パオパオだより

2008年11月06日(木)

佐渡山豊in琵琶湖ライブ 〜変わりゆく時代の中で〜(11/3)・続き [沖縄]

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 第2部は、いよいよ佐渡山豊さんのコンサート。

 誤解を恐れず言わせてもらうと、「まだこんな歌手がいたんや」。
 プロフィールには年齢が書いてなかったが、ネットで調べると私の5歳上。50代半ば。
 私が若いときは、こういうタイプのフォーク歌手の全盛期だった。社会に対するメッセージを魂の底から歌い上げるタイプ。

 沖縄出身なので、もちろん沖縄がかかえる問題・・・一番は米軍基地に関わる歌が多かった。
 それにプラス、集団自決の問題、琉球人差別の問題(人類館事件)、死刑制度に関する問題、などなど。
 私が一番心に残っているのは、「日の丸・君が代を指導せよと、校長がヒットラーのように言う」というフレーズが入っていた歌。題名はおぼえてていないが、沖縄の言葉の題名だったように思う。
 こんなことを歌にして歌ってくれていた歌手がいたんや。ありがとうございます。これからも、この歌を歌い続けてください。

 コンサートの様子を文章で説明するのは本当にむずかしい。これは、実際に聞いてもらうしかないと思う。

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 今回は、「佐渡山豊&SwingMASAライブコンサート」。
 全曲、謎の(?)サックス奏者とのジョイントだった。
 主催者からもらったチラシには、ふたりのことを以下のように紹介してあった。

■佐渡山豊プロフィール
 沖縄、コザ(現沖縄市)生。1995年「ドゥチュイムニー」が泡盛(菊の露酒造)のCMに起用され、大きな話題となる。1997年、アルバム「さよならおきなわ」を発表。
 関西、関東はじめ四国や北海道など全国各地で精力的にライブをおこない、2004年5月にはNY在住サックスプレーヤ―のMASAとN.Y.PEACEツアーを成功させ、着実に活動の幅を拡げている。現在、新年リリース予定の新CDを製作中。

■SwingMASAプロフィール
 中学入学と同時に吹奏楽部でサックスを吹き始める。高校時代、JohnColtraneのMyFavoriteThingsを聞いてJazzへと傾倒してゆく。1987年、コンサートの収益金と、支援者の出資金でJazz修行のためNewYorkへと渡る。1996年、NewSchoolUniversityJazz&ContenporaryMusicを卒業。在学中、ReggieWorkman、BillyHarperらに師事する。1997年、JazzSaxophonistとしてビザを取得。1999年、演奏活動の実績が認められ、グリーンカード(アメリカ合衆国永住権)を取得。2001年、大阪府よりプリムラ奨励賞を受賞。NewYork、Harlem在住。アメリカと日本を往復しながら、演奏活動を続け、現在に至る。
 Feminist、Pacifist、Vegetarian、Ecologist、死刑廃止運動はライフワーク。

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 全部で何曲聞かせてもらったのだろう。
 ほとんどお話はなく、次から次へと歌われていった。
 佐渡山豊さんは見かけによらず(すいません!)、すごくきれいないい声だった。
 MASAさんのサックスは、嘆きの表現が秀逸だった。
 「そうか、あんなふうにもふけるんや。」
 自己紹介の時、死刑廃止運動に力を入れておられるとのことだったが、なにをきっかけにそこに力を入れられるようになったか、もう少しくわしく聞きたかった。ちょっと残念。

 コンサートの様子を文章にするのには限界がある。
 機会があれば、ぜひもう一度行きたい。人にもすすめたい。そう言うのが精いっぱいです。

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 コンサートが終わり、最後のあいさつも終わり、ホールを出た。
 出口で、高間悦子さんを発見。参加者のみなさんにお礼を言っておられた。
 「高間さん、京都の藤井です。今日は、先生のお話もコンサートも両方よかったです。」
 「ありがとうございます。よく来てくださいました。藤井さん、ちょっと、こっちこっち・・・。」
 「えっ、なんですか。」
 「うちの主人です。」
 「いつもお世話になってます。と言っても、今日のようなイベントしか参加させてもらってないんですけど・・・。」
 「藤井さん、実は私、ついこの間も沖縄に帰ってたの。これ、おみやげです。」
 何の役にも立っていない私におみやげなんて。申しわけない。いつか必ず何かのお役に立てるように、努力します。ほんとうにありがとうございました。(想定外の出来事で、うれしかった。)

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 2階の階段前には、滋賀・沖縄県人会の方々のお見送り。会場を出る一人ひとりにお礼のあいさつをされていた。
 その時思ったのだが、こういったイベントの中で、短時間でもいいから沖縄県人会の普通の方のお話を聞けないものだろうか。普通の人の普通の話の中に、沖縄を考えるさまざまなヒントがかくれているような気もする。

 会場を出る前、佐渡山豊さんのCDを展示販売してあるコーナーを見てみた。私がもう一度聞きたいと思った曲は、そこにあるCDには入っていなかった。「新年リリース予定の新CD」っていうのが、要チェックですね。

 その代わりと言ってはなんですが・・・。
 CDの横に、松島先生の著書が。
 「琉球の『自治』」。目次を見るだけでも、ワクワクする。石垣島の開発史、西表島の開発史、「日本復帰」と奄美諸島の開発、琉球の開発と米軍基地、八重山諸島における「経世済民」の実践、琉球独立を巡る動き、・・・。
 全344ページ、2940円。
 今日は、1時間の講演を集中してしっかり聞くことができた。
 このぶ厚い本も、絶対最後まで読む。期限は、今年中。
 負けへんでー。

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2008年11月05日(水)

佐渡山豊in琵琶湖ライブ 〜変わりゆく時代の中で〜(11/3) [沖縄]

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 11月3日の夕方、滋賀県栗東市の「さきら」へ。
 10/10のブログに書いたとおり、「高間悦子さんを取るか石井慧選手を取るか」。だいぶ思案した上で、滋賀・沖縄県人会のこのイベントに参加することにした。

 主催は、「滋賀・沖縄県人会」にプラス「連帯ユニオン関西地区生コン支部・京津、湖東ブロック・朝日分会」。
 なにやら長い名前だが、非正規労働者の組合らしい。

 「分会」という言葉を久しぶりに聞いた。
 私が小学校教師をやめたのは35歳の時だったので、もちろんヒラ。ただし、市教組・雲ヶ畑小中分会の分会長だった。「長」のつく肩書きは、あとにもさきにもこれだけです。(おっと、別所PTA会長を忘れてた。3年前にやりました。)

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 3時間の予定のイベントは、第1部と第2部に分けてあった。
 第1部は、滋賀・沖縄県人会の三線演奏と、龍谷大学准教授・松島先生の講演「琉球の自治」。
 第2部が、佐渡山豊ライブコンサート。

 小ホールはほんとに小さく、100人も入ればいっぱいになりそうだった。
 私が入った時にはもうほぼ満席で、一番前のパイプイスの席くらいしか空いていなかった。一番前だと写真も撮りやすいし、かえってよかったかも。

 6時ちょうどに、三線の音色が・・・。
 前列には、2月の時に紹介されていた中学生の男の子とお母さん。がんばって続けてはるんや。
 総勢11名。後ろでちょっと見えにくかったが、高間悦子さんの姿も。

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 主催者を代表して、高間悦子さんのごあいさつ。
 いろいろとお話されたが、いきなり、「私たちが暮らすこの滋賀にも、いまだ沖縄差別が残っています。」
 こういう言葉をはっきり言える人、それが高間さんです。さすがです。
 きっと、今までさまざまな圧力と戦ってこられたでしょう。
 昨年は体をこわされ、2月のイベントの時も顔色がよくないように見えたが、もうだいじょうぶそう。よかった。
 最後の方に言われた言葉もよかった。
 「どうぞ、興味のある方は、三線クラブにいらしてください。ただし、ただ三線をひくだけでなく、沖縄全体の問題を考えていただける人しか受け入れられません。」
 スパッ、スパッと話される様子は見ていて実に気持ちがいい。
 まいりました。

 「どうか、この私を弟子に!」と言いたくなります。

 あっ、一つ思い出した。
 2006年5月、当時湖南市にあった沖縄館まで高間さんに会いにいった時のこと。
 「沖縄の人って、宴会とかですぐ踊ったりしやはるんですよね。」
 私は、NHKの「ちゅらさん」のイメージでそう言った。
 「あれは、ウソ。最後の最後にみんなで踊ったりすることはあるけど、いつも踊ってるわけじやないのよ。」と、ピシャリ!
 「テレビのイメージで、沖縄全体をみな同じととらえてもらったら困る」という感じだった。
 おやさしいお顔で、ゆうことはピシャッとゆう人。
 実はもうその時、「どうか、この私を弟子に!」と思っていました。

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 このあと、もう一つの主催者である連帯ユニオン関西地区生コン支部の高副委員長のごあいさつ。
 今日のイベントを主催されるまでのいきさつなどを説明された。滋賀にもたくさんの非正規労働者がおられる。その中には、沖縄出身者もたくさんおられるらしい。さまざまな問題を解決するには、幅広い人たちとのつながりが必要である。
 それにしても、「沖縄」と「生コン」はなかなか共通項がみつからなかった。「生コン支部」というのは、コンクリートミキサー車の運ちゃんの組合なんかなあ。

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 次は、第1部のメイン、講演「琉球の自治」。講師は、松島泰勝氏。
 主催者側からいただいたチラシには、以下のような紹介があった。

■松島 泰勝 プロフィール
 1963年石垣市生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。
 那覇中学・那覇高校卒業。東京狛江市の南灯寮で4年近く生活。早稲田大学政治経済学経済学科卒業。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期過程履修単位習得。早稲田大学から経済学の博士号を取得。
 在ハガッニャ8グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館専門調査員、東海大学海洋学部海洋文明学科准教授を経て、現在、特定非営利法人「ゆいまーる琉球の自治」の代表、龍谷大学経済学部国際経済学科准教授。
 著書に、『沖縄島嶼経済史ー12世紀から現在まで』 『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)
『ミクロネシアー小さな島々の自立への挑戦』(早稲田大学出版部)がある。


 「一言一句、聞き逃すまい。」
 この歳になって、大学の先生の講義が聴けるなんて。絶対1時間集中するぜぃ!

 松島先生のお話は、内容が濃かった。
 「クスッ」と笑うところも一度もなく、時々「フー」となりそうだったが、しっかり聞けたと思う。

 順番的にはむちゃくちゃだと思うが、私が覚えていることは・・・。

 まず初めに、琉球・沖縄の歴史について語られた時、奄美の人たちの複雑な感情について。
 奄美地方は、島津が琉球王国に攻めてきた時、武力によって琉球から切り離され、薩摩藩の統治下になった。しかし、その前は、武力によって琉球王国の統治下になっていたのだ。
 だから今でも沖縄の人々をすんなり受け入れることができないらしい。ヤナトンチュー(本土の人)も敵であるが、沖縄の人ももっと古くからの敵であるわけだ。複雑。 

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 次に驚いたこと。
 沖縄では、古くからゆいまーる(たすけあい)の精神が根付いている。
 その典型が、久高島である。
 久高島では、島全体は島の住民みんなのものという考えで、個人資産がない。そのため、本土のリゾート開発業者の誘惑もはね返すことができたとのこと。
 すごい。そんな一枚岩のような地域がまだあったんや。

 

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 次は、米軍基地に関する話。
 伊江島は、終戦直後、島の60パーセントが米軍基地として強制収用された。しかし、その後、島民のねばり強い運動で30パーセントくらいにまで縮小させた。
 そんなことを知っている沖縄以外の日本人は、いったいどれくらいいるのか。私もまったく知りませんでした。
 辺野古のV字滑走路。これは、新たな米軍基地というとらえ方でないとダメ。決して普天間の代替地ではない。そう思っている沖縄以外の日本人は、いったいどれくらいいるのか。知らないことだらけです。

 最後の方に、沖縄のリゾート乱開発の話。
 松島先生のふるさと・石垣島は最悪。住所変更をしないまま石垣に住みついている人が、かなり多いそうだ。住民税を払わず、島のいいところだけを享受している移住者。
 逆に、ユニマットの社長は、生活実態のない竹富町に現住所を移し、莫大な住民税を払う見返りに西表島のリゾート開発を我が物顔で進めていった。(ニラカナイホテル)

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 そして、最後の最後に、私にとってビックリ仰天の発言があった。
 「西表の西の端に、人口50人ほどの船浮と言う地区があります。そこは、船でしか行けないような不便なところなのですが、そんなところにまで開発業者の手が伸びています。」

 まさか、あの船浮が・・・。
 お金持っとるやつらは、そこまでやるのか。
 私はここ2年間に、三回船浮を訪れた。ほとんど手付かずと言っていい、素朴さの残っている地区であった。船浮小中学校を中心としたこじんまりとした集落で、少し歩いたところにはイダの浜というきれいな浜があった。当時の校長先生は、ご自分の名刺にその景色を入れておられたくらいの自慢の浜だった。
 こんなところにまで・・・。

 松島先生のお話は、私にとっても多くの課題を突きつけられた内容であった。

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船浮小中ホームページより

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今年2月の学習発表会(私たち夫婦も写っています)

 第1部が終わり、10分の休けいになった。ホール外の通路でミニ沖縄物産展をやっているということだったので、見に行こうとして席を立った。
 その時、一番はしの方の席に松島先生が座っておられるのが目に入った。1時間話されてお疲れであろうと思ったが、ついさっきの船浮の開発の話がどうしても気になりお話させてもらうことにした。(わずか10分間でしたが、内容の濃いお話をさせていただきました。)

 驚いたことに、リゾート開発の話はやはりあのイダの浜。 先生のお話によると、浜一帯はすでにほぼ全部業者の手に渡ってしまったとか。
 
 こういう話が持ち上がった時、一番の問題は地域住民が二つに分断されることである。西表島のニラカナイホテルの時もそうである。自然破壊に反対する住民と、雇用先の確保を狙う住民との対立。
 けっきょくホテルが建設されて数年たった今、「だまされた」と思っている人(元賛成派)も多いようだ。
 松島先生とも話していたのだが、こういった開発業者に抵抗するには、元からいる住民だけでなく、本土から移住して地域に溶け込んでいる人たちの力も借りなければ。(私の中では、住吉のよんなぁよんなぁさん、上原の「工房ながや」のオーナーを頭に浮かべながら話していました。)

 今のところは、船浮地区では開発反対派が圧倒しているらしい。しかし、私も含めた無責任な旅行者によって、この船浮地区の平穏な空気を乱すことは今後ますます増えていくだろう。

 高間さんが、前に繰り返し言っておられた。
 「本土の人は、自分の見たい沖縄しか見ないのか。」
 自分に都合のいい部分だけ取り出してわがままに楽しむような人間は、沖縄には来てほしくないということだと思う。
 私自身も、しっかり肝に銘じたい。
 

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2008年10月10日(金)

高間悦子さんを取るか石井慧選手を取るか [沖縄]

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いく手を決めるのは、いつもきく

 11月3日(祝)に、二つのイベントかかさなってしまった。

 一つは、「石井慧選手 北京オリンピック祝勝会」。場所はホテルニューオータニ大阪。会費はちょっと高いが、場所が場所だけにこれはしょうがない。
 オリンピック金メダルの選手の祝勝会に招待されるなんて、一生に一度あるかどうか。行きたい。
 石井慧選手にも会いたいが、それより祝勝会の案内を出してくださった泉さんに会いたい。北京の応援ツアーの時、泉さんのニコニコ顔でいつも楽しい気分でいられた。
 泉英治さんは、石井慧選手の父・義彦氏が高校教師として天王寺高校で最初に教えた教え子の一人だそうだ。もう25、6年前のことだと思うが、そんな教え子といっしょに海外旅行が出来る石井義彦氏は幸せ者だと思う。泉さんだけでなく、応援ツアーに来られていたメンバーはみんないい人たちだった。
 でも、今度は応援ツアーの時のようにお気楽なメンバーばかりではないだろう。きっと、お偉いさんも来られるのだろう。ジーパンでは行けへんよなあ。
 それに最近の「プロ格闘家転向」騒動。ちょっとなあ・・・。

 もう一つは、「佐渡山豊in琵琶湖ライブ」。場所は滋賀県栗東市。 
 滋賀・沖縄県人会の高間悦子さんから案内をいただいた。(高間悦子さんについては、1/22、2/3のブログ参照)
 お手紙の内容は以下の通り。
 「藤井さん
 ご無沙汰しております。
 去るコンサートにおきましてはありがとうございました。
 せっかく来て頂きましたのにお話しする間もなく残念に思っておりました。
 今回は同封のチラシのとおり沖縄出身の講師とミュージシャンを中心に無料コンサートを企画しましたので、ご家族お友だちをお誘いし聞きにいらしてくださいな。
 また今回もスタッフで動きまわってますのでお話しする間はないかと思いますが、いらして頂けましたら声を掛けて下さいね。
 まずはご案内まで。
                                  たかま   」

 このお手紙は効いた。

 2006年5月、高間さんにお会いしていろいろ沖縄のお話を聞いてから、私の沖縄マイブームが始まった。ここから年に2回も3回も沖縄に行くようになるとは、私自身も想像もつかなかった。

 やっぱり、現時点では、石井慧選手より高間悦子さんの勝ち!
 「石井慧選手祝勝会」の方に欠席のファックスを送ったあと、高間さんに電話。参加の旨を伝えると、すごくよろこんでくださった。電話の終わりのほうで、気になっていたことを聞いてみた。
 「2月にお顔を拝見した時、以前よりすごくやせられているように思って、心配してたんですが・・・。」
 「そうでしょう。体調くずしちゃってね。実は、しばらく沖縄に帰っていたんですよ。沖縄でいろいろ活動してたんですけどね。やっぱり、滋賀の沖縄県人の駆け込み寺的なものをなくしちゃった感じがしてね。体調もだいぶよくなったので、去年の8月、また滋賀に戻ってきたんですよ。」
 「あらー、そうやったんですかー。だいじょうぶですか?」
 「ええ、今は元気ですよ。今度のコンサートでも三線で出ますから。」
 「よかった。楽しみにしています。」

 と言うわけで、私は、柔道オリンピック金メダルよりも沖縄を選びました。

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きくの鼻と花がかさなってるし

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2008年08月02日(土)

美ら海水族館 [沖縄]

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 沖縄旅行の最終日は、美ら海水族館。
 私は、去年の3月廉と行った。春休みだったので、すごい人だった。特に、売店とレストランの混雑はすごかった。
 今回は朝早めに出たせいか、前よりすいているような感じだった。

 大きな水槽は、さすがダイナミック。ジンベイザメも楽しそうに泳いでいる。下から見上げられるところもあったのだが、そこもゆっくり見られてよかった。
 ただ、昨日海にもぐり、魚に手渡しでえさをやっているので、それに比べると・・・。逆やったらよかったのかも。

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 どうしても見たかった、イルカのフジ。
 尾びれがくさり、人工のゴムの尾びれをつけているイルカだ。
 フジは、水族館の一番はしにいた。
 水槽の一番底で、静かに動かずじっとしていた。同じ水槽にいた2頭のイルカがビュンビュン泳いでいたので、フジがかわいそうに見えた。
 それに、よく見ると、フジは人工の尾びれをつけていない。また何か不具合が生じたのかもしれない。
 がんばれって言ったらもっとかわいそうなんかもしれんけど、心の中で言ってしまった。
 「がんばれ!」

 フジを見に行く時、新しいイルカ用の水槽の増設工事がされていた。
 その塀の前で、お父さんが3歳くらいの男の子を肩車していた。この猛暑の中である。お父さんは、子どもになにやら解説していた。
 フジを見て帰ってくると、その親子がまだ工事現場を肩車で見ていた。すごい。お父さん、倒れんなよー。

 水族館はちょっと期待はずれだったが、楽しそうな親子が見られて、よかった。 

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2008年08月01日(金)

シートレック熱帯魚餌付け体験 [沖縄]

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残波岬ロイヤルホテル

 沖縄旅行3日目は、西表島から石垣島へ、石垣空港から那覇空港へ。空港近くでレンタカーの手続きを終えると、もうお昼だった。
 目指すは、沖縄中部読谷村の「残波岬ロイヤルホテル」。レンタカー会社の方にお聞きすると、高速も国道もほとんどかかる時間は変わらないということで58号線で行くことにした。

 ホテルは開業20周年らしいが、11階の部屋はひろびろとしてきれいだった。ベランダから見下ろす海は、大潮が近いせいかだいぶ引いていた。それでもいいながめだった。
 午後2時半ごろに着き、今日のお目当て「シートレック」の時間までまだ少しあったのだが、ちょっと休けいすることにした。ベッドでゴロゴロ。

 3時半になり、1階フロント横の「マリンサービス」へ。
 そこで誓約書のようなものに記入。海に入る時、息ができるかぶり物を使うのだが、肩幅が35cm以上ないとダメらしい。係の方が真樹の肩をはかっておられた。セーフ。

 浜に行くと、若いお姉さんが2人。定員7名なので、私たち2人のほかにあと3人来られるのかな。
 シュノーケリングのグループが帰ってきて、その中の高校生らしき女の子とそのお母さんが残りの参加者だった。全部で6人。

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シートレックのイメージ(パンフレットより)

 説明を聞いて驚いた。
 かぶり物の重さは、約30kg。海の中ではそんなに感じないと言われたが、それにしても・・・。
 後ろの管から次々と空気が送り込まれるので、呼吸の心配はない。ただ、ちょっとしたひょうしに前から水が入ってくることはあるらしい。おおこわ。それって、パニックにならへん?

 それよりもスタッフの方が強調されていたのは、耳抜き。
 深さ4mほどの海底を歩くので、降りて行く時にかなりの水圧がかかる。耳抜きをきちんとやっておかないと、すごく耳が痛くなってその場にいられなくなる。
 耳抜きなんて、今までしたことない。鼻つまんで「ぷー」としたらいいって言わはったけど、できるかな。

 浜から少し沖にある浮島へ。
 その浮島にかけられたはしごをつたって、海底へ。
 6人の中唯一の男性である私が一番指名。真樹、おいてけぼりでだいじょうぶかな。まあ、若いしっかりした男性スタッフお二人に、後はまかせよう。

 はしごを降り、首だけ出した状態でかぶり物をかぶせられる。ずっしり。両肩に運命の重みが。
 一段一段確かめながらゆっくり。4、5段降りたところで、もう耳がキーン。耳抜き、耳抜き。「ぷー」とやったら、うまく抜けたみたい。

 さらに下に降りていくと、はしごの段がない!
 その代り、何やら人の手が。これ、ギャグとちゃうにゃから。こっちは、真剣にやってんのに。
 その手とともに海底へ。

 なんともいえんふんいき。
 息はちゃんとできてるけど、なんか気持ち悪い。
 真樹はだいじょうぶかなと見上げると、着実に一段一段降りてきている。こわくないんかな。
 
 6人全員がそろい、スタッフさんに注目!
 スタッフさんは、ハーフタイツの下のへんをなにやらモゾモゾ。
 「出たー!」
 タイツの下から、ソーセージ。これは、笑った。わざとですか?
 さかなさんたちは、そのソーセージをおいしそうにつついてくれました。

 その後、明るい方に向いて記念撮影。パチリ!
 さすが、スタッフ。すごくいいのが撮れました。
 今回の旅行で唯一の、真樹とのツーショット写真です。

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◎書き忘れていたことがあります。

 もぐる前の説明の時、スタッフさんに質問しました。
 「耳抜きしたことないんですけど、うまくできないときはどうしたらいいですか。」
 「前々心配いりません。2、3段上に戻れば楽になりますから。そこからもう一度やり直してください。あわてなくていいですから、ゆっくりゆっくりすすんでもらったらいいですよ。」

 あー、これって教育の基本ですよね。こんな気持ちを忘れてしまった先生が多くないですか。

 もう一つ笑ってしまったこと。
 真樹の話。
 「シートレックかー。真樹はずっとシークレットやと思ってたわ。」
 海の山歩き(シートレック)もへんやけど、秘密(シークレット)はもっとへんやろー。

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2008年07月31日(木)

家族総出のエコツアーガイド [沖縄]

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お世話になったエコツーリストのみなさん

 

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 朝9時半、よんなぁよんなぁさんにペンション星の砂まで迎えに来てもらう約束をした。
 かぎをフロントにあずけようとして部屋を出ると、もう車が前に来ていた。
 「子犬も乗ってんのかなあ。」と真樹が言った。
 「そら、家族総出って言ってはったし、乗ってるって。」
 前によんなぁよんなぁさんとクー、2列目に子犬5ひき。確かに、家族総出です。

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 まず、「西表島エコツーリズム協会」へ。
 ここで、クーちゃんと子犬を降ろし、食事と給水。
 子犬が近づいた時、クーちゃんが「ウー」とうなったのには驚いた。ルールをちゃんと教えてるんや。
 子犬たちは、ヨチヨチ歩きであっちへ行くやらこっちへ行くやら。こんな小さい時から個性があって、せわしないのやらのんびりしてるのやら。

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 授乳も終わり、さあエコツアーのスタート。さて、どこへ行くのかな。
 もちろん、クーちゃんも5ひきの子犬もいっしょです。エコツーリストよんなぁよんなぁグループ勢ぞろいです。

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 最初に、西部診療所前のたんぼ。
 よんなぁよんなぁさんが作っておられるところ。ブログで見た時はすごく広く見えたのに、意外と狭い。この広さで85kgもとれるとは、さすが西表。亜熱帯はちがうなあ。
 黒紫米の需要が多いらしく、それに変えようかと思っていると言っておられた。

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 その後、その田の上の道へ。
 古いお墓の横を通り、さらに上へ。そこには、町水道の貯水タンクがあった。
 その近くの広場に車をとめ、ワンちゃんたちもいったん下車。
 クーちゃんは真樹になついてくれている。その証拠におしりを向けて笑っている。

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 この近くの公園で、ブログ「クーの毎日」に出てきた例の「傷ついたカラス」を保護されたらしい。
 そこは、在所から少し離れた場所で、あまり使われていない感じの公園だった。
 なんでもない場所にドラマがある。その公園を見ながら、そのカラスのことを思い出した。あのカラスも今、空の上のもっと上からよんなぁよんなぁさんたちを見守っているにちがいない。

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 車の中で「ファンファン、ファンファン」ないていた子犬たち。どうものどがかわいていたらしい。「チャップチャップ、ペッチャペッチャ」取り合いのようにして水を飲み、腹いっぱいになったものからその場にダウン。こっちでコックリ、あっちでコックリ。
 もうちょっと寝やすいとこで寝たらいいのにと思ったけど、無理! もう、動けません!

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 ここからまた車に乗り、祖納の集落へ。
 クーちゃんのだんなさん(キラ)が住んでいたノージさんのおうちも案内してもらった。そこは、西表アイランドホテルのすぐ裏だった。
 ここにもドラマがある。7月4日にクーとキラの子が生まれ、その4日後にキラの突然の死。お父さんみたいな真っ黒けは生まれへんかったけど、似た子もいる。どの子がノージさんにもらわれるのかな。

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 そこから、住吉地区の近くの浜へ。
 浜に行くまでいっぱいパイナップル畑があった。入植者の碑があったので、よんなぁよんなぁさんに聞いてみると、このあたりは宮古からの移住者が多いらしい。言葉も、「宮古口」と言って、西表とは少しちがうとか。
 5ひきの子犬は、冷房を効かせた車でお留守番。クーを先頭に本格的なエコツアー開始。

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 この浜はあまり有名な場所ではなく、海には二人の人がいただけだった。しかし、十分泳げるいい浜だ。今度来る時は、ここで泳ごう。
 きれいな砂浜には、ウミガメが卵を産んだ場所のマークがつけてあった。
 クーちゃんは、得意の「カニさがし」。みごと、カニを掘り当てました。

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 いつ見ても印象に残る小さな青い魚。いったいなんていう魚かな。こんな目立つ色、敵に見つかりやすいのでは。
 私は、浅瀬でうつぼを発見。カメラの用意をしている間にどっかに行ってしまった。
 海にはいろいろな生き物がいる。長く観察していてもあきない。

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 その後、クーちゃんのお父さん疑惑犬その2を見に。
 いや、こら似てまっせ。目のふち黒いし。お腹のガラもそっくりやし。視線の流し方も似てる感じがする。
 「ふだんは、なかなか出てきてくれないんですけどねえ。今日は、クーがいるから・・・。」
 クーちゃんのお色気は、すごいです。
 お父さん疑惑犬その1は、負け。クーのお父さんは、これにまちがいないと思います。

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 「お昼はどうしますか。」よんなあよんなぁさんが聞いてくださった。
 「ペンション帰って食べますわ。」
 そうか、よんなぁよんなぁさんは、今日丸一日うちのためにあけてくれてはったんや。すんません。真樹が靴はいてきてへんから、これ以上はちょっと無理みたいです。自分の用意に気をとられ、真樹に靴はいてくるように言うのを忘れてしまいました。

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 半日でしたが、本当にお世話になりました。次に来る時は、しっかり歩けるシューズをはいてきます。その時は、本格的なエコツアーのガイドをよろしくお願いします。
 もちろん、先頭はクーちゃん。2番手に子犬の残りがいるかなあ。
 今度は廉と来たい。あのうっそうとした西表のジャングルの中を歩いてみたい。 

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 最後のお別れのとき、クーちゃんたちの水が入っていたボトルからよく冷えた小さいパイナップルが2個出てきた。よんなあよんなぁさんからのおみやげだった。
 真樹は、まるで手品を見ているかのように目を輝かせた。その顔を見て、本当にここに来てよかったと思った。クーファミリーとも仲良くなれたし。
 よんなぁよんなぁさん、いい人でよかったね。いいエコツアーやったね。真樹、ぜったいにまたこようね。

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