2016年01月28日(木)
何のための米軍基地 [時事]

◎毎日新聞1月27日夕刊
「沖縄基地、引き取り」
「押し付けていいの?」 大阪・福岡で運動
米軍基地が集中する沖縄の現状を変えようと、「基地の引き取り」を呼びかける市民運動が大阪と福岡で始まった。世論調査では、米軍基地の根拠となる日米安全保障条約に多くの国民が支持を示す。一方で国内の米軍専用施設の74%(面積比)は沖縄県にあり、宜野湾市の米軍普天間飛行場も名護市辺野古への県内移設が進む。活動を始めたメンバーは問う。「日米安保条約は必要と考えるのに、基地を沖縄に押しつけたままでいいのですか」
大阪で活動を始めたのは市民グループ「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」。昨年3月に発足した。呼びかけ人の大阪府高槻市の福祉施設職員、松本亜季さん(33)は2004年から辺野古移設の中止を求める運動を始めた。JR大阪駅前で署名を呼びかける活動は10年を超えて続いたが、政府の辺野古移設の方針は揺るがず、沖縄には新型輸送機オスプレイまで配備された。「活動は何の力にもなっていない」と、無力感が募っていた。
沖縄の一部に基地の本土移設を求める声があることは知っていた。基地が移転すれば、米軍機の事故や騒音被害も一緒に移ってくる。これまで「そんな責任は自分に取れない」と思ってきたが、「背を向け続けることは沖縄に基地を押しつけ続けることになる」と考えるようになった。
大阪に続き、昨年7月に結成されたのが「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」。九州大大学院生の里村和歌子さん(40)は「沖縄から『差別だ』という声が出ていることに対し、どう向き合えばいいのかと考えていたところに大阪の活動が耳に入った。福岡でも始めるしかないと思った」と話す。
大阪のグループでは普天間飛行場の大阪への移設を求め、八尾空港や大阪市此花区の「夢洲(ゆめしま)」など9カ所を候補地として掲げる。今月11日には近鉄八尾駅前で「普天間基地の移設は辺野古ではなく、大阪に」と書かれたビラを配った。
「なぜ八尾に?」「基地を分散しても解決にはならない」。通行人の多くが否定的な反応を示したが、「沖縄の人に基地を押しつけ続けるのは日本人として恥ずかしい」と理解を示す人もいた。
毎日新聞と埼玉大が昨年実施した世論調査では、日米安保条約について「維持」や「強化」を求める回答が7割を占めた。松本さんは「日米安保を必要とするなら、本土でも応分の負担を引き受けなきゃいけない。多くの人が自らの問題として考えてほしい」と話す。【遠藤孝康】
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前からずっと言い続けているが、「一票の格差」を主張する人は「一米軍基地の格差」も主張してもらわないと。
米軍基地が日本国民を守るために設置されているとするならば、人口の集中している首都圏に配備をしていかなくては。人口140万ほどの沖縄に基地を集中してもしょうがないでしょう。
日本政府が仮想敵国としているのは、北朝鮮・中国・ロシアでしょうか。それなら首都東京から1500km以上も離れている沖縄に、基地を集中している意味がない。
普天間基地の移設先は、人口集中している首都圏です。
天皇制を心のよりどころにしている右翼のみなさんは、「皇居を守るために、米軍基地を東京に」という主張をなんでせんのかなあ。
今日は、また寮の管理代行のバイト。
家から読めていない新聞を持っていき、隅々まで見ていたら心に残る記事に出くわした。
ほんとうに米軍基地が必要なら、沖縄に集中しているのはどう考えてもおかしい。右翼のみなさん、そう思われませんか。いっしょに手を組んで、沖縄の米軍基地撤去の運動をしていきませんか。
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2015年09月18日(金)
愛によってのみ [時事]

◎朝日新聞9月15日朝刊・THA HUFFINGTON POSTより
東アジア連帯「愛によってのみ」
羽衣国際大学教授 にしゃんたさん
安倍晋三首相の戦後70年談話、中国の「抗日戦争勝利70周年」式典など、過去の戦争を巡る記憶は東アジアに新たな摩擦を生み出している。
スリランカ出身で羽衣国際大学教授のにしゃんた氏は「『憎しみの連鎖を断とう』を終戦70周年の合言葉に− J.R.ジャヤワルダナ演説(9月6日)を記念して」(7日)で、母国スリランカ(当時はセイロン)の元大統領が、1951年のサンフランシスコ講和会議で演説した言葉を紹介した。「憎しみは憎しみによってではなく、ただ愛によってのみ消える」という、演説で引用したブッダの言葉を、東アジアの民衆で共有しようと訴える。
ぎくしゃくした関係が続く東アジア各国の指導者を「国家の枠組みに分かれて戦おうと民衆を煽(あお)っているようにも見える」と批判するにしゃんた氏は、民間の交流に期待を寄せる。国家を超えた民衆の平和的連帯に向け「『誘い水』を打つ役目は日本の民衆が担っている」「理想を語らずして何を語ろうか」と力を込めた。 (吉野太一郎)
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また24時間寮管理代行のバイト。恒例、朝日新聞チェック。
今回は、ブッダの言葉を引用したセイロン元大統領の言葉を引用したにしゃんたさんの引用。ああややこし。
「憎しみは憎しみによってではなく、ただ愛によってのみ消える」
どんなことがあろうと絶対に戦争しないという憲法を持つ日本は、「愛の国」と呼ばれるのにふさわしいだろう。「理想を語らずして何を語ろうか」、その通りだと思う。
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2015年08月26日(水)
平和は退屈? [時事]
◎朝日新聞8月19日朝刊・平和のすがた 戦後70年 第6部
「平和」とらえ直す
戦後の日本人にとって、「平和」は輝いていた。各地に「平和通り」ができ、戦後初の特急列車は「へいわ」と名付けられた。安保闘争やベトナム反戦運動でも、平和という言葉は強い求心力を持った。
戦後50年を過ぎた1998年、「平和」イメージの変容を映すような本がベストセラーとなった。漫画家・小林よしのり(61)の「新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論」。冒頭、「平和だ…あちこちがただれてくるよな平和さだ」と時代の空気を描写した。
小林は「平和をサービスとすら捉える甘えた時代になってしまった。公に奉仕する精神の必要性を説きたかった」と振り返る。だが今年刊行した続編「新戦争論1」の帯は「ようござんすね?このまま戦争で」とうたう。「右傾化しすぎた。真ん中に戻す」と語る。
平和は「停滞」ともみられる。批評「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」を2006年発表したフリーライター赤木智弘(40)は、格差を固定化する「平和な社会」は戦争によりリセットされるべきだと主張。大不況の中で社会に出たロストジェネレーションの閉塞(へいそく)感を代弁した。赤木は言う。「平和と言っても、経済成長がセットだった上の世代と僕らでは内実が違う。ロスジェネにとって、平和は長い坂をゆっくり下っている日常なんです」
戦後70年、「平和」の受け止められ方は変わってきた。帝京大教授(歴史社会学)の筒井清忠(67)は80年代が一つの分岐点と見る。
「日本の特徴だった分厚い中間層が衰弱した。ビジュアル性やわかりやすさが重視されるようになった。左右の極端な言説がもてはやされ、平和や穏健、中道は人気がなくなっていった」。その傾向は、戦前日本にも共通するという。
「戦争が『過程』であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の『状態』である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い」。精神科医の中井久夫(81)は05年の論文「戦争と平和についての観察」で看破し、今もそう考える。中井は、平和が続くにつれて社会全体の見渡しが利かなくなり、「退屈」感を生むと指摘。欧州の近代における平和の「有効期限」は、「幼年期と老年期を除いた人の寿命」とほぼ同じ約半世紀だともいう。
■若い世代、乗り越えるには
「退屈」が次の戦争を防ぐ力をそぐとしたら、「戦争を知らない世代」はどう乗り越えればいいのか。
世界を知る重要性を説くのは元国連事務次長の明石康(84)だ。「退屈するほどの平和は、世界にはほとんどないことを知ることが大切だ」といい、現代の国際情勢を「戦争と平和の間のグレーゾーンが広がってきた」と指摘。「複雑化する世界で日本だけが平和というのは、かりそめの平和に過ぎない」
作家・雨宮処凛(かりん)(40)も世界に目を向ける。初めて戦争の世界を見たのは99年。イラクで、劣化ウラン弾の影響に苦しむ子どもたちが次々と死んでいくのを見た。「1次情報じゃないと、たちまちうそくさくなる」。戦争や平和は「学校で説教くさく教えられるもの。第2次大戦も、江戸時代の○○の乱と差がなかった」と思っていた自分だからこそ、若い世代に戦争のリアリティーを伝えたい。戦場体験のある8人の証言集「14歳からの戦争のリアル」を7月、出版した。
戦争を知らない世代ながら戦争小説を書いた作家・高橋弘希(35)は「戦争も忘れられていく。疑似体験で書かれたものがあってもいいと思った」。太平洋戦争中、南洋の島に投入された若き兵士が主人公の「指の骨」で芥川賞候補になった。兵士は野戦病院で果てしない無間地獄を生かされる。「今の日本は平和。でも、誰しも生きてる意図が分からない感じがある。そういう気分が無意識に映り込んでいるかもしれない」
世代間格差、熾烈(しれつ)な就職活動、ブラック企業……。作家の高橋源一郎(64)は「若い世代にとっては生きることが既に戦争状態のようなもの」とみる。「理不尽な暴力を権力やシステムが押しつけてくるものが戦争だとするならば、もしかしたらこの社会にとって戦争というものは常に存在しているものかもしれない」
「あの戦争」にリアリティーが感じられない世代の感受性を否定せず、むしろ「あの戦争」の神格化を解く糸口として、ポジティブに捉えようという。「あの戦争よりも、この身近な『戦争』をなくすことで、足元にまともな社会をつくろうとする。そこから平和を考えはじめるのでもいいんじゃないか」
=敬称略
(板垣麻衣子、中崎太郎)
■取材後記
平和は長く続けば続くほど当然視され、陳腐ともみなされる。そんな平和の逆説を、「退屈」というキーワードで考えてみた。
難題だった。平和という言葉のとらえどころのなさに、私たち自身が苦しんだ。
この企画を進めている間、安保法制関連法案が衆院で可決。反対デモで、多くの若い世代が国会前に集まった。「退屈」なんて言っていられない。平和が脅かされつつある気配を察知して、声を上げている。平和はまた求心力を持つのだろうか。
*
いたがき・まいこ 1983年生まれ。富山、甲府各総局を経て文化くらし報道部記者▼なかざき・たろう 86年生まれ。神戸、鳥取、広島各総局を経て国際報道部記者。
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寮管理バイト恒例の朝日新聞チェック。
平和が退屈とは・・・。
退屈の反意語は、熱中・没頭・繁忙などだそうだ。
平和の反対は戦争だから、戦争に熱中・戦争に没頭・戦争に繁忙・・・。
やっぱりおかしい。
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2015年08月17日(月)
オールズ [時事]

◎朝日新聞8月9日朝刊・ウォッチ安保国会
「Olds」巣鴨から訴える
猛暑が和らいだ8日の夕暮れ時、「おばあちゃんの原宿」東京・巣鴨に、プラカードを持った人たちが集まってきた。参加者は次第に増えて100人を超えたが、木陰に座って水筒のお茶を飲んだり、「どこから来たの」とおしゃべりをしたりと、国会前の喧騒(けんそう)とはほど遠い。
主催したのは60〜70代の「OLDs(オールズ)」。大学名誉教授の高橋正明さん(70)は「どうせ世の中は変わらない」とふて寝の日々を送っていた6月、学生団体「SEALDs(シールズ)」のデモを見た。「感動なんてもんじゃない。ケツを蹴飛ばされた」
好きでもないSNSを使って声をかけ、「若者が渋谷なら、巣鴨で」と7月半ばから土曜に駅前に立つ。団体名は、若い彼らへのオマージュ(賛辞)だ。
「俺たちはヨロヨロしてていい。しょぼくていい。ただ、例えば自分の住む街の駅で、1人ずつ立って静かに訴えるような自立した人の集まりでありたい」
「OLDs」に触発された30〜60代の「MIDDLEs(ミドルズ)」も立ち上がり、8日の行動に加わった。(市川美亜子)
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また昨日の夜11時から、寮の管理代行の24時間バイト。
恒例朝日新聞チェックで見つけた記事はこれ。
「OLDs」いいですねえ。いっそのこと「ジジババズ」にしたらいいのに。
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2015年07月27日(月)
取り返しのつかないこと [時事]

◎朝日新聞7月23日朝刊・ウオッチ国会
戦争を知らないでいるために
作詞家で精神科医のきたやまおさむさん(69)。安全保障法案が衆院を通過した翌日の17日夜、東京・赤坂のライブのステージで「取り返しのつかないことが起こりつつあると思う」と語った。
終戦の翌年に生まれた。ベトナム戦争中の1970年に発表した「戦争を知らない子どもたち」に込めたのは、戦争体験者に対する対抗心だけではない。「100年後も200年後も、子どもたちが戦争を知るようなことがないように」。そんな願いを込めた。歌い継がれて45年。戦争に関わらない、加わらないという、どっちつかずの中立の姿勢が日本の平和を守ってきたと思う。
ところが、「戦争を知らない」世代の安倍首相は、国会の圧倒的な勢力を背景に、どっちつかずではない選択を迫っている。きたやまさんには、そう映る。
法案の審議は参院に移った。「未来も戦争を知らないでいられるよう、監視する民衆であり続けなきゃ。そして選択を迫られたんだから、今度は投票に行って意思表示しようよ」 (岡戸佑樹)
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今日も24時間寮管理のバイト。恒例朝日新聞チェックできたやまおさむさんを発見。もう69歳ですか。きたやまさんは私の姉や兄のちょっと上で、私から見れば9歳上。団塊の世代のトップ集団の中におられたんですね。
「どっちつかずの中立の姿勢」、いいですね。対米従属一辺倒より「どっちつかず」のほうが私は好き。「どっちつかずの日本」、ええぞー。
きたやまおさむさん、また歌ってくれはるかなあ・・・。
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2015年07月10日(金)
名桜大学3年 [時事]
◎朝日新聞7月7日朝刊
「予定調和で終わった」沖縄の安保質疑、傍聴の大学生は
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画などについて、若い世代で語り合う活動を続ける名桜大(名護市)3年の玉城愛さん(20)に那覇市での質疑を取材席から傍聴してもらい、感想を聞いた。
安保審議へ沖縄の注文「まだ議論を」「また捨て石」
■名桜大3年・玉城愛さん(20)
実のある議論を期待していたのですが、予定調和で終わったという印象です。自民、公明両党の国会議員は、自分と考えが同じ参考人にだけ質問していました。野党側は逆の立場の人にも聞いていたが、もっと具体的な事例に踏み込んでほしかった。安全保障関連法案や普天間移設について、考え方が違う人たちが向き合わないと、理解は深まらないと思いました。
私が住む沖縄県うるま市には米軍基地があり、米兵の交通事故を何度も見ました。母校の宮森小学校ではかつて、米軍のジェット戦闘機が墜落して、多くの児童が亡くなりました。
基地が集中する沖縄と今回の法案がつながっていることは、質疑を聞いて改めて実感しました。自衛隊の活動範囲が広がれば、米国の戦争に巻き込まれ、沖縄が狙われかねない。私自身はそう思うので、法案には反対です。参考人として出席した石垣市の中山義隆市長が「石垣はアジアの交流拠点」と言う一方で、法案には賛成を明言していました。近隣国の脅威を強調していましたが、それで交流が成り立つのか、やや疑問に感じました。
「基地があるから沖縄の経済は成り立っている」「基地がないと中国が攻めてくる」。普天間の辺野古移設賛成の人からは、こうした意見をよく聞きます。私はそうは思いません。きょうの質疑を通して、安保法案の是非とともに、そうした議論も深まればよかったのですが、残念です。(聞き手・泗水康信)
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昨日の夜11時から今日の夜11時まで、また24時間寮の管理代行のバイト。
いつもどおり朝日新聞のチェックをしていると、目を引く記事があった。
「戦争法案」の地方参考人質疑を傍聴した玉城愛さん(20)。名桜大学3年といえば、真樹の同級生じゃないですか。こじんまりした大学やから、真樹は愛さん知ってるかなあ。
若い人たちが「戦争法案」を自分の問題として考えてくれていることがうれしい。愛さんと同級生の真樹にも真剣に考えてもらいたいものだ。
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