パオパオだより

2008年02月23日(土)

「ひめゆり」 -長編ドキュメンタリー映画- [映画]

 ひめゆり学徒隊生存者22人の証言が、一本の映画になった。

 昨年3月、中学を卒業したばかりの息子とひめゆりの塔へ行った時、平和祈念資料館でその証言が流されていた。
 
 また、一昨年6月、娘(当時小6)と妻との三人でひめゆりの塔に行った時には、語り部の方が帰られるところを呼び止めてお話してもらった。(新崎昌子さんという方だった。)
 自分では、沖縄戦について少しは知っているつもりだったが、新崎さんのお話を聞いて、米軍が最初に上陸した場所さえまちがっておぼえていることに気がついた。
 最初に上陸したのは「読谷(よみたん)」。そこは新崎さんの出身地だった。それがわかった時、本当にはずかしかった。
 「本土の人は、そんなことも知らずに、ここに来てるのかね。」と思われたにちがいない。

 あの後、沖縄戦の本を読んだり、上映会に参加したり、前よりは少しはましになっているはず。この映画もしっかり見るぞ、と気合を入れて見に行った。(妻と二人で。)

 100時間以上の証言を2時間10分にまとめた映画だったが、ナレーション・音楽は一切なし。それでも集中力が途切れず、最後までしっかり見ることができた。

 なかなか出てこられないと思っていたら、最後の最後に新崎昌子さんが出てこられた。(まとめ的存在なのかなあ。)
 週2回、読谷から片道2時間半かけて、平和祈念資料館に通われているそうだ。
 ・・・私もね、いつの日かあの世に行く時には、たくさんのお土産、平和な時代のお話のお土産をね、いっぱい持っていって、平和な時代を味わえなかったお友達に、こんなこともあったのよ、あんなこともあったのよと、いっぱいお土産を持って行きたいなと思います。それまではね、元気で、若い人に語り継いでいきたいなと思います。私の生きがいにつながっております。・・・

 ひめゆり学徒隊生存者の方たちだけでなく、戦争はダメ、平和がなによりも大切と思うすべての人が、その思いを語り継いでいかなくてはと思う。

 パンフレット売り場には、うちの子と同じ洛北中学校の女生徒(2年生)が、職業体験の実習に来ていた。この映画を見てほしいけど、中学生だと、ただ「かわいそう」で終わってしまうのかな。

 家に帰って、パンフレットを読んだ。
 映画の中で一番印象に残った、宮良ルリさんの証言10。 
 ・・・その日もそばを通りますと、「学生さん」と弱々しい声で呼んだんです。「何ですか」と近づいていくと、僕の手を握ってくれと言うんです。この人は手がありませんでしたので、腕をつかんで「しっかり握っていますよ」と励ましたんです。弱々しい声で「学生さん、僕は北海道の出身なのよ。今頃北海道ではスズランの花が咲いているよ。戦争が終わり僕の傷が治って、北海道に戻ることができたら学生さんにスズランの花を送ってあげようね。ありがとう、学生さんありがとう。お母さん、お母さん」と言って息を引き取ったんです。私は人の死を目の当たりにしたのは初めてだったんです。大変なショックをうけました。ああ、この兵隊さんは死んでしまったのか、という思いを持ったんです。・・・

 映画では、証言10はここで終わっていた。
 映画の時も泣き、また読み返しても涙が止まらない証言だった。この話なら、うちの子やパンフレット売り場にいた中学生にも、よく理解できると思う。

 しかし、読み進めると、この証言10にはカットされた続きがあつた。

 ・・・それと同時に、私たちは兵隊が死ぬ時は「天皇陛下万歳」と言って死ぬと教えられていたんです。この兵隊、どうして天皇陛下万歳と言って死なないんだろう。「お母さん」と言って死んだね。そう思ったんです。それからたくさん死んでいく兵隊を看取りましたが、みんな「お母さん」とか家族の名前を呼んで死んでいったんです。・・・

 ああ、もったいない!
 どうしてこの部分がカットになったんでしょう。この映画「ひめゆり」の中で、一番大事なところかもしれない。
 戦争は絶対にダメ、平和がなにより大切と思う人は、天皇陛下や国のためには死なない。お母さんや家族のために(そして自分のためにも)、絶対に生き抜く。

 4年間、中国に戦争に行っていた私の父(86歳)が言っていた。
 「靖国で会おう」は、映画の世界。そんな人もいたかもしれないが、父のまわりは皆、日本にいる家族のために、生きて帰って来るつもりだった。そのために考えることは、どんな状態になっても、自分の命を粗末にしないことだった。

 パンフレットの中には、証言者22人のひとりひとりの生い立ち、学園時代、戦場、戦後のことがくわしく書かれていた。
 一番年上の方が、私の亡き母と同じ大正14年生まれだった。私の母も教師をめざし、戦中戦後の数年間、小学校教師をしていた。いっしょに映画を見た私の妻の言葉。
 「こうじさんのお母さん、沖縄に生まれてたら、絶対にひめゆり学徒隊になってたなあ。大正14年生まれで、長女で、先生めざしてたんやから。」

 それぞれの、ひめゆり学園時代のエピソードもおもしろい。
 津波古ヒサさんの、「プール事件」は笑った。
 県下で初めてのプールが完成。泳ぎたくても許可がもらえず、あきらめかけていたが、誰かの「入ってもいいらしい」というデマでクラスの半分がプールへ。退学の危機だったが、プールに入った中に知事の娘がいて何とか助かったらしい。
 そのほかにも、「アメリカの物量に精神では勝てない」とはっきり言われた先生の話。
 英語が選択科目となった時、続けたいと反発する生徒と早くやめたいと思う生徒。
 
 戦中の沖縄と言っても、さまざまな先生や生徒がいたことがよくわかる。
 一番ひどいのは、それぞれの個性などまったく関係なく、強制的に戦場にかり出され、ある日突然解散命令により最前線に放り出されたことである。
 それが戦争だ。

 ひめゆり学徒隊にかりだされる前の学園時代のエピソードも映画に入れてもらうと、ごく普通の女生徒が、戦争の歯車に巻き込まれていく様子がよくわかったと思う。
 長くなってもいいので、「続編」は、ぜひそういう構成にしてほしい。
 
 「ひめゆり」は、悲劇のヒロインの話ではない。
 私の母と同じ時代に生きた、ごく普通の日本の女性の話である。

  (注) 実際に映画を見たのは、1月16日です。

画像(180x56)・拡大画像(640x201)

公式HPより

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