2020年02月21日(金)
「かつしか」危うし [時事]
朝日新聞夕刊の「地球防衛家のヒトビト」はおもしろい。
インフルエンザ対コロナウイルスねえ・・・。
多くの方が発言されている。
「インフルエンザで年間1万人も亡くなっているのに、コロナで騒ぎすぎ。」
「満員電車は放置しておいて、室外スポーツであるマラソン大会を中止にするとは・・・。」
おととい、必ず開催すると明言されていた「そうじゃ吉備路マラソン」も今日一転中止になってしまった。あさっての大会なのに。
2月23日「宇治川」と3月1日「篠山」は出張販売の予定だっただけに、「京都キャロット」にとっては本当に痛い。でももう中止が発表されたので、どうしようもない。
そしてその次の3月8日、東京で「かつしかハーフ」がある。
今年も「ふつうの車いすランナー」である下山さんの伴走に行く約束をしている。第1回から連続5年伴走をさせてもらっている。(今年が第6回。)
毎年下山さんや奥さま、応援に来てくださっているお仲間とお会いするのが楽しみ。
それに、今年は去年知り合った走友兼病友(?)のひこちゃんと、お地蔵様のようなダンナ様にも会える。もう、それが楽しみで楽しみで・・・。
ところが、「かつしか」の開催も危うくなってきた。
「25日に開催可否を発表予定」ということらしい。今の流れから行くと、中止の可能性が高そうな気がする。
あーあ、あーあ、あーあ・・・。
※くわしくは、Koichi "fluffy" Iwasaさんの新型コロナウィルス感染拡大を受けたマラソン大会の開催・中止の状況をどうぞ。
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内海桂子
@utumikeiko
熟慮に熟慮を重ねマラソン大会を予定通り実行しますと言った同じ人が舌の根が乾かない内に同じ口調で熟慮に熟慮を重ねて大会を中止しますですって。計画の決定はその長の特権で自分の責任でやればいいことでそこで熟慮したのは素晴らしい。それを簡単に変えてしまうのては熟慮という言葉を知らなすぎ。
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2020年02月20日(木)
「宇治川」「篠山」共倒れ [時事]
今日の午後3時、篠山マラソン実行委員会がコロナウィルス対策の会議を開くとのこと。私はちょうどその時間は三線教室。午後1時半から3時半まで2時間、びっちり三線弾きをがんばった。
家に帰ってきたのが4時半くらい。すぐにパソコンを開くと「篠山マラソン中止」のニュース。そらそうやわな。同じ兵庫県内の「姫路城マラソン」が中止になっているに、同規模の「篠山マラソン」を強行するわけにはいかんかったんやろう。
そもそも「姫路城マラソン」の中止自体が、私には納得のいかんもんやったけど・・・。
これで「宇治川マラソン」だけになってしもたなあと思っていた。
ところが夜にNHKの京都ローカルニュースを見ていると、「宇治川マラソン、一転中止に」のニュース。そのニュースを見た直後に、宇治川マラソン実行委員会から中止のお知らせの電話がかかってきた。
「宇治川マラソン」はずっと開催の方向で話が進んでいたのに、今朝の「クルーズ船乗客2名死亡」のニュースがかなりこたえたのだと思う。
あー、あー。
昨日心配していたことが、その通りになってしまった。
「宇治川」「篠山」の出張販売に行って、「京都キャロット」のお客様にきちんと今までのお礼のごあいさつができればいいなあと思っていたのに。それもできなくなってしまった。
これで「京都キャロット」最後の出張販売は、1月26日の「くみやまマラソン」ということになってしまった。そのときにきちんとごあいさつができたのは、植木屋そうへいさんだけでした。
あー、あー。
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三線教室でちょっとうれしいことがあった。
今月限りで引っ越しされ、この教室をやめられる女性の方がおられた。
先生から、「最後に○○さんの好きな曲をみんなで弾きましょう」と。
その時選ばれたのが、池田卓さんの「島の人よ」。
いやま、ようこの曲を選んでくれはった。私も大好きな曲。私がなんとか弾ける曲の中の一つでもある。
西表島舟浮出身の池田卓さんとしゃべってみたいなあ。
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【RUN】
今日は、ゆっくり東北部クリーンセンター往復5km。
「京都キャロット」店じまいに伴う不要ゴミを、ここに持ち込めとヨメさんからきつく言われている。3月末までまだだいぶあるので、まとめてから持っていきましょう。
行きは上りでキロ7分ペースだったが、折り返してから調子が出てきて、5km31分08秒。フルマラソンの疲れが取れるまで、こんなもんでいいでしょう。
アップ1km、ダウン2kmをプラスで、今日は8km。
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【今日のきく】
公園のブランコ前の柵をくぐろうとしたら、挟まってしまいましたー。
今日、店の前のくさっばらへきくを連れて行った。
きくは◯ッコがしたかったみたいで、最近では一番早いスピードで道路を横断。
「きくちゃん、やったらできるやん!」
久しぶりのきくの早歩きを見て、うれしかったなあ。
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2020年02月19日(水)
「宇治川」「篠山」はだいじょうぶか [時事]
◎神戸新聞NEXT 2/19(水) 14:14配信
23日の姫路城マラソン中止に 新型肺炎感染拡大で
新型コロナウイルスによる肺炎(COVID19)の感染拡大を受け、兵庫県姫路市で23日に開催予定だった「世界遺産姫路城マラソン」の中止が決まった。同市が19日に発表した。
姫路市によると、安倍晋三首相が18日、大規模イベントの開催時期を見直すよう呼び掛けたことを受け、開催の可否を改めて検討。各地で感染が広がっている現状を考慮し、中止を決めたという。
姫路城マラソンは、同市などの主催で6回目。昨年12月時点で、海外の246人を含む8061人が出走を予定していた。
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えらいこっちゃ!
「東京マラソン」の一般参加者枠が中止になったことはひとごとのように聞いていた。でも、大阪の「寝屋川マラソン」の中止にはびっくりした。
「横浜からえら離れてんのになあ。まさか、『宇治川』や『篠山』は中止にならへんやろなー。」
そしたら今日、「姫路城マラソン」中止のニュースが。
これは、あかん!
2月23日の「宇治川マラソン」、3月1日の「篠山マラソン」で、「京都キャロット」としての出張販売は終了する予定。(そのあと私一人で行けないものか、現在検討中。)
「有終の美を飾る」というわけでもないが、両大会には知り合いもたくさん出場されているので、お話できることを楽しみにしていたのだが・・・。
中には、「走らないけど、会いたいから行きます」とおっしゃってくださるありがたいお客様もあり。
「中止にせんといてね!」
【追加】
つい今しがた(午後7時44分)、福井のねこ4さんから、「能登和倉マラソン中止」のお知らせ。(ねこ4さんは参加申込していたらしい。)
あかん、あかん、あかん・・・。
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◎岡山放送 2020年2月19日 水曜 午後6:20
「安全に万全」吉備路マラソン予定通り実施へ【岡山・総社市】
新型コロナウイルスで各地のイベントが中止になるなかでの開催決定です。そうじゃ吉備マラソンについて、開催地の総社市は、安全に万全を尽くした上で、予定通り開催すると発表しました。
定例の記者会見の後、片岡市長は強い口調でこう、明かしました。
(総社市 片岡聡一市長)
「そうじゃ吉備路マラソンは、予定通り開催したい」
そうじゃ吉備路マラソンは、中四国地方最大規模のマラソン大会です。4日後に控えた12回目の2020年は、2万1376人がエントリーしていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、実施するかどうか検討されていました。
(報告 矢野匠記者)
「実施に踏み切った理由について、市は、こうしたマスクをはじめ、防御策を用意できることを挙げています」
総社市が用意したのは、コースやトイレなど、100カ所に設置する消毒液104リットルと、ランナーと運営スタッフ全員分、2万4000個のマスクです。このほか大会では、手洗いを義務化するなど、安全に万全を尽くすとしています。コロナウイルスを巡っては、備前市のカキを堪能できる「ひなせかき祭」など、各地でイベントが中止に追い込まれています。そんな中での開催決定。市長が語気を強めたのは、その思いを問われたときでした。
(総社市 片岡聡一市長)
「屋外競技については、やってもいいんだよという前例になるべきだと。さらに(豪雨からの)復興に向かってやっていこうというものを創りたい。その熱意。それがそこまでしてやろうということです」
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「やってもいいんだよという前例になるべきだ」
その心意気や良し!
「宇治川」や「篠山」も「そうじゃ」を見習ってほしい。
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【今日のきく】
水曜はバイト帰りの深夜散歩。
寝ぼけているかと思ったら、前の公園に連れて行くとスタスタ歩く。
元気なきくちゃんの歩く姿を見て、私も元気になる。
ありがとう。
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2020年01月29日(水)
時代錯誤の下品な広告 [時事]
1月26日の京都新聞を見てビックリ。
「タイムスリップしたか?」
ビラでは似たような内容のものを見たことはあるが、新聞広告でこんなんを見たのは人生初ですね。
悪代官が「金にもの言わす」というか、いったいいくらかかっているんでしょうね。良識ある京都市民が、この下品な広告をどう判断されるか・・・。
私も現京都市長も60歳代。「反共は戦争前夜の声」という言葉を知っている世代なのに、そのリスクを分かった上での博打広告でしょうか。
私を左翼(共産党系?)と勘違いしている人もおられるようだが、それは大まちがい。なんの関わりもありません。私が一番好きなのは、沖縄の喜屋武真栄元参議院議員のような「革新統一候補」。(ああ、これも死語ですね。)
過去の記憶をどんどん忘れてしまっている私が、この広告をきっかけに鮮明に思い出したことがある。
過去を辿ること40年。
私がやっとのことで小学校教諭になったころ。最初に赴任したのは大原小学校百井分校。そこで児童1人の担任に。でも、へき地校(別所小学校)出身の私にとっては、お隣の百井分校に赴任を命じられたのは名誉なことと思っていた。
「労働組合は、困っている人、弱いものを助ける組織です」と説明され、すぐに仲間に入れてもらった。いざ入ってみると、一番力を入れているのが「授業研究」。ええ加減なルートをたどってギリギリ採用された私にとっては、こんな「ためになる」ありがたいことはなかった。
そんなある日、組合のへき地部が教育委員会に待遇改善要求する会合に出席することになった。
京都市役所内の京都市教育委員会に出向き、へき地校で困っていることを要求させてもらった。その要求のほとんどが、自分たちの待遇ではなく子どもたちに関わることだった。
ところがその答弁に立っているのが、並み居るお偉いさんではなく20代の一係員。「何から何までペラペラと答えてるけど、中身はゼロ回答やん」「お偉いさんたちは言ったことをあとで追及されると困るから、こんな下っ端に答えさせて、あとは責任逃れしようとしてるんやなあ」と思っていた。
その中で、へき地校出身者である私が一番腹が立ったこと。
社会見学に出て行こうにも交通費が莫大にかかる。わずかな補助が出てはいたのだが、それを増額してほしいと言ったときのこと。
「へき地には豊富な自然環境があるわけですから、それを生かした授業に力を入れてもらって、わざわざ街に出てくることにこだわる必要はないのではないかと思います。」
「はあ? 田舎者は田舎に引っ込んどれちゅうこと?」
もちろん新採の私がそんな発言をできるわけがなかったが、へき地校の児童がバカにされたようではらわたは煮えくり返っていた。
その時答弁を一手に引き受けていたのが、当時教育委員会の一係員だった「かどかわ」さんです。
今も40年前も同じ、人を小バカにしたような答弁で活躍した一係員は、のちに教育長に上り詰め、そこで終わらず市長にまで。
これは選挙妨害でもなんでもない。私自身が目の前で見た光景です。40年たって細部は正確さを欠くかもしれないが、同じような証言をしてくれるであろう仲間はいっぱいいます。(昔の仲間がボケていなければ・・・。)
私の父の教えは、「最初に顔を見たら、その人がどんな人かだいたいわかる。のちにその評価が覆ることはほとんどない」。
申し訳ないけど、私の40年前の最初の評価は覆ることなく今も続いている。
(ひとさまのことをほめるにしてもけなすにしても、憶測ではなく、こういうふうに自分の目で見たことをもとにして話してほしいと思う。)
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◎五十嵐仁(法政大学大原社会問題研究所)の転成仁語より
4月29日(金) 再びかみしめるべき..
〔以下の論攷は、『六町だより』第25号、2016年4月号、に掲載されたものです。〕
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
これは、マルティン・ニーメラー牧師の有名な詩です。今また、これと似たような状況が生まれつつあります。再び「反共は戦争前夜の声」という言葉をかみしめなければなりません。
安倍政権は閣議決定した答弁書によって、共産党が破壊(活動)防止法の適用対象だと回答しました。普通に活動して多くの支持を得ている天下の公党に対するこのような攻撃は古色蒼然たるもので荒唐無稽ですが、まさに「ナチスの手口」に学んだものでもあります。
戦前の日本もドイツも、戦争準備の過程で頑強な反対勢力であった共産党を弾圧しました。やがてその弾圧は自由主義者やカトリックへと拡大していきます。同じように、安倍政権は共産党を狙い撃ちにして、戦争する国づくりをすすめようとしているわけです。
悪質なデマまで使って攻撃するのは、野党共闘の強力な推進力となった共産党を排除できなくなったからです。その力を恐れているからこそ目の敵にしているわけで、共産党が手ごわい政敵になったと自民党が太鼓判を押したようなものです。
これは安倍政権の弱さと焦りの現れでもあります。市民から大きな声を上げて糾弾しなければなりません。「最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった」という間違いを繰り返さないために。そして、後になって「私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」という状況を生まないためにも……。
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2019年12月11日(水)
国民感情とは? [時事]
◎朝日新聞12月11日朝刊・耕論
国民感情と言うけれど
国内外の対立で「国民感情」という言葉を耳にするようになった。今夏の国際芸術祭あいちトリエンナーレでも政治家の発言がきっかけで話題に。その「国民」にあなたはいますか。
*
■誰の思いか、わからない 小田原のどかさん(彫刻家)
「あいちトリエンナーレ」(あいトリ)で、企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことは記憶に新しいでしょう。あいトリに出品していた作家の一人として、企画展中止後に集会を開き、ヒアリングをしました。芸術祭を支える市民ボランティアの率直な受け止めを聞いてみたいと思ったからです。
「友人にボランティアをしているといいづらくなった」「前回は宣伝の意味で(トリエンナーレのロゴ入り)Tシャツを着ていたのに、この騒動で着にくい」。何が問題かわからないという声とともに、そんな戸惑いの意見も寄せられました。芸術祭を支える市民の葛藤を目の当たりにするようでした。
一時中止された企画展で抗議が殺到したのは、慰安婦を題材にした「少女像」、昭和天皇の肖像を使った作品です。いずれも歴史認識に関わっています。河村たかし・名古屋市長が反発し、市が発表した声明で「国民感情を害する」と批判されていました。
「国民感情」という曖昧模糊(あいまいもこ)とした言葉によって、市民が素朴にあいトリを盛り上げたり、応援したりすることを難しくさせられたと感じます。「国民感情」という言葉で、過去の出来事をめぐる対話の機会が、分断と萎縮へと後退してしまったのです。
ただアートと歴史認識が交わる分野の制作現場では、萎縮につながりかねないことは以前から起きています。私は長崎の原爆を題材にした作品をつくってきました。助成金申請の面談で「この題材だと、ちょっと……」と言葉を濁され、暗に承認は難しいという反応をされたことがあります。
今回河村氏にとっては、慰安婦問題に対する従来のスタンスを主張しただけのこと。歴史問題について、私自身は「愛国心」や「日本人の誇り」という言葉に身構えてしまいますが、河村市長や作品に反発する人たちを理解不能だとはまったく思いません。歴史修正主義は否定されるべきですが、誇りやプライドの強調自体は否定されるべきものではないでしょう。
「国民感情」とは不思議な言葉です。国民=私たち、を意味するはずですが、その総体としての感情を誰が決めることができるのか。なのに、その言葉が投入されたことで、ツイッターなどネット上で対話ではなく、罵倒が増長してしまった。萎縮にとどまらない問題です。
しかも今回政府は、手続きの不備を理由に補助金の不交付という形で、「国民感情を害する表現」=「政府が好ましくないと思う表現」という図式を明示しました。誰の感情かわからない「国民感情」が今や政府の意思に置き換わっている。これには危機感を抱きます。(聞き手・高久潤)
おだわらのどか 1985年生まれ。創作活動とともに日本の彫刻の歴史研究も。編著に「彫刻1 空白の時代、戦時の彫刻」など。
*
■歴史観のもやもや、背景 松原隆一郎さん(社会経済学者、東京大学名誉教授)
「表現の不自由展・その後」は展示全体が左派的な作品に偏っていたので、公費で運営される場での展示としては政治的だと感じられても仕方なかったと思います。
ただ、批判派が「国民の感情」を持ち出して展示を批判した点には賛同できません。仮にそうした右派的な心情が日本社会の多数を占めていたとしても、多数派の感情を社会のルールにしろと迫るかのような言い方は適切ではないと思うからです。
「国民」という言葉のカギは、多様な価値観の共存です。「展示が表現の自由を逸脱した」と批判するなら、国民感情を持ち出すのではなく、なぜその展示が多様な価値観の共存を損なうのかをきちんと説明すべきでした。表現が誰の人権をどう侵害するのかなど、丁寧に検討されるべき論点はあったはずです。
今回批判されのは、慰安婦をモチーフにした少女像と昭和天皇の肖像が焼かれたかに見える映像でした。歴史認識が問われるテーマです。
戦前の日本のありようが国際的に否定されている状況に納得がいかない国民はいるでしょう。韓国が歴史問題で日本を批判することに、「いつまで謝ればいいのだ」と不満に思う人々もいます。
ただ、先の大戦は米英と日独伊の両陣営が互いの価値観を賭けた闘いでもありました。共存を拒絶したのですから、負けた側が体制を否定されるのは仕方ありません。また韓国は日本の植民地統治下にあったので、批判が終わらないのも仕方ない。もし解決するにしても数百年かかる問題だと考えるべきです。
頭では仕方ないことだと分かっていても心の整理がつけられない。国民感情というキーワードが浮上した背景には、こうした日本国民の心情があると思います。もやもやした心情にきちんとした言葉や表現を与えることに戦後日本の右派が成功していないことも、一因だと思います。
原因は、戦争責任の問題に日本人の手で決着を付けられなかったことでしょう。戦前を正当化しようとする右派の試みは、そのせいでどこか空転してしまうのです。近年の右派を見ていると、右派的な心情が世論の多数を占めると自負するあまり、丁寧に言葉を探す姿勢がおろそかになっているとも感じます。
国民感情に注目する試みにプラスの可能性が全くないとは思いません。たとえば、見送りが決まった英語民間試験。「経済格差が当然視されるのはおかしい」「地元で安心して教育を受けたい」という批判の中には、政治的な左右の違いを超えた心情の広がりがあったと思います。
こうした心情の根底にあるのは何か。その答えとなりうる言葉を探す作業が求められているのだと思います。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
まつばらりゅういちろう 1956年生まれ。放送大学教授。著書に「経済思想入門」など。2008〜09年度に本紙「論壇時評」担当。
*
■「普通」を盾に、分断と排除 明戸隆浩さん(社会学者、東京大学特任助教)
「日本人ならば怒って当然ではないか」。世論を分ける問題が起きると、そんなぼんやりとしたナショナルな言説・雰囲気を支持する風潮が広がります。最近多少落ち着きましたが、数カ月前ならば徴用工や韓国の「ホワイト国除外」を巡る外交上の緊張などについて。連日テレビの情報番組などが韓国を「敵国」視する報道を繰り返し、一部週刊誌もそれに便乗しました。
私はポピュリズム(人民第一主義)とナショナリズムが結びついた問題として捉えています。「普通の人たち」が、そうではない人を批判・攻撃する。ナショナリズムは所属するネーション(国民)への肯定的な感情を指しますが、それだけでは攻撃を伴うとは限りません。今の風潮は自己肯定よりも、日本人以外への批判・攻撃が含まれています。
あいちトリエンナーレで河村たかし名古屋市長が「日本人の心」を持ち出し、慰安婦を題材にした「平和の少女像」に批判の矛先を向けました。彼が率先して世論をリードしたというより、世論の動きを察知、または後押しを受けたというのが正確でしょう。
では、彼をそういう動きに駆り立てたのは何だったか。市職員が作文したのかもしれませんが、市長発言の「日本人の心」は、抗議声明では「国民感情」と「翻訳」されました。「市民感情」「民意」など置き換えられる言葉は他にもありますが、国民感情になったのは示唆的です。
ポピュリズムが根差す「普通の人たち」に、ナショナルな意味が加わっていることを示しています。もちろん、その理由は河村氏が反発した作品がいずれも日本の歴史認識に関わるものだったからです。
歴史認識をめぐっては1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が、まさに団体の名前が示すように、加害の歴史を反省し戦前の日本を否定する、既存の歴史認識に異を唱えた。少なくともこの時期は、歴史の反省・謝罪が普通であったわけです。
ですが戦後レジームからの脱却を目指す安倍政権が長期政権を担う中、「加害の歴史を繰り返し反省・謝罪する」ことへの違和感が定着しつつある。しかもこの文脈での自国=日本の肯定は、同時に朝鮮半島を始め、先の戦争での被害国の人々や、戦前の日本を肯定しない人の否定につながっている。
ポピュリズムがナショナルな言説と結びつく現象は日本だけではありません。米国のトランプ大統領が訴える自国第一主義もそう。かつて国民の感情たるナショナリズムは、国の一体性を生み出すとされていました。しかし今、国民感情は歴史の中で分断と排除を生み出すものになっています。(聞き手・高久潤)
あけどたかひろ 1976年生まれ。専門は多文化社会論。共著書に「奇妙なナショナリズムの時代」など。
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朝日新聞の「耕論」という欄は、いつも読み応えがある。
バイト先の寮で朝日新聞が読めるのがありがたい。
今回の「国民感情」特集もよかった。
その「国民」にあなたはいますか、と問われれば、「一度も国民になったことがない」と答えざるを得ない。
「国民感情」などという言葉を使う人は、自分が多数派であるという前提で物申す人だろう。もうそれだけでゲーが出そう。
少なくとも、あの気色悪い名古屋市長と同じ「国民」でいたくはない。
話は変るが、最近「税金はなんぼ上げてもらってもいい」と思うようになってきた。そのお金が、どうしようもなく困っている人のために使われるであればだが。(例えば、自然災害で途方に暮れている人などのために)。そういう使い方をしてくれれば、みんな惜しみなく税金を払うと思う。
「納税は国民の義務」と言う前に、「困っている人を助けるのが国民の義務」と思える国であってほしい。
こういう「国民感情」なら大歓迎である。
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【今日のきく】
昨日アップするのを忘れてた。
昨日のきく。(以下、全部昨日のことです。)
毎度おなじみ、うちを別荘と思ってくれている黒猫ちゃん。
ちょっと前なら、きくが気付いてファンファンゆってたのに。今はもう、全然気付かない。
夜、「きくちゃん、おちゃんぽ行こか」と言ってもぐーぐー寝たまま。
全然動かない。
むりやり起こしてお散歩へ。
○ッコがジョンジョロリン。
ちょっとしか歩かへんかったね。
でも、食欲はあるでー。
オッサンが一人で食べていた水炊きの残りを、ちょっとだけいただきました。
オバサンは10時前まで鍼灸施術。
そんな遅くからでも、きくのお散歩に行ったげてますよー。
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2019年12月04日(水)
「手をつながさせてください」に大賞を! [時事]
「新語流行語大賞2019」が発表された。
「ONE TEAM」って、なに?
ラグビーのワールドカップ関連の言葉らしいが、ラグビーから取るなら「五郎丸は出てへんのか」でしょう。「ワンチーム」なんて一人もゆうてへんかったけど、「五郎丸は出てへんのか」は何人もの人から聞いた。ノミネートもせえへんなんて、センスなし!
私が選ぶ「新語流行語2019」は迷うことなく、「きもとさ〜ん、手をつながさせてください」。(「あおり運転」はノミネートされたが、「手をつながさせてください」はノミネートされていない。当たり前か。)
あのおあり運転のあと車から降りてきたこっわいこっわい顔のオッサンが、警察に連行されるときには弱弱しく「きもとさ〜ん、・・・」やからねえ。私には、このギャップがインパクトがありすぎた。
今日このニュースを正確に伝えようと思い、昔のニュース映像を見てみた。そしたら、「きもとさ〜ん」はゆってるけど、「手をつながさせてください」とはゆうとらん。まあそれらしきことはゆってるんやけど、人間の記憶ってええかげん。
あおり運転してたオッサンの名前も忘れた。記憶に残るのは「きもとさ〜ん、手をつながさせてください」。そうはゆうてへんにゃけど。
ところで、あの二人、その後どうなったんかなあ。
このニュースを聞いて、ずいぶん前のニュースを思い出した。
通り魔にナイフで刺された青年が、通りすがりの年配の女性に、瀕死の状態から力を振り絞って言った言葉。
「手を握っていてください」。
その記事では、本当にその年配の女性は手を握っていてあげたらしい。残念なことに、その青年は息を引き取ったのだが。
私が息を引き取るとき、ますみちゃんに手を握ってもらい、きくちゃんに顔をベロベロなめてもろたらゆうことなし。両方無理みたいやけど・・・。
※ まじめに言うと、「トリエンナーレ」か「グレタさん」が入ってほしかった。
「表現の不自由展」とちゃんと名乗っているのに、それにいちゃもん付けるもんの気が知れん。不自由なものをさらに不自由にして、なんの意味がある? あんな市長、市民は恥ずかしくないんかな。
グレタ・トゥーンベリさんの「怒りのスピーチ」にはしびれた。
「あなたたちを絶対に許さない」と某国会議員の「恥を知りなさい」は似てるけど、ゆう人によって心への響き方が全然ちがう。そういえば、「恥を知りなさい」もノミネートされんかったなあ。そらそうやわなあ。
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【今日のきく】
私は、水曜日は朝6時前に家を出る。
その時きくは起きていることが多いのだが、さすがに今日は寒すぎたのかまるまったままだった。
車のフロントガラスが凍っていた。
今年初めて。
そら寒いはずやわ。
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