2009年12月18日(金)
中野勇人さん [私の好きな人]
「中野さんてなあ、かわいいとこあんねんでー。」
「なにー。」
「男の子さん二人いやはんにゃけどな、『解雇されてなかったら、もっといっぱい子どもがほしかった。女の子が生まれたら、バリバリの女子校に入れて、赤いスポーツカーで迎えに行きたかったなあ』やって。」
「へー。」
「その話しやはった時の中野さんの顔が、パオパオは一番好きやなあ。」
おととい、「国会前54日連続フルマラソン」の46日目を中野さんといっしょに走らせてもらい、家に帰って最初にヨメさんに話したのがこの会話です。
国鉄民営化は、「国労つぶし」が主たる目的ということはよく聞いていた。しかし、私のイメージでは、給料をたくさんもらっていた年齢層の高い人が首切りにあったものだとばかり思い込んでいた。
1987年、国鉄民営化の年、中野さんは24歳。
ご長男が今24歳だと言っておられたので、結婚して最初の子が生まれ、前途洋々たる気持ちでおられたまっ最中であったと思う。
中野さんのこの「アピール行動」の日々のレポートの最後は、闘い半ばで亡くなってしまわれた仲間のことが記されている。
その中の「享年」を見ていたら、泣けてくる。ほとんどが今の私の年齢より下。30代で亡くなられた方も数多くおられる。きっと、「あれもしたかった、これもしたかった」と思いながら亡くなっていかれたのであろう。
中野さんが選ばれた「54」という数字は、その亡くなられた人々ひとりひとりを決して忘れないという気持ちが込められている。(その後5名の方がお亡くなりになり、その数は「59」にまで増えてしまっている。「どうか、早期解決を!」)
それにしても、毎日毎日フルマラソンを走り続けている修行僧のような人の口から、「バリバリの女子校」とか「赤いスポーツカー」という言葉が出てくるとは思わなかった。この言葉で、中野さんのことをいっぺんに好きになってしまった。(そんな私は、やっぱり変?)
あまりくわしくはお聞きしていないが、中野さんの奥さまやお子さんもたいへんだっただろうと思う。
現在、奥様と二男さんが地元北見、長男さんは東京、中野さん自身は国労闘争団の四国常駐として徳島に暮らしておられる。
私がどうこう言うことでもないが、自分の信念を貫き通し、仲間全員の職場復帰の糸口を見つけようとしておられる中野さんの生き方には敬服する。
走っている間、国会議事堂の見学に来ていた小学生の列に出くわした。ここぞとばかり、私が中野さんに聞いてほしかったたった一つの話をきりだした。
「私ね、実は18年前まで小学校の教師してたんです。国鉄民営化の前の年の1986年の卒業式にね、京都市中の小中学校全校に突然、『日の丸・君が代』が強制されたんです。
その時、京都市中の校長先生が全員同じことを言い出したんです。こっちがどんな聞き方をしても一字一句ちがわんような答えが返ってきたんですよ。『ずっと前から、日の丸・君が代を式に入れたいと思い続けていました』とか・・・。
なんやねん。あんたら、『教え子を再び戦場に送らない』という気持ちで教師になったんちゃうんかいな!そんなんで、今までの自分自身との整合性とれとるんかいな!
それまで私らの話をようよう聞いてくれてはった校長まで、この件に関してはいっさい受け付けず。校長さん、全員がリモコンロボットになってしもて・・・。
その時全市で250人ほど校長先生がいたんですけど、この『日の丸・君が代』の強制に反旗を翻した人はゼロ。なんちゅー恐ろしいこっちゃと思いました。これは、絶対、市教委の中に校長恫喝係がいるんやわと思いました。(まさか、その係員が出世して教育長になり、そののち市長になっている・・・、なんてことはないですよね。まさか、ねえ。)
それに加えて組合の方針が・・・。
さんざん議論したあげくの結論が、『卒業式では何もしない』ですよ。何もしない組合活動って、いったいなに?
労働組合は組合員の生活を守るためのものやから、もし免職者が大量に出る事態になったら支えきれない、というのが理由ですわ。なんじゃ、そら。
自分の信じることを貫き通せない職場にいても無意味と思って、その5年後の1991年に退職しました。
だから、どんな迫害にもめげず信念を貫いておられる根津公子先生や中野さんがうらやましくて・・・。こんな生き方がしたかったと、今ごろつくづく思ってるんです。」
あの時、「クビになっても、いっしょに勉強して裁判に持ち込んで、勝とうぜ!」と言ってくれる仲間が一人でもいたら・・・。でも、そんな仲間を探そうともしなかった私は、闘わずして負けていた。
私が教師をやめたら一番がっかりするであろう母が死んだ2ヵ月後、「日の丸・君が代」強制から5年目の1991年3月、私は退職した。
自分のことだけでなく、仲間みんなのことを考えながら走っておられる中野さんの姿を見て、いろいろなことから逃げてしまった自分が恥ずかしくなった。
あの「日の丸・君が代」強制の時、私は30歳。結婚したばっかりで子どももなし。中野さんは、国鉄民営化の時24歳。すでに一児の父。
比べさせていただくのもおこがましいが、私と中野さんは雲泥の差でした。今回、このアピール行動の54分の1だけでもいっしょに走らせてもらって、本当によかった。
これからは、自分のできることをしっかりと見つけ、実行していきたいと思っています。
最後にもう一度、中野さんの大好きなチェ・ゲバラの言葉を・・・。
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。」
<おまけ>
昨日、廉が3日遅れの誕プレをくれた。「ライト・オン」でトレーナーを買ってきてくれた。なかなか、センスいいでしょ。
「ひょっとして、ますみちゃんのさしがね?」
「なんでやねん。廉が自分でこうてきたんやわ。ふだんの私の育て方がええもんやから・・・。」
またもや出ましたー。「私一人で育てました」パターン。
中野さん、女の子はもちろんかわいいけど、男の子もいいとこいっぱいありますよ。
いつか、中野さんの息子さんたちとも会わせてくださいね。
※ 中野さん(国労闘争団)のホームページを私のリンク集に入れさせていただきました。興味のある方は、ぜひのぞいてみてください。特に、その中の「中野レポート」を。→
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2009年12月03日(木)
「めげるって!」 -兵庫・ゆめさき舎にて- [私の好きな人]
昨日、「ゆめさき舎」に行ってきた。(「ゆめさき舎」は、「ランナーズ9の会」のまっちゃんが経営されている小規模作業所です。)
10月14日以来、二度目。
今回の訪問の主な目的は、前回の帰りがけ「あした、また来るん?」と言ってくれた友へのこたえです。「あしたは来れへんけど、絶対また来るし!」
約束が果たせて、よかった。
前回は、お昼に到着し4時ごろまでおじゃました。今回は朝の風景も見てみたかったので、早起きして9時半到着目標で自宅を出発した。
平日は宝塚トンネル前の渋滞もほとんどなく、思ったより早く行けそうだった。その分SAでゆっくり休けいし、福崎ICを降りたのが9時10分過ぎ。これは私が先に到着し、まっちゃんの車の到着をお迎えできるなあと思った。
ところがIC出口あたりでモタモタし、「ゆめさき舎」到着はちょうど9時半。
ガレージに入ろうとしたら、反対車線にあのボロボロハイエースの姿が・・・。まったくの同時入着でした。
ハイエースからは、よくおしゃべりしてくれるSA君が降りてきて、むこうから「よっ!」って感じかな。
そのあと、前に「あした、また来るん?」と言ってくれたMI君や、紅一点のKOさん、電話帳大好きのTA君と次々に降りてきた。MA君は、おかあさんが連れてこられるようだ。
前回、もう一人いたFU君は、おうちの都合により別の施設に入所したらしい。こないだは彼とはまったく関わりを持てなかったので、残念。
写真を撮る時、ちゃんといいポーズとってくれてたもんね。もうちょっとだけでもなかよくなりたかったなあ。
前回初めておじゃました時は、正直言って、めちゃくちゃ緊張した。一番心配だったのは、「いやがられたらどうしよう」ということ。
恥ずかしながら、若かりし日、小学校教師を12年もしていたのに「知的障害者」といわれる人々のことをまったく知らなかった。イメージとして、「奇声を上げる」、「奇異な行動をとる」という部分ばかりが私の頭の中にあった。
それに加えて、まっちゃんがどこかに書かれていた「自傷行為」。こっちに向かって攻撃してくるならそれなりの対処ができるが、自分の体を傷つけている者を見つけたらどうしたらいいんやろう。
「えーい、なにもかもよう分からんわい。とりあえず、まっちゃんに甘えて、飛び込ませてもらおう。」
そう思ったのが、正解だった。
「ゆめさき舎」の通所者6人中3人は、私がいる間ずっとニコニコしてくれていた。あとの3人も、決して私を排除するような行動には出なかった。もう、それで十分ですね。おまけに、「あした、また来るん?」て泣かせるようなことを言ってくれる子もいて・・・。
あれこれ心配してても、何にも始まらんわな。
ほんま、よう分かりました。
この日は、みんながやっている仕事も体験させてもらった。
「ビスをプラスチックの型にはめて、ハンマーでトントン」と、「ビニールをおんなじ長さにチョッキンチョッキン」・・・て、何のことか分かりませんよねえ。写真とっておけばよかった。
どっちの仕事も、商品を納品に行くガソリン代などを考えると利益はほとんどなしらしい。厳しいです。
さて、今日のテーマは「めげる」。
これは、「がっくりくる」の「めげる」ではありません。兵庫県姫路近辺では・・・。
今回、お昼はお弁当ではなく、みんなで焼きうどん。大型ホットプレートで8人分を作った。
「指切らんように、気つけや」とか、私はやったこともないくせにえらそうに指導。
これにプラス、まっちゃん特製おにぎりと特製味噌汁。めっちゃうまかった。
カレーしか食べないと言われていたMI君も、めずらしく焼きうどんをパクパク。みんなでワイワイ言いながら食べたら、何でもうまいんや。
MI君は、口いっぱいにおにぎりをほおばり、半分がポロリ。向かいに座っていた私のほうに転がったようだが、気にしていなかった。
食べ終わり、「さてと」と片付けに立ち上がるとスリッパがニチャニチャ。
こらおもろい。こんなこと、久しぶりじゃわい。前は、しょっちゅうあったような・・・。なにか、なつかしい感覚・・・。
おなかがいっぱいになって調子がよくなってきたのか、MI君が活動的になってきた。
部屋を走り回りながら、MI君が言う。
「ゆかをどんどんしたら、めげる。」
「ドアをどんどんしたら、めげる。」
「ホットプレートをどんどんしたら、めげる。」
「MI君て、ほんまにめげるって!」と私。
「めげる」とは、姫路近辺では「こわれる」という意味だそうです。
MA君は、キーボード演奏を披露してくれた。
このキーボードもだいぶめげかけてたなあ。
本人もちょっと調子が悪かったみたいで、いつもはもっとうまく弾いてくれるらしい。
MA君は、まっちゃんに対して「あ・り・が・と」を連発していた。
「ありがとうってゆってもらうようなこと、何もしてへんにゃけどなあ・・・」とまっちゃん。
まっちゃんの手をとって自分の手と合わせ、指と指を組み合わせる動作を何回もくり返していた。きっと、何かを伝えたかったんやろうね。
まゆ毛ボーボーのTA君は、ジグソーパズルを一生懸命やっていた。
前に来た時は笑顔がまったく見られなかったのだが、今回は時々ニコニコしてくれていた。私には、私のほうを見てニコニコしてくれていたように見えたのだが、どうなんやろう。
SA君とは、今回もせんどしゃべったな。
カレンダーのカタログにヘキサゴンファミリーがぎょうさん載ってて、この話題だけで1時間はしゃべったね。SA君はテレビっ子みたいで、テレビおじさんの私とは話が合う。
私がスザンヌの舞台あいさつを見に行った話には、かなり食いついてきた。
でも、「ボクは上地雄輔に似てるから・・・」と言ったのにはまいったなあ。うーん、よう見たら、似てへんこともないか。
(オレンジのキャップがSA君です。)
紅一点のKOさんは、けっこうお茶目なことが分かった。
MI君がホットプレートにフライ返しを当てて音を出しているのを見て、「私にもやらせてー」とねだったり。MA君がキーボードを弾いていたのを見て、みんながいなくなったのを見計らってこっそりさわったり。SA君が一生懸命見ていたカレンダーのカタログを横からスーと取って行ったり。
それらをみんなニコニコ顔でやってるからおもしろい。しかられることを予想して、わざとやってるね、あの笑顔は。
ビニールチョッキンチョッキンをさせてもらったその部屋は、南側にガラス戸がありぽかぽかしていた。気がつくと、私とここの通所者5人がその部屋にそろっていた。
私とSA君はカレンダーのカタログを見ながらおしゃべり。その様子をうかがいながらも、ほかのことも気になるKOさん。その横でピースが半分くらいしかそろっていないジグソーパズルに打ち込むTA君。その後ろでデーンと寝転んでいるMA君。MI君はあちこちめげさしたり(こわしたり)、私の持ち物を一個一個点検したり・・・。
ああー、ええなー、このバラバラぶり。
ひとに指図されるのが大嫌いな私は、こんな風景を見るとゾクゾクする。やりたいことやらせてもらえたら、それが一番。
ただ、それを見守るほう(まっちゃん)はたいへんや。
「ゆめさき舎」特製寅の絵馬。
読売新聞でも記事にしていただいたそうだが、まだたくさんあるらしい。
私もちょっとだけいただいた。
家に持って帰ってヨメさんに見せると、「縁起もんやし、うちのお客さんにもあげたら喜んでくれはるんとちゃうかなあ」。
おお、グッドアイデア。
もし売れ残る不安があるようでしたら、ぜひうちに言ってください。できる範囲で、購入させていただきます。
今日、一つ賢くなったこと。
自閉症の人は、あらゆる外部の音を拾ってしまう人が多いらしい。自分が聞きたい音も聞きたくない音も同じレベルで耳から入ってくる。そのため、それらすべてをシャットダウンしてしまう。そこから、内へ内へと入り込んで行ってしまう。それは、きついね。
まっちゃんが私に言った。
「この仕事を長くしていると、普通にコミュニケーションがとれないというのが当たり前になってしまって、藤井さんのいっぱい話している姿に感心しました。」
なーんも。
私はたまに来て、自分の興味のあるところを見ているだけ。毎日毎日反応の少ない相手に奮闘されているまっちゃんとは、比べるのも失礼です。ただ、何か一つでも聞き取れたらいいと思いながら聞いているのは確かです。
次におじゃまするときは、難関のMA君の笑顔が見てみたいなあ。
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2009年11月26日(木)
わかちゃん(若林順子さん) [私の好きな人]
今日の毎日新聞の別刷り特集「Mainichi Active Lady」の2面に「わかちゃん」の紹介が。
わかちゃん「Run」の魅力
関西でも定着したランニングブーム。KBS京都ラジオのランニング情報コーナー「Let’s Run」(レッツ・ラン)のパーソナリティーを01年から務める若林順子さんは、ブームの前から番組で走る楽しみを伝えてきた。毎週の「わかちゃん練習会」を主宰し、視覚障害者の伴走にも取り組む。年間20〜30の大会に出場し、時には実況して大会に出場する「わかちゃん」に走る魅力を聞いた。
(くわしくは、下のPDFをクリックしてください。)
わかちゃんといえば、「ランニング界のオリジナリティ」ですかねえ。私は、あの人に似た人を見たことがない。
特に着ておられるウェアが、めっちゃ変わっている。どうも左右非対称が好きみたい。左右色ちがいのロングタイツと言えば、わかちゃんです。
10月の「四万十川ウルトラ」でのこと。
最初の上り坂で、「みかた残酷」の久保井さんと、「宝が池STC」の石田さんといっしょになった。その時、「わかちゃん」の話題で盛り上がった。
「わかちゃんは、○○なんですよー。」
「へー、そうやったんですか!」と私。
「あっ、そう言えば、わかちゃんは○○らしいよ。」
「へー、そうやったんですかー。」と、またまた私。
このお二人から、私の知らないわかちゃんネタをいっぱい教えてもらいました。このへんの会話をここに書いたらおもしろいんやろうけど、なんちゅうたって個人情報満載やからね。
「書けねえ、書けねえ、もう書けねえ。」
ひとつだけ・・・。
私が今年「四万十川ウルトラ」に挑戦したのは、わかちゃんからいろいろ聞いたおかげです。結果はもひとつやったけど、なんやかんや言いながら「わかちゃん」を頼りにしています。
とにかく、「わかちゃん」は、ほかの人ができないことをいろいろとやっておられる方です。
わかちゃんに興味をもたれた方は、ぜひわかちゃんのホームページへ。
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2009年10月30日(金)
捨てる神あれば拾う神あり [私の好きな人]
今日はまったくちがうことを書こうと思っていたが・・・。
やっぱり、旬の話題に変更!
今日考えていて気がついたのだが、「ブログ見てます」と言ってくださるのはほとんど男性。ごくまれに女性もいらっしゃるが、それは以前からの顔見知り。
それらすべての唯一の例外が、去年の「諏訪湖マラソン」のいりえゆかさん。「ブログ見てます」と声をかけてくださったときが初対面。それから一年たったが、同じような女性はいまだ出てこない。
稀有で貴重な存在、いりえゆかさんは私にとって、まさに「拾ってくれた神」。
この1年、いりえゆかさんには「諏訪湖に舞い降りた天女」という冠をつけていたが、これからは「拾ってくれた神」ということで・・・。
きのうは、いりえゆかさんのブログ「ラスティックなひとりごと」からこのブログに飛んできた人が26人。今日は、私のブログから「ラスティックなひとりごと」をクリックしている人が10人。異文化交流(?)ですなあ。
いりえゆかさんは、バリバリの大阪弁。「私らに合わせてくれてはるんですよね」と言うと、「いつも、こんなんです」。確か、長野に来られて15年くらいと書かれていたような・・・。それで、今も大阪弁バリバリだとしたら、「ゆかちゃん、かっこいい!」
「私のブログをほめてくださって・・・」と恐縮されていたが、ブログと言うよりもブログを書いている人のお人柄のほうが好きです。「だましているかも・・・」と気にされていたが、もしそうだったら、これからもずっとだまし続けてくださいね。
でも、こんなことをあんまり書くと、またうちのヨメさんから、「ストーカー!」と一喝されるかも。
ここで、ひとつだけお断り。
決してうちのヨメさんのことを「捨てる神」だと思っているわけではありません。うちのヨメさんこそ、私にとっての最大の「拾ってくれた神」であることは、まちがいない!
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2009年10月29日(木)
いりえゆかさんのケーキ [私の好きな人]
月火水と3日間、完全休養。今日、久しぶりに仕事(のジャマ)に復帰。
いきなり、ヨメさんの怒り爆発! (理由はくわしく書けません。)
「きく連れて、家帰りー!」の連発。
「ちゃんとするしー」とあやまっても、無視。ああ、この立場の弱さよ。うちはいつもこうなんです。
この我が家の上下関係をしっかり把握してくださっているのが、いりえゆかさん。彼女が書いておられるブログ「ラスティックなひとりごと」の「諏訪湖マラソン」の記事の中でも、きっちり「ますみ社長さん」と書いていただいている。
そのいりえゆかさんが、「諏訪湖マラソン」でお会いした時、手作りケーキをくださった。お礼も言えず気にしていたのだが、ご自身のブログでも味がどうだったかとか気にしておられた。
この場を借りて・・・。
「おいしかった!」
味について、文章で表現するのはむずかしい。しかし、あえて表現すると、このケーキは「プロの味」。
実は、日曜の夜、熱が38.3℃まで上がり、食べ物が食べられなかった。でも、いりえゆかさんからいただいたケーキがあったことを思い出し、一口食べてみた。
「おー、これはいける。」
パクパクパク。けっきょく、ふた切れも食べてしまった。「絶妙に味のバランスの取れたお上品なケーキ」とでも表現すればいいのでしょうか。本当に、いいもんいただきました。
今日、ケーキの最後の一切れを食べた。
少しかたくはなっていたが、おいしかった。
最後の一切れを食べながら考えたこと。
私といりえゆかさんの似ているところ。
「ちょっとしたことでも喜べる、(その反面、ちょっとしたことでシュンとする)」
これはまちがいない。自分で言うのもなんですが、このいい性格(?)は、もって生まれたもの。プラスお育ちのよさ(?)。へへへー、いいたい放題です。
私といりえゆかさんの一番ちがうところ。
「負けず嫌いとへらへら」
もちろん、負けず嫌いがいりえゆかさんで、へらへらが私です。
話は変わりますが・・・。
今日いい写真が撮れた。
私がきくを撮っているかげ。
ケーキは、ほんとにほんとにおいしかったです。
「ペンション・ラスティック」の看板犬・まある君の記事、書いてくださいね。(しつこいですが・・・)
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2009年10月14日(水)
「あしたまた、来るん?」 -兵庫・ゆめさき舎にて- [私の好きな人]
「あしたもまた、来るん?」とMI君。
「えー、そんなんゆってくれるん。」
「松本さん、あのひと言を聞いて、今日来た甲斐がありましたわ。」
「あの子らはね、お愛想もお世辞も一切なし、いやな人にはあからさまな拒否反応ですから。」
そうか、素直によろこんでよかったんやね。
今日、かねてから行きたかった「ゆめさき舎」を訪問させてもらった。(「ゆめさき舎」は、「ランナーズ9の会」のまっちゃんが経営されている小規模作業所。今日のブログでは、「松本さん」と書かせていただきます。)
朝、ちょっとぐずぐずしていたので、到着したのはちょうど12時。
初めは、すごく緊張した。「いやがられたらどうしよう・・・。」
でも、最初出入り口に立ったとき、6人全員がこっちを向いてくれていて、ちょっとほっとした。
そして、中に入れてもらうと「ニコニコ顔」が・・・。
松本さん、女性スタッフさん、私を含め9人でお昼ごはん。
「藤井さんのブログに『汁系がないと食べられん』とか書いてあったんで、豚汁作っときました。」と松本さん。すいません。それにしても、すみからすみまでしっかり読んでくれてはるんですね。ありがとうございます。
私は、この作業所に通う唯一の女性KOさんと、最年少男性MI君の間にすわらせてもらった。
私たちは配達お弁当。作業所に来られている方は、まちまちの内容。
私のとなりのKOさんは、なかなか食がすすまないようだったので、「食べへんにゃったら、もらうでー」と言って取るマネをした。そしたら、いつのまにかたいらげ、今度は私のごはんを取るマネを。「はははははー」と人なつっこい笑顔とともに。(ほおばっていたごはん、飛び出しそうやったし・・・)
あーよかった。こうやって人のん取るマネしながら食べたら、うまいのなんのって。
でも、ちょっと悲しい「事件」もあった。
私が持っていったシュークリームに一番反応してくれていたMI君。食後のお楽しみで出てきたシュークリームを見て、がっくり。
私が持っていったシュークリームは、普通のとちがっておまんじゅうのような形をしたもの。それを見て、いつも食べているシュークリームとちがってがっくりきてしまったようだ。味はおいしかったんやけどなあ。ごめんなー。
今、この作業所では、フェルトのコースターを4枚重ねて袋詰めする作業をされていた。こういった仕事もどんどんへってきているそうだ。
松本さんは、一人一人の連絡帳に連絡事項を書かれていた。毎日毎日、たいへんです。
「写真撮るでー」と言ったら、このポーズ。
なんやかんや言って、けっこうすましてるやん。
午後は、MA君の歯の治療。そして、そのあとは手柄山公園へ。
私もついていかせてもらった。
(この写真で、帽子をかぶってにっこりしてくれているのは、SA君。今日、一番私に話しかけてくれた。)
「口腔保健センター」。
ここは、障害者歯科診療が週2回ある。
MA君と松本さんが治療室に行っている間、私と残り5人は車で待ちぼうけ。
でも、私たちに気づかれた歯科助手さんがこちらに向かって手を振ってくださった。それも一人ではなく、気がつかれた方がみんな。これはうれしい。(この場面、写真とらせてもらえばよかった。残念。)
このあと、みんなで手柄山公園へ。
ここも私にとってはなつかしい場所。
以前「市川マラソン」に出張販売に行っていたころ、子どもを連れてここに来たことがある。
ここで、みんなでサイダーの乾杯。
せっかくなんで、みんなで記念写真。
紅一点のKOさんのてれくさそうな表情がかわいい。
松本さんと私が交代して、もう一枚。
もう、KOさんたら。せっかくひっついたのに、下向いてるやん。
「さあ、そしたら、そろそろ帰ろうか」と松本さんが言われ、歩き出した時・・・。
「あしたまた、来るん?」とMI君。
ありがとね。こんなへんなおっちゃんでも、どっか気に入ってくれたんやね。
「あしたは来れへんけど、絶対また来るし。」
手柄山公園から、何人かのおうちまで送迎。
その車の中で、だいぶ松本さんとしゃべった。
一番の話題はMA君。
MA君は、自傷行為どころか他人に対しても暴力をふるい、いくつもの施設を断られて今「ゆめさき舎」に来ている。
おうちのほうでは、それはしつけの問題として「しかって制止する」という対応をされていた。しかし、それでは何の変化もなし。
そこで、松本さんともう一人、大学関係の方がMA君の家庭に入り、彼の行動を徹底的に分析した。
「注目、感覚、要求、逃避」
彼の行動は、この4つがそれぞれ単独に出たり、複合されて出たりする。
この中でも、「注目」に注目。
調理中のおかずをフライパンごと床に落としたりする。そのとき、絶対にその行動に反応してはならない。何度同じようなことがあっても、絶対に反応してはならない。それが徹底できれば、やがてその行動はなくなっていく。
そういった徹底的な行動分析を続けた結果、1年半後にようやく他人への暴力がおさまった。
そのときの松本さんは、「行き場をなくした人は、自分が引き受ける」という意地でMA君のおうちに通い続けておられたそうだ。
帰る前に、松本さんから言われた。
「どう言ったらいいのか、うまく言えませんけど・・・。
藤井さんのブログを読んでいると、あまりにもふだん私が考えていることと似ていて、不思議で不思議で・・・。」
「いや、でもね、案外同じ考えの人はたくさんいやはんのかもしれませんよ。それを口に出して言わへんだけで・・・。ボクかって、ブログ書いてへんかったら、どんなこと考えてんのか、まったくわかってもらえへんかったやろうし。」
「ブログの中の藤井さんしか知りませんけど、僕は藤井さんが大好きです。」
「ありがとうございます。これからも松本さんにきらわれんように、しっかりブログ書きます。」
※ 今日の記事に関しては、私なりに自主規制して書いたつもりです。ただし、写真だけは撮ったそのままの形で掲載しました。目隠しのような写真は載せたくありません。(それは、かえってご本人に対して失礼だと思っています。)
どれもみないい写真でしょう。
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