パオパオだより

2008年04月30日(水)

石井慧選手 [石井慧選手関連]

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優勝を決めた石井慧は人目もはばからず男泣き

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石井、大逆転切符…柔道全日本選手権

 ◆柔道全日本選手権(29日、日本武道館) 体重無差別の日本一を狙う決勝は、3年連続で同じ顔合わせになり石井慧(21)=国士大=が、アテネ五輪100キロ超級金メダリストで北京五輪100キロ級代表の鈴木桂治(27)=平成管財=に優勢勝ちし、2年ぶり2度目の優勝を飾った。直前の故障で五輪代表争いから“脱落”しかけたが、瀬戸際で踏みとどまり、大逆転で日本の重量級最年少代表となった。一歩リードしていた昨年の世界選手権無差別級王者・棟田康幸(27)=警視庁=は準決勝で石井に敗れ、落選した。

 若い石井が、勝負に徹して五輪キップをもぎ取った。決勝戦、序盤にポイントを大きくリードすると、あとの約4分半は、指導をもらおうが、警告を受けようが、とにかく守りに守って、逃げ切った。終了のブザーが鳴ると、顔をクシャクシャにして、涙を流した。

 「ホッとした気持ちと悔しい気持ちと2つある。握力も続かないし、足が動かなかった。練習が足らなかった」不本意な勝ち方だが、なりふりかまっていられなかった。3月25日の練習中に左大殿筋を断裂し、代表選考会の5、6日の全日本選抜体重別を欠場。代表争い脱落寸前のがけっぷちから逆転するには、勝つしかなかった。

 ライバルを研究した。全日本男子の斉藤仁監督が「勝つにはあの戦い方しかない」と評した準決勝。小さな棟田から間合いを取り、懐にもぐり込ませず、焦りを誘った。決勝戦の大内刈りは、大外刈りと見せかけ同じように技に入る鈴木桂治用の秘策。そこからの崩れ上四方固めでは、講道館ルールの今回は惜しくも2秒足りなかったが、国際ルールなら一本に相当する28秒間も抑え込んだ。「心が半分折れてたけど、最後まであきらめないでよかった」最激戦区の階級で、勝利への執念でライバル全員を上回った。

 昨秋に100キロ超級に転向して以来、国内外で負けなし。選考委員会でも、この“全勝”が大きく評価された。量は人の2倍といわれる練習の虫だが、国士大の山内直人監督は「最近は休むこともおぼえた」という。ガムシャラなだけではなく、勝つためにするべきことを身につけてきた石井。「もう一回りも二回りも強くなって、金を取って来たい」細い目を決意でさらに細めて、きっぱりと宣言した。

 ◆石井 慧(いしい・さとし)1986年12月19日、大阪・茨木市生まれ。21歳。国士大。06年の全日本選手権で19歳4か月の史上最年少優勝。07年夏に100キロ超級へ転向、嘉納杯東京国際、オーストリア国際などを制した。181センチ、110キロ。

 ◆最高の親孝行 ○…会場で観戦した石井の父・義彦さん(49)が「これ以上の親孝行はありません」と喜んだ。義彦さんは大阪・島本高教諭で、大阪高体連の柔道普及強化部にも所属。京都・鳥羽高教諭の母・美智子さん(48)はハンドボールを教え、東女体大2年の妹・愛さん(19)は水球部というバリバリの体育会一家。日の丸を背負う息子を家族一丸で応援する。


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2008.4.29 柔道全日本選手権優勝、北京へ

◎石井慧さん、北京オリンピック出場おめでとうございます。
 私は、あなたのお母さんと同郷(京都市左京区花背別所町)の藤井廣司というものです。お母さんの兄(あなたのおじさん、藤井修平君)と小中で同級生でした。
 あなたのお母さんに聞いたところ、あなたの小さい頃、よく別所に遊びに来ていたとか。私たちのふるさと別所に少しでも関係のある人がオリンピックに出場なんて、こんなうれしいことはありません。
 直接応援はできないかもしれないけれど、遠くからあなたのことを応援します。
 北京では、まわりの雑音に惑わされず、自分の持ち味を十分に発揮してきてください。そしてなによりも、オリンピックを楽しんで来てください。
 うれし涙が見られることを願っています。

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2006.4.29 柔道全日本選手権初優勝

☆石井慧選手のお母さん・石井美智子さん(旧姓・藤井)に、昨年2月、母校である別所小・花一中PTAだよりの原稿をお願いしました。その中で、息子さん・慧君について書かれている所を紹介します。

 別所の皆さんご無沙汰しています。私は平治の益蔵の娘の美智子です。今回の別所小・花背第一中の統廃合の話を聞き、ただ残念に思うとともにさまざまな思い出を創ってくれたあの校舎やグランド、小中学校の先生方に感謝したいと思います。
 (略)
 父亡き後、女手一つで私達三人を育てるために自分を犠牲にし働き続けた母が昨年3月に亡くなった時には、一番大切な宝物がなくなった様な気持ちになり無気力状態になってしまいました。人間として女性として母として尊敬できる人がこの世にいないのは淋しい限りです。
 今回の母の死から立ち直るきっかけを創ってくれたのは、息子の頑張る姿でした。息子も20才(大学2年生)なりましたが、小さい頃は休みになると花背のひーばあちゃんの所に行くのが楽しみで、一人で出町柳から京都バスに乗って行く程大好きな場所でした。田んぼ、畑、お宮さん、花背の山、花背の川で息子がいきいきと遊んでいる姿が今も思い出されます。そのたびに上ノ町の皆さんにはご迷惑をかけましたが暖かく見守っていただいたと感謝しています。
 柔道の試合が間近だったため、母の告別式にも参列できず、私や姉にあやまっていましたが、母の死から一ヵ月後の全日本柔道選手権で優勝してくれた時には、今まで落ち込んでいた気持ちをふるい立たせ頑張れと言っている様に感じました。
 死のまぎわまで孫である私の息子の事を気にかけ、「親として精一杯のことをしたらなあかん」と言ってくれた事・・・母が生きていれば一番によろこんでくれたことと思います。
 (略)


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