2014年06月23日(月)
一人沖縄平和ラン・2014 [ランニング]
みなさんに助けていただき、7時半ごろ名護市役所に無事ゴール。みなさん、本当にお世話になりました。
30km地点あたりから最後まで並走してくださった小橋川さん。残り5kmから並走してくださり、足がつったときにはマッサージしてくださった比嘉雄也さん。いつゴールするか分からない私をずっと待っていてくださった玉城さん。
でも一番お世話になったのは、小橋川さんの奥様とかわいいかわいいももちゃんかな。
「うちのヨメさんゆうてましたわ、小橋川さんの奥さんはえらいって。私やったら、好きで走りに行ってるオッサンに絶対ついて行かへんて。」
「いいえ、私もいっぱい楽しませてもらいました。」
そう言っていただけると救われます。
最初は怪訝な顔をしていたももちゃんも、最後はすごくうちとけてくれていたし・・・。ゆうことなしです。
朝8時に「ホテルルートイン那覇旭橋駅東」を出発のつもりが、今年ももたもた。
のぼりを背負うのは案外うまくいったのだが、GPS腕時計がなかなか衛星を捕捉できない。自宅付近ではたいてい40秒くらいで捕捉していたのに。ホテルの前だったからでしょうか。
ホテル前でお客様を待っておられたタクシーの運転手さんにお願いして、スタートの記念写真。GPSは捕捉できないままにスタート。
去年は沖縄県庁スタートだったので、今年はそのお隣の那覇市役所から。
近くにおられた方にお願いし、今度こそ本当のスタート写真。
GPSもやっと動き出し、8時20分ごろに再スタート。
スタートからカンカン照り。すぐに汗が噴き出した。
それでも、最初の3kmは張り切ってしまいキロ6分ちょっとのペース。
基地が見えるころから、キロ7分ペースくらいに落ち着いてきた。
去年も思ったけど、「沖縄には米軍基地がある」というより、「米軍基地の島に沖縄の人々は暮らしている」という感じがする。
9km地点あたりのガソリンスタンドで水分補給。
「名護まで、あと60kmほど走ります」と言うと、「糸満の慰霊式に行かれるのかと思いました」と言われた。
10?、1時間09分51秒。
元気なうちは、このペースを守りたい。
手頃な台があったので、カメラを置いて自分撮り。
このあたりは、風はそんなにきつくなかった。
基地前の横断橋の上でパチリ。
◎北谷町の綱引き 130/234 より
「綱のカヌチ根軸」
米軍キャンプ瑞慶覧のフェンス沿い(国道58号線側)に、人知れず設置されている石碑が綱のカヌチ根軸である。この拝所もマタジと同様に、知念清子さんの教えにより、ノ口殿内と郷友会によって建立された。石碑には「綱のカヌチ根割IJの銘のほかに「昭和六十三年九月吉田辰年建立字北谷字民一同」の陰刻も確認される。昭和63年の建立以来、北谷ノ口殿内では、毎年の旧暦6月24日には、写真2-148 綱のカヌチ根軸(1988年建立)この綱のカヌチ根軸において綱引きの御願を行うようになった。
現在の石碑が立つこのー帯は、かつてウククヌモーグヮーと呼ばれる百坪ほどの広場で、字の人々が稲干しゃ、ウージンガラ(サトウキビの搾りガラ)を干す場所として利用したほか、戦前の三ヵ村大綱引きをはじめ、旧暦6月25日の毎年の綱引きには、このウククヌモーグヮーに設置されていた目印の石を地点にカニチ棒を貫き、雌雄の綱を連結させたという(仲村新正さん談)。
長老山綱のカヌチ根軸での祈願を終えた一行は、14時10分頃にキャンプ瑞慶覧内の長老山へ到着した。長老山について『北谷町史』第三巻は、「沖縄にはじめて臨済宗妙心寺を伝えた北谷長老(南陽紹弘禅師)をはじめ、樹昌院歴代の住職を葬った墓所Jと記している。
現在の長老山には、戦後、米軍用地として集落を接収された旧字北谷のカー神をはじめ、旧字伝道や玉代勢の拝所が各字毎に合間されている。長老山に到着した一行は、まず北谷長老の墓所と伝えられる場所を拝み(ここでは、線香・クパンチンは6組)、次いで前城島御風水神、その後で戦前の北谷集落内に点在したカンタヌカ一、ウスクガ一、スミムンガ一、根神ガー、イナグガー(女井は伝道に所在した)を澗るカー(井戸)合間所を拝み、さらにクヮーデイーサー(竜宮神、クヮーデイーサーの樹の下に把られていたためそう呼ぶ)を拝んだ。
戦前の北谷集落内に点在したカーについて、北谷ノ口殿内では次のように伝える。東表原に所在したカンタヌカーは、北谷村の始祖(ハダカ世)が使用したカー。写真2-149 北谷長老での祈願-125-
元のページ http://www.chatan.jp/yakuba
8年前、真樹が沖縄本島で初めて泊まったホテル「ビーチタワー」。
このホテルが、今私が管理人のバイトに行っているK社の建物とは・・・。
そのホテルの東側も大きな米軍基地。
またガソリンスタンドで水分補給。
ここでだいたい17km、2時間。気温はぐんぐん上がっているが、そんなにペースは落ちていない。
去年、応援に来てくださったTさんご夫妻にお会いしたのはこのあたり。今年も少し期待していたが、残念ながらお会いできず。去年のお礼が言いたかったのだが・・・。
「フェンスは続くよー、どーこまでもー・・・。」
20km、2時間23分23秒。
10kmからあとは、キロ7分半ペース。
「町の総面積の83%を嘉手納基地が占め、残りのわずか2.6km²に約1万4000人が暮らす」嘉手納町。
「町の総面積の83%が米軍基地」って、どう考えても絶対におかしい。
嘉手納のロータリーで私を見つけ追いかけてきてくださった真栄田オジイ。
「こんな暑い中『平和』の旗を持って走っている姿に感動した。少しだけど、カンパします。」
オジイは千円を差し出された。お断わりしたのだが、どうしてもと言われたので受け取った。いいことに使わせていただきます。
読谷村に入ると、大きなテレビ?
去年、両足コブラがえりで動けなくなった地点。
今年は軽々と通過。
この交差点では、バイクの後ろに小さな子を乗せたお母さんが声をかけてくださった。ありがとうございます。
そして、去年ダウンしてしまったファミリーマート前。
今年はここまで3時間10分(約26km)。
小橋川さんが待っていてくれているかもと期待していたのだが姿は見えず。去年は日曜で今年は月曜やからねえ。そんなにこっちの都合よくはいきませんよねえ。
背中ののぼりをはずし、お昼ごはん休けい。
座ったらコブラがえりの可能性大なので、立ち食いです。
去年はコンビニ前で1時間以上すんでしまったが、今年はわずか16分。
これで、元気に再スタート。
牛さんの写真を撮り・・・。
自分の走っているところも撮り・・・。
「いやー、小橋川さん! 来てくれはったんやー。」
奥さん、ももちゃんと3人で。
奥さんにお願いして、写真を撮っていたただいた。
ここらで、まだ28kmくらい。
ここから先は、小橋川さんがいっしょに走ってくださる。奥さんとももちゃんも車で着いてきてくださるらしい。本当にありがたいことです。
小橋川さんは、私のじゃまにならないように気を使いながら走ってくださった。
海からの風は、去年よりはましなような気がした。
小橋川さんとおしゃべりしながら走っていると、あっという間に「おんなの駅」に。
ここで4時間40分ほど(約35km)。全行程の半分のところまで来たが、まだ1時過ぎ。
ここは大きな道の駅で、歌謡ショーみたいな催しもされていた。
しばらく休けいして再スタート。
小橋川さんがももちゃんに、「おとうさんは、また走ってくるね。」そう言うと、ももちゃんの顔がちょっと暗くなった。「どうしてこんな知らないおじさんとばかり付き合うの。わたしと遊んでほしいなあ」と言いたいような顔。
ここで出しましたがな、私の秘密兵器。
「プリキュアって知ってる? うちの奥さんなあ、こんな格好であちこち走ってんねん。」
そう言って写真を見せると、ももちゃんがにこっ。
「プリキュアも役に立つがなー!」
(注)もうちょっと、続きます。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
林さん、コメントありがとうございます。あのあと西表島に渡り、パソコンが見られる状態ではなく、お返事が遅くなりました。今日(26日)の夕方、やっと京都に帰ってきました。
ただなんとなく走るのではなく、自分なりに目的を持って走るのは本当に値打ちがあると思いました。今後もできる限り沖縄慰霊の日の「平和ラン」を続けていこうと思っています。5年ほど続けたら「平和ランオジイ」と呼んでもらえるようになるでしょうか。
林さんがこのブログを呼んでくださっているだけで、私は勇気付けられています。いつもいつもありがとうございます。
日焼けで早くも鼻の皮がむけてきたパオパオでした。
パオパオさん、楽しく拝見させていただいています。そちらも暑いと思います。お体、気を付けてくださいませ。なんにもできませんが、応援しております!(^_^)v