2022年08月26日(金)
きく17歳5か月1日 [わんこ・にゃんこ]
今日、私は24時間バイト。
どうしようもなくなったら緊急のお休みをもらおうと思っていたが、昨日の夜、廉が大阪から駆けつけてくれた。彩ちゃんが「行ってき」と後ろから押してくれたらしい。なんといういい奥さんなこと。これで安心して仕事に行ける。
「きくちゃんといっしょの写真撮っとこか。」
ヨメさんがきくちゃんを抱っこして、自撮り。一回カメラが倒れて、もう一回。それでもきくちゃんは笑って、ヨメさんも笑って、私も笑って。
「いい写真が撮れたなあ。やっぱりシェパードにしか見えんなあ。」
抱っこした拍子にウンコとシッコがちょっとだけ出た。
「きくちゃん、パオパオに行ってらっしゃいのサービスしてくれたんやな。パオパオが帰ってくる土曜の朝まで待っててね。」
それ以上は涙が出そうだったのでやめた。きくちゃんの前で泣いたらあかんねん。私が泣いたら、きくちゃんも悲しくなるねん。
職場に行ってからは、パソコンやケイタイできくちゃんの写真や動画ばかり見ていた。
2005年の春休みのこと。
前の年の夏に、16歳半まで長生きしてくれた「えりちゃん」が死んじゃった。真樹が生まれるずっと前からうちにいたワンちゃん。
それから8か月ほど辛抱したけど、「また犬が飼いたい」と真樹が言い出した。
「春休みやし、雲ケ畑の知り合いのところでも見て回ってみるか。」
雲ケ畑は私の小学校教師としての最後の赴任地。その時点で、すでに雲ケ畑を離れて14年。それでも、犬を飼っておられるおうちがたくさんあった記憶はしっかり残っていた。
一番に訪ねたおうちは、私の最後の教え子の一人・高山康司君のところ。康司君のところには犬はいないが、お父さんと叔父さんが共同経営されている高山牧場(乳牛)にはいつも番犬がいた。
私と真樹が尋ねると、康司君の叔父の菊司さんと奥さまが大歓迎してくださった。
そして、「おう、なんてこったい!」の世界。
牧場のわらの上に、ちっちゃい黒いのが1ぴき。
「5日ほど前に、子犬が産まれたとこ。1ぴきだけで生まれたんやけど。藤井先生とこにもらってもらえたらうれしい」と言ってくださった。
「生後40日はうちで大事に育てます。40日たったら迎えに来てください。」
そして5月4日、私ら夫婦と真樹とで高山牧場にお迎えに。
「人間と犬とははっきり分けとかなあかん。犬は玄関で寝かす」とヨメさんが宣言。しかし、うちに来た初日に玄関で悲しげにフンフンと鳴かれて、早くも陥落。
そこからずっとずっと「おうち犬」です。
2年後の春休み、真樹が中学生になるタイミングで引っ越し。そこからは借家住まいになるのだが、「家の中で犬を飼ってもいいところ」が絶対条件だった。
2歳から14歳半までは長くなるので省略。
2019年11月17日の「南紀日置川リバーマラソン」の時のこと。
どこへ行くのもきくちゃんといっしょで、もちろんこの時もいっしょ。私らが泊まっているときは、きくには車で寝てもらっていた。
そして朝の出店準備が終わり、いつも通り大会会場裏の海岸へ散歩に行こうとした。
ところがきくちゃんが動かない。動かないというより、動けない感じ。私が後ろから「1、2、1、2・・・」と押してやっとイヤイヤ動く感じ。
その時は無理矢理に海岸まで連れ出した。
そしてきくちゃんとしゃべってたら、急に涙がぽろぽろ出てきた。
「きくちゃんよー、来年の15歳の誕生日はだいじょうぶやろうけど、16歳は無理やなあ・・・・。」
また、涙がぽろぽろーぽろぽろ。
戻ってヨメさんにその話をしたら、「どうもない!」と一喝。
「しかられたー。」
15歳の誕生日は元気いっぱいにむかえることができ、京都市の「長寿犬認定書」もいただいた。
もちろん、あちこち衰えが目立ってきたが、ヨメさんが鍼灸をしてくれたり、食事を工夫してくれたりして、いつも「ピカピカの毛艶のいいワンちゃんですね」とほめられた。
「ねっ、かわいいにせシェパードでしょ。」
2020年12月5日、念願だった綾部の「カフェ・じょんのび」さんにも連れて行くことができた。
このときのきくちゃん、15歳8か月。
元気なきくちゃんを見てもらえて、私が一番喜んでいた。
ヨメさんに、「もう1回は来なあかんな」と言っていた。
でも、きくちゃんはゆっくりゆっくりと衰えて行く。
歩きにくくなったら、ヨメさんが車いすを探してきてくれて、寝たきりにならないようにときくちゃんを支えてくれた。
ついこないだの8月23日。
しんどくなってものが食べらくなってきたきくちゃんだったが、ちょっと調子が戻ったみたいで、お散歩に出てみた。
「きくちゃん、ちゃんと歩けてるやん。うれしい、うれしい。」
でも、それが最後のお散歩になってしまった。
この日が、こんなに急に来るなんて・・・。
今日はまだ8月26日ですよ。
ラインで「きくちゃんは穏やかにしている」と何度も連絡があり、安心していた。
「これなら、私が帰る土曜の朝まで絶対待っててくれる。」
でも、その次に廉から来たラインは・・・。
「きくちゃん、8月26日15時に天国に行きました。
全く苦しまず、穏やかに息を引き取りました。」
ここは泣いたらあかんとこ。きくちゃんと約束した。
「きくちゃん、長生きしてくれてありがとう。きくちゃん、長生きしてくれてありがとう。きくちゃん、長生きしてくれてありがとう。きくちゃん、長生きしてくれてありがとう。きくちゃん、長生きしてくれてありがとう・・・」
涙が止まるまで、何回も何回も(やっぱり泣く)。
ますみちゃん、れんちゃん、みーちゃん、それに沖縄からのまきちゃんも大阪の彩ちゃんも、みんなみんなありがとう。
なにもかもますみちゃんまかせで、きくちゃんのためになることをなにもせんかったけど、きくちゃんは私のことを好いてくれていた。よう私の顔を噛んでくれた。
「夢でいいし、顔噛みに出て来てねー。」
※最後の悲しい記事に、きくちゃんを応援してくださったじょんのびさんの笑い声が入れられたのがすごくよかったと思います。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
メイママさん、ありがとうございます。
「犬好きのいい人でもかまわず噛む」というのがモットーのきくにはまいっていました。被害者の方々には謝り続けなくてはと思っています。
そんなきくも晩年は落ち着いて、いいおばあさん犬に成長(?)しました。そういう意味でも、もっともっと長生きして汚名返上してほしかったです。
私は地獄行きが約束されているので、もういい犬になって天国に行けるきくちゃんには会えません。
それとも、今からでもきくみたいにいい人に変身できるかなあ・・・。
コメントになんで書こうかずっと迷っているうちに遅くなってしまいました。
きくちゃん、おつかれさま。長い間お父さんや、お母さん、まきちゃんや蓮くんからたっぷり愛情をかけてもらってよかったね。廉君が結婚し、パパになって増します家族が増えて、嬉しくてそして安心して旅立って行ったんだよね。
向こうはきくちゃんの天敵、メイがいます。昨日からずっとメイの位牌の前で、きくちゃんを噛まないよう言ってあるからね。向こうで仲良くしてあげてね。
私ともお散歩行ったり、私がきたらそばに寄ってきてくれておばちゃんとっても嬉しかったよ。
最後の最後まで生き切ったきくちゃんはかっこいいな。おばちゃんもきくちゃんみたいにかっこよくいきたいな。
こうじさん、ますみさん、本当にかける言葉がありません。でも、きくちゃんは本当に幸せものだったと思います。一生懸命きくちゃんのお世話をしていたますみさんの消失感と悲しみは深く、中々立ち直れないと思います。こうじそん、フォローよろしくおねがいしますよ!
近いうちに、お家にお邪魔させてもらいます。
きくちゃん、本当にありがとう!
じょんのびかあさん、ありがとうございます。
きくちゃんとの思い出はいっぱいありますが、あの時行かせてもらったときのことは夫婦の話題によく上がります。いっぱい遊ばせてもらって、シッコたれまでしてしまいました。
今は夢でもいいし出て来てくれたらなあと思っています。
きくちゃん、楽しい思い出をありがとうございました。さようならは言わないよ、また会おうね。その時はじょんも一緒だよ。気をつけて、行ってらっしゃい。