2018年11月05日(月)
採血と父〜病気のおさらい〜 [病院]
おととい「京都丹波ロードレース」で、私の最後の教え子の一人・ともちゃんに久しぶりに会った。私の病気のことを心配してくれているともちゃんは、「5年経過してだいじょうぶなら、もう心配ないんですよね」と言ってくれた。
「いやいやいやそれは一般的な癌の場合であって、甲状腺低分化癌ちゅうのはそれとはちょっとちがうみたいなんやわ。いつ転移するか分からんし、転移したらえらいことになるみたいな・・・。」
「えー、そうなんですか。」
(それにまだ2年で、あと3年生きられるかどうかも確定的ではない。)
甲状腺低分化癌の当の本人である私も、実はもひとつよく理解できていない。もう一回おさらいしましょうか。
■2016年
8.18 胆石胆のう炎+甲状腺腫瘍の診断(CTスキャンによる)
9. 2 首に針(穿刺吸引細胞診)
9.12 甲状腺腫瘍は「5段階の3」との診断、摘出手術を勧められる
10. 3 入院
10. 4 甲状腺右葉摘出手術
10.11 甲状腺低分化癌の告知(遠隔転移の可能性大と言われる)。退院
10.20 PET検査
10.31 PET検査結果、転移なしだったが全摘手術を勧められる。
■2017年
2. 4 セカンドオピニオン(神戸・隈病院)
3.17 再手術決定
4.26 入院
4.27 甲状腺全摘・リンパ節郭清手術
5. 4 退院
5.19 京大病院へ行き、アイソトープ治療申し込み
7. 9 タイロゲン注射
7.10 京大病院入院、アイソトープ治療
7.14 退院
■2018年
2. 8 緊急入院(胆のう炎発作、ステント挿入)
2.17 退院
3.19 入院(ステント除去)
3.24 退院
7.12 入院
7.13 胆のう摘出手術
7.18 退院
8. 5 タイロゲン注射
8. 6 京大病院入院、アイソトープ治療
8.10 退院
※ 1年10か月の間に7回入院。病院とお友だちになってしまいましたわー。
これで一区切り。
次の血液検査で、サイログロブリンの値が「限りなく0に近づいておれば」、あと3年はだいじょうぶでしょう。甲状腺細胞から出るサイログロブリンは、甲状腺細胞がなければ検出されない。これが0に近づくということは、遠隔転移の可能性も0に近づくということ。
その採血が今日で、結果を教えてもらえるのが1週間後の11月12日。ああ待ち遠しい。
私は「ごくまれ」続きなので、「サイログロブリンの値が上がってましたー」てなことにならんやろなあ。心配と言えば心配。
(注)もうちょっと、続きます。
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2018年09月12日(水)
がん生存率は101人中51番目の患者の値 [病院]
◎毎日新聞9月12日朝刊
がん3年生存率71%
◇乳がん95%、膵臓がん15%
国立研が初公表
国立がん研究センターは11日、2011年にがんと診断された人の3年後の生存率を初めて公表した。これまで約10年前に診断されたがん患者の5年生存率を公表してきたが、最新に近い治療を受けた患者の状態を把握するため、5年分のデータがそろうのを待たず算出した。全体の3年生存率は71.3%。前立腺がんは99.0%、女性の乳がんは95.2%と高かった一方、治療が難しいとされる膵臓(すいぞう)がんは15.1%と他のがんより大幅に低かった。
全国の「がん診療連携拠点病院」など268施設の患者30万6381人のデータを集計・分析。日本人に多い「5大がん」(胃、大腸、肝臓、肺、女性の乳房)など11種のがんについて、進行度を示すステージ別に、がん以外の病気や事故で死亡する割合を除いた「相対生存率」を算出した。
5大がんでは、肝臓と肺の生存率が比較的低く、胃は進行すると生存率が大きく下がった。乳がんは生存率が高いが、若い患者が多いことも関係していると考えられるという。
がんは5年生存率が治癒の目安とされることが多い。3年生存率について、同センターの若尾文彦・がん対策情報センター長は「新しい治療法の効果を含むタイムリーなデータを提供した。今後、同じ患者の5年生存率が出れば、対比することで、より早い段階で治療成績などの判断ができるようになる可能性もある」と話す。データはウェブサイト「がん情報サービス」(https://ganjoho.jp)で確認できる。【五味香織】
9月6日の毎日新聞夕刊・特集ワイドに、「余命は『「残りの寿命』ではない」という記事が載っていた。「余命1か月」と宣言されたのに、10年後もしっかり生存されている例があげられていた。
東京女子医科大がんセンター長の林和彦教授(化学療法・緩和ケア)の話。
一般的に医師が告げる余命は、「生存期間中央値」という指標だという。ある治療を行った患者が101人いたとすれば、ちょうどその真ん中の51人目の人が生存していた期間がその値となる。言い換えれば半数が死亡するまでの期間だ。あくまでも中央値なので、期間が短い人も、反対に長い人もある。
「ですからその集団の中のどこにいるかは誰にもわからない。告げる場合、『あくまでも集団のデータであって、個別のデータではなく、あなたがどこに入るかは分からない。治療の取り組みや効果で変わるのです。今から余命を気にしていてもしょうがないと思います』と伝えています」
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なんか納得できるようなできないような話。
私も2年前の癌宣告を受けたあと、自分なりに自分の「余命」について予測してみた。
しかし甲状腺低分化癌は、癌の中でもマイナー中のマイナー。患者数が少ないということは、治療法が進んでおらず、治療データも少ない。
ただ担当の?医師が、いかにもお気の毒というような表情で、(摘出した腫瘍の大きさから判断して、)「全身転移の可能性大です」とおっしゃったものだから・・・。
そこで私の自己判断は「余命2年」。それやったら、あと1か月ですやん。生きてますがなー。元気ですがなー。
ごくまれならしいが転移していないということが分かり、その時の私の自己判断は「今後転移しなければ余命5年」。
今のところアイソトープ治療がうまくいっているらしく、「すぐに転移する可能性は低くなった」とのこと。今年8月の京大病院退院後、担当医師は「来年はアイソトープ治療に来ていただかなくてもいいでしょう」とおっしゃった。
ああ、ありがたや、ありがたや。この通りになると65歳の誕生日を迎えられるので、65で亡くなった母の年齢も超えられるかも。
そもそも男性の甲状腺癌患者は極端に少なく、アイソトープ治療に来られている男性患者は重篤な方が多い。
私はまたもや、「ごくまれに」治療が効果的にできている男性患者なのかもしれない。
101人中の10番以内くらい、マラソンなら入賞が狙える位置ですかねえ。
ほんとうにそうならいいんですけど・・・。
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2018年08月20日(月)
これで終わりに・・・ [病院]
出張販売の翌日の病院通いはしんどい。
今日は、鞍馬口医療センター耳鼻科。
月曜ということもあって、駐車場にはなかなか入れないし、診察の待ち時間も長い。
I医師から、「いろいろとお忙しかったですね」と。
胆のう摘出手術やアイソトープ治療のことを労ってくださった。
「イヤだったね」ではなく「がんばったね」という意味だったんでしょうか。
診察料420円、薬代90日分4890円。
死ぬまで飲み続けなくてはならない薬代が高い。
今月は入院のほかに4日の通院。
もうこれで終わりになればいいんですけどね。
ドッグセラピー、行ってみたいなあ。
でも、この日は京大病院に行ってアイソトープ治療の結果を聞きに行く日だし・・・。
病院に行く日は、それだけで1日がつぶれてしまう。
ああ、もうほんとうに何もかも終わりにしたい。
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2018年08月10日(金)
退院から隠遁 [病院]
午前11時ごろ、無事京大病院を退院いたしました。
気にしていてくださっていたみなさん、ありがとうございました。
去年と同じく、退院後3日間はできるだけ人と接触しないようにと言われている。
・人との添い寝禁止。
・5歳以下の子ども、妊婦との接触禁止。
・5歳以上の子どもとは1m以上離れる
・家族とはできるだけ離れる。長時間一緒に過ごさない。
・用便後は2回流す。
・寝るときは一人部屋で。
・入浴は家族の最後で、入浴後はすぐに浴槽などを洗浄。
・衣類の洗濯は家族のものとは別に。
こんないっぱいのことを、普段いいかげんな私が全部守れるはずがない。
また去年と同じく、いなかの家に帰って3日間隠遁生活。これなら何とかできそう。
愛妻、愛犬とは会えないが、あと3日のしんぼうです。(妻も犬もなんとも思ってへんかったりして・・・。かえってのびのび?)
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毎朝6時過ぎに目覚めていたのに、退院日の今日に限って寝過ごし。「ふじいさーん」と呼ぶインターホンの声で起こされた。
とは言っても、どんな看護師さんかまったく分からない。初日準備室にいたときに来られたお二人の看護師さんとは対面したが、そのあとの方は声だけ。出ていくときに通ったナースステーションにおられたのかもしれないが、けっきょく分からずじまいだった。
7時に起こされ、部屋内のごみの処理。ゴミではない物もすべて処分しなければならないのがつらかった。
加賀乙彦著「高山右近」、めちゃくちゃよかった。334ページもあるので中途半端で処分かと思っていたが、しっかり読めた。早く読み過ぎて2回目の半分まで読んだ。
そんなに読むと愛着がわく。古本屋で105円で買った本なのに、まだまだ何回も読みたくなった。
内緒で持ち出したろか知らんとも思ったが、それはやめておいた。せっかくの治療が水の泡になっては、元も子もない。
最後のシャワーを浴び、それまで履いていたパンツと靴下、使ったタオルとバスタオル、せっけんとシャンプーも廃棄。まあこれで、ゴムの伸びたパンツとふっるいバスタオルがたくさん処分できたので良しとしよう。
ナースステーション前のパントリーで朝食。
その時ちょうど、夜勤の方と昼勤の方の引継ぎをやっておられた。
そして、そのあとシンチ検査へ。
1年前にも同じ事をしたのだが、もうすっかり忘れていた。
機械が鼻すれすれのところまで来たり、目の前をグルングルン回ったり。全部で45分くらいなので耐えられるが、普通こんなことされたら気がおかしくなりますね。
これで、放射性ヨードがしっかりと甲状腺由来の細胞に届いたかどうかが分かるそうだ。
「全部焼き尽してくれよー!」
退院後の説明というのが楽しみだった。去年、すごくかわいくて感じのいい看護師さんだったので。「最後にいっちゃんええのを出してくるあたり、京大病院もやるねえ」と思っていた。
しかししかし、今年は男性。イケメンで女性の受けはいいだろうが、オッサン的には最低。話は半分くらいしか聞いていない。去年はいっぱい質問もさせてもらったのだが、今年はそんな気も起らなかった。
「病は気から、やもんなあ・・・。」
去年とちがい、会計は一般とは別のところだった。癌患者は待たせたら気の毒ということになったのかなあ。あっという間に請求書を出してくださった。
入院5日分 677552→63832円
タイロゲン注射1本分 106780→32030円
合計95862円。いたたたた・・・。(でも、実費になると78万円なんですね。)
できるだけ人に1m以内に近づかないようにと言われているので、もちろん車で迎えに来てもらうわけには行かない。自力で帰る。
でもその前に腹ごしらえ。
去年と同じく、「らんたん」のラーメン。
丸1年たっているのに、何も変わっていない。
ホッとする。
今年は、シャーシューメン並(850円)と麦飯小(120円)にした。
去年見つけた「きくちゃんねぎ」。
なんと、今年もありました。
ちょっと、泣けてきた。
初めて乗った「市バス65番」。
東大路を高野まで、高野交差点を左折して下鴨高木町まで。生協の横を右折して北上。北山通りを右折して修学院駅前。白川通に突き当たって左折。あとは宝が池交差点を左折して国際会館前へ。なんちゅう複雑なコースやねん。
国際開館前からは京産大行きのバスで地球研前まで。乗り継ぎがうまくいったのに、病院前から家まで50分くらいかかった。バスは疲れるわ。
家に着くと、ヨメさんがお昼ごはんを用意して置いて行ってくれていた。しかし、ラーメンを食べてしまったのでもう食べられない。晩ごはん用に持って帰ったらいいとの書置きがあったが、お皿などまためんどくさいことになるのでやめておいた。
忙しい中、せっかくヨメさんが用意してくれたのに申し訳なかった。
どこかから缶詰をいっぱいいただいたとのこと。これはありがたい。3日間の隠遁生活にはうってつけ。でもこれだけでは足りないのでお買い物に出かけた。
スーパーから出てくると大雨。でもこれでだいぶ涼しくなった。
家に帰って隠遁生活の準備。あれやこれや揃えるのがたいへんだった。「退院して、その続きに隠遁とはねえ」とか思いつつ・・・。
ぐずぐずしていたので、いなかの家に着いたのは午後6時過ぎ。
さあ、これから3日間は強化合宿のつもりで・・・。って、何を強化するんですかね。
月〜金と病院だったので、体がなまっている。
どこも痛いわけではないので、退院したらすぐ走らなければ。
ゆっくり気持ちよく走れるのは、花脊峠往復8km。
峠までの上りは、キロ6分半くらいのペースで。
さすがに、足が全然動かない。それに、あちこちが痛む。
8月12日は別所にいるけど、人との接触禁止。
9月23日は予定がないが、ヨメさんは鍼灸院を休めないという。
10月28日は諏訪湖マラソンに出張販売。
今年も全×ですかねえ。
峠まで3.93km、26分15秒。
いつもならここで少し休けいするのだが、もう暗くなってきたので折り返して続けて下り。
別所大橋の手前で、「こうじさん、だいじょうぶですか」と車から声をかけてくださる方あり。メイママさんじゃないですか。
私のブログをしっかり見てくださっているメイママさんは、ちゃんと1m以上離れたところから声をかけてくださっていた。さすが!
家に到着、3.83km(なぜか100m短い)22分24秒。
往復で7.77km、48分39秒。
あちこちそうじをした後、1年ぶりのいなかでの食事。
缶詰があってよかった。今日は焼き鳥の缶詰。
あとはモズクと野菜とインスタントみそ汁。
これで十分ですね。
1年ぶりに入るいなかの家のおふろ。
広くて、足をビューンと伸ばせる。
ほんまにええ気分。
広いおふろに入れるだけで、長生きできそうな気がする。
あとは、いつもとちがう布団でぐっすり寝られるかどうかが問題やね。
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2018年08月09日(木)
うちのヨード制限食一覧 [病院]
去年もヨメさんがたいへんだったヨード制限食。
今年は胆のう炎が解消したので少しはましになるかと思ったが、やっぱりヨメさんはたいへんだった。(8月1日は寮1の夕食「トマトソーススパゲティ」、8月3日は寮2の夕食に昆布だしが使ってあったのでコンビニで調達。)
今年は出汁をとるために、「しいたけの柄」を大量に買ってきた。これで、私の食事に外せないおいしい汁を毎回つくってくれた。何やかやといそがしい中、ほんとうにありがとうね。
このヨード制限食も、今年で終わりにできたらいいのにね。
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2018年08月07日(火)
「瞑想にふけってください」 [病院]
いよいよ今日の午後、準備室から治療室へ移動。
去年は、この先に行くとき「ルビコン川を渡る」くらいの気持ちだった。鞍馬口医療センターのI医師にビビらせてもらっていたので。
私は、てっきりカギのかかった部屋に監禁されるものだと思いこんでいた。実際は部屋にカギはかかっておらず、前の廊下までは移動自由だった。
ただし、「絶対にすのこのところを越えて戻ってはいけない」。また、「何か異常事態が起こっても、医師も看護師もすぐに助けには行けない」とも言われた。
まあ、それだけ体中から強い放射能が出ているということ。なんぼ聞いても、この治療もよう分かりませんが。
職務上知りえた情報を外部に漏らすのはダメでしょうが、自分の治療上知りえた情報は漏らしてもいいことにしましょう。
手前2部屋が準備室。(地図では上の部分。)
今日、そこから廊下のすのこを越え、お隣の治療室へ。
ここに持ち込んだものは原則すべて捨てる。
下着、タオル、石鹸・シャンプー・歯磨き、食料(ジュース・果物・お菓子など)、コップ、お箸、スプーン、本、新聞・・・。
昨日の看護師さんからの説明の時、「携帯電話は持ち込まれますよね。パウチのようにして、充電器もぐるぐる巻きにするので、退院のときにすぐに持って帰れないかもしれませんがお部屋には持って入れます。ごくまれに、持ち込まないという方もおられますが・・・。」
「持ち込みません!」
「えっ、いいんですか。ご家族と連絡取りあったりされないんですか。」
「しません。去年も持ち込みませんでした。」
「新聞とか、前もって言ってくださったら買ってきて届けますが・・・。」
「だいじょうぶです。たった3日間のことなんで。」
「はい、分かりました。瞑想にふけってください。」
お隣の病室内が、廊下の小さな窓からチラッと見える。外のカーテンを全部閉められていた。昨日もそうだった。
男の甲状腺低分化癌患者は極めて少ない。以前、ここの男女別予約表を見せてもらったが、男は何か月かに1組(2人)という割合。その分、深刻な患者さんが多いのかもしれない。
私の病室は、カーテン全開。
昨日の「おケツ注射2本目」はこの病室で受けた。
「カーテン開けっ放しでもだいじょうぶですよ」と言ってズルッと。
「いえいえ、それはちょっと・・・」と言いながら、担当の女医さんがあわててカーテンを閉められていた。
こんな状況、ほかの患者さんからしたら「なにニタニタしとんねー!」と怒られるかも。
時々人も通られるので、窓から外を見ていると少しは気もまぎれるんですが・・・。
朝ごはんをしっかり食べ、マグミットという下剤を飲まされているのでそちらのほうもしっかりと。
朝の飲み物は4種類から選べたのだが、私はもちろん「ヤクルト・ジョア」。
たのむでー、ヤクルト。今日勝って連敗止めてくれよー。パソコン持ち込めへんから、途中経過が見られへんけど。夜のスポーツニュースをしっかり見ようっと。
あとは、持ち込むものとそうでない物との仕分け。
100円ショップでいろいろとそろえたのでそんなに費用はかかっていない。それでも最終的に捨てるとなるともったいない。
コーヒーやお茶も本当にいるだけの数にして、残りは退院後いなかに3日間の分に残しておいた。
今回の持ち込み書籍はこれ。
「高山右近」 加賀乙彦著 講談社 1999年9月初版 334ページ
ついこないだ、オウム事件の死刑囚13人が死刑執行された。
それに関してヨメさんと話しているときに、「加賀乙彦さんも死刑執行に大反対やったんやで」と言っていた。
それで、病院に行く日の朝に選んだのがこの本。そうとう前に古本屋で105円(定価1900円+税)で買って放置したままだった。
ええ機会や。
オウム事件とは何の関係もないけど、高槻のキリシタン大名・高山右近は気になっていたし、この3日間で一気に読んでしまおう。パソコンを使っていた時間を読書に回せるんやから、334ぺージ、がんばったらいけるでしょう。
■加賀 乙彦(かが おとひこ、男性、1929年4月22日 - )は、日本の小説家、精神科医(専門は犯罪心理学)。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)。本名でも著作がある。
室生犀星とは7親等の血縁。娘はQVCジャパンショッピングナビゲーターの加賀真帆。自宅は東京都文京区本郷にある。
オウム真理教事件において、弁護士に依頼され松本智津夫に接見し、訴訟能力はなく治療すべきであると結論づけた。
死刑囚の苦しみを描いた『宣告』が代表作で、死刑廃止論者と見られている。
■高山 右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。カトリック教会の福者。
父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア。同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。
昼食はオムレツ。
ヨメさんの話によると、「タマゴは安くて栄養があるので、使いやすい」とのこと。病院食にもよく出るし、胆のう炎になる前の我が家でもよく食卓に出ていた。
もうなんぼでも食べられますよーん。私の大好きな「茶わん蒸し」も解禁のはずだが、これは手間がかかってめんどくさいらしい。
退院祝いに・・・、いや、12月の私の誕生日祝いのときでいいし「茶わん蒸しを食わせてくれ―!」
荷物の仕分け終了。
治療室用貸パジャマに着替え、これですべてが完了。
さあ、「ルビコンすのこ」を渡ろう。
これから瞑想にふける3日間。
みなさま、さようなら。
(注) 明日とあさってはパソコンが持ち込めませんので、新しい記事は書けません。前もって用意した特別記事を、ヨメさんにアップしてもらう予定です。
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