分56秒)。
 40km、3時間35分40秒(28分41秒)。

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トップの蔵本さんは、サブスリー?

 ゴールは・・・、やったね、3時間48分05秒。
 みごと、目標達成。
 途中、オレンジを一切れずつ3回取っただけ。パン一個でフルマラソン完走できた。
 いったい何がよかったんやろ。

 実は、去年のこの大会で10年ぶりくらいのサブ4を達成している。(3時間55分20秒) そして、今年はそのタイムを7分更新。 

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第2エイド

 一番よかったのは、ローテーションかな。4月29日に鴨川ゆっくりラン20km、5月3日にフル。これは、競馬の水曜追い切り、日曜レースのローテーションに似ている。みなさんも一回試されては?
 また、何人かの方に声をかけていただいたのも力になった。なかでも一番うれしかったのは、「いつも、ブログ楽しく見せてもらってます。」と声をかけてくださった、30kmの女性スピードランナー。ゴール後、石川の折戸小百合さんだとわかった。(早すぎて写真が撮れなかった。)

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富山の高村まゆみさん

 そして、もう一人。フルの女性で、前半追いつきそうで追いつけない気になる人がいた。かっこいい人だったので写真を撮らせてもらい、「ブログに載せてもいいですか」と声もかけておいた。
 結局、私の35km地点(むこうの37km地点)で最後にすれちがったので、ゴールは15分くらいの差か。
 ゴール後、びっくり。「高村まゆみさん!」
 うちの通販のお客さんです。あんな美人な方だとは知りませんでした。(来年は、負けへんでー。)

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犀川沿いには忍者も走っています

 40km過ぎた時、うちのテントにいたヨメさんに、「写真撮ってやー、12分後くらいに来るしー」と声をかけた。
 ヨメさんは、めっちゃいやがっていたけど、ちゃんと撮ってくれた。前の日に、おいしい甘えび食べたからね。
 今日は、ゴールした後もほとんど小言を言われへんかった。
 ダメージも少なく、主催者さんからいただいたお弁当もぺろりと食べられた。店の後片付けだけは、しっかりできたと思う。

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笑顔のゴール

 ミズノ・ウェーブLSDも、これくらいの時間でフルを走るランナーにはぴったりだ。
 1kmごとの表示がしっかりしてあったので、自分のペースがつかみやすく、走りやすかった。心配していた天気も、思ったほど気温が上昇せず、倒れる人もなかったようだ。(以前、気温が30℃を越えたことがあり、その翌年より50kmがなくなった。)

 「無理せず、自分のペースを守り、楽しく走り続ける」
 私も、この原点を忘れず、また来年のこの大会に挑戦したい。
 来年は、○○年ぶりの3時間30分台?

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甘えびおいしかった

◎翌日の新聞を見て、びっくり。
5月3日の最高気温、京都30.7℃、金沢22.0℃。
だから、いいタイムで走れたんや。京都やったら、完走もあぶなかったな。日ごろの行いがよかったんでしょうか。

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生搾りサワーよかったよ


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2008年04月30日(水)

石井慧選手 [石井慧選手関連]

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優勝を決めた石井慧は人目もはばからず男泣き

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石井、大逆転切符…柔道全日本選手権

 ◆柔道全日本選手権(29日、日本武道館) 体重無差別の日本一を狙う決勝は、3年連続で同じ顔合わせになり石井慧(21)=国士大=が、アテネ五輪100キロ超級金メダリストで北京五輪100キロ級代表の鈴木桂治(27)=平成管財=に優勢勝ちし、2年ぶり2度目の優勝を飾った。直前の故障で五輪代表争いから“脱落”しかけたが、瀬戸際で踏みとどまり、大逆転で日本の重量級最年少代表となった。一歩リードしていた昨年の世界選手権無差別級王者・棟田康幸(27)=警視庁=は準決勝で石井に敗れ、落選した。

 若い石井が、勝負に徹して五輪キップをもぎ取った。決勝戦、序盤にポイントを大きくリードすると、あとの約4分半は、指導をもらおうが、警告を受けようが、とにかく守りに守って、逃げ切った。終了のブザーが鳴ると、顔をクシャクシャにして、涙を流した。

 「ホッとした気持ちと悔しい気持ちと2つある。握力も続かないし、足が動かなかった。練習が足らなかった」不本意な勝ち方だが、なりふりかまっていられなかった。3月25日の練習中に左大殿筋を断裂し、代表選考会の5、6日の全日本選抜体重別を欠場。代表争い脱落寸前のがけっぷちから逆転するには、勝つしかなかった。

 ライバルを研究した。全日本男子の斉藤仁監督が「勝つにはあの戦い方しかない」と評した準決勝。小さな棟田から間合いを取り、懐にもぐり込ませず、焦りを誘った。決勝戦の大内刈りは、大外刈りと見せかけ同じように技に入る鈴木桂治用の秘策。そこからの崩れ上四方固めでは、講道館ルールの今回は惜しくも2秒足りなかったが、国際ルールなら一本に相当する28秒間も抑え込んだ。「心が半分折れてたけど、最後まであきらめないでよかった」最激戦区の階級で、勝利への執念でライバル全員を上回った。

 昨秋に100キロ超級に転向して以来、国内外で負けなし。選考委員会でも、この“全勝”が大きく評価された。量は人の2倍といわれる練習の虫だが、国士大の山内直人監督は「最近は休むこともおぼえた」という。ガムシャラなだけではなく、勝つためにするべきことを身につけてきた石井。「もう一回りも二回りも強くなって、金を取って来たい」細い目を決意でさらに細めて、きっぱりと宣言した。

 ◆石井 慧(いしい・さとし)1986年12月19日、大阪・茨木市生まれ。21歳。国士大。06年の全日本選手権で19歳4か月の史上最年少優勝。07年夏に100キロ超級へ転向、嘉納杯東京国際、オーストリア国際などを制した。181センチ、110キロ。

 ◆最高の親孝行 ○…会場で観戦した石井の父・義彦さん(49)が「これ以上の親孝行はありません」と喜んだ。義彦さんは大阪・島本高教諭で、大阪高体連の柔道普及強化部にも所属。京都・鳥羽高教諭の母・美智子さん(48)はハンドボールを教え、東女体大2年の妹・愛さん(19)は水球部というバリバリの体育会一家。日の丸を背負う息子を家族一丸で応援する。


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2008.4.29 柔道全日本選手権優勝、北京へ

◎石井慧さん、北京オリンピック出場おめでとうございます。
 私は、あなたのお母さんと同郷(京都市左京区花背別所町)の藤井廣司というものです。お母さんの兄(あなたのおじさん、藤井修平君)と小中で同級生でした。
 あなたのお母さんに聞いたところ、あなたの小さい頃、よく別所に遊びに来ていたとか。私たちのふるさと別所に少しでも関係のある人がオリンピックに出場なんて、こんなうれしいことはありません。
 直接応援はできないかもしれないけれど、遠くからあなたのことを応援します。
 北京では、まわりの雑音に惑わされず、自分の持ち味を十分に発揮してきてください。そしてなによりも、オリンピックを楽しんで来てください。
 うれし涙が見られることを願っています。

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2006.4.29 柔道全日本選手権初優勝

☆石井慧選手のお母さん・石井美智子さん(旧姓・藤井)に、昨年2月、母校である別所小・花一中PTAだよりの原稿をお願いしました。その中で、息子さん・慧君について書かれている所を紹介します。

 別所の皆さんご無沙汰しています。私は平治の益蔵の娘の美智子です。今回の別所小・花背第一中の統廃合の話を聞き、ただ残念に思うとともにさまざまな思い出を創ってくれたあの校舎やグランド、小中学校の先生方に感謝したいと思います。
 (略)
 父亡き後、女手一つで私達三人を育てるために自分を犠牲にし働き続けた母が昨年3月に亡くなった時には、一番大切な宝物がなくなった様な気持ちになり無気力状態になってしまいました。人間として女性として母として尊敬できる人がこの世にいないのは淋しい限りです。
 今回の母の死から立ち直るきっかけを創ってくれたのは、息子の頑張る姿でした。息子も20才(大学2年生)なりましたが、小さい頃は休みになると花背のひーばあちゃんの所に行くのが楽しみで、一人で出町柳から京都バスに乗って行く程大好きな場所でした。田んぼ、畑、お宮さん、花背の山、花背の川で息子がいきいきと遊んでいる姿が今も思い出されます。そのたびに上ノ町の皆さんにはご迷惑をかけましたが暖かく見守っていただいたと感謝しています。
 柔道の試合が間近だったため、母の告別式にも参列できず、私や姉にあやまっていましたが、母の死から一ヵ月後の全日本柔道選手権で優勝してくれた時には、今まで落ち込んでいた気持ちをふるい立たせ頑張れと言っている様に感じました。
 死のまぎわまで孫である私の息子の事を気にかけ、「親として精一杯のことをしたらなあかん」と言ってくれた事・・・母が生きていれば一番によろこんでくれたことと思います。
 (略)


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