2014年08月12日(火)
廉、23歳! [家族]
2日遅れの廉のお誕生日会。
もう23歳なので「ケーキなんかいらん!」と言わないか心配だったが、けっこう喜んでいた。
久しぶりの3人での晩ごはんなので、ちょっと奮発して廉の大好きな「手巻き寿司」。
ヨメさんは仕事でいそがしいので、私がスーパーへ買い物。いつも変なものや古いものを買ってきてヨメさんに怒られるのだが、今回はセーフ。値段が下がっているお刺身と、きゅうりと納豆、寿司酢と手巻き用のり。
私は今日のお昼までおかゆしか食べられなかったのに、手巻き寿司をバクバク。ヨメさんは、「どこが具合悪いねん!」とあきれていた。
そして、スーパ−の帰りに買ったお誕生日ケーキ。
ケーキの名前は「南の島のキューブデコ」。
「沖縄にいる真樹のことを思い浮かべながら食べよう。」
四角いケーキだったので、真樹がいたらちょうど4分割でよかったのに・・・。
独身の間は、親孝行のつもりでお誕生日会やってねー。
私の23歳の夏は、初めての小学校講師。8月はちょうどその切れ目で、二回目となる教員採用試験に悪戦苦闘していた。その悪戦苦闘の結果、翌年に正式採用。もう35年前のことですね。
眞寿美さんの23歳の夏は、どういうわけかもううちに来ていた。そして、8月20日に北海道ニセコで挙式。そこから、眞寿美さんの「ドツボ人生」が始まったと言える。
ヨメさんはストレスだらけで、「飲まずにはいられない」。
ケーキとビールは合わんように思いますけど・・・。
廉の23歳の夏はどうだったでしょう。
私は廉に特に望むことはなし。
「人のいいところをすぐに見つけられるような人になってくれれば・・・。」
きくもケーキの土台の残りをペロペロ。
前はきくを抱っこして記念写真を撮ったのだが、最近は暴れるので無理。
またいつかみんなで写真撮りたいねえ。
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2014年08月11日(月)
ダウン! [雑感]
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2014年08月10日(日)
廉のいない誕生日 [家族]
今日8月10日は廉の誕生日。23歳になった。
いつもならなにか誕生日の記念になるような写真を撮るのだが、今年はいない。彼女さんのところに行っているらしい。
最近、廉の写真が極端に少なくなった。陸上競技会やマラソン大会に出場していないから、撮る機会がほとんどない。(上の写真は、今年4月5日の「なにわ淀川マラソン・10km」)
23年前の8月10日は暑かった。ところが、今年は台風通過の雨で涼しくなった。今日なんか、久しぶりの親子合同練習にはピッタリの気候やったのに・・・。もうそんな日は来ないのかなあ。
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2014年08月09日(土)
第59回9の日平和ラン [ランニング]
台風11号接近のため、風雨強し。しかし今日は9日、アピールランをする日だ。4時すぎ、やっと小降りになったので走ることにした。
雨は小降りになったのだが、風が強く、そのため何の仕掛けもなし。「ランナーズ9の会」のTシャツだけ着て走ることにした。
自宅から頼光橋へ。そこから円通寺方面へ。
そして、めっちゃきつい下り坂。この坂は上るのはたいへんだが、下るのもけっこうしんどい。
地下鉄・北山駅前でちょうど3km、約17分。
台風のせいか人影まばら。
ここで右折し、北山通りを西へ。
北山大橋到着。
鴨川の水はだいぶ増えていた。
北山通りに寒暖計。
最近23℃なんてなかったですね。涼しくて走りやすい。
上堀川の北郵便局前で4.5km、約27分。
ここで右折し、家まではずっとゆるやかな上り。
御薗橋で5.3km。
このまま雨が降り続いたら、去年のようにたいへんなことになるかもしれない。
京都キャロット前で7.6km。
家まであと700mほど。
自宅近くの長代川は小さい川なので氾濫しやすい。
このあとも要注意。
自宅到着、8.3km、50分57秒。
京都キャロットに出勤しているはずのきくちゃんがもう戻っていてた。仕事が少なく、早く帰ってきたようだ。
9kmに足りなかったので、町内一周1kmジョグ。これで、今日は9.3km。
雨で歩いている人が少なく、アピールランとしては効果薄でした。
来月9月9日は、大阪での「9条アピールラン」。JR西九条駅前9時9分9秒スタート。「ランナーズ9の会」以外の方も大歓迎です。みんなで楽しく走りましょう。
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2014年08月08日(金)
ももちゃん [わんこ・にゃんこ]
ほとんど初対面みたいなもんなのに、ももちゃんはしっぽブンブンで迎えてくれた。
「16歳にしたら、めっちゃ若くて元気ですやん!」
今日8月8日は、私が走り始めたころからの走友・谷村さんの奥様の一周忌。ほんとうは、30数年前に私たちが出会った京都御所を走り、「ひろみさん追悼ラン」にしようと思っていた。しかし、残念ながらきつい雨。仕方なく、直接谷村邸に向かった。
谷村さんは、まさか私が訪ねてくるとは思っておられなかったようだ。すごく喜んでくださった。
ゆっくりでも走れるようになられたかとたずねると、やはり左半身のしびれがきつく無理とのこと。谷村さんは10年前と3年前に大病を患われ、「わしが先に逝くもんやとばっかり思ってたのに、こんなことになるとは・・・。」
短い時間だったが、いろいろなお話を聞かせてもらった。ただ個人情報に関わることばかりなので、ここには書けません。
ももちゃんのことなら書いてもいいかな。
ももちゃんは、脳溢血で2回死にかけたそうだ。首をかしげて動きが止まったときは要注意。脳溢血の症状である可能性大。すぐに動物病院で診てもらい、薬を飲ませると治ったらしい。きくもこれから気をつけよう。
ももちゃんは車が大好きで、かなり遠いところでもついてくるらしい。綾部の「じょんのび村」にもたびたび行かれている。車の中で何泊もする旅行も平気らしい。今まではご夫婦と一ぴきの旅だったが、これからは「主ともも」の旅になりますね。
それから、一人息子の新ちゃんが彼女を連れてきたとき・・・。おっと、これはNGだった。
一つだけ、ビックリしたこと。
「子どもの成長だけが楽しみで、とかようゆうてる人がいるけど、それはないなあ。自分の人生が充実してるから・・・。」
いつ死んでも悔いはない、というようなこともおっしゃっていた。これはすごい。
私は廉と真樹がこれからどうなっていくのかすごく楽しみにしている。いつ死んでも悔いはないが、できることならもうちょっと見ていたい。谷村さんのようにスパッとはしていない。
お線香だけ上げさせていただいた。
「22、3歳で結婚して42年やー・・・。」
けんかばっかりしていたけど、ほんとうは仲がよかったらしい。うらやましい。
ももちゃんは絶対長生きします。
いつまでもかしこくしてなくてもいいし、これからも谷村さんと仲良く暮らしていってね。
「谷村さん、また来ますわ。」
「ああ、来て。ももの写真撮りに。」
「はーい。」
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2014年08月07日(木)
戦争を知らない子供たち [平和]
◎京都新聞7月27日朝刊・暖流
戦争を知らない子孫(こまご)たち
ACT―K主宰・精神科医 高木俊介
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。「戦争が終わって僕等は生まれた/戦争を知らずに僕等は育った」と始まる戦後フォークの代表的な曲だ。
発表は1971年、世界的に反戦運動が盛り上がり、日本は万国博が成功して高度成長の絶頂にあり、若者たちは「戦争を知らない」ことに胸を張っていた。
同じ71年、ベトナム戦争激化のきっかけであるトンキン湾事件が、アメリカの捏造(ねつぞう)であったことが発覚した。かつての日本の満州事変と同じやり方である。後年、イラク戦争でもアメリカが大量破壊兵器の存在を喧伝したことに似ている。昔も今も、戦争のはじまりには嘘(うそ)がつきものだ。
この歌の翌年、未だ毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)の激しい政治家、田中角栄によって日中国交回復が行われた。これによってその後の日本は発展できたのだが、今、両国はお互い子どもっぽい陣地取りに興じている。当時の「棚上げ」という大人の交渉は、「平和ぼけ」した今の政治家たちには望めないのだろう。
今、終戦後に生まれた「戦争を知らない子どもたち」の、その子どもである「戦争を知らない孫たち」がすでに成人し、ひ孫すらいても不思議はない時代になった。戦禍の時代であった二〇世紀の後半を、戦争を知らずに三世代が平和に暮らせた国は珍しいだろう。
しかし、「売家と唐様で書く三代目」と諺(ことわざ)にあるように、物事を三代続けるのは何事につけ難しい。今や、「戦争を知りすぎた」祖父たちを尊敬する孫もいる。私たち「戦争を知らない子孫(こまご)たち」が、再び胸を張れる日はくるだろうか。
この歌には作詞の北山修による続編がある。「私たちは被害者の子どもで/加害者の子どもなんだね/私たちも殺されたけど/私たちも殺したのですね」。作曲は「花嫁」で有名な京都の故・坂庭省悟。バブル経済に突入していく当時の日本で、この歌─戦争を知らない子供たち'83─はあまり知られなかった。
リフレインの最後は、こう終わる。「私の歴史は/始まったばかりです」
■たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。
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◎京都新聞8月1日朝刊・読者の声
「次は徴兵制」論は誤解
大津市・○○ ○○(公務員・36)
政府が閣議決定した集団的自衛権の行使容認に対して、さまざまな意見が報道されているが、「集団的自衛権の容認によって、私たちの子どもが徴兵制によって駆り出されるようになる」という意見には非常に疑問を感じる。
現代の有事においては、高度なオペレーションシステムに基づいた専門的で複雑な作戦が展開される。これには「技術上においても知識上においても、日ごろからたゆまない軍事訓練を受け続けた者しか作戦を担えない」という大前提がある。海上戦力だけを例にしても、軍事衛星やイージス艦を中心とした高度情報機能が作戦運営の中心になるため、作戦を訊速かつ円滑に展開できるように、末端の構成員に至るまで高度な情報処理訓練がなされている。
第2次世界大戦時のように、徴兵された一般人が即席の訓練によって戦力として機能しえた時代は、もはや過去の遺物である。
こうした軍事的実務の諸事情があるために、「集団的自衛権を認めたら日本に徴兵制が敷かれる」ことは、万に一つもあり得ない。軍事知識に疎い日本人ならではの誤解である。
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現在日本の70歳以下は、みな「戦争を知らない子供たち」と言っていい。いや、私も含めて「戦争を知らないじいさんばあさんたち」も増えてきた。ただし、この50代60代の戦争を知らない世代にはまだ多少とも危機感が残っている。
恐ろしいのは、今の20代30代。「戦争を知らない孫たち」の世代。日本がどんどん「戦争ができる国」に舵取りをしようとしているのに、無関心のように見える人が多い。私は、これがずっと理解できなかった。
8月1日の京都新聞に投書されていた滋賀の男性公務員さんの意見を聞いて、「うーん、こう思っている若者が多いんかなあ」と思った。
「戦争がおこったとしても、それは高度な専門的知識を持ち訓練された専門家だけが携わるものであり、一般人が参加することはない。」
これは私から見れば、テレビゲーム世代の妄想にしか思えない。コンピューター対コンピューターの戦いで済むのなら、だれも死なずにさぞよかろう。
いまだに殺傷能力の低い地雷が数多く使われている理由をご存じだろうか。以前何かの番組ではこう解説されていた。
「地雷の標的は子ども。遊びの延長で地雷に触れ、手や足が吹き飛んでしまう。そしてその不自由な体でそのあと一生暮らしていく。それを見せつけて、その国の戦う気力を喪失させる。」
戦争って、こういうことなんです。
「高度な」なんたらかんたらが・・・という世界じゃないんです。どろどろの世界なんです。
「日本に徴兵制が敷かれることは、万に一つもあり得ない」なんて言いきる根拠はないと思います。
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