パオパオだより

2019年01月18日(金)

元山さんハンスト応援ラン [ランニング]

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 ネットでルート検索したら、うるま市石川→うるま市役所→沖縄市役所→宜野湾市役所は23〜24km。辺野古の県民投票に参加しないとする本島の3市をアピールランできたら、ハンガーストライキ決行中の元山さんの応援になると思いチャレンジした。ところが何回も道をまちがえ、ゴールは29.64km。
 せめて走っているときだけでも、(水も含めて)無補給で行こうと決めていたので4時間超えはきつかった。

 「めっちゃハードなランニングになってしもたやん!」

 宜野湾市役所に到着した時、元山さんはテント内で休憩中。
 そら水と塩だけで、夜も寝袋で寝てはるんやから無理もない。「会えへんのは残念やけど、もう帰ろう」と思ったとき。テントから元山さんが出て来られた。

 迷惑とは思いいつ、「元山さん」と声をかけた。
 「はい」と返事されこちらを向かれたのだが、もちろん元気はなく、顔が赤かったのが気になった。断食は青白い顔というイメージだったので、すでに体のどこかがおかしくなってきているのかもしれない。(さすがにお写真は遠慮させていただきました。)

 「これを背負って走ってきました。」(背中の「平和・憲法九条」ののぼりを指さして)
 「すごい」と元山さん。
 「がんばってくださいね」と私。

 ああ、ここで痛恨のミス。
 ここは「がんばりましょうね〜」と言おうと、ずっと心に決めてきたところなのに。最後の最後のワンチャンスに、自分でオチ付けてどうすんねーん。

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 宜野湾までの道中で、うれしいハプニングもあった

 「えっ、あれはひょっとして・・・」
 「藤井さん、お久しぶり。」
 「あっ、やっぱり。」

 京都キャロット通販のお客様であり、「おきなわマラソン」で何度もご一緒させていただいている宮里哲哉さん。今日は「おきなわマラソン」の試走として、お仲間と走られていたとのこと。連絡もしていないのに、こんなところ(うるま市具志川)でお会いできるとは。ご縁があるんですねえ。

 長時間のアピールランは、しんどいけれど必ずいいこともある。だから、つらくても続けられるんです。
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 朝起きると、またはんとぺんは真樹のベッドの下に隠れてしまった。

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 でもすぐに出てきた。
 前はベッドの下か押し入れの服の後ろに隠れたままだったので、だいぶ慣れてきたのかもしれない。

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 今朝はめずらしくトースト。 
 真樹がドリップ式のコーヒーをいれてくれた。すごくおいしかった。

 すぐ近くの名護バスターミナルから、うるま市方面に行く77番というバスがある。それに乗ってうるま市の入り口にあたる「石川の駅・めんそーれ」前(赤崎)で降りて、うるま市役所、沖縄市役所、宜野湾市役所を巡る。

 昨日沖縄にしてはちょっと寒かったので、長そでシャツの上に「ランナーズ9の会」のTシャツト長トレパンで。シューズはゲルカヤノ。アピールランは遅ければ遅いほどいいので、これでバッチリ。
 痛み止めの薬を飲むかどうかで迷った。昨日もだいじょうぶだったので、なしで行くことにした。

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 9時30分名護バスターミナル発のバスに乗車。

 バスは辺野古のキャンプ・シュワブ前を通過。

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 今日も反対運動お構いなしに、どんどん土砂が投入されている。

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 10時40分、赤崎着。
 Tシャツの前後に、「私の投票権を奪わないで」のチラシを安全ピンでとめる。まあ正確には「私の・・・」ではないけれど。代弁させてもらっているということで。
 背中にはいつもの「平和・憲法九条」ののぼり。改良に改良を重ねた結果、今はこののぼりを背負うことは何の負担にも感じない。

 10時55分、「石川の駅・めんそーれ」前をスタート。

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 あちこちでこの看板を見た。
 沖縄県民として県民投票に参加したいのに、「うるま、沖縄、宜野湾、宮古島、石垣」の5つの市はそれを認めない。この5つの市でも、県民投票に賛成が圧倒しているのに。

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 昨日は寒かったのに、今日はいい天気。
 ちょっと走ると汗が出てきた。
 今日は、せめてゴールまではなにも補給なしで行こうと決めてきた。
 そしたら、もう喉がカラカラ。

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 後ろ姿も撮っておきましょう。
 なかなか目立って、いい感じ。

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 横から、「ウォン、ウォン」と控えめに吠えるワンちゃんあり。
 「かわいいし、写真撮らせてねー。」
 かわいいワンちゃんに会えると、めっちゃ力がわいてくるんですよねえ。

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 しばらく進んだところで、紺色上下のランニング集団に遭遇。
 「あっ、これは・・・。」

 まさかまさかの宮里哲哉さん(私の知り合い中一番のおっとこまえ)。
 二人でセルフタイマーで写真を撮ったのだが、撮り終わったと思って握手する寸前の写真になった。これはこれでいい写真ですね。

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 ここはうるま市なので、たぶんキャンプ・コートニー。

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 すぐ近くに闘牛場があるみたい。

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 この交差点を左折するとうるま市役所。

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 迷わずうるま市役所に到着。
 ここまでちょうど9km、1時間09分。

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 市役所前に人はなし。
 中にも入りたかったが、こののぼりを背負っていたら「威力業務妨害」になるかも。
 市役所前で写真だけ撮って、次にめざすは沖縄市役所。

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 隣接しているホール前では、なにやらイベントをされていた。
 ちょっと立ち寄ったのだが、誰からも声をかけてもらえず。目立つかっこうしてるんですけどねえ。

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 「県民投票実現」の車が停まっていたので、私の進む道が合っているのか聞いてみた。すると私は全然ちがう方向に走っていた。
 ここは共産党の地区委員会。すごく親切にしていただいて、声をかけてみてよかった。

 うるま市役所にUターン。約1.5kmのロス。
 そこから南西にまっすぐ。

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 コザ十字路の大イラスト。
 これは見ごたえがある。

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 ここもまっすぐ。

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 なかむらみお県議の事務所前。
 本土復帰の年に生まれた社民党の県議。

 「沖縄市の県民投票実現まで、がんばりましょうね〜」

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 アーチスト系?
 ゆっくり見せてもらいたいけど、先に進まなければ。

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 「沖縄こどもの国」(動物園)のゲート。
 ここで、道がまちがっているのではないかと思い始めた。
 この先を歩いていている方に、「沖縄市役所へ行きたいんですが、この道で合っていますか」と聞いてみた。
 「もうだいぶ通り越していますよ。」

 あちゃー。さっきの大きい交差点を東に曲がらなくてはならなかった。
 Uターンして、また1.5kmほどロス。

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 着きましたー。
 広島カープの旗がいっぱい。ここがキャンプ地なんですね。

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 沖縄市役所到着、19.9km、2時間48分。
 うるま市役所から沖縄市役所はルート検索では7.7kmだったのに、11kmほど走ってしまっている。
 股関節炎がおとなしくしてくれているからいいものの、一つまちがえれば途中でくたばっていたかも。

 沖縄市役所はうるま市役所とちがい人がたくさん。ガードマンさんも3人立たれていた。

 沖縄市は人口が14万超、有権者数が11万人。こんな大きな市が「県民投票不参加」では話にならない。県民投票に賛成が76%、反対が18%と不参加表明の5市の中でも一番賛成の率が高いというのに・・・。

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 さっき直進してしまった交差点まで戻り、今度は直進。
 次にめざすは、元山仁士郎さんがハンガーストライキ決行中の宜野湾市役所。

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 ライカム前を通り・・・。
 ここからちょっときつめの下り。小西真奈美似の担当医師から、「下りは走らないように」と言われていたのを思い出した。たしかに、下りを走ると「おまた」がしくしくと痛む。この下りは超ゆっくりで。

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 キャンプ・フォスター前を通過。

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 宜野湾市突入。
 あと市役所までは5kmくらい。

 しかしまた迷走。普天間で左折しなくてはならなかったのに直進。
 だいぶ進んでからおかしいなあと思い、通行されている女性に聞いてみた。
 「このまま進むと伊佐に行ってしまいますよ。だいぶ戻って丘の上をめざしてください。」
 伊佐と言われてもどこのことかさっぱり。とりあえずは戻る。

 ちょうど小学校の下校時間。
 「9の会って、何ですか」と聞いてくる男子あり。
 「憲法九条を守って、戦争しない国にしましょうという会。分かる?」
 「はい。どこへ行かれるんですか。」
 「宜野湾市役所前で水と塩だけでがんばっておられる元山さんという青年がいて、その人に水を届けに行くんや。」
 「そうなんですか。がんばってください。」

 県民投票の話はややこしいのでしなかったが、その青年が「戦争しない国にするためにがんばっている」と理解してくれたようである。
 後ろから追いついてきたクラスメイトが、私に向かって「その水をください」と言ってきた。しかし私が説明する前に、さっきの質問男子がその子をたしなめてくれた。「それは大事な人に届ける水」と。
 ありがとう。しっかり話を聞いてくれて。
 

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 宜野湾市役所は本当に丘の上にあった。
 その姿がなかなか見えないものだから、最後はフラフラ。
 水分も取っていないので、ツバが渇いて固まって唇が白くなっていたと思う。
 こんな変な顔で元山さんには会えないと思い、残ったツバで唇をベロベロ。ちょっとはましな顔になったか知らん。 

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 宜野湾市役所到着。
 29.64km、4時間17分。

 沖縄市役所から宜野湾市役所までは、ルート検索では8km。しかし、実際は10kmほど走ってしまった。
 2時ごろ到着を予定していたのに、3回にわたる道まちがいで3時を大幅に過ぎてしまった。

 元山さんが見当たらなかったので、テントにおられた女性にカンパのお金をお渡しした。つぎに署名。県外からもたくさん応援来られていることが分かった。

 大事に持って来た水をお渡ししようと思うと、「もう使い切れないほどたまってしまったので、持ち帰っていただいています」とのこと。ガックリ。もちろん「おいしい水で乾杯」も実現せず。
 「名刺代わりに年賀状を持ってきました。一等の30万円が当たるかもしれませんので。」
 これは何とか受け取っていただいた。

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 「さあ帰るか」と思ったとき、一人の女性が話しかけて来られた。
 「あなた、さっき市役所に向けて歩いておられましたね。声をかけようと思ったんですけど、ちょうど車が停められないところだったんで通り過ぎたんです。でも必ずここで会えるだろうと思っていました。」
 沖縄指定無形文化財「びん型」保持者である西平幸子さん。ちゃんと見ていてくださったんですね。

 「それはそれはありがとうございます。私は京都のものなんですが、娘が名護に住んでいまして、名護から石川までバスに乗って、そこからうるま市役所、沖縄市役所に寄って、宜野湾市役所まで走ってきました。だいぶ道をまちがったので30kmくらいになりました。少しでも県民投票実現のアピールになればと思って。」
 「それはご苦労様でした。きっと力になりますよ。」 
 「それよりも元山さんの体調が心配ですね。」
 「自分が言いだして署名を集めて県民投票が実現したのに、参加しない市が出るとは思ってなかったんでしょう。それで、すごく責任を感じているんです。どんなことをしても、署名してくださった方々を裏切ってはならないと。」
 「そうですよね。県議会で決まった県民投票が、各市議会の判断で不参加が可能になるなんて、どう考えてもおかしいですよね。」

 ちょうど私たちの横に知念ウシさんがおられた。
 西平さんが「いっしょに写真撮ってもらったら」とおっしゃったのでお願いした。その言い出しっぺの西平さんんが写真に入ろうとしないので、私が無理やり腕を引っ張った。

 いい写真でしょ。
 知念ウシさんをご存知でない方には、この記事を紹介するのがいいかなあ。
     ◇     ◇     ◇

◎沖縄タイムス2010年4月16日、「基地の島」オキナワと私(9)

   平等のない平和あり得ない  知念ウシ 

 沖縄と日本の不平等について発言してきた。原風景は小学生のころ。復帰直後の学校で配布された社会科教科書に沖縄は掲載されていなかった。郷土の歴史で学んだのは、本土復帰直前に屋良朝苗主席が復帰建白書をたずさえ上京したが、それを待たずに国会決議されたという沖縄と日本の関係だ。

 「東京の大学に進学し、日本という常識では語れない沖縄の存在を実感した。むしろ世界の植民地の問題とつながり、集中する軍事基地の存在は、その状況を具体的にして象徴的に現している」

 2000年の息子の出産をきっかけに、あらためて基地を考えた。反基地グループ「カマドゥ小たちの集い」にかかわる。基地問題に関わる中で多くの本土の人から「沖縄の人はどうしてもっと闘わないのか」「もっと問題意識を持つべきだ」と言われることに違和感を持った。「このままでは、確実にわが子に基地を押し付けることになる。だがなぜ沖縄だけががんばらないといけないのか。そこに基地問題は沖縄の問題という本土側と沖縄側の意識がある。常に沖縄だけが問われ、本土の人は決して自分の問題としては引き受けない」

 「沖縄は先輩の時代からずっと闘ってきた。今でも連日、基地問題に関する集会やシンポジウムに大勢の県民が足を運ぶ。そういう人たちの多くが、ある意味で家庭生活も犠牲にして基地問題を考えてきた。なぜ沖縄だけが闘い続けなければならないのか」

 だから普天間飛行場の移設問題は「本土移転」がふさわしいと考える。「移設先に名指しされた本土は嫌だという。だがそれで終わってほしくない。沖縄だってずっと嫌だと言ってきた。本土の反米軍基地基地運動で基地は沖縄へ移され、結果本土の運動はほとんど無くなった。今や基地撤去を唱えても多くの国民は関心を示さない」

 「本土に移転すれば大騒ぎになるというがそれこそチャンスだ。みんなで議論すればいい。その時に初めて米軍の駐留がなぜ必要か、必要ならばどの程度なのかを考えるようになり、軍縮が始まりうる」

 普天間飛行場の本土移転は可能だと確信する。
「沖縄は基地はいらないと決めている。基地が必要ならば本土が自ら持つのが当然だ。それが平等だし、平等のない平和はあり得ない。疲弊した地方空港など本土側も米軍基地を受け入れたいのは、橋下大阪府知事だけではないはずだ。本土が、沖縄に押し込んで保ってきた基地を、必要なら自分で持て、と粘り強く言い続けることが重要だ。それが東アジアの平和の一歩にもつながる」(聞き手=政経部・黒島美奈子、)
     ◇     ◇     ◇

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 そして、今度こそ本当に帰ろうとしたときに元山さんがテントから出て来られた。
 とても話しかけられそうな雰囲気ではなかったが、4時間以上のアピールランをしてきたこともあって、ちょっとだけでも声をかけさせてもらいたかった。
 私の声かけ、「平和・憲法九条」ののぼりも元山さんの記憶には残らなかっただろうと思われる。かなり意識がもうろうとされているように見えた。

 いっしょに「がんばりましょうね〜」。
 そう言葉にはできなかったが、心はずっといっしょですからね。

 (市役所に向かわれる後ろ姿だけ撮らせてもらおうと思ったが、たまたま人と重なってしまいちょっとだけ。)

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