2009年12月10日(木)
「しょうがい」って? [雑感]
「『しょうがい』って聞いたらなあ、ワクワクドキドキすんねん。」と私。
「はあー?」とヨメさん。
「『しょうがい』ってゆったら、運動会の障害走やん。まともに走ったら勝てへん相手でも、網をくぐって、はしごくぐって、ハードルくぐったら勝てるかもしれんちゅうやつ。ワクワクドキドキするやろう。」(私は極端に小さかったので、くぐる系は大得意。)
「わけ分からんわ!」
「そやし、『しょうがい』ってゆう言葉に悪い印象持ってる人ばっかりやないってことや。今、『しょうがい』の『がい』の表記でいろいろと言われてるやろ。『害』っていう字、使わんとことか。
たしかに、そういわれたらかなん人が多いんやったら変えていかなあかんとは思うけど、今バラバラやしな。新聞もテレビも、今は全部『障害』やもんな。
『しょうがい』って聞いて、障害走思い出してワクワクドキドキする人っておらへんのかなあ。」
「あー、もう、アンタは論外やちゅうねん!」
こんな会話も、障害者と呼ばれる方にとっては腹の立つものだろうか。よく分かりません。
こんな話題になったのは、高3の廉が学校から感想文集を持って帰ってきたから。その文集は、学校に聴覚障害者の方に講演に来てもらい、そのあとで書いた感想文を集めたものだった。
23人の感想文が載っていたが、その中に廉のものが入っていた。自分の子の文なので、ここで公開してもいいでしょう。
--------------------------------------------------------------------------------
「聴覚障害者は目印になるものをつけるべきか」
今日の講演を聴いて最初に感じたことは、森本さんはこんなにも上手に話されるということでした。僕が持っている聴覚障害者のイメージでは、音がよく聞こえなくて話すのが苦難な人というものだったからです。しかし、現在の教育・リハビリテーションをすれば、他の人と変わりない話し方ができるのだと分かりました。
また今日の質問に出てきた「聴覚障害者の方はその目印になるものをつけるべきか」という問題がありました。それについては、僕はつけるべきではないと思います。まず、そもそも「障害者」という言葉が好きではありません。目が見えにくい人、耳が聞こえにくい人、脳の成長が遅い人をまとめて「障害」というのは間違っていると思います。確かに信号を渡るのに手助けが要ったり、人に迷惑をかける回数が多くなるかもしれません。しかしその迷惑を「障害」というのであれば、僕たち人間すべて数が少ないにしても迷惑をかけているはずなので、「障害者」と区別すべきではないと思います。なので聴覚障害である印をつける必要はないと思います。印がないと困っている人を助けられないし、事故に繋がることもあるかもしれません。ですが僕たちひとりひとりの人間が、そのような人たちが世間にはいることを自覚すれば、助けを求めている人に気がついたり、車で移動したりするときも気をつけたりすると思います。
まだまだ自分たちにはその自覚が足りないけれど、今日の講演をきっかけに小さなことから知っていくべきだと思いました。
--------------------------------------------------------------------------------
私的には突っ込みたいところがいっぱいあった。
しかし、ヨメさんに言わせると「うちのレンピョちゃんは、さすが。一番深いこと書いとる。」やて。
おまえのとうさんは、かたっぽの腕の先がない人としゃべってても全然気がつかんようなやつやぞー。目が見えへん人に、一生懸命商品の色の説明するようなやつやぞー。こんな人のために、「障害者」の目印はあったほうがいいのかも・・・。
全員の感想文を読ませてもらった。
書くほうもいい子ちゃんばかり。選ぶほうもいい先生ばかりでしょう。「障害者」にかかわる感想文は、道から外れているようなんはあかんのかなあ。
一つだけ残念だったのは、「私達の学校は、どうして障害のある方といっしょに学べないんでしょう」という感想文がなかったこと。
社会がいろいろな人といっしょに歩んでいかなくてはならないのと同じように、学校もすべての人を受け入れてほしいと私は思います。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=683
コメント
メイママさん、「超多忙」って何ですか。気になるなあ。
「しょうがい」の表記については、正直言って、わしゃーようわからん。今まで、あんまり真剣に考えんかったなあ。
でも、知的障害者の作業所「ゆめさき舎」に行く時は、ほとんどドキドキ、ちょっとだけワクワクというのが本音です。
そやけどあの笑顔見たら、また行きたくなんにゃんなあ。
「パオパオさん、パオパオさん・・・」てゆうてくれんねん。私が来ることが分かったら、ウキウキしてくれる子もいるらしい。なんぼうれしいことか。
私の手をさわってくれるその手が暖かいだけでもうれしい。
すごいのは私ではなくちいちゃんです。
前にちいちゃんからもらった手紙に、次のようなことが書いてありました。
「社会がどんな状態になろうと、自分さえしっかりしていたら何とかなると思っていました。でも、そんな甘いものでないことに気づきました。」
えらい!
こういうことに気づかず、そのまま自分の殻に閉じこもってしまう人が多いのに・・・。
やっぱ、小6の時の担任がよかったんですかねえ。(それはない!)
廣司さん お久しぶりです。体調を崩していたのと超多忙でなかなかコメントできずにすいません。なぜか携帯からはコメントできず、パソコンを開く元気もなかったので・・・
さて、私もちいさんと同じように「障害」を「障がい」と表記することに抵抗を感じでいます。確かに表記に救われる人がいることも事実なのでそれはそれでいいのでしょうが、あまのじゃくの私は「障がい」の文字に偽善を感じ取ってしまうのです。
「『しょうがい』って聞いたらなあ、ワクワクドキドキすんねん。」といえるこうじさんはすごいなぁ〜と思います。
今色々書きかけましたが長くなったのでやめました。また今度ゆっくりと
ちいちゃん、ええぞー、「ほっといてくれ」ってか。
小6の時のイメージしかないから、そのバシッとした態度にびっくりし、またうれしさもある。
でも、ちいちゃんのこのまじめなコメントを読んで、ちょっとビビった。ひょっとして、ちいちゃんは私の不まじめなブログに腹を立てているのでは・・・。
今回のヨメさんとの会話でも、「障害者の問題と運動会の障害走をつなげて考える、アンタの頭はどうなってるん?」と言われた。こんな調子で、毎日毎日ヨメさんにあきれられ、むかつかれ、怒られています。
自分としては、思いつくことをそのまま書いてるだけなんやけどねえ。ちいちゃんの成長ぶりに比べ、元担任だった私の停滞ぶりったら・・・。もう、立場は完全に逆転してますね。
でも、わしゃー負けへんでー。これからも「とんでもない発想」に磨きをかけ、みんなをずっこけさすぞー。
障害の「障がい」「障碍」表記について、私は「ほっといてくれ」と思っています。
先天的な障害を持ち生まれ生きている身としては「がい」だろうが「碍」だろうがほんとにどうでもいいと感じています。軽重はあっても障害本人が「生きづらい」と感じてつらく思うならそれは表記はどうあれ「しょうがい」だと思います。
表記に救われる人がいるのも事実だと思うし意味がないとは思いませんが、表記如何に問題が薄まってしまうことを心配します。