2008年03月05日(水)
ある学校の「校長先生のお話」 [学校]
もう20年以上も前の話になるが、「まるむし商店」という漫才コンビが一世を風靡した時があった。磯辺校長・東村体育教師がかけあう「校長先生のお話」は、ワンパターンなのに何べん見ても涙が出るくらいおかしかった。
「注目! 磯辺校長先生に注目! 我が校では、このたび○○○○することになりました。つきましては、校長先生よりお話があります。みんな心して聞くように。では、校長先生よろしく。」
「えー、皆さん」
「ほらそこ! 話すな! 今、校長先生が話してるやろ! 静かにしとけ! では、校長先生よろしく。」
「えー」
「ほらそこ! よそ見すんな! 今、校長先生が話してるやろ! ちゃんと聞いとけ! では、校長先生よろしく。」
「えー」
「ほらそこ! 何しとる! ○○! ○○! かんばやし! 」
「えー」
「コラッ!」
「うるさいなあ君、私がしゃべれないでしょうが。えー、皆さん、我が校では、このたび○○○○することになりました。これも皆さんの応援があってのことだということを、先生、知っています。」
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2008年03月02日(日)
第28回篠山ABCマラソン [ランニング・出張販売]
私の初フルマラソンは、1982年2月の勝田マラソン(茨城)。
当時26歳。大原小学校百井分校で、1年生1人・2年生1人の複式学級の担任をしていた。
そのころ、テレビで脚光をあびていたのが増田明美さんだった。あの人のインパクトは、強烈だった。小さい体で日本新を連発。そして、顔はブツブツだらけ。何か神がかりのような、もののけにつかれているような独特のふんいきがあった。
あの子があんな楽々と走ってるんやったら、自分も絶対走れるはず。そういう思いがきっかけで、その年の正月から走り始めた。 ( このころ走り始めた人は、絶対増田明美さんの影響やと思っていたが、周りの人に聞いてみたら、そんな人は全然いなかった。)
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2008年03月01日(土)
眞寿美さんの誕生日 [家族]
今日、3月1日は、うちのヨメさんの誕生日。
結婚して、23年(24年目)。
もう、人生の半分以上の誕生日を知っていることになる。
初めて会ったのは、当時私が勤務していた上賀茂小学校の職員室。産休の代理としてやって来た。
「まあ、なんてかわいい・・・。」
そういう印象だった。(当時、短大を卒業したばかり。)
そしてそのあと3年間いろいろあって(とても、ここには書けません。いろんな意味で。)、1985年に結婚した。
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2008年02月29日(金)
「ぷー」 〜シリーズ・ご近所犬1〜 [わんこ・にゃんこ]
昨年4月、左京区市原に引っ越してきた。
市原と言っても、うちの町内会(東映団地)は岩倉幡枝に隣接しており、市原と岩倉の中間という感じだ。
引っ越す時、一番の悩みのタネは、迷犬「きく」の存在だった。犬を飼ってもいい借家は少ない。大家さんがよくても、ご近所から苦情が出るかも知れない。広い庭があって、まわりに散歩させられる自然が残っている所・・・。
さがしにさがして、見つかりました。一昨年12月から2ヶ月かけて、やっと見つけたのが今住まわせてもらっているお家です。
最初はどこを散歩していいかわからず、家から二軒茶屋駅方面ばかり行っていた。しかし、家のすぐ西に川があり、散歩道が整備されていることがわかった。「ながしろがわ」かと思ったら、「ちょうだいがわ(長代川)」というかわいい名前の川だった。
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2008年02月24日(日)
第25回宇治川マラソン [ランニング・出張販売]
朝6時前、起きて外を見ると、自宅(左京区市原)のまわりは一面の雪。
ニッサン・キャラバンの4WDが、ここでも役に立つとは・・・。
今年3回目の出張販売は、大荒れの空模様。
開通したばかりの阪神高速・京都線も、雪のため通行止め。雪ですべるとたいへんなので、ゆっくりめに行ったのだが、それでも太陽が丘にはわずか1時間で着いた。
役員さんにお聞きすると、7時半に実施か中止かの最終判断をするとのこと。仕方なく待っている間も、雪は降り続く。
7時半、大会実施の決定が出た。
急いで、出店の準備。雪が降り続いていたので、受付向かいの建物の軒先を借りることにした。(2年前のどしゃ降りの時も、ここをお借りした。)
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2008年02月23日(土)
「ひめゆり」 -長編ドキュメンタリー映画- [映画]
ひめゆり学徒隊生存者22人の証言が、一本の映画になった。
昨年3月、中学を卒業したばかりの息子とひめゆりの塔へ行った時、平和祈念資料館でその証言が流されていた。
また、一昨年6月、娘(当時小6)と妻との三人でひめゆりの塔に行った時には、語り部の方が帰られるところを呼び止めてお話してもらった。(新崎昌子さんという方だった。)
自分では、沖縄戦について少しは知っているつもりだったが、新崎さんのお話を聞いて、米軍が最初に上陸した場所さえまちがっておぼえていることに気がついた。
最初に上陸したのは「読谷(よみたん)」。そこは新崎さんの出身地だった。それがわかった時、本当にはずかしかった。
「本土の人は、そんなことも知らずに、ここに来てるのかね。」と思われたにちがいない。
あの後、沖縄戦の本を読んだり、上映会に参加したり、前よりは少しはましになっているはず。この映画もしっかり見るぞ、と気合を入れて見に行った。(妻と二人で。)
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