2008年05月11日(日)
第30回鯖江つつじマラソン [ランニング・出張販売]
昨日に続き、今日も雨。
4時半に起きたのにー。
7時に着いたのに、空模様をながめ店開きできず。8時頃、やっと小降りになり店開きの準備。
「もう今日は走るの、やめよっかなー」と思ったけど、雨がやんだので5kmレースに出場。
出てよかった。タイムは、21分36秒と平凡だったが、30位。第30回記念大会賞、パールライス5kgゲット!
昨日のミッシェル・カレン母子の笑顔から、幸運をもらったのかな。それとも、お客さんの子「ももかちゃん」の笑顔からかな。とにかく、よかった。こんなん初めて。
福井のM・Mさんの話。
「トロフィーとかもらっても、結局最後は不燃ごみだもんね。食べるものが一番うれしいよねー。」
入賞なれしている人は、言うことがちがう。私は、今までトロフィー一個です。
この人のおもしろいコメント。
「わたしぃーい、こんなのはくとぉーお、おしりがはみだしてぇーえしまうのよ。あっ、こっちのぉーお、これもぉーお、おしりがはみだしてぇーえ・・・」
めちゃくちゃ笑ってしまいました。
福井の言葉は、人なつっこい感じでいいですよね。
「はみだすな! おしり!」
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2008年05月10日(土)
24時間リレーマラソン・イン・日吉津・2008 [ランニング・出張販売]
夜8時半、京都に帰ってきました。
明日は、福井の鯖江つつじマラソンです。また、朝4時半起きなので今日は写真だけですが、大会のふんいきは分かっていただけたでしょうか。
多久和ミッシェルさんは、いつもうちの店で買っていただいている超超超美人ランナーです。お母さんになられてもまた元気に走っておられ、うれしかったです。
(この大会は、明日の正午まで続きます。私たちは、仕事の都合で、今日の夕方5時会場を出ました。)
◎大会実行委員長・荻原敏さんへ。
この大会は、うちの子たちが唯一自ら「出てみたい」と言った大会です。「しんどそうやけど、みんな楽しそう。」と言っていました。
今、高2の兄はサッカー部、中2の妹はバスケ部でいそがしくてついてきていません。でも、いつか走ってみたいという友だちがふえれば、エントリーさせていただくかもしれません。その時は、どうかよろしくお願いします。
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2008年05月09日(金)
ゆきちゃん [学校]
夕方、店に電話があった。ヨメさんが出た。
「同窓会のことで電話させてもらったんですが・・・。」
私が電話を代わると、「由紀子です。」と元気な声。
「えー、ゆきちゃん。よう、かけてきてくれたなあ。ゆきちゃんとは、連絡とれへんかなあと思とったんや。ありがとう。」
私が電話した時出てもらえなかったが、不在着信を見てかけてくれたようだ。
ゆきちゃんは、私のふるさと花背別所で小中いっしょ。その後はよく知らないけれど、結婚して名古屋へ。28歳男、21歳男、19歳女の3人の子。今、スーパーの鮮魚部で、魚のパック詰めの仕事をしているらしい。もう10年になるそうだ。
クラス会は、行くかどうかだいぶ迷ったらしい。スーパーは日曜は休みにくいし、会場も遠いし。
でも、もう少し早くこちらから電話して、プッシュプッシュプッシュしてたら来てくれたかも。惜しいことをした。中学卒業後37年間、まったく会ったことも話したこともない。それで、ちょっと遠慮してしまった。
なーんや、遠慮することなかったんや。あのころのゆきちゃんと、なーんも変わってへん。と言うより、もっと元気かも。
「また2年後くらいにクラス会するし、その時は絶対来てな。今度は、ゆきちゃんの都合を最優先にするし。」 (また、幹事やるどー。)
ゆきちゃんは、ものすごよろこんでた。
会いたいなあ、ゆきちゃん!
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2008年05月07日(水)
辻のかあさん [学校]
今日は、きくちゃんの狂犬病予防注射の日。
きくちゃんのような上等な犬(推定2億円?)は、わざわざ動物病院へ注射を受けに行きます。
西賀茂の「芝動物病院」に着くと、ちょうど受付おねえさんが前の道路におられた。
「いやー、きくちゃん、ひさしぶりやねー。」
すごい。毎日大混雑と言っていいくらい犬猫そのほかが来ているのに、一年に一回この時期しか来ないうちのきくをおぼえてくれてはるなんて。
「顔と名前をおぼえる」 これ客商売の基本中の基本です。
そのおねえさんはもともと感じのいい人ですが、きくの名前をよんでもらえるだけで、またここに来ようと思います。
学校も似ています。
先生がすぐ名前をおぼえて、声をかけてくれる。子どもはそれがどれだけうれしいか、先生方はご存知でしょうか。逆に全然名前をおぼえてもらえなかったり(おぼえる気もない?)、まちがった名前で呼ばれたりした時のがっくりし様。
話は変わり、場所は「コーナン」。
「いやー、先生。お久しぶり。」
「あらら、辻君のおかあさん。」
「先生、ぱっと見て、世話になった人や、声かけなあかんと思って・・・。」
「ありがとうございます。ところで、辻君は、今は?」
「タヒチにいます。」
「えっ?」
「タヒチです。現地の旅行業の会社に就職して・・・。」
「それはすごいですやん。」
「なんかね、あの子が言うには、小さい時から『タヒチ行きたい』てゆってたやろって。私には、そんなこと言ってたかなあってゆう感じなんですけど。」
「おかあさん。今の若い子って、何をやったらいいのかわからへん子が多いのに、そうやって自分のしたいこと見つけて実現したんですからえらいですやん。」
「そうですかー。ただね、まだ結婚してへんのですよ。36にもなってんのに。」
「そんなん、心配せんかってだいじようぶですって。」
「そうですかねえ。」
「ところで、妹さんのほうは?」
「こっちも、まだ結婚せんといますねん。」
「ごいっしょに住んではるんですか。」
「いえ、家は出てるんですけど。」
「えらいですやん。今、いくつになっても親から離れられへん子って多いですよ。そう思たら、家出てるだけでも立派なもんですって。」
「まあー、先生。ちょっとしたとこからじょうずにほめはリますやん。うちの子も大きなったけど、先生も成長しやはった。」
「ほんまですわー。昔は、人のことほめんのんへたやったと思います。今は、すきがあったらほめまっせー。」
新採で大原小学校百井分校に行き、少人数の子の複式を担任した後、今度は上賀茂小学校で5年生43人の担任になった。何の経験もなく、根がいいかげんなので、けっこう問題の多い担任だったかもしれない。
ところが不思議なことに、私がどんなむちゃをしてもどこまでも味方をしてくださったお母さんが何人かおられた。辻君のお母さんも、そのなかの一人である。
辻君には給食を食べささずに帰したこともあった。(話せば長いので、理由はカット。)今なら、大問題です。それでも、辻君のお母さんはわらっておられた。要するに、担任よりお母さんのほうがずっと大物やったゆうことです。今頃でなんですが、未熟だった私をどうか許してください。すみませんでした。辻君、はらへったやろなあ。
あのころ、小学生の友だち同士で母親の話題が出る時、「○○のかあさんは・・・」とよく言っていた。
私も真似て、・・・「辻のかあさん」は、おもしろく、たのもしく、いい人でしたよね。
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2008年05月06日(火)
大学のクラス会 [学校]
5月4日の午後、大学時代の友だちが集まりクラス会をした。
大学を卒業して、ちょうど30年。
私が卒業したのは、立命館大学二部文学部。
私は2回生から3回生に上がる時、地理系から哲学系に移ったため、ほかのメンバーとは2年間いっしょだっただけ。声をかけてもらえるだけでもありがたい。(私に限ると32年ぶりということになる。)
最初のクラスは30人弱だっただろうか。働きながら学ぶコースなので18歳は半分、あとはバラバラで確か10歳上の人もいた。
京都出身は、私を含め5、6人だけ。こちらも北海道から九州までさまざまな所から集まっていた。
声をかけてくれたのは、九州男児・岡部四郎君。(現在、大阪在住)
5月4日にしてくれたのも、私の都合を優先してくれた結果のようだ。
私は、会場さがしを任され、ヨメさんと下見に行った「花かれん」を予約しておいた。
岡部君には参加人数を聞いただけで、誰が来るかはくわしく聞かなかった。でもまあ、「花かれん」さんは創作寿司のお店なので、誰でもだいじょうぶでしょう。
午前中の京都走ろう会例会から帰り、急いで着替え、叡電「精華大前」駅に向かった。10kmを走った後だったのでシャワーくらいはしたかったのだが、時間がなかった。ちょっと汗臭かったかも。すんません。
「出町柳」で京阪に乗り換える時、集合時間の午後1時に、もう7、8分しかなかった。ここで岡部君に電話して、先に入っておいてもらうことにした。電車に乗りなれてへんと、時間の感覚が鈍くてあきません。
10分遅れくらいで「花かれん」に着くと、私以外の5人がチンとすわって待ち構えていた。
岡部君に長谷川君、都志さんの3人はすぐ分かり、あと二人。おーおーおー、飯沼さんに三上さん。これで、男3女3。なんかええやん、ええやん。
「フジイ、走って来たんけ?」
「午前中に10km走ったし。昨日は、フルマラソン走ったし。そやし、こんなに焼けてんねん。」
まずは、乾杯。
「こうゆう時は、場の最年長が音頭とるもんなんやけど」と私が言うと、みんなが三上さんを指さす。
「えっ、三上さんて、そんな上でしたっけ。」
「うん。」(指、4本。4歳も上やったんか。大学時代しゃべったことなかったし知らんかった。)
「92歳の義理のお母さんと住んでんにゃなあ。娘と3人で。」
「えっ、だんなさんは?」・・・(以下、都合により話の内容は省略します。)
岡部君は22歳の息子と20歳の娘、長谷川君は25歳と23歳の息子+孫2人。飯沼さんは26歳と21歳の娘、三上さんは28歳の娘。都志さんはお母さんと二人暮らし。
みなそれぞれいろいろあるけど、今日のこの場に出てこれたということは、それだけで幸せっていうことや。
長谷川君のなんかの話の中で、「ヨメさんに『○○こうてこい』ってゆったりなあ。」
私「えっ、そんなえらそうにゆってんの? 飯沼さんとこのだんなさんもそんなこと言わはる?」
「そんなの、しょっちゅうよ。」
「ふぇー、一生に一回でええしそんなことゆうてみたいなあ。でも、その後どんな目に合わされるか・・・。ヨメさんに食わしてもろとる身は、つらいどー。これな、ネタでゆうとんのとちゃうねん。ほんまのほんま。ここは相手が納得するまできっちり説明せー、ゆわれとんね。」
私の真剣な説明に、一同納得。
三上さんに、4年の空白の後大学に入ろうと思ったわけや、大学時代の思い出を聞いてみた。「何で今頃そんなこと聞くの?」とは言われず、ちゃんと説明してくれた。こちらは大学時代にしゃべったことがなかったので、何もかも新鮮。
まじめな飯沼さんの言葉。
「後40年も生きなくちゃいけないのに、どうするの。奥さんのサポートができるようにならなくっちゃー。」(たぶん、40年は無理でしょう。私の予定では、あと20年。)
うーん、身にしみるアドバイスです。でも、そんな能力が・・・。
とその時、私の携帯にメール着信音が。
「いやま、グッドタイミングやわ。ボクの最後の教え子からメールや。こうゆう子からメールが来るちゅうことは、まあまあええ先生やったちゅうこっちゃ。なっ!」と自慢。
教え子ちいちゃんからのメール「こんにちは。お元気ですか? さわやかなお天気のGWですね。今日は家で修論やら大学院の資料のまとめをしています。
京都キャロットのHPを見つけたら、そこに先生のブログ発見! 楽しく見せてもらいました。」
ありがとうね。よかったら、コメントしてね。
2年前亡くなった、金沢の越野君のことも話題になった。
「秋の定期健診で肺ガンが見つかって、12月に死んでしもたんやで。早すぎるよな。」
越野君と私も、けっこう深いつながりがある。
大学卒業後、金沢の中学に採用された彼の最初の赴任地は、「医王山(いおうぜん)中学校」だった。金沢に遊びに行った時、家に泊めてもらい、翌日山間部にあるその学校にも連れて行ってもらった。その時、越野君は女子ソフトボール部の顧問をしており、私のことを野球経験者として紹介してくれた。
「ちょっとみんなに話したって。」そう頼まれて、部員の前で自分の経験を話した。ちょっとはずかしく、ちょっと誇らしげに。
ええふんいきを持った、友だち思いのええやつやったよな。(歳は、いっこ上やったけど。)
皆さんアルコール系があまり好きではないようで、長谷川君一人が飲んでいた。2時間の予定が、30分オーバー。店の入り口で、全員の写真を撮ってもらった。
店を出て、喫茶店でもということで、三条通りをぶーらぶら。しかし、どこも混みごみ。
「イノダコーヒー本店」が比較的ましだったので、待つことにした。
4人が店の中で待ち、私と飯沼さんの二人が店の外に。チャンス! 30年前なら、きっとそう思ったでしょうね。
「大学の時、しゃべったことなかったね。」と彼女。
「そうやね。ボク、一匹狼やったから。いやいやまちがい。一匹猿やったから。」
「えー」(大うけ。私はけっこう、これで満足。)
飯沼さんにも、どうして立命に入学したのか、どうして千葉に帰ったのか、どうして京都に戻って来たのかなどくわしく聞いた。ほんとに初めてしゃべりましたね。
店に入ると、4人はもうすわっていた。
私「今な、白馬にでっかいスイカ持っていった話で盛り上がっとったんや。」
「ああ、みよちゃんの。でも、フジイ、白馬来てたっけ。」
行ってません。行ってなくても、何ぼでも話合わせまっせ。
みんなそれなりに、大学生活を楽しんでたんや。私以外の5人は、4年間もいっしょやったんやもんね。私は、4年間もがいていました。
「フジイ君て、こんなによくしゃべる人やったっけ。」
「うーん、それはな、ニュージーランド旅行に行ってからようしゃべるようになってん。」と都志さん。
この、何でも知ってるよという堂々とした態度は・・・。 無理もない。何をかくそう、私は一時期、都志さんのことを親兄弟より頼りにしていた。
卒業後、何回も電話で身の上相談にのってもらった。
一回だけ、田辺の実家にもおじゃました。四国で自転車の160kmレースに出、徳島から和歌山にフェリーで渡り、そこから田辺まで自転車で行った。自転車で京都まで帰る元気がなくなり、帰りの電車賃貸してもろた。ほんま、お世話になりました。絶対、頭上がりません。
都志さんは、大学時代はふっくらほっぺが印象的だった。ところが、今はしぼんでしまった。体重は40kgしかないそうだ。
「どしたん?」と聞くと、
「皮膚ガンの治療でなあ。」と言って、前髪を上げておでこを見せてくれた。治ったって言ってたけど、だいじょうぶ? 絶対、死んだらあかんで。
2人のおっさんはおいといて、3人の女性に会い感じたこと。
それは、三人三様の個性が変わりなく輝いているということだ。安心した。うれしかった。これは、作家の文体に似ている。
都志さんの次々発射する大阪弁は、田辺聖子風?。三上さんのゆったりした話し方は、川端康成?。飯沼さんのしゃきしゃき関東弁は、曽野綾子?。
そう思うと、私には確固たる文体がないなあ。(目標はカフカなんやけど、原文読んだわけじゃなし。翻訳文体真似してもなあ・・・。でも、じれったさは似てるどー。)
またの再会を誓い、おひらき。
私は京阪電車、ほかの5人は地下鉄だったので四条通りでお別れした。
最後の最後に「両手に花」の写真を撮ってもらった。でも、この花って何の花?
◎あえて写真の説明をしませんでしたが、誰が誰か分かったでしょうか。
また、このブログを見た同級生がいたら、ぜひコメントをお願いします。
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2008年05月04日(日)
京都走ろう会例会(5月第1日曜)+鴨川条例 [ランニング]
ブログ「パオパオだより」のモットーは、ほめることです。
しかし、今回初めて、プチ切れさせていただきます。
前の日にフルを走ったばかりだったが、京都走ろう会の人たちとしゃべりたくて例会に参加しました。
朝からカンカン照り。それでも、出雲路橋西詰めには思っていたよりたくさんの人が集まっていた。津田会長、八田さん、塚本さん、松山さん、平田さん、吉田さん、岩本さん、・・・・・。今日も、私の好きな人がいっぱい!
そこに現れた見慣れぬ制服2人組。腕には、紺の腕章。
私が聞き取れた言葉。「鴨川条例・・・、バイクは違反・・・、罰金・・・、撤去してもらう・・・」
「なんやてー」
バーベキューや打ち上げ花火が制限されたのは知っていたが、バイクとめたらあかんてか? (バイク乗りまわすわけじゃなし。)
なんなん、それって。長年ここを拠点に、地道に活動を続けている京都走ろう会に対して、その態度は失礼すぎるんちゃうん?
会員さんの中には、バイクでしか来れない人もいる。雨の時は、カッパを着てかけつける人もいる。月に二回だけの楽しみ。ただ走るだけでなく、その場で世間話をするのを楽しみにしている私のような会員もいる。
バイクで来た人は、河川敷に入る前にちゃんとエンジンをきり、押して入って来ている。そして、はしから順に整然と並べていく。「これの、どこが、だれに、迷惑なのか」さっぱり、わからん。
「京都府鴨川条例」・・・これが正式名称らしい。
条例と言うからには、諮問機関をつくり、それに予算をおろし、最終的に府議会で採決したんやろなあ。もう、がっかりやわ。京都府、何に税金つことんねー。
たまの休みに鴨川に来て、健康のために体を動かそうとする人と、河原で騒いでひんしゅくをかう人と同じ扱いですか。(「健康都市京都」とか言ってたのは、どこのどなた?)
鴨川を活用しないできれいに残すのが目的なん?
小さな子どもからお年寄りまで、だれでも気軽に集える場所をめざしてほしいなあ。
たぶん、えらい大学の教授とか、メタボのお役人さんとかが考えた条例なんでしょうね。
一回、京都走ろう会の例会来て走ってみーて。どんだけ、みんな楽しそうか。こんないい人らに、いちゃもんつけたらあかんて。
ひょっとして、鴨川沿いの立派すぎるお屋敷に住む、京都経済なんたら会のえらいさんの圧力に屈したん? なんぼなんでも、それはないよな。そんななったら、京都も終わりやで、ほんまに。
でも、そうかんぐられるほどこの条例は納得いかん。
私自身はバイクに乗っていないが、マナーをしっかり守りバイクを使っているみなさん、声を上げましょう。
「昼間、鴨川河川敷での、短時間のバイクの駐車にまで罰金を取るのをやめよ!」
良識ある府会議員さん。ぜひ一度、京都走ろう会例会に参加して(もちろん走って)、そのよさを体験してください。あなたたちの仕事は、「庶民のささやかな楽しみをもぎとる」ことではありませんよね。
さて、気持ちを切り替えて・・・。
このくそ暑いのに、10kmの参加者が10人をこえていた。(身の程知らずの私も10km。)
スタートのピストルがなると、まさに弾丸のように飛び出す人あり。「どやな、あのスピード。」あっという間に、見えなくなってしまった。
あとで、橋本猛志さんだと分かりました。あちこちで優勝しているあんな早い人も、ここに練習に来ているのです。
スタートしてしばらく、ならんで走ってくださった方がいた。お顔はよく存じ上げているのだが、お名前がちょっと・・・。
その方は、先日の「鴨川ゆっくりラン」が、今年初めての室外ランだったそうだ。ほとんど毎日、ジムのマシンの上を走っておられるらしい。それで、フル4時間11分。すごいなあ。最近、そういう室内ランナーが増えている。丹後100にも出られるというから、まいりました。
最初の丸太町橋(約2.5km)で、13分07秒。さすがに今日は、足が動かん。
出雲路橋(約5km)、26分26秒。まー、へろへろ。
御薗橋(約7.5km)、40分23秒。ここには、いつも塚本さんとりんちゃんが。後もうちょっとがんばろう、という気にさせてくれる。
しかし、とにかく暑い。何人かは、出雲路橋でやめてしまったようだ。無理は禁物。このへんの判断がしっかりできるのも、ベテランのいい所。
私もたいがい「イー」ときそうになりかけていた時、出たー、救いの天使。めっちゃかわいい雑種2頭立て。
飼い主さんに名前を聞くと、「あっくん」と「ふじこちゃん」。「ふじこ」と言わずに、「ふじこちゃん」と紹介してくださったこのセンスのよさに脱帽。
「あっくん」のほうは、口の周りが黒く、ちょっとうちの「きく」に似ていた。「ふじこちゃん」はルパン3世から名前をとったのか、ふむふむお色気系。
とか何とかかまっているうちに、一人抜かれてもた。
でも、このワンちゃんたちのおかげで、「フー」とならずゴールすることができた。
タイムは、54分53秒。えー、前日のフルの10kmラップよりもだいぶ遅いやん。
まあええか、走れただけでも。
それより、しっかり取材しようっと。
5kmを走っておられた、お上品な女性ランナー。新年会の時に少しお話させてもらったのだが、お名前をお聞きしていなかった。「前田さん」だった。
前田さんは、本当に京都らしい感じがする。言葉やしぐさが、はんなりと・・・。決して無理もされない。
写真はちょっとぶれてしまったが、おきれいな方です。京都走ろう会のイメージに、ぴったりだと思います。
橋本さんもおられたので、「ブログに写真のせていいですか」と聞いておいた。あんな猛スピードで走らはったのに、ケロッとしてはった。(ものたりんのかな。)この暑さの中、10km、36分02秒。
10km参加者で、一人ポツリと離れていた人がいた。
計時係の幹事さんに聞くと、「あの人は松若さん。ここを35分ちょっとで通過したから、1時間12分くらいで帰ってくるんちゃうかな。イーブンペースで走れる人やから。」
一人といっても、ちゃんと吉田さんがついてるし、全然心配いらん。でもちょっと気になって北大路橋近くまで行ってみた。その時撮ったのが、一番最初に載せた写真。これこそが、京都走ろう会です。
松若さんをはさむように、岩本さん、平田さん、吉田さん。磐石の態勢とは、このことですね。
「鴨川条例が・・・、バイクとめたら罰金が・・・」とか言っている人たち、どうかこの写真をよく見てください。4人の楽しそうな話し声が、聞こえてきませんか。遠くから黙ってカメラを向けている私を見つけて、手を振ってくれているのですよ。
長い長い時間をかけて築き上げた信頼関係に水をさすようなことだけは、やめてくださいね。お願いです。
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