パオパオだより

2008年06月02日(月)

「こんな校長先生がおられたら・・・」 [学校]

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長代川沿いの散歩道

◎毎日新聞6月2日朝刊・「記者ノート」より

 「教育論議は公開で」

 東京都教育委員会が06年4月に出した通知の是非論が再燃している。通知は、都立学校の職員会議で教職員による挙手と採決を全面的に禁止した。都立三鷹高校(三鷹市)の土肥信男校長(59)が通知の撤回とともに、公開討論の開催を求める声を上げ始めた。
 通知は校長のリーダーシップを後押しするのが狙い。学校経営の基本方針は校長ら幹部の会議で決めるため、挙手や採決という方法で教職員の考えを確認するのは不適切とされた。
 しかし、土肥校長は通知後の状況を「言論の自由がなくなり、生徒を一番よく知る教員の意欲がうせてきた」と批判する。三鷹高はサッカー部が昨冬の全国大会でベスト8に進んだのが記憶に新しい。生徒の母親も「熱心な校長で本当に信頼している」と話しており、土肥校長が乱心を起こしたとは思えない。
 都教委は公開討論に応じてみてはどうか。土肥校長は「私が間違っていれば、考えを改める」と語っている。開かれた教育論議を通じ、通知の妥当性を見定めてほしい。【木村健二】

◎これぞ、正論!
 読んでいて、胸がつまった。うまく言葉がでない。
 でも、これだけは言いたい。
 「20年ほど前の京都に、こんな校長先生が一人でもおられたら、私は絶対教師を辞めなかった。尊敬できる校長先生を自分の手本とし、大好きな学校にしがみつき続けた。くやしい。」

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2008年05月31日(土)

洛北中学校参観懇談 [学校]

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南側より校舎をのぞむ

 中2の娘がお世話になっている中学校の、授業参観と懇談会があった。
 1時間目の英語も見たかったのだが出遅れ、結局2時間目の国語の残り10分くらいしか見ることができなかった。
 2時間目の国語は、担任でもあるZ先生。若くて元気。(先生の中で最年少)
 私は、先生より先生を見ている生徒の父母のほうが興味があった。皆さんの目には、この先生やクラスがどんなふうにうつっているんでしょう。
 「いろいろあると思うけど、いつも応援しています。」若い先生に対しては、これが基本です。

 授業自体は、けっこうデリケートな要素も含まれている内容だった(父母の出身地を問われていたが、あれはどうでしょう)。悪気はなく、授業を盛り上げる一つの演出であることはわかるが、見ていてちょっとハラハラした。
 いつも話題のS君。
 今日は真後ろにお母さんが陣取って、いっそうはりきっているようだった。みんなの注目がそっちに取られてしまっていた。
 少しざわざわしたようなふんいきだったが、水を打ったように静かな気持ち悪いクラスよりはいい。これからいろいろな行事に向けてぶつかり合いを経験していく中で、落ち着きを獲得していくのでは。
 「広く、大きな目で見守っていきましょう。」

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学校の南にある公園にはこんなきれいな花が

 10時35分から、学級懇談。
 授業参観はあふれんばかりの人だかりでお父さんもかなりおられたが、懇談に残った父親は私一人。お母さん13人と小学生の女の子1人、それに担任の先生とで懇談が始まった。
 懇談の内容については、さしさわりがあるかもしれないので省略。(皆さんの教育に対する真剣さが、ひしひしと伝わってきました。)

 一つおもしろかったこと。
 懇談に参加した小学生の女の子。「パチパチ、シャー、パチパチ、シャー」のそろばんの音。
 担任の先生の話の中で、「校内でお菓子を食べているような・・・」という話にすばやく反応。
 「おかしー!?」と小さく叫んで、なにやらメモしていた。この場面が、今日の懇談で一番盛り上がったところだったかも。

 私の発言。
 「うちの子は、去年3月閉校になった別所小学校の、たった一人の最後の卒業生です。新しく開校した花背小中一貫校は、のんびり育てたいといううちの考えとは正反対の学校だったので、一家そろって二軒茶屋の近くに引っ越してきました。
 最初は親子とも、大きな学校にすごく不安だらけでしたが、一年間洛北中学校に通わせてもらってそんな不安も吹き飛びました。
 去年は、校長先生が書かれている学校便り、学年から出ている学年便り、それに担任の先生からの学級便りと、競って出しておられるのかと思うぐらいよく学校のことを知らせていただきました。それを見させてもらって、先生方の意思疎通がしっかりできていることがわかりました。
 子どもも、家に帰って学校のことをよく話してくれます。
 ああ、これなら、この学校に安心して子どもを預けられるなと思いました。
 話は変わりますが、最近『鴨川条例』で違反は5万円以下の罰金とか、『たばこなんとか条例』で1000円の罰金とかが話題になっています。これは、ほんとに情けない条例ですよね。なんでもかんでも罰金で脅すなんて、おかしいと思います。
 学校は、そうなってほしくない。時間がかかっても、自分の頭で考え判断し、最後まで話し合って物事を決めていく姿勢は忘れないで欲しい。
 子どもたちがそういう力をつけていけるよう、先生方に助けていただけたらうれしいです。」

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「学校いってきたよ」 「ほー」

 娘は、私が(妻も)参観懇談に来ることをすごくいやがっていた。何でやろう。
 いつもジャージばっかり着ている、かっこ悪いお父さんやしかなあ。今日は、ジーパンとカッターシャツで、そんな変ではなかったように思うんやけど・・・、なあ、きくちゃん!

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2008年05月30日(金)

花背小中一貫校、無残 [学校]

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ゆっくり いきましょかいニャー (ポリポリ)

 京都新聞、5月30日朝刊より

 「着工遅れ9カ月ずれ込む見通し 花背小・中の新築校舎の完成」
             
 京都市が来年3月の完成を目指していた花背小・中学校(左京区)の新築校舎の完成が、工法変更のため着工が遅れ、完成が約9カ月ずれ込む見通しであることが、29日分かった。着工前の地盤強化試験で、予定していた資材が使えないことが判明した。同日開かれた市議会まちづくり消防委員会で「事前の調査不足だ」との指摘が出た。
 花背小・中は施設一体型の小中一貫校として昨年4月に開校した。現在は旧別所小・花背第一中(別所町)の校舎を使っているが、旧花背第二中(大布施町)の一部を取り壊して新校舎を建設し、来年4月に移転する計画だった。新校舎は地上2階建てで延べ約2600平方メートル。体育館を併設する。
 当初、今年4月に着工を予定していたが、軟弱な地盤を強化する固化剤を試験したところ、現地の土に混ぜても必要な強度を得られないことが同月下旬に分かった。土中に固化を阻害する天然成分が多く含まれていたためで、市はくいを打ち込んで地盤を強化する工法に変更する。
 このため建築確認の再申請などが必要になり、冬季の積雪で工事が中断する期間も見込んだ結果、9カ月遅れる見通しとなった。市都市計画局は「固化剤による地盤改良は実績も多く、今回の事態は想定できなかった。できる限り工期を短縮したい」としている。
 完成の遅れに加え、約5億円の予定だった建築費が増大する可能性も高く、委員会では市議から「なぜ着手するまで土質が分からないのか。しっかり調査すべきだ」などの批判が出た。


◎昨日の私のブログで、「学校も、来年3月で(別所から)完全に消滅してしまうし」と書いたばかり。先日の中学のクラス会でも、そのことは何回もくり返しみんなに言っておいた。
 それが、なんて?
 「9ヶ月、遅れまっさー」てか。
 「地盤調査、甘かったです」ですむ話ですか?
 児童生徒の人数が少ない学校は教育委員会も手を抜いている、と思われても仕方ない。
 「これ、私がやりました。この教育改革も、私がやりました。」と自分の実績を強調した方の本を立ち読みしたが、花背小中一貫校のことは書いてなかったなあ。本音は、お荷物やったのかも。
 子どものことを一番に考えているとは思えないこの学校。うちの娘も本来なら今ここの中2で、大事な時期を翻弄されてしまっているところだった。
 家族で話し合って見切りをつけたこと、それは決して誤りではなかった。
 マイノリティー(minority・少数派)ができること。それは残念だけれど、「危険なもの」から逃げる、これしかないんです。 

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2008年05月21日(水)

中学のクラス会・総括 [学校]

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養鶏場の番犬、シロ

 養鶏場見学が終わり、クラス会の解散になった。
 帰りの私の車には、先生、優子ちゃん、明美ちゃん。周作君は、ヤッチンの車で送ってもらうことになった。
 優子ちゃんを鞍馬でおろし、明美ちゃんを御薗橋でおろした。明美ちゃんにはまだ渡せていなかったバラのハンドクリームを、どっさり持って帰ってもらった。(もちろん、中古賀先生のブルガリアみやげです。)
 先生は、「北山駅くらいでええで。」とおっしゃったが、「先生、ボクはよ帰っても嫌がられるだけですから。空気読んでね。」と言って向日市まで送っていった。
 向日市のご自宅に着くと、小さなお孫さんが二人、「おじいちゃーん」と言いながら家から飛び出してきた。

 今回のクラス会の成功は、中古賀先生のお人柄によるところが大きい。先生に会いたくて出席してくれた仲間も多いと思う。私の予想外にみんなのおしゃべりがはずんだのも、中古賀先生のきばっていないふんいきがよかったからだ。(実際はいろいろとご苦労があるとは思うが)
 今回先生と話して気づいたのだが、先生が学校で話してくれたいろいろな話を私はよくおぼえている。先生自身が言ったことを忘れているようなことも、こちらはおぼえている。中学時代とは、そういう時期なんでしょうか。勉強の方は、全然おぼえてないのにね。

 会場を、準フランチャイズと言える百井にしたのもよかった。
 皆、親戚の家にいるようにリラックスしていた。
 それに、なにより百井出身の4人中3人が来てくれたこと。これは大きい。最後の百井からの通学者を擁したわがクラスは、このメンバーを大事にしなくては。
 先生が元気なうちに、「あの4kmの山道を歩くクラス会」って、どう?

 遠くに住んでいる人が一人でも来てくれると、これも大きな力になる。(今回は、東京の優子ちゃん)
 幹事は、遠くから来てくれる人のためにも出席者を増やそうと努力する。。他の人も、あの人がそんな遠くから来てくれるんやったら自分も都合つけようという気になる。

 今回残念ながら来てもらえなかった名古屋の由紀ちゃん。次回は必ず行くと約束してくれたので、またがんばって人集めをしよう。
 そのほかのメンバーにもなにがしかの働きかけはしておいたので、必ず次につながるはず。

 一応、今回参加のメンバーには、2年後、京都駅の近くでクラス会をすると宣言していおいた。
 その時の都合を聞く優先順位は、?中古賀先生、?由紀ちゃん、?今回来れなかった男子5人、?そのほか、となります。
 それではみなさん、また会う日まで、お元気で!

 (中古賀先生は、明日の早朝、関空からブルガリアに向けて旅立たれます。)

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2008年05月20日(火)

中学のクラス会・続き [学校]

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「とり幸」さんの養鶏場の番犬、ジョンです

 私の中学時代3年間(つまり全部)、担任していただいた中古賀公隆先生。
 先生が私たちの母校・花一中に来られたのは、先生が29歳の時だった。その時が新採で、それまでは講師として街中の中学校におられたそうだ。よく、「前いた中学校は、たいへんやった」と言われていたので、私たち14人は天使に見えたにちがいない。
 私たちが卒業後もう3年おられ、その後、街中の大きな中学校をまわられた。それなら、純粋で素朴な(?)私たち14人が、ますます天使に思えたのでは・・・。

 じょうだんはほどほどにして。
 百井「とり幸」でのクラス会は、いよいよ佳境に。

 中古賀先生の近況報告は興味深い。
 中でも私が一番聞きたかったのは、いっしょにブルガリアに来てくださった奥さんの存在だった。先生が「ブルガリアに行きたい」と言った時、反対もせず、「一人で行ってき」ともおっしゃらず、当たり前のようにいっしょに来られたそうだ。こりゃ、すごい。
 中学のいつだったか忘れたが、「僕は、奥さんが一番大事なんや」と顔を真っ赤にして言われたことがあった。先生得意の空手の「三鎮」の型をやり終わった時より赤かったかも。
 そうか、頭の血管切れるくらい大事なんや。へんな中学生だった私は、そんなふうに理解していた。
 それが今まで40年、ずっと続いてるんですよね。うらやましい。

 それともう一つ、印象に残った話。
 日本に一時帰国される時、外猫として世話をされている7ひきは、おとなりに1か月分のえさをあずけ世話をお願いしておられるとのこと。よかった。前から気にはなってたんやけど、よう聞かんかった。よかった。
 他にもいっぱい話してくださったが、書ききれないのでまたの機会に。

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 この後、時計回りに近況報告。
 トップバッターは、和佐男ちゃん。
 いきなり、ビッグニュース。「今、行政書士の仕事をしてるんやけど、50すぎてから自分の本当にしたいことが見つかり、週に2,3回板前の修行をしてます。」
 ななななんて、板前の修行? そうか、ほな、次のクラス会までに店出しやー。猶予は、2年やでー。
 ふたごの娘さんは、現在高3。「ふたりとも?」と聞いてた人がいたけど、それどういう意味? おとぼけにもほどがある。
 今は、別所の実家に帰っていることが多いらしい。「小谷屋さん」やってへんし、別所で料理屋さん開店したらいいんちゃうん。
 「そのヘアースタイルはいつから?」というきつい質問にも、「これは、十数年前から長い年月をかけ・・・」とか笑いながら答えていた。いける。その返しこそ、商売人。ほんまに、店開きや。行くし。

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 2番手、優子ちゃん。
 今日の午前中、優子ちゃんからメールがきた。
 「この間はお疲れ様でした。楽しかった! 幸博くんに会えたの、感激! 何か底力のパワーみたいなものを握手した手から感じたわ。ハンク・ジョーンズさんと握手して以来やった!?
 さっき、ブログ見たよ。早いね。お願いがあります。→私のことは載せないでね。」
 こら困ったな。メール返信やね。
 「横顔美人さんへ
 メールありがとう。これから、一人一人のことを書こうと思っていたので、ギリギリセーフです。すごくきれいに撮れた優子ちゃんの横顔写真と、さっきボクに送ってくれたメールくらいは載せてもいい? 幸博君が喜ぶと思うんやけど・・・」
 その返信。
 「お疲れ様です。良かった。じゃ、上手くまとめて、きれいに載せてあげてくださいね。返事ありがとう。これからも頑張ってね。2年後も成功させようね。出来ることがあったらやるからね。」
 東京からかけつけてきてくれただけのことはある。心強い言葉をありがとう。今度は、今回来れへんかったメンバーが一人でも二人でも来れるように努力しようや。頼むで。それまで、きれいな横顔にますます磨きをかけて、ねっ!

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 3番手、琴ちゃん。
 ごめん、ぼーっとしてた。話、しっかり聞いてへんかった。琴ちゃんは、なぜか身内のような気がして、気がゆるんでしまう。たぶん、琴ちゃんは私の初恋の人です。
 現在、滋賀県草津市在住。子どもが3人。そのうちのどの子か聞き逃したけど、結婚してもうすぐ子どもが生まれるらしい。私の昔のあこがれの姫も、もはやおばあちゃんです。
 おととし、別所小・花一中最後の運動会に来てくれて、その後PTAだよりの原稿もお願いした。うちのヨメさんが琴ちゃんを見て、「こうじさんの同級生に、えらいすいな人いるやん」と感心してた。「そうやろ、かっこええやろ。それがな、中学の時はな・・・」 (それは、秘密です。)
 現在パートの仕事と、介護の仕事と二つやってるらしい。介護の仕事は、別所に住んでるご両親にいつか役に立つようにと始めたと言ってた。
 お開きになってお支払いに行く時、背後に人の気配。誰かと思えば、琴ちゃん。ヒョロヒョロ系頼りな弟を心配して着いてきた、シッカリ姉さん? 「だいじょうぶ?」とか聞かれたりして。 琴ちゃんも末っ子やのに、こっち(私)とはえらいちがい。

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 4番バッターは、明美ちゃん。
 本当に、今日の4番バッター的存在だった。
 明美ちゃんからも、昨日の夜メールがきた。
 「昨日は迎えに来てもらってありがとうございました。先生にもみんなにも逢えてよかったです。取り急ぎお礼まで。」
 すぐ返信。
 「指輪女王へ
 今、でかい指輪についてブログを書いているところです。 まだ、できあがってないけど、パソコンがあったら見てください。どっちみちプリントアウトして、クラス会の写真、名簿といっしょに送ろうとは思っているのですが。 
 ちょっとふざけすぎたかな。ヤッチン、おこっとったよな。 明美ちゃんもちょっとおちょくりすぎた? 気、悪せんといてね。
 それにしても、みんながあんなにようしゃべるとは思わんかったわ。みんな楽しそうで、よかった。」
 その返信。
 「さっそくメールいただいてすみません。 パソコンもあるので、見せてもらいます。気になっていないといったら嘘になるけど、まあそれはそれと思ってます。気にかけてもらったのですみません。ご苦労様でした。奥様にもよろしく。」
 ごめんね。かまいやすいタイプやから、ちょっと度がすぎたね。 「乙女の姿、しばしとどめん」やったね。
 でも、中古賀先生、卒業の「13人」のこと言ってはったけど、私は何が何でも「14人」。明美ちゃんも入れた14人でないと、ダメ。幸博君に「明美ちゃんが来れるように、何べんもさそってや」ってゆってたんやで。
 30歳の娘さんと同居、26歳の息子さんは東京の外資系の会社でがんばってる。明美ちゃん自身も、大阪でスチール家具販売の会社を実質経営(一応だんなさんが社長)。体の調子もよくはないが、毎日がんばってます。

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琴ちゃんに撮ってもらった

 やっとまわってきました。5番手は、私。
 最初の長いあいさつと、ひとの話の時にちゃちゃを入れすぎ、もう疲れた。
 「廉君と真樹ちゃん、かわいいで。いつも年賀状に写真が入ってるやん。」と言ってくれた人がいた。よう見てくれてんにゃ。ありがとう。
 「これだけは、ゆうとかなあかん。いま、ボクは、ヨメさんに養ってもらってます。ここでこうしておいしいものが食べられるのも、みんなヨメさんの血と汗と涙の結晶で・・・」
 「でもええやん。じぶんの好きなことやらしてもらってるわけやろ。代わってほしいわ。」と和佐男ちゃん。
 「それは甘いで。どんなめちゃくちゃ言われても、じっと聞いてられるか。すべてのプライドを捨てて、何でも『ハハー』ゆうてきかなあかんねんで。」
 「そうか。火あぶりにじっと耐えるようなもんやな。」と和佐男ちゃん。
 「そやでー。ヨメさんに逆らった時が、ボクが地球から消滅する時や。」
 「そんなことゆうて、ええ車にものってるやん。あれも、おくさんのおかげ?」と琴ちゃん。
 「おかげとちゃうって、ヨメさんの血と汗と涙の結晶が・・・」 

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 6番手、ヤッチン。
 JT勤務。京都工場が閉鎖され、現在伊丹まで通勤。朝4時起きで5時家を出る毎日。
 子どもは大学生の子と、高2、高1。高1の息子は、洛北高校野球部。「ということは、3類(体育選抜)か?」と聞くと、「3塁ちゃうで、ピッチャーやで」やって。その3塁ちゃうがな。でも、すごい期待してるのが分かった。レギュラーめざして、がんばれ。
 ヤッチンの表情が一変し、「これからは、ちょっとつらい話なんやけど・・・、両親の介護が大変で。7年前父親が倒れ、その2年後に母親が倒れ、それからずっとなんや。家の近くにマンション借りて、そこで姉二人と交代で介護してんにゃ。休みなしや。でも、これだけやったんやと言えるように、がんばってる。さっきから、気楽なことばっかりゆうてる話聞いて、しばいたろかーと腹立っててん。なんでおれだけと思てな。でも、そんなことゆうても、しゃーないな。」
 ごめん、ヤッチン。ボクの横で、ムカムカきとったんや。一番お気楽なんは、まちがいなく私です。
 昔から、ヤッチンの顔が好き。「何でー」と聞かれたら、答えに困るけど、とにかく好き。中学の美術で「クラスメイトの顔を描こう」というのがあった時、迷わずヤッチンにしたもんね。今もええ顔や。しばかんといてな。 

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 7番手、周作ちゃん。
 くすりの「菊水」勤務。出張が多いそうだ。一番は富山。ちょっと前までは、台湾も多かったとのこと。バリバリ営業マンなんやね。
 大学生の息子さんと中3の娘さん。「子どもは、ふたり?」と聞いたら、「ああ、ちょうどな。」って、何がちょうどやねん! よう、わからん。
 ヤッチンと仲良しで、よくいっしょに遊びに行ったりしたらしい。中学時代の先生の動向にもくわしかった。上田先生は、3年ほど前亡くなられたとのこと。独自のアンテナを持ってるんやね。
 正直に言うけど、クラス会に行くって言ってくれた時、「ほんまかいな」と思ってた。長いこと会ってへんのにあんまりあっさりとした返事やったから。そやから、待ち合わせ場所で立ってる周作ちゃんを見つけた時は、何かジーンときた。
 時々、ボクにもわざと敬語を使ったりして、こんな楽しいヤツとは知らなんだわ。

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 最後に登場、8番手、幸博君。
 大阪で少し働いた後、百井に帰ってきた。
 最初は、牛を飼ってたそうな。それが儲けにならないということで、鶏に変更。今は、数千羽の鶏の世話で休むヒマもない。
 みんな、いろいろ聞いとった。「黄身二つの卵のなぞ」の説明は、ようわかった。いつから、そんな説明じょうずになったん。
 学校もこうゆうとこ行って、話を聞かんとな。生きた勉強できまっせ。鶏のことは知らんことが多いから、聞いていて全然あきない。
 今からでも遅ないぞ、嫁さんさがそうぜ。幸博君と結婚したら、絶対長生きできます。私が保証します。時間がゆったり流れてますから。

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 最後にしめとして、もう一度中古賀先生。
 これがまた、しめにならんしめで・・・。終わったのか終わってへんのか分からんような話。
 先生、日本語だいぶ忘れてる? まあ、かんにんしたろ。8人の天使(?)の前であがってんにゃな。
 すんません、最後の先生の話、全然おぼえてません。なんか、うれしいとかなんとか、・・・もうええか。
 「未来に展望が開けること言ってください!」

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 お支払いは、集金額とぴったり。というより、気使こてそうしてくれはったんやね。
 これで、中古賀先生からいただいた金一封を残金扱いにして、石井慧君の応援にまわせる。
 何から何まで、うまいこといくなあ。

 せっかくやし、時間のある人は、養鶏場見学ツアーに。幸博君のガイド付きでっせー。

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 「とり幸」さんから、約3km。ヒノコの養鶏場に着くと、番犬2ひきがお出迎え。よう、ほえよった。背中に機械油付いてるのは、なんで? 幸博君、なんかの機械の下もぐりよったゆうとったな。
 近くの桜にまだ花が。ここら、めっちゃさぶいゆうことか。
 夜は、ここで幸博君一人寝てるんや。こわないんかな。

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 あっ、そや、ワンちゃんいるし一人とちゃう。それに、鶏かていっぱいいるし。そやけど、朝やかましいやろな。鶏飼うんは、やっぱり、近くに民家のないとこやね。
 小屋に、幸博君のお父さん・幸一郎さんがいやはった。「別所の善一の息子です。今日は、お世話になりました。みんな喜んでました。」
 幸一郎さんも喜んでくれはったかな。

◎近況報告のところで、聞き違いをしている可能性が高いです。まちがいを見つけられた方は、ご連絡お願いします。

 

 それでは最後に養鶏場と見学者の写真集を。 

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2008年05月19日(月)

中学のクラス会 [学校]

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「とり幸」さんの玄関前で

 昨日の午後、中学時代のクラス会をした。

 私が卒業したのは、京都市立花背第一中学校(左京区花背別所町)。残念なことに、昨年3月、60年の歴史の幕を閉じた。
 私たち1970年度卒業生は、入学時男10女4の合計14名(このうち女子1名が途中転校し、卒業は13名)。この後、卒業生が2けたになることは一度もなかった。
 また、当時、大原百井町から峠を越え約4kmの山道を毎日通う仲間がいた(入学時、男3女1)。
 今回、百井町の「とり幸」さんでクラス会をするのも、こういうご縁があるからだ。(「とり幸」さんは、クラスメイト林幸博君のご実家が経営。鶏を育てているのは、幸博君。)

 一応今回のクラス会は、言いだしっぺの私と幸博君が幹事になった。
 担任だった中古賀先生に、「できるだけたくさん集めます」と約束したので、14人中7人以上を目標にした。
 出欠の締め切りは4月末だったが、その時点ではっきりしていたのは幹事2人のほか2名。こら、えらいこっちゃ。先生は、「少なくてもええで、無理すんなよ」と言ってくれてはったけど、ブルガリアから帰ってきてはんのにこれではね。
 それから電話しまくり、メールしまくり。それで、ようやっともう4人増えた。合計8人。よかった。目標クリアー。

 後は、ドタキャンがありませんように。(それがちょっと心配なんです。)
 京都走ろう会の例会が終わったのが、11時前。「ビブレ」の駐車場に車を取りに行く途中、中庭を通ると 「ありゃ、中古賀先生」。静かにすわって本を読んでおられたので、声はかけなかった。11時40分に待ち合わせしていたのだが、早く着きすぎて時間調整してくれてはんにゃ。
 急いで帰って着替えて、車のそうじ。またシャワーもあびるヒマないし、汗臭いかも。皆さん、すいません。
 ビブレに向かう途中、上賀茂橋の前を通ると、11時45分に待ち合わせの約束をした物部周作君が立っていた。まだ10分以上あんのに、早くから待ってくれてんにゃ。でっかい周作君がチンと待っているくれている姿を見て、何か、ものすごくうれしなってきた。

 約束の11時40分ちょうどビブレ前で中古賀先生を乗せ、これまた45分ちょうど上賀茂橋で周作君を乗せ、またまた50分ちょうど御薗橋西で明美ちゃん(旧姓・小西)を乗せた。われながら、すごい。こうゆう計算は、ばっちりです。
 忘れ物をしたので二軒茶屋の家により、優子ちゃん(旧姓・物部)が待ってる鞍馬へ。
 バス停で待つ優子ちゃんを見つけた明美ちゃん。「いやー、優子ちゃんきれい。」 いやー、そら優子ちゃん喜ぶわ。

 

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ピカリ !  先生の頭の反射

 百井に着いたのは、予定通り12時半少し前。
 直行組の物部和佐男君、林靖弘君、琴美ちゃん(旧姓・藤井)はさきに着いており、「とり幸」前で林幸博君としゃべっていた。
 あー、これでドタキャンゼロ。全員時間厳守でそろってくれた。
 「酔う前に、みんなで写真撮っときましょ。」 
 幸博君のおい・宏明君(22歳)に頼んで、パチリ。それが、最初の写真です。

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はじめから、いい感じ

 最初に、私から、このクラス会をしようといういきさつの説明。「おととしの秋、幸博君に久しぶりに会って、『学校なくなんねん』と言う話から、『クラス会やりたいなあ』ゆうことになって。中古賀先生、1年に1回日本に帰ってはるし、その時やろかー。会場はここでええ。おれら、言いだしっぺやし幹事やろな。」ということで。

 次に、来れなかったメンバーの分かる範囲での近況報告。

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由紀ちゃん、ありがとね

 一番残念やったのは、由紀子さん(旧姓・物部)。もっと早くから知らせておいたら来てくれていた。次のクラス会には必ず行くと言ってくれたので、次回は由紀ちゃんの都合を最優先。「みんなで食べて」と、名古屋のお菓子を送ってきてくれた。
 藤井和幸君のファックスのお便りも披露。自治会役員はたいへんだ。藤井頼定君と電話で話したこと。藤井修平君、藤井富雄君、浅田誠宏君とは連絡が取れなかったことも報告した。
 藤井修平君のおい・石井慧君が、北京オリンピック柔道100kg超級の代表に選ばれたことも報告。クラス会会計から残金が出れば、それを渡すことを了承してもらった。

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幸博君の乾杯の音頭

 次に、乾杯。
 私には、秘策があった。この乾杯の音頭は、幸博君に頼む。しかし、幸博君は緊張しーやから、直前のドサクサに頼む。
 「えーと、乾杯の音頭なんですけど、普通年長者にお願いするんですが、先生はゲストやから・・・、幸博君! 4月 生まれやったやんなあ。頼みます、53歳。」
 「かなんなあ。そんなん、急にゆうて。」

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てんぷらをかぶる公隆ちゃん

 「ごめんなー、頼むわ。」
 「・・・、えー・・・、・・・今日はみんなに会えてよかった。うれしい。かんぱーい。」
 こんなええ乾杯の音頭、聞いたことがない。これで、場の空気がますますよくなった。

 さて、お料理へと。話題になったのは、てんぷら。「タラの芽のてんぷらやんね」派と「これ、よもぎやで」派に分かれた。

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

長崎風京都弁、健在

 「幸博君、これ、なにー」 「そんなもん、わしゃ知るかい!」 「えー」 (答えは、よもぎ。珍味!)
 
 次に、それぞれの近況報告。
 まずは、中古賀先生、68歳。ブルガリアに住みだして早3年。後2年で帰ってくるとかいう話は、不確定に。
 みんなに、「先生って、何の(教科)の先生やったっけ?」と突っ込まれていた。
 言葉を選び選び話される姿勢は、変わっていない。

(注)まだまだ続きます。赤の他人のクラス会の話なんか、おもしろくないですよね。私は、このブログをクラス会に来れなかった友に向けて書いているつもりです。

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