パオパオだより

2009年01月23日(金)

三宅誠孝さんが・・・ [私の好きな人]

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第16回みかた残酷マラソンで(2008.6.8)

 ついさっき知りました、三宅誠孝さんがお亡くなりになったことを・・・。

 数日前から、私のブログのリンク元を見てみると、「三宅誠孝」で検索している人が異常に増えていました。まさかとは思っていたのですが・・・。
 検索して一番に出るのが、パオパオだより「三宅誠孝さんは元気です!」の記事。見ていただいたみなさん、本当に申し訳ありません。三宅誠孝さんは、1月17日の夜、ご自宅で息をひきとられました。

 私がこのことを知ったのも、リンク元をたどっていき、共産党の議員さんの活動日誌を見て初めてという状態でした。
 (その記事を転載させていただこうと思って、現在連絡中です。許可が出れば、ここに紹介させていただきます。・・・ご本人の了解が取れました。)

◎せのお直樹さん(日本共産党 京都市会議員・西京区)の「活動日誌」より
 
2009年01月19日

  さよなら、三宅誠孝さん


 三宅誠孝さんの訃報が届いた。昨日17日、午後8時過ぎに72歳で逝去された。三宅さんは、1983年から2003年まで5期20年市会議員を務められ、私は12年間、ごいっしょさせて頂いた。

 三宅さんとのおつき合いは古く、私が京都市聴覚言語障害センターに務めていた際、左京の手話サークルに三宅さんが通っておられた時から。25年以上になる。三宅さんが市会議員になられた当時からということになる。お目にかかった際も、三宅さんは決して出しゃばることなく、極自然に周囲にとけ込んでおられ、おかしな表現かも知れないが、その姿に「強烈な好感」を覚えたものだ。3日前の私の活動日誌で宣伝の仕方に触れ、「『人は大きな音には耳をそむけるが、小さな音には耳を傾ける』とは先輩議員だった三宅誠孝さんの名言。心がけるようにしている。」と述べたが、三宅さんの言葉には、含蓄があった。

 仲間に対する底知れぬ優しさを持った不屈の人、三宅誠孝さん。心からご冥福をお祈りします。

 私がジョギングを始めたいと話した時、イラストまで描いて、どんな靴がいいのか教えてくれた。その知識をもとに買った靴を、今も大切に使っている。その靴で、今年はハーフマラソンくらいに挑戦してみようかナ
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 私のこのブログにも、三宅誠孝さんは何度も登場していただきました。
 「京都ランナーズ例会+定期総会」 2008.4.13
 「勝手にエール、高石てるえさん、三宅誠孝さん」 6.6
 「第16回みかた残酷マラソン」 6.8
 「高石ともやさん」 6.10
 「高石ともやさんと家族」 11.20
 「三宅誠孝さんは元気です!」 11.21
 「福知山マラソンツアー・懇親会」 11.26
 もしよろしければ、見てください。

 私は、三宅誠孝さんと深いお付き合いをさせていただいていたわけではありません。私より先に京都ランナーズに入っておられた奥様の愛子さんを通じてお知り合いにならせていただきました。(会員番号でいうと、14・三宅愛子さん、20・私、23・三宅誠孝さんです。)
 当時、三宅誠孝さんは左京区選出の市会議員さんでした。いい意味でものすごく普通ぽく、「ほんとに議員さん?」と思ってしまうくらい私たちのなかに溶け込んでおられました。でも、とても話がおもしろくて分かりやすく、手話ができる議員さんというのにはびっくりしました。

 「何事にもまじめに取り組み、決しておごらない」
 私が持つ三宅誠孝さんのイメージは、これです。

 日本共産党に対して偏見を持っている人がまだまだ多いようですが、そんな人は三宅誠孝さんに会って話してみてほしかった。話せば、きっと考えが変わったと思います。

 私は、「ご冥福をお祈りします」とはなかなか言えないです。人間、死んだらおしまいだと思っているから。
 三宅誠孝さんも、それに近い考えだったかもしれません。だからこそ、2007年8月までの命と宣告されたのに、1年半近くも命を延ばされたんでしょう。強靭な生命力には敬服します。見習いたいです。

 みかた残酷マラソンで、三宅誠孝さんと高石てるえさんへの応援メッセージをのぼりにしてつけて走ったら、「選挙の応援みたいやねえ」とてれておられましたね。
 11月、ご自宅にお電話をさせていただいた時、最後に言われたのは「早く元気になって、高石ともやさんのマネージャーの仕事に復帰せんならんと思ってるんです」。
 私は、本当に復帰されるものと思い込んでいました。残念でなりません。

 前にも書きましたが、私が唯一「尊敬できる人」。それが、三宅誠孝さんです。でも、もうおられません。
 お亡くなりになる前に、私が「憲法九条の会」に入ったことをご報告できたこと。それだけでもよかったです。
 三宅誠孝さんが歩んでこられたことに比べたらそれはほんの豆粒みたいな小さなことでしょうが、「微力ではあるが無力ではない」と自分に言い聞かせ、平和を脅かす勢力に対しいつまでも敏感でありたいと思っています。

 三宅誠孝さん、どうか私たちを見守ってください。

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高石ともやさんとともに

☆「ロード・トゥ・トカシキ」7日目

 今日は、廉がいっしょに走ると言っていたので期待していたが、けっきょく来なかった。
 きくと、2kmスロージョグ。昨日はかしこなったと思っていたのに、うそでしたー。シッコ、立ち止まりの繰り返し。おまけに大ウンコこいてくれはりました。
 スーパーのビニール袋にウンコを入れ、2km走りきった。腰のベルトにくくりつけたウンコ袋が、体にポンポン当たり・・・。
 くっそー。昨日きくが立ち止まらんと走ったんは、雨にぬれるのがいややっただけのことか。だまされたばい。
 北稜高校前で思い切り引っ張ったら、また首輪がスポッ。今日はハーネスにすんのん忘れてたー。逃げんで、よかったー。
 15分36秒。ウンコぶらさげランは、きつかった。

 また、きくを置いて3kmコースへ。
 昨日、雨の中速く走りすぎたので、今日は慎重に修正。折り返し1.5kmが8分11秒。いいんじゃないの。

 走りながら、三宅誠孝さんのことを考えていた。
 私が一番に思い出すのは、以前宝ヶ池行われていた6時間走の時の姿だ。初めから終わりまで、変わらぬ笑顔で走り続けておられた。
 私は、三宅誠孝さんのしんどそうな顔を見たことがない。ふしぎな人だった。最後もしんどくなかったらよかったんやけど、どうやったんやろう。

 最近の話だが、三宅誠孝さんとちょっと話す機会があった。
 話題はどうしても京都市のトップのK氏のことになった。 「彼のお父さんは宗教者として立派な方で、いつも我々が推す知事や市長を応援してくださっていた。民主的な考えの持ち主でした。
 ところが、その子が我々と正反対のところから担ぎ出され、今トップにいるとはねえ。」
 三宅誠孝さんは、いろいろなことを知っておられる。嘆きの部分だけでなく、もっともっと聞き出しておけばよかった。心残りです。

 今日の午後ブログを書いている時もそうだったが、走りながらも思い出すのは三宅誠孝さんの笑顔ばかりなのに、涙が止まらない。それは、絶対に絶対にもう会えないからですね。
 ほんまに死んだらしまい。生きているうちに出来ることは、なんでもしよう。そう思う。

 家に着いたら、16分37秒。目標タイムと7秒差。
 今日は、これで十分です。
 2km+3kmで、5km。

 当分の間、三宅誠孝さんのことが頭から離れそうにない。

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2008年12月26日(金)

再見、ナリケン! [私の好きな人]

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 「 再見(ツァイチェン)、ナリケン! 」

 4/1のブログで紹介した、私の大好きなナリケン。そのナリケンが引っ越ししてしまう。
 今日、去年の担任のT先生が真樹を心配して家に来てくださった。その時、去年真樹と同クラスだったナリケンが引っ越すことを知らされた。

 「えー」
 学校行事のたびに、ナリケンに会えるのが楽しみだったのに・・・。生まれながらのエンターティナー、ナリケン。授業参観も、真樹のクラスではなくナリケンのクラスを見たろかいなと思ってたくらいやのに。

 T先生の話によると、もう今日が最後とか。
 えらいこっちゃ、会いに行かんと。

 晩ごはんを食べたあと(8時過ぎ)、ナリケンちへGO!
 地下鉄「国際会館前」駅付近をウロウロ。
 たぶんここやろと思われるマンションに入ると、○○の表札。「あったー!」

 「(ピンポーン) 遅くからすいません、○○さんのお宅ですよね。」
 「はい。(やや不安げな声)」
 「○○中学校2年の藤井真樹の父です。○○君が引越しされると聞いて、お話したくて・・・。」
 「はい。ちょっとお待ちください。」
 
 しばらくして、玄関のドアを開けて出てきてくれたのはご当人・ナリケンだった。
 「こんばんわ。」
 「あっ、今日、T先生からナリケンが引越しするって聞いて。あわてて、来たんや。ジョーシンで阪神のユニフォームガラのカバンもらって、前から真樹にナリケンにあげってゆってたんやけど、そのままになってて。これ、もらってくれる? (ナリケンは、阪神ファンです。)」
 「ありがとうございます。」
 「それから、これな・・・」

 話している途中、お母さんも出てこられた。
 「すいません、おじゃましてます。今うちの子、ちょっと学校休んでまして、心配して去年の担任のT先生が家に来てくれはったんです。その時に、ナリケンが引っ越しするって教えてくれはって。いやー、これは会いに行かなあかんと思って・・・。」
 「ありがとうございます。よくいっしょに遊ばせてもらったみたいで・・・。」
 「いえいえ、こちらこそ。うちの子、小さな小学校から一人で大きな中学校に入って、不安な時にナリケンによくかまってもらったみたいで。去年の4月5月ころは、毎日ナリケンの話してたんですよ。」
 「そうなんですか・・・。」
 「うちの子、クラスでも一番小さいくらいで、ナリケンと並んだら親子みたいやったんですよ。今年のクラスも女子では一番低いんですけど、男子にちっちゃい子がいて。野球部の・・・」
 「アサちゃん・・・」
 ナリケンがニコッとして言った。それまで、まるで先生に叱られている生徒のようやったのに。

 「お母さんに怒られるかも知れんのですけど・・・。
 ナリケンのこと、私のブログに勝手に書かせてもらったんです。
 4月1日『ナリケン』、7月12日『洛北中野球部、悲運のボールデッド』、10月2日『中学校体育祭』と3回も。プリントアウトしたのを持ってきたので、また読んでください。」
 「その体育祭の写真は見ました。主人がパソコンで、『ナリケン』で検索していたら当たったみたいで。」(わが子の写真にことごとく失敗したのに、なぜかナリケンのガッツポーズのゴールはうまく撮れていた。)
 「そうなんですかー。(ふむふむ)」
 私のブログに、「ナリケン」でアクセスしていたのは、お父さんやったのか。納得。

 「引っ越さはっても、ぜひ京都に遊びに来てくださいね。」
 「ありがとうございます。娘さん、お大事にしてあげてくださいね。」
 「すんません、心配していただいて。体はピンピンしてるんですれど、クラブが続けられんようになったショックが大きかったみたいで・・・。心のほうが・・・。」
 「分かります。はげましてあげてください。」

 「ほなな、ナリケン、またどこかで。名刺渡しとくし、メールしてな。」
 「ありがとうございました。」

 阪神ユニフォームがらのカバンと、なぜか「のとじま水族館」みやげのグネグネ鉛筆(これも、ずっとあげようと思って渡せていなかった)、北京オリンピックみやげの黄色のシャーペン(ナリケンは今年の体育祭で黄組だった)、そしてなぜかチェルシーのアメ一袋(おばはんくっさ)を渡して別れを告げてきた。

 家に帰ると、早速ナリケンから携帯にメール。私が会いに行ったことをよろこんでくれたようだ。うれしいなあ。すぐに返事。

 「藤井パオパオです。今日は突然おじゃまして、すみません。お母さんもびっくりされていたでしょう。
 ひとつだけ残念なのは、ナリケンの野球の試合が見れなかったこと。今度の中学校では部活どうすんの? 野球やってほしいなあ・・・。
 それから、今日のことをブログに書こうと思っています。イケメン・ナリケンの似顔絵つきでね。」

 ブログを途中まで書き、寝ようとした時、真樹が話しかけてきた。
 「パオパオのブログ、見ていい?」
 わりとしっかり読んでいた。やっぱり、ちょっとは気にしてたんやな。パオパオについてきたらよかったのに。

 「パオパオ、『ツァイチェン』って、なに?」
 「ああ、それな。中国ではな、お別れの時『さよなら』って言わへんねん。『また、会いましょう』って言ってお別れすんねん。それが、『ツァイチェン』や。いいやろ。」

 真樹も心の中で言ってほしいな。
 「再見、ナリケン!」

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2008年12月25日(木)

赤羽周平さん [私の好きな人]

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 今回は、「私の好きな人」というより、うちのヨメさんの好きな人です。

 みなさんよくご存じの赤羽有紀子選手(北京オリンピック女子10000m、5000m日本代表)のダンナさんです。娘さんのゆうなちゃんとともによくテレビにも出ておられますが、写真はご本人の了解を得ていないので載せないでおきます。
 周平さんが、「赤羽有紀子選手のママさんランナー奮闘記」というブログを書いておられます。また、「赤羽有紀子のオリンピック挑戦レポ」では、今年の4月25日から9月3日までのオリンピック関連のレポートが、ご家族の写真入りで分かりやすくまとめてあります。ぜひ、そちらをご覧ください。

 うちのヨメさんが言うには、「ここまで自分の持っている力を、すべて奥さんのために使える人は見たことがない」。
 有紀子さんと周平さんは大学時代の同級生。当時、有紀子さんは大学女子長距離のトップランナー。周平さんは、陸上部のマネージャー。
 そして、今、有紀子さんは女子長距離(トラック)のトップランナーとして北京オリンピックに出場。周平さんはその専属コーチとして、すべてのスケジュールを組み立てておられる。
 それだけならそんなに珍しくもないが、そのお二人のかたわらにいつも愛娘のゆうなちゃんの姿が・・・。

 うちのヨメさんは、生まれてすぐの子を連れて出張販売に行っていた自分の姿を思い出すらしいです。「これは、なかなかでけんぞー」

 6月27日の「日本陸上競技選手権・女子10000m」は、テレビの前で私とヨメさん二人、声をからして応援した。
 オリンピック日本代表を決めるレースにふさわしく、赤羽・渋井・福士のデッドヒート。結果はわずかの差で、渋井・赤羽・福士の順でゴールした。
 今年の日本陸上界では、北京オリンピックの男子100×4リレー銅メダルが話題になっているが、私が選ぶなら今年のベストレースは絶対にこれ。
 興奮冷めやらぬまま、初めてひとのブログにコメントを入れさせてもらった。もちろん「赤羽有紀子選手のママさんランナー奮闘記」に。

 今、赤羽さんは、来年1月の「大阪国際女子マラソン」に向けて、徳之島で合宿をされている。異色のママさんランナーの初マラソンということで、世間からかなりの注目を浴びている。
 しかし、ブログを見せてもらうと、いつもと変わりなく、変な気負もなく、淡々と練習をこなされているようである。
 もちろん、大事な大事なゆうなちゃんとともに。

 どうか、「大阪国際女子マラソン」、3人の力を合わせてしっかり走ってください。テレビでしか応援できませんが、持てるすべての力が出せるようお祈りします。

☆赤羽周平さんの12月22日のブログはすばらしいです。アンチ・ドーピングについてのご自分の考えが、たいへん分かりやすく書かれています。みなさん、ぜひ、ご一読を。

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2008年11月21日(金)

三宅誠孝さんは元気です! [私の好きな人]

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4月13日、京都ランナーズ総会で

 ドキドキ、ドキドキ。

 今日、三宅誠孝さんのお見舞いに言った。
 ヨメさんが、高石ともやさんから聞いた話。
 「三宅誠孝さんは、腎臓の具合が悪くなり、京大病院に入院している。」

 ドキドキ、ドキドキ。

 どんな理由であれ、今度入院した時は危ないのでは・・・。去年8月までの命と宣告され、それをもう1年3ヶ月もオーバーランしてるんやから。いつお迎えが来てもフシギではない。

 ドキドキ、ドキドキ。

 カナートでシュークリームを買い、京大病院へ。
 受付で、「三宅誠孝さん」の病室をたずねる。
 「三宅誠孝さんという方は、おられません。」
 「1週間前におられたのなら、もう退院されたのかもしれませんね。」
 いっしょについてきてくださった守衛さんが、そうおっしゃった。
 まさかまさか、まさか最悪の事態っていうことはないですよね。

 ドキドキ、ドキドキ。

 私の姉夫婦が何か知っているかもしれない。
 上賀茂の姉夫婦の家へ。
 「三宅誠孝さんの家、知らん?」
 「家は知らんけど、電話番号やったら分かる。電話してみー。」

 ドキドキ、ドキドキ。

 「プルルー、プルルー。はい、三宅です。」
 「あっ、すいません。京都ランナーズの藤井です。みやけ・せい・こう、さんですよね。」(よかったー、本人や。)
 「ともやさんから、三宅さんが入院してはるって聞いて、さっき京大病院行ってきたんです。そしたら、おられませんって言われて・・・。」
 「いやあ、それはありがとうございます。私が入院していたのは第二日赤で、それもこないだ退院したんです。」
 「えー、そうやったんですか。」
 「それもあっち(ガン)の方じゃなくて、腎臓を悪くしまして、39度の熱が出て2週間入院してたんです。」
 「でも、今はお元気そうで、ホッとしました。」
 「そうなんです。やっと落ち着きました。早くしっかり直して、ともやさんのマネージャーの仕事せんならんと思ってるんですけどねえ。」
 「そんな、無理したらあきませんて。」
 (「仕事」という言葉を聞いて、絶句。「まだまだくたばってたまるか」という強い意志を感じました。)

 「三宅さん、私のブログに三宅さんのことも書いていて、それを今日渡して見てもらおうと思ってたんですよ。それ、また郵送しますわ。
 それといっしょにお手紙も書いてたんですよ。『12月30日に、うちのいなかで餅つきをするので、来てください』って書いてたんですけど。」
 「それはそれは、ありがとうございます。実は、うちも12月30日に餅つきするんですよ。私はもういいかなと思ってるんですけど、孫がよろこぶからねえ。日が重なってしまいましたね。」
 「それは残念。これからどんどん寒くなりますし、くれぐれも無理はされないように。また、調子よくなったら、京都ランナーズにも顔出してくださいね。
 今日は、三宅さんのお元気そうな声を聞かせてもらって、ほんまによかったです。もう、心配で、心配で・・・。」
 「気を使ってもらって、すいませんねえ。ほんとうに、ありがとうございます。」
 「ブログ、プリントアウトしたやつ郵送します。また、読んでください。早く元気になってくださいね。」

 三宅誠孝さんとしゃべっているうちに、ずーっと続いていた「ドキドキ」がやっとおさまった。私が想像していたよりずっとお元気そうだった。よかった。

 三宅誠孝さんのお見舞いに持っていく予定だったシュークリームは、姉夫婦の家に。いつも来ている孫二人(小学生の男の子)が、パクパクと食べてくれるだろう。

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 三宅誠孝さんは、長年、京都市会議員(左京区選出)として活躍された方。議員さんだったのですが、とても気さくで、あれもこれも何でもがんばる普通の人という印象。手話もできはるんですよ。現在、72歳かな? 今、議員さんであっても全然おかしくない歳です。

 私は人を尊敬したことなどないのですが、どうしてもと言われれば、一番に三宅誠孝さんを思い浮かべます。
 だから、まだまだ死んでもらったら困ります。

 「三宅誠孝さん。どうか、生きて、生きて、生き抜いてください。」
 

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2008年11月20日(木)

高石ともやさんと家族 [私の好きな人]

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 今日の京都新聞朝刊を見てビックリ。

 1面左の部分、〜命ときめく日に 第1部 病から始まった 第3部 高石ともやさんと家族 「妻を、母を、自分が支える」〜

 自宅でギターを抱えた高石ともやさんの写真。横には大きく「みんなが少し生き方変えた」の大きな文字。

 月刊誌「ランナーズ」を読んでおられた方なら、今年の春まで連載されていた「てるえさんへの手紙」をおぼえておられるでしょう。(くわしくは、私の3/18のブログを見てください。)

 末期の大腸がんと診断された奥様を、家族みんなで支えていく決意を手紙にされていた。しかし、それは決意というよりは、自然な家族の姿、自然な高石ともやさんの姿勢が感じられた。

 今回の京都新聞の連載は、それをもう少しくわしく書かれているようだ。

 1面に続き3面へ。
 両手を広げ、笑顔満面の奥様の写真。1993年、アメリカ横断マラソンの時のものだ。

 そして、その横に「完治むずかしいけれど、負けず、引き分けくらいで」の文字。
 びっくらこいたー。

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今年6月8日、みかた残酷マラソンで

 私のブログをしっかり呼んでいただいている方なら、お分かりでしょう。6月10日の記事を見てください。
            ☆
 みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
 「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
 「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
 「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
            ☆
 この話をした時、高石ともやさんは、「引き分け」という言葉にすごく感心しておられた。それをずっとおぼえてくれてはったんや。

 私は得意と言えるようななことほとんどないのだが、言葉に関することはちょっと自信がある。いろいろ考えていると、突然頭にひらめくことがある。「ガンと引き分け」という言葉も、みかたのきつい坂を上ったり下ったりしている時にひらめいた。

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ともやさん、私、三宅さん

 あの時は、マネージャー役を務められていた三宅誠孝さんもいっしょ。
 先日、うちの店にお買い物にこられた高石さんのお話によると、三宅さんは体調をくずし入院されているらしい。(三宅誠孝さんについては、4/13のブログを見てください。)
 三宅さんは、ガンで去年の8月までの命と宣告された。しかし、それから1年3ヶ月、まだまだねばっておられる。
 そう簡単に死んでもらったら、私も困る。もっともっといろんなことを教えてもらいたい。

 とりあえず、明日、病院にお見舞いに行こう。いやがられても、このブログをプリントアウトしたものだけでも渡してこよう。

 「三宅誠孝さん、ガンと引き分けましょう」
 「高石てるえさんも、ガンと引き分けましょう」

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2008年11月01日(土)

いりえゆかさん [私の好きな人]

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今日のきく

 1週間前、数10秒話しただけの人を、「私の好きな人」として紹介するのは変かもしれない。
 でも、私はちょっとしたことですぐ人を好きになってしまう人間なんです。

 諏訪湖マラソンで、「ブログ見てます」と声をかけてくださった女性。それが、いりえゆかさんです。(ご本人のブログでお名前を公開されているので、ここに書いてもいいですよね。)

 昨日、私のブログのリンク元を調べてみると、「ラスティックなひとりごと」というブログからいくつも飛んで来ていた。(最終的に、22アクセスがあった。)
 なんと、10月30日に、「諏訪湖マラソン・・・京都キャロットさん」という題で、うちの出店と私のブログを紹介してくださっていた。(くわしくは、ブログ「ラスティックなひとりごと」を見てください。)

 いりえゆかさんのブログを見て驚いた。私の「パオパオだより」と似ている。
 「どこが?」と聞かれたらうまく説明できないが、文体? タッチ? 思い入れ?
 まだ今年の10月分と去年の9、10月分しか読んでいないが・・・、分かった!
 「はー」とか「ほー」とか思ったことをそのまま文章にされている。小さなことに感心し、小さなことに喜びを見出しておられる。そこが私といっしょなんや。
 それに加えて、私より品があり、文章もきれい。私は、「ラスティックなひとりごと」にはまってしまいました。

 昨年9月5日の「給水の心配」。マラソン大会に初めて出られるご夫婦の初々しさが感じられるいい記事です。
 昨年9月17日の「白アサガオの君」、文句なしの名作です。その後の記事を読み、また読み返し、泣きました。
 昨年10月末から11月初めにかけての「諏訪湖マラソンシリーズ」。よかった。楽しませてもらいました。私のブログかしらんと思ったくらいです。
 11月7日の最後の嘆き。気にしないでおきましょう。あなたのブログはすばらしい。私が保証します。
 11月18日「ご報告」、20日「追憶」。あー、何にも知らんかった。
 私は、長く飼っていたエリちゃんが死んでしまった時、「長生きしてくれて、ありがとう」と言いました。ゆかさんは、どんな言葉をかけられたんでしょう。
 今でも、長い距離を走っていると、必ずエリちゃんが脳裏に浮かんできます。うれしいけど、やっぱり泣けてくる。ろぐちゃんはどうですか。そんなことありませんか。

 これから、ぼちぼち「ラスティックなひとりごと」の過去の記事を読み進めていきます。新しい記事にも期待します。
  「パオパオだより」も、負けへんでー。

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今日のあんも

 「ラスティック」は田舎風という意味でいいんでしょうか。「スプラスティック」(ドタバタ)は聞いたことがあったけど、「ラスティック」は初耳で・・・。

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