2008年03月24日(月)
どしたん? 高橋尚子さん [マラソン評論]
◎今日はブログを休もうと思っていたが、超びっくりニュースが飛び込んできた。(ニュース検索の欄をそのままコピーさせていただきました。)
高橋尚子:来シーズンの東京、大阪、名古屋すべてに出場へ
笑顔で次の目標を明かした高橋尚子=東京都江東区で2008年3月24日、長野宏美撮影 名古屋国際女子マラソン27位で北京五輪の代表を逃した高橋尚子(ファイテン)は24日、東京都内で記者会見を開き、来シーズン、国内3大女子マラソンとなる東京国際(08年11月)、大阪国際(09年1月)、名古屋国際(09年3月)のすべてに出場する意向を明らかにした。
いずれも09年の世界選手権ベルリン大会の代表選考会を兼ねている。同じシーズンに3大会とも走るのは異例のケースとなるが、高橋は「どうしても夢だった。誰もやったことがないのでチャレンジし、応援してくれる人に恩返ししたい」と説明した。
「来年の名古屋が最後(引退)か」という報道陣の質問には「最後になるかもしれないし、まだやりたいと思えばやる」と明言を避けた。
世界選手権については「結果がついてくれば全力で取り組みたい」としながらも「今の時点では3大会に全力を尽くす」と強調した。
高橋は01年9月のベルリンマラソンで当時の世界最高記録で優勝、1週間後のシカゴマラソンにも挑戦する意向だったが、周囲の説得で断念した経緯がある。そのころから3大会連続出場を考えていたという。
「新たな目標を持てて良かった。マイナスからのスタートだが、根元をくさらせないよう大きな花を咲かせたい」と話した。【長野宏美】
毎日新聞 2008年3月24日 19時38分(最終更新 3月24日 19時59分)
◎これは、びっくり!
これは、まったく予想できなかった。
ヨメさんの感想。「市民ランナーの感覚に近づいてきたな。」
息子の廉に、3連勝の可能性を聞くと、「24の3乗分の1」。つまり、24×24×24=13824の1。なかなか理数系らしい、いい予想かも。(100円馬券なら138万円。それより、24位・24位・24位の確率のほうが実現性高いかも。)
さて、私は・・・、
夢の「高橋尚子の記者会見」
Q 「東京、大阪、名古屋を3連続で走ります。」
記者「なぜ、それを決意されたのですか。」
Q 「一般の市民ランナーの方の中には、毎週フルマラソンの大会に出ておられる方もあると聞きます。それがうらやましくて。」
記者「チームQは、今後どうされるんですか。」
Q 「もちろん、解散です。これ以上迷惑かけられませんから。その代わりと言ってはなんですが、今度『ヒールQ』を立ち上げます。」
記者「ヒールQ? いったいそれは・・・」
Q 「今後、『パオパオ』という国籍不明の方にサポートしてもらうことになったのですが、その方の指示です。もう、優等生はやめなさいって。これからは、今までやったことのない悪役をやりなさいって。」
記者「悪役? マラソンの悪役とは?」
Q 「実はまだ私もよく理解してないんですが・・・、彼の話ではとにかく好きなように、はちゃめちゃに走ってみろって。あのー、国際マラソンって、仮装ダメでしたよね。実は、あれもずっと前からやってみたかったんですけど。
楽天野村監督のささやき作戦もやってみたいです。レース中盤で『私は彼氏ができて毎日楽しいんだけど、あなたはどう?』とか、『ケーキ、ケーキ、肉まん、あんまん』とか、耳元でささやかれたらいやでしょうね。ルール違反にはならないと思いますが・・・。」
記者「そのパオパオさんという方が、Qちゃんのうわさされている彼氏でしょうか。」
Q 「とんでもないです。彼には、かわいい奥様がおられますから。」
記者「とりあえず、次の『東京』の目標は?」
Q 「ヒールは、そう簡単には手の内を見せないもんです。・・・若手いびりなんてどうでしょう、イッヒッヒッ。じょうだん、じょうだん。」
記者「引退までにしておきたいことは?」
Q 「いっぱいあるんですけど・・・、やっぱり、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』、あこがれちゃいますね。あっ! もうこれ言っちゃったから、できなーい。」
◎驚かせついでに、これくらいの記者会見やってほしいなあ。
今までいつも楽しそうに走っているように見えたのに、「あきらめなければ夢はかなう」と繰り返し言っている時のQちゃんは何かおかしかった。
一度、高石ともやさんといっしよに走られてはどうでしょう。きっと、何kmでも付き合ってくださいますよ。そして、きっと、こうささやかれると思います。
「高橋尚子さん、人生は長いよ。そんなにがんばらずに、陽気に行きましょう。」って。
(高橋尚子さんの名を借りて、ちょっと遊ばせてもらいました。ファンのみなさん、ごめんなさい。でも、私も高橋尚子さんが大好きです。)
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2008年03月23日(日)
京都ランナーズ例会(3月第4日曜) [ランニング]
今日は、わが身を使った人体実験の日である。
「フルマラソン4時間以内に走った翌朝10時、8.2kmを何分で走れるか。」
毎日走っている人にとってはなんということもないだろう。しかし、私のように週一回レースだけしか走らない者にとってはたいへんなことなのだ。
昔はフルの次の日は、歩くのもたいへんだった。階段の上り下り、和式トイレも同じ。そう思えば、最近はそこまでひどくない。
京都ランナーズ例会のコース、御所2周はどれくらいかかるか、ランニング日記を引っ張り出してみた。去年10月、36分08秒の記録。キロ4分半弱。その前は・・・、全然記録なし。そんなに、例会に行ってへんにゃ。
さて、今日の予想は・・・、皆目見当つかん。昨日の最後らへんのよれよれ考えたら、40分切ったらよしとしようか。
5ヶ月ぶりの京都ランナーズの例会。およそ20人くらいの参加か。
ちょっと早目に行ったので、はじめのウォーミングアップまでいっしょにさせてもらった。半分は知ってる人で、半分は知らん人。
いよいよスタート。
「スカッ」 毎度おなじみの空ピストル。あちこちから、「口でええで」の声。まじめな荘司さんはそんな声を気にせず、なんども玉をこめなおします。なんか、見てておかしくて・・・。
「バーン!」「なったがな」のびっくりした声。(なったら、あかんのかい。)
いきなり前に10人以上の大集団。こんなん、初めて。こら、40分以上も覚悟やな。
今出川に出る手前で、横からすーと抜いていくアンパンマン。と思ったら、杉原さん。いつからそんな速ならはったん? というか、こっちが遅いのか。「調子よろしいやん。」と声をかけると、「今だけです。」の返事。
でかい背中の杉原さん、いつか追いつくのかなと思っていたが、結局手が届かなかった。
それでも1周目、18分43秒。まあまあちゃうん?
2周目は、さすがにしんどかった。
前に見えていた宮村君の背中がどんどん遠ざかる。後ろからも人が来る気配がない。ちゅらかった。
ゴールは、37分31秒。(2周目、18分48秒。) 上出来じゃー。
しかし、右ヒザがズキズキ。そうや、去年の10月、ここの例会で右ヒザ痛めたんや。忘れとった。室町通の車道、左に傾斜してて、右足痛めやすいんや。
せっかくそこそこ走れたと喜んでたのに、うっかりしとった。あそこだけでもゆっくり走らなあかんかった。がっくり。
杉原さんを見つけたので、声をかけた。
「追いつけませんでしたー。どれくらいで入らはったんですか?」
「18分30秒です。」
「速いですやん。あのー、ブログに杉原さんのこと書かせてもらってもいいですか。写真入りで。」
「いいですよ。」
「もし、よかったら体重教えてもらえません?」
「へへへ、○○キロです。」
「ふぇー、ボクとちょうど20キロちがいです。それであのタイムって、すごいですやん。」
まいった、まいった。
これは相撲界でゆうと、金星配給? まてよ、自分が横綱ちゅうんはあまりにも傲慢な。昔大関やった力士が陥落して平幕になり、勝てると思っていた相手にあっさり負け引退。これに近いかなあ。
冨田会長には、例の話を。
「増馬さんでしたっけ、ハーフまでが速い人。篠山、どうでした。」
「あかん、自己ワースト記録ですわ。」
「自己ワースト? どやなー、それ。」
「ふしぎなもんで。次の週の京都シティハーフは、1時間18分で走ってはるんやで。」
「へー、おもしろいね。」
この先、まだまだ苦しんで楽しむつもりやな、彼は。
「こないだの抽選会でいただいたシューズ、はかせてもらってます。」
先週の京都ロードレースで、京都キャロットが提供したシューズを当てられた女性が声をかけてこられた。
「こうゆうタイプのシューズは初めてなんですけど、けっこうはきやすくて気に入ってます。今日もこのシューズで走ったんですよ。どうもありがとうございました。」
「いえいえ、喜んでもらえてよかったです。ヨメさんと、ええ人に当たったなあってゆうとったんですよ。あっ、ブログに載せさしてください。シューズはいてはる写真入りにします。」
「パチリ!」
私にとって、盛りだくさんな例会になった。
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2008年03月22日(土)
2008-春一番-大阪城公園4時間走 [ランニング]
今日の主役は、6歳の女の子と11歳の男の子です。
スタートしてしばらくして、小さい女の子が走っているのに気づきました。ながいたすきをかっこよく肩からかけていたので、チームでエントリーしてるんやとわかりました。(あの子一人で4時間は、無理。)
けっこう速いペースだったので、表情を見てみると、かなり苦しそう。いくらリレーとはいえ、最後まで楽しく走れるかなあと心配になった。でも、絶対に走りきるという気迫が感じられた。
レースの終盤、とぼとぼ歩きかけている男の子発見。すっと抜いて行こうとしたら、ついてくる。(おっと、負けん気強い子やな)と思いながらもしばらく並走。
「写真撮らしてな。」と言って、前に出ようとしたら、いっしよにペースを上げてついてくる。(写真、撮れへんやん)
500mほど並走後、やっと撮れました。それも走りながら撮ったので、何回も失敗した後に。(ちっさいけど根性あんで、この子)
4時間たち、レースは終了。
まず女の子がつけていた「303」をさがす。みっけ。
「すいませーん。あのー、マラソンのブログを書いている者ですけど、娘さんの写真撮らせてもらいました。ブログに載せさしてもらってもいいですか。」(さっと、デジカメの映像を確認してもらう。)
「(映像を見てにこにこ)、いいですよ。」とお父さん。
「小さいのにすごいがんばってはりましたね。おいくつですか。」
「今、6歳です。4月から1年生です。」とお母さん。
「そんなちっちゃいのに、よう走る言わはりましたね。」
「この子だけで、14周走ったんですよ。」
「じゅじゅ、14周? すごい!」
走ってる時は、あんなしんどそうだったのに、まあなんてさわやかな笑顔。今日、お父さんと二人で走り続けて、前よりもっと好きになったでしょう。走ることも、お父さんのことも。
さて、次は「306」。みっけ。
「すいませーん。(以下同文)」
「いいですよ。」と大型のお父さん。
「ご家族で出られたんですよね。」
「そうです。私と家内と息子で。とてもふだんから走っている家族には見えないでしょう。」
「いやー、そんなことないですよ。結果はどれくらい行きました?」
「それは、たいしたことないです。最後までしっかり走るのが目標でしたから。」
話し終わったころ、奥さんと息子さんが戻ってこられた。がっしり系の大きなお父さんときれいなお母さん。この息子さんもきっと走ること、家族のことをあらためて好きになったでしょう。
主催者さんへ。
4時間走チームの部で、ご家族でエントリーされているチームを表彰してあげてほしい。たぶん、今回はこの2チームだけだったのでは。スタート前かゴール後に、みなさんに紹介してもらえたら、子たちにとってはすごい励みになる。私も走っていて、この二人の存在が励みになった。
家族でリレーできる大会は非常に少ないので、ぜひ検討していただきたい。
話はもとに戻ります。
この4時間走の主催者さんは、兵庫県小野市の「アスレック」さん。今まで聞いたことのない名前だ。しかし、受付が大阪の「ラン-ウォーク スタイル」さんということだったので、しっかりした運営がされていると思い参加することにした。
朝6時半に家を出、森之宮に着いたのは7時40分。早すぎた。
店内の受付で、びっくり。田中千洋さん。
(お母さんマラソン日本最高記録保持者。第一子出産後、2時間29分30秒の自己最高をマーク。第二子出産後は2時間37分52秒。)
そうか、たしか田中さんて、兵庫の人やったな。「アスレック」って、田中さんとこのクラブ?
それにしても、きしゃな感じの方でまたびっくり。
スタートの9時までまだ1時間以上あったので困った。駅に行くと、こんな朝早くから本屋さんがあいていた。月刊「クリール」を買い、ヒマつぶし。
大阪城公園では、植木市が開催されていた。
天気がいいので、かなりの人でにぎわうのでは。
参加者は、男子52名、女子23名、チーム7(18名)。
ぱっと見た感じでは、私より年上の方は少なそう。
主催者さんから、諸注意。散歩の方や自転車の方に注意するようにとのこと。
コースは、うり型(ゴーヤ型)の左まわり周回、1.25km。 スタートすぐにアスファルト道。うり型のさきっぽ(700mくらい)左折で少しだけ土。そこから、お堀沿いに石畳が200mほど。次に土が300mほどで、もとの場所に。
雨だとたいへんなコースだが、天気がいいと「変化があって、よろしい。」
ただ走っていると、あきてくる。
どっかに雑種(犬)はおらんかなあ、ときょろきょろしながら走っていたが、いい犬ばっかり。せっかく今日はカメラを持って走っているというのに・・・。
と、突然、「ポー」という大きな汽笛が。なんでこんなとこに汽車が。
これも、心がなごみました。
エイドもすごく充実していた。
そこには、4時間中ずっと田中千洋さんがおられた。さすがベテランランナーだけのことはある。すべての食べ物が、ちょうどいい大きさに切り分けられている。種類も量も豊富。見た目もすごくきれい。
これだけ用意してもらえると、ランナーは本当にたすかる。
さて、私の調子のほうは・・・
4周(5km)ごとに給水給食を取り、17周(21.25km)時点で、1時間56分。
いや、これひょっとして、4時間でフルの距離越えられるかも。また、取らぬタヌキの皮算用かい!
でも、いつものゲーあげそうな気持ち悪さも今日はないし。行けるかも。
40km手前で、へこたれそうになった時、出ました救世主。夢の超豪華雑種三頭立て。これは、まぼろし? いやいや、優しそうなおっちゃんがちゃんと三本のロープで散歩さしてはります。
黒くて口だけ白いコロ、うす茶のラッキー、真っ黒けのクマ。
コロちゃんは、私の左足の太もものあたりをペロペロペロリン。
そうそう、そこ。さっきから、そこ、つりかけとってん。すまんなー。
「シャキーン!」
残り2周息を吹き返し、34周(42.5km)でゴール。
たぶん、42.195kmあたりの通過は、3時間57分40秒くらい。やったね。
ゴール後は、みなさん満足な表情。
まず、天気がよかった。私のように初めて参加する者は、天気によってその大会の印象の半分以上が決まってしまう。
次に、コースがよかった。1周、1.25kmは、短すぎるようにも思うが、景色の変化がけっこうあって、そんなにあきない。心配されていた人や自転車との接触もなかったようだ。
それに、エイドの充実。私の場合、7分くらいで1周なので、その誘惑に負けないようにするのがたいへんだった。(7分ごとの誘惑。食べ過ぎると、気持ち悪くなる恐れ。)
帰り際、田中さんにお礼を言い、次の大会のことを聞くと、10月に同じコースを使って5時間走があるとのこと。
いい大会だったので、スケジュールが合えば、ぜひまた参加したい。(5時間は、ちょっと長いけど。今度は、計画的にエイドを使わせてもらって。)
「うち、京都キャロットっていうランニング用品店なんです。うちのブログに、田中さんのこと書いていいですか。お顔の写真も撮らせてもらったんですけど・・・。」
「はい。ありがとうございます。」
なんて、感じのいい人なんでしょう。
みなさん、10月の5時間走、ぜひ参加しましょう。
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2008年03月20日(木)
誰も知らない高橋尚子 [マラソン評論]
3月16日の夕方、「誰も知らない高橋尚子」という番組が放送された。何日も前から宣伝していたので、必ず見ようと思っていた。
自分の草レースでも、レース後、レースの分析をするのはおもしろい。
ましてや、こないだの「名古屋」の分析なら、いろんな人が好き勝手いろいろ言って盛り上がることまちがいない。そこに参加するためにも、この番組は必修科目だと思った。
私個人としては、どうしても知りたいことが二つあった。
一つは、高橋尚子が何回も繰り返していた「夢」の具体的な中味。
もう一つは、レース後に7ヶ月前の手術を告白した理由。
この二つが、腑に落ちなかった。
番組が始まってまず驚いたこと。「ファイテンスペシャル」の冠。そうか、この番組は「復活高橋尚子、北京で輝け!」とかいうのが本来の題やったんやろうな。
内容のほとんどが、7ヶ月前の手術に関係すること。時おりはさまるファイテンのCMが、またむなしい。優勝していたら、番組の内容も全然違ったものだっただろう。
私が期待していた「夢」の説明も、なかったのか、私が理解できなかったのか。
レース後の手術の告白の理由も、よくわからなかった。日本人に多い美的感覚から言うと、勝って告白するか、負けて黙っておく、このどちらかだと思う。(レース前に、あっけらかんとすべて言ってしまうという選択肢もある。)
「手術してへんかったら、あんたらには負けてへんわ。あっかんべーっと」(何で、関西弁?)、と同じレースに出た人に言ってるみたいにも取られかねないし、あれはやっぱり言わんかったほうがよかったのでは。
ただし、ここで忘れてはならないのが、「高橋尚子はプロ」ということだ。いつも、スポンサーの要求に応えなくてはならないという厳しい環境の中にある。
ふふん。手術の告白は、この日のテレビ番組のためか。そう考えるとつじつまが合う。(視聴率のため! スポンサーのため!)
優勝していたら、宣伝なしでも多くの人が見ただろう。でも27位では、どこの何を見たらいいのか。普通の人は困ってしまう。
普通の人にわかりやすいこと。「へー、ものすごい大手術しやはったんや。それやのに、よう最後まであきらめんと走らはったなあ。ものすごがんばらはったんやなあ。」
どうも、すっきりせん。
番組中にレース分析をしてくれると期待していたのに、それもなかった。代わりに私がします。
3月9日にも書いたが、「名古屋」はベテラン勢が惨敗したレースだった。原因は単純。「高橋尚子の影」である。
ほとんどの出場者は、「高橋尚子が飛び出し、独走してしまったら、もうどうしようもない。」と思っていただろう。ところが飛び出さない。何らかの理由で飛び出せない、と他の選手は理解したと思う。調子の乗らない高橋尚子相手なら、勝ち目がある。とりあえずは様子見のペースで。この大集団の中で、しんぼう、しんぼう。これが、最初の5km、17分55秒もかかった理由ではなかろうか。
「スローペースにはまる」という表現は、ふつう悪い意味で使われる。本来スピードでおしていくタイプのランナーが、遅い集団に包まれ、切り替えができなくなってしまう。「名古屋」はその典型であったのでは。
優勝した中村選手には申しわけないが、2時間25分51秒は、ひと昔前のタイム。弘山、原、坂本、大南、加納、どの人をとっても中村より上のような気がする。このベテラン勢は、みな「高橋尚子の影」に負けてしまったのだ。(高橋尚子の手術のことを知っていたら、この5人のうちの誰かが優勝していたのでは。) そういう意味で、高橋尚子の偉大さ(影響力)をあらためて思い知った。
さて、この関連の話題として・・・
ヨメさんからの情報で、和田アキ子が高橋尚子のことをボロかすに言い、それに対して和田アキ子たたきがすごいらしい、とか。
それは3月15日、ニッポン放送で。
高橋尚子の「調整不足でした」というレース後の記者会見について、「自分が一番分かっていたはずでしょ」と不満をかたった。
さらに「手術してたって終わってから言うのはよくないよ。あの状況でレースでるなんて、よっぽど大金を貰ってたのかね」と会見で敗戦の“言い訳”ともとれる発言が次々と飛び出したことにご立腹の様子だった。
この発言について、和田アキ子たたきが続々。
パソコンでその内容を見てみると、一番多かったのが、「陸上競技のしろうとが、何を言う!」というものだった。
それ、ちょっとちがうんじゃないでしょうか。マラソンのファンの大多数は競技とまったく関係ない人です。そんな人たちが、マラソンに関心を持ち、ああでもないこうでもないと言い合うのもおもしろいのでは。
和田アキ子の発言は、ちょっとピントがずれている所もあったが、全体としてはけっこうよう見ているやんという印象だ。和田アキ子が一番言いたかったのは、「プロはもっとプロらしく」ということだったんじゃないでしょうか。こんなことくらいでふくろだたき状態になるなんて、ネットの世界は恐ろしい。
そういう人たちは、月刊「ランナーズ」5月号の巻頭の次のような記事にはどう反応するのだろう。
「不明点が残った失速の原因」
高橋選手は今回でマラソン11回目。「ここまで走れないとは自分でも思わなかった」と語ったように、タイムは予想以上に悪かったかもしれない。しかし、オリンピック代表の座をかけて有力選手たちが全身全霊をかけて勝ちにくるレースを、練習不足の状態で勝ち抜くことができるほど、マラソンは甘い競技ではないことは、事前に予想できていたはず。
レース前に手術したことを公表しないのは、代表の座を競うライバルたちに精神的なプレッシャーを与える戦術としては「有り」だが、事前には、勝負に徹するアスリートという立場での発言以上に「あきらめなければ夢がかなうことを伝えたい」と、沿道やテレビでレースを観戦する人たちを強く意識し、期待を持たせるメッセージを発信し続けていただけに、自分を鼓舞する以外に、どんな意図があったのか疑問を感じる面もある。
手術したことをレース前に公表したうえで、「今の自分の精一杯の走りをみせるので応援して欲しい」というメッセージを送る選択肢はなかったのだろうか。 (一部抜粋。)
さらに、巻末の「編集部から」の橋本氏の言葉を読めば、卒倒するかも。
名古屋のQちゃんがっかりだったな。結果が遅かったというのではなくそのあとの談話ですよ。10km持たないんでしょ。走れないということはわかっていたはず。ランナーなら誰だってわかるレベルの話です。それなのに前日までの優勝が、夢が・・・・・などの話はない。期待を立派に裏切ったんだから、ごめんなさい、スミマセンでした、の一言くらいあって欲しかった。どこかの新聞がおもちゃを取り上げられる子供のようだ、と書いていたくらいでマスコミはむしろ走りきったほうを評価しているが、マスコミもメディアとしての批評性はどこに行ったのか。これじゃ新聞読まなくなるわけだ。
どうですか。これがプロの評価です。
それにしても、私が以前から気にしていたこととの共通点が多い。私も、評論だけは、セミプロ??
私が、ゴール後の高橋に言ってほしかった言葉。
「あーもういや! もう二度と走りたない。あほらしもない。」(なんで、関西弁?)
走りとうて走りとうてたまらんようになるまで、ゆっくり休んだらあかんの?
1年か2年後、高橋、野口、福士、渋井、あと赤羽さん、その他有力新人を入れた、それこそ夢の賞金レースちゅうのはどうでしょう。こら、おもしろいで。
(あかん。もう完全に、ええかげんなアマチュアのおっさんに戻っとる。)
◎今日(3/21)、毎日新聞の夕刊に、漫画家やくみつるさんのコメントが載っていた。
「名古屋国際女子マラソン・Qちゃんを抜くということ」
(略)
レース後、記者会見場に現れたQちゃんは、存外サバサバした表情を見せてくれた。これは救いだった。おそらくは失意のドン底にあったろうに、まるでこの結果をある程度覚悟していたかのような口ぶり。そう言えばゴール直後、サングラスを外した顔は悔し涙でグチョグチョになっているのではと思いきや、このときも、その表情は意外なまでに静かなものだった。Qちゃんのギリギリの矜持がそうさせるのか。逆にみている方が“痛い”。
こんなとき日ごろからヒネくれたマンガばかり描いている私は、つい別のことを考えてしまう。では、その失速していったQちゃんを<追い抜いていった>選手は、どのような心持ちだったのだろう。
前方、力なく走るランナーの姿をとらえる。距離を縮めていくと大会スポンサー「メナード」の文字とゼッケン「11」――。えっ!? あれって高橋尚子?と我が目を疑うことだろう。そしてついに抜き去る。あの金メダリスト、国民的マラソン走者を!! この殊勲をおそらくは人生の大事とばかり周囲に語るに違いない。「私、Qちゃんを追い抜いたことがあるの!!」
してみると気の毒なのは、Qちゃんがトイレに駆け込んでいる際に追い越していった選手で、彼女らにはその実感がない。やはりジカに抜きたかったんじゃあるまいか。
ま、いかにも観戦中に眠ってしまう輩の考えそうな、しょーもないことですが。
(やくさんのコメントに対する私のコメント)
しょーもないことないぞ。すばらしい。誰もこの人たちの気持ちまでは考えへんかったと思う。
さすが、やくみつる。視点が、他の人と全然ちがう。
やくみつるさんは、どんなものでも楽しんでしまう。人がめちゃくちゃ腹を立てているようなことでも、「それも考えようによっては・・・」という感じですべて興味深くしてくれる。ふしぎな才能を持った人だ。(今まで本気で怒っておられたのは、亀田親子の非礼ぶりに対してだけだ。)
みなさん。いろいろな人のいろいろな意見を、聞くだけ聞きましょうよ。相手が二度としゃべれなくなるような批判の仕方はやめましょう。
「そうか、こんな考え方もあるんや。」と思いながら、人の話を聞くほうがおもしろいと思いますよ。
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2008年03月19日(水)
出会い [家族]
「いろいろな出会い」 1年2組 藤井真樹
私は今年の4月に花背から市原に引っこしました。お母さんに2月ぐらいに引っこすと言われました。
最初は本当にいやでした。花背の別所小学校は私の6年の時には全校生徒が3人しかいなくて、市原に行ったら洛中にいかないといけないし、そんな大勢なとこは初めてだし、絶対についていけないと思いました。
それともう一つは友だちとはなれないといけないことでした。別所は中学生とあわしても10人しかいないんだけど、少ないからこそみんなふつうの学校より仲がよくて、とてもしゃべりやすいし、本当にはなれたくありませんでした。
お母さんは私のことを考えていると言っていたけど、私には本当に考えてくれているのかわかりませんでした。でもやっぱり大勢でスポーツとかしてみたかったので引っこすことにしました。
洛中の入学式の前の日に引っこしました。
初めて電車にのった時、すごくこわかったです。ほかに洛中の人ものっていたし、友だちどうしでしゃべっている人とかもいました。私の気持ちは、こんな中に入れんのかなと思いました。でも一人でいるとしゃべりかけてくれた人がいました。すぐ仲よくなれて、ずっとしゃべっていました。私が洛中に入って初めて出会ったのは友だちでした。なれてきたらほかにもたくさんの友だちができました。
学校がはじまってから部活にも入りました。私はぜんぜんやったことのないバスケ部に入りました。入ってからの練習はものすごくしんどかったです。もちろん今もとてもしんどいけど、みんなと練習とかをしていると、入ってよかったなあと思っています。だから、私は洛中に入ってから、友だちとすごく楽しい部活に出会いました。
出会いというのはいつ出会うかわからないし、なかなかいい出会いとは出会えないと思います。でもいい出会いに出会いたいからといってなにもしなかったら、ぜったいに後悔すると思います。いい出会いに出会えなかっても後悔はしないと思うから、新しい所に行くのもいいと思いました。
最初はお母さんが考えてくれているって言ったことがよくわからなかったけど、今になってきてちょっとわかったかなあと思いました。もし引っこししてこなかったら友だちとか部活に出会えなかったし、引っこしして本当によかったなあと思います。
ほかにもいろいろな出会いに出会っています。生まれてなにかに出会い、保育園に行ったこと、小学校に行ったこと、そして洛北中学校に行っていること、全部いろいろな出会いがあったと思います。
これからもいろいろ出会うと思います。今までは自分で決めていろいろ出会ったことは少ないけど、これからは高校とか大学に行くと自分でいろいろ決めないといけません。そこでもいろいろ出会いたいです。これからもたくさん出会いたいです。
◎ 昨日、学校で書いた課題作文「出会い」を持って帰ってきました。
この家に引っ越して、もうすぐ一年。
今日は、中学校の終業式。真樹は、新しい環境を受け入れ、一年間いやがることなく学校に通いました。
毎朝毎朝、きくといっしょに叡電・二軒茶屋駅まで(約300m)歩いたね。「今日はいい天気や。」 「今日はちょっと寒い。」たいていは返事が返ってき、ときたま調子の悪い時は黙ったまま。部活の休みがほとんどなかったので、この道をいっしょに歩いたのは、350回!
一年前、家族でいろいろ話し合ったことが思い出されます。
「真樹ちゃんなら、きっとだいじょうぶ。いやなことに負けてしまう子じゃないでしょう。」
市原野保育園時代の同級生・藤田君のお母さんの言葉は、うれしかった。引っ越し後の真樹の学校のことが一番心配で相談にのってもらった時、力強い言葉をかけていただいた。
できれば、少しでも知っている子がいる洛北中学校に入れてやりたい。そう思っていたが、真樹の作文を読んでみると、「初めて電車にのった時、すごくこわかった」。
ごめんな。真樹は、毎日にこにこしながら家を出てたから、そんなこと思ってたとはまったく気づかんかった。よう学年一人の学校から、250人の学校に飛び込んで行ってくれたね。それに、自分の力で、楽しいこともいっぱい見つけられたね。
藤田君のお母さん、どうもありがとうございました。他にも知ってるお母さんやお父さんも何人かいて、結局頼っていたのは私たち親のほうかもしれない。
何回も、真樹はしっかりしてんにゃと思うことがあった。そのたんびに、パオパオとかあちゃんは、「よかったなあ、よかったなあ」って言ってたんやで。(真樹の「出会い」の作文を読んで、かあちゃんは泣いていました。)
前に真樹が言ってたなあ。
「いやなことが10あってもいいことが1つあったら、いやなことは全部忘れることができる。」
その気持ちを忘れずに、中2も楽しく、なっ!
(でもその言葉、私が常々言ってることと似てるんですけど・・・。)
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2008年03月18日(火)
エール! 高石てるえさん [私の好きな人]
今日、月刊「ランナーズ」5月号が届いた。
このごろ、必ず一番に読むのが「てるえさんへの手紙」である。
高石ともやさんが、ガンに立ち向かっておられる奥様に送る言葉を連載されている。(ともやさんもいっしょにガンに立ち向かっておられるので、<送る言葉>という表現は適切でないかもしれない。)
今回が最終回とあったので、ちょっとびびってしまった。もしや、悪いことが起こったのでは・・・。
読み進めて、ほっとした。
「よい日もある、悪い日もある、それが人生だって。良い日は誰だって喜べる、運の悪い日とか、つらい事が重なった時に、どうやって明るく生きるか、それが人生の面白さだよ。
喜びの朝もある 涙の夜もある
ながい人生なら
さあ、陽気にゆこう
身体は癌になっても心まで病んでいるわけじやないもんね、と笑いながら話すあなたの静かなファイティング・スピリッツが好きです。これからも与えられた命を一日一日大切に生き切りましょう。この春を、次に来る夏を、秋を一緒に充実させましょう。僕は最良のサポーターになるのです。」(一部抜粋)
本当に不思議なご夫婦です。
ながいながい闘病生活のなかでも、「陽気にゆこう」と言い合えるご夫婦。ガンと闘いながらも笑顔を忘れない奥様。自分を、最良のサポーターと胸を張る夫。
なかなか真似できないけれど、目標にはしたい。この文を読んで、そう思った人は多いだろう。
私自身は、フォーク歌手・高石ともやさんはだいぶ前から知っていた。だが、ランナー・高石ともやさんを知ったのはいつごろだろう。
皆生トライアスロン優勝? オーストラリア大陸横断ラン?
私の上賀茂小学校教師時代、京都新聞に高石ともやさんのコメントが載ったことがあった。それは、「がんばれ」という応援についての考えを述べたものだった。
日本では、応援はすべて「がんばれ」。外国では、応援にもさまざまな表現があるのに。本当にがんばっている人に、まだその上「がんばれ」というのは酷だ。もっといろいろな応援の仕方がないものだろうか。
そういう内容だった。
それを読んで、すごいと思った。今までなんの気なしに「がんばれ」と言っていた自分がはずかしかった。
「勉強せー、勉強せー」と言い続けておられるお母さん方にも、ぜひ考え直してほしいと思い、次の学級懇談でその記事をコピーしたものを話し合いの資料に使った。結果は・・・、若すぎた私の説明不足だったのだろう。お母さん方は、ちんぷんかんぷんという表情だった。せっかくいい内容だったのに、私の空回りで終わってしまった。
初めて生の高石さんを見たのは、びわ湖ジョギングコンサートかな。
奥様に初めてお会いしたのは、たぶんスイス村リゾートマラソン(京都府弥栄町・現在京丹後市)。第1回大会であったと思う。
20kmか10kmの部で高石さんの奥様が優勝。そして、うちのヨメさんが5kmの部で優勝。・・・と思ったら、表彰式も終わった後に2位であることが判明。優勝剥奪。(わたしゃ、ドーピング違反か! プンプン。)だから、よくおぼえています。もう、21年も前のことです。
それからいろいろな大会でお目にかかり、うちの出店テントでもちょくちょくお買い上げいただくようになった。そのころ、うちのヨメさんがよく言ってた。「ともやさんの奥さんて、ほんまにふつうの人やなあ。」 (この「ふつう」は、すごくいい意味で使っています。)
ともやさんは、うちの廉と真樹のこともよくかまってくれはって、そのおかげで二人とも写真を見せればすぐ「あのおっちゃん」とわかります。高石ともやさんを知っている中高生は、そうはおらんぞ。
「てるえさんへの手紙」は、もっともっと続けてほしかった。ガンが完治したという日が来るまで。
しかし、高石さんのおかげで、人はなぜ走るのかを真剣に考えた人は増えただろう。
私も後に続く人たちに伝えてゆきたい。そんなにがんばらなくていいよ。「陽気にゆこう」とね。
◎ 2003年8月、 「京都キャロットお客様紹介コーナー」 に寄稿していただ文を再掲載します。
いろいろな場所で開催されるマラソン大会に参加しているうちに、どこの会場でもキャロットさんの出張販売を見つける機会が増えました。
キャロットさんは、多くのマラソン大会で見かけるスポーツ店の印象と違っていて、私の様にランニングを楽しむ為に大会に参加している女性の市民ランナー向きの“ホッコリ”した感じのお店の名前が可愛らしくて気に入りました。
お店の名前だけでなく、可愛らしくて愛想の良い眞寿美さんの親切な接客の下で豊富な商品をより楽しく探せて、大会に参加して走る事以外の楽しみでもあります。
出張販売をされた当初は、まだ幼いお子さんを抱えての接客で、とても大変そうに思えて心配していたのですが、今ではお子さんもしっかり成長されて、お店を手伝っていて御家族でお店をされている姿が、とても微笑ましいです。
これからも、眞寿美サンの素敵な笑顔と接客でマラソン大会に参加している私達に元気を与え続けて下さい。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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