パオパオだより

2011年03月15日(火)

雲ヶ畑中学校卒業式 [学校]

◎京都新聞3月15日夕刊

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述べ卒業の言葉をる雲ケ畑中の卒業生 (15日午前10時50分、京都市北区・雲ケ畑小中学校)

 「京滋の中学校で卒業式」

 京都府内や滋賀県内の多くの中学校で15日、卒業式が行われた。今春から休校になる京都市北区の雲ケ畑中では、卒業生2人がともに学んできた小学生や保護者、地域の人に見守られ、学舎を巣立った。

 府内の公立中学校ではこの春、約2万200人が卒業する。式は11日から始まり、この日は京都市や向日市、長岡京市、福知山市、舞鶴市などの115校で行われた。県内では一部を除く93校で卒業式があった。

 少子化から休校する雲ケ畑中では、生徒は卒業する2人だけ。式には同じ校舎で過ごした雲ケ畑小の全校児童5人も出席した。

 坂本滋校長から卒業証書を受け取った高橋真美さんと波多野里菜さんは「(高校で)何十人のクラスで学ぶことに不安もあるが、雲ケ畑中で培ったことを心の支えに自分の足で生きていく」と力強く応えた。
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 ひゃー、新聞には惜しいところで真樹の姿が切れとったのに、京都新聞のホームページの写真ではすべり込みセーフで写ってるやん。右端ぎりぎりに。
 これは、明日、真樹にゆうたらんなん。喜びよんでー。

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 かわいいかわいい2人の後輩から「まきちゃん、まきちゃん」と慕ってもらって、真樹もまんざらでもなさそう。
 この雲ヶ畑中最後の卒業生となる2人といっしょに学んだ直近の先輩たちが、ほとんど来ていなかった。そのため、中3の1年間だけいっしょだった真樹が、まるで先輩代表かのような状態だったらしい。式が終わった後も、この3人でずっとおしゃべりをし続けていた。

 その姿を見ながらあらためて思った。いろいろとご迷惑をおかけしたが、中3の1年間は本当にいい学校にお世話になった。

 その中学校が、この3月で休校となる。また、併設されている小学校も1年後の来年3月末には休校になるそうだ。
 真樹は、小学校卒業とともに母校をなくし(別所小学校閉校)、昨年卒業した中学校もこれでなくなるということになる(雲ヶ畑中学校休校)。なんともやりきれない気持ち。
 すごく仲のよかった1年後輩の2人の卒業を見届けることが、自分なりの役目だと思って今日は出かけてきたのかもしれない。

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 学校に着いたのは、卒業式が始まる10時の7、8分前。
 もうみなさん講堂に入られていたようで、外はひっそりしていた。
 真樹は、「一人でよう入らんわー、どうしょー」と言っていたが、そこに地域の方がちょうど式に出席しようとしてやってこられた。真樹はそのご夫婦といっしょに講堂へ。私は初めから式には出席するつもりはなかったので、そのあたりを散歩でもしようかと思っていた。

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 雲ヶ畑中学校に併設されている雲ヶ畑小学校は、私の小学校教師としての最後の赴任地。私が32歳から35歳までの3年間お世話になった学校である。 

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 あれからちょうど20年。
 学校も地域の様子も、あのころとほとんど変ってはいない。

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 学校で変ったものといえば、校門横にある石碑くらいだろうか。「ハロー 畑の子」という歌の歌詞が書かれたものだった。

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 校門前の掲示板には学校だよりが。
 休校の後の学校がどう扱われていくのか、休校による地域への影響はどうなのかなど、不安は次々とわきあがってくるだろう。
 私や私の子どもたちの母校がなくなってしまった地域を見ても、その先は決して明るくはないことは確かだと思う。

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 校庭でボーとしていると、郵便配達員さんが。
 「あれっ、藤井さん、何でこちらに?」
 「いや、扇田さんこそ・・・。ここら、配達してはるんですか。」

 扇田さんは、「京都キャロット」の通販の荷物の出荷で利用しているゆうパックの集荷係さん。いつも夕方6時に来ていただいているのだが、午前中は雲ヶ畑や真弓などを配達で回っておられるそうだ。

 「実は、うちの娘、去年この中学校卒業しましてん。」
 「えっ! そうなんですか。」
 「中3の1年間だけなんですけど、ここにお世話になったんですわ。」
 「ということは、男の子と女の子が一人ずついた学年ですね。」
 「いやー、よう知ってはりますやん。そこに寄せてもうたんですわ。」
 
 お互いにひょんなところで顔を会わせたので、そこからけっこう長い立ち話になった。

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 11時をだいぶ過ぎて、式が終わり中の人たちがが出てこられた。
 その中になつかしい顔。私の最後の教え子・ちいちゃんのお父さん。
 「藤井先生、お久しぶりです。」
 「いや、こちらこそ。」
 「お父さん、もう退職されたんでしたっけ。」 
 「いえいえ、まだ1年あります。」
 「あっ、すんません。意外と若かったんや。」
 「はは」と、なつかしいかわいい笑顔。
 実は私はこのとき、ちいちゃんのお父さんの髪の毛がふさふさなのにショックを受けていた。20年前に見ていたあの柔らかそうだった髪の毛なら、きっとズボッといっているにちがいないと予想していたのに・・・。

 「ちいちゃん、元気にしてはりますよね。」
 「・・・、まあどうにかこうにか・・・。」
 
 少し間があってこたえられたのが少し気になった。
 そのあと、ちいちゃんにメール。

 「今、雲ヶ畑中学校の卒業式に来ています。さっき、ちいちゃんのお父さんとちょっとしゃべりました。お父さん、はげてへんね。予想がはずれた。」

 この私のお気楽なメールに対するちいちゃんからの返事は夕方に来た。その内容はもちろん非公開。
 私にとってはかなりショックな内容も含まれているメールだったが、ちいちゃんはしっかり生きている。私の「5km20分切りメモ」を楽しみに見てくれているらしい。いろいろと大変やのに、ありがとね。

 私はいつもいつもヨメさんから言われている。
 「何の苦労もせんとのうのうと生きてるのは、世の中でアンタだけ。みんなそれぞれ大変なことを背負ったり乗り越えたりして生きて行っているのに・・・。」
 ああ、ほんまにその通り。
 卒業式の話が変な方向に行ってしまったが、私の大事な大事な最後の教え子のことを思う一日にもなりました。

(注) 卒業式のことについては、明日に続きます。
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 日曜から体が重く、月曜は完全休養。
 今日も雨がパラつているし、よっほど走るのはやめようかと思ったが・・・。ちいちゃんが「楽しみにしてる」って言うもんで・・・。

 夜7時より、最近では最短の3km。北稜高校の先の緑の農具小屋のあるところを往復。
 17分06秒。これでもけっこうしんどかった。

 まあ、今日はこれくらいでかんにんしたろ(???)。

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