2008年10月01日(水)
中学校文化祭・韓国舞踊鑑賞 [学校]
文化祭2日目のメインは、舞台鑑賞。
今年は、韓国舞踊の鑑賞だ
保護者の鑑賞については何のお知らせもなかったが、せっかくの機会なので見に行こう。
今日は10月1日。月に一度の映画ファンデー(1000円均一)なので、映画に行こうと思っていた。
しかし、昨日は真樹と音楽コンクールの話で盛り上がった。
けっきょく、真樹のクラスは銀賞だった。ほかのクラスの評価も、私と真樹は似ていた。
やっぱり共通の話題ができるとうれしい。映画より学校。学校へGO!
学校に着くと、ほとんど保護者の姿がなかった。特にお父さんは、私一人かな。
体育館に入ろうとしたが、子どもたちが席に着き落ち着くまでかなり時間がかかった。
また先生がどなっておられる。「背の高いほうから、すわっていかんかー。」こんなこと、毎日ですか
音楽のM先生が、今日の鑑賞どころを説明されている時、突然後ろのほうで「ジャーン」という大きな音。
「びっ、びっくりするやんか!」
でも、この入り方はすごく効果的です。
子どもたちも、何が始まるのかという感じで、興味深く見ていた。
韓国舞踊のリズムは、古いものであるはずなのに古くない。これは、今の中学生にも受け入れられるリズムだ。
躍動感があり、自分もその中に自然と取り入れられるような、そんなふしぎな感覚だ。
五つの太鼓を叩く、これなんてゆったのかなー、忘れた。
これはすごかった。体がやわらかい。アクロバット太鼓といってもいいくらい。
音楽+パフォーマンス。見ていて、全然あきない。中学生たちは、見ていてどうなんやろう。私が見る限り、しっかり見ているような気がするが・・・。
日本にも、こんなんありましたよね。
司会進行をされている○○さんの話。
「私たちは大阪から来ました。全国いろいろなところに行かせてもらっていますが、この中学校には初めて来させてもらいました。
韓国と日本、すごく似たところもありますし、真逆なところもあります。それぞれの文化を理解し、お互いに刺激し合って新しい文化を創っていきましょう。」
その時、後ろの出入り口から、豪華絢爛な衣装の男性と女性が。
「李王朝の王様とお妃様が入場です。」
最初は、てっきり舞踊団のメンバーが扮装しているものだと思っていた。しかし、会場がザワザワザワ。
実は、お二人ともこの学校の先生でした。王様は社会科のS先生、お妃様は家庭科のA先生でした。お二人とも、衣装がすごく似合っておられました。
特に、お妃役のA先生はバツグン。
「この衣装を着られてどうですか?」と聞かれ、
「○○○の上がちょっと締め付けられて、痛いです。」
吹き出してしまいました。(さて、この○○○とは何でしょう。)
こんなふうに子どもたちが興味を持ちそうな趣向がこらしてあり、感心した。互いの民族の衣装を着てみることも大事なことなのかも。
次は打楽器のカルテット。これがまたすばらしい。
男性二人女性二人だったのだが、この男性二人は韓国から来られたそうだ。右から二人目は韓国芸術大学の教授、そのとなりはまだ高校1年生。自分たちと歳のちがわない若者がこうして活躍している姿を見て、中学生たちはどう思っただろう。
この打楽器の躍動感あるリズムは、若い人たちにすんなり受け入れられそうだ。
後ろの方でお一人だけ、リズムに合わせて体を動かしている先生がおられた。どうせなら、いっしょに楽しまなくては損!
一番最初に音楽のM先生も言っておられた。
「手拍子をしたり、体を動かしたりして、いっしょに楽しんでください。ただし、まわりの人の迷惑にならないように気をつけて。」
次は、立って踊りながら太鼓をたたく人たち。
これは沖縄のエイサーにそっくり。でもよく聞いていると、韓国は陰、沖縄は陽というような感じもする。
服装についても同じで、似てはいるのだが沖縄の方がよっぽどハデ。韓国は何かにつけ控えめな印象。
しかし、この打楽器の迫力はハンパなものではない。聞く者の胸の奥まで響き渡る。
このあと、実際に太鼓をたたかせてもらう時間に。
中学生6人(男子1、女子5)が舞台に上がった。
「太鼓のうしろにすわってください。できれば、あぐらをかいてください。」
それは無茶やろと思って見ていたが、何とみんなあぐら。中3女子は全員ミニスカートなのに、ようやります。
(ちなみに正座は、韓国では、刑務所に入った人だけがするすわり方だそうです。)
最後は、マダン。
「広場」という意味だそうです。(沖縄でいう「サンシキ」ですかね。)
前の方の床に座っている子たちが横に移動し、マダンのできあがり。中学生のすぐ目の前で、歌い踊る様子を見ることができました。私も、あの輪の中に入りたかったな。
途中で、皿回しのようなものが登場。何人かの子どもたちがそれに参加させてもらっていました。
気がつけば演奏も、先ほどの悲しげな音色ではなく、お祭りを祝うような楽しい音楽になっていた。
端の方では、ずっと司会進行をしておられた○○さんがラッパ(?)を吹いておられる。
みんな総出で、にぎやかに。ジャんジャカジャンジャン、パーパパパー。
私は、最後の最後まであきることなく見させていただきました。本当にこんなめったに見られない舞踊を見に来ないなんて、もったいない。
でも、初めから保護者席は用意してなく、ずっと立ち見でした。先生方も、1時間半立ちっぱなし。ああもったいない。みんなでもっとゆっくり楽しめたら、もっとよかったのに。
一番最後に、司会進行役の○○さんのあいさつがありました。
「いろいろと余計な事を言ってしまったかもしれませんが、お互いに理解し合い、素晴らしい文化を築いて行けるようにがんばりましよう。」
いろいろなところに気づかっておられる。さっきの話の中で、「差別や偏見のない世界をめざしましょう」と言われたことを気にしておられるのかもしれない。
私が聞いていた限りでは、さっきのその話の内容はたいへんわかりやすくいいお話だった。「まず、お互いを知ることから始めよう」という感じで、未来に展望が開けるようなそんな気持ちになった。
それでも、言葉のある一部分を取り出し、それにいちゃもんをつける人がいるのかもしれない。と言うか、たぶん今までそういう経験を何度もされてきたのだろう。
「もう、いいかげんにしなさい!」といちゃもん軍団に言いたい。
そういう意味でも、保護者の参加が極端に少なかったのは残念だ(たぶん、10人以下)。中学生よりは確実に頭がかたくなっているであろう私たちの世代こそ、何でも見に行かなくては。
本当にいいものを見せていただきました。ありがとうございました。(娘との話題がふえてよかった。)
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2008年09月30日(火)
中学校文化祭・音楽コンクール [学校]
娘の中学校の学校祭が始まった。
9月30日(火) 文化祭(音楽コンクール・舞台発表)
10月1日(水) 文化祭(芸術鑑賞・展示発表・生徒会企画)
10月2日(木) 体育祭
この中学校は、文化祭と体育祭を一気にやってしまう。この方式は賛否両論あるかもしれないが、案外いい方法かもしれない。(ただし、指導される先生はたいへんらしい。)
今年のテーマは・・・
「唱×賞×勝」
〜皆との笑顔は一生の絆 共にときめけ学校祭〜
全校合唱のあと、1年生から発表が始まった。
1曲目は、全クラス共通の課題曲。これはアカペラ。
トップバッターは見ていて(聞いていて)気の毒だった。私のようなどしろうとが聞いても、明らかに音程がはずれていた。舞台の一番が一年生というのは、そりゃ緊張するでー。
2曲目は選択曲。やっぱり1年生は、緊張がほぐれず、楽しく歌いきったという感じがしない。
三番手に出てきた1―4は、それまでの二つのクラスに比べると落ちついていた。聞いている方も、やっと安心して聞ける感じだった。
そのあと三つのクラスが歌い終わり、1年生6クラスがすべて終わった。
真樹らも、去年あんなんやったな。一生懸命なんは分かるんやけど、みんなの心が一つというところまでは行っていない。
だが一生懸命さは十分に伝わってきた。自分が中1の時と比べて・・・。あんな真剣さはあったかな。
2年の発表の前に少し休けい。トイレが混んでいたらいややなーと思って行ってみたが、ガラガラ。そらそうか、この平日のこの時間に子どもの行事を見に来れるお父さんは少ない。そういう意味では、うちはめぐまれている。
去年は、ヨメさんに仕事を全部してもらい、一日中音楽を楽しませてもらった。今年は残念ながら全部は見られない。午後は、仕事。その分、見られる(聞ける)所はしっかり見ておこう。
2年生の発表が始まった。さすが2年。1年には気の毒だが、全然レベルがちがう。うまいし。なによりも、楽しそうだし。1年でこんなに成長するんやね。中学時代の1年はすごく大きい。だから、大事にね。
2年の最初に出てきた4組はすばらしかった。しろうとの私から見ても躍動感があった。さすが2年生という感じだった。
次々出てくる子どもたちの合唱を聞いていると、どんどん吸い込まれて行く。目と耳だけが客席に残り、体は空へ。まるで天国から見つめているような感覚。
「ありがとう、こんないい気分にさせてくれて。」
この会場で一番楽しんでいるのは、この私かもしれない。
さて、いよいよ真樹の6組。
もう、心配で心配で。
去年、金銀銅のどこにも入れず、ものすごくくやしがっていた。たのんます。今年は銅でもいいからかすってくれ。
祈る思いで聞いていたが、案ずることはなかった。特に男子がすばらしかった。すごくよく声が出ていた。これなら、銅以上は確実。
私が学校に関わりたいわけ。
それは、子どもの話題によしてもらいたいからかもしれない。
「あれは、ああやったよねー。」
こんなふうに、なんとか子どもの話題に入りたい。
子どものおかげで、自分も中学時代に戻ったようなふしぎな感覚が味わえる。
2年生7クラスの発表が終わった。
どれも甲乙つけがたい。
芸術に点数をつけるのはむずかしい。ちょっとおこがましいという感じ。
できることなら、全クラスをほめてあげたい。どのクラスにも一生懸命になっている子がいるのだから。
もし賞が取れなくてもなげくなよー。おっちゃんはそれなりにしっかり見とるぞー。
次は3年生。
これは絶句。
中3は30人学級のため、皆26人か27人の学級。そのためさびしい合唱になるのかなと思ったら大まちがい。人数の少なさを感じさせないすばらしい発表だった。
全8クラスが一定の水準を越えている。これは評価するのは無理という感じがした。
3年生には、この中学校のスーパースターであるO・Eさんがいる。真樹、あこがれの人だ。
顔がかわいく、背が高く、スポーツ万能、ピアノ抜群。非の打ちどころがない。
私のとなりにすわっておられた男性が言われた。
「Eさんの伴奏は完璧でしたね。伴奏に徹していましたね。合唱が前面に出るところは控えめにし、それ以外のところはそれなりに。」
「変幻自在」とは、このことか。
O・Eさんは、実は全部カタカナの名前。きれいで上品な音楽を聞かせていただきました。
次はPTAコーラス。
去年は男性もおられていいふんいきだった。今年は女性のみ。無理やりでも男性を入れたほうがいい。去年入っておられた男性は、楽譜を持っている手がふるえていた。それはそれで、ほほえましくてよかったのに。
午前中のトリは、合唱部。
これは絶品。
特に最後の「愛」は泣けてくる。引退を控えた3年生がソロで歌う部分がある。「天使の歌声」とはまさにこのことである。
もし私が死んだ後、1日だけ下界の様子を見せてもらえるとしたら、迷わずこの合唱部のフィナーレを見たい。それほどここにはいろいろな思いがつまっている。
午前のプログラムがすべて終わった。
私は、「天使の歌声」の余韻に浸り、夢ごこちのまま。
しかしそのあと、その夢を一気にくだいてしまう言葉があった。たぶん生徒指導の先生だと思う。(去年もこの場に出てこられた。)
「しゃべっている者、指揮者のマネをしている者。君たちの鑑賞マナーはどうなってるんや。担任の先生! 鑑賞マナーの悪かったものについては、昼休みにきっちり注意しておいてください。」
あのー、私も保護者席で指揮者のマネをしてたんですけど・・・。
「音楽」って、「音を楽しむ」と書くんですよね。集中して見ていたら、目の前の指揮者の動きにつられて勝手に体が動くというようなことはよくあることです。それは音を楽しんでいる一つの表現だと思うのですが・・・。
せっかくこんないい機会ですから、その先生も生徒といっしょに楽しまれたらよかったのに。子どものあらさがしをし続けるのは、しんどくないですか。
「みんな、ようがんばったね。出番も鑑賞も、両方きっちり楽しめたかな。合唱だけじゃなく、指揮にもいろんなスタイルがあるもんやね。先生もつられて、動いてしもたわ。
緊張しすぎて普段の力が出し切れなかったクラスもあったみたいやけど、これで終わりじゃないから。今日の経験は、必ずこの先の何かに生かされるはず。また明日からも、やる気を出してがんばろうな。」
私がこの学校の先生なら、舞台の上からニコニコ顔でこう言いたかった。
あと二点、気になったこと。
一つは、9組(育成学級)が午後の部にまわされていること。(午前中のどこかにはさみこめないものか。)
もう一つ。金銀銅の採点方法と採点基準を、分かりやすく説明してほしい。
教職員の皆様、学校祭1日目お疲れ様でした。私は午前の部だけしか見られませんでしたが、本当に来て見せていただいてよかったです。
明日あさってとたいへんだと思いますが、子どもたちのために力を貸してやってください。
どうかよろしくお願いします。
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2008年08月27日(水)
田中裕子さん [学校]
昨日、すごくいいことがあった。
私の8月25日のブログのコメントを見ていただいた方は、「お察しのとおーり!」
22年前上賀茂小学校を卒業した田中裕子(ひろこ)さんからのコメントだった。
「先生先生!藤井先生ですよね!・・・」
最初コメント先の名が「田中」とあったので、「たなかー、たなかってだれやねん。」と思っていたが、コメントを読んですぐ分かった。お人形さんみたいにかわいかった田中さんやん。
12年と短かった教師生活の6年目と7年目。だいぶ余裕の出てきたころ。小学校5年から6年までの2年間担任させてもらった。
このクラスは、本当にいいクラスだった。
「頼りない担任に頼らず、自分たちで楽しいクラスにして行こう」という気持ちを持った子がたくさんいた。心の広いこの子たちにはいつもいつも助けてもらっていた。この子たちのおかげで、毎日毎日が楽しくてしょうがなかった。(これは謙遜でなく、正味です。)
一番の思い出は、いっぱい遊んだこと。中でも、キックベースや雪合戦は忘れられません。
そんな中で田中さんは控えめでおとなしかったので目立つ存在ではなかったかもしれないが、とにかくかわいかった。ちょっと違反なくらいかわいかった。
家庭訪問に行ったとき、「田中さんはかわいくて・・・」とばっかり言っていたら、お母さんがちょっとあきれておられた。(でも、その言葉にちょっとうれしそうでもあった。)
その目立たなかった田中さんが、私を探してくれていたなんて!
22年もたって、とっくの昔に先生じゃなくなっている私に、「先生先生!」やなんて!
ありがたい。アンビリバーボー。
さて、今後新たな展開があるか。こうご期待。
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2008年08月05日(火)
しっかり! 三鷹高校・土肥校長 [学校]
◎毎日新聞 2008年8月4日
「都立三鷹高:挙手禁止通知で校長が公開討論を要求」
東京都教育委員会が職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した問題で、通知の撤回を求めている都立三鷹高の土肥信雄校長(59)や教育評論家の尾木直樹さんらが4日、都教委との公開討論を求めて都庁で記者会見した。「お互いの意見を述べ合って都民、国民に判断してもらいたい」と訴えており、都教委に20日までの回答を求めている。
都教委の通知は06年4月に都立校向けに出されたが、土肥校長は校長会などで「教員の言論の自由を奪う」と撤回を求めてきた。先月10日、都教委に公開討論を申し入れたが拒否されたため、尾木さんや漫画家の石坂啓さんら4人の識者とともに会見に踏み切った。
会見で土肥校長は「生徒に民主主義を教えるのが学校なので、教員組織も民主的にならなければ」と主張。尾木さんは「職員会議で挙手を求めることは校長の決定権を何ら侵害しない。職員の意向を知らなければ実践は成り立たない」、石坂さんは「萎縮(いしゅく)した大人たちに囲まれていると、子供たちが損をしている気がする」と訴えた。
一方、都教委都立学校教育部の担当者は「通知は職員会議で教職員が意見を言ったり、議論することまで禁止したわけではなく、公開討論をする内容ではない」と否定的。土肥校長らは都教委が公開討論に応じなければ、さらに撤回要求に向けた活動を強めていくという。【木村健二】
6月2日のブログ「こんな校長先生がおられたら・・・」の続きです。
今の私ができることは、正々堂々正論を述べている人たちにエールをおくること。この人たちを無視して何も答えられないとしたら、それはうまく答えられないからか、へんに答えてしまうと自分たちの都合が悪くなるからです。
私は何もできませんが、土肥校長、しっかり信念を貫いてください。
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2008年07月12日(土)
洛北中野球部、悲運のボールデッド [学校]
中学総体の夏季大会が始まった。
私が見たかったのは、洛中野球部の試合。初戦は今日の9時プレイボール、場所も地元岩倉東グランド(洛中の南隣り)だった。
直接は関係ないが、真樹の同級生は野球部の子が多い。それも、クラスの中心になれそうな子が多いようだ。(4月1日のブログに書いたN・K君もその一人である。)
9時ちょっと前に会場に着いたが、ウロウロしているうちに試合は始まっていた。
最初は落ち着いて見ていたが、見ているうち次第に胸がドキドキし出して来た。洛中の子がバッターボックスにいる時は、とにかくバットに当ててくれ、守備についている時は、後ろにだけはそらすなと祈る思いで見ていた。
私の母校花背第一中学校は昨年閉校してしまったが、私たちの在校中はぎりぎり野球ができるだけの人数がいた。(もう、40年近くも前のことです。)
当時のチームは、ピッチャーで4番の藤井富雄君のワンマンチームと言っても過言ではない。富雄君は、京都一、球の速いピッチャーだった。(太田幸司擁する青森・三沢高校みたいなチームでした。これ、分かる人には分かる。)
そしてその富雄君をバックアップすべきナインは・・・。私は、9番目ぎりぎりのレギュラーだったが、大事なところでエラーをし、何度エースをがっかりさせたか分からない。打つ方は守備に比べるとましだったが、それでも何べんも三振してベンチに帰った思い出が多い。
プロ野球や高校野球は冷静に見られるのに、中学野球は私の過去とオーバーラップして足元がフワフワする。「とにかくバットに当ててくれ」、「後ろにだけはそらすな」。一人落ち着いて見たかったので、あえて洛中ベンチとは反対側の一塁ベース後方から観戦した。
試合の結果は・・・。
桃山中 0・0・0・2・0・2・0 ?
洛北中 1・1・1・0・0・0・0 ?
惜しくも洛北中は初戦敗退。
しかし、この試合にもいくつかのドラマがあった。
洛中の先発は背番号「1」のI・Y君(真樹のクラスメイト)ではなく、3年生のようだった。3年生にとっては、これが最後の大事な大会。
その背番号「7」君は、球を低めに集め冷静な投球だった。打線の方もコツコツと、1点ずつではあるが着実に点差を広げていった。
しかし4回の表、桃山中の攻撃。ヒットやフォアボールで満塁。
そこから、内野手のハンブルと押し出しのフォアボールで2点献上。(選手の名誉のための注意書き→内野手はきっちりボールを胸に当て前にはじき、ピッチャーは低めに球を集めることを徹底していた。)
なお続く満塁のピンチ。ここでエラーか連続押し出しで点を取られ、同点に追いつかれたら、そのままずるずると・・・。しかし、ここは見事にふんばった。ベンチからの声援もすごかった。見ごたえのある場面だった。
そして、運命の4回裏、洛中の攻撃。
先頭打者が1塁に出、次の左バッターのきれいに振りぬいた打球は、桃山中ライトの頭上をはるかに越え点々と・・・。バッターランナーも悠々とホームに戻ってきた。歓喜の洛中ベンチ。「これで、勝った!」とだれもが思ったはず。
しかし、ライトオーバーの打球は勢いがあり、はるかかなたのフェンス前のサッカーゴールにまで到達。
ボールはサッカーゴールの枠にはさまり、「ボールデッド」。ランナーは規則どおり、2塁3塁に戻された。
悲運。
喜び過ぎただけに、そのギャップも大きすぎた。
「この回、もし1点も取れへんかったら、洛中は危ない。」私は心の中でそう思った。
ホームランが取り消しになったとはいえ、ノーアウト2,3塁。最も点が取りやすい場面ではある。
しかし、やはり中学生。ついさっきのギャップをはね返すことができず、三振、浅いライトフライ、キャッチャーフライでチェンジ。
これで流れが変わってしまった。
6回表の桃山中の攻撃も見事だった。
しかし、この試合のポイントは、残念ながら4回裏の「ボールデッド」だった。3年生最後の試合としては、非常に酷な結末だった。ただただ、「悲運」としか言いようがない。
洛中野球部は、本当にいいチームだ。初めから終わりまで、途切れることなく元気な声が出ていた。みんなの心が一つになっているように感じられた。みんな楽しそうないい顔してた。
(相手チームのベンチのネット裏あたりにいたのたが、1年生らしき野球部員が先生らしき人に怒られていた。「おまえら、応援する気あるんかー」やって。ついこないだまでかわいらしい小学生やったのに、そんな無茶言ったらダメ! 具体的に「こんな時は、こう声をかけよう」と言ったらな。ちょっとかわいそうやった。)
負けてはしまったが、こんないい試合を見せてくれた洛中ナインに感謝したい。(もちろん、桃山中ナインにも。)
「みんな、かっこよかったぞ!」
(注)必ずしも文と写真が一致していません。写真説明も、あえてしませんでした。ただ、N・K君、I・Y君はどこかに写っています。
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2008年06月18日(水)
よりちゃん、泣かしたろ [学校]
中学のクラス会から、ちょうど1ヶ月。
そろそろ区切りをつけよう。
住所がわかっている同級生には、クラス会の報告をしなければ。
私が一番気になっているのは、「よりちゃん」。
いなか(花背別所町)唯一の料理旅館「小谷屋」の長男である。
今回のクラス会に、一番来たくて来れなかったのが「よりちゃん」だと思う。
どうゆう道を歩んだのかはよく知らない。しかし、一時、北海道の定山渓温泉と石川県羽咋市で板前をしていたことは聞いた。
クラス会の前、「小谷屋」のおばさんによりちゃんの携帯電話の番号を教えてもらい電話した。心配していたほどのこともなく、私には明るい声に聞こえた。ただ、何度も何度も「会いたいなあ」と言っていたのが印象的だった。
今は、富山県で板前ではない仕事をしているらしい。
その後、ブルガリアの中古賀先生にも、よりちゃんに電話するよう頼んだ。後で中古賀先生に聞くと、「ちょっと泣きかけとったで。」とのこと。「クラス会に来たいけど、来れへん事情があるんやろなあ。」

昨日、いなかに帰る用事があり、「小谷屋」さんにも寄ってみた。「田子の月」のめずらしいお菓子(例の「富士山頂」)を持っていったら、喜んでくれはった。
「頼定(よりさだ)は、クラス会、来んかったか。」
「はい。来てもらえへんかったけど、電話でぎょうさんしゃべれたし、よかったですわ。中古賀先生とも電話でしゃべれたみたいですし・・・。」
「そうかー。また、声かけたってな。」
よりちゃんと言えば・・・。
よりちゃんを動物に例えると、絶対に「カメ」。
なにをやっても、ゆっくりというイメージだった。ところが、水泳だけは「もうええやろ」と言うまで泳ぎ続けられる体力があった。
当時の野球部でも補欠で、試合には出してもらえなかったが、練習試合で超特大ファールを打った時はみんなびっくりした。(けっこう見せ場は作ってくれた。)
よりちゃん!
ファールでもええから、一発かましてくれ。
2年後に、必ず2回目のクラス会するから、その時には絶対に来てくれよ。名古屋の「ゆきちゃん」は必ず行くってゆってくれてるし。
そやそや、ゆきちゃんが送ってくれたお菓子、よりちゃんにも送ったろ。
泣くどー。よりちゃん、泣くどー。
よりちゃん、泣かしたんね。
でも、笑かしたろ系の私が、「泣かしたろ」は似合わんかな。
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