2009年12月05日(土)
祝米寿、藤井善一 [家族]
今日12月5日は、私の父・藤井善一の誕生日。
今年で88歳、米寿のお祝い。
今年も恒例、「東華菜館・洛北店」。
父と私の姉夫婦、そしてうちの家族4人。合計7人のパーティー。
初めの「乾杯」は、年長者の惠藤弘さん(私の姉の夫)。
眞寿美さんは、今日は「セブンティーン」モデル系で攻めてみたそうです。
「えっ?」
最初のオードブルから、きれい、豪華。
このあと、次々とおいしいお料理が・・・。
去年は適当に注文していたのだが、今年は土曜日で混んでいるかもしれないのでコース料理にしておいた。中でも一番おいしかったのは、やっぱり「春巻き」かな。
おじいさんも、うちの廉と真樹に会うのを楽しみにしている。
私の8歳上の姉・みき江は、父にとって初めての子。
戦争から生還し、結婚して初めての子が生まれた時はどんな気持ちやったんやろうね。たぶん、「そんな60年以上も前のこと忘れた」と言うんやろうな。
うちのヨメさんが用意してくれた誕生日ケーキ。
「88」のろうそくが光ってる。(一番手前、わかりにくいかな。)
中華料理でおなかがいっぱいでも、ケーキは食べられます。
来年は、本当に89本のろうそくを並べてみたいなあ。
我が家を代表して、廉からおじいさんへのお祝いの言葉。
前に頼んだ時はちょっと嫌がっていたけど、しっかりとしたお祝いの言葉でおじいさんも喜んでいた。
「ぼくらの知らない話をしてくれてうれしい」という部分が、特段よかった。それは私も常々思っていること。
今日も、「中国でおじいさんの太ももを狙撃した相手は、700m先からでも的中させる軽機関銃の名手」とか、「重傷の自分に敵兵はとどめをささなかった。そのあと仲間が見捨てず助けに来てくれたから、今こうして生きている」とか、「豊三のおっさん(父の弟)は、満蒙開拓団に徴用され、シベリア抑留。日本に帰ってきたのは戦後3年たってから」とか。いまだに私も初めて聞く話がいっぱいあった。
廉は、確か「もっともっと長生きしてください」という言葉でしめたと思うのだが、話し終わったあと自然とみんなから拍手。
廉もやる時はやるやつ。ほんまにいいお祝いの言葉だった。
毎年恒例、スポンサーである「京都キャロット」藤井眞寿美社長からのあいさつ。
一番最後はおじいさんのあいさつ。
父がその父(つまり、私の祖父)の話をした。めずらしいことだ。
「人と争わない、人の悪口を言わない」そんな人だったようだ。(私が4歳の時に亡くなったので、私自身は祖父のニコニコ顔しかおぼえていない。)
「親を大切に、家族を大切に」とか、「自分の目標をしっかり持って」とかも言っていた。
おじいさんが一番言いたかったこと。
「若いときからずっと、人のためになることをと思いながらいろいろなことをやってきた。でも、それは報われることを望んでやっていることではない。」
おじいさんの言葉を正確には覚えてはいないのだが、言いたかったのはこういうことだったと思う。
なぜ、この歳(88)までまじめにしっかり生きてきた人間を、社会は正当に評価しないのかなあ。首を傾げたくなるような人が、いっぱい表彰されているのに・・・。
しっかり生きてきた人間の言葉は重い。
このおじいさんの言葉を、私ら夫婦、姉夫婦も神妙に聞いていた。廉や真樹はどうやろう。付き合いが短い分、心にはしみにくかったかな。
「ゆめさき舎」のまっちやんが用意してくれたおじいさんへのプレゼント。どこかに飾ってや。
ヨメさんはスリッパをプレゼント。
最後に、お店の従業員さんにお願いして記念撮影。
私が場所を移動して、もう一枚。
私の胸には、きくちゃんの笑顔も。
お世話になった「東華菜館・洛北店」のスタッフさん。
右端の方は、孫さん。中国の方のようでした。
気持ちよく、父の米寿のお祝いができました。ありがとうございました。
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2009年11月20日(金)
たいが君 [家族]
「うっ、産まはったんですか?」と税理士さん。
「なんぼ久しぶりに来やはったからって、そんな早わざはないわなあ。」
(第一、もう孫がいてもおかしくない歳やし・・・。)
今日来ていただいた山本税理士さんによると、ホームページなどを見ている人のほとんどは、写真はしっかり見るが文はほとんど読まないらしい。
そういえば私のブログファンと言ってくださっていたSさんも、「むずかしそうなのは、サーと流して・・・」って言ってはったなあ。
よっし、今日は、写真中心でいこう!
ここは、「京都キャロット・産大前店」。たいが君は、朝から仕事場に連れて行かれ・・・。
もちろん、ベビーベットなんてありません。
「段ボール並べたら、立派なベットになる!」
眞寿美さんはそうやって、廉と真樹を育ててきました。
「たいが君、まだましやで。うちの子らは寒風吹きすさぶ中で寝かされてたんやから。」
お昼には、いったん家に帰り「おちちの時間」。
洗濯もんに囲まれて飲むおちちの味は?
「おなかへってるからだまってのんでるけど、ぼくをだっこしてるおばちゃんはだれ?」
「気にすな、気にすな。」
午後は、通販事務所でおばちゃんのパソコンのお付き合い。
まあそれにしても、ようこんな古いおんぶひも見つかったなあ。15年ぶりのおんぶやなあ。
さて次は、通販の荷造り。
注文されたお客様は、まさかこんな状態で発送業務をしているとは夢にも思っておられないでしょうね。
「はじめてみる、おさるさんみたいなおっちゃんもいるなあ。だれなんかなあ。」
たいが君が眠ったので、おばちゃんはそのうちに発送商品を取りに「京都キャロット・産大前店」へ。
もちろん、こちらも特製段ボールべット。
「さっきのんと、どっちが寝心地いい?」 (そんな問題でもないか。)
「段ボールの上でもしっかり寝られる子は、いい子に育つでー」
おさるさんみたいなおっちゃんは、たいが君にそう語りかけるのであった。(おしまい)
※たねあかし・・・たいが君は、ヨメさんの姪・さきちゃんの2番目の子です(生後5か月)。上の子がインフルエンザにかかったため、一時あずかっています。
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2009年11月06日(金)
「あれ、私の姪ですねん」・第2弾 [家族]
◎京都民報 11月1日より
「熱い志をもってたたかう門先生」
民主府政の会の知事候補・門ゆうすけさんのポスターに登場、している中村悦子さん(25)=京都市右京区=に聞きました。
看護師になって3年目になります。小学生時代に看護師として生き生きと働く姉の姿を見て、「かっこいい仕事。私も看護師になりたい」とあこがれていました。
しかし、働き出した当初は深夜勤などで生活リズムが狂い、体力的にも精神的にも疲れ、辞めたいと思うくらいつらかったです。でも、1人の患者さんに寄り添う「症例患者」の研修に取り組んで、「ありがとう」「がんばって」と声をかけてもらい、患者さんが信頼してくれた時、やりがいのある仕事だなと思いました。
深刻な看護師不足で看護師の仕事量・拘束時間が増え、患者さんの満足する看護・援助はできていません。京都府の看護師不足問題を解消するためにも門ゆうすけ先生にぜひ知事になってもらいたいです。
「困っている人を助けて」
門先生とは今年の9月に熊本で行われた「水俣大検診」で初めて会いました。勉強になるからと熊本に派遣された私ですが、水俣病は教科書のの中の出来事という感覚で、ほとんど知識はありませんでした。
検診に訪れた人たちを見てショックを受けました。しびれを訴えたり、目をつぶったら平衡感覚をなくす40代の人たちがいて、「この公害はまだ終わっていないんだ」と実感しました。門先生は患者さんに対してとても穏やかに、優しく接しますが、とても熱い志を持った人です。水俣病最後の患者さんがいなくなるまでたたかう先生です。
いま、貧困が広がり、困っている人たちがたくさんいます。門先生には弱者に手を差し伸べる、人といのちを大切にする府政に転換してほしい。私も精一杯がんばりたいと思っています。
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えっちゃん、えらいなあ。しっかりしとるわ。藤井家グループの誉れやね。
あの例のポスターが張り出される前の日に、ひっそりと結婚したんやってね。なんか、ちっちゃくていつもニコニコしていたえっちゃんらしいなあ。
「こうじおっさん」としては、えっちゃんの結婚式見てみたかったなあ。でも、そんなん見たらまた泣いてしまうかも・・・。
今、「こうじおっさん」にできること。
それは、えっちゃんが尊敬する門さんが京都府知事になれるよう、なんか運動することやね。今まで選挙運動ってしたことがないけど、なんぞしまっせー。
えっちゃんのかわいい笑顔が、もっともっとかわいくなれますように。そのためにも、選挙、いっしょにがんばりましょね。
門さんのチラシに、上のような記事発見!
京都府在住のランナーのみなさん、これを見ただけでも応援したくなりません?
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2009年11月04日(水)
学ちゃんと牧子さんの結婚式・披露宴編 [家族]
披露宴も終わりに近づいたころ、列席者から数名くじ引きでお祝いの言葉を述べることになった。その最終くじで・・・。
「藤井廣司さん、お願いします。」
私の横に座っていた姉(通称・ター子おばさん)は、「いやっ、こうじおっさんやてー。だいじょうぶ?」(末の弟は、いくつになっても心配。)
その反対側のとなりに座っていた私の父は、ニヤニヤ。
「こら、おじいさんの期待にこたえておもろいこと言わんなん!」
そう決意して(たいそうか?)、立ち上がった。
新郎の叔父です。
学ちゃんとの思い出といえば・・・。
うちは今、スポーツ用品店をやってるんですが、ヨメさんのほうが社長でして・・・。ヨメさんが出産の時は人手が足りなくて、学ちゃんに手伝いに来てもらったことがありました。
そのとき、まだ学ちゃんは高校生か大学生くらいで、たぶん初めてのバイトやったと思うんですが・・・。はっきり言って、すっごい口からでまかせみたいな応対ぶりで・・・(ドッカーンと爆笑)。
私はぶきっちょなほうなんで、学ちゃんの口からでまかせを横から見ていて、「すごいなー。こんなふうにゆったら、売り上げものびるんやなあー」と感心して見ていました。
えー、うちは結婚して24年目なんですが、「毎日が離婚の危機」という状態でして・・・(またまた、ドッカーンと爆笑)。えらそうなことは何も言えないんですが・・・。
最近、「人は何のために生きるのか」ということをよく考えます。
それは、「自分を必要としてくれる人に尽くすために生きる」のではないでしょうか。そう思って生きていきたいと思っています。
話が飛びますが・・・。
今日私が着てきたスーツは、私の叔父・田村進というんですが、その叔父からもらったものなんです。
私と学ちゃんも叔父と甥の関係ですが、叔父としてあげられるものは何もないです。でも、今私は、平和を守る憲法9条だけは守っていきたいと思っています。それだけは、若い人たちにも引き継いでいってもらいたいです。
今日は、ほんとうにおめでとうございます。
「糸」
何故巡り会うのかを 私たちは何も知らない
いつ巡り会うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの? 生きてきたの? 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かを 温めうるかもしれない
何故生きてゆくのかを 迷った日のあとのささくれ
夢追いかけ走って 転んだ日のあとの ささくれ
こんな糸が 何になるの? 心もとなくて 震えてた風の中
縦の糸は あなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
縦の糸は あなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出会えることを 人は幸せと呼びます
一番最後、新郎・学ちゃんの父・惠藤弘さんの言葉は泣けた。
とつとつと語られる思い出話。
「九九が全然覚えられず、親二人ががりで夜まで特訓し、全部言えたときは抱き合って喜びました・・・。」
弘さんの右目からは大粒の涙が・・・。聞いている者もみな笑い泣き。
12時集合ですべてが終わったのが5時前。
しかし、笑いあり涙ありのいい結婚式と披露宴だった。ほかの人のお手本になるような、みんなを幸せにしてくれる会だった。
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2009年11月03日(火)
学ちゃんと牧子さんの結婚式・挙式編 [家族]
「この写真な、今日のブログのトップに使うし、見てなー。」
「あっ、ブログ、いつも見せてもらってます。」と牧子さん。
「いやー、うれし。」
私の甥・学ちゃんの結婚式。
結婚相手の牧子さんが私のブログを見てくださっていたなんて・・・。こんなにうれしいことはない。
牧子さん、うちの真樹とちょっと名前がかぶってるけど、これからも末永くよろしくお願いします。
新郎新婦入場のあと、「賛美歌312番」。
「いつくしみ深き 友なるイエスは・・・」
なぜか、涙がこぼれそうに。
待て待て、新郎の叔父がこんな場面で泣いていたら、変。
気持ちを落ち着けて少し上を向いたら、ギリギリのところで涙はとどまってくれた。
教会での結婚式は久しぶり・・・。
どころか、自分自身の結婚式以来24年ぶりでした。
身も心も清められたような思い・・・。
「オリジナリティ・意外性・非日常」
私の求めているものがすべて詰まっていました。
かっこいい学ちゃんときれいな牧子さん。
祝福するみんなの上空に向けて、「ロケット」が発射された。
このあと、別室で親族紹介と記念写真。
私は、惠藤家の一番最後に自己紹介させてもらった。(私は、学ちゃんの母・みき江の弟。)
今日は、今年の8月以来、父と私たち4兄弟が勢ぞろいした。おめでたいことで集まれるのは、ほんとうにうれしいことである。
心にジーンとくるいい結婚式でした。
学ちゃんと牧子さんの笑顔を見ているだけで、こっちまで幸せな気分になれました。ありがとう。
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2009年10月15日(木)
「あれ、私の姪ですねん」 [家族]
「えっちゃんのポスターがいっぱい・・・」
火曜の朝、京都の街中のあちこちに新しいポスターがはられていた。
「ナカムラ・・・、エツコ・・・。どっかで聞いたことあるような・・・、ん? えっちゃんやん!」
(この、えっちゃんは、ふつうの「えっ」のほうにアクセントをつけるのではなく、「ちゃん」のほうにアクセントをつけてください。)
えっちゃんは、私の姉・中村多鶴子の五女(六人姉妹)。今、看護師をしている。
来年4月の京都府知事選挙の候補者「門ゆうすけ」さんの応援弁士として、このポスターに採用されたようだ。
さっそく、上賀茂にいるもう一人の私の姉の家にこのポスターをもらいにいった。
「いっぱいあるし、なんぼでも持って帰ってやー。」
えっちゃんと言えば、六人姉妹の中で一番背が低くてかわいかった。18年前になくなった私の母(つまり、えっちゃんの祖母)に一番似ていると、みんなから言われていた。
しかし、ポスターで見るえっちゃんの顔は、きりりとして立派な大人の顔になっていた。弁士として選ばれただけのことはある。
きっと、両親の「正義を追及する姿勢」を引き継いでいるのだと思う。
ポスターを持って帰って、さっそくうちのふろの窓枠にはった。
来年の4月まで、「あれ、うちの姪ですねん」て何回ゆうかなあ。
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昨日、「ゆめさき舎」のまっちゃんに一番聞きたかったこと。
「平和運動は若い人に引き継がれているか」
私の住んでいる京都市左京区は、平和運動の盛んな地域である。しかし、街角で「反戦平和」を語る人たちは、どう見ても60代70代。そこでいつも思うのは、「あなたのお子さんやお孫さんにその思想は引き継がれているでしょうか」。
残念ながら、そうは思えないのが実情です。
「ゆめさき舎」は、今年で19年。最初の10年はまっちゃんの家族は作業所と一体となって生活していたとのこと。今は自宅と作業所を分離されたが、まっちゃんの理想は一体型らしい。
そんなお父さんを見てきたお子さんらはどうか。
まっちゃんは、「背中を見せていたらとは思っていたが、どうなんやろう」とおっしゃっていた。しかし、今大学生である上のお子さんは、お父さんとはちがう道ではあるが福祉関係の勉強をされているらしい。そういう意味では、希望の持てる家族と言っていい。
そして、私自身を省みる。
自分自身今までたいしたことをしてきていないし、子どもたちに引き継いでもらえそうなこともない。ただ、人間として生まれてきたからには、弱い者を見下すような人間にだけはなってほしくない。
「人はなぜ生きるか」
それは、自分を必要としてくれる人のために尽くすためではないだろうか。それは、いくらヨメさんから「口ばっかり」と言われようとも、言い続けていきたいことである。
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今日、「ゆめさき舎」のまっちゃんから、昨日のお礼のメールが来た。
今日は朝からMI君がぼくに「今日パオパオさんがくるよ」と連発していました。今日は来ないことが分かると機嫌が悪く、ツバ吐きまくりでした。・・・・・
こんなふうに思ってもらえるなんて、こんなうれしいことはない。もう、また行きたくなってきた。計画立てようっと。
◎ まっちゃん! 「パオパオだより」の1日の平均アクセス数が1700と言ってたけど、今日はなぜか2700突破。これは、「ゆめさき舎」効果でしょうか。
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