2008年12月25日(木)
赤羽周平さん [私の好きな人]
今回は、「私の好きな人」というより、うちのヨメさんの好きな人です。
みなさんよくご存じの赤羽有紀子選手(北京オリンピック女子10000m、5000m日本代表)のダンナさんです。娘さんのゆうなちゃんとともによくテレビにも出ておられますが、写真はご本人の了解を得ていないので載せないでおきます。
周平さんが、「赤羽有紀子選手のママさんランナー奮闘記」というブログを書いておられます。また、「赤羽有紀子のオリンピック挑戦レポ」では、今年の4月25日から9月3日までのオリンピック関連のレポートが、ご家族の写真入りで分かりやすくまとめてあります。ぜひ、そちらをご覧ください。
うちのヨメさんが言うには、「ここまで自分の持っている力を、すべて奥さんのために使える人は見たことがない」。
有紀子さんと周平さんは大学時代の同級生。当時、有紀子さんは大学女子長距離のトップランナー。周平さんは、陸上部のマネージャー。
そして、今、有紀子さんは女子長距離(トラック)のトップランナーとして北京オリンピックに出場。周平さんはその専属コーチとして、すべてのスケジュールを組み立てておられる。
それだけならそんなに珍しくもないが、そのお二人のかたわらにいつも愛娘のゆうなちゃんの姿が・・・。
うちのヨメさんは、生まれてすぐの子を連れて出張販売に行っていた自分の姿を思い出すらしいです。「これは、なかなかでけんぞー」
6月27日の「日本陸上競技選手権・女子10000m」は、テレビの前で私とヨメさん二人、声をからして応援した。
オリンピック日本代表を決めるレースにふさわしく、赤羽・渋井・福士のデッドヒート。結果はわずかの差で、渋井・赤羽・福士の順でゴールした。
今年の日本陸上界では、北京オリンピックの男子100×4リレー銅メダルが話題になっているが、私が選ぶなら今年のベストレースは絶対にこれ。
興奮冷めやらぬまま、初めてひとのブログにコメントを入れさせてもらった。もちろん「赤羽有紀子選手のママさんランナー奮闘記」に。
今、赤羽さんは、来年1月の「大阪国際女子マラソン」に向けて、徳之島で合宿をされている。異色のママさんランナーの初マラソンということで、世間からかなりの注目を浴びている。
しかし、ブログを見せてもらうと、いつもと変わりなく、変な気負もなく、淡々と練習をこなされているようである。
もちろん、大事な大事なゆうなちゃんとともに。
どうか、「大阪国際女子マラソン」、3人の力を合わせてしっかり走ってください。テレビでしか応援できませんが、持てるすべての力が出せるようお祈りします。
☆赤羽周平さんの12月22日のブログはすばらしいです。アンチ・ドーピングについてのご自分の考えが、たいへん分かりやすく書かれています。みなさん、ぜひ、ご一読を。
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2008年11月21日(金)
三宅誠孝さんは元気です! [私の好きな人]
ドキドキ、ドキドキ。
今日、三宅誠孝さんのお見舞いに言った。
ヨメさんが、高石ともやさんから聞いた話。
「三宅誠孝さんは、腎臓の具合が悪くなり、京大病院に入院している。」
ドキドキ、ドキドキ。
どんな理由であれ、今度入院した時は危ないのでは・・・。去年8月までの命と宣告され、それをもう1年3ヶ月もオーバーランしてるんやから。いつお迎えが来てもフシギではない。
ドキドキ、ドキドキ。
カナートでシュークリームを買い、京大病院へ。
受付で、「三宅誠孝さん」の病室をたずねる。
「三宅誠孝さんという方は、おられません。」
「1週間前におられたのなら、もう退院されたのかもしれませんね。」
いっしょについてきてくださった守衛さんが、そうおっしゃった。
まさかまさか、まさか最悪の事態っていうことはないですよね。
ドキドキ、ドキドキ。
私の姉夫婦が何か知っているかもしれない。
上賀茂の姉夫婦の家へ。
「三宅誠孝さんの家、知らん?」
「家は知らんけど、電話番号やったら分かる。電話してみー。」
ドキドキ、ドキドキ。
「プルルー、プルルー。はい、三宅です。」
「あっ、すいません。京都ランナーズの藤井です。みやけ・せい・こう、さんですよね。」(よかったー、本人や。)
「ともやさんから、三宅さんが入院してはるって聞いて、さっき京大病院行ってきたんです。そしたら、おられませんって言われて・・・。」
「いやあ、それはありがとうございます。私が入院していたのは第二日赤で、それもこないだ退院したんです。」
「えー、そうやったんですか。」
「それもあっち(ガン)の方じゃなくて、腎臓を悪くしまして、39度の熱が出て2週間入院してたんです。」
「でも、今はお元気そうで、ホッとしました。」
「そうなんです。やっと落ち着きました。早くしっかり直して、ともやさんのマネージャーの仕事せんならんと思ってるんですけどねえ。」
「そんな、無理したらあきませんて。」
(「仕事」という言葉を聞いて、絶句。「まだまだくたばってたまるか」という強い意志を感じました。)
「三宅さん、私のブログに三宅さんのことも書いていて、それを今日渡して見てもらおうと思ってたんですよ。それ、また郵送しますわ。
それといっしょにお手紙も書いてたんですよ。『12月30日に、うちのいなかで餅つきをするので、来てください』って書いてたんですけど。」
「それはそれは、ありがとうございます。実は、うちも12月30日に餅つきするんですよ。私はもういいかなと思ってるんですけど、孫がよろこぶからねえ。日が重なってしまいましたね。」
「それは残念。これからどんどん寒くなりますし、くれぐれも無理はされないように。また、調子よくなったら、京都ランナーズにも顔出してくださいね。
今日は、三宅さんのお元気そうな声を聞かせてもらって、ほんまによかったです。もう、心配で、心配で・・・。」
「気を使ってもらって、すいませんねえ。ほんとうに、ありがとうございます。」
「ブログ、プリントアウトしたやつ郵送します。また、読んでください。早く元気になってくださいね。」
三宅誠孝さんとしゃべっているうちに、ずーっと続いていた「ドキドキ」がやっとおさまった。私が想像していたよりずっとお元気そうだった。よかった。
三宅誠孝さんのお見舞いに持っていく予定だったシュークリームは、姉夫婦の家に。いつも来ている孫二人(小学生の男の子)が、パクパクと食べてくれるだろう。
三宅誠孝さんは、長年、京都市会議員(左京区選出)として活躍された方。議員さんだったのですが、とても気さくで、あれもこれも何でもがんばる普通の人という印象。手話もできはるんですよ。現在、72歳かな? 今、議員さんであっても全然おかしくない歳です。
私は人を尊敬したことなどないのですが、どうしてもと言われれば、一番に三宅誠孝さんを思い浮かべます。
だから、まだまだ死んでもらったら困ります。
「三宅誠孝さん。どうか、生きて、生きて、生き抜いてください。」
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2008年11月20日(木)
高石ともやさんと家族 [私の好きな人]
今日の京都新聞朝刊を見てビックリ。
1面左の部分、〜命ときめく日に 第1部 病から始まった 第3部 高石ともやさんと家族 「妻を、母を、自分が支える」〜
自宅でギターを抱えた高石ともやさんの写真。横には大きく「みんなが少し生き方変えた」の大きな文字。
月刊誌「ランナーズ」を読んでおられた方なら、今年の春まで連載されていた「てるえさんへの手紙」をおぼえておられるでしょう。(くわしくは、私の3/18のブログを見てください。)
末期の大腸がんと診断された奥様を、家族みんなで支えていく決意を手紙にされていた。しかし、それは決意というよりは、自然な家族の姿、自然な高石ともやさんの姿勢が感じられた。
今回の京都新聞の連載は、それをもう少しくわしく書かれているようだ。
1面に続き3面へ。
両手を広げ、笑顔満面の奥様の写真。1993年、アメリカ横断マラソンの時のものだ。
そして、その横に「完治むずかしいけれど、負けず、引き分けくらいで」の文字。
びっくらこいたー。
私のブログをしっかり呼んでいただいている方なら、お分かりでしょう。6月10日の記事を見てください。
☆
みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
☆
この話をした時、高石ともやさんは、「引き分け」という言葉にすごく感心しておられた。それをずっとおぼえてくれてはったんや。
私は得意と言えるようななことほとんどないのだが、言葉に関することはちょっと自信がある。いろいろ考えていると、突然頭にひらめくことがある。「ガンと引き分け」という言葉も、みかたのきつい坂を上ったり下ったりしている時にひらめいた。
あの時は、マネージャー役を務められていた三宅誠孝さんもいっしょ。
先日、うちの店にお買い物にこられた高石さんのお話によると、三宅さんは体調をくずし入院されているらしい。(三宅誠孝さんについては、4/13のブログを見てください。)
三宅さんは、ガンで去年の8月までの命と宣告された。しかし、それから1年3ヶ月、まだまだねばっておられる。
そう簡単に死んでもらったら、私も困る。もっともっといろんなことを教えてもらいたい。
とりあえず、明日、病院にお見舞いに行こう。いやがられても、このブログをプリントアウトしたものだけでも渡してこよう。
「三宅誠孝さん、ガンと引き分けましょう」
「高石てるえさんも、ガンと引き分けましょう」
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2008年11月01日(土)
いりえゆかさん [私の好きな人]
1週間前、数10秒話しただけの人を、「私の好きな人」として紹介するのは変かもしれない。
でも、私はちょっとしたことですぐ人を好きになってしまう人間なんです。
諏訪湖マラソンで、「ブログ見てます」と声をかけてくださった女性。それが、いりえゆかさんです。(ご本人のブログでお名前を公開されているので、ここに書いてもいいですよね。)
昨日、私のブログのリンク元を調べてみると、「ラスティックなひとりごと」というブログからいくつも飛んで来ていた。(最終的に、22アクセスがあった。)
なんと、10月30日に、「諏訪湖マラソン・・・京都キャロットさん」という題で、うちの出店と私のブログを紹介してくださっていた。(くわしくは、ブログ「ラスティックなひとりごと」を見てください。)
いりえゆかさんのブログを見て驚いた。私の「パオパオだより」と似ている。
「どこが?」と聞かれたらうまく説明できないが、文体? タッチ? 思い入れ?
まだ今年の10月分と去年の9、10月分しか読んでいないが・・・、分かった!
「はー」とか「ほー」とか思ったことをそのまま文章にされている。小さなことに感心し、小さなことに喜びを見出しておられる。そこが私といっしょなんや。
それに加えて、私より品があり、文章もきれい。私は、「ラスティックなひとりごと」にはまってしまいました。
昨年9月5日の「給水の心配」。マラソン大会に初めて出られるご夫婦の初々しさが感じられるいい記事です。
昨年9月17日の「白アサガオの君」、文句なしの名作です。その後の記事を読み、また読み返し、泣きました。
昨年10月末から11月初めにかけての「諏訪湖マラソンシリーズ」。よかった。楽しませてもらいました。私のブログかしらんと思ったくらいです。
11月7日の最後の嘆き。気にしないでおきましょう。あなたのブログはすばらしい。私が保証します。
11月18日「ご報告」、20日「追憶」。あー、何にも知らんかった。
私は、長く飼っていたエリちゃんが死んでしまった時、「長生きしてくれて、ありがとう」と言いました。ゆかさんは、どんな言葉をかけられたんでしょう。
今でも、長い距離を走っていると、必ずエリちゃんが脳裏に浮かんできます。うれしいけど、やっぱり泣けてくる。ろぐちゃんはどうですか。そんなことありませんか。
これから、ぼちぼち「ラスティックなひとりごと」の過去の記事を読み進めていきます。新しい記事にも期待します。
「パオパオだより」も、負けへんでー。
「ラスティック」は田舎風という意味でいいんでしょうか。「スプラスティック」(ドタバタ)は聞いたことがあったけど、「ラスティック」は初耳で・・・。
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2008年10月28日(火)
林幸博君 [私の好きな人]
昨日、中学時代の同級生・林幸博君から電話がかかってきた。
「明日の昼から、いる? 車のタイヤ替えに市原行かんなんし、そのついでにこうちゃんとこよるわ。」(「こうちゃん」は、私の呼び名です。)
林幸博君は、実家の近くで養鶏場の仕事をしている。(左京区大原百井町)
市原のタイヤ屋さんから、京都キャロット産大前店まではすぐ。ついでとはいえ、わざわざ会いに来てくれるとはうれしいことだ。
今年の5月、ブルガリアから一時帰国されていた中学時代の恩師・中古賀先生を囲んでクラス会をした。その時、幹事役をしたのが私と幸博君である。(くわしくは、5/19〜23のブログ参照)
クラス会の会場は、幸博君の実家が経営されている地鶏料理店「とり幸」さんを使わせてもらった。
同級生14人中8名の参加だったので、まず成功といっていいだろう。みんなよそよそしくなく、知り合いの家でゆっくりさせてもらったという感じであったのも良かったと思う。
クラス会が終わったあと、一番喜んでくれたのは誰だろうと考えた。
まず最初にうかんだのは中古賀先生。でもよーく考えてみると、先生よりも幸博君の方がうれしそうであったように思う。
私たちが卒業した花脊第一中学校は、当時、別所小学校の卒業生に加え、大原小学校百井分校の卒業生も入ってきていた。百井からの通学者は、毎日峠越えの細い山道を約4km歩いて通っていた。
クラス会の相談で、何回も幸博君に会いに行った。その時、「毎日、行きも帰りも1時間ほどかかって、しんどかったやろ。」と聞いてみた。
その答えは、意外にも、「全然。それが当たり前やったし。」
その言葉を聞いた時、「そっかー、絶対楽しいクラス会にしょう」と思った。幸博君は、きっといい方の思い出を大切にしてくれているんや。
私は、中学時代、幸博君が大好きだった。
すごいノッポで、いつもニコニコ。よっぽどのことでない限り、絶対に怒らない。なぜかひっつきたくなる、そんなふしぎな存在だった。
「幸博君てなー、絶対怒らへんかったやん。なんでー。」 これも聞いてみた。
「親から言われとってん。おまえがしんぼうせー、てな。」
「そっかー。」
幸博君はいやなこともいっぱいあったみたいやけど、グチを言わない。にわとりの世話を黙々とこなしている姿は、かっこよかった。
この時も思った。幸博君が心から楽しめるクラス会にしよう。
うちのヨメさんにも言われた。
「幸博さんて中学出てすぐ働かはったんやったら、クラス会の機会ってなかなかないで。きっと、ものすご楽しみにしてはるで。」
そうやな、そこまでは考えんかったな。
中学入学がちょうど40年前やから、細々とやけど長い付き合いやね。
2年後にまた、約束どおりクラス会やるから。それまで、おたがい元気に生きていこうな。
きっと、中学の時と変わってへん度ナンバーワンは、ボクと幸博君の争いやと思うで。
それにしても、ノッポのはずやった幸博君、ちょっと縮んだ?
幸博君、今日はありがとう。また来てな。
(注目!) ぜひ、地鶏料理「とり幸」さんのご利用をお願いします。
ホームページは、「百井 とり幸」
お問い合わせ、ご予約はお電話で、(075)744-2252
いなかが好きな方にはぴったりのところです。京都の中心部から北へ約1時間。送迎も相談にのっていただけます。
味のほうは、私が保証します。
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2008年07月17日(木)
よんなぁよんなぁさん [私の好きな人]
私が勝手に「ブログの師匠」と呼んでいる人が二人いる。
一人は「極私的鳩間日記」の羽根田治さん(鳩間島と千葉を行ったり来たり)。そして、もう一人が「クーの毎日」のよんなぁよんなぁさん(西表島在住)である。
ブログにも何回か書いているのでくり返しになるが・・・。
「よんなぁよんなぁ」とは、沖縄の言葉で「ゆっくりゆっくり」という意味らしい。
今年の2月、「竹富町やまねこマラソン」に参加した時、初めてよんなぁよんなぁさんとその飼い犬クーに対面した。クーはブログの主人公なので、初対面なのにとても他人(他犬?)とは思えなかった。
よんなぁよんなぁさんは、ブログのプロフィールでもほとんど紹介されておらず、私たち夫婦にとっては謎の人物だった。(男性か女性かさえ知らなかった。)
「雑種飼ってる人に、悪い人はいない。」
これは、うちの家訓(?)です。よんなあよんなぁさんも、確かにそうでした。それ以上のことは秘密にしておきます。知りたい人は、西表へGO!
「変わったがらの犬は、かえらしい。」1位きく、2位クー、これもまちがいない! クーを見たい人も、西表へGO!
7月の終わり、真樹と沖縄旅行をすることになった。真樹の一番の楽しみは「海」。わたしの一番は、もちろん「クー」様です。
「クーの毎日」のファンはご存じでしょうが、そのクーちゃんが7月4日、5ひきの子犬を産みました。出産直後のブログ「クーの毎日」のアクセス数が、なんと! 200近く。今までは大体ひとけただったのに。(これはもとのアクセス数から見て、実質「ブログ炎上」状態です。)
「クーの毎日」自体が毎日ではなく、月に2、3回のペースだった(0の月もあった)のに、今やほぼ毎日更新です。クーの母犬ぶりと、クーの子を育てるのに必死なよんなあよんなぁさんの様子が分かり、とても楽しいブログになっています。
当初の予定を早めて西表に行くのは、クーちゃんの子犬が見たいから。(もらわれる前に見ておかなくては。)
昨日、そのへんのことをよんなぁよんなぁさんに電話してみた。
結果は・・・。衛星電話をかけているようでした。
会話がうまくかみあわず・・・。いいんです、これで。
「よんなぁよんなぁ(ゆっくりゆっくり)」で行きましょう。
(注)私のブログのリンク集に「クーの毎日」が入っています。子犬が見たい人は、今すぐクリック!
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