2012年11月18日(日)
驚異の新記録(旅行3日目) [沖縄]
11月18日(日)、「中部トリムマラソン」→「沖縄こどもの国」→「まきし食堂」。

第23回中部トリムマラソンは申告タイムレース。
私は申し込み時に5kmを20分00秒で申告してエントリー。先々週19分52秒、先週19分58秒なのでいけるかも。ところが、「9時30分現在の気温は23.5度」のアナウンス。日差しがきつく、「これはがんばっても20分30秒くらいが限界かなあ・・・。」
でも、気を緩めず走りきったらギリギリ20分は切れるかもと思いスタートした。走り出すと、意外と暑くない。中だるみもなく終盤へ。
残り1kmのあたりで、真樹と比嘉さんからの応援。これはうれしかった。サブトラックの周りを回って残り500mあたりで、もう一度真樹と比嘉さんからの応援。
「ここまで走って応援に来てくれたんやね。よっしゃー、ターボ前回じゃー!」
自分がどれくらいのタイムで走っているのかサッパリ分からず。しかし、一度もだれることなく5kmを走りきった。
ゴールには真樹と比嘉さんがニコニコして待ってくれていた。
「藤井さん、18分台ですよ」と比嘉さん。
まさかと思ったが、完走証をもらうと「18分43秒」。脅威の新記録。これは、私の35歳くらいまでの記録に相当。ひょっとしたら、私の20代の自己ベスト18分03秒も更新できるかも・・・。
「60歳で5000m18分台を出して引退」と決めていたのに、この調子だと引退時期が早まるかも・・・。

※真樹は、自分の重い一眼レフで写真まで撮ってくれました。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月17日(土)
ごんちゃんがくれた幸運(旅行2日目) [沖縄]
11月17日(土)は、「ごんちゃんとの再会」→「真樹の受験(小論文)、私は名護ラン」→「真樹の受験(面接)、私は読書」→「農芸茶屋 四季の彩で夕食」→「真樹と夜ゆんたく」。
前日ペルパライソに着いたのは5時半ころ。残念ながら、ごんちゃんたちはもう帰ってしまって会えなかった。
でもごんちゃんは朝9時前に出勤ということだったので、朝からその時刻になるのを今か今かと待っていた。9時前、浜辺に出るとごんちゃんと「★の砂さん」が来ておられた。
8月に会ったときはなかなか来てくれなかったのに、今回は私たちを見つけたらしっぽを振って近づいてきてくれた。
ごんちゃんにはワンちゃんのおやつを、「★の砂さん」の娘さんには絵本をプレゼント。すごく喜んでもらってよかった。
試験場に向かう真樹の言葉。
「スカートにごんちゃんの毛がついてる〜。」
これは、「すごいラッキーでうれしい」という意味です。
ごんちゃんのおかげで、リラックスした気持ちで試験場に向かえました。
ありがとね、ごんちゃん!
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年11月16日(金)
ますみさんをたずねて(旅行1日目) [沖縄]
11月16日(金)、那覇空港からレンタカー屋さんへ。そのあと、「うるま食堂で昼食」→「比嘉増美さん訪問」→「北山高校駅伝部激励」→「リゾートホテル・ペルパライソ」。
名護で唯一の知り合いと言えるのは、「京都キャロット」通販のお客様である比嘉増美さん。何年か前、「たたらぎダム湖マラソン」会場で一度だけお会いしたことがある。
いつもご注文はお電話でしてくださるので、「ひょっとしたら娘が名護の大学に行くかもしれません。そのときはお世話になります」とお願いしていた。今まで何回も名護には来ていたのだがたいてい土日。今回は平日に来れたので、比嘉さんの職場である「部間タイヤ」におじゃまさせてまらった。
「真樹ちゃん、かわいいわねえ。中学生みたい。」
「名護に来たら、何でも聞いてね。私は、真樹ちゃんのお母さんとおんなじ名前だよ。」
「21世紀の森でみんなと走ったらいいよ。」
真樹は恥ずかしがりなので、初めて会う比嘉さんとしゃべるのを嫌がるかと心配だったが意外とよくしゃべった。知らない土地で暮らしていくには、頼れる人がいればありがたいと思ったのだろう。
比嘉増美さん、真樹のことをよろしくお願いします。(大学に受かったらの話ですけど・・・。)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
今日から沖縄 [沖縄]
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2012年09月25日(火)
「琉球独立」 [沖縄]

■ 松島 泰勝(まつしま・やすかつ)
石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島で育つ。早稲田大学大学院博士過程終了。在グアム日本総領事館・在パラオ日本大使館専門委員などを経て現職(龍谷大学経済学部教授)。49歳。専門は島しょ経済論。NPO「ゆいまーる琉球の自治」代表。近著に「琉球独立への道」。
◎毎日新聞9月24日朝刊・「そこが聞きたい」より
「琉球独立」現実の選択に
沖縄県民の強い反対の中、米軍垂直離着陸輸送機オスプレイの普天間飛行場配備が進められている。石垣島出身で太平洋諸島や琉球の自治・自立・独立を研究する松島泰勝・龍谷大学経済学部教授は「日本への絶望が広がっている。琉球独立を現実的な選択肢として考えざるを得ない」と主張する。【聞き手・鈴木敬吾、写真・森園道子】
沖縄のオスプレイ反対
ーー沖縄本土復帰40年の節目の年に、オスプレイ配備問題が持ち上がりました。
◆私たちは10年に「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表しました。鳩山由紀夫元首相が公約した普天間飛行場の「最低でも県外移設」が簡単に破り捨てられたからです。日本の一部では永遠に基地はなくならない、独立しかないと考えました。
あの時、日本の自治体、国民の大多数は米軍基地受け入れを拒否しました。「抑止力」維持のために、琉球を犠牲にしてもよいのだという本音が出たのです。だから「私たちは差別されている」と声を上げました。それに重ねて「40年」とオスプレイです。単なる機種変更の話ではない。普天間の辺野古移設と併せ、今年を日米同盟強化の年にするのだという意思表示です。偶然ではありません。
ーー「琉球は日米の植民地」と主張しています。
◆1879年の「琉球処分」以降、本土決戦のための「捨て石」とされた1945年の沖縄戦、「本土」から切り離し米軍統治を認めた52年のサンフランシスコ講和条約発効、72年の「本土復帰」と、琉球の運命は琉球の人々の意思とは無関係に日米政府が決めてきました。
それは現在もずっと続いています。国土の0.6%しかない琉球に米軍墓地の74 % を押し付け、琉球人の人権を侵す日米地位協定を変えようとしない。経済も、外部から資金が投じられても琉球内で循環せず外部に流出する「ザル経済、砂漠経済」、つまり植民地経済です。
ーーしかし、沖縄を差別し、植民地支配していると考える本土の人は少ないでしょう。
◆琉球が450年続いた王国で、中国だけでなく、オランダ、フランス、アメリカと条約を結び、国際的に認められた国家だったことを知る日本人がどれだけいるでしょうか。国連人種差別撤廃委員会が10年、琉球人を独自の民族として認定し、米軍基地の押しつけを人種差別とし、琉球側と協議するよう日本政府に勧告したことを、どれだけの日本人が知っているでしょうか。
私たちは北海道のアイヌと同じように先住民族です。差別を差別として認識しないのは、日本がこの問題を国内・地域問題に矯小化しているからです。
ーーそれでも分離・独立を求める県民はどれだけいますか。
◆独立論は過去にも言われ冷めた見方もありましたが、鳩山元首相の公約違反で状況が全く変わりました。基地の撤去・返還を求める保守政治家も増えています。一人1人がどうすれば基地を無くせるかと考えれば、独立の必要性が現実的な選択肢・課題として認識されます。
また私たちの主張には、国連が60年に採択した植民地独立付与宣言など国際法に基づく明確な法的根拠があります。国連の脱植民地化特別委員会や人種差別撤廃委員会などで人民の自己決定権を主張しています。
--------------------------------------------------------------------------------
安全宣言 なお不信
ーー自立は可能ですか。
◆太平洋には小国がたくさんあります。94年にアメリカから独立したバラオの人口は2万人、同じくツバル、ナウルは1万人です。国連に加盟する独立国です。沖縄県は140万人です。不可能ではありません。
研究者の世界でも、政治・経済学、国際法、民俗学、社会学など、幅広い分野で組織琉球独立総合研究学会が来年度からの発足を目指しています。イギリスからの独立を目指し14年に住民投票を実施する予定のスコットランドの動きなどが参考になります。
ーー政府はオスプレイの「安全宣言」を出しました。
◆原発事故での政府の「安全宣言」が安全をいみしないように、今回の宣言も琉球の安全を保障するものではありません。
森本敏防衛相は「飛行の安全性に最大限の配慮がなされる」と言いましたが、人為的ミスが起これば最大限の配慮も無に帰します。人為的ミスをカバーする技術が欠如しているのがオスプレイであり、それが弾薬も積んで琉球中を飛行するのです。
「復帰」後、絶えることのない米軍関係の犯罪は、まさに「人為的ミス」でした。米軍人に対する不信が「安全宣言」を無化しており、オスプレイに強く反対する要因になっています。
配備が強行されれば、日本との関係は破断界を越えるでしょう。オスプレイ配備は、琉球とは何か、琉球人との関係をどうするのかという問いを、一人一人の日本人に突き付けています。「沖縄」ではなく、「日本」の問題なのです。
▽琉球王国
琉球は1429年、王国として統一され、明に朝貢して王に任命される冊封体制に入った。1609年、薩摩藩の侵略を受け支配下に入るが、王国は存続し朝貢も続く。明治政府は1879年、軍隊を派遣して沖縄県を設置。王国は滅亡した。琉球処分と呼ばれる。
--------------------------------------------------------------------------------

滋賀県栗東市の「さきら」にて ( 2008年11月3日)
松島泰勝氏著「琉球独立への道 −植民地主義に抗う琉球ナショナリズムー」法律文化社は、2490円。ちょっと高いけど、これは読まなくては。
前にも書いたと思うけど、今から大学に入って勉強できるなら「松島ゼミ」で学びたい。
-------------------------------------------------------------------------------
【追加】
午後3時40分、私のケイタイに着信。
「パオパオさんにお詫びが・・・。」
「なにをしでかしてくれはったんですか。」
「パオパオさんの今日のブログの記事を、パクリました。」
「えっ! はやっ! さっきアップしたばっかりですよ。」
「そうなんですか。家に帰ってきてパオパオさんのブログ見せてもらったら、沖縄のこと書いてあったのでそのままパクらせてもらいました。」
「あれ、苦労したんですよ。新聞記事がそのままサイトに載ってることもあるんですけど、あの記事はそれがなくてね、全部私の手打ちです。へんな変換とかしてるかもしれんし、ちゃんと見てくださいね。」
「いや、まだしっかりとは見てないんですよ。」
それにしても、このパクリスピードの速さったら・・・・。
私の記事のバクられ先は、「ハッチャンのアスナロ日記」(私のリンク集にあり)でした。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 3 )
2012年09月01日(土)
沖縄三人旅の思い出ー撮影会?、フルーツらんど、猫カフェー [沖縄]
沖縄旅行最終日(8月13日)は、朝早くから「さあ、撮影会やで」とヨメさんにうながされビーチへ。まあ、ヨメさんも人がいるとそれなりに恥ずかしいらしい。
後姿ならぎりぎりOKでしょうか。
「ごんちゃん、いろいろとありがとね。また来るからね。」
--------------------------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------------------------
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
沖縄三人旅の思い出ーホテル・ベルパライソ、ちゅら海水族館、くろちゃん食堂ー [沖縄]
沖縄旅行3日目(8月12日)は、ホテルでゆっくりさせてもらった。
テレビをつけると、夏の高校野球で「龍谷大平安高」が出ていた。うちとは何のつながりもないのだが、ベンチ入りメンバーに真樹の中2のときのクラスメイト・重光君が入っていた。たぶん、中学時代はその学年で一番背の高かった子だ。
うちの興味は、「龍谷大平安高」の勝利より、重光選手がなんらかの形でテレビに映ることがないかということだった。ベンチが映れば目を凝らして探し、1塁や3塁のベースコーチに出ていないか目を凝らし・・・。
「出たー、重光やー」
ピンチになったとき、伝令として出てきたのが長身の重光選手だった。真樹は大喜び。重光君は、クラスで一番背の低かった真樹のこと覚えていてくれてるかなあ。
重光君のおかげか、「龍谷大平安」はピンチをしのぎそのあとサヨナラ勝ち。
私たちは最後の最後までホテルの部屋で粘っていたので、部屋を明け渡したのは11時過ぎ。まあ、同じ部屋に3連泊なんで問題ないでしょう。
--------------------------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------------------------
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年08月31日(金)
沖縄三人旅の思い出ー今帰仁城址の猫ー [沖縄]
沖縄旅行2日目(8月11日)と言えば、オープンキャンパス、ごん太君、今帰仁城址・・・。でも、前の二つはもう書いたので、今帰仁城址のネコちゃんについて。
オープンキャンパスが終わったのが午後3時。そのあと「しまむら」でお買い物。まだ時間があったので、かわいいネコちゃんがいっぱいいる今帰仁城址に行くことにした。私と真樹は2年前にも訪れ、すごくいい印象が残っている。ヨメさんにも案内したくなった。
下の事務所で入場券を買い、お城の門の前へ。
ここでチケットを渡し入場する。
いましたいました、ネコちゃんがいっぱい。
いっぱいいっぱい写真を撮らせてもらい、ちょっとだけ触らせてもらっていよいよ入場。
2年前にも撮った「イヌマキ」の木の下で記念撮影。
海をバックに記念撮影。
真樹はいつもきれいに撮ってくれる。
門を出て、もう一度ネコちゃんたちと遊ぶ。
下のお店で食べた、「ぜんざい」は黒糖味ですごくおいしかった。
「今帰仁城址」は観光地とは言えそんなに混雑しておらず、ゆったりと見てまわることができる。私のお勧めです。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
沖縄三人旅の思い出ー紅芋とホテルー [沖縄]
沖縄旅行1日目(8月10日)と言えば、「紅芋」。
うちのいなかに住んでおられる春美さんのおかあさん、初子オバァがたくさんくださった。
「自分たちで食べられなかったら、ホテルに泊まってる人たちに食べてもらえばいいサー。」
私たちが「ベルパライソ」に泊まると言うと、オバァの動きが一瞬止まった。
「そのホテルの洋食の厨房に、孫が働いているサー。」
なんという奇遇。初子オバァの孫ということは、真樹が小学生のとき複式学級で一緒だった九ちゃんのいとこということだ。
沖縄の中ではマイナーな地域と言える今帰仁村だが、私たちにとってはこの先もいろいろとお世話になりそうなところである。
那覇空港についたのは午後4時。でも、レンタカーを借りるのにずいぶん時間がかかってしまった。
この日は、ホテルに行く前によっていきたいところがあった。
今帰仁小学校のすぐ近く、初子オバァの家に着いたのはちょうど7時。明るいうちにおじゃまする予定だったのに、もう薄暗くなっていた。
このあたりは高台になっていて、さわやかな風が吹き涼しかった。
アバァの家の周りはサトウキビ畑。今は、人を雇って栽培を続けておられるそうだ。
「うちのものはだれもやらないからサー。」
初子オバァは、隣の家に住む孫の一番下を紹介すると呼びに行ってくださった。しかし。、真樹の1歳上のその男の子は恥ずかしがって出てきてくれなかった。「真樹がこっちに来ることになったら、いろいろと頼みます」と言おうと思っていたのに・・・。
入り口前のきれいな花を入れて記念撮影。
あとは、海岸沿いのホテル・ベルパライソに直行。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】