2008年03月22日(土)
2008-春一番-大阪城公園4時間走 [ランニング]
今日の主役は、6歳の女の子と11歳の男の子です。
スタートしてしばらくして、小さい女の子が走っているのに気づきました。ながいたすきをかっこよく肩からかけていたので、チームでエントリーしてるんやとわかりました。(あの子一人で4時間は、無理。)
けっこう速いペースだったので、表情を見てみると、かなり苦しそう。いくらリレーとはいえ、最後まで楽しく走れるかなあと心配になった。でも、絶対に走りきるという気迫が感じられた。
レースの終盤、とぼとぼ歩きかけている男の子発見。すっと抜いて行こうとしたら、ついてくる。(おっと、負けん気強い子やな)と思いながらもしばらく並走。
「写真撮らしてな。」と言って、前に出ようとしたら、いっしよにペースを上げてついてくる。(写真、撮れへんやん)
500mほど並走後、やっと撮れました。それも走りながら撮ったので、何回も失敗した後に。(ちっさいけど根性あんで、この子)
4時間たち、レースは終了。
まず女の子がつけていた「303」をさがす。みっけ。
「すいませーん。あのー、マラソンのブログを書いている者ですけど、娘さんの写真撮らせてもらいました。ブログに載せさしてもらってもいいですか。」(さっと、デジカメの映像を確認してもらう。)
「(映像を見てにこにこ)、いいですよ。」とお父さん。
「小さいのにすごいがんばってはりましたね。おいくつですか。」
「今、6歳です。4月から1年生です。」とお母さん。
「そんなちっちゃいのに、よう走る言わはりましたね。」
「この子だけで、14周走ったんですよ。」
「じゅじゅ、14周? すごい!」
走ってる時は、あんなしんどそうだったのに、まあなんてさわやかな笑顔。今日、お父さんと二人で走り続けて、前よりもっと好きになったでしょう。走ることも、お父さんのことも。
さて、次は「306」。みっけ。
「すいませーん。(以下同文)」
「いいですよ。」と大型のお父さん。
「ご家族で出られたんですよね。」
「そうです。私と家内と息子で。とてもふだんから走っている家族には見えないでしょう。」
「いやー、そんなことないですよ。結果はどれくらい行きました?」
「それは、たいしたことないです。最後までしっかり走るのが目標でしたから。」
話し終わったころ、奥さんと息子さんが戻ってこられた。がっしり系の大きなお父さんときれいなお母さん。この息子さんもきっと走ること、家族のことをあらためて好きになったでしょう。
主催者さんへ。
4時間走チームの部で、ご家族でエントリーされているチームを表彰してあげてほしい。たぶん、今回はこの2チームだけだったのでは。スタート前かゴール後に、みなさんに紹介してもらえたら、子たちにとってはすごい励みになる。私も走っていて、この二人の存在が励みになった。
家族でリレーできる大会は非常に少ないので、ぜひ検討していただきたい。
話はもとに戻ります。
この4時間走の主催者さんは、兵庫県小野市の「アスレック」さん。今まで聞いたことのない名前だ。しかし、受付が大阪の「ラン-ウォーク スタイル」さんということだったので、しっかりした運営がされていると思い参加することにした。
朝6時半に家を出、森之宮に着いたのは7時40分。早すぎた。
店内の受付で、びっくり。田中千洋さん。
(お母さんマラソン日本最高記録保持者。第一子出産後、2時間29分30秒の自己最高をマーク。第二子出産後は2時間37分52秒。)
そうか、たしか田中さんて、兵庫の人やったな。「アスレック」って、田中さんとこのクラブ?
それにしても、きしゃな感じの方でまたびっくり。
スタートの9時までまだ1時間以上あったので困った。駅に行くと、こんな朝早くから本屋さんがあいていた。月刊「クリール」を買い、ヒマつぶし。
大阪城公園では、植木市が開催されていた。
天気がいいので、かなりの人でにぎわうのでは。
参加者は、男子52名、女子23名、チーム7(18名)。
ぱっと見た感じでは、私より年上の方は少なそう。
主催者さんから、諸注意。散歩の方や自転車の方に注意するようにとのこと。
コースは、うり型(ゴーヤ型)の左まわり周回、1.25km。 スタートすぐにアスファルト道。うり型のさきっぽ(700mくらい)左折で少しだけ土。そこから、お堀沿いに石畳が200mほど。次に土が300mほどで、もとの場所に。
雨だとたいへんなコースだが、天気がいいと「変化があって、よろしい。」
ただ走っていると、あきてくる。
どっかに雑種(犬)はおらんかなあ、ときょろきょろしながら走っていたが、いい犬ばっかり。せっかく今日はカメラを持って走っているというのに・・・。
と、突然、「ポー」という大きな汽笛が。なんでこんなとこに汽車が。
これも、心がなごみました。
エイドもすごく充実していた。
そこには、4時間中ずっと田中千洋さんがおられた。さすがベテランランナーだけのことはある。すべての食べ物が、ちょうどいい大きさに切り分けられている。種類も量も豊富。見た目もすごくきれい。
これだけ用意してもらえると、ランナーは本当にたすかる。
さて、私の調子のほうは・・・
4周(5km)ごとに給水給食を取り、17周(21.25km)時点で、1時間56分。
いや、これひょっとして、4時間でフルの距離越えられるかも。また、取らぬタヌキの皮算用かい!
でも、いつものゲーあげそうな気持ち悪さも今日はないし。行けるかも。
40km手前で、へこたれそうになった時、出ました救世主。夢の超豪華雑種三頭立て。これは、まぼろし? いやいや、優しそうなおっちゃんがちゃんと三本のロープで散歩さしてはります。
黒くて口だけ白いコロ、うす茶のラッキー、真っ黒けのクマ。
コロちゃんは、私の左足の太もものあたりをペロペロペロリン。
そうそう、そこ。さっきから、そこ、つりかけとってん。すまんなー。
「シャキーン!」
残り2周息を吹き返し、34周(42.5km)でゴール。
たぶん、42.195kmあたりの通過は、3時間57分40秒くらい。やったね。
ゴール後は、みなさん満足な表情。
まず、天気がよかった。私のように初めて参加する者は、天気によってその大会の印象の半分以上が決まってしまう。
次に、コースがよかった。1周、1.25kmは、短すぎるようにも思うが、景色の変化がけっこうあって、そんなにあきない。心配されていた人や自転車との接触もなかったようだ。
それに、エイドの充実。私の場合、7分くらいで1周なので、その誘惑に負けないようにするのがたいへんだった。(7分ごとの誘惑。食べ過ぎると、気持ち悪くなる恐れ。)
帰り際、田中さんにお礼を言い、次の大会のことを聞くと、10月に同じコースを使って5時間走があるとのこと。
いい大会だったので、スケジュールが合えば、ぜひまた参加したい。(5時間は、ちょっと長いけど。今度は、計画的にエイドを使わせてもらって。)
「うち、京都キャロットっていうランニング用品店なんです。うちのブログに、田中さんのこと書いていいですか。お顔の写真も撮らせてもらったんですけど・・・。」
「はい。ありがとうございます。」
なんて、感じのいい人なんでしょう。
みなさん、10月の5時間走、ぜひ参加しましょう。
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2008年03月20日(木)
誰も知らない高橋尚子 [マラソン評論]
3月16日の夕方、「誰も知らない高橋尚子」という番組が放送された。何日も前から宣伝していたので、必ず見ようと思っていた。
自分の草レースでも、レース後、レースの分析をするのはおもしろい。
ましてや、こないだの「名古屋」の分析なら、いろんな人が好き勝手いろいろ言って盛り上がることまちがいない。そこに参加するためにも、この番組は必修科目だと思った。
私個人としては、どうしても知りたいことが二つあった。
一つは、高橋尚子が何回も繰り返していた「夢」の具体的な中味。
もう一つは、レース後に7ヶ月前の手術を告白した理由。
この二つが、腑に落ちなかった。
番組が始まってまず驚いたこと。「ファイテンスペシャル」の冠。そうか、この番組は「復活高橋尚子、北京で輝け!」とかいうのが本来の題やったんやろうな。
内容のほとんどが、7ヶ月前の手術に関係すること。時おりはさまるファイテンのCMが、またむなしい。優勝していたら、番組の内容も全然違ったものだっただろう。
私が期待していた「夢」の説明も、なかったのか、私が理解できなかったのか。
レース後の手術の告白の理由も、よくわからなかった。日本人に多い美的感覚から言うと、勝って告白するか、負けて黙っておく、このどちらかだと思う。(レース前に、あっけらかんとすべて言ってしまうという選択肢もある。)
「手術してへんかったら、あんたらには負けてへんわ。あっかんべーっと」(何で、関西弁?)、と同じレースに出た人に言ってるみたいにも取られかねないし、あれはやっぱり言わんかったほうがよかったのでは。
ただし、ここで忘れてはならないのが、「高橋尚子はプロ」ということだ。いつも、スポンサーの要求に応えなくてはならないという厳しい環境の中にある。
ふふん。手術の告白は、この日のテレビ番組のためか。そう考えるとつじつまが合う。(視聴率のため! スポンサーのため!)
優勝していたら、宣伝なしでも多くの人が見ただろう。でも27位では、どこの何を見たらいいのか。普通の人は困ってしまう。
普通の人にわかりやすいこと。「へー、ものすごい大手術しやはったんや。それやのに、よう最後まであきらめんと走らはったなあ。ものすごがんばらはったんやなあ。」
どうも、すっきりせん。
番組中にレース分析をしてくれると期待していたのに、それもなかった。代わりに私がします。
3月9日にも書いたが、「名古屋」はベテラン勢が惨敗したレースだった。原因は単純。「高橋尚子の影」である。
ほとんどの出場者は、「高橋尚子が飛び出し、独走してしまったら、もうどうしようもない。」と思っていただろう。ところが飛び出さない。何らかの理由で飛び出せない、と他の選手は理解したと思う。調子の乗らない高橋尚子相手なら、勝ち目がある。とりあえずは様子見のペースで。この大集団の中で、しんぼう、しんぼう。これが、最初の5km、17分55秒もかかった理由ではなかろうか。
「スローペースにはまる」という表現は、ふつう悪い意味で使われる。本来スピードでおしていくタイプのランナーが、遅い集団に包まれ、切り替えができなくなってしまう。「名古屋」はその典型であったのでは。
優勝した中村選手には申しわけないが、2時間25分51秒は、ひと昔前のタイム。弘山、原、坂本、大南、加納、どの人をとっても中村より上のような気がする。このベテラン勢は、みな「高橋尚子の影」に負けてしまったのだ。(高橋尚子の手術のことを知っていたら、この5人のうちの誰かが優勝していたのでは。) そういう意味で、高橋尚子の偉大さ(影響力)をあらためて思い知った。
さて、この関連の話題として・・・
ヨメさんからの情報で、和田アキ子が高橋尚子のことをボロかすに言い、それに対して和田アキ子たたきがすごいらしい、とか。
それは3月15日、ニッポン放送で。
高橋尚子の「調整不足でした」というレース後の記者会見について、「自分が一番分かっていたはずでしょ」と不満をかたった。
さらに「手術してたって終わってから言うのはよくないよ。あの状況でレースでるなんて、よっぽど大金を貰ってたのかね」と会見で敗戦の“言い訳”ともとれる発言が次々と飛び出したことにご立腹の様子だった。
この発言について、和田アキ子たたきが続々。
パソコンでその内容を見てみると、一番多かったのが、「陸上競技のしろうとが、何を言う!」というものだった。
それ、ちょっとちがうんじゃないでしょうか。マラソンのファンの大多数は競技とまったく関係ない人です。そんな人たちが、マラソンに関心を持ち、ああでもないこうでもないと言い合うのもおもしろいのでは。
和田アキ子の発言は、ちょっとピントがずれている所もあったが、全体としてはけっこうよう見ているやんという印象だ。和田アキ子が一番言いたかったのは、「プロはもっとプロらしく」ということだったんじゃないでしょうか。こんなことくらいでふくろだたき状態になるなんて、ネットの世界は恐ろしい。
そういう人たちは、月刊「ランナーズ」5月号の巻頭の次のような記事にはどう反応するのだろう。
「不明点が残った失速の原因」
高橋選手は今回でマラソン11回目。「ここまで走れないとは自分でも思わなかった」と語ったように、タイムは予想以上に悪かったかもしれない。しかし、オリンピック代表の座をかけて有力選手たちが全身全霊をかけて勝ちにくるレースを、練習不足の状態で勝ち抜くことができるほど、マラソンは甘い競技ではないことは、事前に予想できていたはず。
レース前に手術したことを公表しないのは、代表の座を競うライバルたちに精神的なプレッシャーを与える戦術としては「有り」だが、事前には、勝負に徹するアスリートという立場での発言以上に「あきらめなければ夢がかなうことを伝えたい」と、沿道やテレビでレースを観戦する人たちを強く意識し、期待を持たせるメッセージを発信し続けていただけに、自分を鼓舞する以外に、どんな意図があったのか疑問を感じる面もある。
手術したことをレース前に公表したうえで、「今の自分の精一杯の走りをみせるので応援して欲しい」というメッセージを送る選択肢はなかったのだろうか。 (一部抜粋。)
さらに、巻末の「編集部から」の橋本氏の言葉を読めば、卒倒するかも。
名古屋のQちゃんがっかりだったな。結果が遅かったというのではなくそのあとの談話ですよ。10km持たないんでしょ。走れないということはわかっていたはず。ランナーなら誰だってわかるレベルの話です。それなのに前日までの優勝が、夢が・・・・・などの話はない。期待を立派に裏切ったんだから、ごめんなさい、スミマセンでした、の一言くらいあって欲しかった。どこかの新聞がおもちゃを取り上げられる子供のようだ、と書いていたくらいでマスコミはむしろ走りきったほうを評価しているが、マスコミもメディアとしての批評性はどこに行ったのか。これじゃ新聞読まなくなるわけだ。
どうですか。これがプロの評価です。
それにしても、私が以前から気にしていたこととの共通点が多い。私も、評論だけは、セミプロ??
私が、ゴール後の高橋に言ってほしかった言葉。
「あーもういや! もう二度と走りたない。あほらしもない。」(なんで、関西弁?)
走りとうて走りとうてたまらんようになるまで、ゆっくり休んだらあかんの?
1年か2年後、高橋、野口、福士、渋井、あと赤羽さん、その他有力新人を入れた、それこそ夢の賞金レースちゅうのはどうでしょう。こら、おもしろいで。
(あかん。もう完全に、ええかげんなアマチュアのおっさんに戻っとる。)
◎今日(3/21)、毎日新聞の夕刊に、漫画家やくみつるさんのコメントが載っていた。
「名古屋国際女子マラソン・Qちゃんを抜くということ」
(略)
レース後、記者会見場に現れたQちゃんは、存外サバサバした表情を見せてくれた。これは救いだった。おそらくは失意のドン底にあったろうに、まるでこの結果をある程度覚悟していたかのような口ぶり。そう言えばゴール直後、サングラスを外した顔は悔し涙でグチョグチョになっているのではと思いきや、このときも、その表情は意外なまでに静かなものだった。Qちゃんのギリギリの矜持がそうさせるのか。逆にみている方が“痛い”。
こんなとき日ごろからヒネくれたマンガばかり描いている私は、つい別のことを考えてしまう。では、その失速していったQちゃんを<追い抜いていった>選手は、どのような心持ちだったのだろう。
前方、力なく走るランナーの姿をとらえる。距離を縮めていくと大会スポンサー「メナード」の文字とゼッケン「11」――。えっ!? あれって高橋尚子?と我が目を疑うことだろう。そしてついに抜き去る。あの金メダリスト、国民的マラソン走者を!! この殊勲をおそらくは人生の大事とばかり周囲に語るに違いない。「私、Qちゃんを追い抜いたことがあるの!!」
してみると気の毒なのは、Qちゃんがトイレに駆け込んでいる際に追い越していった選手で、彼女らにはその実感がない。やはりジカに抜きたかったんじゃあるまいか。
ま、いかにも観戦中に眠ってしまう輩の考えそうな、しょーもないことですが。
(やくさんのコメントに対する私のコメント)
しょーもないことないぞ。すばらしい。誰もこの人たちの気持ちまでは考えへんかったと思う。
さすが、やくみつる。視点が、他の人と全然ちがう。
やくみつるさんは、どんなものでも楽しんでしまう。人がめちゃくちゃ腹を立てているようなことでも、「それも考えようによっては・・・」という感じですべて興味深くしてくれる。ふしぎな才能を持った人だ。(今まで本気で怒っておられたのは、亀田親子の非礼ぶりに対してだけだ。)
みなさん。いろいろな人のいろいろな意見を、聞くだけ聞きましょうよ。相手が二度としゃべれなくなるような批判の仕方はやめましょう。
「そうか、こんな考え方もあるんや。」と思いながら、人の話を聞くほうがおもしろいと思いますよ。
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2008年03月19日(水)
出会い [家族]
「いろいろな出会い」 1年2組 藤井真樹
私は今年の4月に花背から市原に引っこしました。お母さんに2月ぐらいに引っこすと言われました。
最初は本当にいやでした。花背の別所小学校は私の6年の時には全校生徒が3人しかいなくて、市原に行ったら洛中にいかないといけないし、そんな大勢なとこは初めてだし、絶対についていけないと思いました。
それともう一つは友だちとはなれないといけないことでした。別所は中学生とあわしても10人しかいないんだけど、少ないからこそみんなふつうの学校より仲がよくて、とてもしゃべりやすいし、本当にはなれたくありませんでした。
お母さんは私のことを考えていると言っていたけど、私には本当に考えてくれているのかわかりませんでした。でもやっぱり大勢でスポーツとかしてみたかったので引っこすことにしました。
洛中の入学式の前の日に引っこしました。
初めて電車にのった時、すごくこわかったです。ほかに洛中の人ものっていたし、友だちどうしでしゃべっている人とかもいました。私の気持ちは、こんな中に入れんのかなと思いました。でも一人でいるとしゃべりかけてくれた人がいました。すぐ仲よくなれて、ずっとしゃべっていました。私が洛中に入って初めて出会ったのは友だちでした。なれてきたらほかにもたくさんの友だちができました。
学校がはじまってから部活にも入りました。私はぜんぜんやったことのないバスケ部に入りました。入ってからの練習はものすごくしんどかったです。もちろん今もとてもしんどいけど、みんなと練習とかをしていると、入ってよかったなあと思っています。だから、私は洛中に入ってから、友だちとすごく楽しい部活に出会いました。
出会いというのはいつ出会うかわからないし、なかなかいい出会いとは出会えないと思います。でもいい出会いに出会いたいからといってなにもしなかったら、ぜったいに後悔すると思います。いい出会いに出会えなかっても後悔はしないと思うから、新しい所に行くのもいいと思いました。
最初はお母さんが考えてくれているって言ったことがよくわからなかったけど、今になってきてちょっとわかったかなあと思いました。もし引っこししてこなかったら友だちとか部活に出会えなかったし、引っこしして本当によかったなあと思います。
ほかにもいろいろな出会いに出会っています。生まれてなにかに出会い、保育園に行ったこと、小学校に行ったこと、そして洛北中学校に行っていること、全部いろいろな出会いがあったと思います。
これからもいろいろ出会うと思います。今までは自分で決めていろいろ出会ったことは少ないけど、これからは高校とか大学に行くと自分でいろいろ決めないといけません。そこでもいろいろ出会いたいです。これからもたくさん出会いたいです。
◎ 昨日、学校で書いた課題作文「出会い」を持って帰ってきました。
この家に引っ越して、もうすぐ一年。
今日は、中学校の終業式。真樹は、新しい環境を受け入れ、一年間いやがることなく学校に通いました。
毎朝毎朝、きくといっしょに叡電・二軒茶屋駅まで(約300m)歩いたね。「今日はいい天気や。」 「今日はちょっと寒い。」たいていは返事が返ってき、ときたま調子の悪い時は黙ったまま。部活の休みがほとんどなかったので、この道をいっしょに歩いたのは、350回!
一年前、家族でいろいろ話し合ったことが思い出されます。
「真樹ちゃんなら、きっとだいじょうぶ。いやなことに負けてしまう子じゃないでしょう。」
市原野保育園時代の同級生・藤田君のお母さんの言葉は、うれしかった。引っ越し後の真樹の学校のことが一番心配で相談にのってもらった時、力強い言葉をかけていただいた。
できれば、少しでも知っている子がいる洛北中学校に入れてやりたい。そう思っていたが、真樹の作文を読んでみると、「初めて電車にのった時、すごくこわかった」。
ごめんな。真樹は、毎日にこにこしながら家を出てたから、そんなこと思ってたとはまったく気づかんかった。よう学年一人の学校から、250人の学校に飛び込んで行ってくれたね。それに、自分の力で、楽しいこともいっぱい見つけられたね。
藤田君のお母さん、どうもありがとうございました。他にも知ってるお母さんやお父さんも何人かいて、結局頼っていたのは私たち親のほうかもしれない。
何回も、真樹はしっかりしてんにゃと思うことがあった。そのたんびに、パオパオとかあちゃんは、「よかったなあ、よかったなあ」って言ってたんやで。(真樹の「出会い」の作文を読んで、かあちゃんは泣いていました。)
前に真樹が言ってたなあ。
「いやなことが10あってもいいことが1つあったら、いやなことは全部忘れることができる。」
その気持ちを忘れずに、中2も楽しく、なっ!
(でもその言葉、私が常々言ってることと似てるんですけど・・・。)
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2008年03月18日(火)
エール! 高石てるえさん [私の好きな人]
今日、月刊「ランナーズ」5月号が届いた。
このごろ、必ず一番に読むのが「てるえさんへの手紙」である。
高石ともやさんが、ガンに立ち向かっておられる奥様に送る言葉を連載されている。(ともやさんもいっしょにガンに立ち向かっておられるので、<送る言葉>という表現は適切でないかもしれない。)
今回が最終回とあったので、ちょっとびびってしまった。もしや、悪いことが起こったのでは・・・。
読み進めて、ほっとした。
「よい日もある、悪い日もある、それが人生だって。良い日は誰だって喜べる、運の悪い日とか、つらい事が重なった時に、どうやって明るく生きるか、それが人生の面白さだよ。
喜びの朝もある 涙の夜もある
ながい人生なら
さあ、陽気にゆこう
身体は癌になっても心まで病んでいるわけじやないもんね、と笑いながら話すあなたの静かなファイティング・スピリッツが好きです。これからも与えられた命を一日一日大切に生き切りましょう。この春を、次に来る夏を、秋を一緒に充実させましょう。僕は最良のサポーターになるのです。」(一部抜粋)
本当に不思議なご夫婦です。
ながいながい闘病生活のなかでも、「陽気にゆこう」と言い合えるご夫婦。ガンと闘いながらも笑顔を忘れない奥様。自分を、最良のサポーターと胸を張る夫。
なかなか真似できないけれど、目標にはしたい。この文を読んで、そう思った人は多いだろう。
私自身は、フォーク歌手・高石ともやさんはだいぶ前から知っていた。だが、ランナー・高石ともやさんを知ったのはいつごろだろう。
皆生トライアスロン優勝? オーストラリア大陸横断ラン?
私の上賀茂小学校教師時代、京都新聞に高石ともやさんのコメントが載ったことがあった。それは、「がんばれ」という応援についての考えを述べたものだった。
日本では、応援はすべて「がんばれ」。外国では、応援にもさまざまな表現があるのに。本当にがんばっている人に、まだその上「がんばれ」というのは酷だ。もっといろいろな応援の仕方がないものだろうか。
そういう内容だった。
それを読んで、すごいと思った。今までなんの気なしに「がんばれ」と言っていた自分がはずかしかった。
「勉強せー、勉強せー」と言い続けておられるお母さん方にも、ぜひ考え直してほしいと思い、次の学級懇談でその記事をコピーしたものを話し合いの資料に使った。結果は・・・、若すぎた私の説明不足だったのだろう。お母さん方は、ちんぷんかんぷんという表情だった。せっかくいい内容だったのに、私の空回りで終わってしまった。
初めて生の高石さんを見たのは、びわ湖ジョギングコンサートかな。
奥様に初めてお会いしたのは、たぶんスイス村リゾートマラソン(京都府弥栄町・現在京丹後市)。第1回大会であったと思う。
20kmか10kmの部で高石さんの奥様が優勝。そして、うちのヨメさんが5kmの部で優勝。・・・と思ったら、表彰式も終わった後に2位であることが判明。優勝剥奪。(わたしゃ、ドーピング違反か! プンプン。)だから、よくおぼえています。もう、21年も前のことです。
それからいろいろな大会でお目にかかり、うちの出店テントでもちょくちょくお買い上げいただくようになった。そのころ、うちのヨメさんがよく言ってた。「ともやさんの奥さんて、ほんまにふつうの人やなあ。」 (この「ふつう」は、すごくいい意味で使っています。)
ともやさんは、うちの廉と真樹のこともよくかまってくれはって、そのおかげで二人とも写真を見せればすぐ「あのおっちゃん」とわかります。高石ともやさんを知っている中高生は、そうはおらんぞ。
「てるえさんへの手紙」は、もっともっと続けてほしかった。ガンが完治したという日が来るまで。
しかし、高石さんのおかげで、人はなぜ走るのかを真剣に考えた人は増えただろう。
私も後に続く人たちに伝えてゆきたい。そんなにがんばらなくていいよ。「陽気にゆこう」とね。
◎ 2003年8月、 「京都キャロットお客様紹介コーナー」 に寄稿していただ文を再掲載します。
いろいろな場所で開催されるマラソン大会に参加しているうちに、どこの会場でもキャロットさんの出張販売を見つける機会が増えました。
キャロットさんは、多くのマラソン大会で見かけるスポーツ店の印象と違っていて、私の様にランニングを楽しむ為に大会に参加している女性の市民ランナー向きの“ホッコリ”した感じのお店の名前が可愛らしくて気に入りました。
お店の名前だけでなく、可愛らしくて愛想の良い眞寿美さんの親切な接客の下で豊富な商品をより楽しく探せて、大会に参加して走る事以外の楽しみでもあります。
出張販売をされた当初は、まだ幼いお子さんを抱えての接客で、とても大変そうに思えて心配していたのですが、今ではお子さんもしっかり成長されて、お店を手伝っていて御家族でお店をされている姿が、とても微笑ましいです。
これからも、眞寿美サンの素敵な笑顔と接客でマラソン大会に参加している私達に元気を与え続けて下さい。
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2008年03月16日(日)
第30回京都ロードレース [ランニング・出張販売]
ランニングクラブが主催で、金銭的なスポンサーがついていないマラソン大会は、もうほとんどないと言っていい。
以前はそんな大会もけっこうあったのだが、大会規模が大きくなりすぎたり、役員の平均年齢が上がったりなどの理由で消えてしまった大会もある。
私が知っている限りでは、この京都ロードレース、兵庫の武庫川新春ロードレース(1月)、金沢のマラソンに挑戦する会(5月)くらいが、本当の手作り大会として残っている。
準備する側はすべてボランティアで、とりあえずどれだけの要員が確保できるかが毎年の懸案である。
ただ、走らせてもらう側から言うと、安全なコースが確保できて、距離や計時が正確であれば、どこが主催であろうとこだわりはない。
京都ロードレースでは、無料の荷物預かりもあり、他の大会ではまねのできない細かい心配りもある。(元気いっぱいな女子中学生だと思われる子たちが、係員として一生懸命働いていた。そんな子たちの姿を見られるだけでも、この大会に参加する価値がある。)
「スポーツは平和とともに!」
主催者である京都ランナーズ(新日本スポーツ連盟の傘下)が、スローガンとして掲げ続けている理念を少しでもひろげて行きたい。その気持ちを持った有志の力が、この大会継続の原動力になっていることはまちがいない。
もし、このブログを見ていただいている人の中で、来年はちょっと手伝ったろやないかと思われる方、ぜひご連絡ください。京都ランナーズは、あなた、そう、あなたをお待ちしています。
さて、第30回大会は・・・
過去5年の参加者数を振り返ってみると、
第25回 593名(完走480名)
第26回 577名(完走491名)
第27回 809名(完走638名)
第28回 923名(完走699名)
第29回 942名(完走741名)
このうち、4分の1は、小中学生である。
また、この時期、雨が多く土の河川敷での出店はかなりきつい。
という理由で、家から最も近い大会ではあるが、最も売り上げが期待できない大会でもある。
でもまあ、自分自身が京都ランナーズクラブ員やし、おなじみのいろんな人とも出会えるし、という気持ちで出店・レース参加を続けてきた。
過去の記録を見てみると、第8回5km宣言タイムレース3位に私の名が。宣言18分30秒で、実際が18分36秒。6秒差・・・というより、タイムにびっくり。こんな速い時もあったんや。
第22回大会では、5km40歳代優勝。これは、ラッキーだった。もともと速い人が出てなかったみたいで、みんなごっちゃまぜやから、自分でも途中何位か全然わからんかった。最後の橋の手前から、ビューンととばしていっぱい抜いてゴールしたら「優勝です」やって。2位と1秒差、3位と3秒差。みなさん、すんませんでした。(タイムは、19分59秒)
今年の申込者数は、1095人。 11年ぶりに千人を越えた。
天気も気持ち悪いくらい暖かく、いつもの京都ロードレースとはちがうふんいき。
出店の準備ができたころ、外峯さんがご来店。
「こないだのコメントのお返事、書かせてもらいました。ボク、外峯さんだけが見やはんにゃと思って書いとったんですけど、みんな見てしまわはんにゃってね。知らんかって。」
「こんなんですわ、この人。やってられんでしょ。知らんにもほどがある。」と横からヨメさんが。
「どうでした? シティハーフのペースランナー、うまいこといきました?」
「むずかしいです。まず、人数が多すぎて思い通りに前に進めへんでしょ。給水所では、もっと混雑してペースが乱れるし。」
「たいへんやったんや。」
後で思いついたんやけど、ペースランナーって、ペースが落ち着く3km付近からスタートしたらあかんのかな。
外峯さんは、下のお子さんが体調をくずされたとのこと。自分は走らないのに、お手伝いに来られたらしい。無理して来やはらんでもよかったのに。自分のできることを少しでもしようという姿勢が、好感を持たれる理由やろね。
うちのヨメさん、若い女の人にはけっこう厳しいのに、外峯さんのことはほめとるもんな。めずらし。
11時、最初のレース5kmのスタート。
「トイレ、行きたいなあ。」また、ヨメさんが。
「松尾大社のトイレまで、アップのつもりで行ってきたら。」
「じゃんくさい。もうええ。」
せっかくのピンクランスカ、ピンクアームウォーマーやのにきばってもらわな。
ヨメさんは、後ろからかぞえられるほどのポジションをキープし、ゴール。
「Qちゃんの気持ち、ようわかったわ。トラック1週目で、よっぽどトイレ入ったろか思たけど、やっぱりはずかしいな。」
「その時、まだ混んどったやろ。」
「それがな、その時だけすいとってん。」
けっこう、余裕やん。
でも、ゴールタイム33分55秒やし。Qちゃんの2倍以上の遅さやし。これ比べられたら、Qちゃんも腰ぬかすで。
小中学生3kmの後、いよいよ本日のメインイベント、ハーフのスタート。
521人の申し込みで8割が参加として、420人くらいのスタート。 こんなせまいとこで、だいじょうぶかいな。事故がおこらんかったらええんやけど・・・。
スタートは意外とスムーズに。
300mトラック2周の間に適当にばらけ、自転車道へ。
風がほとんどなく、むし暑い。これは、危険。最も倒れる人が出やすい気候。(体が暑さになれていない春先に倒れてしまう人が多い。)
「あー、たまらん。」と思い始めたころ、でっかいワンちゃん2匹発見! 琉球がらとハスキーがら。
「変わった毛並みのワンちゃんですね。種類は?」
「秋田犬です。」
「秋田犬? 2匹よく似てるけど、兄弟ですか?」
「いえ、ちがうんです。2匹かけあわせようと思ってるんですけど、うまくいかなくて・・・。」
このワンちゃんに会ってから急に元気が出てきた。最初の5km25分50秒が、次は23分46秒。2分も早なった。上りやのに。折り返してきた時、ワンちゃんに手を振ったら、飼い主のお兄さんが手を振り返してくれはった。ちょっとはずかしかった。
次の折り返しで、またワンちゃんに会えると楽しみにしてたのにいなくてがっくり。
でも、その代わり、ゴール地点付近でよく通る声ではっぱをかけてくれる女性あり。これはよかった。めっちゃ励みになった。この人には5回会い、5回ともはっぱを入れてもらった。じろーりと見て声かけてもらえへんかったらかなんし、しっかり見てへんにゃけど白っぽい服を着た人やったと思う。あの人に、応援大賞をあげたい。
ゴールタイムは、1時間42分17秒。
このムシっとした暑さの中では、上出来やね。
ゴール後、うちのテントで休んでいたら話しかけてくる男の人あり。 (お名前はわかりません。)
「藤井さん、このごろ調子よさそうですね。だいぶ、練習してはるんでしょう。」
「いやー、毎度のことで、練習一切なしでレースばっかり出てますねん。」
「練習なし? よう、走れますね。」
「ええかげんな人でしょう。」と横からヨメさんが。
「練習なしで丹後100km完走が、ボクの夢ですねん。」
あきれて、どっか行ってしまわはりました。
売り上げのほうも、例年よりはよかったようだ。こんなおだやかな天気だったこともめずらしい。今年は本当によかった。毎年、こんなんやったらいいんやけど・・・。
心配していた事故もなかったようだ。救急車の出動もなかったし。(同じ所を何回も繰り返し通るコースが、案外よかったのかも。)
オリンピックが間近に迫っている中国では、チベット自治区での騒乱を弾圧。
ランナーのみなさん。もう一度あらためて言います。
「スポーツは平和とともに!」
これを絶対忘れないで、ねっ!
◎この日の夜。
「途中にめっちゃかわいい、でか秋田犬がいてなあ。琉球がらとハスキーがらやで。」
「写真撮らへんかったん?」
「うん、今日はカメラ持たんと走ってん。」
「何しとんねな。持って走らんと。」
不覚。 小型で防水で高速シャッターが切れるデジカメ買わんとな。
疲れてたので、9時ごろふとんに入った。うとうとしかけた時、突然ふくらはぎのこぶらがえり。右がおさまったと思ったら、今度は左。また、うとうとしたら、びびびびび。壁にむかってストレッチ。何回も何回も。なかなか寝付けへんかった。
みなさん、走った後のケアを忘れずに。
あの秋田犬に顔をベロベロなめられる夢を見たかったけど、残念ながら出てきませんでした。
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2008年03月12日(水)
おかえり、マーライオン [家族]
廉が、シンガポール研修旅行から帰ってきた。
深夜1時過ぎの空港発、早朝関空着の便で帰ってきたので、すこししんどそうだった。
私が廉に最初にかけた言葉。
「マーライオンまんじゅう、売ってた?」
「売ってへんかったわ。」
旅行に行く前、おみやげのことが話題になった。
「やっぱり、おじいさんには、まんじゅう系やなあ。」
「なんかな、シンガポールにも、もみじまんじゅうみたいなもん売ってるらしいわ。」と廉。
「そらええなー。マーライオンまんじゅうやな。そやけどそれ、絶対日本の業者が作らしとんにゃろな。」
マーライオンの中にあんこって、なんかおいしそう。楽しみ。
でも残念ながら、それはガセねただった。
仕方なく、おじいさんのおみやげは、マーライオンチョコとマーライオン置物(かなり小さい)に変更。さっそく、私がいなかのおじいさんに持っていった。
「おじいさん、廉が学校からシンガポールに旅行に行って来てなあ、これおみやげやて。チョコレートとマーライオンとかゆうやつの置物。なんかな、シンガポールの神さんらしい。」
「これ、おばあさんにチンチンしてくるわ。廉が外国行って来ましたゆうて、報告しとくわ。」
「ほー、ちょっと見してくれ。」
おじいさんが興味を持ったのは、チョコではなく置物のほうだった。かなり、しげしげと見ていた。(よかったやん、廉。おじいさん喜んどんで。)
その後、置物を仏壇へ。
「おばあさん、廉がシンガポール行ってきました。」チーン。
廉ゆうても、よう考えたらおばあさんは知らんにゃ。生まれる半年前に死んでしもたんやから。
死んでしまうちょっと前、ヨメさんが「あかちゃんできました」って、報告しとった子や。もう、高1や。早いもんやなあ。
「おじいさん、前ゆうとった中国旅行やけど、どう?」
1ヶ月ほど前、たまたま新聞で中国旅行の広告を見た。
そのコースは、杭州から景徳鎮、廬山、九江から長江(揚子江)沿岸を下り、南京、上海へ。おじいさんが戦争で行った場所ばかりらしい。こんなコースの旅行の企画は、初めて見た。
1ヶ月前に話した時は、かなり乗り気だったが・・・。
「うーん、やっぱり、よう行かんなあ。もうちょっと若かったらなあ。」
残念!
1週間の外国旅行は、なんぼ中国ゆうてもちょっと長すぎるわなあ。おじいさん、もう86やし。もうちょっとショートカットで、3泊4日くらいのが企画されへんかなあ。おじいさんが元気なうちに。
ほんまに、残念! (最初で最後の親孝行ができるかなと思ってたのに・・・。)
話はもとに戻り・・・
廉の旅行は楽しかったらしい。
心配していた厳しいきまりも、それほどでもなかったとのこと。あちこちでビルなどの建設ラッシュで、外国人労働者が多数入りこんでおり、それどころではないとか。インド人の出稼ぎが多いらしい。
初日のばんごはんの野菜に、でかいあおむしが2、3びきいたこと。夜遅く、ホテルの友達の部屋でしゃべっていて、自分の部屋に戻ろうとした時に先生に見つかり注意されたこと。現地ガイドに、当たり外れがあったこと。見学場所でインドネシアの修学旅行生といっしょになり、そのオーバーなリアクションがおもしろかつたこと。などなど。
なかでも、動物園が一番おもしろかったようだ。昼と夜、2回も行けたと喜んでいた。
また、放し飼いのサルがいたらしく(野良ザル)、
「パオパオ、サル好きやから、いっぱい撮ってきたった。」とのこと。なんて親孝行な(!?)息子なんでしょう。
「そやけど、このサルに勝手にえさやったら、罰金4万円!」
「4万円て、そんなんはらえる人おんのかいな。どこまで罰金の国やねん。イメージ、あんまりよくないなあ。」
とにかく、旅行は行って終い、はもったいない。
帰ってきた後も、じわじわ楽しんでほしい。なんか調べてみたいこととかなかったんかなあ。
なにせ、大金使っとるんやから。なあ。
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