2014年08月07日(木)
戦争を知らない子供たち [平和]
◎京都新聞7月27日朝刊・暖流
戦争を知らない子孫(こまご)たち
ACT―K主宰・精神科医 高木俊介
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。「戦争が終わって僕等は生まれた/戦争を知らずに僕等は育った」と始まる戦後フォークの代表的な曲だ。
発表は1971年、世界的に反戦運動が盛り上がり、日本は万国博が成功して高度成長の絶頂にあり、若者たちは「戦争を知らない」ことに胸を張っていた。
同じ71年、ベトナム戦争激化のきっかけであるトンキン湾事件が、アメリカの捏造(ねつぞう)であったことが発覚した。かつての日本の満州事変と同じやり方である。後年、イラク戦争でもアメリカが大量破壊兵器の存在を喧伝したことに似ている。昔も今も、戦争のはじまりには嘘(うそ)がつきものだ。
この歌の翌年、未だ毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)の激しい政治家、田中角栄によって日中国交回復が行われた。これによってその後の日本は発展できたのだが、今、両国はお互い子どもっぽい陣地取りに興じている。当時の「棚上げ」という大人の交渉は、「平和ぼけ」した今の政治家たちには望めないのだろう。
今、終戦後に生まれた「戦争を知らない子どもたち」の、その子どもである「戦争を知らない孫たち」がすでに成人し、ひ孫すらいても不思議はない時代になった。戦禍の時代であった二〇世紀の後半を、戦争を知らずに三世代が平和に暮らせた国は珍しいだろう。
しかし、「売家と唐様で書く三代目」と諺(ことわざ)にあるように、物事を三代続けるのは何事につけ難しい。今や、「戦争を知りすぎた」祖父たちを尊敬する孫もいる。私たち「戦争を知らない子孫(こまご)たち」が、再び胸を張れる日はくるだろうか。
この歌には作詞の北山修による続編がある。「私たちは被害者の子どもで/加害者の子どもなんだね/私たちも殺されたけど/私たちも殺したのですね」。作曲は「花嫁」で有名な京都の故・坂庭省悟。バブル経済に突入していく当時の日本で、この歌─戦争を知らない子供たち'83─はあまり知られなかった。
リフレインの最後は、こう終わる。「私の歴史は/始まったばかりです」
■たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。
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◎京都新聞8月1日朝刊・読者の声
「次は徴兵制」論は誤解
大津市・○○ ○○(公務員・36)
政府が閣議決定した集団的自衛権の行使容認に対して、さまざまな意見が報道されているが、「集団的自衛権の容認によって、私たちの子どもが徴兵制によって駆り出されるようになる」という意見には非常に疑問を感じる。
現代の有事においては、高度なオペレーションシステムに基づいた専門的で複雑な作戦が展開される。これには「技術上においても知識上においても、日ごろからたゆまない軍事訓練を受け続けた者しか作戦を担えない」という大前提がある。海上戦力だけを例にしても、軍事衛星やイージス艦を中心とした高度情報機能が作戦運営の中心になるため、作戦を訊速かつ円滑に展開できるように、末端の構成員に至るまで高度な情報処理訓練がなされている。
第2次世界大戦時のように、徴兵された一般人が即席の訓練によって戦力として機能しえた時代は、もはや過去の遺物である。
こうした軍事的実務の諸事情があるために、「集団的自衛権を認めたら日本に徴兵制が敷かれる」ことは、万に一つもあり得ない。軍事知識に疎い日本人ならではの誤解である。
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現在日本の70歳以下は、みな「戦争を知らない子供たち」と言っていい。いや、私も含めて「戦争を知らないじいさんばあさんたち」も増えてきた。ただし、この50代60代の戦争を知らない世代にはまだ多少とも危機感が残っている。
恐ろしいのは、今の20代30代。「戦争を知らない孫たち」の世代。日本がどんどん「戦争ができる国」に舵取りをしようとしているのに、無関心のように見える人が多い。私は、これがずっと理解できなかった。
8月1日の京都新聞に投書されていた滋賀の男性公務員さんの意見を聞いて、「うーん、こう思っている若者が多いんかなあ」と思った。
「戦争がおこったとしても、それは高度な専門的知識を持ち訓練された専門家だけが携わるものであり、一般人が参加することはない。」
これは私から見れば、テレビゲーム世代の妄想にしか思えない。コンピューター対コンピューターの戦いで済むのなら、だれも死なずにさぞよかろう。
いまだに殺傷能力の低い地雷が数多く使われている理由をご存じだろうか。以前何かの番組ではこう解説されていた。
「地雷の標的は子ども。遊びの延長で地雷に触れ、手や足が吹き飛んでしまう。そしてその不自由な体でそのあと一生暮らしていく。それを見せつけて、その国の戦う気力を喪失させる。」
戦争って、こういうことなんです。
「高度な」なんたらかんたらが・・・という世界じゃないんです。どろどろの世界なんです。
「日本に徴兵制が敷かれることは、万に一つもあり得ない」なんて言いきる根拠はないと思います。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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